天成文旅-繪日之丘 國旅

有多久沒好好走入森林,探索山林秘境,大口深呼吸,感受心神安定的靜謐旅行。看好國人旅遊時規劃行程喜愛套裝行程與搶攻下半年度國旅商機,天成文旅-繪日之丘自即日起至12月16日止,推出「回嘉森呼吸,樂遊阿里山」三天兩夜住房優惠,入住精緻客房8,500元起、輕逸精緻客房8,900元起、溫馨家庭房12,100元起,另依房型規定入住人數贈送阿里山擁抱山林森呼吸一日遊,搭乘阿里山小火車感受森林檜木香氣的薰陶,品嘗在地奮起湖鐵路便當,體驗季節限定賞楓絕美的浪漫。

阿里山景色壯闊優美、綠植豐富且芬多精使人神清氣爽,每到秋冬,更為阿里山森林遊樂區最佳季節,片片楓葉搖曳生姿,讓人難以忘懷。而嘉義市圍繞在文物歷史豐饒下,一條阿里山鐵路宛如帶領旅人踏入了嘉義林業故事的世紀風華。天成文旅-繪日之丘以注重在地文化為特色,融合阿里山、檜木、山嵐日出…等在地元素,打造和煦的繪日印象,讓人在忙碌的生活中,帶來像回家般自在的舒適與溫馨。入住天成文旅-繪日之丘「回嘉森呼吸 樂遊阿里山」三天兩夜住房專案,依房型規定入住人數贈送阿里山擁抱山林森呼吸一日遊活動,活動內含入住次日豐盛行程,包括上午從飯店集合前往奮起湖老街、阿里山森林遊樂區、檜意森活村重現嘉義舊時的日治風情…等行程外,住宿期間內另依房型規定入住人數贈送兩日早餐,享用繪日珈啡提供的特色早餐,住客更可在每日下午3點至晚上6點於大廳免費享用阿里山高山茶與道地茶點,每日早上10點至晚上10點免費使用飯店七樓星空童樂室,包含多達50種以上的古早味零食柑仔舖免費嘗與各式趣味小遊戲、手足球檯、飛鏢機、SWITCH遊戲機…等,嘟比碰碰車設施更讓孩童愛不釋手。感受天成文旅-繪日之丘的獨有風情,感受一趟簡單美好嘉之旅。

天成文旅-繪日之丘 國旅
 
天成文旅-繪日之丘 國旅

天成飯店集團品牌行銷公關處總監趙芝綺表示:「走出戶外,體驗自然生態特色旅遊,儼然成為消費者熱門選項,緊接而來11月後為賞楓季,天成文旅-繪日之丘看準消費者喜愛套裝行程及賞楓商機,推出樂遊阿里山三天兩夜住房專案,邀請消費者遊歷鐵道文化與大自然的綠色沐浴,探索阿里山獨有的檜木風情,放鬆身心,呼吸芬多精,輕鬆來趟回嘉森呼吸之旅,預計此波活動可帶動業績成長1~2成。」

搶暑假最後一波旅宿商機,天成文旅繪日之丘鎖定親子家庭旅遊、學生出遊及閨蜜旅行,自即日起至9月29日止推出「一起回嘉 平日免費升等家庭房」住房優惠,凡於週日至週四入住精緻客房享專案優惠價2,899元,更加碼免費升等價值9,200元溫馨家庭四人房,暑假同樂出遊回嘉,等同每人每晚花費不到725元,再搭配使用國旅補助疫苗施打三劑最高折抵1,300元,每人僅需400元即可入住舒適客房及免費使用飯店豐富趣味的設施。

成文旅-繪日之丘「一起回嘉 平日免費升等家庭房」住房優惠,於平日期間日入住精緻客房,享免費升等溫馨家庭四人房外,另提供兩客免費早餐,於8月29日至8月31日入住,每房加贈天成文旅-繪日之丘嘟比布偶乙個。此外,還可於體驗每日下午3點至晚上6點的茶聚活動,免費享用阿里山高山茶與道地茶點,每日早上10點至晚上10點免費使用飯店七樓星空童樂室,包含無限量享用現場共多達50種以上的古早味零食、糖果、餅乾、飲料與各式趣味小遊戲、手足球檯、飛鏢機、SWITCH遊戲機…等。

天成飯店集團品牌行銷公關處總監趙芝綺表示,暑假結束後將進入旅遊淡季,各飯店摩拳擦掌價格戰來吸引消費者目光,天成文旅-繪日之丘除價格亮眼外,為提供旅客更好的住宿體驗,直接加碼升等四人房,搭配國旅最高補助1,300元,四人入住每人平均下不到400元,希望藉此提升旅客於平日及淡季出旅遊意願並且挹注下半年度營收,預估可以帶動平日住房業績成長二成。

親愛的顧客您好:

近日獲悉有不法人士假冒飯店名義,針對線上訂房進行詐騙。天成文旅-繪日之丘已要求合作系統商加強資安,善盡資料保護責任。
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凡遇不明電話及疑似詐騙,或有其他疑慮請直接與天成文旅-繪日之丘05-275-9899
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天成飯店集團新品牌「天成文旅」,以注重在地文化特色,客製化打造專業飯店為核心。「天成文旅-繪日之丘」為天成文旅全新開展的第一家設計精品旅館品牌,位於嘉義大雅路,呈現白色幾何堆疊的外觀,宛如美術館般的優雅外型,闡述出簡約的設計風格,客房則融入些許活潑的色調,亮眼吸睛。並且結合阿里山的意象:日出、山嵐、檜木…等自然素材,透過設計師手法的轉換,巧妙的出現於公共空間與客房之中,與旅客對話產生驚喜共鳴。飯店主要鎖定親子市場,因此也會打造具有童趣記憶的裝置藝術,期待給予消費者一個會心一笑的旅遊體驗。

繪日之丘-品牌小故事

PAINT YOUR SUN.
SHINE YOUR DAY.
SUNDAY IS EVERYDAY.
太陽緩緩升起,耀出黃澄澄光芒,天空如畫板,雲朵為水墨,恣意揮灑下,繪出溫度和熱情。繪日之丘由天成飯店集團最新的品牌「天成文旅」所打造,步入旅館內,每一處、每一物,家的場景盡收眼底,服務傳遞著溫暖,心回歸初始,純粹舒適,愛與幸福在此凝聚!

繪日之丘簡介

踏著輕快的節奏,移動在陽光地帶,感受光影交會的溫度。繪日之丘,擁有71間舒適客房,活潑的設計與特色畫作妝點空間,融入木質色調傳遞出溫潤與樸實,並運用燈光投射,畫龍點睛下讓視覺充滿驚艷,找到一種屬於旅行的沈穩氣息心靈,無壓、自在的停靠。

天成文旅-繪日之丘 國旅

天成文旅-繪日之丘

天成飯店集團新品牌「天成文旅」,以注重在地文化特色,客製化打造專業飯店為核心,
2016年初於嘉義大雅路開展第一家「天成文旅–繪日之丘」。

繪日之丘呈現白色幾何堆疊的外觀,宛如美術館般的優雅外型,闡述出簡約的設計風格,
客房則融入些許活潑的色調,亮眼吸睛。並且結合阿里山的意象:日出、山嵐、檜木…等自然素材,
透過設計師手法的轉換,巧妙的出現於公共空間與客房之中,與旅客對話產生驚喜共鳴。

飯店主要鎖定親子市場,因此也會打造具有童趣記憶的裝置藝術,
期待給予消費者一個會心一笑的旅遊體驗。

-品牌小故事

PAINT--YOUR--SUN.
SHINE--YOUR--DAY.
SUNDAY--IS--EVERYDAY.

太陽緩緩升起,耀出黃澄澄光芒,
天空如畫板,雲朵為水墨,恣意揮灑下,繪出溫度和熱情。

繪日之丘由天成飯店集團最新的品牌「天成文旅」所打造,
步入旅館內,每一處、每一物,家的場景盡收眼底,
服務傳遞著溫暖,心回歸初始,純粹舒適,愛與幸福在此凝聚!

【書経 目次】

[虞書(ぐしょ)] 5篇
├01 堯典(ぎょうてん)
├02 舜典(しゅんてん)
├03 大禹謨(たいうぼ)
├04 皋陶謨(こうようぼ)
└05 益稷(えきしょく)

[夏書(かしょ)] 4篇
├06 禹貢(うこう)
├07 甘誓(かんせい)
├08 五子之歌(ごししか)
└09 胤征(いんせい)

[商書(しょうしょ)] 17篇
├10 湯誓(とうせい)
├11 仲虺之誥(ちゅうきしこう)
├12 湯誥(とうこう)
├13 伊訓(いくん)
├14 太甲上(たいこう)
├15 太甲中(たいこう)
├16 太甲下(たいこう)
├17 咸有一徳(かんゆういっとく)
├18 盤庚上(ばんこう)
├19 盤庚中(ばんこう)
├20 盤庚下(ばんこう)
├21 説命上(えつめい)
├22 説命中(えつめい)
├23 説命下(えつめい)
├24 高宗肜日(こうそうゆうじつ)
├25 西伯戡黎(せいはくかんれい)
└26 微子(びし)

[周書(しゅうしょ)] 32篇
├27 泰誓上(たいせい)
├28 泰誓中(たいせい)
├29 泰誓下(たいせい)
├30 牧誓(ぼくせい)
├31 武成(ぶせい)
├32 洪範(こうはん)
├33 旅獒(りょごう)
├34 金滕(きんとう)
├35 大誥(たいこう)
├36 微子之命(びししめい)
├37 康誥(こうこう)
├38 酒誥(しゅこう)
├39 梓材(しざい)
├40 召誥(しょうこう)
├41 洛誥(らくこう)
├42 多士(たし)
├43 無逸(むいつ)
├44 君奭(くんせき)
├45 蔡仲之命(さいちゅうしめい)
├46 多方(たほう)
├47 立政(りっせい)
├48 周官(しゅうかん)
├49 君陳(くんちん)
├50 顧命(こめい)
├51 康王之誥(こうおうしこう)
├52 畢命(ひつめい)
├53 君牙(くんが)
├54 冏命(けいめい)
├55 呂刑(りょけい)
├56 文侯之命(ぶんこうしめい)
├57 費誓(ひせい)
└58 秦誓(しんせい)

【書経 原文と読み 一部】

書經集傳序

慶元 宋寧宗年號。己未冬、先生文公、令沈作書集傳。明年先生沒。又十年、始克成編。總若干萬言。
【読み】
慶元 宋の寧宗の年號。己未[つちのと・ひつじ]の冬、先生文公、沈をして書の集傳を作らしむ。明年先生沒せり。又十年にして、始めて克く編を成す。總べて若干[そこばく]萬言なり。

嗚呼書豈易言哉。二帝 堯・舜。三王 禹・湯・文・武。治 鄒氏季友曰、治字本平聲。借用乃爲去聲。故陸氏於諸經中、平聲者、竝無音。去聲者、乃音直吏反。而讀者不察。乃或皆作去聲讀之。今二聲竝音、以矯其弊。平聲者、脩理其事、方用其力也。去聲者、事有條理、已見其效也。諸篇中、有不及盡音者、以此推之、皆可見矣。天下之大經大法、皆載此書。而淺見薄識、豈足以盡發蘊奧。
【読み】
嗚呼書は豈言い易けんや。二帝 堯・舜。三王 禹・湯・文・武。天下を治むる 鄒氏季友が曰く、治の字は本平聲。借り用いて乃ち去聲とす。故に陸氏諸經の中に於て、平聲なる者は、竝[とも]に音[こえ]無し。去聲は、乃ち音は直吏反なり、と。而して讀む者察せず。乃ち或は皆去聲と作して之を讀む。今二聲竝に音して、以て其の弊を矯む。平聲は、其の事を脩理して、方に其の力を用うるなり。去聲は、事條理有りて、已に其の效を見すなり。諸篇の中に、盡く音するに及ばざること有る者は、此を以て之を推して、皆見る可し、と。の大經大法、皆此の書に載せたり。而れども淺見薄識、豈以て盡く蘊奧を發するに足らんや。

且生於數千載之下、而欲講明於數千載之前、亦已難矣。然二帝三王之治、本於道。二帝三王之道、本於心。得其心、則道與治、固可得而言矣。
【読み】
且つ數千載の下に生まれて、數千載の前を講明せんと欲せんことも、亦已に難し。然れども二帝三王の治は、道に本づく。二帝三王の道は、心に本づく。其の心を得るときは、則ち道と治と、固に得て言う可し。

何者、精一執中、堯・舜・禹相授之心法也。建中建極、商湯・周武相傳之心法也。曰德曰仁、曰敬曰誠、言雖殊、而理則一。無非所以明此心之妙也。至於言天、則嚴其心之所自出。言民、謹其心之所由施。禮樂敎化、心之發也。典章文物、心之著也。家齊國治、而天下平、心之推也。心之德其盛矣。
【読み】
何となれば、精一にして中を執るは、堯・舜・禹相授くるの心法なり。中を建て極を建つるは、商の湯・周武相傳の心法なり。德と曰い仁と曰い、敬と曰い誠と曰う、言殊なりと雖も、而して理は則ち一なり。以て此の心の妙を明らかにする所に非ざる無し。天を言うに至りては、則ち其の心の自って出づる所を嚴かにす。民を言うときは、其の心の由って施す所を謹む。禮樂敎化は、心の發なり。典章文物は、心の著るなり。家齊え國治めて、天下平らかなるは、心の推すなり。心の德其れ盛んなるかな。

二帝三王、存此心者也。夏桀・商受、亡此心者也。太甲・成王、困而存此心者也。存則治、亡則亂。治亂之分、顧其心之存不存如何耳。
【読み】
二帝三王は、此の心を存する者なり。夏の桀・商の受は、此の心を亡する者なり。太甲・成王は、困しみて此の心を存する者なり。存するときは則ち治まり、亡するときは則ち亂る。治亂の分は、其の心の存すると存せざると如何と顧みるのみ。

後世人主、有志於二帝三王之治、不可不求其道。有志於二帝三王之道、不可不求其心。求心之要、舍是書何以哉。
【読み】
後世の人主、二帝三王の治に志すこと有らば、其の道に求めずんばある可からず。二帝三王の道に志すこと有らば、其の心を求めずんばある可からず。心を求むるの要は、是の書を舍[お]いて何を以てかせんや。

沈自受讀以來、沈潛其義參考衆說、融會貫通、迺敢折衷。微辭奧旨、多述舊聞。
【読み】
沈受け讀みてより以來、其の義を沈潛し衆說を參考し、融會貫通して、迺[すなわ]ち敢えて折衷す。微辭奧旨、多く舊聞を述べり。

二典禹謨、先生蓋嘗是正。手澤尙新。嗚呼惜哉。先生改本、已附文集中、其閒亦有經承先生口授指畫、而未及盡改者、今悉更定、見本篇。
【読み】
二典禹謨は、先生蓋し嘗て是正せり。手澤尙新たなり。嗚呼惜しいかな。先生の改本、已に文集の中に附して、其の閒亦先生口授指畫を經承して、未だ盡く改むるに及ばざる者有り、今悉く更に定めて、本篇に見ゆ。

集傳本先生所命。故凡引用師說、不復識別。四代 虞・夏・商・周。之書、分爲六卷。虞一巻、夏一巻、商一巻、周三巻。○書凡百篇。遭秦火後、今所存者、僅五十八篇。
【読み】
集傳は本先生の命ずる所。故に凡そ師說を引き用うるは、復識別せず。四代 虞・夏・商・周。の書は、分けて六卷とす。虞一巻、夏一巻、商一巻、周三巻。○書は凡て百篇。秦火に遭って後、今存する所の者は、僅かに五十八篇なり。

文以時異、治以道同。聖人之心見於書、猶化工之妙著於物。非精深不能識也。是傳也、於堯・舜・禹・湯・文・武・周公之心、雖未必能造其微、於堯・舜・禹・湯・文・武・周公之書、因是訓詁 通古今之言也。亦可得其指意之大略矣。
【読み】
文は時を以て異なり、治は道を以て同じ。聖人の心の書に見るる、猶化工の妙の物に著るるがごとし。精深に非ずんば識ること能わざるなり。是の傳は、堯・舜・禹・湯・文・武・周公の心に於て、未だ必ずしも能く其の微に造[いた]らずと雖も、堯・舜・禹・湯・文・武・周公の書に於て、是の訓詁 古今の言に通ずるなり。に因りて、亦其の指意の大略を得る可し。

嘉定 亦寧宗年號。己巳三月、旣望。武夷蔡沈序。沈俗作沉非。沈音澄。沈、字仲默、建寧府建陽縣人。西山先生之仲子。從學_朱文公、隱居不仕。自號九峯先生。
【読み】
嘉定 亦寧宗の年號。己巳[つちのと・み]三月、旣望。武夷の蔡沈序す。沈を俗に沉に作るは非なり。沈は音澄。沈、字は仲默、建寧府建陽縣の人なり。西山先生の仲子。_朱文公に從いて學び、隱居して仕えず。自ら九峯先生と號す。

書經卷之一  蔡沉集傳

虞書 虞、舜氏。因以爲有天下之號也。書凡五篇。堯典、雖紀唐堯之事、然本虞史所作。故曰虞書。其舜典以下、夏史所作。當曰夏書。春秋傳亦多引爲夏書。此云虞書、或以爲孔子所定也。
【読み】
虞書[ぐしょ] 虞は、舜の氏。因りて以て天下を有つの號とす。書は凡て五篇。堯典は、唐堯の事を紀すと雖も、然れども本虞史の作る所。故に虞書と曰う。其の舜典より以下は、夏史の作る所。當に夏書と曰うべし。春秋傳も亦多く引いて夏書とす。此に虞書と云うは、或は以爲えらく、孔子定むる所、と。

○堯典 堯、唐帝名。說文曰、典、從册在丌上。尊閣之也。此篇以簡册載堯之事、故名曰堯典。後世以其所載之事、可爲常法、故又訓爲常也。今文古文皆有。
【読み】
○堯典[ぎょうてん] 堯は、唐帝の名。說文に曰く、典は、册の丌[き]の上に在るに從う。之を尊び閣[お]く、と。此の篇簡册に堯の事を載するを以て、故に名づけて堯典と曰う。後世其の載する所の事、常の法とす可きを以て、故に又訓じて常とす。今文古文皆有り。

曰若稽古帝堯曰、放勳欽明、文思安安、允恭克讓。光被四表、格于上下。曰、粤・越通。古文作粤。曰若者、發語辭。周書越若來三月、亦此例也。稽、考也。史臣將敍堯事。故先言、考古之帝堯者、其德如下文所云也。曰者、猶言其說如此也。放、至也。猶孟子言放乎四海、是也。勳、功也。言堯之功大而無所不至也。欽、恭敬也。明、通明也。敬體而明用也。文、文章也。思、意思也。文著見、而思深遠也。安安、無所勉强也。言其德性之美、皆出於自然、而非勉强。所謂性之者也。允、信。克、能也。常人德非性有、物欲害之。故有强爲恭而不實、欲爲讓而不能者。惟堯性之。是以信恭而能讓也。光、顯。被、及。表、外。格、至。上、天。下、地也。言其德之盛如此。故其所及之遠如此也。蓋放勳者、總言堯之德業也。欽明文思安安、本其德性而言也。允恭克讓、以其行實而言也。至於被四表格上下、則放勳之所極也。孔子曰、惟天爲大。惟堯則之。故書敍帝王之德、莫盛於堯。而其贊堯之德、莫備於此。且又首以欽之一字爲言、此書中開卷第一義也。讀者深味而有得焉、則一經之全體、不外是矣。其可忽哉。
【読み】
曰若[ここ]に古の帝堯を稽[かんが]うるに曰く、放勳欽明、文思安安、允に恭しく克[よ]く讓る。四表に光被し、上下に格れり。曰は、粤[えつ]・越と通ず。古文に粤に作る。曰若は、發語の辭。周書に越若に來る三月とは、亦此の例なり。稽は、考うるなり。史臣將に堯の事を敍べんとす。故に先ず言う、古の帝堯なる者を考うるに、其の德下の文に云う所の如し、と。曰は、猶其の說此の如しと言うがごとし。放は、至るなり。猶孟子四海に放ると言うがごとき、是れなり。勳は、功なり。言うこころは、堯の功大いにして至らざる所無し。欽は、恭敬なり。明は、通明なり。敬は體にして明は用なり。文は、文章なり。思は、意思なり。文は著見して、思は深遠なり。安安は、勉强する所無し。言うこころは、其の德性の美、皆自然に出でて、勉强するに非ず。所謂性のままなる者なり。允は、信。克は、能きなり。常の人は德性の有るがままに非ず、物欲之を害す。故に强いて恭を爲して實あらず、讓を爲さんと欲して能わざる者有り。惟堯のみ性のままにす。是を以て信に恭しくして能く讓れり。光は、顯らか。被は、及ぶ。表は、外。格は、至る。上は、天。下は、地なり。言うこころは、其の德の盛んなること此の如し。故に其の及ぼす所の遠きこと此の如し。蓋し放勳は、總べて堯の德業を言うなり。欽明文思安安は、其の德性に本づいて言うなり。允に恭しく克く讓るは、其の行實を以て言うなり。四表に被い上下に格るに至っては、則ち放勳の極まる所なり。孔子曰く、惟天のみ大なりとす。惟堯のみ之に則れり、と。故に書に帝王の德を敍ぶること、堯より盛んなるは莫し。而して其の堯の德を贊すること、此より備われるは莫し。且つ又首めに欽の一字を以て言を爲すは、此れ書中開卷第一の義なり。讀む者深く味わいて得ること有らば、則ち一經の全體、是に外ならず。其れ忽にす可けんや。

△克明俊德、以親九族。九族旣睦、平章百姓、百姓昭明、協和萬邦。黎民於變、時雍。於、音烏。○明、明之也。俊、大也。堯之大德、上文所稱、是也。九族、高祖至玄孫之親。舉近以該遠。五服異姓之親、亦在其中也。睦、親而和也。平、均。章、明也。百姓、畿内民庶也。昭明、皆能自明其德也。萬邦、天下諸侯之國也。黎、黑也。民首皆黑。故曰黎民。於、歎美辭。變、變惡爲善也。時、是。雍、和也。此言堯推其德。自身而家、而國、而天下。所謂放勳者也。
【読み】
△克く俊德を明らかにし、以て九族を親しむ。九族旣に睦まじくして、百姓を平章にすれば、百姓昭明にして、萬邦を協和す。黎民於[ああ]變わり、時[こ]れ雍[やわ]らげり。於は、音烏。○明は、之を明らかにするなり。俊は、大いなり。堯の大德、上の文に稱する所、是れなり。九族は、高祖より玄孫に至るまでの親なり。近きを舉げて以て遠きを該[か]ぬ。五服異姓の親も、亦其の中に在るなり。睦は、親しくして和らぐなり。平は、均し。章は、明らかなり。百姓は、畿内の民庶なり。昭明は、皆能く自ら其の德を明らかにするなり。萬邦は、天下諸侯の國なり。黎は、黑きなり。民の首皆黑し。故に黎民と曰う。於は、歎美の辭。變は、惡を變じて善と爲すなり。時は、是れ。雍は、和らぐなり。此れ堯の其の德を推すことを言う。身よりして家、而して國、而して天下。所謂放勳なる者なり。

△乃命羲・和、欽若昊天、曆象日月星辰、敬授人時。昊、下老反。○乃者、繼事之辭。羲氏・和氏、主曆象授時之官。若、順也。昊、廣大之意。曆、所以紀數之書。象、所以觀天之器。如下篇璣衡之屬、是也。日、陽精。一日而繞地一周。月、陰精。一月而與日一會。星、二十八宿。衆星爲經、金・木・水・火・土五星爲緯、皆是也。辰、以日月所會、分周天之度、爲十二次也。人時、謂耕穫之候。凡民事早晩之所關也。其說詳見下文。
【読み】
△乃ち羲・和に命じて、欽んで昊天に若[したが]い、日月星辰を曆象して、敬んで人[たみ]の時を授く。昊は、下老反。○乃は、事を繼ぐの辭。羲氏・和氏は、曆象を主り時を授くるの官。若は、順うなり。昊は、廣大の意。曆は、數を紀す所以の書。象は、天を觀る所以の器。下の篇の璣衡[きこう]の屬の如き、是れなり。日は、陽の精。一日にして地を繞[めぐ]ること一周す。月は、陰の精。一月にして日と一たび會す。星は、二十八宿。衆星を經とし、金・木・水・火・土の五星を緯とするは、皆是れなり。辰は、日月會する所を以て、周天の度を分かちて、十二次とす。人の時は、耕穫の候を謂う。凡そ民事早晩の關る所なり。其の說詳らかに下の文に見えたり。

△分命羲仲、宅嵎夷。曰暘谷。寅賓出日、平秩東作。日中星鳥、以殷仲春。厥民析、鳥獸孳尾。嵎、音隅。孳、音字。○此下四節、言曆旣成、而分職以頒布。且考驗之、恐其推步之或差也。或曰、上文所命、蓋羲伯和伯。此乃分命其仲叔。未詳是否也。宅、居也。嵎夷、卽禹貢嵎夷旣略者也。曰暘谷者、取日出之義。羲仲所居官次之名。蓋官在國都、而測候之所、則在於嵎夷東表之地也。寅、敬也。賓、禮接之如賓客也。亦帝嚳曆日月而迎送之意。出日、方出之日。蓋以春分之旦、朝方出之日、而識其初出之景也。平、均。秩、序。作、起也。東作、春月歲功方興、所當作起之事也。蓋以曆之節氣早晩、均次其先後之宜、以授有司也。日中者、春分之刻、於夏永冬短、爲適中也。晝夜皆五十刻、舉晝以見夜。故曰日。星鳥、南方朱鳥七宿。唐一行推以鶉火、爲春分昬之中星也。殷、中也。春分、陽之中也。析、分散也。先時冬寒、民聚於隩。至是則以民之散處、而驗其氣之溫也。乳化曰孳、交接曰尾。以物之生育、而驗其氣之和也。
【読み】
△分かちて羲仲に命じて、嵎夷[ぐうい]に宅[お]らしむ。暘谷[ようこく]と曰う。寅[つつし]んで出づる日を賓して、東作を平秩す。日は中、星は鳥、以て仲春を殷[ひと]しくす。厥の民析[わか]れ、鳥獸は孳尾[じび]す。嵎は、音隅。孳は、音字。○此の下の四節は、言うこころは、曆旣に成りて、職を分かちて以て頒ち布く。且つ之を考え驗して、其の推步の差い或るを恐るるなり。或ひと曰く、上の文の命ずる所は、蓋し羲伯和伯なり。此れ乃ち分かちて其の仲叔に命ず、と。未だ是否を詳らかにせず。宅は、居るなり。嵎夷は、卽ち禹貢に嵎夷旣に略[かぎ]れる者なり。暘谷と曰うは、日出づるの義に取る。羲仲居る所の官次の名なり。蓋し官は國都に在りて、測候の所は、則ち嵎夷東表の地に在るなり。寅は、敬むなり。賓は、禮接すること賓客の如きなり。亦帝嚳[こく]日月を曆[かぞ]えて迎送するの意なり。出づる日は、方に出でんとするの日なり。蓋し春分の旦、朝方に出でんとするの日を以て、其の初めて出づるの景[かげ]を識すなり。平は、均し。秩は、序。作は、起こるなり。東作は、春月歲功方に興りて、當に作起すべき所の事なり。蓋し曆の節氣早晩を以て、均しく其の先後の宜しきを次いで、以て有司に授くなり。日中は、春分の刻、夏永く冬短きに於て、適中とす。晝夜皆五十刻、晝を舉げて以て夜を見す。故に日と曰う。星鳥は、南方朱鳥の七宿なり。唐の一行推して鶉火を以て、春分昬の中星とす。殷は、中するなり。春分は、陽の中なり。析は、分かれ散るなり。先の時は冬寒くして、民隩[おう]に聚まる。是に至りて則ち民の散じ處るを以て、其の氣の溫かきを驗すなり。乳化を孳と曰い、交接を尾と曰う。物の生育を以て、其の氣の和を驗すなり。

△申命羲叔、宅南交、平秩南訛。敬致。日永星火、以正仲夏。厥民因、鳥獸希革。申、重也。南交、南方交趾之地。陳氏曰、南交下當有曰明都三字。訛、化也。謂夏月時物長盛、所當變化之事也。史記索隱作南爲。謂所當爲之事也。敬致、周禮所謂冬夏致日。蓋以夏至之日中、祠日而識其景。如所謂日至之景尺有五寸、謂之地中者也。永、長也。日永、晝六十刻也。星火、東方蒼龍七宿。火、謂大火。夏至昬之中星也。正者、夏至陽之極、午、爲正陽位也。因、析而又析。以氣愈熱、而民愈散處也。希革、鳥獸毛希而革易也。
【読み】
△申[かさ]ねて羲叔に命じて、南交に宅らしめ、南訛を平秩す。敬んで致す。日は永く星は火、以て仲夏を正す。厥の民は因れり、鳥獸は希革す。申は、重ぬるなり。南交は、南方交趾の地なり。陳氏が曰く、南交の下に當に曰明都の三字有るべし、と。訛は、化すなり。夏月時物長盛して、當に變化すべき所の事を謂うなり。史記の索隱に南爲に作る。當にすべき所の事を謂うなり。敬致は、周禮に所謂冬夏日を致す、と。蓋し夏至の日中を以て、日を祠りて其の景を識す。所謂日至の景尺有五寸、之を地中と謂うが如き者なり。永は、長きなり。日永きは、晝六十刻なり。星火は、東方蒼龍の七宿なり。火は、大火を謂う。夏至の昬の中星なり。正は、夏至は陽の極、午は、正陽の位爲り。因は、析ちて又析つ。氣愈々熱きを以て、民愈々散じ處るなり。希革は、鳥獸の毛希にして革まり易きなり。

△分命和仲、宅西。曰昧谷。寅餞納日、平秩西成。宵中星虛、以殷仲秋。厥民夷、鳥獸毛毨。毨、蘇典反。○西、謂西極之地也。曰昧谷者、以日所入而名也。餞、禮送行者之名。納日、方納之日也。蓋以秋分之莫、夕方納之日、而識其景也。西成、秋月物成之時。所當成就之事也。宵、夜也。宵中者、秋分夜之刻、於夏冬爲適中也。晝夜亦各五十刻、舉夜以見日。故曰宵。星虛、北方玄武七宿之虛星、秋分昬之中星也。亦曰殷者、秋分、陰之中也。夷、平也。暑退而人氣平也。毛毨、鳥獸毛落更生、潤澤鮮好也。
【読み】
△分かちて和仲に命じて、西に宅らしむ。昧谷と曰う。寅んで納る日を餞して、西成を平秩す。宵は中、星は虛、以て仲秋を殷しくす。厥の民は夷[たいら]げり、鳥獸は毛毨[もうせん]す。毨は、蘇典反。○西は、西極の地を謂うなり。昧谷と曰うは、日入る所を以て名づくるなり。餞は、禮して行く者を送るの名。納日は、方に納るの日なり。蓋し秋分の莫を以て、方に納るの日を夕して、其の景を識すなり。西成は、秋月物成るの時。當に成就すべき所の事なり。宵は、夜なり。宵中は、秋分夜の刻、夏冬に於て適中とす。晝夜亦各々五十刻、夜を舉げて以て日を見す。故に宵と曰う。星虛は、北方玄武七宿の虛星、秋分昬の中星なり。亦殷と曰うは、秋分は、陰の中なればなり。夷は、平らかなり。暑退いて人氣平らかなり。毛毨は、鳥獸毛落ちて更に生じて、潤澤鮮好なるなり。

△申命和叔、宅朔方。曰幽都。平在朔易。日短星昴、以正仲冬。厥民隩、鳥獸氄毛。隩、於到反。氄、而隴反。○朔方、北荒之地。謂之朔者、朔之爲言蘇也。萬物至此、死而復蘇。猶月之晦而有朔也。日行至是、則淪於地中、萬象幽暗。故曰幽都。在、察也。朔易、冬月歲事已畢、除舊更新。所當改易之事也。日短、晝四十刻也。星昴、西方白虎七宿之昴宿。冬至昬之中星也。亦曰正者、冬至陰之極、子爲正陰之位也。隩、室之内也。氣寒而民聚於内也。氄毛、鳥獸生耎毳細毛、以自溫也。蓋旣命羲和、造曆制器、而又分方與時、使各驗其實、以審夫推步之差。聖人之敬天勤民、其謹如是。是以術不違天、而政不失時也。又按此冬至曰在虛、昬中昴。今冬至日在斗、昬中壁。中星不同者、蓋天有三百六十五度四分度之一、歲有三百六十五日四分日之一。天度四分之一而有餘、歲日四分之一而不足。故天度常平運而舒、日道常内轉而縮。天漸差而西、歲漸差而東。此歲差之由。唐一行所謂歲差者是也。古曆簡易、未立差法、但隨時占候修改、以與天合。至東晉虞喜、始以天爲天、以歲爲歲、乃立差以追其變。約以五十年退一度。何承天以爲太過。乃倍其年而又反不及。至隋劉焯、取二家中數七十五年、爲近之。然亦未爲精密也。因附著于此。
【読み】
△申ねて和叔に命じて、朔方に宅らしむ。幽都と曰う。朔易を平在す。日は短く星は昴、以て仲冬を正す。厥の民は隩[あたた]まり、鳥獸は氄毛[じょうもう]す。隩は、於到反。氄は、而隴反。○朔方は、北の荒れたる地。之を朔と謂うは、朔の言爲るは蘇なり。萬物此に至り、死して復蘇る。猶月の晦にして朔有るがごとし。日行いて是に至れば、則ち地中に淪[しず]みて、萬象幽暗なり。故に幽都と曰う。在は、察なり。朔易は、冬月歲事已に畢わり、舊を除いて新に更う。當に改易すべき所の事なり。日短しは、晝四十刻なり。星昴は、西方白虎七宿の昴宿なり。冬至の昬の中星なり。亦正と曰うは、冬至は陰の極、子は正陰の位爲ればなり。隩は、室の内なり。氣寒くして民内に聚まるなり。氄毛は、鳥獸耎毳[ぜんせい]細毛を生して、以て自ら溫むるなり。蓋し旣に羲和に命じて、曆を造り器を制して、又方と時とを分かちて、各々其の實を驗して、以て夫の推步の差いを審らかにせしむ。聖人の天を敬み民を勤むる、其の謹み是の如し。是を以て術天に違わずして、政時を失わざるなり。又按ずるに此の冬至の曰は虛に在り、昬の中は昴なり。今の冬至の日は斗に在り、昬の中は壁なり。中星同じからざるは、蓋し天は三百六十五度四分度の一有り、歲は三百六十五日四分日の一有り。天度は四分の一にして餘有り、歲日は四分の一にして足らず。故に天の度は常に平運して舒び、日の道は常に内轉して縮まる。天漸く差いて西し、歲漸く差いて東す。此れ歲差の由なり。唐の一行が所謂歲差とは是れなり。古の曆は簡易にして、未だ差法を立てず、但時に隨いて占候して修め改めて、以て天と合わすのみ。東晉の虞喜に至りて、始めて天を以て天とし、歲を以て歲とし、乃ち差を立てて以て其の變を追う。約するに五十年を以て一度を退く。何承天以爲えらく、太だ過てり、と。乃ち其の年を倍して又反って及ばず。隋の劉焯に至りて、二家の中數七十五年を取りて、之に近しとす。然れども亦未だ精密と爲らず。因りて此に附著す。

△帝曰、咨汝羲曁和、朞三百有六旬有六日、以閏月定四時成歲。允釐百工、庶績咸煕。咨、嗟也。嗟歎而告之也。曁、及也。朞、猶周也。允、信。釐、治。工、官。庶、衆。績、功。咸、皆。煕、廣也。天體至圓。周圍三百六十五度四分度之一、繞地左旋、常一日一周而過一度。日麗天而少遲。故日行一日亦繞地一周、而在天爲不及一度。積三百六十五日、九百四十分日之二百三十五、而與天會。是一歲日行之數也。月麗天而尤遲。一日常不及天十三度十九分度之七。積二十九日、九百四十分日之四百九十九、而與日會。十二會、得全日三百四十八、餘分之積、又五千九百八十八。如日法九百四十、而一得六不盡三百四十八、通計得日三百五十四、九百四十分日之三百四十八。是一歲月行之數也。歲有十二月、月有三十日、三百六十者、一歲之常數也。故日與天會、而多五日九百四十分日之二百三十五者、爲氣盈。月與日會而少五日九百四十分日之五百九十二者、爲朔虛。合氣盈朔虛而閏生焉。故一歲閏、率則十日九百四十分日之八百二十七。三歲一閏、則三十二日九百四十分日之六百單一。五歲再閏、則五十四日九百四十分日之三百七十五。十有九歲七閏、則氣朔分齊。是爲一章也。故三年而不置閏、則春之一月入于夏、而時漸不定矣。子之一月入于丑、而歲漸不成矣。積之之久、至於三失閏、則春皆入夏、而時全不定矣。十二失閏、子皆入丑。歲全不成矣。其名實乖戾、寒暑反易、農桑庶務、皆失其時。故必以此餘日、置閏月於其閒、然後四時不差、而歲功得成。以此信治百官、而衆功皆廣也。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]汝羲曁[およ]び和、朞三百有六旬有六日、閏月を以て四時を定めて歲を成す。允に百工を釐[おさ]めて、庶績咸[みな]煕[ひろ]まる、と。咨は、嗟なり。嗟歎して之に告ぐるなり。曁[き]は、及ぶなり。朞は、猶周のごとし。允は、信。釐[り]は、治むる。工は、官。庶は、衆。績は、功。咸は、皆。煕は、廣まるなり。天の體は至って圓なり。周圍三百六十五度四分度の一、地を繞り左に旋りて、常に一日一周して一度を過ぐ。日は天に麗[かか]りて少し遲し。故に日行一日も亦地を繞りて一周して、天に在りて一度に及ばずとす。三百六十五日、九百四十分日の二百三十五を積んで、天と會す。是れ一歲日行の數なり。月は天に麗りて尤も遲し。一日常に天に及ばざること十三度十九分度の七。積むこと二十九日、九百四十分日の四百九十九にして、日と會す。十二會に、全日三百四十八を得て、餘分の積りは、又五千九百八十八。日法の九百四十の如くにして、一に六を得て三百四十八を盡くさず、通計日三百五十四、九百四十分日の三百四十八を得。是れ一歲月行の數なり。歲に十二月有り、月に三十日有り、三百六十は、一歲の常數なり。故に日と天と會して、五日九百四十分日の二百三十五多き者を、氣盈とす。月と日と會して五日九百四十分日の五百九十二少なき者を、朔虛とす。氣盈朔虛を合わせて閏生る。故に一歲の閏は、率ね則ち十日九百四十分日の八百二十七。三歲一閏なるときは、則ち三十二日九百四十分日の六百單一。五歲再閏なるときは、則ち五十四日九百四十分日の三百七十五。十有九歲七閏なるときは、則ち氣朔の分齊し。是を一章とす。故に三年にして閏を置かざるときは、則ち春の一月夏に入りて、時漸く定まらず。子の一月丑に入りて、歲漸く成らず。之を積むこと久しくして、三閏を失うに至るときは、則ち春皆夏に入りて、時全く定まらず。十二閏を失わば、子は皆丑に入る。歲全く成らず。其の名實乖戾し、寒暑反易し、農桑庶務、皆其の時を失う。故に必ず此の餘日を以て、閏月を其の閒に置き、然して後に四時差わずして、歲功成ることを得。此を以て信に百官を治めて、衆功皆廣まるなり。

△帝曰、疇咨若時登庸。放齊曰、胤子朱啓明。帝曰、吁嚚訟、可乎。放、甫兩反。胤、羊進反。嚚、魚巾反。○此下至鯀績用弗成、皆爲禪舜張本也。疇、誰。咨、訪問也。若、順。庸、用也。堯言、誰爲我訪問能順時爲治之人、而登用之乎。放齊、臣名。胤、嗣也。胤子朱、堯之嗣子丹朱也。啓、開也。言其性開明。可登用也。吁者、歎其不然之辭。嚚、謂口不道忠信之言。訟、爭辯也。朱蓋以其開明之才、用之於不善。故嚚訟。禹所謂傲虐是也。此見堯之至公至明、深知其子之惡、而不以一人病天下也。或曰、胤、國。子、爵。堯時諸侯也。夏書有胤侯。周書有胤之舞衣。今亦未見其必不然。姑存於此云。
【読み】
△帝曰く、疇[だれ]か時に若[したが]わんものを咨[と]いて登[あ]げ庸[もち]いん、と。放齊曰く、胤子の朱は啓明なり、と。帝曰く、吁[ああ]嚚訟[ぎんしょう]なり、可ならんや、と。放は、甫兩反。胤は、羊進反。嚚は、魚巾反。○此の下鯀の績用[もっ]て成らざるに至るまで、皆舜に禪るが爲の張本なり。疇は、誰。咨は、訪ね問うなり。若は、順う。庸は、用うるなり。堯言う、誰か我が爲に能く時に順いて治を爲すの人を訪ね問いて、之を登げ用いんや、と。放齊は、臣の名。胤は、嗣なり。胤子の朱は、堯の嗣子丹朱なり。啓は、開くなり。言うこころは、其の性開け明らかなり。登げ用ゆ可し、と。吁は、其の然らざるを歎ずるの辭。嚚は、口忠信の言を道わざるを謂う。訟は、爭辯なり。朱蓋し其の開明の才を以て、之を不善に用ゆ。故に嚚にして訟をす。禹の所謂傲虐とは是れなり。此れ堯の至公至明にして、深く其の子の惡を知りて、一人を以て天下を病ましめざることを見す。或ひと曰く、胤は、國。子は、爵。堯の時の諸侯なり。夏書に胤侯有り。周書に胤の舞衣なる有り、と。今亦未だ其の必ずしも然らざることを見ず。姑く此に存すと云う。

△帝曰、疇咨若予采。驩兜曰、都共工方鳩僝功。帝曰、吁靜言庸違。象恭滔天。驩、呼官反。兜、當侯反。共、音恭。僝、仕限反。○采、事也。都、歎美之辭也。驩兜、臣名。共工、官名。蓋古之世官族也。方、且。鳩、聚。僝、見也。言共工方且鳩聚、而見其功也。靜言庸違者、靜則能言、用則違背也。象恭、貌恭而心不然也。滔天二字未詳。與下文相似。疑有舛誤。上章言順時、此言順事。職任大小可見。
【読み】
△帝曰く、疇か予が采[こと]に若わんものを咨わん、と。驩兜[かんとう]曰く、都[ああ]共工方に鳩[あつ]めて功を僝[あらわ]す、と。帝曰く、吁[ああ]靜かなれば言い庸[もち]うれば違う。象[かたち]は恭しく天を滔[あなど]る、と。驩は、呼官反。兜は、當侯反。共は、音恭。僝[せん]は、仕限反。○采は、事なり。都は、歎美の辭なり。驩兜は、臣の名。共工は、官の名。蓋し古の世官の族ならん。方は、且。鳩は、聚むる。僝は、見すなり。言うこころは、共工方且に鳩め聚めて、其の功を見すなり。靜言庸違とは、靜かなれば則ち能く言い、用うれば則ち違い背くなり。象恭は、貌は恭しくして心然らざるなり。滔天の二字は未だ詳らかならず。下の文と相似れり。疑うらくは舛誤[せんご]有らん。上の章には時に順うことを言い、此には事に順うことを言う。職任の大小を見る可し。

△帝曰、咨四岳、湯湯洪水方割。蕩蕩懷山襄陵、浩浩滔天、下民其咨。有能俾乂。僉曰、於鯀哉。帝曰、吁咈哉。方命圮族。岳曰、异哉。試可、乃已。帝曰、往、欽哉。九載績用弗成。湯、音傷。於、音烏。鯀、古本反。咈、符勿反。圮、部鄙反。异、音異。○四岳、官名。一人而總四岳諸侯之事也。湯湯、水盛貌。洪、大也。孟子曰、水逆行、謂之洚水。洚水者、洪水也。蓋水涌出而未洩。故汎濫而逆流也。割、害也。蕩蕩、廣貌。懷、包其四面也。襄、駕出其上也。大阜曰陵。浩浩、大貌。滔、漫也。極言其大。勢若漫天也。俾、使。乂、治也。言有能任此責者、使之治水也。僉、衆共之辭。四岳與其所領諸侯之在朝者、同辭而對也。於、歎美辭。鯀、崇伯名。歎其美而薦之也。咈者、甚不然之之辭。方命者、逆命而不行也。王氏曰、圓則行、方則止。方命、猶今言廢閣詔令也。蓋鯀之爲人、悻戾自用、不從上令也。圮、敗。族、類也。言與衆不和、傷人害物。鯀之不可用者以此也。楚辭言鯀婞直、是其方命圮族之證也。岳曰、四岳之獨言也。异義未詳。疑是已廢、而復强舉之之意。試可乃已者、蓋廷臣未有能於鯀者。不若姑試用之、取其可以治水而已。言無預他事。不必求其備也。堯於是遣之往治水、而戒以欽哉。蓋任大事、不可以不敬。聖人之戒、辭約而意盡也。載、年也。九載、三考、功用不成。故黜之。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]四岳、湯湯[しょうしょう]たる洪水方[あまね]く割[そこな]う。蕩蕩として山を懷[か]ね陵に襄[のぼ]り、浩浩として天に滔[はびこ]り、下民其れ咨[なげ]く。能くするもの有らば乂[おさ]めしめん、と。僉[みな]曰く、於[ああ]鯀なるかな、と。帝曰く、吁[ああ]咈[いな]なるかな。命に方[たが]い族を圮[やぶ]る、と。岳曰く、异[や]めんかな。試みて乃ち已む可し、と。帝曰く、往け、欽めや、と。九載なるも績用[もっ]て成らず。湯は、音傷。於は、音烏。鯀は、古本反。咈は、符勿反。圮は、部鄙反。异は、音異。○四岳は、官の名。一人にして四岳諸侯の事を總ぶ。湯湯は、水の盛んなる貌。洪は、大いなり。孟子曰く、水逆行す、之を洚水と謂う。洚水は、洪水なり、と。蓋し水涌き出でて未だ洩れず。故に汎濫して逆流す。割は、害うなり。蕩蕩は、廣き貌。懷は、其の四面を包ぬるなり。襄は、其の上に駕[のぼ]り出づるなり。大阜を陵と曰う。浩浩は、大いなる貌。滔は、漫[はびこ]るなり。極めて其の大いなるを言う。勢い天に漫るが若し。俾は、使。乂は、治むるなり。言うこころは、能く此の責に任ずる者有らば、之をして水を治めしめんとなり。僉[せん]は、衆共の辭。四岳と其の領する所の諸侯の朝に在る者と、辭を同じくして對うるなり。於は、歎美の辭。鯀は、崇伯の名。其の美きを歎じて之を薦むるなり。咈は、甚だ之を然とせざるの辭。方命は、命に逆いて行わざるなり。王氏が曰く、圓なれば則ち行き、方なれば則ち止まる、と。命に方うとは、猶今詔令を廢閣すと言うがごとし。蓋し鯀の爲人[ひととなり]、悻戾にして自ら用いて、上の令に從わざるなり。圮[ひ]は、敗る。族は、類なり。言うこころは、衆と和せず、人を傷り物を害う。鯀の用ゆ可からざる者は此を以てなり。楚辭に言う鯀は婞直とは、是れ其の命に方い族を圮るの證なり。岳曰くは、四岳の獨り言うなり。异[い]の義未だ詳らかならず。疑うらくは是れ已に廢して、復强いて之を舉ぐるの意ならん。試みて乃ち已む可しとは、蓋し廷臣未だ鯀より能き者有らず。若かざれば姑く之を試み用いて、其の以て水を治む可きを取らんのみ。言うこころは、他事に預くる無し。必ずしも其の備わらんことを求めざるなり。堯是に於て之をして往いて水を治めしめて、戒むるに欽めやを以てす。蓋し大事に任じて、以て敬まずんばある可からず。聖人の戒め、辭約にして意盡くせり。載は、年なり。九載、三たび考えて、功用て成らず。故に之を黜[しりぞ]く。

△帝曰、咨四岳、朕在位七十載、汝能庸命。巽朕位。岳曰、否德。忝帝位。曰、明明揚側陋。師錫帝曰、有鰥在下。曰虞舜。帝曰、兪、予聞、如何。岳曰、瞽子。父頑、母嚚、象傲。克諧以孝、烝烝乂不格姦。帝曰、我其試哉。女于時、觀厥刑于二女。釐降二女于嬀汭、嬪于虞。帝曰、欽哉。嬀、倶爲反。汭、如稅反。嬪、音幷。○朕、古人自稱之通號。吳氏曰、巽遜、古通用。言汝四岳、能用我之命。而可遜以此位乎。蓋丹朱旣不肖、羣臣又多不稱。故欲舉以授人、而先之四岳也。否、不通。忝、辱也。明明、上明謂明顯之、下明謂已在顯位者。揚、舉也。側陋、微賤之人也。言惟德是舉、不拘貴賤也。師、衆。錫、與也。四岳羣臣諸侯、同辭以對也。鰥、無妻之名。虞、氏。舜、名也。兪、應許之辭。予聞者、我亦嘗聞是人也。如何者、復問其德之詳也。岳曰、四岳獨對也。瞽、無目之名。言舜乃瞽者之子也。舜父號瞽叟。心不則德義之經、爲頑。母、舜後母也。象、舜異母弟名。傲、驕慢也。諧、和。烝、進也。言舜不幸遭此、而能和以孝、使之進進以善自治、而不至大爲姦惡也。女、以女與人也。時、是。刑、法也。二女、堯二女、娥皇・女英也。此堯言其將試舜之意也。莊子所謂二女事之以觀其内、是也。蓋夫婦之閒、隱微之際、正始之道、所繫尤重。故觀人者、於此爲尤切也。釐、理。降、下也。嬀、水名。在今河中府河東縣、出歷山入河。爾雅曰、水北曰汭。亦小水入大水之名。蓋兩水合流之内也。故從水從内。蓋舜所居之地。嬪、婦也。虞、舜氏也。史言、堯治裝、下嫁二女于嬀水之北、使爲舜婦于虞氏之家也。欽哉、堯戒二女之辭。卽禮所謂往之女家、必敬必戒者。況以天子之女、嫁於匹夫。尤不可不深戒之也。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]四岳、朕[わ]れ位に在ること七十載、汝能く命を庸[もち]ゆ。朕が位を巽[ゆず]らん、と。岳曰く、否德なり。帝位を忝[はずかし]めん、と。曰く、明らかなるを明らかにし側陋を揚げよ、と。師[もろもろ]帝に錫[あた]えて曰く、鰥[こん]有り下に在り。虞舜と曰う、と。帝曰く、兪[しか]り、予も聞けり、如何、と。岳曰く、瞽の子なり。父頑に、母嚚[ぎん]、象傲れり。克く諧[やわ]らぐるに孝を以てし、烝烝として乂[おさ]めて姦に格らざらしむ、と。帝曰く、我れ其れ試みんかな。時[これ]に女[めあ]わせて、厥の二女に刑[のっと]るを觀ん、と。二女を嬀汭[ぎぜい]に釐[おさ]め降して、虞に嬪せしむ。帝曰く、欽めや、と。嬀は、倶爲反。汭は、如稅反。嬪は、音幷。○朕は、古人自稱するの通號。吳氏が曰く、巽と遜は、古通じ用ゆ、と。言うこころは、汝四岳、能く我が命を用ゆ。而して遜るに此の位を以てす可けんや、と。蓋し丹朱旣に不肖、羣臣も又多く稱わず。故に舉げて以て人に授けんと欲して、之を四岳に先にす。否は、通ぜざるなり。忝は、辱しむるなり。明明は、上の明は之を明顯するを謂い、下の明は已に顯位に在る者を謂う。揚は、舉ぐるなり。側陋は、微賤の人なり。言うこころは、惟德のみ是を舉げて、貴賤に拘らざるなり。師は、衆。錫は、與うなり。四岳羣臣諸侯、辭を同じくして以て對うるなり。鰥は、妻無きの名。虞は、氏。舜は、名なり。兪は、應許の辭。予も聞くとは、我も亦嘗て是の人を聞くなり。如何とは、復其の德の詳らかなるを問うなり。岳曰くは、四岳獨り對うるなり。瞽は、目無きの名。言うこころは、舜は乃ち瞽者の子なり。舜の父は瞽叟と號す。心德義の經に則らず、頑と爲る。母は、舜の後母なり。象は、舜の異母弟の名。傲は、驕慢なり。諧は、和らぐ。烝は、進むるなり。言うこころは、舜不幸にして此に遭いて、能く和らぐるに孝を以てし、之をして進め進めて善を以て自ら治めて、大いに姦惡を爲すに至らざらしむ。女は、女を以て人に與うるなり。時は、是れ。刑は、法るなり。二女は、堯の二女、娥皇・女英なり。此れ堯其の將に舜を試みんとするの意を言うなり。莊子に所謂二女之に事えて以て其の内を觀るとは、是れなり。蓋し夫婦の閒、隱微の際、正始の道、繫る所尤も重し。故に人を觀る者、此に於て尤も切なりとす。釐は、理むる。降は、下るなり。嬀は、水の名。今の河中府河東縣に在り、歷山より出でて河に入る。爾雅に曰く、水の北を汭と曰う。亦小水の大水に入るの名、と。蓋し兩水合流するの内なり。故に水に從い内に從う。蓋し舜居る所の地なり。嬪は、婦なり。虞は、舜の氏なり。史に言う、堯裝を治めて、二女を嬀水の北に下し嫁し、舜の爲に虞氏の家に婦たらしむ、と。欽めやは、堯の二女を戒むるの辭。卽ち禮に所謂往いて女の家に之いて、必ず敬み必ず戒むという者なり。況んや天子の女を以て、匹夫に嫁す。尤も深く之を戒めずんばある可からず。

○舜典 今文古文皆有。今文合于堯典、無篇首二十八字。○唐孔氏曰、東晉梅賾上孔傳、闕舜典自乃命以位以上二十八字。世所不傳。多用王范之註補之。而皆以愼徽五典以下爲舜典之初。至齊蕭鸞建武四年、姚方興於大航頭得孔氏傳古文舜典、乃上之。事未施行、而方興以罪致戮。至隋開皇初、購求遺典、始得之。今按古文孔傳尙書、有曰若稽古以下二十八字。伏生以舜典合於堯典、只以愼徽五典以下、接帝曰欽哉之下。而無此二十八字。梅賾旣失孔傳舜典。故亦不知有此二十八字。而愼徽五典以下、則固具於伏生之書。故傳者用王范之註以補之。至姚方興、乃得古文孔傳舜典。於是始知有此二十八字。或者由此乃謂、古文舜典一篇、皆盡亡失。至是方全得之。遂疑其僞、蓋過論也。
【読み】
○舜典[しゅんてん] 今文古文皆有り。今文は堯典に合わせて、篇の首めの二十八字無し。○唐の孔氏が曰く、東晉の梅賾[ばいさく]孔傳を上ぐるに、舜典の乃命以位より以上の二十八字を闕く。世に傳えざる所なり。多く王范の註を用いて之を補う。而も皆愼徽五典以下を以て舜典の初めとす。齊の蕭鸞[しょうらん]建武四年に至りて、姚方興[ようほうこう]大航頭に於て孔氏傳の古文舜典を得て、乃ち之を上ぐる。事未だ施し行われずして、方興罪を以て戮[りく]を致す。隋の開皇の初めに至りて、遺典を購い求めて、始めて之を得。今按ずるに古文孔傳の尙書に、曰若稽古以下の二十八字有り。伏生舜典を以て堯典に合わせ、只愼徽五典以下を以て、帝曰欽哉の下に接ぐ。而して此の二十八字無し。梅賾旣に孔傳の舜典を失う。故に亦此の二十八字有ることを知らず。而して愼徽五典以下は、則ち固に伏生の書に具わる。故に傳者王范の註を用いて以て之を補う。姚方興に至りて、乃ち古文の孔傳の舜典を得。是に於て始めて此の二十八字有ることを知る。或者此に由りて乃ち謂う、古文の舜典一篇は、皆盡く亡失す、と。是に至りて方に全く之を得たり。遂に其の僞を疑うは、蓋し過論なり。

曰若稽古帝舜曰、重華協于帝、濬哲文明、溫恭允塞、玄德升聞。乃命以位。濬、音浚。○華、光華也。協、合也。帝謂堯也。濬、深。哲、智也。溫、和粹也。塞、實也。玄、幽潛也。升、上也。言堯旣有光華、而舜又有光華、可合於堯。因言其目、則深沉而有智、文理而光明、和粹而恭敬、誠信而篤實。有此四者、幽潛之德上聞于堯、堯乃命之以職位也。
【読み】
曰若[ここ]に古の帝舜を稽[かんが]うるに曰く、重華帝に協[かな]い、濬哲[しゅんてつ]文明、溫恭允塞、玄德升り聞こゆ。乃ち命ずるに位を以てす。濬は、音浚。○華は、光華なり。協は、合うなり。帝は堯を謂うなり。濬は、深き。哲は、智なり。溫は、和粹なり。塞は、實なり。玄は、幽潛なり。升は、上るなり。言うこころは、堯旣に光華有りて、舜も又光華有り、堯に合う可し。因りて其の目[な]を言うときは、則ち深沉にして智有り、文理にして光明なり、和粹にして恭敬し、誠信にして篤實なり。此の四つの者有りて、幽潛の德堯に上り聞え、堯乃ち之に命ずるに職位を以てす。

△愼徽五典、五典克從。納于百揆、百揆時敍。賓于四門、四門穆穆。納于大麓、烈風雷雨弗迷。徽、美也。五典、五常也。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、是也。從、順也。左氏所謂無違敎也。此蓋使爲司徒之官也。揆、度也。百揆者、揆度庶政之官。惟唐虞有之。猶周之冢宰也。時敍、以時而敍。左氏所謂無廢事也。四門、四方之門。古者以賓禮親邦國。諸侯各以方至、而使主焉。故曰賓。穆穆、和之至也。左氏所謂無凶人也。此蓋又兼四岳之官也。麓、山足也。烈、迅。迷、錯也。史記曰、堯使舜入山林川澤。暴風雷雨舜行不迷。蘇氏曰、洪水爲害。堯使舜入山林、相視原隰。雷雨大至、衆懼失常。而舜不迷。其度量有絕人者。而天地鬼神、亦或有以相之歟。愚謂、遇烈風雷雨非常之變、而不震懼失常。非固聰明誠智確乎不亂者不能也。易震驚百里、不喪匕鬯意、爲近之。
【読み】
△愼んで五典を徽[よ]くせば、五典克く從えり。百揆に納るれば、百揆時に敍[つい]ず。四門に賓せしむれば、四門穆穆たり。大麓に納るれば、烈風雷雨にも迷わず。徽[き]は、美きなり。五典は、五常なり。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有りとは、是れなり。從は、順うなり。左氏が所謂敎に違うこと無し、と。此れ蓋し司徒の官爲らしむるなり。揆は、度るなり。百揆とは、庶政を揆り度るの官。惟唐虞のみ之れ有り。猶周の冢宰のごとし。時に敍ずとは、時を以て敍ずるなり。左氏が所謂事を廢つること無し、と。四門は、四方の門なり。古は賓禮を以て邦國を親しくす。諸侯各々方を以て至りて、而して主たらしむ。故に賓と曰う。穆穆は、和の至りなり。左氏が所謂凶人無し、と。此れ蓋し又四岳の官を兼ぬるなり。麓は、山の足[ふもと]なり。烈は、迅き。迷は、錯[みだ]るるなり。史記に曰く、堯舜をして山林川澤に入らしむ。暴風雷雨にも舜行いて迷わず、と。蘇氏が曰く、洪水害を爲す。堯舜をして山林に入れ、原隰[しゅう]を相視せしむ。雷雨大いに至り、衆懼れて常を失う。而して舜は迷わず。其の度量人に絕[すぐ]れたる者有り。而して天地鬼神も、亦或は以て之を相くること有るか、と。愚謂えらく、烈風雷雨非常の變に遇いて、震懼して常を失わず。固に聰明誠智確乎として亂れざる者に非ずんば能くせず。易に震は百里を驚かせども、匕鬯[ひちょう]を喪わずという意、之に近しとす。

△帝曰、格汝舜。詢事考言、乃言厎可績三載。汝陟帝位。舜讓于德弗嗣。格、來。詢、謀。乃、汝。厎、致。陟、升也。堯言、詢舜所行之事、而考其言、則見汝言、致可有功、於今三年矣。汝宜升帝位也。讓于德、讓于有德之人也。或曰、謙遜自以其德不足爲嗣也。
【読み】
△帝曰く、格[きた]れ汝舜。事を詢[はか]り言を考うるに、乃の言績とす可きことを厎[いた]すこと三載。汝帝位に陟[のぼ]れ、と。舜德あるに讓りて嗣がず。格は、來る。詢は、謀る。乃は、汝。厎は、致す。陟は、升るなり。堯言う、舜行う所の事を詢りて、其の言を考え、則ち汝の言を見るに、功有る可きことを致すこと、今に於て三年なり。汝宜しく帝位に升るべし、と。德あるに讓るとは、有德の人に讓るなり。或ひと曰く、謙遜して自ら其の德を以て嗣と爲るに足らずとす、と。

△正月上日、受終于文祖。上日、朔日也。葉氏曰、上旬之日。曾氏曰、如上戌・上辛・上丁之類。未詳孰是。受終者、堯於是終帝位之事、而舜受之也。文祖者、堯始祖之廟。未詳所指爲何人也。
【読み】
△正月上日、終わりを文祖に受く。上日は、朔日なり。葉氏が曰く、上旬の日、と。曾氏が曰く、上戌[いぬ]・上辛[かのと]・上丁[ひのと]の類の如し、と。未だ孰れか是なるか詳らかならず。終わりを受くとは、堯是に於て帝位の事を終えて、舜之を受くるなり。文祖は、堯の始祖の廟。未だ指す所は何人爲るか詳らかならず。

△在璿璣玉衡、以齊七政。璿、音旋。○在、察也。美珠謂之璿。璣、機也。以璿飾璣。所以象天體之轉運也。衡、橫也。謂衡簫也。以玉爲管、橫而設之。所以窺璣而齊七政之運行。猶今之渾天儀也。七政、日月五星也。七者運行於天、有遲有速、有順有逆。猶人君之有政事也。此言舜初攝位、整理庶務、首察璿衡、以齊七政。蓋曆象授時、所當先也。○按渾天儀者、天文志云、言天體者三家、一曰周髀、二曰宣夜、三曰渾天。宣夜絕無師說。不知其狀如何。周髀之術、以爲天似覆盆。蓋以斗極爲中。中高而四邉下。日月傍行遶之。日近而見之爲晝、日遠而不見爲夜。蔡邕以爲考驗天象、多所違失。渾天說曰、天之形狀似鳥卵。地居其中、天包地外。猶卵之裹黃。圓如彈丸。故曰渾天。言其形體渾渾然也。其術以爲天半覆地上、半在地下。其天居地上見者、一百八十二度半强。地下亦然。北極出地上三十六度。南極入地下亦三十六度。而嵩高正當天之中、極南五十五度、當嵩高之上。又其南十二度、爲夏至之日道。又其南二十四度、爲春秋分之日道。又其南二十四度、爲冬至之日道。南下去地三十一度而已。是夏至日、北去極六十七度。春秋分去極九十一度。冬至去極一百一十五度。此其大率也。其南北極持其兩端。其天與日月星宿斜而廻轉。此必古有其法、遭秦而滅。至漢武帝時、落下閎始經營之。鮮于妄人、又量度之。至宣帝時、耿壽昌始鑄銅而爲之象。宋錢樂又鑄銅作渾天儀。衡長八尺、孔徑一寸、璣徑八尺、圓周二丈五尺强。轉而望之、以知日月星辰之所在。卽璿璣玉衡之遺法也。歷代以來、其法漸密。本朝因之爲儀三重。其在外者曰六合儀。平置黑單環、上刻十二辰八干四偶在地之位、以準地面而定四方。側立黑雙環、背刻去極度數、以中分天脊、直跨地平。使其半入地下、而結於其子午、以爲天經。斜倚赤單環、背刻赤道度數、以平分天腹、橫繞天經。亦使半出地上半入地下、而結於其卯酉、以爲天緯。三環表裏相結不動。其天經之環、則南北二極、皆爲圓軸、虛中而内向、以挈三辰四遊之環。以其上下四方、於是可考。故曰六合。次其内曰三辰儀。側立黑雙環、亦刻去極度數、外貫天經之軸、内挈黃赤二道。其赤道則爲赤單環、外依天緯、亦刻宿度、而結於黑雙環之卯酉。其黃道則爲黃單環、亦刻宿度、而又斜倚於赤道之腹、以交結於卯酉。而半入其内、以爲春分後之日軌、半出其外、以爲秋分後日軌。又爲白單環、以承其交、使不傾墊、下設機輪、以水激之、使其日夜隨天東西運轉、以象天行。以其日月星辰、於是可考。故曰三辰。其最在内者、曰四遊儀。亦爲黑雙環、如三辰儀之制。以貫天經之軸。其環之内、則兩面當中、各施直距。外指兩軸、而當其要中之内面。又爲小窾、以受玉衡要中之小軸、使衡旣得隨環東西運轉、又可隨處南北低昴、以待占候者之仰窺焉。以其東西南北、無不周徧、故曰四遊。此其法之大略也。沈括曰、舊法規環、一面刻周天度、一面加銀丁。蓋以夜候天晦、不可目察、則以手切之也。古人以璿飾璣、疑亦爲此。今太史局秘書省銅儀制極精緻。亦以銅丁爲之。曆家之說、又以北斗魁四星爲璣、杓三星爲衡。今詳經文簡質、不應北斗二字乃用寓名。恐未必然。姑存其說、以廣異聞。
【読み】
△璿璣[せんき]玉衡を在[あき]らかにして、以て七政を齊[ととの]う。璿は、音旋。○在は、察らかにするなり。美珠之を璿と謂う。璣は、機なり。璿を以て璣を飾る。天體の轉運を象る所以なり。衡は、橫なり。衡簫[こうしょう]を謂うなり。玉を以て管と爲して、橫にして之を設く。璣を窺いて七政の運行を齊うる所以なり。猶今の渾天儀のごとし。七政は、日月五星なり。七つの者天を運行し、遲き有り速き有り、順有り逆有り。猶人君の政事有るがごとし。此れ言うこころは、舜初めて位を攝りて、庶務を整理するに、首めに璿衡を察らかにして、以て七政を齊う。蓋し曆象の時を授くるは、當に先にすべき所なり。○按ずるに渾天儀とは、天文志に云う、天體を言う者三家、一に曰く周髀[へい]、二に曰く宣夜、三に曰く渾天なり。宣夜は絕えて師說無し。其の狀如何なるかを知らず。周髀の術は、以爲えらく、天は覆盆に似れり。蓋し斗極を以て中とす。中高くして四邉下る。日月傍行して之を遶[めぐ]る。日近くして之を見るを晝とし、日遠くして見えざるを夜とす。蔡邕[さいよう]が以爲えらく、天象を考驗するに、違失する所多し、と。渾天の說に曰く、天の形狀は鳥卵に似れり。地は其の中に居りて、天は地の外を包む。猶卵の裹[か]黃なるがごとし。圓きこと彈丸の如し。故に渾天と曰う、と。言うこころは、其の形體は渾渾然たり。其の術以爲えらく、天の半は地上を覆い、半は地下に在り。其れ天地上に居りて見る者、一百八十二度半强。地下も亦然り。北極の地上に出でること三十六度。南極の地下に入るも亦三十六度。而して嵩高正に天の中に當たれりとすべく、極南五十五度、嵩高の上に當たる。又其の南十二度を、夏至の日道とす。又其の南二十四度を、春秋分の日道とす。又其の南二十四度を、冬至の日道とす。南下して地を去ること三十一度なるのみ。是れ夏至の日、北極を去ること六十七度。春秋分極を去ること九十一度。冬至極を去ること一百一十五度。此れ其の大率なり。其れ南北の極其の兩端を持つ。其れ天と日月星宿と斜めにして廻轉す。此れ必ず古に其の法有り、秦に遭いて滅ぶ。漢の武帝の時に至りて、落下閎始めて之を經營す。鮮于妄人も、又之を量度す。宣帝の時に至りて、耿壽昌[こうじゅしょう]始めて銅を鑄て之が象を爲る。宋の錢樂も又銅を鑄て渾天儀を作る。衡の長さ八尺、孔の徑一寸、璣の徑は八尺、圓なる周り二丈五尺强。轉して之を望んで、以て日月星辰の在る所を知る。卽ち璿璣玉衡の遺法なり。歷代より以來、其の法漸く密なり。本朝之に因りて儀を爲ること三重なり。其の外に在る者を六合儀と曰う。平らに黑單環を置いて、上に十二辰八干四偶の地に在るの位を刻み、以て地面に準[なぞら]えて四方を定む。側に黑雙環を立てて、背に極を去る度數を刻み、中を以て天脊を分かち、直に地平を跨がる。其の半をして地下に入らしめて、其の子午に結んで、以て天經とす。斜めに赤單環を倚せて、背に赤道の度數を刻み、平かなるを以て天腹を分かち、橫に天經を繞[めぐ]る。亦半を地上に出し半を地下に入らしめて、其の卯酉に結んで、以て天緯とす。三環表裏相結んで動かず。其の天經の環は、則ち南北二極、皆圓軸を爲し、中を虛しくして内に向いて、以て三辰四遊の環を挈[ひさ]ぐ。其の上下四方を以て、是に於て考う可し。故に六合と曰う。次に其の内を三辰儀と曰う。側に黑雙環を立てて、亦極を去る度數を刻み、外は天經の軸を貫き、内は黃赤二道を挈ぐ。其の赤道は則ち赤單環を爲りて、外は天緯に依りて、亦宿度を刻んで、黑雙環の卯酉に結ぶ。其の黃道は則ち黃單環を爲りて、亦宿度を刻んで、又斜めに赤道の腹に倚せて、以て卯酉に交結す。而して半は其の内に入りて、以て春分後の日軌と爲り、半は其の外に出でて、以て秋分後の日軌と爲る。又白單環を爲りて、以て其の交わりを承けて、傾き墊[ひし]げざらしめ、下に機輪を設けて、水を以て之に激[そそ]ぎ、其の日夜天に隨いて東西運轉して、以て天行に象らしむ。其の日月星辰を以て、是に於て考う可し。故に三辰と曰う。其の最も内に在る者を、四遊儀と曰う。亦黑雙環を爲ること、三辰儀の制の如し。以て天經の軸を貫く。其の環の内は、則ち兩面の當中に、各々直距を施す。外は兩軸を指して、其の要[こし]の中の内面に當たる。又小さき窾[あな]を爲りて、以て玉衡の要の中の小軸を受けて、衡をして旣に環に隨いて東西運轉するを得せしめ、又處に隨いて南北低昴して、以て占候する者の仰ぎ窺うを待つ可し。其の東西南北、周徧せざる無きを以て、故に四遊と曰う。此れ其の法の大略なり。沈括が曰く、舊法の規環は、一面に周天の度を刻み、一面に銀丁を加う。蓋し天晦を夜候するを以て、目にて察らかにす可からざれば、則ち手を以て之を切にするなり。古人の璿を以て璣を飾る、疑うらくは亦此が爲ならん。今太史局秘書省の銅儀制は極めて精緻なり。亦銅丁を以て之を爲る。曆家の說、又北斗の魁四星を以て璣とし、杓の三星を衡とす。今經文を詳らかにするに簡質にして、應に北斗の二字は乃ち寓名を用ゆべからず、と。恐らくは未だ必ずしも然らず。姑く其の說を存して、以て異聞を廣めん。

△肆類于上帝、禋于六宗、望于山川、徧于羣神。禋、音因。○肆、遂也。類・禋・望、皆祭名。周禮肆師類造于上帝。註云、郊祀者、祭昊天之常祭。非常祀而祭告于天。其禮依郊祀爲之。故曰類。如秦誓武王伐商、王制言、天子將出、皆云類于上帝、是也。禋、精意以享之謂。宗、尊也。所尊祭者、其祀有六。祭法曰、埋少牢於泰昭、祭時也。相近於坎壇、祭寒暑也。王宮、祭日也。夜明、祭月也。幽宗、祭星也。雩宗、祭水旱也。山川、名山大川、五獄四瀆之屬。望而祭之。故曰望。徧、周徧也。羣神、謂丘陵墳衍、古昔聖賢之類。言受終觀象之後、卽祭祀上下神祇、以攝位告也。
【読み】
△肆[つい]に上帝に類[まつ]り、六宗に禋[まつ]り、山川に望[まつ]り、羣神に徧くす。禋[いん]は、音因。○肆は、遂になり。類・禋・望は、皆祭の名。周禮に肆[もろもろ]の師上帝に類造す、と。註に云う、郊祀は、昊天を祭るの常祭。常の祀に非ずして祭りて天に告ぐ。其の禮は郊祀に依りて之をす。故に類と曰う、と。秦誓に武王商を伐たんとし、王制に言う、天子將に出でんとするに、皆上帝に類すと云うが如き、是れなり。禋は、精意にして以て享るの謂なり。宗は、尊なり。尊祭する所の者、其の祀六つ有り。祭法に曰く、少牢を泰昭に埋むるは、時を祭るなり。坎壇に相近くするは、寒暑を祭るなり。王宮は、日を祭るなり。夜明は、月を祭るなり。幽宗は、星を祭るなり。雩[う]宗は、水旱を祭るなり。山川は、名山大川、五獄四瀆の屬。望んで之を祭る。故に望と曰う。徧は、周徧なり。羣神は、丘陵墳衍を謂い、古昔の聖賢の類なり。言うこころは、終わりを受けて象を觀るの後、卽ち上下の神祇を祭祀して、以て位を攝ることを告ぐるなり。

△輯五瑞旣月。乃日覲四岳羣牧、班瑞于羣后。輯、歛。瑞、信也。公執桓圭、侯執信圭、伯執躬圭、子執穀璧、男執蒲璧。五等諸侯執之、以合符於天子、而驗其信否也。周禮天子執冒以朝諸侯。鄭氏註云、名玉以冒、以德覆冒天下也。諸侯始受命、天子錫以圭。圭頭斜銳、其冒下斜刻。小大長短廣狹如之。諸侯來朝、天子以刻處冒其圭頭。有不同者、則辨其僞也。旣、盡。覲、見。四岳、四方之諸侯。羣牧、九州之牧伯也。程子曰、輯五瑞、徵五等之諸侯也。此以上皆正月事。至盡此月、則四方之諸侯有至者矣、遠近不同、來有先後。故日日見之、不如他朝會之同期於一日。蓋欲以少接之、則得盡其詢察禮意也。班、頒同。羣后、卽侯牧也。旣見之後、審知非僞、則又頒還其瑞。以與天下正始也。
【読み】
△五瑞を輯[おさ]めて月を旣[つ]くす。乃ち日々に四岳羣牧を覲[まみ]え、瑞を羣后に班[わか]つ。輯は、斂む。瑞は、信なり。公は桓圭を執り、侯は信圭を執り、伯は躬圭を執り、子は穀璧を執り、男は蒲璧を執る。五等の諸侯之を執りて、以て符を天子に合わせて、其の信否を驗すなり。周禮に天子冒を執りて以て諸侯を朝す、と。鄭氏が註に云う、玉を名づくるに冒を以てするは、德を以て天下を覆い冒うなり。諸侯始めて命を受くるときは、天子錫うに圭を以てす。圭の頭を斜めに銳くして、其の冒下を斜めに刻む。小大長短廣狹之の如し。諸侯來朝するに、天子刻む處を以て其の圭の頭を冒う。同じからざる者有らば、則ち其の僞りなることを辨[あき]らかにす。旣は、盡くす。覲は、見ゆ。四岳は、四方の諸侯。羣牧は、九州の牧伯なり。程子が曰く、五瑞を輯むとは、五等の諸侯を徵[め]すなり、と。此より以上は皆正月の事。此の月を盡くすに至るときは、則ち四方の諸侯至る者有り、遠近同じからず、來ること先後有り。故に日日に之に見えて、他の朝會の同じく一日に期するが如くならず。蓋し少を以て之に接せんことを欲するときは、則ち其の詢察の禮意を盡くすことを得。班は、頒と同じ。羣后は、卽ち侯牧なり。旣に見えての後、審らかに僞りに非ざることを知らば、則ち又其の瑞を頒ち還す。以て天下を與えて始めを正すなり。

△歲二月、東巡守、至于岱宗、柴、望秩于山川。肆覲東后、協時月、正日、同律度量衡、修五禮・五玉・三帛・二生・一死贄。如五器、卒乃復。五月、南巡守、至于南岳。如岱禮。八月、西巡守、至于西岳。如初。十有一月、朔巡守、至于北岳。如西禮。歸格于藝祖、用特。孟子曰、天子適諸侯曰巡守。巡守者、巡所守也。歲二月、當巡守之年二月也。岱宗、泰山也。柴、燔柴以祀天也。望、望秩以祀山川也。秩者、其牲幣祝號之次第。如五岳視三公、四瀆視諸侯、其餘視伯子男者也。東后、東方之諸侯也。時、謂四時。月、謂月之大小。日、謂日之甲乙。其法略見上篇。諸侯之國、其有不齊者、則協而正之也。律、謂十二律。黃鐘・太簇・姑洗・蕤賓・夷則・無射・大呂・夾鐘・仲呂・林鐘・南呂・應鐘也。六爲律、六爲呂。凡十二管、皆徑三分有奇、空圍九分、而黃鐘之長九寸。大呂以下、律呂相閒、以次而短。至應鐘而極焉。以之制樂而節聲音、則長者声下、短者声高。下者則重濁而舒遲、上者則輕淸而剽疾。以之審度而度長短、則九十分黃鐘之長、一爲一分、而十分爲寸、十寸爲尺、十尺爲丈、十丈爲引。以之審量而量多少、則黃鐘之管、其容子穀秬黍中者、一千二百以爲龠。而十龠爲合、十合爲升、十升爲斗、十斗爲斛。以之平衡而權輕重、則黃鐘之龠、所容千二百黍、其重十二銖、兩龠則二十四銖爲兩、十六兩爲斤、三十斤爲鈞、四鈞爲石。此黃鐘所以爲萬事根本。諸侯之國、其有不一者、則審而同之也。時月之差、由積日而成。其法則先粗而後精。度量衡受法於律。其法則先本而後末。故言正日、在協時月之後、同律、在度量衡之先。立言之敍、蓋如此也。五禮、吉・凶・軍・賓・嘉也。修之、所以同天下之風俗。五玉、五等諸侯所執者、卽五瑞也。三帛、諸侯世子執纁、公之孤執玄、附庸之君執黃。二生、卿執羔、大夫執鴈。一死、士執雉。五玉・三帛・二生・一死、所以爲贄而見者。此九字、當在肆覲東后之下、協時月正日之上、誤脫在此。言東后之覲、皆執此贄也。如五器、劉侍講曰、如、同也。五器、卽五禮之器也。周禮、六器六贄卽舜之遺法也。卒乃復者、舉祀禮、覲諸侯、一正朔、同制度、修五禮、如五器、數事皆畢、則不復東行而遂西向、且轉而南行也。故曰卒乃復。南岳、衡山。西岳、華山。北岳、恆山。二月東、五月南、八月西、十一月北、各以其時也。格、至也。言至于其廟而祭告也。藝祖、疑卽文祖。或曰、文祖、藝祖之所自出。未有所考也。特、特牲也。謂一牛也。古者君將出、必告于祖禰。歸又至其廟而告之。孝子不忍死其親、出告反面之義也。王制曰、歸格于祖禰。鄭註曰、祖下及禰皆一牛。程子以爲但言藝祖、舉尊爾。實皆告也。但止就祖廟、共用一牛。不如時祭各設主於其廟也。二說未知孰是。今兩存之。
【読み】
△歲の二月、東に巡守し、岱宗に至りて、柴し、山川を望秩す。肆に東后を覲え、時月を協え、日を正しくし、律度量衡を同じくし、五禮・五玉・三帛・二生・一死の贄を修む。五器を如[ひと]しくし、卒[お]われば乃ち復る。五月、南に巡守し、南岳に至る。岱の禮の如し。八月、西に巡守し、西岳に至る。初めの如し。十有一月、朔[きた]に巡守し、北岳に至る。西の禮の如し。歸りて藝祖に格りて、特を用ゆ。孟子曰く、天子諸侯に適くを巡守と曰う。巡守とは、守る所を巡るなり、と。歲の二月は、巡守に當たる年の二月なり。岱宗は、泰山なり。柴は、柴を燔[や]いて以て天を祀るなり。望は、望秩して以て山川を祀るなり。秩は、其の牲幣祝號の次第。五岳は三公に視え、四瀆は諸侯に視え、其の餘は伯子男に視ゆる者の如し。東后は、東方の諸侯なり。時は、四時を謂う。月は、月の大小を謂う。日は、日の甲乙を謂う。其法略上の篇に見えたり。諸侯の國、其の齊しからざること有る者は、則ち協えて之を正すなり。律は、十二律を謂う。黃鐘・太簇[たいそう]・姑洗・蕤賓[すいひん]・夷則・無射[ぶえき]・大呂・夾鐘・仲呂・林鐘・南呂・應鐘なり。六つを律とし、六つを呂とす。凡て十二管、皆徑は三分有奇、空圍は九分、而して黃鐘の長さ九寸。大呂以下は、律呂相閒[たが]いに、次を以て短し。應鐘に至りて極まる。之を以て樂を制して聲音を節するときは、則ち長き者は声下り、短き者は声高し。下る者は則ち重く濁りて舒やかに遲く、上る者は則ち輕く淸くして剽疾なり。之を以て度を審らかにして長短を度るときは、則ち黃鐘の長さを九十分にし、一を一分とし、而して十分を寸とし、十寸を尺とし、十尺を丈とし、十丈を引とす。之を以て量を審らかにして多少を量るときは、則ち黃鐘の管、其れ子穀秬黍の中なる者、一千二百を容れて以て龠[やく]とす。而して十龠を合とし、十合を升とし、十升を斗とし、十斗を斛[こく]とす。之を以て衡を平らにして輕重を權るときは、則ち黃鐘の龠、容るる所千二百黍、其の重さ十二銖[しゅ]、兩龠は則ち二十四銖を兩とし、十六兩を斤とし、三十斤を鈞とし、四鈞を石とす。此れ黃鐘の萬事の根本爲る所以なり。諸侯の國、其れ一ならざること有る者は、則ち審らかにして之を同じくす。時月の差は、日を積むに由りて成る。其の法は則ち粗を先にして精を後にす。度量衡は法を律に受く。其の法は則ち本を先にして末を後にす。故に日を正しくすと言うは、時月を協えるの後に在り、律を同じくするは、度量衡の先に在り。言を立つるの敍、蓋し此の如し。五禮は、吉・凶・軍・賓・嘉なり。之を修むるは、天下の風俗を同じくする所以なり。五玉は、五等の諸侯執る所の者、卽ち五瑞なり。三帛は、諸侯の世子は纁[くん]を執り、公の孤は玄を執り、附庸の君は黃を執る。二生は、卿は羔を執り、大夫は鴈を執る。一死は、士は雉を執る。五玉・三帛・二生・一死は、贄と爲して見ゆる所以の者なり。此の九字は、當に肆覲東后の下、協時月正日の上に在るべく、誤脫して此に在り。言うこころは、東后の覲、皆此の贄を執るなり。如五器は、劉侍講が曰く、如は、同じなり。五器は、卽ち五禮の器なり、と。周禮に、六器六贄は卽ち舜の遺法なり、と。卒わりて乃ち復るとは、祀禮を舉げて、諸侯を覲え、正朔を一にし、制度を同じくし、五禮を修めて、五器を如しくし、數事皆畢わるときは、則ち復東に行かずして遂に西に向かい、且つ轉じて南に行く。故に卒われば乃ち復ると曰う。南岳は、衡山。西岳は、華山。北岳は、恆山。二月は東し、五月は南し、八月は西し、十一月は北し、各々其の時を以てす。格は、至るなり。言うこころは、其の廟に至りて祭りて告ぐるなり。藝祖は、疑うらくは卽ち文祖ならん。或ひと曰く、文祖は、藝祖の自りて出づる所、と。未だ考うる所有らず。特は、特牲なり。一牛を謂うなり。古は君將に出でんするときは、必ず祖禰[そでい]に告す。歸りて又其の廟に至りて之に告す。孝子其の親を死せりとするに忍びず、出づるときは告げ、反るときは面するの義なり。王制に曰く、歸りて祖禰に格る、と。鄭が註に曰く、祖の下及び禰は皆一牛なり、と。程子以爲えらく、但藝祖と言えば、尊を舉ぐるのみ。實は皆告ぐるなり。但止[ただ]祖廟に就いて、共に一牛を用ゆのみ。時の祭に各々主を其の廟に設くるが如くならず、と。二說未だ孰れか是なるか知らず。今兩つながら之を存す。

△五載一巡守、羣后四朝。敷奏以言、明試以功、車服以庸。五載之内、天子巡守者一、諸侯來朝者四。蓋巡守之明年、則東方諸侯來朝于天子之國、又明年則南方之諸侯來朝、又明年則西方之諸侯來朝、又明年則北方之諸侯來朝、又明年則天子復巡守。是則天子諸侯雖有尊卑、而一往一來禮無不答。是以上下交通、而遠近洽和也。敷、陳。奏、進也。周禮曰、民功曰庸。程子曰、敷奏以言者、使各陳其爲治之說。言之善者、則從而明考其功。有功、則賜車服以旌異之。其言不善、則亦有以告飭之也。林氏曰、天子巡守、則有協時月日以下等事。諸侯來朝、則有敷奏以言以下等事。
【読み】
△五載一たび巡守し、羣后四朝す。敷[の]べ奏[すす]むるに言を以てし、明らかに試みるに功を以てし、車服は庸を以てす。五載の内、天子巡守する者一つ、諸侯來朝する者四つ。蓋し巡守の明年は、則ち東方の諸侯天子の國に來朝し、又明年に則ち南方の諸侯來朝し、又明年に則ち西方の諸侯來朝し、又明年に則ち北方の諸侯來朝し、又明年に則ち天子復巡守す。是れ則ち天子諸侯尊卑有りと雖も、而して一往一來の禮答えざる無し。是を以て上下交々通じて、遠近洽和す。敷は、陳ぶる。奏は、進むなり。周禮に曰く、民の功を庸と曰う、と。程子が曰く、敷べ奏むるに言を以てすとは、各々其の治を爲すの說を陳べさしむ。言の善き者は、則ち從りて明らかに其の功を考う。功有れば、則ち車服を賜いて以て之を旌異す。其の言善からざれば、則ち亦以て之を告げ飭[いまし]むること有り、と。林氏が曰く、天子巡守するときは、則ち時月日を協うる以下の等の事有り。諸侯來朝するときは、則ち敷べ奏むるに言を以てす以下の等の事有り、と。

△肇十有二州、封十有二山、濬川。肇、始也。十二州、冀・兗・靑・徐・荆・揚・豫・梁・雍・幽・幷・營也。中古之地、但爲九州、曰冀・兗・靑・徐・荆・揚・豫・梁・雍。禹治水作貢、亦因其舊。及舜卽位、以冀靑地廣、始分冀東恆山之地爲幷州、其東北醫無閭之地爲幽州、又分靑之東北遼東等處爲營州、而冀州止有河内之地。今河東一路是也。封、表也。封十二山者、每州封表一山、以爲一州之鎭。如職方氏言揚州其山鎭曰會稽之類。濬川、濬導十二州之川也。然舜旣分十有二州、而至商時、又但言九圍九有。周禮職方氏、亦止列爲九州。有揚・荆・豫・靑・兗・雍・幽・冀・幷、而無徐・梁・營也。則是爲十二州、蓋不甚久。不知其自何時復合爲九也。吳氏曰、此一節在禹治水之後、其次序不當在四罪之先。蓋史官泛記舜所行之大事、初不計先後之序也。
【読み】
△十有二州を肇め、十有二山を封じ、川を濬[ふか]くす。肇は、始めなり。十二州は、冀・兗・靑・徐・荆・揚・豫・梁・雍・幽・幷・營なり。中古の地は、但九州とし、冀・兗・靑・徐・荆・揚・豫・梁・雍と曰う。禹水を治めて貢を作るも、亦其の舊に因る。舜の位に卽くに及んで、冀靑の地廣きを以て、始めて冀東の恆山の地を分かちて幷州とし、其の東北醫無閭の地を幽州とし、又靑の東北遼東等の處を分かちて營州として、冀州は止河内の地有り。今の河東の一路是れなり。封は、表なり。十二山を封ずとは、州每に一山を封表して、以て一州の鎭とす。職方氏に揚州其の山鎭を會稽と曰うと言うの類の如し。川を濬くすとは、十二州の川を濬[さら]え導くなり。然れども舜旣に十有二州を分かちて、商の時に至りて、又但九圍九有と言う。周禮の職方氏にも、亦止列[わ]けて九州とす。揚・荆・豫・靑・兗・雍・幽・冀・幷有りて、徐・梁・營無し。則ち是れ十二州とすること、蓋し甚だ久しからず。知らず、其の何れの時より復合わせて九とするかを。吳氏が曰く、此の一節は禹水を治むるの後に在り、其の次序は當に四罪の先に在るべからず。蓋し史官泛[ひろ]く舜の行う所の大事を記し、初めより先後の序を計らざるなり。

△象以典刑。流宥五刑、鞭作官刑、扑作敎刑、金作贖刑。眚災肆赦、怙終賊刑。欽哉欽哉。惟刑之恤哉。宥、音又。眚、音省。○象、如天之埀象以示人。而典者、常也。示人以常刑。所謂墨・劓・剕・宮・大辟、五刑之正也。所以待夫元惡大憝殺人傷人、穿窬淫放、凡罪之不可宥者也。流宥五刑者、流、遣之使遠去。如下文流放竄殛之類也。宥、寬也。所以待夫罪之稍輕。雖入於五刑、而情可矜、法可疑、與夫親貴勲勞而不可加以刑者、則以此而寬之也。鞭作官刑者、木末埀革、官府之刑也。扑作敎刑者、夏楚二物、學校之刑也。皆以待夫罪之輕者。金作贖刑者、金、黃金。贖、贖其罪也。蓋罪之極輕、雖入於鞭扑之刑、而情法猶有可議者也。此五句者、從重入輕、各有條理、法之正也。肆、縱也。眚災肆赦者、眚、謂過誤。災、謂不幸。若人有如此而入於刑、則又不待流宥金贖、而直赦之也。賊、殺也。怙終賊刑者、怙、謂有恃。終、謂再犯。若人有如此而入於刑、則雖當宥當贖、亦不許其宥、不聽其贖而必刑之也。此二句者、或由重而卽輕、或由輕而卽重。蓋用法之權衡、所謂法外意也。聖人立法制刑之本末、此七言者、大略盡之矣。雖其輕重取舍陽舒陰慘之不同、然欽哉欽哉、惟刑之恤之意、則未始不行乎其閒也。蓋其輕重毫釐之閒、各有攸當者、乃天誅不易之定理、而欽恤之意行乎其閒、則可以見聖人好生之本心也。據此經文、則五刑有流宥而無金贖。周禮秋官、亦無其文。至呂刑乃有五等之罰。疑穆王始制之。非法之正也。蓋當刑而贖、則失之輕。疑赦而贖、則失之重。且使富者幸免、貧者受刑、又非所以爲平也。
【読み】
△象るに典刑を以てす。流もて、五刑を宥[ゆる]め、鞭もて、官刑を作し、扑[ぼく]もて、敎刑を作し、金もて、贖[とく]刑を作す。眚災[せいさい]は肆赦し、怙終は賊刑す。欽めや欽めや。惟れ刑を恤えよや、と。宥は、音又。眚は、音省。○象は、天の象を埀れて以て人に示すが如し。而して典とは、常なり。人に示すに常の刑を以てす。所謂墨・劓[ぎ]・剕[ひ]・宮・大辟は、五刑の正なり。夫の元惡大憝[たい]人を殺し人を傷り、穿窬[せんゆ]淫放す、凡そ罪の宥む可からざるを待つ所以の者なり。流もて五刑を宥むとは、流は、之を遣りて遠く去らしむ。下の文の流放竄殛[ざんきょく]の類の如し。宥は、寬[ゆる]すなり。夫の罪の稍輕きを待つ所以なり。五刑に入ると雖も、而れども情として矜れむ可く、法として疑う可きと、夫の親貴く勲勞にして加うるに刑を以てす可からざる者とは、則ち此を以てして之を寬すなり。鞭もて官刑を作すとは、木の末に埀るる革あり、官府の刑なり。扑もて敎刑を作すとは、夏楚の二物、學校の刑なり。皆以て夫の罪の輕き者を待つなり。金もて贖刑を作すとは、金は、黃金。贖は、其の罪を贖うなり。蓋し罪の極めて輕き、鞭扑の刑に入ると雖も、而して情法猶議す可きこと有る者なり。此の五句は、重きより輕きに入り、各々條理有りて、法の正なり。肆は、縱なり。眚災は肆赦すとは、眚は、過誤を謂う。災は、不幸を謂う。若し人此の如きこと有りて刑に入るときは、則ち又流宥金贖を待たずして、直に之を赦すなり。賊は、殺すなり。怙終は賊刑すとは、怙は、恃むこと有るを謂う。終は、再び犯すを謂う。若し人此の如きこと有りて刑に入るときは、則ち當に宥むべく當に贖うべきと雖も、亦其の宥むことを許さず、其の贖うことを聽[ゆる]さずして必ず之を刑す。此の二句は、或は重きよりして輕きに卽き、或は輕きよりして重きに卽く。蓋し法を用うるの權衡、所謂法外の意なり。聖人法を立て刑を制するの本末は、此の七言の者、大略之を盡くせり。其の輕重取舍陽舒陰慘の同じからずと雖も、然れども欽めや欽めや、惟れ刑を恤えよやの意は、則ち未だ始めより其の閒に行われずんばあらず。蓋し其の輕重毫釐の閒、各々當たる攸有るは、乃ち天誅不易の定理にして、欽恤の意其の閒に行わるるときは、則ち以て聖人好生の本心を見る可し。此の經文に據るときは、則ち五刑に流宥有りて金贖無し。周禮の秋官にも、亦其の文無し。呂刑に至りて乃ち五等の罰有り。疑うらくは穆王始めて之を制するならん。法の正に非ざるなり。蓋し當に刑すべくして贖うときは、則ち之を輕きに失す。赦すを疑いて贖うときは、則ち之を重きに失す。且つ富者は幸いに免れ、貧者は刑を受けしむるは、又平らかと爲す所以に非ざるなり。

△流共工于幽洲、放驩兜于崇山、竄三苗于三危、殛鯀于羽山。四罪而天下咸服。流、遣之遠去。如水之流也。放、置之於此、不得他適也。竄、則驅逐禁錮之。殛、則拘囚困苦之。隨其罪之輕重、而異法也。共工・驩兜・鯀、事見上篇。三苗、國名。在江南荆揚之閒、恃險爲亂者也。幽洲、北裔之地也。水中可居曰洲。崇山、南裔之山。在今灃州。三危、西裔之地。卽雍之所謂三危旣宅者。羽山、東裔之山。卽徐之蒙・羽其藝者。服者、天下皆服其用刑之當罪也。程子曰、舜之誅四凶、怒在四凶。舜何與焉。蓋因是人有可怒之事而怒之。聖人之心本無怒也。聖人以天下之怒爲怒。故天下咸服之。春秋傳所記四凶之名、與此不同。說者以窮奇爲共工、渾敦爲驩兜、饕餮爲三苗、檮杌爲鯀。不知其果然否也。
【読み】
△共工を幽洲に流し、驩兜[かんとう]を崇山に放ち、三苗を三危に竄[ざん]し、鯀を羽山に殛[きょく]す。四罪して天下咸服す。流は、之を遣りて遠く去る。水の流るるが如きなり。放は、之を此に置いて、他に適くことを得ざるなり。竄は、則ち之を驅逐し禁錮す。殛は、則ち之を拘囚し困苦す。其の罪の輕重に隨いて、法を異にす。共工・驩兜・鯀は、事は上の篇に見えたり。三苗は、國の名。江南荆揚の閒に在り、險を恃んで亂を爲す者なり。幽洲は、北裔の地なり。水中に居る可きを洲と曰う。崇山は、南裔の山。今の灃[れい]州に在り。三危は、西裔の地。卽ち雍の所謂三危旣に宅[お]るべしという者なり。羽山は、東裔の山。卽ち徐の蒙・羽其れ藝[う]ゆべしという者なり。服は、天下皆其の刑を用うるの罪に當たるに服すなり。程子が曰く、舜の四凶を誅する、怒り四凶に在り。舜何ぞ與らん。蓋し是の人怒る可きの事有るに因りて之を怒る。聖人の心は本怒り無し。聖人天下の怒りを以て怒りとす。故に天下咸之に服す、と。春秋傳に記す所の四凶の名は、此と同じからず。說く者窮奇を以て共工とし、渾敦を驩兜とし、饕餮[とうてつ]を三苗とし、檮杌[とうこつ]を鯀とす。知らず、其れ果たして然るや否やを。

△二十有八載、帝乃殂落。百姓如喪考妣。三載、四海遏密八音。殂落、死也。死者、魂氣歸于天。故曰殂。體魄歸于地。故曰落。喪、爲之服也。遏、絕。密、靜也。八音、金・石・絲・竹・匏・土・革・木也。言堯聖德廣大、恩澤隆厚。故四海之民、思慕之深至於如此也。儀禮、圻内之民、爲天子齊衰三月。圻外之民無服。今應服三月者、如喪考妣。應無服者、遏密八音。堯十六卽位、在位七十載。又試舜三載。老不聽政二十八載乃崩。在位通計百單十年。
【読み】
△二十有八載、帝乃ち殂落[そらく]す。百姓考妣に喪するが如し。三載、四海八音を遏密[あつみつ]す。殂落は、死なり。死者は、魂氣は天に歸す。故に殂と曰う。體魄は地に歸す。故に落と曰う。喪は、之が爲に服すなり。遏は、絕つ。密は、靜かなり。八音は、金・石・絲・竹・匏[ほう]・土・革・木なり。言うこころは、堯の聖德廣大、恩澤隆厚なり。故に四海の民、思慕の深きこと此の如きに至るなり。儀禮に、圻[き]内の民、天子の爲に齊衰すること三月。圻外の民は服無し、と。今應に服すこと三月すべき者は、考妣を喪するが如し。應に服無かるべき者は、八音を遏密す。堯十六にして位に卽き、在位七十載。又舜を試すこと三載。老いて政を聽かざること二十八載にして乃ち崩ず。在位通計百單一年なり。

△月正元日、舜格于文祖。月正、正月也。元日、朔日也。漢孔氏曰、舜服堯喪三年、畢將卽政。故復至文祖廟告。蘇氏曰、受終告攝。此告卽位也。然春秋國君、皆以遭喪之明年正月、卽位於廟而改元。孔氏云、喪畢之明年、不知何所據也。
【読み】
△月正元日、舜文祖に格る。月正は、正月なり。元日は、朔日なり。漢の孔氏が曰く、舜堯の喪を服すこと三年、畢わりて將に政に卽かんとす。故に復文祖の廟に至りて告げり、と。蘇氏が曰く、終わりを受くるは攝るを告ぐるなり。此れ位に卽くことを告げり、と。然れども春秋の國君、皆喪に遭うの明年の正月を以て、位に廟に卽いて元を改む。孔氏が云う、喪畢わるの明年とは、知らず、何れの據る所かを。

△詢于四岳、闢四門、明四目、達四聰。詢、謀。闢、開也。舜旣告廟卽位、乃謀治于四岳之官、開四方之門、以來天下之賢俊、廣四方之視聽、以決天下之壅蔽。
【読み】
△四岳に詢[はか]り、四門を闢き、四目を明らかにし、四聰を達す。詢は、謀る。闢は、開くなり。舜旣に廟に告げて位に卽いて、乃ち治を四岳の官に謀り、四方の門を開いて、以て天下の賢俊を來し、四方の視聽を廣めて、以て天下の壅蔽を決す。

△咨十有二牧曰、食哉惟時。柔遠能邇、惇德允元、而難任人、蠻夷率服。牧、養民之官。十二牧、十二州之牧也。王政以食爲首、農事以時爲先。舜言足食之道、惟在於不違農時也。柔者、寬而撫之也。能者、擾而習之也。遠近之勢如此。先其略、而後其詳也。惇、厚。允、信也。德、有德之人也。元、仁厚之人也。難、拒絕也。任、古文作壬。包藏凶惡之人也。言當厚有德、信仁人、而拒姦惡也。凡此五者、處之各得其宜、則不特中國順治、雖蠻夷之國、亦相率而服從矣。
【読み】
△十有二牧に咨[はか]りて曰く、食なるかな惟れ時あれ。遠きを柔[やす]んじ邇[ちか]きを能くし、德を惇くし元を允として、任人を難[はば]めば、蠻夷も率い服せん、と。牧は、民を養うの官。十二牧は、十二州の牧なり。王政は食を以て首めとし、農事は時を以て先とす。舜の言うこころは、食足るの道は、惟農の時に違わざるに在るのみ。柔は、寬[いつく]しんで之を撫でるなり。能は、擾[な]れて之を習わしむるなり。遠近の勢い此の如し。其の略を先にして、其の詳を後にするなり。惇は、厚し。允は、信なり。德は、有德の人なり。元は、仁厚の人なり。難は、拒絕するなり。任は、古文に壬に作る。凶惡を包み藏す人なり。言うこころは、當に有德を厚くし、仁人を信として、姦惡を拒むなり。凡そ此の五つの者、之に處りて各々其の宜しきを得るときは、則ち特に中國のみ順い治まるにあらず、蠻夷の國と雖も、亦相率いて服從す。

△舜曰、咨四岳、有能奮庸、煕帝之載、使宅百揆、亮采惠疇。僉曰、伯禹作司空。帝曰、兪。咨禹、汝平水土、惟時懋哉。禹拜稽首、讓于稷・契曁皐陶。帝曰、兪。汝往哉。契、音泄。陶、音遙。○奮、起。煕、廣。載、事。亮、明。惠、順。疇、類也。一說、亮、相也。舜言有能奮起事功、以廣帝堯之事者、使居百揆之位、以明亮庶事、而順成庶類也。僉、衆也。四岳、所領四方諸侯之在朝者也。禹、姒姓。崇伯鯀之子也。平水土者、司空之職。時、是。懋、勉也。指百揆之事以勉之也。蓋四岳及諸侯言、伯禹見作司空、可宅百揆。帝然其舉而咨禹、使仍作司空、而兼行百揆之事、錄其舊績、而勉其新功也。以司空兼百揆、如周以六卿兼三公、後世以他官・平章事・知政事、亦此類也。稽首、首至地。稷、田正官。稷、名棄。姓姬氏。封於邰。契、臣名。姓子氏。封於商。稷・契、皆帝嚳之子。曁、及也。皐陶、亦臣名。兪者、然其舉也。汝往哉者、不聽其讓也。此章稱舜曰、此下方稱帝曰者、以見堯老舜攝。堯在時舜未嘗稱帝。此後舜方眞卽帝位而稱帝也。
【読み】
舜曰く、咨[ああ]四岳、能く庸を奮い、帝の載[こと]を煕[ひろ]むる有らば、百揆に宅[お]らしめて、采[こと]を亮らかに疇[たぐい]を惠[したが]えしめん、と。僉[みな]曰く、伯禹司空と作せ、と。帝曰く、兪[しか]り。咨禹、汝水土を平らげ、惟れ時[こ]れ懋[つと]めよや、と。禹拜稽首して、稷・契曁[およ]び皐陶に讓る。帝曰く、兪り。汝往けや、と。契は、音泄。陶は、音遙。○奮は、起こる。煕は、廣むる。載は、事。亮は、明らか。惠は、順う。疇は、類なり。一說に、亮は、相くなり。舜言う、能く事功を奮起して、以て帝堯の事を廣むる者有らば、百揆の位に居らしめて、以て庶事を明亮にして、庶類を順い成さしめん、と。僉[せん]は、衆なり。四岳は、四方の諸侯を領[す]べる所にして朝に在る者なり。禹は、姒姓。崇伯鯀の子なり。水土を平らぐは、司空の職なり。時は、是れ。懋[ぼう]は、勉むるなり。百揆の事を指して以て之を勉めしむ。蓋し四岳及び諸侯言う、伯禹司空と作して、百揆に宅る可きを見る、と。帝其の舉を然りとして禹に咨[と]い、司空と作るに仍りて、兼ねて百揆の事を行い、其の舊績を錄して、其の新たなる功を勉めしむ。司空を以て百揆を兼ぬるは、周の六卿を以て三公を兼ね、後世他官・平章事・知政事を以てするが如き、亦此の類なり。稽首は、首地に至るなり。稷は、田正の官。稷、名は棄。姓は姬氏。邰[たい]に封ぜらる。契は、臣の名。姓は子氏。商に封ぜらる。稷・契は、皆帝嚳[こく]の子。曁は、及ぶなり。皐陶も、亦臣の名。兪は、其の舉を然りとするなり。汝往けやとは、其の讓るを聽[ゆる]さざるなり。此の章舜曰くと稱し、此の下方に帝曰くと稱するは、以て堯老いて舜攝するを見る。堯在す時舜未だ嘗て帝と稱さず。此の後舜方に眞に帝位に卽いて帝と稱すなり。

△帝曰、棄、黎民阻飢。汝后稷、播時百穀。阻、厄。后、君也。有爵土之稱。播、布也。穀、非一種。故曰百穀。此因禹之讓、而申命之、使仍舊職以終其事也。
【読み】
△帝曰く、棄、黎民飢えに阻[なや]めり。汝稷に后として、時[こ]の百穀を播[し]け、と。阻は、厄[わずら]う。后は、君なり。爵土有るの稱なり。播は、布くなり。穀は、一種に非ず。故に百穀と曰う。此れ禹の讓るに因りて、申ねて之に命じ、舊職に仍りて以て其の事を終えしむるなり。

△帝曰、契、百姓不親、五品不遜。汝作司徒、敬敷五敎在寬。親、相親睦也。五品、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友、五者之名位等級也。遜、順也。司徒、掌敎之官。敷、布也。五敎、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、以五者當然之理、而爲敎令也。敬、敬其事也。聖賢之於事、雖無所不敬、而此又事之大者。故特以敬言之。寬、裕以待之也。蓋五者之理、出於人心本然、非有强而後能者、自其拘於氣質之偏、溺於物欲之蔽、始有昧於其理、不相親愛、不相遜順者。於是因禹之讓、又申命契、仍爲司徒、使之敬以敷敎、而又寬裕以待之。使之優柔浸漬、以漸而入、則其天性之眞、自然呈露、不能自已、而無無恥之患矣。孟子所引堯言、勞來匡直輔翼、使自得之、又從而振德之、亦此意也。
【読み】
△帝曰く、契、百姓親しまず、五品遜[したが]わず。汝司徒と作りて、敬んで五敎を敷くこと寬[ゆた]かなるに在れ、と。親は、相親睦するなり。五品は、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友、五つの者の名位等級なり。遜は、順うなり。司徒は、敎を掌る官。敷は、布くなり。五敎は、父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り、五つの者の當然の理を以て、敎令を爲すなり。敬は、其の事を敬むなり。聖賢の事に於る、敬まざる所無しと雖も、而して此れ又事の大なる者なり。故に特に敬を以て之を言う。寬は、裕かにして以て之を待つなり。蓋し五つの者の理は、人心の本然に出でて、强いて後に能くすること有る者に非ず、自ら其れ氣質の偏に拘り、物欲の蔽に溺れて、始めより其の理に昧くして、相親愛せず、相遜順せざる者有り。是に於て禹の讓るに因りて、又申ねて契に命じ、司徒と爲るに仍りて、之をして敬んで以て敎を敷いて、又寬裕にして以て之を待たしむ。之をして優柔浸漬して、漸を以て入らしむるときは、則ち其の天性の眞、自然に呈露して、自ら已むこと能わずして、恥ずること無きの患え無し。孟子引く所の堯の言、勞い來り匡し直くし輔け翼[たす]けて、自ら之を得せしめ、又從いて之を振い德[めぐ]めとは、亦此の意なり。

△帝曰、皐陶、蠻夷猾夏、寇賊姦宄。汝作士、五刑有服、五服三就。五流有宅、五宅三居。惟明克允。宄、音軌。○猾、亂。夏、明而大也。曾氏曰、中國文明之地。故曰華夏。四時之夏、疑亦取此義也。劫人曰寇、殺人曰賊。在外曰姦、在内曰宄。士、理官也。服、服其罪也。呂刑所謂上服下服是也。三就、孔氏以爲、大罪於原野、大夫於朝、士於市。不知何據。竊恐惟大辟棄之於市、宮辟則下蠶室、餘刑亦就屛處。蓋非死刑、不欲使風中其瘡、誤而至死。聖人之仁也。五流、五等象刑之當宥者也。五宅・三居者、流雖有五、而宅之但爲三等之居。如列爵惟五、分土惟三也。孔氏以爲、大罪居於四裔、次則九州之外、次則千里之外。雖亦未見其所據、然大槩當略近之。此亦因禹之讓而申命之、又戒以必當致其明察、乃能使刑當其罪、而人無不信服也。
【読み】
△帝曰く、皐陶、蠻夷夏を猾[みだ]り、寇賊姦宄[かんき]なり。汝士と作り、五刑服有り、五服三就す。五流宅有り、五宅三居す。惟れ明らかに克く允なれ、と。宄は、音軌。○猾は、亂る。夏は、明らかにして大いなり。曾氏が曰く、中國は文明の地。故に華夏と曰う、と。四時の夏、疑うらくは亦此の義を取るならん。人を劫かすを寇と曰う。人を殺すを賊と曰う。外に在るを姦と曰い、内に在るを宄と曰う。士は、理官なり。服は、其の罪に服するなり。呂刑に所謂上服下服とは是れなり。三就とは、孔氏以爲えらく、大罪は原野に於てし、大夫は朝に於てし、士は市に於てす、と。知らず、何れに據るかを。竊恐らくは惟大辟のみ之を市に棄て、宮辟は則ち蠶室に下し、餘刑は亦屛處に就く。蓋し死刑に非ざれば、風をして其の瘡に中てて、誤りて死に至らしめんと欲せず。聖人の仁なり。五流は、五等象刑の當に宥むべき者なり。五宅・三居とは、流五つ有りと雖も、而して之を宅くこと但三等の居をす。爵を列[わか]つこと惟れ五、土を分かつこと惟れ三というが如し。孔氏以爲えらく、大罪は四裔に居き、次は則ち九州の外、次は則ち千里の外、と。亦未だ其の據る所を見ずと雖も、然れども大槩は當に略之に近かるべし。此れ亦禹の讓るに因りて申ねて之を命じて、又戒むるに必ず當に其の明察を致して、乃ち能く刑をして其の罪に當たりて、人信服せざること無からしむるを以てす。

△帝曰、疇若予工。僉曰、埀哉。帝曰、兪。咨埀、汝共工。埀拜稽首、讓于殳斨曁伯與。帝曰、兪。往哉、汝諧。殳、音殊。斨、千羊反。與、音餘。○若、順其理而治之也。曲禮、六工有土工・金工・石工・木工・獸工・草工、周禮、有攻木之工、攻金之工、攻皮之工、設色之工、摶埴之工、皆是也。帝問、誰能順治予百工之事者。埀、臣名。有巧思。莊子曰、攦工倕之指、卽此也。殳斨・伯與、三臣名也。殳、以積竹爲兵。建兵車者。斨、方銎斧也。古者多以其所能爲名。殳斨豈能爲二器者歟。往哉汝諧者、往哉汝和其職也。
【読み】
△帝曰く、疇[だれ]か予が工を若[したが]わん、と。僉[みな]曰く、埀なるかな、と。帝曰く、兪り。咨[ああ]埀、汝共工たれ、と。埀拜稽首して、殳斨[しゅしょう]曁び伯與に讓る。帝曰く、兪り。往けや、汝諧[やわ]らげよ、と。殳は、音殊。斨は、千羊反。與は、音餘。○若は、其の理に順いて之を治むるなり。曲禮に、六工、土工・金工・石工・木工・獸工・草工有り、周禮に、木を攻[おさ]むるの工、金を攻むるの工、皮を攻むるの工、色を設くるの工、埴を摶[まる]めるの工有りとは、皆是れなり。帝問う、誰か能く予が百工の事を順い治むる者あらん、と。埀は、臣の名。巧思有り。莊子曰く、工倕[こうすい]の指を攦[お]るとは、卽ち此れなり。殳斨・伯與は、三臣の名なり。殳は、積竹を以て兵に爲る。兵車に建てる者なり。斨は、方銎斧[ほうきょうふ]なり。古には多く其の能くする所を以て名とす。殳斨豈能く二器を爲る者か。往けや汝諧らげよとは、往けや汝其の職を和せよとなり。

△帝曰、疇若予上下草木鳥獸。僉曰、益哉。帝曰、兪。咨益、汝作朕虞。益拜稽首、讓于朱・虎・熊・羆。帝曰、兪。往哉、汝諧。熊、回弓反。羆、班縻反。○上下、山林澤藪也。虞、掌山澤之官。周禮分爲虞・衡、屬於夏官。朱・虎・熊・羆、四臣名也。高辛氏之子、有曰仲虎仲熊。意以獸爲名者、亦以其能服是獸而得名歟。史記曰、朱・虎・熊・羆、爲伯益之佐。前殳斨・伯與、亦爲埀之佐也。
【読み】
△帝曰く、疇か予が上下の草木鳥獸を若わん、と。僉曰く、益なるかな、と。帝曰く、兪り。咨[ああ]益、汝朕が虞と作れ、と。益拜稽首して、朱・虎・熊・羆[ひ]に讓る。帝曰く、兪り。往けや、汝諧らげよ、と。熊は、回弓反。羆は、班縻反。○上下は、山林澤藪なり。虞は、山澤を掌るの官。周禮に分かちて虞・衡とし、夏官に屬す。朱・虎・熊・羆は、四臣の名なり。高辛氏の子に、仲虎仲熊と曰う有り。意うに獸を以て名とするは、亦其の能く是の獸を服するを以て名を得るか。史記に曰く、朱・虎・熊・羆は、伯益の佐爲り。前の殳斨・伯與も、亦埀の佐爲り、と。

△帝曰、咨四岳、有能典朕三禮。僉曰、伯夷。帝曰、兪。咨伯、汝作秩宗。夙夜惟寅、直哉惟淸。伯拜稽首、讓于夔・龍。帝曰、兪。往欽哉。夔、音逵。○典、主也。三禮、祀天神、享人鬼、祭地祇之禮也。伯夷、臣名。姜姓。秩、敍也。宗、祖廟也。秩宗、主敍次百神之官。而專以秩宗名之者、蓋以宗廟爲主也。周禮亦謂之宗伯、而都家皆有宗人之官以掌祭祀之事、亦此意也。夙、早。寅、敬畏也。直者、心無私曲之謂。人能敬以直内不使少有私曲、則其心潔淸而無物欲之汚。可以交於神明矣。夔・龍、二臣名。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]四岳、能く朕が三禮を典[つかさど]るもの有らんや、と。僉曰く、伯夷なり、と。帝曰く、兪り。咨伯、汝秩宗と作れ。夙夜惟れ寅[つつし]んで、直かれや惟れ淸なれ、と。伯拜稽首して、夔[き]・龍[りょう]に讓る。帝曰く、兪り。往いて欽めや、と。夔は、音逵。○典は、主るなり。三禮は、天神を祀り、人鬼を享り、地祇を祭るの禮なり。伯夷は、臣の名。姜姓。秩は、敍ずるなり。宗は、祖廟なり。秩宗は、百神を敍次するを主るの官なり。而れども專ら秩宗を以て之を名づくるは、蓋し宗廟を以て主と爲せばなり。周禮に亦之を宗伯と謂いて、都家皆宗人の官以て祭祀の事を掌ること有りとは、亦此の意なり。夙は、早き。寅は、敬み畏るるなり。直は、心に私曲無きの謂なり。人能く敬以て内を直くして少しも私曲有らしめざれば、則ち其の心潔淸にして物欲の汚れ無し。以て神明に交わる可し。夔・龍は、二臣の名なり。

△帝曰、夔、命汝典樂。敎冑子。直而溫、寬而栗、剛而無虐、簡而無傲。詩言志、歌永言。聲依永、律和聲。八音克諧、無相奪倫、神人以和。夔曰、於予擊石拊石、百獸率舞。冑、直又反。○冑、長子也。自天子至卿大夫之適子也。栗、莊敬也。上二無字、與毋同。凡人直者必不足於溫。故欲其溫。寬者必不足於栗。故欲其栗。所以慮其偏而輔翼之也。剛者必至於虐。故欲其無虐。簡者必至於傲。故欲其無傲。所以防其過而戒禁之也。敎冑子者、欲其如此、而其所以敎之之具、則又專在於樂。如周禮大司樂掌成均之法、以敎國子弟。而孔子亦曰、興於詩、成於樂。蓋所以蕩滌邪穢、斟酌飽滿、動盪血脈、流通精神、養其中和之德、而救其氣質之偏者也。心之所之謂之志。心有所之、必形於言。故曰、詩言志。旣形於言、則必有長短之節。故曰、歌永言。旣有長短、則必有高下淸濁之殊。故曰聲依永。聲者、宮・商・角・徵・羽也。大抵歌聲長而濁者爲宮。以漸而淸且短、則爲商爲角爲徵爲羽。所謂聲依永也。旣有長短淸濁、則又必以十二律和之。乃能成文而不亂。假令黃鐘爲官、則太簇爲商、姑洗爲角、林鐘爲徵、南呂爲羽。蓋以三分損益、隔八相生而得之。餘律皆然。卽禮運所謂五聲六律十二管、還相爲宮、所謂律和聲也。人聲旣和、乃以其聲、被之八音而爲樂、則無不諧協、而不相侵亂、失其倫次、可以奏之朝廷、薦之郊廟、而神人以和矣。聖人作樂以養情性、育人材、事神祇、和上下。其體用功效、廣大深切乃如此。今皆不復見矣。可勝嘆哉。夔曰以下、蘇氏曰、舜方命九官、濟濟相讓。無緣夔於此獨言其功。此益稷之文。簡編脫誤、復見於此。
【読み】
△帝曰く、夔、汝に命じて樂を典らしむ。冑子を敎えよ。直くして溫[やわ]らかに、寬[ゆた]かにして栗[つつし]み、剛[こわ]くして虐[そこな]うこと無く、簡[おろそ]かにして傲ること無かれ。詩は志を言い、歌は言を永くす。聲は永きに依り、律は聲を和らぐ。八音克く諧らいで、倫を相奪うこと無くば、神人以て和らぐ、と。夔曰く、於[ああ]予れ石を擊ち石を拊[う]てば、百獸率いて舞う、と。冑は、直又反。○冑は、長子なり。天子より卿大夫に至るまでの適子なり。栗は、莊敬なり。上の二つの無の字は、毋と同じ。凡そ人直き者は必ず溫らかきに足らず。故に其の溫らかきを欲す。寬かなる者は必ず栗みに足らず。故に其の栗みを欲す。其の偏を慮りて之を輔翼する所以なり。剛き者は必ず虐うに至る。故に其の虐うこと無きを欲す。簡かなる者は必ず傲るに至る。故に其の傲ること無きを欲す。其の過を防ぎて之を戒め禁ずる所以なり。冑子を敎うる者、其の此の如きを欲して、其の之を敎うる所以の具は、則ち又專ら樂に在り。周禮に大司樂成均の法を掌りて、以て國の子弟に敎ゆるが如し。而して孔子も亦曰く、詩に興り、樂に成る、と。蓋し邪穢を蕩滌し、飽滿を斟酌し、血脈を動盪[どうとう]し、精神を流通し、其の中和の德を養いて、其の氣質の偏を救う所以の者なり。心の之く所之を志と謂う。心之く所有れば、必ず言に形る。故に曰く、詩に志を言う、と。旣に言に形るれば、則ち必ず長短の節有り。故に曰く、歌は言を永くす、と。旣に長短有れば、則ち必ず高下淸濁の殊なり有り。故に聲は永きに依ると曰う。聲は、宮・商・角・徵・羽なり。大抵歌の聲は長くして濁れる者を宮とす。漸にして淸く且つ短きを以て、則ち商とし角とし徵とし羽とす。所謂聲は永きに依るなり。旣に長短淸濁有れば、則ち又必ず十二律を以て之を和らぐ。乃ち能く文を成して亂れず。假令ば黃鐘を官とするときは、則ち太簇を商とし、姑洗を角とし、林鐘を徵とし、南呂を羽とす。蓋し三分を以て損益して、八つを隔てて相生して之を得。餘の律皆然り。卽ち禮運に所謂五聲六律十二管、還りて宮を相爲すとは、所謂律は聲を和らぐなり。人聲旣に和らぎ、乃ち其の聲を以て、之を八音に被せて樂とすれば、則ち諧らぎ協わざること無くして、相侵し亂れて、其の倫次を失わず、以て之を朝廷に奏し、之を郊廟に薦めて、神人以て和らぐ可し。聖人樂を作りて以て情性を養い、人材を育み、神祇に事り、上下を和らぐ。其の體用功效の、廣大深切なること乃ち此の如し。今皆復見さず。勝[あ]げて嘆く可けんや。夔曰以下は、蘇氏が曰く、舜方に九官に命じて、濟濟として相讓る。夔此に於て獨り其の功を言うに緣無し。此れ益稷の文なり。簡編脫誤して、復此に見る、と。

△帝曰、龍、朕堲讒說殄行、震驚朕師。命汝作納言。夙夜出納朕命、惟允。堲、疾力反。讒、音慙。○堲、疾。殄、絕也。殄行者、謂傷絶善人之事也。師、衆也。謂其言之不正、而能變亂黑白、以駭衆聽也。納言、官名。命令政敎、必使審之旣允而後出、則讒說不得行、而矯僞無所託矣。敷奏復逆、必使審之旣允而後入、則邪僻無自進、而功緒有所稽矣。周之内史、漢之尙書、魏晉以來所謂中書門下者、皆此職也。
【読み】
△帝曰く、龍、朕れ讒說行を殄[た]ち、朕が師[もろもろ]を震驚するを堲[にく]む。汝に命じて納言と作す。夙夜朕が命を出し納れて、惟れ允なれ、と。堲[しつ]は、疾力反。讒は、音慙。○堲は、疾[にく]む。殄[てん]は、絕つなり。行を殄つとは、善人の事を傷り絶つを謂うなり。師は、衆なり。其の言の正しからずして、能く黑白を變じ亂して、以て衆聽を駭[おどろ]かすを謂うなり。納言は、官の名。命令政敎、必ず之を審らかにして旣に允ありて後に出ださしむるときは、則ち讒說行わるることを得ずして、矯僞託[よ]る所無し。敷奏復逆、必ず之を審らかにして旣に允ありて後に入るるときは、則ち邪僻自ら進むこと無くして、功緒稽うる所有り。周の内史、漢の尙書、魏晉以來の所謂中書門下は、皆此の職なり。

△帝曰、咨汝二十有二人、欽哉。惟時亮天功。二十二人、四岳・九官・十二牧也。周官言、内有百揆四岳、外有州牧侯伯。蓋百揆者、所以統庶官、而四岳者、所以統十二牧也。旣分命之、又總告之。使之各敬其職以相天事也。曾氏曰、舜命九官。新命者六人。命伯禹命伯夷、咨四岳而命者也。命埀命益、泛咨而命者也。命夔命龍、因人之讓、不咨而命者也。夫知道而後可宅百揆、知禮而後可典三禮。知道知禮、非人人所能也。故必咨於四岳。若予工、若上下草木鳥獸、則非此之比。故泛咨而已。禮樂命令、其體雖不若百揆之大、然事理精微、亦非百工庶物之可比。伯夷旣以四岳之舉、而當秩宗之任、則其所讓之人、必其中於典樂納言之選可知。故不咨而命之也。若稷契皐陶之不咨者、申命其舊職而已。又按此以平水土若百工、各爲一官。而周制同領於司空。此以土一官、兼兵刑之事。而周禮分爲夏秋兩官。蓋帝王之法、隨時制宜。所謂損益可知者如此。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]汝二十有二人、欽めや。惟れ時[こ]れ天功を亮[たす]けよ、と。二十二人は、四岳・九官・十二牧なり。周官に言う、内に百揆四岳有り、外に州牧侯伯有り、と。蓋し百揆は、庶官を統ぶる所以にして、四岳は、十二牧を統ぶる所以なり。旣に分かちて之に命じ、又總べて之に告ぐ。之をして各々其の職を敬んで以て天事を相けしむるなり。曾氏が曰く、舜九官に命ず。新たに命ずる者六人。伯禹に命じ伯夷に命ずるは、四岳に咨いて命ずる者なり。埀に命じ益に命ずるは、泛く咨いて命ずる者なり。夔に命じ龍に命ずるは、人の讓るに因りて、咨わずして命ずる者なり。夫れ道を知りて而して後に百揆に宅る可く、禮を知りて而して後に三禮を典る可し。道を知り禮を知るは、人人の能くする所に非ず。故に必ず四岳に咨う。予が工を若え、上下の草木鳥獸を若うは、則ち此の比に非ず。故に泛く咨うのみ。禮樂命令は、其の體百揆の大いに若かずと雖も、然れども事理精微にして、亦百工庶物の比す可きに非ず。伯夷旣に四岳の舉を以て、秩宗の任に當たり、則ち其の讓る所の人、必ず其れ典樂納言の選に中ること知る可し。故に咨わずして之を命ずるなり。稷契皐陶の咨わざるが若きは、申ねて其の舊職に命ずるのみ。又按ずるに此れ水土を平らかにし百工を若うを以て、各々一官とす。而して周の制は同じく司空に領す。此れ土の一官を以て、兵刑の事を兼ぬ。而して周禮に分かちて夏秋の兩官とす。蓋し帝王の法は、時に隨いて宜しきを制す。所謂損益知る可き者此の如し。

△三載考績、三考黜陟幽明、庶績咸煕。分北三苗。北、如字。又音佩。○考、核實也。三考、九載也。九載、則人之賢否、事之得失可見。於是陟其明而黜其幽。賞罰明信、人人力於事功。此所以庶績咸煕也。北、猶背也。其善者留、其不善者竄徙之、使分背而去也。此言舜命二十二人之後、立此考績黜陟之法、以時舉行。而卒言其效如此也。按三苗見於經者、如典謨・益稷・禹貢・呂刑詳矣。蓋其負固不服。乍臣乍叛。舜攝位而竄遂之。禹治水之時、三危已宅、而舊都猶頑不卽工。禹攝位之後、帝命徂征而猶逆命。及禹班師而後來格。於是乃得考其善惡、而分北之也。呂刑之言遏絕、則通其本末而言。不可以先後論也。
【読み】
△三載績を考え、三考して幽明を黜陟[ちゅっちょく]して、庶績咸煕[ひろ]まる。三苗を分北[ぶんぱい]す。北は、字の如し。又音佩。○考は、實を核[しら]べるなり。三考は、九載なり。九載なれば、則ち人の賢否、事の得失見る可し。是に於て其の明を陟[あ]げて其の幽を黜[しりぞ]く。賞罰明信なれば、人人事功を力む。此れ庶績咸煕まる所以なり。北は、猶背のごとし。其の善き者は留め、其の善からざる者は之を竄[しりぞ]け徙[うつ]して、分背して去らしむるなり。此れ言うこころは、舜二十二人に命ずるの後、此の考績黜陟の法を立て、時を以て舉げ行う。而して卒に其の效を言うこと此の如し。按ずるに三苗の經に見る者、典謨・益稷・禹貢・呂刑の如き詳らかなり。蓋し其の固きを負[たの]んで服さず。乍[あるい]は臣とし乍は叛く。舜位を攝りて之を竄け遂う。禹水を治むるの時、三危已に宅りて、舊都猶頑にして工に卽かず。禹位を攝るの後、帝命じて徂いて征せしめて猶命に逆う。禹師を班[し]くに及んで而して後に來り格る。是に於て乃ち其の善惡を考えて、之を分北することを得。呂刑の遏絕[あつぜつ]と言うは、則ち其の本末を通じて言う。先後を以て論ずる可からず。

△舜生三十徵庸、三十在位、五十載陟方乃死。徵、知陵反。○徵、召也。陟方、猶言升遐也。韓子曰、竹書紀年、帝王之沒、皆曰陟。陟、昇也。謂昇天也。書曰、殷禮陟配天。言以道終其德、協天也。故書紀舜之沒云陟。其下言方乃死者、所以釋陟爲死也。地之勢東南下。如言舜巡守而死。宜言下方。不得言陟方也。按此得之。但不當以陟爲句絕耳。方、猶雲徂乎方之方。陟方乃死、猶言殂落而死也。舜生三十年、堯方召用。歷試三年、居攝二十八年、通三十年乃卽帝位、又五十年而崩。蓋於篇末總敍其始終也。史記言、舜巡守崩于蒼梧之野。孟子言、舜卒於鳴條。未知孰是。今零陵九疑有舜塚云。
【読み】
△舜生まれて三十のとき徵庸せられ、三十位に在り、五十載にて陟方[ちょくほう]して乃ち死す。徵は、知陵反。○徵は、召すなり。陟方は、猶升遐と言うがごとし。韓子が曰く、竹書紀年に、帝王の沒するを、皆陟と曰う、と。陟は、昇るなり。天に昇るを謂う、と。書に曰く、殷の禮は陟りて天に配す。言うこころは、道を以て其の德を終え、天に協えり。故に書に舜の沒するを紀して陟と云う。其の下に方乃死と言うは、陟を釋いて死と爲す所以なり。地の勢は東南下れり。舜巡守して死すと言うが如し。宜しく方に下ると言うべし。陟方と言うことを得ず、と。按ずるに此れ之を得。但當に陟を以て句絕とすべからざるのみ。方は、猶雲方に徂くの方のごとし。陟方して乃ち死すとは、猶殂落して死すと言うがごとし。舜生まれて三十年、堯方に召し用ゆ。歷試すること三年、攝に居ること二十八年、通じて三十年乃ち帝位に卽いて、又五十年にして崩ず。蓋し篇末に於て總べて其の始終を敍ず。史記に言う、舜巡守して蒼梧の野に崩ず、と。孟子言う、舜鳴條に卒う、と。未だ知らず、孰れか是ぜなるかを。今零陵九疑に舜の塚有ると云う。

○大禹謨 謨、謀也。林氏曰、虞史旣述二典、其所載有未備者。於是又敍其君臣之閒、嘉言善政、以爲大禹・皐陶謨・益稷三篇。所以備二典之未備者。今文無、古文有。
【読み】
○大禹謨[たいうぼ] 謨は、謀るなり。林氏が曰く、虞史旣に二典を述べ、其の載す所に未だ備わらざる者有り。是に於て又其の君臣の閒を敍べて、嘉言善政、以て大禹・皐陶謨・益稷の三篇とす。二典の未だ備わらざる者を備うる所以なり。今文に無く、古文に有り。

曰若稽古大禹曰、文命敷於四海、祗承于帝。命、敎。祗、敬也。帝、謂舜也。文命敷於四海者、卽禹貢所謂東漸西被、朔南曁、聲敎訖于四海者、是也。史臣言、禹旣已布其文敎於四海矣。於是陳其謨以敬承于舜、如下文所云也。文命、史記以爲禹名。蘇氏曰、以文命爲禹名、則敷于四海者、爲何事耶。
【読み】
曰若[ここ]に古の大禹を稽[かんが]うるに曰く、文命四海に敷いて、祗[つつし]んで帝に承く。命は、敎。祗は、敬むなり。帝とは、舜を謂うなり。文命四海に敷くとは、卽ち禹貢の所謂東に漸[いた]り西に被り、朔[きた]南に曁[およ]べり、聲敎四海に訖[いた]るとは、是れなり。史臣が言う、禹旣已に其の文敎を四海に布く。是に於て其の謨を陳ねて以て敬んで舜に承くること、下の文に云う所の如し。文命は、史記に以て禹の名とす。蘇氏が曰く、文命を以て禹の名とするときは、則ち四海に敷くとは、何れの事とせんや、と。

△曰、后克艱厥后、臣克艱厥臣、政乃乂、黎民敏德。曰以下、卽禹祗承于帝之言也。艱、難也。孔子曰、爲君難、爲臣不易、卽此意也。乃者、難辭也。敏、速也。禹言君而不敢易其爲君之道、臣而不敢易其爲臣之職、夙夜祗懼、各務盡其所當爲者、則其政事乃能修治而無邪慝。下民自然觀感速化於善、而有不容已者矣。
【読み】
△曰く、后[きみ]克く厥の后たるを艱[かた]しとし、臣克く厥の臣たるを艱しとすれば、政乃ち乂[おさ]まりて、黎民德を敏[と]くす、と。曰く以下は、卽ち禹祗んで帝に承くるの言なり。艱は、難きなり。孔子曰く、君爲ること難く、臣爲ること易からずとは、卽ち此の意なり。乃は、難しとする辭なり。敏は、速やかなり。禹の言うこころは、君として敢えて其の君爲るの道を易しとせず、臣として敢えて其の臣爲るの職を易しとせず、夙夜に祗み懼れて、各々務めて其の當にすべき所の者を盡くすときは、則ち其の政事は乃ち能く修まり治まりて邪慝無し。下民自然に觀感して速やかに善に化すること、而も已む容からざる者有り。

△帝曰、兪。允若茲、嘉言罔攸伏、野無遺賢、萬邦咸寧。稽于衆、舍己從人。不虐無告、不廢困窮、惟帝時克。嘉、善。攸、所也。舜然禹之言、以爲信能如此、則必有以廣延衆論、悉致羣賢、而天下之民、咸被其澤、無不得其所矣。然非忘私順理、愛民好士之至、無以及此。而惟堯能之。非常人所及也。蓋爲謙辭以對。而不敢自謂其必能、舜之克艱、於此亦可見矣。程子曰、舍己從人、最爲難事。己者、我之所有。雖痛舍之猶懼。守己者固、而從人者輕也。
【読み】
△帝曰く、兪[しか]り。允に茲[かく]の若くなれば、嘉言の伏する攸罔く、野に遺賢無く、萬邦咸寧し。衆に稽えて、己を舍てて人に從い、無告を虐げず、困窮を廢てざるは、惟帝のみ時[こ]れ克くす、と。嘉は、善き。攸は、所なり。舜禹の言を然りとして、以爲えらく、信に能く此の如くなれば、則ち必ず以て廣く衆論を延き、悉く羣賢を致して、天下の民、咸其の澤を被りて、其の所を得ざること無きこと有り。然れども私を忘れて理に順い、民を愛して士を好むの至りに非ざれば、以て此に及ぶこと無し。而して惟り堯のみ之を能くす。常人の及ぶ所に非ざるなり、と。蓋し謙辭を爲して以て對う。而も敢えて自ら其れ必ず能くすと謂わず、舜の克く艱くすること、此に於て亦見る可し。程子が曰く、己を舍てて人に從うは、最も難事爲り。己とは、我が有する所。痛く之を舍つと雖も猶懼る。己を守る者は固くして、人に從う者は輕し、と。

△益曰、都、帝德廣運。乃聖乃神、乃武乃文。皇天眷命、奄有四海、爲天下君。廣者、大而無外。運者、行之不息。大而能運、則變化不測。故自其大而化之而言、則謂之聖、自其聖而不可知而言、則謂之神、自其威之可畏而言、則謂之武、自其英華發外而言、則謂之文。眷、顧。奄、盡也。堯之初起、不見於經。傳稱其自唐侯特起爲帝。觀益之言理或然也。或曰、舜之所謂帝者堯也。羣臣之言帝者舜也。如帝德罔愆、帝其念哉之類、皆謂舜也。蓋益因舜尊堯、而遂美舜之德以勸之。言不特堯能如此、帝亦當然也。今按此說、所引此類、固爲甚明。但益之語、接連上句惟帝時克之下、未應遽舍堯而譽舜。又徒極口以稱其美、而不見其有勸勉規戒之意。恐唐虞之際、未遽有此諛佞之風也。依舊說贊堯爲是。
【読み】
△益曰く、都[ああ]、帝の德廣く運[めぐ]れり。乃ち聖乃ち神、乃ち武乃ち文。皇天眷命[けんめい]して、奄[ことごと]く四海を有ちて、天下の君爲り、と。廣は、大いにして外無し。運は、行きて息まず。大いして能く運るときは、則ち變化測られず。故に其の大いにして之を化するよりして言うときは、則ち之を聖と謂い、其の聖にして知る可からざるよりして言うときは、則ち之を神と謂い、其の威の畏る可きよりして言うときは、則ち之を武と謂い、其の英華外より發するよりして言うときは、則ち之を文と謂う。眷は、顧みる。奄は、盡くすなり。堯の初めて起つこと、經に見えず。傳に稱すらく、其れ唐侯より特り起ちて帝と爲る、と。益の言を觀るに理或は然らん。或ひと曰く、舜の所謂帝なる者は堯なり。羣臣の帝と言うは舜なり。帝の德愆[あやま]ち罔し、帝其れ念えやの類の如き、皆舜を謂う。蓋し益舜の堯を尊ぶに因りて、遂に舜の德を美めて以て之を勸む。言うこころは、特り堯のみ能く此の如きにあらず、帝も亦當に然り、と。今此の說を按ずるに、引く所の此の類、固に甚だ明なりとす。但益の語は、上の句の惟帝のみ時れ克くすの下に接し連なり、未だ應に遽に堯を舍いて舜を譽むるべからず。又徒に口を極めて以て其の美を稱するのみにして、其の勸勉規戒の意有るを見ず。恐らくは唐虞の際は、未だ遽に此の諛佞の風有らず。舊說に依りて堯を贊するを是とせん。

△禹曰、惠迪吉。從逆凶。惟影響。惠、順。迪、道也。逆、反道者也。惠迪從逆、猶言順善從悪也。禹言天道可畏。吉凶之應於善惡、猶影響之出於形聲也。以見不可不艱者、以此而終上文之意。
【読み】
△禹曰く、迪[みち]に惠[したが]えば吉。逆に從えば凶。惟れ影響のごとし、と。惠は、順う。迪[てき]は、道なり。逆は、道に反く者なり。迪に惠い逆に從うとは、猶善に順い悪に從うと言うがごとし。禹言う、天道畏る可し。吉凶の善惡に應ずるは、猶影響の形聲より出づるがごとし、と。以て艱からずんばある可からざる者を見して、此を以て上の文の意を終う。

△益曰、吁、戒哉。儆戒無虞、罔失法度、罔遊于逸、罔淫于樂。任賢勿貳、去邪勿疑、疑謀勿成。百志惟煕。罔違道、以干百姓之譽。罔咈百姓、以從己之欲。無怠無荒、四夷來王。樂、音洛。咈、符勿反。○先吁後戒、欲使聽者精審也。儆、與警同。虞、度。罔、勿也。法度、法則制度也。淫、過也。當四方無可虞度之時、法度易至廢弛。故戒其失墜。逸樂易至縱恣。故戒其遊淫。言此三者所當謹畏也。任賢以小人閒之、謂之貳。去邪不能果斷、謂之疑。謀、圖爲也。有所圖爲、揆之於理、而未安者、則不復成就之也。百志、猶易所謂百慮也。咈、逆也。九州之外、世一見曰王。帝於是八者、朝夕戒懼、無怠於心、無荒於事、則治道益隆、四夷之遠、莫不歸往、中土之民、服從可知。今按益言八者、亦有次第。蓋人君能守法度、不縱逸樂、則心正身脩、義理昭著、而於人之賢否、孰爲可任、孰爲可去、事之是非、孰爲可疑、孰爲不可疑、皆有以審其幾微、絕其蔽惑。故方寸之閒、光輝明白、而於天下之事、孰爲道義之正而不可違、孰爲民心之公而不可咈、皆有以處之不失其理、而毫髪私意不入於其閒。此其懲戒之深旨、所以推廣大禹克艱、惠迪之謨也。苟無其本、而是非取舍、決於一己之私、乃欲斷而行之、無所疑惑、則其爲害、反有不可勝言者矣。可不戒哉。
【読み】
△益曰く、吁[ああ]、戒めよや。虞[はか]り無きを儆[いまし]め戒めて、法度を失う罔かれ、逸に遊ぶ罔かれ、樂に淫する罔かれ。賢に任ずるに貳する勿かれ、邪を去りて疑う勿かれ、疑謀成す勿かれ。百志惟れ煕[ひろ]まらん。道に違いて、以て百姓の譽れを干[もと]むる罔かれ。百姓に咈[もと]りて、以て己が欲に從う罔かれ。怠ること無く荒[すさ]むこと無くば、四夷來王せん、と。樂は、音洛。咈[ふつ]は、符勿反。○吁を先にし戒を後にするは、聽く者をして精審ならしめんと欲するなり。儆[けい]は、警むと同じ。虞は、度る。罔は、勿かれなり。法度は、法則制度なり。淫は、過ぐるなり。四方虞り度る可きこと無きの時に當たりて、法度は廢弛に至り易し。故に其の失墜を戒む。逸樂は縱恣に至り易し。故に其の遊淫を戒む。言うこころは、此の三つの者は當に謹み畏るべき所なり。賢に任ずるに小人を以て之を閒つ、之を貳と謂う。邪を去りて果斷なること能わず、之を疑と謂う。謀は、圖り爲すなり。圖り爲す所有りて、之を理に揆[はか]りて、未だ安からざる者は、則ち復之を成就せざるなり。百志は、猶易に所謂百慮のごとし。咈は、逆[もと]るなり。九州の外、世々一たび見ゆるを王と曰う。帝是の八つの者に於て、朝夕戒め懼れて、心に怠ること無く、事に荒むこと無きときは、則ち治道益々隆んにして、四夷の遠きも、歸往せざること莫く、中土の民、服從すること知る可し。今按ずるに益が言う八つの者も、亦次第有り。蓋し人君能く法度を守り、逸樂を縱にせざるときは、則ち心正しく身脩まり、義理昭著にして、人の賢否に於て、孰か任ず可しとし、孰か去る可しとし、事の是非も、孰か疑う可きとし、孰か疑う可からずとして、皆以て其の幾微を審らかにし、其の蔽惑を絕つこと有り。故に方寸の閒も、光輝明白にして、天下の事に於て、孰か道義の正しくして違う可からずとし、孰か民心の公にして咈る可からずとして、皆以て之を處するに其の理を失わずして、毫髪の私意も其の閒に入れざること有り。此れ其の懲戒の深旨、大禹克く艱しとし、迪に惠うの謨を推し廣むる所以なり。苟に其の本無くして、是非取舍、一己の私に決して、乃ち斷ちて之を行いて、疑惑する所無けんと欲すれば、則ち其の害を爲すこと、反って勝[あ]げて言う可からざる者有り。戒めざる可けんや。

△禹曰、於、帝念哉。德惟善政。政在養民。水・火・金・木・土・穀惟修、正德・利用・厚生惟和、九功惟敍、九敍惟歌。戒之用休、董之用威、勸之以九歌、俾勿壞。於、音烏。○益言儆戒之道、禹歎而美之。謂、帝當深念益之所言也。且德非徒善而已。惟當有以善其政。政非徒法而已。在乎有以養其民。下文六府三事、卽養民之政也。水・火・金・木・土・穀惟修者、水克火、火克金、金克木、木克土、而生五穀。或相制以洩其過、或相助以補其不足。而六者無不修矣。正德者、父慈子孝、兄友弟恭、夫義婦聽。所以正民之德也。利用者、工作什器、商通貨財之類。所以利民之用也。厚生者、衣帛食肉、不飢不寒之類。所以厚民之生也。六者旣修、民生始遂。不可以逸居而無敎。故爲之惇典敷敎、以正其德、通功易事、以利其用、制節謹度、以厚其生、使皆當其理而無所乖、則無不和矣。九功、合六與三也。敍者、言九者各順其理、而不汨陳以亂其常也。歌者、以九功之敍、而詠之歌也。言九者旣已修和、各由其理、民享其利、莫不歌詠而樂其生也。然始勤終怠者、人情之常。恐安養旣久、怠心必生、則已成之功、不能保其久而不廢。故當有以激勵之。如下文所云也。董、督也。威、古文作畏。其勤於是者、則戒喩而休美之、其怠於是者、則督責而懲戒之。然又以事之出於勉强者不能久、故復卽其前日歌詠之言、協之律呂、播之聲音、用之郷人、用之邦國、以勸相之。使其歡欣鼓舞、趨事赴功、不能自已、而前日之成功、得以久存而不壞。此周禮所謂九德之歌、九韶之舞、而太史公所謂、佚能思初、安能惟始、沐浴膏澤、而歌詠勤苦者也。葛氏曰、洪範五行、水・火・木・金・土而已。穀本在水行之數。禹以其爲民食之急、故別而附之也。
【読み】
△禹曰く、於[ああ]、帝念えや。德は惟れ政を善くす。政は民を養うに在り。水・火・金・木・土・穀惟れ修まり、德を正しくし、用を利し、生けるを厚くし、惟れ和らげ、九功惟れ敍で、九敍惟れ歌う。之を戒むるに休[よ]きを用い、之を董[ただ]すに威を用てし、之を勸むるに九歌を以てして、壞[やぶ]る勿からしむ、と。於は、音烏。○益儆戒の道を言いて、禹歎じて之を美む。謂く、帝當に益の言う所を深く念うべし。且つ德は徒善に非ざるのみ。惟當に以て其の政を善くすること有るべし。政は徒法に非ざるのみ。以て其の民を養うこと有るに在り、と。下の文の六府三事は、卽ち民を養うの政なり。水・火・金・木・土・穀惟れ修むとは、水は火に克ち、火は金に克ち、金は木に克ち、木は土に克ちて、五穀を生す。或は相制して以て其の過を洩[のぞ]き、或は相助けて以て其の足らざるを補う。而して六つの者修まらざる無し。德を正しくすとは、父慈に子孝に、兄友に弟恭に、夫義に婦聽。民の德を正す所以なり。用を利すとは、工の什器を作り、商の貨財を通ずるの類。民の用を利する所以なり。生けるを厚くすとは、帛を衣肉を食い、飢えず寒からざるの類。民の生を厚くする所以なり。六つの者旣に修めて、民生始めて遂ぐ。以て逸居して敎うること無くんばある可からず。故に之れ典を惇くし敎を敷くことを爲して、以て其の德を正しくし、功を通じ事を易くして、以て其の用を利し、節を制し度を謹んで、以て其の生くるを厚くし、皆其の理に當たりて乖く所無からしむるときは、則ち和せざること無し。九功は、六つと三つとを合わすなり。敍ずとは、言うこころは、九つの者各々其の理に順いて、陳することを汨[みだ]るを以て其の常を亂らざるなり。歌は、九功の敍を以て、詠ずるの歌なり。言うこころは、九つの者旣已に修まり和らぎ、各々其の理に由りて、民其の利を享け、歌詠せざること莫くして其の生を樂しむなり。然れども始めは勤め終わりは怠るは、人情の常なり。恐れらくは安養旣に久しくして、怠心必ず生ずるときは、則ち已成の功、其の久しきを保ちて廢せざること能わず。故に當に以て之を激勵すること有るべし。下の文に云う所の如し。董は、督[ただ]すなり。威は、古文に畏に作る。其れ是を勤むる者は、則ち戒喩して之を休美し、其れ是を怠る者は、則ち督責して之を懲戒す。然れども又事の勉强より出づる者の久しきこと能わざるを以て、故に復其の前日歌詠の言に卽いて、之を律呂に協え、之を聲音に播[ほどこ]し、之を郷人に用い、之を邦國に用い、以て之を勸め相く。其をして歡欣鼓舞し、事に趨き功に赴いて、自ら已むこと能わずして、前日の成功、以て久しく存して壞れざるを得せしむ。此れ周禮に所謂九德の歌、九韶の舞、而も太史公が所謂、佚するときは能く初めを思い、安んずるときは能く始めを惟[おも]う、膏澤に沐浴して、勤苦を歌詠すという者なり。葛氏が曰く、洪範の五行は、水・火・木・金・土なるのみ。穀は本水行の數に在り。禹其の民食の急爲るを以て、故に別ちて之を附く、と。

△帝曰、兪。地平天成、六府・三事允治、萬世永賴、時乃功。治、去聲。○水土治曰平。言水土旣平而萬物得以成遂也。六府、卽水・火・金・木・土・穀也。六者、財用之所自出。故曰府。三事、正德・利用・厚生也。三者、人事之所當爲。故曰事。舜因禹言養民之政、而推其功以美之也。
【読み】
△帝曰く、兪り。地平らぎ天成り、六府・三事允に治まり、萬世永く賴るは、時[こ]れ乃の功なり、と。治は、去聲。○水土治むるを平と曰う。言うこころは、水土旣に平らぎて萬物以て成り遂ぐることを得たり。六府は、卽ち水・火・金・木・土・穀なり。六つの者は、財用の自りて出づる所なり。故に府と曰う。三事は、德を正しくし、用を利し、生けるを厚くするなり。三つの者は、人事の當に爲すべき所なり。故に事と曰う。舜禹の民を養うの政を言うに因りて、其の功を推して以て之を美む。

△帝曰、格汝禹。朕宅帝位、三十有三載、耄期倦于勤。汝惟不怠、總朕師。耄、莫報反。○九十曰耄、百年曰期。舜至是年已九十三矣。總、率也。舜自言、旣老、血氣已衰。故倦於勤勞之事。汝當勉力不怠、而總率我衆也。蓋命之攝位之事。堯命舜曰陟帝位、舜命禹曰總朕師者、蓋堯欲使舜眞宅帝位。舜讓弗嗣。後惟居攝、亦若是而已。
【読み】
△帝曰く、格[きた]れ汝禹。朕れ帝位に宅ること、三十有三載、耄期[ぼうき]にして勤めに倦めり。汝惟れ怠らず。朕が師[もろもろ]を總べよ、と。耄は、莫報反。○九十を耄と曰い、百年を期と曰う。舜是に至りて年已に九十三なり。總は、率いるなり。舜自ら言う、旣に老いて、血氣已に衰う。故に勤勞の事に倦む。汝當に勉め力めて怠らずして、我が衆を總べ率ゆべし、と。蓋し之に攝位の事を命ず。堯舜に命じて帝位に陟れと曰い、舜禹に命じて朕が師を總べよと曰うは、蓋し堯舜をして眞に帝位に宅らしめんと欲す。舜讓りて嗣がず。後惟れ攝に居ること、亦是の若きのみ。

△禹曰、朕德罔克、民不依。皐陶邁種德、德乃降、黎民懷之。帝念哉。念茲在茲、釋茲在茲、名言茲在茲、允出茲在茲。惟帝念功。邁、勇往力行之意。種、布。降、下也。禹自言、其德不能勝任、民不依歸。惟皐陶勇往力行、以布其德。德下及於民、而民懷服之。帝當思念之而不忘也。茲、指皐陶也。禹遂言、念之而不忘、固在於皐陶。舍之而他求、亦惟在於皐陶。名言於口、固在於皐陶。誠發於心、亦惟在於皐陶也。蓋反覆思之、而卒無有易於皐陶者。惟帝深念其功、而使之攝位也。
【読み】
△禹曰く、朕が德克くすること罔く、民依らず。皐陶邁[いさ]んで德を種[し]き、德乃ち降りて、黎民之に懷く。帝念えや。茲を念えば茲に在り、茲を釋[す]てても茲に在り、茲を名づけ言うも茲に在り、允に茲を出だすも茲に在り。惟れ帝功を念え、と。邁は、勇み往き力め行くの意。種は、布く。降は、下るなり。禹自ら言う、其の德任に勝うること能わず、民依歸せず。惟皐陶勇み往き力め行いて、以て其の德を布く。德下り民に及んで、民之に懷き服す。帝當に之を思い念いて忘れざるべし、と。茲は、皐陶を指すなり。禹遂に言う、之を念いて忘れざるは、固に皐陶に在り。之を舍てて他に求むれば、亦惟皐陶に在り。名づけて口に言うも、固に皐陶に在り。誠に心に發すれば、亦惟皐陶に在り、と。蓋し反覆して之を思いて、卒に皐陶に易わる者有ること無し。惟れ帝深く其の功を念いて、之をして位を攝らしむるなり。

△帝曰、皐陶、惟茲臣庶、罔或干予正。汝作士、明于五刑、以弼五敎、期于予治、刑期于無刑、民協于中。時乃功。懋哉。干、犯。正、政。弼、輔也。聖人之治、以德爲化民之本、而刑特以輔其所不及而已。期者、先事取必之謂。舜言、惟此臣庶、無或有干犯我之政者。以爾爲士師之官、能明五刑、以輔五品之敎、而期我以至於治。其始雖不免於用刑、而實所以期至於無刑之地。故民亦皆能協於中道、初無有過不及之差、則刑果無所施矣。凡此皆汝之功也。懋、勉也。蓋不聽禹之讓、而稱皐陶之美、以勸勉之也。
【読み】
△帝曰く、皐陶、惟れ茲の臣庶、予が正しきを干すこと或る罔し。汝士と作りて、五刑を明らかにし、以て五敎を弼け、予が治まれるに期[あ]て、刑は刑無きに期て、民中に協わしむ。時れ乃の功なり。懋[つと]めよや、と。干は、犯す。正は、政。弼は、輔くなり。聖人の治は、德を以て民を化するの本として、刑は特に以て其の及ばざる所を輔くるのみ。期とは、事に先んじて必を取るの謂なり。舜言う、惟れ此の臣庶、或は我が政を干し犯す者有ること無し。爾を以て士師の官として、能く五刑を明らかにして、以て五品の敎を輔けて、我が以て治まれるに至るを期す。其の始めは刑を用うることを免れずと雖も、而れども實は無刑の地に至るを期する所以なり。故に民も亦皆能く中道に協いて、初めより過不及の差い有ること無くば、則ち刑果たして施す所無し。凡そ此れ皆汝の功なり、と。懋[ぼう]は、勉むるなり。蓋し禹の讓るを聽[ゆる]さずして、皐陶の美を稱して、以て之を勸め勉めしむるなり。

△皐陶曰、帝德罔愆。臨下以簡、御衆以寬。罰弗及嗣、賞延于世。宥過無大、刑故無小。罪疑惟輕、功疑惟重。與其殺不辜、寧失不經。好生之德、洽于民心。茲用不犯于有司。愆、過也。簡者、不煩之謂。上煩密、則下無所容。御者急促、則衆擾亂。嗣・世、皆謂子孫。然嗣親而世疎也。延、遠及也。父子罪不相及、而賞則遠延于世。其善善長、而惡惡短如此。過者、不識而誤犯也。故者、知之而故犯也。過誤所犯、雖大必宥。不忌故犯、雖小必刑。卽上篇所謂眚災肆赦、怙終賊刑者也。罪已定矣、而於法之中、有疑其可重可輕者、則從輕以罰之。功已定矣、而於法之中、有疑其可輕可重者、則從重以賞之。辜、罪。經、常也。謂法可以殺可以無殺、殺之、則恐陷於非辜、不殺之、恐失於輕縱。二者皆非聖人至公至平之意。而殺不辜者、尤聖人之所不忍也。故與其殺之而害彼之生、寧姑全之、而自受失刑之責。此其仁愛忠厚之至、皆所謂好生之德也。蓋聖人之法有盡、而心則無窮。故其用刑行賞、或有所疑、則常屈法以申恩、而不使執法之意、有以勝其好生之德。此其本心所以無所壅遏、而得行於常法之外。及其流衍洋溢、漸涵浸漬、有以入于民心、則天下之人、無不愛慕感悅、興起於善、而自不犯于有司也。皐陶以舜美其功、故言此以歸功於其上。蓋不敢當其褒美之意、而自謂己功也。
【読み】
△皐陶曰く、帝の德愆[あやま]つこと罔し。下に臨むに簡を以てし、衆を御すに寬を以てす。罰は嗣に及ぼさず、賞は世に延[およ]ぼす。過てるを宥めて大いなりとすること無く、故を刑するに小しきなること無し。罪の疑わしきは惟れ輕くし、功の疑わしきは惟れ重くす。其の辜[つみ]あらざるを殺さんよりは、寧ろ經[つね]あらざるに失す。生けるを好みするの德、民の心に洽[あまね]し。茲を用て有司を犯さず、と。愆は、過なり。簡は、不煩の謂なり。上煩密なれば、則ち下容るる所無し。御者急促なれば、則ち衆擾亂す。嗣・世は、皆子孫を謂う。然れども嗣は親しくして世は疎きなり。延は、遠く及ぶなり。父子の罪は相及ばずして、賞は則ち遠く世に延ぼす。其の善を善みすることの長くして、惡を惡むことの短きこと此の如し。過は、識らずして誤り犯すなり。故は、之を知って故に犯すなり。過誤の犯す所、大いなりと雖も必ず宥す。忌まずして故に犯すは、小なりと雖も必ず刑す。卽ち上の篇の所謂眚災[せいさい]は肆赦し、怙終は賊刑すという者なり。罪已に定まりて、而して法の中に於て、其の重くす可く輕くす可きに疑い有る者は、則ち輕きに從いて以て之を罰す。功已に定まりて、而して法の中に於て、其の輕くす可く重くす可きに疑い有る者は、則ち重きに從いて以て之を賞す。辜は、罪。經は、常なり。謂ゆる法の以て殺す可く以て殺すこと無かる可き、之を殺せば、則ち恐れらくは辜に非ざるに陷らんことを、之を殺さずんば、恐れらくは輕く縱[ゆる]すに失せんことを。二つの者は皆聖人至公至平の意に非ず。而れども辜あらざる者を殺すは、尤も聖人の忍びざる所なり。故に其の之を殺して彼が生けるを害せんよりは、寧ろ姑く之を全くして、自ら刑を失するの責を受けん。此れ其の仁愛忠厚の至り、皆所謂生けるを好みするの德なり。蓋し聖人の法は盡くすこと有りて、心は則ち窮まり無し。故に其の刑を用い賞を行うに、或は疑う所有るときは、則ち常に法を屈して以て恩を申ねて、法を執るの意をして、以て其の生けるを好みするの德に勝つこと有らしめず。此れ其の本心の壅遏[ようあつ]する所無くして、常の法の外を行うことを得る所以なり。其の流衍洋溢、漸涵浸漬、以て民の心に入ること有るに及んでは、則ち天下の人、愛慕感悅して、善に興起せざること無くして、自ら有司を犯さざるなり。皐陶舜の其の功を美むるを以て、故に此を言いて以て功を其の上に歸す。蓋し敢えて其の褒美の意に當たりて、自ら己が功を謂わざるなり。

△帝曰、俾予從欲以治、四方風動、惟乃之休。民不犯法、而上不用刑者、舜之所欲也。汝能使我如所願欲以治、敎化四達、如風鼓動、莫不靡然。是乃汝之美也。舜又申言以重歎美之。
【読み】
△帝曰く、予をして欲するに從いて以て治めしめ、四方風の動くがごとくなること、惟れ乃の休きなり、と。民法を犯さずして、上刑を用いざる者は、舜の欲する所なり。汝能く我をして願い欲する所の如くにして以て治めしめ、敎化四に達し、風の鼓動するが如く、靡然たらざる莫し。是れ乃ち汝の美なり。舜又申ねて言いて以て重く之を歎美す。

△帝曰、來禹、洚水儆予。成允成功、惟汝賢。克勤于邦、克儉于家、不自滿假、惟汝賢。汝惟不矜、天下莫與汝爭能。汝惟不伐、天下莫與汝爭功。予懋乃德、嘉乃丕績。天之曆數在汝躬。汝終陟元后。洚水、洪水也。古文作降。孟子曰、水逆行、謂之洚水。蓋山崩水渾、下流淤塞。故其逝者輒復反流、而泛濫決溢、洚洞無涯也。其災所起、雖在堯時、然舜旣攝位、害猶未息。故舜以爲天警懼於己。不敢以爲非己之責而自寬也。允、信也。禹奏言而能踐其言。試功而能有其功。所謂成允成功也。禹能如此、則旣賢於人也。而又能勤於王事、儉於私養。此又禹之賢也。有此二美而又能不矜其能、不伐其功。然其功能之實、則自有不可掩者。故舜於此復申命之、必使攝位也。懋、盛大之意。丕、大。績、功也。懋乃德者、禹有是德、而我以爲盛大。嘉乃丕績者、禹有是功、而我以爲嘉美也。曆數者、帝王相繼之次第。猶歲時氣節之先後。汝有盛德大功。故知曆數當歸於汝。汝終當升此大君之位、不可辭也。是時舜方命禹以居攝、未卽天位。故以終陟言也。
【読み】
△帝曰く、來れ禹、洚水予を儆[いまし]む。允を成し功を成すは、惟れ汝の賢なり。克く邦に勤め、克く家に儉[つづま]やかにして、自ら滿假とせざるは、惟れ汝の賢なり。汝惟れ矜[ほこ]らざるも、天下汝と能を爭うもの莫し。汝惟れ伐[ほこ]らざるも、天下汝と功を爭うもの莫し。予れ乃の德を懋[さか]んなりとし、乃の丕績[ひせき]を嘉みす。天の曆數汝の躬に在り。汝終に元后に陟れ。洚水は、洪水なり。古文に降に作る。孟子曰く、水の逆行する、之を洚水と謂う、と。蓋し山崩れ水渾[にご]り、下流淤塞[おそく]す。故に其の逝く者輒[たちま]ち復反流して、泛濫決溢して、洚洞して涯[かぎ]り無し。其の災いの起こる所は、堯の時に在ると雖も、然れども舜旣に位を攝りて、害猶未だ息まず。故に舜以爲えらく、天己を警め懼れしむ、と。敢えて以て己が責に非ずと爲して自ら寬[ゆる]くせず。允は、信なり。禹言を奏して能く其の言を踐む。功を試みて能く其の功有り。所謂允を成し功を成すなり。禹能く此の如くなるときは、則ち旣に人に賢れり。而も又能く王事を勤め、私養に儉やかなり。此れ又禹の賢なり。此の二つの美有りて又能く其の能に矜らず、其の功に伐らず。然も其の功能の實は、則ち自ら掩う可からざる者有り。故に舜此に於て復申ねて之に命じて、必ず位を攝らしむるなり。懋[ぼう]は、盛大の意。丕は、大い。績は、功なり。乃の德を懋んとすとは、禹是の德有りて、我れ以て盛大とす。乃の丕績を嘉みすとは、禹是の功有りて、我れ以て嘉美とす。曆數は、帝王相繼ぐの次第。猶歲時氣節の先後のごとし。汝盛德大功有り。故に知る、曆數當に汝に歸すべきことを。汝終に當に此の大君の位に升るべく、辭す可からず。是の時舜方に禹に命じて以て攝に居らしめ、未だ天位に卽かず。故に終に陟れを以て言えり。

△人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中。心者、人之知覺。主於中而應於外者也。指其發於形氣者而言、則謂之人心、指其發於義理者而言、則謂之道心。人心易私而難公故危。道心難明而易昧故微。惟能精以察之、而不雜形氣之私、一以守之、而純乎義理之正、道心常爲之主、而人心聽命焉、則危者安、微者著。動靜云爲、自無過不及之差、而信能執其中矣。堯之告舜、但曰、允執其中。今舜命禹又推其所以而詳言之。蓋古之聖人、將以天下與人、未嘗不以其治之之法、幷而傳之。其見於經者如此。後之人君、其可不深思而敬守之哉。
【読み】
△人心惟れ危く、道心惟れ微なり。惟れ精しく惟れ一[もっぱ]らにして、允に厥の中を執れ。心は、人の知覺。中に主として外に應ずる者なり。其の形氣に發する者を指して言うときは、則ち之を人心と謂い、其の義理に發する者を指して言うときは、則ち之を道心と謂う。人の心は私なり易くして公なり難き故に危し。道心は明らかにし難くして昧くし易き故に微なり。惟れ能く精しくして以て之を察して、形氣の私を雜えず、一以て之を守りて、義理の正を純らにし、道心常に之が主と爲りて、人の心命を聽くときは、則ち危き者安く、微なる者著る。動靜云爲、自ずから過不及の差い無くして、信に能く其の中を執る。堯の舜に告ぐるに、但曰く、允に其の中を執れ、と。今舜禹に命ずるに又其の所以を推して詳らかに之を言う。蓋し古の聖人、將に天下を以て人に與えんとするに、未だ嘗て其の之を治むるの法を以て、幷せて之を傳えずんばあらず。其の經を見る者此の如し。後の人君、其れ深く思いて之を敬み守らざる可けんや。

△無稽之言勿聽。弗詢之謀勿庸。無稽者、不考於古。弗詢者、不咨於衆。言之無據、謀之自專、是皆一人之私心、必非天下之公論。皆妨政害治之大者也。言、謂泛言。勿聽可矣。謀、謂計事。故又戒其勿用也。上文旣言存心出治之本。此又告之以聽言處事之要。内外相資、而治道備矣。
【読み】
△稽うる無きの言は聽く勿かれ。詢[と]わざるの謀は庸[もち]うる勿かれ。稽うる無しとは、古を考えざるなり。詢わずとは、衆に咨[と]わざるなり。言の據るところ無く、謀の自ら專らなる、是れ皆一人の私心にして、必ず天下の公論に非ず。皆政を妨げ治を害するの大いなる者なり。言は、泛言を謂う。聽くこと勿くして可なり。謀は、事を計るを謂う。故に又戒めらく、其れ用うること勿かれ、と。上の文に旣に心に存して治に出づるの本を言う。此も又之に告ぐるに言を聽き事を處するの要を以てす。内外相資[たす]けて、治道備われり。

△可愛非君、可畏非民。衆非元后何戴。后非衆罔與守邦。欽哉。愼乃有位、敬修其可願。四海困窮、天祿永終。惟口出好興戎。朕言不再。可愛非君乎、可畏非民乎、衆非君、則何所奉戴。君非民、則誰與守邦。欽哉、言不可不敬也。可願、猶孟子所謂可欲。凡可願欲者皆善也。人君當謹其所居之位、敬修其所可願欲者。苟有一毫之不善、生於心、害於政、則民不得其所者多矣。四海之民、至於困窮、則君之天祿、一絕而不復續。豈不深可畏哉。此又極言安危存亡之戒、以深警之。雖知其功德之盛、必不至此、然猶欲其戰戰兢兢、無敢逸豫、而謹之於毫釐之閒。此其所以爲聖人之心也。好、善也。戎、兵也。言發於口、則二者之分、利害之幾、可畏如此。吾之命汝、蓋已審矣。豈復更有他說。蓋欲禹受命而不復辭避也。
【読み】
△愛[めぐ]む可きは君に非ずや、畏る可きは民に非ずや。衆は元后に非ずんば何をか戴かん。后は衆に非ずんば與に邦を守ること罔けん。欽めや。乃の有位を愼み、敬んで其の願う可きを修めよ。四海困窮せば、天祿永く終えん。惟れ口好しみを出だし戎を興す。朕が言再びせず、と。愛む可きは君に非ずや、畏る可きは民に非ずやとは、衆は君に非ずんば、則ち何の奉戴する所あらん。君民に非ずんば、則ち誰と與にか邦を守らん。欽めやとは、言うこころは、敬まずんばある可からざるなり。願う可きとは、猶孟子の所謂欲す可きなり。凡そ願い欲す可き者は皆善なり。人君當に其の居る所の位を謹んで、其の願い欲す可き所の者を敬み修むべし。苟も一毫の不善有りて、心に生り、政を害するときは、則ち民其の所を得ざる者多し。四海の民、困窮に至るときは、則ち君の天祿、一たび絕えて復續かず。豈深く畏る可からざるや。此れ又極めて安危存亡の戒めを言いて、以て深く之を警む。其の功德の盛んなる、必ず此に至らざるを知ると雖も、然れども猶其の戰戰兢兢として、敢えて逸豫すること無くして、之を毫釐の閒に謹まんと欲す。此れ其の聖人の心と爲る所以なり。好は、善きなり。戎は、兵なり。言口に發するときは、則ち二者の分、利害の幾、畏る可きこと此の如し。吾が汝に命ずること、蓋し已に審らかなり。豈復更に他說有らんや。蓋し禹命を受けて復辭避せざることを欲するなり。

△禹曰、枚卜功臣、惟吉之從。帝曰、禹、官占、惟先蔽志、昆命于元龜。朕志先定、詢謀僉同。鬼神其依、龜筮協從。卜不習吉。禹拜稽首固辭。帝曰、毋、惟汝諧。枚卜、歷卜之也。帝之所言、人事已盡、禹不容復辭。但請歷卜有功之臣、而從其吉。冀自有以當之者、而己得遂其辭也。官占、掌占卜之官也。蔽、斷。昆、後。龜、卜。筮、蓍。習、重也。帝言官占之法、先斷其志之所向、然後令之於龜。今我志旣先定、而衆謀皆同。鬼神依順、而龜筮已協從矣。又何用更枚卜乎。況占卜之法、不待重吉也。固辭、再辭也。毋者、禁止之辭。言惟汝可以諧此吉后之位也。
【読み】
△禹曰く、功臣を枚[あまね]く卜いて、惟れ吉きに之れ從わん、と。帝曰く、禹、官占は、惟れ先ず志を蔽[さだ]めて、昆[のち]に元龜に命ず。朕が志先ず定まり、詢謀[じゅんぼう]も僉[みな]同じ。鬼神其れ依り、龜筮協い從えり。卜は吉を習[かさ]ねず、と。禹拜稽首して固辭す。帝曰く、毋かれ、惟れ汝諧[ととの]えよ、と。枚卜は、歷く之を卜うなり。帝の言う所は、人事已に盡きたり、禹復辭す容からず、と。但請う、歷く功有るの臣を卜いて、其の吉きに從わん。冀わくは自ら以て之に當たる者有りて、己其の辭を遂ぐるを得えんことを、と。官占は、占卜を掌るの官なり。蔽は、斷む。昆は、後。龜は、卜。筮は、蓍。習は、重ぬるなり。帝言う、官占の法は、先ず其の志の向かう所を斷めて、然して後に之を龜に令す。今我が志旣に先ず定まりて、衆謀も皆同じ。鬼神も依り順いて、龜筮已に協い從えり。又何を用てか更に枚卜せん。況んや占卜の法は、重ねて吉なるを待たず、と。固辭は、再び辭するなり。毋は、禁止の辭。言うこころは、惟れ汝以て此の吉后の位を諧う可し。

△正月朔旦、受命于神宗。率百官、若帝之初。神宗、堯廟也。蘇氏曰、堯之所從受天下者曰文祖、舜之所從受天下者曰神宗。受天下於人、必告於其人所從受者。禮曰、有虞氏禘黃帝而郊嚳。祖顓頊而宗堯。則神宗爲堯明矣。正月朔旦、禹受攝帝之命于神宗之廟、總率百官、其禮一如帝舜受終之初等事也。
【読み】
△正月朔旦、命を神宗に受く。百官を率い、帝の初めの若し。神宗は、堯の廟なり。蘇氏が曰く、堯の從りて天下を受くる所の者を文祖と曰い、舜の從りて天下を受くる所の者を神宗と曰う。天下を人に受くるときは、必ず其の人の從りて受くる所の者に告す、と。禮に曰く、有虞氏は黃帝を禘して嚳[こく]を郊にす。顓頊[せんぎょく]を祖として堯を宗とす、と。則ち神宗は堯爲ること明らかなり。正月朔旦に、禹帝を攝るの命を神宗の廟に受けて、百官を總べ率いて、其の禮一に帝舜終わりを受くるの初等の事の如し。

△帝曰、咨禹、惟時有苗弗率、汝徂征。禹乃會羣后、誓于師曰、濟濟有衆、咸聽朕命。蠢茲有苗、昏迷不恭、侮慢自賢、反道敗德。君子在野、小人在位。民棄不保。天降之咎。肆予以爾衆士、奉辭伐罪。爾尙一乃心力、其克有勳。蠢、尺尹反。○徂、往也。舜咨嗟言、今天下、惟是有苗之君、不循敎命。汝往征之。征、正也。往正其罪也。會、徵會也。誓、戒也。軍旅曰誓。有會有誓、自唐虞時已然。禮言商作誓、周作會、非也。禹會諸侯之師、而戒誓以征討之意。濟濟、和整衆盛之貌。蠢、動也。蠢蠢然無知之貌。昏、闇。迷、惑也。不恭、不敬也。言苗民昏迷不敬、侮慢於人、妄自尊大、反戾正道、敗壞常德、用舍顚倒、民怨天怒。故我以爾衆士、奉帝之辭、罰苗之罪。爾衆士庶幾同心同力、乃能有功。此上禹誓衆之辭也。林氏曰、堯老而舜攝者二十有八年、舜老而禹攝者十有七年。其居攝也、代總萬機之政。而堯舜之爲天子、蓋自若也。故國有大事、猶稟命焉。禹征有苗、蓋在夫居攝之後、而稟命於舜、禹不敢專也。以征有苗推之、則知舜之誅四凶、亦必稟堯之命無疑。
【読み】
△帝曰く、咨[ああ]禹、惟れ時[こ]の有苗率わず、汝徂いて征せ、と。禹乃ち羣后を會して、師に誓いて曰く、濟濟たる有衆、咸朕が命を聽け。蠢する茲の有苗、昏く迷いて恭しからず、侮り慢りて自ら賢とし、道に反き德を敗る。君子野に在り、小人位に在り。民棄てて保んぜず。天之に咎を降す。肆[ゆえ]に予れ爾衆士を以[い]て、辭を奉[う]け罪を伐つ。爾尙わくは乃の心と力を一にして、其れ克く勳有れ、と。蠢は、尺尹反。○徂は、往くなり。舜咨嗟して言う、今の天下、惟れ是の有苗の君、敎命に循わず。汝往いて之を征せよ、と。征は、正すなり。往いて其の罪を正すなり。會は、徵[め]し會すなり。誓は、戒むなり。軍旅に誓と曰う。會有り誓有ること、唐虞の時より已に然り。禮に言う、商誓を作し、周會を作すとは、非なり。禹諸侯の師を會して、戒め誓うに征討の意を以てす。濟濟は、和整衆盛の貌。蠢は、動くなり。蠢蠢然として知無きの貌。昏は、闇し。迷は、惑うなり。不恭は、不敬なり。言うこころは、苗民昏迷不敬にて、人を侮慢して、妄りに自ら尊大にして、正道を反き戾り、常德を敗り壞り、用舍顚倒して、民怨み天怒る。故に我れ爾衆士を以て、帝の辭を奉けて、苗の罪を罰す。爾衆士庶幾わくは心を同じくし力を同じくして、乃能く功有れ。此より上は禹の衆に誓うの辭なり。林氏が曰く、堯老いて舜攝る者二十有八年、舜老いて禹攝る者十有七年。其の攝に居るや、萬機の政を代わり總ぶ。而して堯舜の天子爲ること、蓋し自若なり。故に國に大事有るときは、猶命を稟く。禹の有苗を征する、蓋し夫の居攝の後に在りて、命を舜に稟くるは、禹敢えて專らにせざればなり。有苗を征するを以て之を推すときは、則ち知る、舜の四凶を誅するも、亦必ず堯の命を稟くること疑い無きを。

△三旬、苗民逆命。益贊于禹曰、惟德動天、無遠弗屆。滿招損、謙受益、時乃天道。帝初于歷山往于田、日號泣于旻天于父母。負罪引慝、祗載見瞽瞍、夔夔齋慄、瞽亦允若。至諴感神、矧茲有苗。禹拜昌言曰、兪。班師振旅。帝乃誕敷文德、舞干羽于兩階。七旬有苗格。屆、音介。旻、音民。諴、音咸。慝、惕德反。矧、音哂。羽、王遇反。○三旬、三十日也。以師臨之閱月、苗頑猶不聽服也。贊、佐。屆、至也。是時益蓋從禹出征。以苗負固恃强未可威服、故贊佐於禹、以爲惟德可以動天。其感通之妙、無遠不至。蓋欲禹還兵、而增修其德也。滿損謙益、卽易所謂天道虧盈而益謙者。帝、舜也。歷山、在河中府河東縣。仁覆閔下、謂之旻。日、非一日也。言舜耕歷山往于田之時、以不獲順於父母之故、而日號呼于旻天于其父母。蓋怨慕之深也。負罪、自負其罪、不敢以爲父母之罪。引慝、自引其慝、不敢以爲父母之慝也。祗、敬。載、事也。瞍、長老之稱。言舜敬其子職之事、以見瞽瞍也。齊、莊敬也。慄、戰慄也。夔夔、莊敬戰慄之容也。舜之敬畏小心、而盡於事親者如此。允、信。若、順也。言舜以誠孝感格、雖瞽瞍頑愚、亦且信順之。卽孟子所謂厎豫也。誠感物曰諴。益又推極至誠之道、以爲神明亦且感格、而況於苗民乎。昌言、盛德之言。拜、所以敬其言也。班、還。振、整也。謂整旅以歸也。或謂出曰班師、入曰振旅。謂班師於有苗之國、而振旅於京師也。誕、大也。文德、文命德敎也。干、楯。羽、翳也。皆舞者所執也。兩階、賓主之階也。七旬、七十日也。格、至也。言班師七旬而有苗來格也。舜之文德、非自禹班師而始敷。苗之來格、非以舞干羽而後至。史臣以禹班師而歸、弛其威武專尙德敎、干羽之舞雍容不迫、有苗之至、適當其時、故作史者、因卽其實、以形容有虞之德。數千載之下、猶可以是而想其一時氣象也。
【読み】
△三旬、苗の民命に逆う。益禹を贊けて曰く、惟れ德の天を動かす、遠しとして屆[いた]らざる無し。滿てるときは損[そ]ぐことを招き、謙るときは益すことを受くは、時れ乃ち天の道なり。帝初め歷山に于て田に往いて、日に旻天に父母に號泣す。罪を負い慝[あ]しきを引き、載を祗[つつし]んで瞽瞍に見え、夔夔[きき]として齋慄せば、瞽も亦允に若[したが]えり。至諴[かん]は神を感ぜしむ、矧んや茲の有苗をや、と。禹昌言を拜して曰く、兪り、と。師を班[かえ]し旅を振[ととの]う。帝乃ち誕[おお]いに文德を敷いて、干羽を兩階に舞わす。七旬にして有苗格る。屆は、音介。旻は、音民。諴は、音咸。慝は、惕德反。矧は、音哂。羽は、王遇反。○三旬は、三十日なり。師を以て之に臨みて月を閱[へ]て、苗頑にして猶聽[したが]い服せず。贊は、佐く。屆は、至るなり。是の時益蓋し禹に從いて出でて征す。苗の固に負い强を恃んで未だ威服す可からざるを以て、故に禹を贊け佐けて、以爲えらく、惟れ德は以て天を動かす可し。其の感通の妙は、遠きとして至らざる無し、と。蓋し禹兵を還して、增々其の德を修めんことを欲す。滿損謙益は、卽ち易に所謂天道は盈を虧きて謙に益すという者なり。帝は、舜なり。歷山は、河中府河東縣に在り。仁覆いて下を閔れむ、之を旻と謂う。日は、一日に非ざるなり。言うこころは、舜歷山に耕し田に往くの時、父母に順なるを獲ざるを以て故に、而も日に旻天に其の父母に號呼す。蓋し怨慕の深きなり。罪を負うとは、自ら其の罪を負いて、敢えて以て父母の罪とせざるなり。慝しきを引くとは、自ら其の慝しきを引いて、敢えて以て父母の慝しきとせざるなり。祗は、敬む。載は、事なり。瞍は、長老の稱。言うこころは、舜其の子職の事を敬んで、以て瞽瞍に見ゆるなり。齊は、莊敬なり。慄は、戰慄なり。夔夔は、莊敬戰慄の容なり。舜の敬畏心を小[せ]めて、親に事るを盡くす者此の如し。允は、信。若は、順うなり。言うこころは、舜の誠孝感格を以て、瞽瞍の頑愚と雖も、亦且つ之を信順せり。卽ち孟子の所謂豫びを厎[いた]すなり。誠の物を感ぜしむるを諴と曰う。益又極めて至誠の道を推して、以爲えらく、神明も亦且つ感格す、而るを況んや苗民に於てをや、と。昌言は、盛德の言。拜は、其の言を敬する所以なり。班は、還る。振は、整うなり。旅を整えて以て歸るを謂うなり。或は出でるを謂いて班師と曰い、入るを振旅と曰う。謂ゆる師を有苗の國より班して、旅を京師に振うなり。誕は、大いなり。文德は、文命德敎なり。干は、楯。羽は、翳[えい]なり。皆舞う者の執る所なり。兩階は、賓主の階なり。七旬は、七十日なり。格は、至るなり。言うこころは、師を班し七旬にして有苗來り格るなり。舜の文德は、禹の師を班して始めて敷くに非ず。苗の來り格るは、干羽を舞うを以て後に至るに非ず。史臣禹の師を班し歸りて、其の威武を弛めて專ら德敎を尙び、干羽の舞雍容にして迫らず、有苗の至ること、適に其の時に當たるを以て、故に史を作る者、因りて其の實に卽いて、以て有虞の德を形容す。數千載の下、猶是を以て其の一時の氣象を想う可し。

○皐陶謨 今文古文皆有。
【読み】
○皐陶謨[こうようぼ] 今文古文皆有り。

曰若稽古皐陶曰、允迪厥德、謨明弼諧。禹曰、兪、如何。皐陶曰、都愼厥身修思永。惇敍九族、庶明勵翼。邇可遠在茲。禹拜昌言曰、兪。稽古之下、卽記皐陶之言者、謂考古皐陶之言如此也。皐陶言、爲君而信蹈其德、則臣之所謀者無不明、所弼者無不諧也。兪、如何者、禹然其言而復問其詳也。都者、皐陶美其問也。愼者、言不可不致其謹也。身修、則無言行之失。思永、則非淺近之謀。厚敍九族、則親親恩篤而家齊矣。庶明勵翼、則羣哲勉輔而國治矣。邇、近。茲、此也。言近而可推之遠者在此道也。蓋身修家齊國治而天下平矣。皐陶此言、所以推廣允迪謨明之義。故禹復兪而然之也。○又按典謨皆稱稽古、而下文所記則異。典主記事。故堯舜皆載其實。謨主記言。故禹皐陶則載其謨。后克艱厥后、臣克艱厥臣、禹之謨也。允迪厥德、謨明弼諧、皐陶之謨也。然禹謨之上增文命敷于四海、祗承于帝者、禹受舜天下、非盡皐陶比例。立言輕重、於此可見。
【読み】
曰若[ここ]に古の皐陶を稽うるに曰く、允に厥の德を迪[ふ]むときは、謨[はか]ること明らかに弼け諧[やわ]らぐ、と。禹曰く、兪り、如何、と。皐陶曰く、都[ああ]愼めば厥の身修まり永きを思う。惇く九族を敍ずれば、庶[もろもろ]明らかに勵み翼[たす]く。邇くして遠かる可きは茲に在り、と。禹昌言を拜して曰く、兪り、と。稽古の下に、卽ち皐陶の言を記す者は、謂ゆる古の皐陶の言を考うるに此の如しとなり。皐陶が言うこころは、君と爲りて信に其の德を蹈むときは、則ち臣の謀る所の者明らかならざる無く、弼くる所の者諧らがざる無し。兪り、如何とは、禹其の言を然りとして復其の詳を問うなり。都は、皐陶其の問いを美むるなり。愼は、言うこころは、其の謹みを致さずんばある可からざるなり。身修まるときは、則ち言行の失無し。永きを思うは、則ち淺近の謀に非ず。厚く九族を敍ずるときは、則ち親を親とし恩篤くして家齊まるなり。庶明らかに勵み翼くときは、則ち羣哲勉輔して國治まるなり。邇は、近し。茲は、此なり。言うこころは、近くして之を遠きに推す可き者は此の道に在り。蓋し身修まり家齊まり國治まりて天下平らかなり。皐陶の此の言は、謨ること明らかなるの義を允に迪み推し廣むる所以。故に禹も復兪りとして之を然りとす。○又按ずるに典謨皆稽古と稱して、下の文に記す所は則ち異なり。典は事を記すを主とす。故に堯舜は皆其の實を載す。謨は言を記すを主とす。故に禹皐陶は則ち其の謨を載す。后克く厥の后たるを艱[かた]しとし、臣克く厥の臣たるを艱しとすは、禹の謨なり。允に厥の德を迪むときは、謨ること明らかに弼け諧らぐは、皐陶の謨なり。然れども禹謨の上に文命四海に敷いて、祗[つつし]んで帝に承くという者を增すは、禹は舜の天下を受け、盡くは皐陶の比例に非ず。立言の輕重、此に於て見る可し。

△皐陶曰、都在知人、在安民。禹曰、吁咸若時、惟帝其難之。知人則哲、能官人。安民則惠、黎民懷之。能哲而惠、何憂乎驩兜。何遷乎有苗。何畏乎巧言令色孔壬。皐陶因禹之兪、而復推廣其未盡之旨。歎美其言謂、在於知人、在於安民、二者而已。知人、智之事。安民、仁之事也。禹曰吁者、歎而未深然之辭也。時、是也。帝、謂堯也。言旣在知人、又在安民、二者兼舉、雖帝堯亦難能之。哲、智之明也。惠、仁之愛也。能哲而惠、猶言能知人而安民也。遷、竄。巧、好。令、善。孔、大也。好其言善其色、而大包藏凶惡之人也。言能哲而惠、則智仁兩盡。雖黨惡如驩兜者、不足憂、昏迷如有苗者、不足遷、與夫好言善色、大包藏姦惡者、不足畏。是三者舉不足害吾之治。極言仁智功用如此其大也。或曰、巧言令色孔壬、共工也。禹言三凶、而不及鯀者、爲親者諱也。○楊氏曰、知人安民、此皐陶一篇之體要也。九德而下、知人之事也。天敍有典而下、安民之道也。非知人而能安民者未之有也。
【読み】
△皐陶曰く、都[ああ]人を知るに在り、民を安んずるに在り、と。禹曰く、吁[ああ]咸時[かく]の若きは、惟れ帝も其れ之を難しとす。人を知るは則ち哲にして、能く人を官[つかさ]す。民を安んずるは則ち惠にして、黎民之に懷[なつ]く。能く哲にして惠ならば、何ぞ驩兜[かんとう]を憂えん。何ぞ有苗を遷さんや。何ぞ言を巧[よ]みし色を令[よ]くして孔[おお]いなる壬[ねじ]けするを畏れん、と。皐陶禹の兪[こた]うるに因りて、復其の未だ盡きざるの旨を推し廣む。其の言を歎美して謂く、人を知るに在り、民を安んずるに在り、二つの者なるのみ、と。人を知るは、智の事。民を安んずるは、仁の事なり。禹曰く吁とは、歎じて未だ深く然りとせざるの辭なり。時は、是れなり。帝は、堯を謂うなり。言うこころは、旣に人を知るに在り、又民を安んずるに在り、二つの者兼ね舉ぐるは、帝堯と雖も亦之を能くし難し。哲は、智の明らかなり。惠は、仁の愛なり。能く哲にして惠とは、猶能く人を知りて民を安んずと言うがごとし。遷は、竄[はな]つ。巧は、好。令は、善。孔は、大いなり。其の言を好みし其の色を善くして、大いに凶惡を包み藏すの人なり。言うこころは、能く哲にして惠ならば、則ち智仁兩つながら盡きたり。黨惡なること驩兜の如き者と雖も、憂うるに足らず、昏迷なること有苗の如き者も、遷すに足らず、夫の言を好みし色を善くして、大いに姦惡を包み藏す者も、畏るるに足らず。是の三つの者は舉[みな]吾が治を害するに足らず。極めて仁智の功用此の如く其れ大いなることを言うなり。或ひと曰く、巧言令色孔壬は、共工なり。禹三凶を言いて、鯀に及ばざる者は、親しき者の爲に諱む、と。○楊氏が曰く、人を知り民を安んずるは、此れ皐陶一篇の體要なり。九德よりして下は、人を知るの事なり。天有典を敍ずよりして下は、民を安んずるの道なり。人を知るに非ずして能く民を安んずる者は未だ之れ有らず、と。

△皐陶曰、都亦行有九德。亦言其人有德、乃言曰、載采采。禹曰、何。皐陶曰、寬而栗、柔而立、愿而恭、亂而敬、擾而毅、直而溫、簡而廉、剛而塞、彊而義、彰厥有常、吉哉。亦、總也。亦行有九德者、總言德之見於行者、其凡有九也。亦言其人有德者、總言其人之有德也。載、行。采、事也。總言其人有德、必言其行某事、某事爲可信驗也。禹曰何者、問其九德之目也。寬而栗者、寬弘而莊栗也。柔而立者、柔順而植立也。愿而恭者、謹愿而恭恪也。亂、治也。亂而敬者、有治才而敬畏也。擾、馴也。擾而毅者、馴擾而果毅也。直而溫者、徑直而溫和也。簡而廉者、簡易而廉隅也。剛而塞者、剛健而篤實也。彊而義者、彊勇而好義也。而、轉語辭也。正言而反應者、所以明其德之不偏。皆指其成德之自然。非以彼濟此之謂也。彰、著也。成德著之於身、而又始終有常、其吉矣哉。
【読み】
△皐陶曰く、都[ああ]亦[すべ]て行うこと九德有り。亦て其の人の德有るを言えば、乃ち言いて曰く、載[おこな]うこと采采たり、と。禹曰く、何ぞや、と。皐陶曰く、寬[ゆた]かにして栗[いつく]しみ、柔らかにして立てり、愿[つつし]みて恭しく、亂[おさ]まりて敬めり、擾[な]れて毅[は]たす、直くして溫[やわ]らげり、簡[たやす]くして廉[かど]あり、剛[こわ]くして塞[み]てり、彊くして義[よ]ろし、彰[あらわ]れて厥れ常有れば、吉いかな。亦は、總てなり。亦て行うこと九德有りとは、總て德の行に見るるは、其れ凡て九つ有るを言うなり。亦て其の人の德有るを言うとは、總て其の人の德有るを言うなり。載は、行う。采は、事なり。總て其の人の德有るを言うは、必ず其れ某の事を行うに、某の事を信驗す可きを爲すを言うなり。禹曰く何ぞやとは、其の九德の目を問うなり。寬にして栗とは、寬弘にして莊栗なり。柔にして立とは、柔順にして植立なり。愿にして恭とは、謹愿にして恭恪なり。亂は、治むるなり。亂にして敬とは、治才有りて敬畏なり。擾は、馴るるなり。擾にして毅とは、馴擾して果毅なり。直にして溫とは、徑直にして溫和なり。簡にして廉とは、簡易にして廉隅なり。剛にして塞とは、剛健にして篤實なり。彊にして義とは、彊勇にして義を好むなり。而は、轉語の辭なり。正言にして反って應ずる者は、其の德の偏らざるを明かす所以。皆其の成德の自然を指す。彼を以て此を濟[わた]すの謂に非ざるなり。彰は、著るなり。成德之を身に著して、又始終常有り、其れ吉なるかな。

△日宣三德、夙夜浚明有家。日嚴祗敬六德、亮采有邦。翕受敷施、九德咸事、俊乂在官、百僚師師、百工惟時、撫于五辰、庶績其凝。浚、音峻。○宣、明也。三德・六德者、九德之中有其三、其六也。浚、治也。亮、亦明也。有家、大夫也。有邦、諸侯也。浚明・亮采、皆言家邦政事明治之義。氣象則有小大之不同。三德而爲大夫、六德而爲諸侯、以德之多寡、職之大小、槩言之也。夫九德有其三、必日宣而充廣之、而使之益以著、九德有其六、尤必日嚴而祗敬之、而使之益以謹也。翕、合也。德之多寡雖不同、人君惟能合而受之、布而用之。如此、則九德之人、咸事其事、大而千人之俊、小而百人之乂、皆在官使、以天下之才、任天下之治。唐虞之朝、下無遺才、而上無廢事者、良以此也。師師、相師法也。言百僚皆相師法、而百工皆及時以趨事也。百僚百工、皆謂百官。言其人之相師、則曰百僚、言其人之趨事、則曰百工、其實一也。撫、順也。五辰、四時也。木火金水旺於四時、而土則寄旺於四季也。禮運曰、播五行於四時者、是也。凝、成也。言百工趨時、而衆功皆成也。
【読み】
△日に三德を宣[あき]らかにして、夙夜浚[おさ]め明らかにすれば家を有つ。日に嚴かに六德を祗み敬んで、采[こと]を亮らかにすれば邦を有つ。翕[あ]わせ受け敷き施して、九德咸事とすれば、俊乂[がい]官に在り、百僚師師し、百工惟れ時とし、五辰に撫[したが]いて、庶績其れ凝[な]らん。浚は、音峻。○宣は、明らかなり。三德・六德は、九德の中に其の三、其の六有るなり。浚は、治むるなり。亮も、亦明らかなり。家を有つは、大夫なり。邦を有つは、諸侯なり。浚明・亮采は、皆家邦政事明治の義を言う。氣象には則ち小大の同じからざる有り。三德にして大夫とし、六德にして諸侯とするは、德の多寡、職の大小を以て、槩ね之を言えり。夫れ九德に其の三有れば、必ず日に宣らかにして之を充ち廣めて、之をして益々以て著さしめ、九德に其の六有れば、尤も必ず日に嚴かにして之を祗み敬んで、之をして益々以て謹ましむ。翕は、合うなり。德の多寡同じからずと雖も、人君惟れ能く合いて之を受けて、布いて之を用ゆ。此の如くなれば、則ち九德の人、咸其の事を事とし、大にして千人の俊、小にして百人の乂、皆官使に在り、天下の才を以て、天下の治を任ず。唐虞の朝、下に遺才無くして、上に廢する事無き者は、良[まこと]に此を以てなり。師師は、相師法とするなり。言うこころは、百僚皆相師法として、百工皆時に及んで以て事に趨[したが]うなり。百僚百工は、皆百官を謂う。其の人の相師とするを言うときは、則ち百僚と曰い、其の人の事に趨うを言うときは、則ち百工と曰い、其の實は一なり。撫は、順うなり。五辰は、四時なり。木火金水は四時に旺んにして、土は則ち四季に寄旺す。禮運に曰く、五行を四時に播[し]くとは、是れなり。凝は、成るなり。言うこころは、百工時に趨いて、衆功皆成るなり。

△無敎逸欲有邦。兢兢業業、一日二日萬幾。無曠庶官。天工人其代之。無與母通。禁止之辭。敎、非必敎令、謂上行而下效也。言天子當以勤儉率諸侯。不可以逸欲導之也。兢兢、戒謹也。業業、危懼也。幾、微也。易曰、惟幾也。故能成天下之務。蓋禍患之幾藏於細微、而非常人之所豫見。及其著也、則雖智者不能善其後。故聖人於幾、則兢業以圖之。所謂圖難於其易、爲大於其細者此也。一日二日者、言其日之至淺。萬幾者、言其幾事之至多也。蓋一日二日之閒、事幾之來且至萬焉、是可一日而縱欲乎。曠、廢也。言不可用非才而使庶官、曠廢厥職也。天工、天之工也。人君代天理物。庶官所治無非天事。苟一職之或曠、則天工廢矣。可不深戒哉。
【読み】
△逸欲を敎うること無きは邦を有つ。兢兢業業として、一日二日に萬幾あり。庶官を曠[むな]しくすること無かれ。天工は人其れ之に代わる。無と母とは通ず。禁止の辭なり。敎は、必ずしも敎令に非ず、謂ゆる上行いて下效うなり。言うこころは、天子は當に勤儉を以て諸侯を率ゆべし。逸欲を以て之を導く可からず。兢兢は、戒謹なり。業業は、危懼なり。幾は、微なり。易に曰く、惟幾をす。故に能く天下の務めを成す、と。蓋し禍患の幾は細微に藏れて、常の人の豫め見る所に非ず。其の著るるに及んでは、則ち智者と雖も其の後を善くすること能わず。故に聖人の幾に於る、則ち兢業として以て之を圖る。所謂難きを其の易きに圖り、大なるを其の細なるに爲すとは此れなり。一日二日は、其の日の至って淺きを言う。萬幾は、其の幾事の至って多きを言うなり。蓋し一日二日の閒、事幾の來り且つ萬に至る、是れ一日として欲を縱にす可けんや。曠は、廢るなり。言うこころは、非才を用いて庶官をして、厥の職を曠廢す可からず。天工は、天の工なり。人君は天に代わり物を理む。庶官の治むる所は天事に非ざる無し。苟も一職の曠しくすること或れば、則ち天工廢る。深く戒めざる可けんや。

△天敍有典。勑我五典、五惇哉。天秩有禮。自我五禮、有庸哉。同寅協恭、和衷哉。天命有德。五服五章哉。天討有罪。五刑五用哉。政事懋哉懋哉。衷、音中。○敍者、君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友之倫敍也。秩者、尊卑貴賤、等級隆殺之品秩也。勑、正。惇、厚。庸、常也。有庸、馬本作五庸。衷、降衷之衷、卽所謂典禮也。典禮雖天所敍秩、然正之使敍倫而益厚、用之使品秩而有常、則在我而已。故君臣當同其寅畏、協其恭敬、誠一無閒、融會流通、而民彛物則、各得其正。所謂和衷也。章、顯也。五服、五等之服。自九章以至一章是也。言天命有德之人、則五等之服以彰顯之。天討有罪之人、則五等之刑以懲戒之。蓋爵賞刑罰、乃人君之政事。君主之、臣用之。當勉勉而不可怠者也。○楊氏曰、典禮自天子出。故言勑我自我。若夫爵人於朝、與衆共之。刑人於市、與衆棄之。天子不得而私焉。此其立言之異也。
【読み】
△天有典を敍ず。我が五典を勑[ただ]しくして、五つながら惇[あつ]くせよ。天有禮を秩ず。我が五禮によりて、庸[つね]有らんや。寅[つつし]みを同じくし恭しきを協えて、和衷ならんや。天有德に命ず。五服もて五つながら章らかにせよ。天有罪を討つ。五刑もて五つながら用いよ。政事懋[つと]めよや懋めよや。衷は、音中。○敍は、君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友の倫敍なり。秩は、尊卑貴賤、等級隆殺の品秩なり。勑は、正す。惇は、厚き。庸は、常なり。有庸は、馬が本に五庸に作る。衷は、降衷の衷、卽ち所謂典禮なり。典禮は天の敍秩する所と雖も、然れども之を正しくして敍倫をして益々厚からしめ、之を用いて品秩をして常有らしむるは、則ち我に在るのみ。故に君臣當に其の寅み畏るるを同じくし、其の恭敬を協えば、誠一にして閒て無く、融會流通して、民彛物則、各々其の正しきを得。所謂和衷なり。章は、顯らかなり。五服は、五等の服。九章より以て一章に至るは是れなり。言うこころは、天有德の人に命じて、則ち五等の服以て之を彰顯す。天有罪の人を討して、則ち五等の刑以て之を懲戒す。蓋し爵賞刑罰は、乃ち人君の政事。君之を主り、臣之を用ゆ。當に勉勉として怠る可からざるべき者なり。○楊氏が曰く、典禮は天子より出づ。故に我を勑しくし我よりと言う。若し夫れ人を朝に爵すれば、衆と之を共にす。人を市に刑すれば、衆と之を棄つ。天子は得て私せず。此れ其の立言の異なり、と。

△天聰明、自我民聰明。天明畏、自我民明威。達于上下。敬哉有土。威、古文作畏。二字通用。明者、顯其善。畏者、威其惡。天之聰明、非有視聽也。因民之視聽、以爲聰明。天之明畏、非有好惡也。因民之好惡、以爲明畏。上下、上天下民也。敬、心無所慢也。有土、有民社也。言天人一理、通達無閒、民心所存卽天理之所在。而吾心之敬、是又合天民而一之者也。有天下者、可不知所以敬之哉。
【読み】
△天の聰明は、我が民によりて聰明なり。天の明畏は、我が民によりて明威なり。上下に達[いた]る。敬めや有土、と。威は、古文に畏に作る。二字通用す。明は、其の善を顯らかにす。畏は、其の惡を威す。天の聰明は、視聽有るに非ず。民の視聽に因りて、以て聰明を爲す。天の明畏は、好惡有るに非ず。民の好惡に因りて、以て明畏を爲す。上下は、上天下民なり。敬は、心の慢る所無きなり。有土は、民の社有るなり。言うこころは、天人一理、通達閒て無く、民心の存する所は卽ち天理の在る所。而して吾が心の敬も、是れ又天民を合わせて之を一にする者なり。天下を有つ者、之を敬む所以を知らざる可けんや。

△皐陶曰、朕言惠、可厎行。禹曰、兪、乃言厎可績。皐陶曰、予未有知。思曰贊贊襄哉。思曰之曰當作日。襄、成也。皐陶謂我所言順於理、可致之於行。禹然其言、以爲致之於行、信可有功。皐陶謙辭。我未有所知。言不敢計功也。惟思日贊助於帝、以成其治而已。
【読み】
△皐陶曰く、朕が言惠[したが]えり、行うことを厎[いた]す可し、と。禹曰く、兪り、乃の言厎して績とす可し、と。皐陶曰く、予れ未だ知ること有らず。日に贊贊として襄[な]さんことを思う、と。思曰の曰は當に日に作るべし。襄は、成すなり。皐陶が謂ゆる我が言う所理に順わば、之を行に致す可し、と。禹其の言を然りとして、以爲えらく、之を行に致さば、信に功有る可し、と。皐陶謙辭す。我れ未だ知る所有らず、と。言敢えて功を計らざるなり。惟思う、日に帝を贊け助けて、以て其の治を成さんのみ、と。

○益稷 今文古文皆有。但今文合於皐陶謨。帝曰、來禹汝亦昌言、正與上篇末文勢接續。古者簡册、以竹爲之。而所編之簡、不可以多。故釐而二之。非有意於其閒也。以下文禹稱益稷二人佐其成功、因以名篇。
【読み】
○益稷[えきしょく] 今文古文皆有り。但今文は皐陶謨に合す。帝曰く、來れ禹汝も亦昌言せよとは、正に上の篇の末の文勢と接續す。古は簡册、竹を以て之を爲る。而して編む所の簡は、以て多くす可からず。故に釐[あらた]めて之を二つにす。其の閒に意有るに非ず。下の文に禹益稷二人の其の成功を佐くるを稱するを以て、因りて以て篇に名づく。

帝曰、來禹、汝亦昌言。禹拜曰、都帝、予何言。予思日孜孜。皐陶曰、吁如何。禹曰、洪水滔天、浩浩懷山襄陵、下民昏墊。予乘四載、隨山刋木、曁益奏庶鮮食。予決九川、距四海、濬畎澮、距川、曁稷播奏庶艱食鮮食。懋遷有無化居、烝民乃粒、萬邦作乂。皐陶曰、兪、師汝昌言。孜、音茲。墊、都念反。畎、古泫反。○孜孜者、勉力不怠之謂。帝以皐陶旣陳知人安民之謨、因呼禹使陳其言。禹拜而歎美。謂皐陶之謨至矣。我更何所言。惟思日勉勉以務事功而已。觀此則上篇禹皐陶答問者、蓋相與言於帝舜之前也。如何者、皐陶問其孜孜者如何也。禹言往者洪水泛溢、上漫于天、浩浩盛大、包山上陵、下民昬瞀墊溺、困於水災、如此之甚也。四載、水乘舟、陸乘車、泥乘輴、山乘樏也。輴、史記作橇、漢書作毳。以板爲之。其狀如箕。擿行泥上。樏、史記作橋、漢書作梮。以鐵爲之。其形似錐。長半寸、施之履下、以上山、不蹉跌也。蓋禹治水之時、乘此四載、以跋履山川、踐行險阻者。隨、循。刋、除也。左傳云、井堙木刋。刋、除木之義也。蓋水涌不洩、泛濫瀰漫、地之平者無非水也。其可見者山耳。故必循山伐木、通蔽障、開道路、而後水工可興也。奏、進也。血食曰鮮。水土未平、民未粒食、與益進衆鳥獸魚鱉之肉於民、使食以充飽也。九川、九州之川也。距、至。濬、深也。周禮一畝之閒、廣尺深尺曰畎、一同之閒、廣二尋深二仭曰澮。畎澮之閒、有遂有溝有洫、皆通田閒水道、以小注大。言畎澮而不及遂・溝・洫者、舉小大以包其餘也。先決九川之水、使各通於海。次濬畎澮之水、使各通于川也。播、布也。謂布種五穀也。艱、難也。水平播種之初、民尙艱食也。懋、勉也。懋勉其民、徙有於無、交易變化其所居積之貨也。烝、衆也。米食曰粒。蓋水患悉平、民得播種之利、而山林川澤之貨、又有無相通以濟匱乏、然後庶民粒食、萬邦興起治功也。禹因孜孜之義、述其治水本末先後之詳、而警戒之意、實存於其閒。蓋欲君臣上下、相與勉力不怠、以保其治於無窮而已。師、法也。皐陶以其言爲可師法也。
【読み】
帝曰く、來れ禹、汝も亦昌言せよ、と。禹拜して曰く、都[ああ]帝、予れ何をか言わん。予れ思いて日に孜孜せん、と。皐陶曰く、吁[ああ]如何、と。禹曰く、洪水天に滔[はびこ]り、浩浩として山を懷[か]ね陵に襄[のぼ]り、下民昏墊[こんてん]す。予れ四載に乘りて、山に隨い木を刋[き]り、益と庶[もろもろ]に奏めて鮮食せしむ。予れ九川を決[さく]り、四海に距[いた]り、畎澮[けんかい]を濬[さら]えて川に距り、稷と播[ほどこ]して庶の食い艱[がた]きに奏めて鮮食せしむ。懋[つと]めて有無を遷して居[おきもの]を化え、烝民乃ち粒し、萬邦乂[おさ]まれるを作す、と。皐陶曰く、兪り、汝の昌言を師[のり]とす、と。孜は、音茲。墊は、都念反。畎は、古泫反。○孜孜は、勉め力めて怠らざるの謂なり。帝皐陶の旣に人を知り民を安んずるの謨を陳ぶるを以て、因りて禹を呼びて其の言を陳べしむ。禹拜して歎美す。謂ゆる皐陶の謨至れり。我れ更に何の言う所あらん。惟思う、日に勉勉として以て事功を務めんのみ、と。此を觀れば則ち上の篇の禹皐陶答問する者、蓋し相與に帝舜の前に言うならん。如何とは、皐陶其の孜孜たる者如何と問うなり。禹言う、往[さき]には洪水泛溢して、上天に漫[はびこ]り、浩浩盛大にして、山を包ね陵に上り、下民昏瞀[こんぼう]墊溺して、水災に困しむこと、此の如く甚だし、と。四載は、水には舟に乘り、陸には車に乘り、泥には輴[そり]に乘り、山には樏[かんじき]に乘るなり。輴は、史記には橇[せい]に作り、漢書には毳[ぜい]に作る。板を以て之を爲る。其の狀は箕の如し。泥の上を擿行[てきこう]す。樏は、史記には橋に作り、漢書には梮[きょく]に作る。鐵を以て之を爲る。其の形は錐に似たり。長さ半寸、之を履の下に施して、以て山に上るに、蹉跌せざるなり。蓋し禹水を治むるの時、此の四載に乘りて、以て山川を跋履し、險阻を踐行する者なり。隨は、循う。刋は、除くなり。左傳に云う、井を堙[ふさ]ぎ木を刋る、と。刋は、木を除く義なり。蓋し水涌いて洩れず、泛濫瀰漫して、地の平らかなる者は水に非ざる無し。其れ見る可き者は山のみ。故に必ず山に循いて木を伐り、蔽障を通じ、道路を開いて、而して後に水工興す可し。奏は、進むなり。血食を鮮と曰う。水土未だ平らかならず、民未だ粒食せず、益と衆の鳥獸魚鱉の肉を民に進めて、食して以て充て飽かしむ。九川は、九州の川なり。距は、至る。濬は、深きなり。周禮に一畝の閒、廣さ尺深さ尺を畎と曰い、一同の閒、廣さ二尋深さ二仭を澮と曰う、と。畎澮の閒に、遂有り溝有り洫有り、皆田閒の水道を通じ、小を以て大に注ぐ。畎澮を言いて遂・溝・洫に及ばざるは、小大を舉げて以て其の餘を包ぬるなり。先ず九川の水を決りて、各々海に通ぜしむ。次に畎澮の水を濬えて、各々川に通ぜしむ。播は、布くなり。五穀を布種するを謂うなり。艱は、難きなり。水平らいで播種の初めは、民尙食し艱し。懋[ぼう]は、勉むるなり。其の民を懋め勉めて、有を無に徙[うつ]し、其の居積する所の貨を交易變化するなり。烝は、衆なり。米食を粒と曰う。蓋し水患悉く平らいで、民播種の利を得て、山林川澤の貨、又有無相通じて以て匱乏を濟[すく]い、然して後に庶民粒食し、萬邦治功を興起す。禹孜孜の義に因りて、其の水を治むる本末先後の詳を述べて、警戒の意、實に其の閒に存す。蓋し君臣上下、相與に勉め力めて怠らずして、以て其の治を無窮に保たんことを欲するのみ。師は、法なり。皐陶其の言を以て師法とす可しとなり。

△禹曰、都帝、愼乃在位。帝曰、兪。禹曰、安汝止、惟幾惟康。其弼直、惟動丕應、徯志以昭受上帝。天其申命用休。禹旣歎美、又特稱帝以告之、所以起其聽也。愼乃有位者、謹其在天子之位也。天位惟艱。一念不謹、或以貽四海之憂。一日不謹、或以致千百年患。帝深然之、而禹又推其所以謹在位之意、如下文所云也。止者、心之所止也。人心之靈、事事物物、莫不有至善之所。而不可遷者。人惟私欲之念、動搖其中、始有昧於理、而不得其所止者。安之云者、順適乎道心之正、而不陷於人欲之危、動靜云爲、各得其當、而無有止而不得其止者。惟幾、所以審其事之發。惟康、所以省其事之安。卽下文庶事康哉之義。至於左右輔弼之臣、又皆盡其繩愆糾繆之職、内外交修、無有不至。若是則是惟無作、作則天下無不丕應。固有先意而徯我者。以是昭受于天。天豈不重命而用休美乎。
【読み】
△禹曰く、都[ああ]帝、乃の位に在るを愼め、と。帝曰く、兪り、と。禹曰く、汝の止まりに安んじ、惟れ幾[きざ]して惟れ康んぜよ。其れ弼けて直きときは、惟れ動いて丕[おお]いに應え、志を徯[ま]ちて以て昭らかに上帝に受く。天其れ申ねて命ずるに休[よ]きを用てせん、と。禹旣に歎美して、又特に帝を稱して以て之に告ぐるは、其の聽を起こす所以なり。乃の位に有るを愼めとは、其の天子の位に在るを謹むなり。天位惟れ艱し。一念謹まざれば、或は以て四海の憂えを貽[のこ]す。一日謹まざれば、或は以て千百年の患えを致す。帝深く之を然りとして、禹も又其の在位を謹む所以の意を推すこと、下の文に云う所の如し。止とは、心の止まる所なり。人心の靈は、事事物物、至善の所有らざる莫し。而して遷る可からざる者なり。人惟れ私欲の念、其の中に動搖すれば、始めて理に昧くして、其の止まる所を得ざる者有り。之を安んずと云うは、道心の正しきに順適して、人欲の危うきに陷らず、動靜云爲、各々其の當たることを得て、止まること有りて其の止まりを得ざる者無し。惟れ幾すとは、其の事の發を審らかにする所以なり。惟れ康んずとは、其の事の安んずるを省みる所以なり。卽ち下の文の庶事康いかなの義なり。左右輔弼の臣に至りて、又皆其の愆[あやま]りを繩[ただ]し繆を糾すの職を盡くし、内外交々修めて、至らざること有る無し。是の若くなれば則ち是れ惟れ作すこと無く、作すときは則ち天下丕いに應ぜざること無し。固に意に先んじて我を徯つ者有り。是を以て昭らかに天に受く。天豈重ねて命ずるに休美を用てせざらんや。

△帝曰、吁臣哉鄰哉、鄰哉臣哉。禹曰、兪。鄰、左右輔弼也。臣以人言、鄰以職言。帝深感上文弼直之語。故曰吁。臣哉鄰哉、鄰哉臣哉、反復歎詠、以見弼直之義。如此其重、而不可忽。禹卽兪而然之也。
【読み】
△帝曰く、吁[ああ]臣なるかな鄰なるかな、鄰なるかな臣なるかな、と。禹曰く、兪り、と。鄰は、左右の輔弼なり。臣は人を以て言い、鄰は職を以て言う。帝深く上の文の弼直の語を感ず。故に吁と曰う。臣なるかな鄰なるかな、鄰なるかな臣なるかなとは、反復歎詠して、以て弼直の義を見す。此の如く其れ重くして、忽にす可からず。禹卽ち兪りとして之を然りとす。

△帝曰、臣作朕股肱耳目。予欲左右有民。汝翼。予欲宣力四方。汝爲。予欲觀古人之象。日・月・星辰・山・龍・華蟲作會、宗彝・藻・火・粉米・黼・黻、絺繡以五采、彰施于五色、作服。汝明。予欲聞六律・五聲・八音、在治忽、以出納五言。汝聽。黼、音甫。黻、音弗。出、尺類反。○此言臣所以爲鄰之義也。君、元首也。君資臣以爲助。猶元首須股肱耳目以爲用也。下文翼・爲・明・聽、卽作股肱耳目之義。左右者、輔翼也。猶孟子所謂輔之翼之使自得之也。宣力者、宣布其力也。言我欲左右有民、則資汝以爲助、欲宣力四方、則資汝以有爲也。象、像也。日月以下物象是也。易曰、黃帝堯舜埀衣裳而天下治、蓋取諸乾坤、則上衣下裳之制、創自黃帝而成於堯舜也。日月星辰、取其照臨也。山、取其鎭也。龍、取其變也。華蟲、雉也。取其文也。會、繪也。宗彝、虎蜼。取其孝也。藻、水草。取其潔也。火、取其明也。粉米、白米。取其養也。黼、若斧形。取其斷也。黻、爲兩己相背。取其辨也。絺、鄭氏讀爲黹。紩也。紩以爲繡也。日也、月也、星辰也、山也、龍也、華蟲也、六者繪之於衣。宗彝也、藻也、火也、粉米也、黼也、黻也、六者繡之於裳。所謂十二章也。衣之六章、其序自上而下、裳之六章、其序自下而上。采者、靑黃赤白黑也。色者言施之於繪帛也。繪於衣、繡於裳、皆雜施五采、以爲五色也。汝明者、汝當明其小大尊卑之差等也。又按周禮、以日月星辰畫於旂、冕服九章、登龍於山、登火於宗彝、以龍山華蟲火宗彝五者繪於衣、以藻粉黼黻四者繡於裳、袞冕九章、以龍爲首、鷩冕七章、以華蟲爲首、毳冕五章、以虎蜼爲首。蓋亦增損有虞之制而爲之耳。六律、陽律也。不言六呂者、陽統陰也。有律而後有聲。有聲而後八音得以依據。故六律五聲八音、言之敍如此也。在、察也。忽、治之反也。聲音之道與政通。故審音以知樂、審樂以知政。而治之得失可知也。五言者、詩歌之協於五聲者也。自上達下謂之出、自下達上謂之納。汝聽者、言汝當審樂而察政治之得失者也。
【読み】
△帝曰く、臣は朕が股肱耳目作[た]り。予れ有民を左右せんと欲す。汝翼けよ。予れ力を四方に宣べんと欲す。汝爲せよ。予れ古人の象を觀んと欲す。日・月・星辰・山・龍・華蟲會[えが]くことを作し、宗彝・藻・火・粉米・黼・黻、繡を絺[ぬ]うに五采を以てし、彰らかに五色を施して、服と作[せ]ん。汝明らかにせよ。予れ六律・五聲・八音を聞いて、治まり忽[みだ]るを在[あき]らかにして、以て五つの言を出だし納れんと欲す。汝聽け。黼は、音甫。黻は、音弗。出は、尺類反。○此れ臣は鄰爲る所以の義を言うなり。君は、元首なり。君は臣に資[よ]りて以て助けを爲す。猶元首の股肱耳目を須[もち]いて以て用を爲すがごとし。下の文の翼・爲・明・聽は、卽ち股肱耳目の義作り。左右は、輔翼なり。猶孟子の所謂之を輔け之を翼けて自ら之を得せしむというがごとし。力を宣ぶるとは、其の力を宣べ布くなり。言うこころは、我れ有民を左右せんと欲するときは、則ち汝に資りて以て助けを爲し、力を四方に宣べんと欲するときは、則ち汝に資りて以て爲すこと有るなり。象は、像なり。日月以下の物象是れなり。易に曰く、黃帝堯舜衣裳を埀れて天下治まるは、蓋し諸を乾坤に取るならんとは、則ち上衣下裳の制、黃帝より創まりて堯舜に成るなり。日月星辰は、其の照臨を取れり。山は、其の鎭まれるを取れり。龍は、其の變を取れり。華蟲は、雉なり。其の文を取れり。會は、繪くなり。宗彝は、虎と蜼[さる]。其の孝を取れり。藻は、水草。其の潔きを取れり。火は、其の明を取れり。粉米は、白米。其の養を取れり。黼は、斧の形の若し。其の斷てるを取れり。黻は、兩己相背くを爲す。其の辨れるを取れり。絺は、鄭氏讀んで黹[ち]とす。紩[ちつ]なり。紩以て繡を爲すなり。日や、月や、星辰や、山や、龍や、華蟲や、六つの者は之を衣に繪く。宗彝や、藻や、火や、粉米や、黼や、黻や、六つの者は之を裳に繡す。所謂十二章なり。衣の六章は、其の序は上よりして下、裳の六章は、其の序は下よりして上なり。采は、靑黃赤白黑なり。色は之を繒帛[そうはく]に施すを言うなり。衣に繪き、裳に繡すること、皆五采を雜え施して、以て五色を爲すなり。汝明らかにせよとは、汝當に其の小大尊卑の差等を明らかにすべしとなり。又按ずるに周禮に、日月星辰を以て旂[はた]に畫き、冕服九章は、龍を山に登[あ]げ、火を宗彝に登げ、龍山華蟲火宗彝の五つの者を以て衣に繪き、藻粉黼黻の四つの者を以て裳に繡し、袞冕九章は、龍を以て首めと爲し、鷩[へつ]冕七章は、華蟲を以て首めと爲し、毳[ぜい]冕五章は、虎蜼を以て首と爲す、と。蓋し亦有虞の制を增損して之を爲すのみ。六律は、陽律なり。六呂と言わざるは、陽は陰を統ぶればなり。律有りて後に聲有り。聲有りて後に八音以て依り據ることを得。故に六律五聲八音と、言の敍此の如し。在は、察らかにするなり。忽は、治の反なり。聲音の道は政と通ず。故に音を審らかにして以て樂を知り、樂を審らかにして以て政を知る。而して治の得失知る可し。五言とは、詩歌の五聲に協える者なり。上より下に達するを之を出と謂い、下より上に達するを之を納と謂う。汝聽けとは、言うこころは、汝當に樂を審らかにして政治の得失を察らかにすべしという者なり。

△予違、汝弼。汝無面從、退有後言。欽四鄰。違、戾也。言我有違戾於道、爾當弼正其失。爾無面諛以爲是、而背毀以爲非。不可不敬爾鄰之職也。申結上文弼直鄰哉之義、而深責之禹者如此。
【読み】
△予れ違わば、汝弼けよ。汝面從して、退いて後言有ること無かれ。四鄰を欽め。違は、戾るなり。言うこころは、我れ道に違い戾ること有らば、爾當に弼けて其の失を正すべし。爾面諛して以て是と爲して、背き毀てて以て非と爲すこと無かれ。爾鄰たるの職を敬まずんばある可からず。申ねて上の文の弼け直くし鄰なるかなの義を結んで、深く之を禹に責むる者此の如し。

△庶頑讒說、若不在時、侯以明之、撻以記之、書用識哉。欲竝生哉。工以納言、時而颺之、格則承之庸之、否則威之。識、音志。颺、音揚。否、俯久反。○此因上文而慮庶頑讒說之不忠不直也。讒說、卽舜所堲者。時、是也。在是、指忠直爲言。侯、射侯也。明者、欲明其果頑愚讒說與否也。蓋射所以觀德。頑愚讒說之人、其心不正、則形乎四體、布乎動靜、其容體必不能比於禮、其節奏必不能比於樂、其中必不能多。審如是、則其爲頑愚讒說也必矣。周禮王大射、則供虎侯・熊侯・豹侯、諸侯供熊侯・豹侯、卿大夫供麋侯、皆設其鵠。又梓人爲侯、廣與崇方三分其廣、而鵠居一焉。應古制亦不相遠也。撻、扑也。卽扑作敎刑者、蓋懲之使記而不忘也。識、誌也。錄其過惡以識于册。如周制郷黨之官、以時書民之孝悌睦婣有學者也。聖人不忍以頑愚讒說而遽棄之、用此三者之敎。啓其憤、發其悱、使之遷善改過、欲其竝生於天地之閒也。工、掌樂之官也。格、有恥且格之格。謂改過也。承、薦也。聖人於庶頑讒說之人、旣有以啓發其憤悱遷善之心、而又命掌樂之官、以其所納之言、時而颺之、以觀其改過與否。如其改也、則進之用之。如其不改、然後刑以威之。以見聖人之敎、無所不極其至。必不得已焉、而後威之。其不忍輕於棄人也如此。此卽龍之所典、而此命伯禹總之也。
【読み】
△庶頑讒說、若し時[ここ]に在[あき]らかならずんば、侯以て之を明らかにし、撻以て之を記し、書用て識さん。竝び生かさんことを欲す。工以て言を納れ、時にして之を颺[あ]げ、格れば則ち之を承[すす]め之を庸[もち]い、否[しか]らざれば則ち之を威せ、と。識は、音志。颺[よう]は、音揚。否は、俯久反。○此れ上の文に因りて庶頑讒說の不忠不直を慮るなり。讒說は、卽ち舜の堲[にく]む所の者。時は、是れなり。是に在らかとは、忠直を指して言とす。侯は、射侯なり。明とは、其の果たして頑愚讒說なるか否らざるかを明らかにせんと欲するなり。蓋し射は德を觀す所以。頑愚讒說の人、其の心正しからざれば、則ち四體に形れ、動靜に布き、其の容體は必ず禮に比すこと能わず、其の節奏は必ず樂に比すこと能わず、其の中ること必ず多きこと能わず。是の如く審らかなるときは、則ち其の頑愚讒說爲ること必せり。周禮に王大射するときは、則ち虎侯・熊侯・豹侯を供し、諸侯は熊侯・豹侯を供し、卿大夫は麋[び]侯を供して、皆其の鵠を設く、と。又梓人侯を爲るに、廣さと崇さとは方に其の廣さを三分にして、鵠一に居る。應に古制も亦相遠からざるべし。撻は、扑[むちう]つなり。卽ち扑の敎刑を作すは、蓋し之を懲らして記して忘れざらしむるなり。識は、誌なり。其の過惡を錄して以て册に識す。周の制の郷黨の官の、時を以て民の孝悌睦婣[ぼくいん]學有る者を書くが如し。聖人頑愚讒說を以て遽に之を棄つるに忍びず、此の三つの者の敎を用ゆ。其の憤を啓き、其の悱[ひ]を發し、之をして善に遷り過ちを改めしめて、其の天地の閒に竝び生かんさことを欲するなり。工は、樂を掌るの官なり。格は、恥有りて且つ格るの格。過ちを改むるを謂うなり。承は、薦むなり。聖人庶頑讒說の人に於て、旣に以て其の憤悱善に遷るの心を啓發すること有りて、又樂を掌るの官に命じて、其の納るる所の言を以て、時として之を颺げて、以て其の過ちを改むると否とを觀る。如し其れ改むるときは、則ち之を進めて之を用ゆ。如し其れ改めずして、然して後に刑以て之を威す。以て聖人の敎、其の至りを極めざる所無きを見す。必ず已むことを得ずして、後に之を威す。其の輕く人を棄つるに忍びざること此の如し。此れ卽ち龍が典たる所にして、此れ伯禹に命じて之を總ぶるなり。

△禹曰、兪哉。帝光天之下、至于海隅蒼生。萬邦黎獻、共惟帝臣。惟帝時舉。敷納以言、明庶以功、車服以庸、誰敢不讓、敢不敬應。帝不時、敷同日奏罔功。兪哉者、蘇氏曰、與春秋傳公曰諾哉意同。口然而心不然之辭也。隅、角也。蒼生者、蒼蒼然而生。視遠之義也。獻、賢也。黎獻者、黎民之賢者也。共、同。時、是也。敷納者、下陳而上納也。明庶者、明其衆庶也。禹雖兪帝之言、而有未盡然之意。謂庶頑讒說加之以威、不若明之以德。使帝德光輝達於天下、海隅蒼生之地、莫不昭灼。德之遠著如此、則萬邦黎民之賢、孰不感慕興起。而皆有帝臣之願、惟帝時舉而用之爾。敷納以言而觀其蘊、明庶以功而考其成、旌能命德以厚其報。如此、則誰敢不讓於善、敢不精白一心、敬應其上。而庶頑讒說、豈足慮乎。帝不如是、則今任用之臣、遠近敷同、率爲誕慢、日進於無功矣。豈特庶頑讒說爲可慮哉。
【読み】
△禹曰く、兪らんや。帝天の下に光[て]らば、海隅蒼生に至らん。萬邦の黎獻、共に惟れ帝の臣なり。惟れ帝時[こ]れ舉げよ。敷き納るるに言を以てし、庶を明らかにするに功を以てし、車服庸を以てせば、誰か敢えて讓らざらん、敢えて敬んで應えざらん。帝時[かく]のごとくならざれば、敷き同じくして日に功罔きに奏[すす]まん。兪哉は、蘇氏が曰く、春秋傳の公曰く諾と意同じ、と。口に然りとして心に然らざるの辭なり。隅は、角なり。蒼生とは、蒼蒼然として生ず。遠きを視るの義なり。獻は、賢なり。黎獻は、黎民の賢者なり。共は、同じ。時は、是れなり。敷き納るるとは、下陳べて上納るるなり。庶を明らかにすとは、其の衆庶を明らかにするなり。禹帝の言を兪りとすと雖も、而れども未だ盡くは然りとせざるの意有り。謂ゆる庶頑讒說之に加うるに威を以てせんよりは、若かず、之を明らかにするに德を以てするには。帝の德をして光輝天下に達して、海隅蒼生の地まで、昭灼せざること莫し。德の遠く著るること此の如きときは、則ち萬邦の黎民の賢、孰か感慕興起せざらん。而して皆帝臣の願い有り、惟れ帝時を舉げて之を用いんのみ。敷き納るるに言を以てして其の蘊を觀、庶を明らかにするに功を以てして其の成れるを考え、能を旌し德に命じて以て其の報いを厚くす。此の如くなるときは、則ち誰か敢えて善を讓らざらん、敢えて一心を精白にして、敬んで其の上に應ぜざらん。而して庶頑讒說、豈慮るに足らんや。帝是の如くならざるときは、則ち今任用するの臣、遠近敷き同じくして、率[こぞ]って誕慢を爲し、日に功無きに進まん。豈特り庶頑讒說を慮る可しとせんや。

△無若丹朱傲、惟慢遊是好、傲虐是作、罔晝夜頟頟、罔水行舟、朋淫于家、用殄厥世。予創若時、娶于塗山、辛・壬・癸・甲。啓呱呱而泣、予弗子、惟荒度土功、弼成五服、至于五千、州十有二師。外薄四海、咸建五長、各迪有功。苗頑弗卽工。帝其念哉。帝曰、迪朕德、時乃功惟敍。皐陶方祗厥敍、方施象刑惟明。頟、鄂格反。呱、音狐。○漢志、堯處子朱於丹淵爲諸侯。丹、朱之國名也。頟頟、不休息之狀。罔水行舟、如奡盪舟之類。朋淫者、朋比小人、而淫亂于家也。殄、絕也。世者、世堯之天下也。丹朱不肖、堯以天下與舜而不與朱。故曰殄世。程子曰、夫聖莫聖於舜。而禹之戒舜、至曰無若丹朱好慢遊、作傲虐。且舜之不爲慢遊傲虐、雖愚者亦當知之。豈以禹而不知乎。蓋處崇高之位、所以儆戒者當如是也。創、懲也。禹自言懲丹朱之惡、而不敢以慢遊也。塗山、國名。在今壽春縣東北。禹娶塗山氏之女也。辛壬癸甲、四日也。禹娶塗山、甫及四日、卽往治水也。啓、禹之子。呱呱、泣聲。荒、大也。言娶妻生子。皆有所不暇顧念。惟以大相度平治水土之功爲急也。孟子言、禹八年於外、三過其門而不入是也。五服、甸・侯・綏・要・荒也。言非特平治水土、又因地域之遠近、以輔成五服之制也。疆理宇内、乃人君之事、非人臣之所當專者。故曰弼成也。五千者、每服五百里、五服之地、東西南北相距五千里也。十二師者、每州立十二諸侯、以爲之師、使之相牧以糾羣后也。薄、迫也。九州之外、迫於四海、每方各建五人、以爲之長而統率之也。聖人經理之制、其詳内略外者如此。卽、就也。謂十二師五長、内而侯牧、外而蕃夷、皆蹈行有功。惟三苗頑慢不率、不肯就工。帝當憂念之也。帝言四海之内蹈行我之德敎者、是汝功惟敍之故。其頑而弗率者、則皐陶方敬承汝之功敍、方施象刑惟明矣。曰明者、言其刑罰當罪、可以畏服乎人也。上文禹之意、欲舜弛其鞭扑之威、益廣其文敎之及。而帝以禹之功敍、旣已如此、而猶有頑不卽工如苗民者。是豈刑法之所可廢哉。或者乃謂、苗之凶頑、六師征之。猶且逆命。豈皐陶象刑之所能致。是未知聖人兵刑之敍、與帝舜治苗之本末也。帝之此言、乃在禹未攝位之前。非徂征後事。蓋威以象刑、而苗猶不服。然後命禹征之。征之不服、以益之諫、而又增修德敎。及其來格、然後分背之。舜之此言、雖在三謨之末、而實則禹未攝位之前也。
【読み】
△丹朱が傲り、惟れ慢遊是れ好み、傲虐是れ作して、晝夜と罔く頟頟[がくがく]として、水罔きに舟を行[や]り、家に朋淫し、用て厥の世を殄[た]つが若くなること無かれ。予れ時[かく]の若くなるに創[こ]りて、塗山に娶るに、辛・壬・癸・甲なり。啓呱呱[ここ]として泣けども、予れ子[いつく]しまず、惟れ荒[おお]いに土功を度り、弼けて五服を成し、五千に至り、州に十有二師あり。外は四海に薄[いた]るまで、咸五長を建て、各々功有るを迪[ふ]めり。苗頑にして工に卽かず。帝其れ念えや、と。帝曰く、朕が德を迪むは、時[こ]れ乃の功惟れ敍であればなり。皐陶方に厥の敍を祗[つつし]んで、方に象刑を施すこと惟れ明らかなり、と。頟は、鄂格反。呱は、音狐。○漢志に、堯子朱を丹淵に處して諸侯とす、と。丹は、朱の國の名なり。頟頟は、休息せざるの狀。水罔きに舟を行るとは、奡[ごう]舟を盪[お]すの類の如し。朋淫は、小人に朋比して、家に淫亂するなり。殄[てん]は、絕つなり。世とは、堯の天下を世ぐなり。丹朱不肖にして、堯天下を以て舜に與えて朱に與えず。故に世を殄つと曰う。程子が曰く、夫れ聖は舜より聖なるは莫し。而して禹の舜を戒むるに、丹朱の若く慢遊を好み、傲虐を作すこと無かれと曰うに至る。且つ舜の慢遊傲虐をせざることは、愚者と雖も亦當に之を知るべし。豈禹を以てして知らざらんや。蓋し崇高の位に處りて、儆[いまし]め戒むる所以の者當に是の如くなるべし。創は、懲りるなり。禹自ら言う、丹朱の惡に懲りて、敢えて以て慢遊せず、と。塗山は、國の名。今の壽春縣の東北に在り。禹塗山氏の女を娶るなり。辛壬癸甲は、四日なり。禹塗山に娶りて、甫めて四日に及び、卽ち往いて水を治む。啓は、禹の子。呱呱は、泣く聲。荒は、大いなり。言うこころは、妻を娶りて子を生む。皆顧念に暇あらざる所有り。惟大いに水土を平治するの功を相度ることを以て急とす。孟子言う、禹外に八年、三たび其の門を過ぎて入らずとは是れなり。五服は、甸[でん]・侯・綏[すい]・要・荒なり。言うこころは、特り水土を平治するのみに非ず、又地域の遠近に因りて、以て五服の制を輔け成すなり。宇内を疆理するは、乃ち人君の事、人臣の當に專らにすべき所の者に非ず。故に弼成と曰うなり。五千は、服每に五百里、五服の地は、東西南北相距たること五千里なり。十二師は、州每に十二の諸侯を立てて、以て之が師とし、之をして相牧して以て羣后を糾さしむるなり。薄は、迫るなり。九州の外、四海に迫るまで、方每に各々五人を建てて、以て之を長として之を統べ率ゆるなり。聖人經理の制、其の内を詳にし外を略にする者此の如し。卽は、就くなり。謂ゆる十二師五長は、内にして侯牧、外にして蕃夷、皆蹈み行いて功有り。惟三苗のみ頑慢にして率わず、肯えて工に就かず。帝當に之を憂え念うべし。帝言う、四海の内我が德敎を蹈み行う者は、是れ汝が功惟れ敍であるの故なり。其れ頑にして率わざる者は、則ち皐陶方に敬んで汝が功敍を承け、方に象刑を施すこと惟れ明らかなり。明と曰うは、言うこころは、其れ刑罰罪に當たりて、以て人を畏服す可し。上の文の禹の意は、舜其の鞭扑の威を弛くして、其の文敎の及ぶことを益し廣めんと欲す。而して帝禹の功敍、旣已に此の如くなるを以てして、猶頑にして工に卽かざる苗民の如き者有り。是れ豈刑法の廢す可き所ならんや。或る者乃ち謂う、苗の凶頑、六師之を征す。猶且つ命に逆う。豈皐陶象刑の能く致す所ならんや、と。是れ未だ聖人兵刑の敍と、帝舜苗を治むるの本末とを知らざるなり。帝の此の言は、乃ち禹の未だ位を攝らざるの前に在り。徂いて征するの後の事に非ず。蓋し威すに象刑を以てして、苗猶服せず。然して後に禹に命じて之を征す。之を征して服せず、益の諫めを以てして、又增々德敎を修む。其の來り格るに及んで、然して後に之を分背す。舜の此の言、三謨の末に在ると雖も、實は則ち禹未だ位を攝らざるの前ならん。

△夔曰、戛擊鳴球、搏拊琴瑟、以詠、祖考來格。虞賓在位、羣后德讓。下管・鼗鼓、合止柷・敔、笙・鏞以閒、鳥獸蹌蹌。簫韶九成、鳳皇來儀。戛、訖點反。鼗、音桃。柷、昌六反。敔、偶許反。○戛擊、考擊也。鳴球、玉磬名也。搏、至。拊、循也。樂之始作、升歌於堂上、則堂上之樂、惟取其聲之輕淸者、與人聲相比。故曰以詠。蓋戛擊鳴球、搏拊琴瑟、以合詠歌之聲也。格、神之格思之格。虞賓、丹朱也。堯之後爲賓於虞、猶微子作賓於周也。丹朱在位、與助祭羣后、以德相讓、則人無不和可知矣。下、堂下之樂也。管、猶周禮所謂陰竹之管、孤竹之管、孫竹之管也。鼗鼓、如鼓而小、有柄。持而搖之、則旁耳自擊。柷敔、郭璞云、柷如漆桶。方二尺四寸、深一尺八寸。中有椎柄、連底撞之、令左右擊。敔、狀如伏虎。背上有二十七鉏鋙刻、以籈櫟之。籈長一尺、以木爲之。始作也、擊柷以合之。及其將終也、則櫟敔以止之。蓋節樂之器也。笙、以匏爲之。列管於匏中、又施簧於管端。鏞、大鐘也。葉氏曰、鐘與笙相應者曰笙鐘、與歌相應者曰頌鐘。頌或謂之鏞。詩賁鼓維鏞是也。大射禮、樂人宿縣于阼階東、笙磬西面。其南笙鐘。西階之西、頌磬東面。其南頌鐘。頌鐘卽鏞鐘也。上言以詠、此言以閒、相對而言。蓋與詠歌迭奏也。郷飮酒禮云、歌鹿鳴、笙南陔、閒歌魚麗、笙由庚。或其遺制也。蹌蹌、行動之貌。言樂音不獨感神人、至於鳥獸無知、亦且相率而舞蹌蹌然也。簫、古文作箾。舞者所執之物。說文云、樂名箾韶。季札觀周樂、見舞韶箾者、則箾韶蓋舜樂之總名也。今文作簫。故先儒誤以簫管釋之。九成者、樂之九成也。功以九敍。故樂以九成。九成、猶周禮所謂九變也。孔子曰、樂者象成者也。故曰成。鳳凰、羽族之靈者。其雄爲鳳、其雌爲凰。來儀者、來舞而有容儀也。戛擊鳴球、搏拊琴瑟、以詠、堂上之樂也。下管鼗鼓、合止柷敔、笙鏞以閒、堂下之樂也。唐孔氏曰、樂之作也、依上下而遞奏、閒合而後曲成。祖考尊神。故言於堂上之樂。鳥獸微物。故言於堂下之樂。九成致鳳、尊異靈瑞。故別言之。非堂上之樂、獨致神格、堂下之樂、偏能舞獸也。或曰、笙之形如鳥翼。鏞之虡爲獸形。故於笙鏞以閒、言鳥獸蹌蹌。風俗通曰、舜作簫笙以象鳳。蓋因其形聲之似、以狀其聲樂之和。豈眞有鳥獸鳳凰而蹌蹌來儀者乎。曰、是未知聲樂感通之妙也。瓠巴鼓瑟、而游魚出聽、伯牙鼓琴、而六馬仰秣。聲之致祥召物、見於傳者多矣。況舜之德、致和於上、夔之樂、召和於下。其格神人舞獸鳳、豈足疑哉。今按季札觀周樂、見舞韶箾者、曰、德至矣盡矣。如天之無不覆、如地之無不載。雖甚盛德、蔑以加矣。夫韶樂之奏、幽而感神、則祖考來格、明而感人、則羣后德讓。微而感物、則鳳儀獸舞。原其所以能感召如此者、皆由舜之德、如天地之無不覆燾也。其樂之傳、歷千餘載、孔子聞之於齊、尙且三月不知肉味。曰、不圖、爲樂之至於斯。則當時感召、從可知矣。又按此章、夔言作樂之效。其文自爲一段、不與上下文勢相屬。蓋舜之在位五十餘年、其與禹・皐陶・夔・益、相與答問者多矣。史官取其尤彰明者、以詔後世。則是其所言者自有先後。史官集而記之。非其一日之言也。諸儒之說、自皐陶謨至此篇末、皆謂文勢相屬。故其說牽合不通。今皆不取。
【読み】
△夔[き]曰く、鳴球を戛擊[かつげき]し、琴瑟を搏拊[はくふ]して、以て詠ずれば、祖考來り格る。虞賓位に在り、羣后德もて讓れり。下に管・鼗[とう]鼓、合わせ止むる柷[しゅく]・敔[ぎょ]あり、笙[せい]・鏞[よう]以て閒[まじ]われば、鳥獸蹌蹌[そうそう]たり。簫韶[しょうしょう]九成すれば、鳳皇來り儀[のり]あり、と。戛は、訖點反。鼗は、音桃。柷は、昌六反。敔は、偶許反。○戛擊は、考擊なり。鳴球は、玉磬の名なり。搏は、至る。拊は、循るなり。樂の始めて作る、堂上に升歌すれば、則ち堂上の樂、惟れ其の聲の輕く淸める者を取りて、人の聲と相比す。故に以て詠ずと曰う。蓋し鳴球を戛擊し、琴瑟を搏拊して、以て詠歌の聲に合わすなり。格は、神の格るの格なり。虞賓は、丹朱なり。堯の後虞に賓爲ること、猶微子が周に賓と作るがごとし。丹朱位に在りて、祭を助くる羣后と、德を以て相讓るときは、則ち人和せざること無きこと知る可し。下は、堂下の樂なり。管は、猶周禮に所謂陰竹の管、孤竹の管、孫竹の管のごとし。鼗鼓は、鼓の如くしにて小さく、柄有り。持ちて之を搖らせば、則ち旁らの耳自ら擊つ。柷敔は、郭璞が云う、柷は漆桶の如し。方二尺四寸、深さ一尺八寸。中に椎柄有り、底に連ねて之を撞[う]てば、左右をして擊たしむ。敔は、狀は伏せる虎の如し。背の上に二十七の鉏鋙の刻み有り、籈[しん]を以て之を櫟[う]つ。籈は長さ一尺、木を以て之を爲る。始めて作すとき、柷を擊ちて以て之を合わす。其の將に終えんとするに及んで、則ち敔を櫟ちて以て之を止む。蓋し樂を節するの器なり。笙は、匏を以て之を爲る。管を匏の中に列ね、又簧[した]を管の端に施す。鏞は、大鐘なり。葉氏が曰く、鐘と笙と相應ずる者を笙鐘と曰い、歌と相應ずる者を頌鐘と曰う。頌或は之を鏞と謂う。詩に賁鼓維れ鏞とは是れなり。大射禮に、樂人宿して阼階の東に縣げ、笙磬は西に面す。其の南は笙鐘なり。西階の西に、頌磬東に面す。其の南は頌鐘なり。頌鐘は卽ち鏞鐘なり、と。上には以て詠ずと言い、此には以て閒うと言うは、相對して言う。蓋し詠歌と迭[たが]いに奏するなり。郷飮酒禮に云う、鹿鳴を歌いて、南陔を笙し、魚麗を閒歌して、由庚を笙す、と。或は其の遺制ならん。蹌蹌は、行動の貌。言うこころは、樂の音獨り神人を感ずるにあらず、鳥獸の知ること無きに至るまで、亦且つ相率いて舞うこと蹌蹌然たり。簫は、古文に箾[しょう]に作る。舞う者執る所の物なり。說文に云う、樂を箾韶と名づく、と。季札周の樂を觀るに、韶箾を舞う者を見るとは、則ち箾韶は蓋し舜の樂の總名なり。今文は簫に作る。故に先儒誤りて簫管を以て之を釋す。九成は、樂の九成なり。功九を以て敍ず。故に樂九を以て成す。九成は、猶周禮の所謂九變のごとし。孔子曰く、樂は成に象る者なり、と。故に成と曰う。鳳凰は、羽族の靈なる者。其の雄を鳳とし、其の雌を凰とす。來儀は、來り舞いて容儀有るなり。鳴球を戛擊し、琴瑟を搏拊して、以て詠ずるは、堂上の樂なり。下に管鼗鼓、合わせ止むる柷敔あり、笙鏞以て閒うるは、堂下の樂なり。唐の孔氏が曰く、樂の作ること、上下に依りて遞[たが]いに奏し、閒え合って而して後に曲成る。祖考は尊神。故に堂上の樂を言う。鳥獸は微物。故に堂下の樂を言う。九成の鳳を致すは、尊異の靈瑞なり。故に別に之を言う。堂上の樂は、獨り神の格ることを致し、堂下の樂は、偏に能く獸を舞すに非ず、と。或ひと曰く、笙の形は鳥の翼の如し。鏞の虡[きょ]は獸の形を爲す。故に笙鏞以て閒うるに於て、鳥獸蹌蹌たりと言う、と。風俗通に曰く、舜簫笙を作りて以て鳳に象る。蓋し其の形聲の似たるに因りて、以て其の聲樂の和するに狀る。豈眞に鳥獸鳳凰而も蹌蹌として來儀する者有らんや、と。曰く、是れ未だ聲樂感通の妙を知らず、と。瓠巴瑟を鼓ちて、游魚出でて聽き、伯牙琴を鼓ちて、六馬仰いで秣[まぐさ]くらう。聲の祥を致し物を召くこと、傳に見る者多し。況んや舜の德、和を上に致し、夔の樂、和を下に召く。其の神人を格し獸鳳を舞すこと、豈疑うに足らんや。今按ずるに季札周の樂を觀るに、韶箾を舞う者を見て、曰く、德至れり盡くせり。天の覆わざること無きが如く、地の載せざること無きが如し。甚だ盛んなる德と雖も、以て加うること蔑[な]からん、と。夫れ韶樂の奏は、幽にして神を感ずるときは、則ち祖考來り格り、明にして人を感ずるときは、則ち羣后德もて讓る。微にして物を感ずるときは、則ち鳳儀とし獸舞う。其の能く感召する所以此の如き者を原[たず]ぬるに、皆舜の德の、天地の覆い燾[て]らさざること無きが如くなるに由る。其の樂の傳、千餘載を歷て、孔子之を齊に聞きて、尙且つ三月肉の味を知らず。曰く、圖らざりき、樂を爲ることの斯に至らんとは、と。則ち當時の感召、從りて知る可し。又按ずるに此の章、夔が樂を作るの效を言う。其の文自ずから一段と爲り、上下の文勢と相屬せず。蓋し舜の位に在ること五十餘年、其の禹・皐陶・夔・益と、相與に答問する者多し。史官其の尤も彰明なる者を取りて、以て後世に詔[つ]ぐ。則ち是れ其の言う所の者自ずから先後有らん。史官集めて之を記す。其の一日の言に非ず。諸儒の說、皐陶謨より此の篇の末に至りて、皆謂う、文勢相屬す、と。故に其の說牽合して通ぜず。今皆取らず。

△夔曰、於予擊石拊石、百獸率舞、庶尹允諧。重擊曰擊、輕擊曰拊。石、磬也。有大磬、有編磬、有歌磬、磬有小大。故擊有輕重。八音獨言石者、蓋石音屬角、最難諧和。記曰、磬以立辨。夫樂以合爲主。而石聲獨立辨者、以其難和也。石聲旣和、則金・絲・竹・匏・土・革・木之聲、無不和者矣。詩曰、旣和且平、依我磬聲、則知言石者、總樂之和而言之也。或曰、王振之也者、終條理之事。故舉磬以終焉。上言鳥獸、此言百獸者、考工記曰、天下大獸五、脂者、膏者、臝者、羽者、鱗者。羽鱗總可謂之獸也。百獸舞、則物無不和可知矣。尹、正也。庶尹者、衆百官府之長也。允諧者、信皆和諧也。庶尹諧、則人無不和可知矣。
【読み】
△夔曰く、於[ああ]予れ石を擊ち石を拊[う]てば、百獸率い舞い、庶尹允に諧[やわ]らぐ、と。重く擊つを擊と曰い、輕く擊つを拊と曰う。石は、磬なり。大磬有り、編磬有り、歌磬有り、磬に小大有り。故に擊つに輕重有り。八音獨り石を言うは、蓋し石の音は角に屬し、最も諧[ととの]い和らぎ難し。記に曰く、磬は以て辨を立つ、と。夫れ樂は合うを以て主とす。而も石聲獨り辨を立つるは、其の和し難きを以てなり。石聲旣に和せば、則ち金・絲・竹・匏・土・革・木の聲、和せざる者無し。詩に曰く、旣に和らぎ且つ平らかにして、我が磬の聲に依れりとは、則ち知る、石を言うは、樂の和を總べて之を言うことを。或ひと曰く、王のごとくに振[ととの]うとは、條理を終えるの事。故に磬を舉げて以て焉を終う、と。上には鳥獸と言い、此には百獸と言うは、考工記に曰く、天下の大獸五つ、脂ある者、膏ある者、臝[ら]なる者、羽ある者、鱗ある者、と。羽鱗總べて之を獸と謂う可し。百獸舞うときは、則ち物として和せざる無きこと知る可し。尹は、正なり。庶尹は、衆[もろもろ]の百官府の長なり。允に諧らぐとは、信に皆和らぎ諧うなり。庶尹諧らぐときは、則ち人和せざる無きこと知る可し。

△帝庸作歌曰、勑天之命、惟時惟幾。乃歌曰、股肱喜哉、元首起哉、百工煕哉。皐陶拜手稽首、颺言曰、念哉。率作興事、愼乃憲。欽哉。屢省乃成、欽哉。乃賡載歌曰、元首明哉、股肱良哉、庶事康哉。又歌曰、元首叢脞哉、股肱惰哉、萬事墮哉。帝拜曰、兪、往欽哉。明、音芒。脞、取果反。○庸、用也。歌、詩歌也。勑、戒勑也。幾、事之微也。惟時者、無時而不戒勑也。惟幾者、無事而不戒勑也。蓋天命無常。理亂安危相爲倚伏。今雖治定功成、禮備樂和、然頃刻謹畏之不存、則怠荒之所自起、毫髪幾微之不察、則禍患之所自生。不可不戒也。此舜將欲作歌、而先述其所以歌之意也。股肱、臣也。元首、君也。人臣樂於趨事赴功、則人君之治、爲之興起、而百官之功皆廣也。拜手稽首者、首至手又至地也。大言而疾曰颺。率、總率也。皐陶言、人君當總率羣臣以起事功、又必謹其所守之法度。蓋樂於興事者易至於紛更。故深戒之也。屢、數也。興事而數考其成、則有課功覈實之效、而無誕謾欺蔽之失。兩言欽哉者、興事考成、二者皆所當深敬、而不可忽者也。此皐陶將欲賡歌、而先述其所以歌之意也。賡、續。載、成也。續帝歌以成其義也。皐陶言君明、則臣良、而衆事皆安。所以勤之也。叢脞、煩碎也。惰、懈怠也。墮、傾圮也。言君行臣職、煩瑣細碎、則臣下懈怠、不肯任事、而萬事廢壞。所以戒之也。舜作歌而責難於臣。皐陶賡歌而責難於君。君臣之相責難者如此。有虞之治茲所以爲不可及也歟。帝拜者、重其禮也。重其禮、然其言、而曰、汝等往治其職。不可以不敬也。林氏曰、舜與皐陶之賡歌、三百篇之權輿也。學詩者、當自此始。
【読み】
△帝庸[もっ]て歌を作りて曰く、天の命を勑[つつし]んで、惟れ時をし惟れ幾しをす、と。乃ち歌いて曰く、股肱喜いかな、元首起これるかな、百工煕[ひろ]まるかな、と。皐陶拜手稽首し、颺[よう]言して曰く、念えや。率い作こして事を興し、乃の憲を愼め。欽めや。屢々乃の成れるを省みて、欽めや、と。乃ち賡[つ]いで歌を載[な]して曰く、元首明らかなるかな、股肱良いかな、庶事康いかな、と。又歌いて曰く、元首叢脞[そうざ]なるかな、股肱惰れるかな、萬事墮[やぶ]れるかな、と。帝拜して曰く、兪り、往き欽めや、と。明は、音芒。脞は、取果反。○庸は、用てなり。歌は、詩歌なり。勑は、戒勑なり。幾は、事の微なり。惟れ時をすとは、時として戒勑せざること無きなり。惟れ幾しをすとは、事として戒勑せざること無きなり。蓋し天命は常無し。理亂安危倚伏を相爲す。今治定まり功成り、禮備わり樂和すと雖も、然れども頃刻も謹み畏るることの存さざるときは、則ち怠荒の自りて起こる所にて、毫髪幾微の察せざるときは、則ち禍患の自りて生る所なり。戒めずんばある可からず。此れ舜將に歌を作らんと欲して、先ず其の之を歌う所以の意を述ぶ。股肱は、臣なり。元首は、君なり。人臣事に趨き功に赴くことを樂しむときは、則ち人君の治、之が爲に興起して、百官の功皆廣まる。拜手稽首とは、首手に至りて又地に至るなり。大言して疾きを颺と曰う。率は、總べ率いるなり。皐陶が言う、人君當に羣臣を總べ率いて以て事功を起こし、又必ず其の守る所の法度を謹むべし、と。蓋し事を興すを樂しむ者は紛更に至り易し。故に深く之を戒むなり。屢は、數々なり。事を興して數々其の成れるを考うるときは、則ち功を課し實を覈[かく]にするの效有りて、誕謾欺蔽の失無し。兩び欽哉と言う者は、事を興し成れるを考うる、二つの者は皆當に深く敬むべき所にして、忽にす可からざる者なればなり。此れ皐陶將に歌を賡がんと欲して、先ず其の之を歌う所以の意を述ぶるなり。賡は、續ぐ。載は、成すなり。帝の歌を續いで以て其の義を成すなり。皐陶が言うこころは、君明なるときは、則ち臣良くして、衆事皆安し。之を勤むる所以なり。叢脞は、煩碎なり。惰は、懈怠なり。墮は、傾き圮[やぶ]るるなり。言うこころは、君臣の職を行い、煩瑣細碎なるときは、則ち臣下懈怠して、肯えて事に任ぜずして、萬事廢壞す。之を戒むる所以なり。舜歌を作りて難きを臣に責む。皐陶歌を賡いで難きを君に責む。君臣の難きを相責むる者此の如し。有虞の治茲れ及ぶ可からずとする所以か。帝拜すとは、其の禮を重んずるなり。其の禮を重んじ、其の言を然りとして、曰く、汝等往いて其の職を治めよ。以て敬まずんばある可からず、と。林氏が曰く、舜と皐陶の賡歌[こうか]とは、三百篇の權輿なり、と。詩を學ぶ者、當に此より始むべし。

書經卷之二  蔡沉集傳

夏書 夏、禹有天下之號也。書凡四篇。禹貢作於虞時。而繫之夏書者、禹之王以是功也。
【読み】
夏書[かしょ] 夏は、禹の天下を有つの號なり。書は凡て四篇。禹貢は虞の時に作る。而るを之を夏書に繫ぐるは、禹の王たるは是の功を以てなればなり。

禹貢 上之所取、謂之賦、下之所供、謂之貢。是篇有貢有賦。而獨以貢名篇者、孟子曰、夏后氏五十而貢。貢者、較數歲之中、以爲常。則夏后氏田賦之總名。今文古文皆有。
【読み】
禹貢[うこう] 上の取る所、之を賦と謂い、下の供する所、之を貢と謂う。是の篇貢有り賦有り。而るを獨り貢を以て篇に名づくるは、孟子曰く、夏后氏は五十にして貢す、と。貢は、數歲の中を較べて、以て常とす。則ち夏后氏田賦の總名なり。今文古文皆有り。

禹敷土、隨山刋木、奠高山大川。敷、分也。分別土地、以爲九州也。奠、定也。定高山大川、以別州境也。若兗之濟河、靑之海岱、揚之淮海、雍之黑水西河、荆之荆衡、徐之海岱淮、豫之荆河、梁之華陽黑水、是也。方洪水橫流不辨區域。禹分九州之地、隨山之勢相其便宜、斬木通道以治之。又定其山之高者、與其川之大者、以爲之紀綱。此三者、禹治水之要。故作書者首述之。○曾氏曰、禹別九州、非用其私智。天文地理、區域各定。故星土之法、則有九野。而在地者、必有高山大川爲之限隔。風氣爲之不通、民生其閒亦各異族。故禹因高山大川之所限者、別爲九州、又定其山之高峻、水之深大者、爲其州之鎭。秩其祭而使其國主之也。
【読み】
禹土を敷[わか]ち、山に隨い木を刋[き]り、高山大川を奠[さだ]む。敷は、分かつなり。土地を分別して、以て九州とす。奠は、定むるなり。高山大川を定めて、以て州境を別つなり。兗の濟河、靑の海岱、揚の淮海、雍の黑水西河、荆の荆衡、徐の海岱淮、豫の荆河、梁の華陽黑水の若き、是れなり。洪水橫流するに方りて區域を辨えず。禹九州の地を分かち、山の勢に隨い其の便宜を相[み]、木を斬り道を通じて以て之を治む。又其の山の高き者と、其の川の大いなる者とを定めて、以て之が紀綱とす。此の三つの者は、禹水を治むるの要なり。故に書を作る者首めに之を述ぶ。○曾氏が曰く、禹九州を別つは、其の私智を用うるに非ず。天文地理、區域各々定まる。故に星土の法は、則ち九野有り。而して地に在る者は、必ず高山大川有りて之が限隔を爲す。風氣之が爲に通ぜず、民其の閒に生まれて亦各々族を異にす。故に禹高山大川の限る所の者に因りて、別ちて九州とし、又其の山の高峻、水の深大なる者を定めて、其の州の鎭とす。其の祭を秩で其の國をして之を主らしむ。

△冀州、冀州、帝都之地。三面距河。兗河之西、雍河之東、豫河之北。周禮職方、河内曰冀州是也。八州皆言疆界、而冀不言者、以餘州所至可見。晁氏曰、亦所以尊京師、示王者無外之意。
【読み】
△冀州より、冀州は、帝都の地。三面河に距[いた]る。兗河の西、雍河の東、豫河の北なり。周禮の職方に、河内を冀州と曰うとは是れなり。八州皆疆界を言いて、冀に言わざるは、餘州の至る所を以て見る可し。晁氏が曰く、亦京師を尊ぶ所以にして、王者に外無きの意を示す、と。

△旣載壺口。經始治之、謂之載。壺口、山名。漢地志、在河東郡北屈縣東南。今隰州吉郷縣也。○今按旣載云者、冀州帝都之地。禹受命治水所始、在所當先。經始壺口等處、以殺河勢。故曰旣載。然禹治水施功之序、則皆自下流始。故次兗次靑、次徐次揚、次荆次豫、次梁次雍。兗最下。故所先。雍最高。故獨後。禹言、予決九川距四海、濬畎澮距川。卽其用工之本末、先決九川之水以距海、則水之大者有所歸。又濬畎澮以距川、則水之小者有所泄。皆自下流以疎殺其勢。讀禹貢之書、求禹功之序、當於此詳之。
【読み】
△旣に壺口を載[はじ]む。經始して之を治むる、之を載と謂う。壺口は、山の名。漢の地志に、河東郡の北屈縣の東南に在り、と。今の隰州吉郷縣なり。○今按ずるに旣に載むと云うは、冀州は帝都の地。禹命を受けて水を治むることの始むる所は、當に先んずべき所在り。壺口等の處に經始して、以て河勢を殺[そ]ぐ。故に旣に載むと曰う。然も禹水を治め功を施すの序は、則ち皆下流より始む。故に次は兗次は靑、次は徐次は揚、次は荆次は豫、次は梁次は雍なり。兗は最も下れり。故に先んずる所なり。雍は最も高し。故に獨り後にす。禹言う、予れ九川を決[さく]りて四海に距り、畎澮[けんかい]を濬[さら]えて川に距る、と。卽ち其の工を用うるの本末、先ず九川の水を決りて以て海に距るときは、則ち水の大いなる者歸す所有り。又畎澮を濬えて以て川に距るときは、則ち水の小しき者泄[まじ]うる所有り。皆下流よりして以て其の勢いを疎[さく]り殺ぐ。禹貢の書を讀んで、禹功の序を求めば、當に此に於て之を詳らかにすべし。

△治梁及岐。梁・岐、皆冀州山。梁山、呂梁山也。在今石州離石縣東北。爾雅云、梁山晉望。則冀州呂梁也。呂不韋曰、龍門未闢、呂梁未鑿、河出孟門之上。又春秋、梁山崩。左氏穀梁、皆以爲晉山。則亦指呂梁矣。酈道元謂、呂梁之石崇竦河流激盪、震動天地。此禹旣事壺口、乃卽治梁也。岐山、在今汾州介休縣。狐岐之山、勝水所出。東北流注于汾。酈道元云、後魏於胡岐置六壁、防離石諸胡。因爲大鎭。今六壁城在勝水之側、實古河逕之險阨。二山河水所經、治之所以開河道也。先儒以爲雍州梁岐者非是。
【読み】
△梁及び岐を治む。梁・岐は、皆冀州の山。梁山は、呂梁の山なり。今石州離石縣の東北に在り。爾雅に云う、梁山は晉の望、と。則ち冀州の呂梁なり。呂不韋が曰く、龍門未だ闢けず、呂梁未だ鑿せず、河孟門の上に出づ、と。又春秋に、梁山崩る、と。左氏穀梁に、皆以て晉山とす。則ち亦呂梁を指すなり。酈道元が謂う、呂梁の石崇く竦[そび]えて河流激盪[げきとう]し、天地を震動す。此れ禹旣に壺口を事とし、乃ち卽ち梁を治むるなり。岐山は、今の汾州介休縣に在り。狐岐の山は、勝水の出づる所なり。東北に流れて汾に注ぐ。酈道元が云う、後魏胡岐に於て六壁を置いて、離石の諸胡を防ぐ。因りて大鎭とす、と。今の六壁城は勝水の側[ほとり]に在り、實に古の河逕の險阨[けんあい]なり。二山河水の經る所、之を治めて河道を開く所以なり。先儒以て雍州の梁岐とする者は是に非ず。

△旣修太原、至于岳陽。修、因鯀之功而修之也。廣平曰原。今河東路太原府也。岳、太岳也。周職方、冀州其山鎭曰霍山。地志謂、霍太山卽太岳。在河東郡彘縣東、今晉州霍邑也。山南曰陽。卽今岳陽縣地也。堯之所都。揚子雲冀州箴曰、岳陽是都、是也。蓋汾水出於太原、經於太岳、東入于河。此則導汾水也。
【読み】
△旣に太原を修めて、岳の陽[みなみ]に至る。修むとは、鯀の功に因りて之を修むるなり。廣く平らかなるを原と曰う。今の河東路太原府なり。岳は、太岳なり。周の職方に、冀州其の山鎭を霍山と曰う、と。地志に謂う、霍太山は卽ち太岳、と。河東郡彘[てい]縣の東に在り、今の晉州の霍邑なり。山の南を陽と曰う。卽ち今の岳陽縣の地なり。堯の都する所なり。揚子雲が冀州の箴に曰う、岳陽是れ都というは、是れなり。蓋し汾水は太原より出でて、太岳を經て、東して河に入る。此れ則ち汾水を導くなり。

△覃懷厎績、至於衡漳。覃懷、地名。地志河内郡有懷縣。今懷州也。曾氏曰、覃懷、平地也。當在孟津之東、太行之西。淶水出乎其西、淇水出乎其東。方洪水懷山襄陵之時、而平地致功爲難。故曰厎績。衡漳、水名。衡、古橫字。地志漳水二。一出上黨沾縣大黽谷。今平定軍樂平縣少山也。名爲淸漳。一出上黨長子縣鹿谷山。今潞州長子縣發鳩山也。名爲濁漳。酈道元謂之衡水。又謂之橫水。東至鄴合淸漳、東北至阜城入北河。鄴、今潞州涉縣也。阜城、今定遠軍東光縣也。○又按桑欽云、二漳異源而下流相合、同歸于海。唐人亦言、漳水能獨達于海、請以爲瀆。而不云入河者、蓋禹之導河、自洚水・大陸、至碣石入于海。本隨西山下東北去。周定王五年、河徙砱礫、則漸遷、而東漢初漳猶入河。其後河徙日東、而取漳水益遠。至欽時河自大伾而下。已非故道。而漳自入海矣。故欽與唐人所言者如此。
【読み】
△覃懷[たんかい]より績を厎[いた]して、衡漳[こうしょう]に至る。覃懷は、地の名。地志に河内郡に懷縣有り、と。今の懷州なり。曾氏が曰く、覃懷は、平地なり、と。當に孟津の東、太行の西に在るべし。淶[らい]水其の西より出でて、淇[き]水其の東より出づ。洪水山を懷[か]ね陵に襄[のぼ]るの時に方りて、平地功を致すこと難きとす。故に績を厎すと曰う。衡漳は、水の名。衡は、古の橫の字なり。地志に漳水は二つ。一つは上黨沾[てん]縣の大黽[べん]谷より出づ。今の平定軍樂平縣の少山なり。名づけて淸漳とす。一つは上黨長子縣の鹿谷山より出づ。今の潞[ろ]州長子縣の發鳩山なり。名づけて濁漳とす、と。酈道元が之を衡水と謂う。又之を橫水と謂う。東は鄴[ぎょう]に至りて淸漳に合い、東北して阜城に至りて北河に入る。鄴は、今の潞州涉縣なり。阜城は、今の定遠軍東光縣なり。○又按ずるに桑欽が云う、二漳は源を異にして下流相合いて、同じく海に歸す、と。唐人も亦言う、漳水能く獨り海に達し、請けて以て瀆を爲す、と。而るに河に入ると云わざるは、蓋し禹の河を導くは、洚水・大陸より、碣石[けっせき]に至りて海に入る。本西山の下[ふもと]に隨いて東北に去る。周の定王の五年、河砱礫[れいれき]に徙[うつ]るときは、則ち漸く遷りて、東漢の初めも漳は猶河に入る。其の後河の徙ること日に東して、漳水を取ること益々遠し。欽が時に至りて河大伾[ひ]よりして下る。已に故道に非ず。而して漳自ずから海に入る。故に欽と唐人との言う所の者此の如し。

△厥土惟白壤。漢孔氏曰、無塊曰壤。顏氏曰、柔土曰壤。夏氏曰、周官大司徒、辨十有二壤之物、而知其種、以敎稼穡樹藝、以土均之法、辨五物九等、制天下之地征。則夫敎民樹藝、與因地制貢、固不可不先於辨土也。然辨土之宜有二。白以辨其色、壤以辨其性也。蓋草人糞壤之法、騂剛用牛、赤緹用羊、墳壤用麋、渴澤用鹿。糞治田疇、各因色性而辨其所當用也。曾氏曰、冀州之土、豈皆白壤。云然者、土會之法、從其多者論也。
【読み】
△厥の土は惟れ白壤なり。漢の孔氏が曰く、塊無きを壤と曰う、と。顏氏が曰く、柔土を壤と曰う、と。夏氏が曰く、周官の大司徒に、十有二壤の物を辨えて、其の種を知りて、以て稼穡樹藝を敎え、土均の法を以て、五物九等を辨え、天下の地征を制す、と。則ち夫れ民に樹藝を敎うると、地に因りて貢を制すると、固に辨土を先んぜずんばある可からず。然も辨土の宜は二つ有り。白は以て其の色を辨え、壤は以て其の性を辨う。蓋し草人糞壤の法、騂剛[せいごう]に牛を用い、赤緹[せきてい]に羊を用い、墳壤に麋[おおじか]を用い、渴澤に鹿を用う。田疇を糞[つちか]い治むるに、各々色性に因りて其の當に用うべき所を辨う、と。曾氏が曰く、冀州の土は、豈皆白壤ならんや。然[しか]云う者は、土會の法、其の多き者に從りて論ずればなり、と。

△厥賦惟上上錯。厥田惟中中。賦、田所出穀米兵車之類。錯、雜也。賦第一等、而錯出第二等也。田第五等也、賦高於田四等者、地廣而人稠也。林氏曰、冀州先賦後田者、冀王畿之地、天子所自治、倂與場圃・園田・漆林之類而征之。如周官載師所載。賦非盡出於田也。故以賦屬于厥土之下。餘州皆田之賦也。故先田而後賦。又按九州九等之賦、皆每州歲入總數、以九州多寡相較而爲九等。非以是等田而責其出是等賦也。冀獨不言貢篚者、冀天子封内之地、無所事於貢篚也。
【読み】
△厥の賦は惟れ上の上にして錯[まじ]われり。厥の田は惟れ中の中なり。賦は、田の出だす所の穀米兵車の類なり。錯は、雜わるなり。賦第一等にして、第二等を錯え出だす。田は第五等にして、賦の田四等より高き者は、地廣くして人稠[おお]ければなり。林氏が曰く、冀州賦を先にして田を後にする者は、冀は王畿の地にて、天子自ら治むる所、場圃・園田・漆林の類とを倂せて之を征す。周官の載師に載る所の如し。賦は盡く田より出づるに非ず。故に賦を以て厥の土の下に屬す。餘の州は皆田の賦なり。故に田を先にして賦を後にす、と。又按ずるに九州九等の賦は、皆每州の歲入の總數は、九州の多寡を以て相較べて九等とす。是れ等の田を以て其の是れ等の賦を出だすことを責むるに非ず。冀獨り貢篚[こうひ]と言わざるは、冀は天子の封内の地、貢篚を事とする所無ければなり。

△恆・衛旣從。大陸旣作。恆・衛、二水名。恆水、地志出常山郡上、曲陽縣。恆山・北谷、在今定州曲陽縣西北恆山也。東入滱水。薛氏曰、東流合滱水、至瀛州高陽縣入易水。晁氏曰、今之恆水、西南流至眞定府行唐縣、東流入于滋水、又南流入于衡水。非古逕矣。衛水、地志出常山郡靈壽縣東北。卽今眞定府靈壽縣也。東入滹沱河。蘇氏曰、東北合滹沱河、過信安軍入易水。從、從其道也。大陸、孫炎曰、鉅鹿北廣阿澤。河所經也。程氏曰、鉅鹿去古河絕遠。河未嘗逕邢以行。鉅鹿之廣河非是。按爾雅、高平曰陸。大陸云者、四無山阜。曠然平地。蓋禹河自澶相以北、皆行西山之麓。故班・馬・王橫皆謂、載之高地。卽古河之在具冀、以及枯洚之南、率皆穿西山、踵趾以行。及其已過信洚之北、則西山勢斷、曠然四平。蓋以此地謂之大陸。乃與下文北至大陸者合。故隋改趙之昭慶、以爲大陸縣、唐又割鹿城置陸渾縣。皆疑鉅鹿之大陸不與河應、而亦求之向北之地。杜佑・李吉甫以爲、邢・趙・深三州爲大陸者得之。作者、言可耕治。水患旣息、而平地之廣衍者亦可耕治也。恆・衛水小而地遠。大陸地平而近河。故其成功於田賦之後。
【読み】
△恆・衛旣に從えり。大陸旣に作れり。恆・衛は、二水の名。恆水は、地志に常山郡の上[ほとり]、曲陽縣より出づ、と。恆山・北谷は、今の定州曲陽縣の西北の恆山に在り。東して滱水[こうすい]に入る。薛氏が曰く、東流して滱水に合い、瀛[えい]州高陽縣に至りて易水に入る、と。晁氏が曰く、今の恆水は、西南に流れて眞定府行唐縣に至りて、東流して滋水に入り、又南流して衡水に入る。古の逕に非ず、と。衛水は、地志に常山郡靈壽縣の東北より出づ、と。卽ち今の眞定府靈壽縣なり。東は滹沱[こた]河に入る。蘇氏が曰く、東北して滹沱河に合い、信安軍を過ぎて易水に入る、と。從は、其の道に從うなり。大陸は、孫炎が曰く、鉅鹿の北廣阿澤なり。河の經る所なり、と。程氏が曰く、鉅鹿の古の河を去ること絕[はなは]だ遠し。河未だ嘗て邢を逕[へ]て以て行かず。鉅鹿の廣河は是れに非ず、と。爾雅を按ずるに、高平を陸と曰う。大陸と云う者は、四に山阜無し。曠然たる平地なり。蓋し禹の河は澶相[せんそう]より以て北、皆西山の麓を行く。故に班・馬・王橫皆謂う、之を高地に載[はじ]む、と。卽ち古の河の具冀に在りて、以て枯洚の南に及び、率ね皆西山を穿ちて、踵趾以て行く。其の已に信洚の北を過ぐるに及んで、則ち西山勢い斷ちて、曠然として四平らかなり。蓋し此の地を以て之を大陸と謂う。乃ち下の文の北して大陸に至る者と合う。故に隋趙の昭慶を改めて、以て大陸縣とし、唐も又鹿城を割きて陸渾縣を置く。皆疑うらくは鉅鹿の大陸は河と應ぜずして、亦之を向北の地に求む。杜佑・李吉甫以爲えらく、邢・趙・深の三州を大陸とする者は之を得たり、と。作とは、言うこころは、耕治す可きなり。水患旣に息んで、平地の廣衍なる者亦耕治す可きなり。恆・衛は水小にして地遠し。大陸は地平らかにして河に近し。故に其の成功は田賦の後に於てす。

△島夷皮服。海曲曰島。海島之夷、以皮服來貢也。
【読み】
△島夷皮服す。海曲を島と曰う。海島の夷、皮服を以て來貢す。

△夾右碣石、入于河。碣石、地志在北平郡驪城縣、西南河口之地。今平州之南也。冀州北方貢賦之來、自北海入河、南向西轉、而碣石在其右轉屈之閒。故曰夾右也。程氏曰、冀爲帝都。東西南三面距河。他州貢賦、皆以達河爲至。故此三方亦不必書、而其北境則漢遼東、西右北平・漁陽・上谷之地。其水如遼・濡・滹・易、皆中高不與河通。故必自北海然後能達河也。又按酈道元言、驪城枕海。有石如甬道。數十里、當山頂有大石如柱形。韋昭以爲、碣石其山昔在河口海濱。故以誌其入貢河道、歷世旣久。爲水所漸、淪入于海。已去岸五百餘里矣。戰國策以碣石在常山郡九門縣者、恐名偶同。而鄭氏以爲、九門無此山也。
【読み】
△碣石[けっせき]を夾んで右にして、河に入る。碣石は、地志に北平郡驪城縣、西南の河口の地に在り、と。今の平州の南なり。冀州北方の貢賦の來るは、北海より河に入り、南に向かい西に轉じて、碣石は其の右轉屈するの閒に在り。故に夾んで右にすと曰うなり。程氏が曰く、冀は帝都爲り。東西南の三面は河に距[いた]る。他の州の貢賦は、皆河に達するを以て至るとす。故に此の三方も亦必ずしも書せずして、其の北境は則ち漢の遼東、西は右北平・漁陽・上谷の地なり。其の水の遼・濡・滹・易の如きは、皆中高にして河と通ぜず。故に必ず北海よりして然して後に能く河に達す。又按ずるに酈道元が言う、驪城は海に枕[のぞ]む。石有りて甬道の如し。數十里にして、山頂に當たりて大石有りて柱形の如し、と。韋昭以爲えらく、碣石と其の山は昔河口海濱に在り。故に以て其の入貢河道を誌すこと、歷世旣に久し。水の爲に漸[ひた]されて、淪[しず]んて海に入る。已に岸を去ること五百餘里なり、と。戰國策に碣石を以て常山郡九門縣に在りというは、恐らくは名偶々同じからん。而も鄭氏以爲えらく、九門に此の山無し、と。

△濟・河惟兗州。兗州之域、東南據濟、西北距河。濟河見導水。蘇氏曰、河濟之閒、相去不遠。兗州之境、東南跨濟、非止於濟也。愚謂、河昔北流。兗州之境、北盡碣石河右之地、後碣石之地、淪入於海。河益徙而南。濟河之閒、始相去不遠。蘇氏之說、未必然也。○林氏曰、濟古文作泲。說文註云、此兗州之濟也。其從水從齊者、說文註云、出常山房子縣贊皇山。則此二字音同義異。當以古文爲正。
【読み】
△濟・河は惟れ兗[えん]州なり。兗州の域は、東南は濟に據り、西北は河に距る。濟河は導水に見えたり。蘇氏が曰く、河濟の閒、相去ること遠からず。兗州の境は、東南は濟を跨ぎ、濟に止まるに非ず、と。愚謂えらく、河は昔北に流る。兗州の境は、北は碣石河の右の地を盡くし、後に碣石の地は、淪んで海に入る。河益々徙りて南す。濟河の閒は、始め相去ること遠からず。蘇氏の說は、未だ必ずしも然らざるなり。○林氏が曰く、濟は古文に泲[せい]に作る。說文の註に云う、此れ兗州の濟なり、と。其れ水に從い齊に從う者は、說文の註に云う、常山房子縣の贊皇山より出づ、と。則ち此の二字は音同じくして義異なり。當に古文を以て正しきとすべし、と。

△九河旣道。九河、爾雅一曰徒駭、二曰太史、三曰馬頰、四曰覆鬴、五曰胡蘇、六曰簡潔、七曰鈎盤、八曰鬲津。其一則河之經流也。先儒不知河之經流、遂分簡潔爲二。旣道者、旣順其道也。按徒駭河、地志云、滹沱河。寰宇記云、在滄州淸池南。許商云、在平城。馬頰河、元和志、在德州安德平原南東。寰宇記云、在棣州滴河北。輿地記云、卽篤馬河也。覆鬴河、通典云、在德州安德。胡蘇河、寰宇記云、在滄之饒安・無棣・臨津三縣。許商云、在東光。簡潔河、輿地記云、在臨津。鈎盤河、寰宇記云、在樂陵東南、從德州平昌來。輿地記云、在樂陵。鬲津河、寰宇記云、在樂陵東。西北流入饒安。許商云、在鬲縣。輿地記云、在無棣。太史河、不知所在。自漢以來、講求九河者甚詳。漢世近古。止得其三。唐人集累世積傳之語、遂得其六。歐陽忞輿地記、又得其一。或新河而載以舊名、或一地而互爲兩說。要之皆似是而非。無所依據。至其顯然謬誤者、則班固以滹沱爲徒駭、而不知滹沱不與古河相涉。樂史、馬頰乃以漢篤馬河當之。鄭氏求之不得、又以爲九河齊桓塞其八流以自廣。夫曲防齊之所禁。塞河宜非桓公之所爲也。河水可塞、而河道果能盡平乎。皆無稽考之言也。惟程氏以爲九河之地、已淪於海。引碣石爲九河之證。以謂、今滄州之地、北與平州接境、相去五百餘里。禹之九河、當在其地。後爲海水淪沒。故其迹不存。方九河未沒於海之時、從今海岸東北、更五百里平地、河播爲九、在此五百里中。又上文言夾右碣石、則九河入海之處、有碣石在其西北岸、九河水道變遷、難於推考。而碣石通趾頂皆石、不應仆沒。今兗冀之地、旣無此石。而平州正南、有山而名碣石者、尙在海中、去岸五百餘里。卓立可見、則是古河。自今以爲海處、向北斜行、始分爲九。其河道已淪入於海明矣。漢王橫言、昔天常連雨、東北風、海水溢西南出浸數百里。九河之地、已爲海水所漸。酈道元亦謂、九河碣石苞淪於海。後世儒者知求九河於平地、而不知求碣石有無、以爲之證。故前後異說、竟無歸宿。蓋非九河之地、而强鑿求之。宜其支離而不能得也。
【読み】
△九河旣に道なる。九河は、爾雅に一に曰く徒駭、二に曰く太史、三に曰く馬頰、四に曰く覆鬴[ふくふ]、五に曰く胡蘇、六に曰く簡潔、七に曰く鈎盤、八に曰く鬲津[かくしん]、と。其の一は則ち河の經流なり。先儒河の經流を知らず、遂に簡潔を分かちて二つとす。旣に道なるとは、旣に其の道に順うなり。按ずるに徒駭河は、地志に云う、滹沱[こた]河なり、と。寰宇記[かんうき]に云う、滄州淸池の南に在り、と。許商が云う、平城に在り、と。馬頰河は、元和志に、德州安德平原の南東に在り、と。寰宇記に云う、棣州滴河の北に在り、と。輿地記に云う、卽ち篤馬河なり、と。覆鬴河は、通典に云う、德州安德に在り、と。胡蘇河は、寰宇記に云う、滄の饒安・無棣・臨津の三縣に在り、と。許商が云う、東光に在り、と。簡潔河は、輿地記に云う、臨津に在り、と。鈎盤河は、寰宇記に云う、樂陵の東南に在り、德州の平昌より來る、と。輿地記に云う、樂陵に在り、と。鬲津河は、寰宇記に云う、樂陵の東に在り。西北に流れて饒安に入る、と。許商が云う、鬲縣に在り、と。輿地記に云う、無棣に在り、と。太史河は、在る所を知らず。漢より以來、九河を講求する者甚だ詳らかなり。漢の世は古に近し。止其の三つを得るのみ。唐人累世積傳の語を集めて、遂に其の六つを得たり。歐陽忞[びん]輿地記に、又其の一つを得。或は新河にして載するに舊名を以てし、或は一地にして互いに兩說を爲す。之を要するに皆是に似て非なり。依り據る所無し。其の顯然として謬誤する者に至りては、則ち班固滹沱を以て徒駭として、滹沱は古の河と相涉[かか]わらざることを知らず。樂史は、馬頰を乃ち漢の篤馬河を以て之に當てる。鄭氏之を求めて得ず、又以爲えらく、九河は齊の桓が其の八流を塞いで以て自ら廣む、と。夫れ防を曲ぐるは齊の禁ずる所。河を塞ぐは宜しく桓公の爲す所に非ざるべし。河水塞ぐ可くして、河道果たして能く盡く平らかならんや。皆稽え考うること無きの言なり。惟程氏のみ以爲えらく、九河の地、已に海に淪む、と。碣石を引いて九河の證とす。以謂えらく、今や滄州の地、北は平州と境を接し、相去ること五百餘里なり。禹の九河は、當に其の地に在るべし。後に海水の爲に淪沒す。故に其の迹存せず。九河の未だ海に沒せざるの時に方りて、今の海岸の東北より、更に五百里の平地、河播いて九つと爲り、此の五百里の中に在り。又上の文に碣石を夾んで右にすと言うときは、則ち九河海に入るの處、碣石有りて其の西北の岸に在り、九河の水道變遷して、推考し難し。而して碣石趾頂に通じて皆石にて、應に仆沒すべからず。今兗冀の地、旣に此の石無し。而して平州の正南に、山有りて碣石と名づくるは、尙海中に在り、岸を去ること五百餘里なり。卓立して見る可きときは、則ち是れ古の河なり。今以て海の處と爲りてより、北に向かいて斜めに行き、始めて分かれて九つと爲る。其の河道已に淪んで海に入ること明らかなり。漢の王橫が言う、昔天常に連雨し、東北の風あり、海水西南に溢れて出で浸すこと數百里。九河の地、已に海水の爲に漸[ひた]さるる、と。酈道元も亦謂う、九河碣石海に苞淪す、と。後世の儒者九河を平地に求むることを知りて、碣石の有無を求めて、以て之が證とすることを知らず。故に前後の異說、竟に歸宿無し。蓋し九河の地に非ずして、强いて鑿ちて之を求む。宜なり其れ支離して得ること能わざること。

△雷夏旣澤。澤者、水之鐘也。雷夏、地志在濟陰郡城陽縣西北。今濮州雷澤縣西北也。山海經云、澤中有雷神。龍身而人頰。鼓其腹則雷。然則本夏澤也。因其神名之曰雷夏也。洪水橫流而入于澤、澤不能受、則亦泛濫奔潰。故水治而後雷夏爲澤。
【読み】
△雷夏旣に澤となる。澤は、水の鐘[あつ]まれるなり。雷夏は、地志に濟陰郡城陽縣の西北に在り、と。今の濮州雷澤縣の西北なり。山海經に云う、澤中に雷神有り。龍身にして人頰なり。其の腹を鼓すれば則ち雷なる、と。然らば則ち本夏澤なり。其の神に因りて之を名づけて雷夏と曰う。洪水橫流して澤に入り、澤受くること能わざるときは、則ち亦泛濫奔潰す。故に水治めて而して後に雷夏澤と爲る。

△灉・沮會同。灉・沮、二水名。灉水、曾氏曰、爾雅水自河出爲灉。許愼云、河灉水在宋。又曰、汳水受陳留浚儀陰溝、至蒙爲灉水。東入于泗水。經汳水出陰溝、東至蒙爲徂獾、則灉水卽汳水也。灉之下流、入于睢水。沮水、地志睢水出沛國芒縣。睢水其沮水歟。晁氏曰、爾雅云、自河出爲灉、濟出爲濋。求之於韻、沮有楚音。二水河濟之別也。二說未詳孰是。會者、水之合也。同者、合而一也。
【読み】
△灉[よう]・沮[そ]會同す。灉・沮は、二水の名。灉水は、曾氏が曰く、爾雅に水河より出づるを灉とす、と。許愼が云う、河灉水は宋に在り、と。又曰く、汳[べん]水陳留浚儀の陰溝を受けて、蒙に至りて灉水と爲る。東して泗水に入る。汳水を經て陰溝を出で、東して蒙に至りて徂獾[そかん]と爲るときは、則ち灉水は卽ち汳水なり、と。灉の下流は、睢[き]水に入る。沮水は、地志に睢水は沛國芒縣より出づ、と。睢水は其れ沮水か。晁氏が曰く、爾雅に云う、河より出づるを灉とし、濟より出づるを濋とす、と。之を韻に求むるに、沮は楚の音有り。二水は河濟の別なり、と。二說未だ孰か是なるか詳らかならず。會とは、水の合うなり。同とは、合いて一つになるなり。

△桑土旣蠶。是降丘宅土。桑土、宜桑之土。旣蠶者、可以蠶桑也。蠶性惡濕。故水退而後可蠶。然九州皆賴其利。而獨於兗言之者、兗地宜桑。後世之濮上桑閒、猶可驗也。地高曰丘。兗地多在卑下、水害尤甚。民皆依丘陵以居。至是始得下居平地也。
【読み】
△桑土旣に蠶[こかい]す。是に丘を降りて土に宅る。桑土は、桑に宜きの土なり。旣に蠶すとは、以て蠶桑す可きなり。蠶の性は濕を惡む。故に水退いて而して後に蠶す可し。然も九州は皆其の利に賴る。而るに獨り兗に於て之を言うは、兗の地は桑に宜し。後世の濮上桑閒、猶驗す可し。地高きを丘と曰う。兗の地は多く卑下に在り、水害尤も甚だし。民皆丘陵に依りて以て居る。是に至りて始めて下りて平地に居ることを得。

△厥土黑墳、厥草惟繇、厥木惟條。墳、土脈墳起也。如左氏所謂祭之地地墳、是也。繇、茂。條、長也。○林氏曰、九州之勢、西北多山、東南多水。多山則草木爲宜。不待書也。兗・徐・揚三州、最居東南下流。其地卑濕沮洳、洪水爲患、草木不得其生。至是或繇或條、或夭或喬、而或漸苞。故於三州特言之、以見水土平、草木亦得遂其性也。
【読み】
△厥の土は黑く墳[うごも]てり、厥の草は惟れ繇[しげ]り、厥の木は惟れ條[なが]し。墳は、土脈墳起するなり。左氏に所謂之を地に祭るに地墳てりというが如き、是れなり。繇[よう]は、茂る。條は、長きなり。○林氏が曰く、九州の勢、西北は山多く、東南は水多し。山多きときは則ち草木宜しきを爲す。書するを待たず。兗・徐・揚の三州は、最も東南の下流に居る。其の地は卑濕沮洳にて、洪水患えを爲し、草木其の生を得ず。是に至りて或は繇り或は條く、或は夭[わか]く或は喬[たか]くして、或は漸苞す。故に三州に於て特に之を言いて、以て水土平らいで、草木も亦其の性を遂ぐるを得るを見すなり。

△厥田惟中下。厥賦貞。作十有三載、乃同。田第六等、賦第九等。貞、正也。兗賦最薄。言君天下者、以薄賦爲正也。作十有三載乃同者、兗當河下流之衝、水激而湍悍、地平而土疎、被害尤劇。今水患雖平、而卑濕沮洳、未必盡去、土曠人稀、生理鮮少。必作治十有三載、然後賦法同於他州。此爲田賦而言。故其文屬於厥賦之下。先儒以爲禹治水所歷之年。且謂、此州治水最在後畢。州爲第九成功。因以上文厥賦貞者、謂賦亦第九。與州正爲相當、殊無意義。其說非是。
【読み】
△厥の田は惟れ中の下なり。厥の賦は貞し。作ること十有三載にして、乃ち同じ。田は第六等にて、賦は第九等なり。貞は、正しきなり。兗は賦最も薄し。言うこころは、天下に君たる者は、薄賦を以て正とす。作ること十有三載にして乃ち同じとは、兗は河の下流の衝に當たりて、水激して湍悍[たんかん]し、地平らかにして土疎[あら]く、害を被ること尤も劇[はなは]だし。今水患平らぐと雖も、而して卑濕沮洳、未だ必ずしも盡く去らず、土曠く人稀にして、生理鮮少なり。必ず作治十有三載にして、然して後に賦法他州に同じくす。此れ田賦の爲にして言う。故に其の文は厥の賦の下に屬[つら]ぬ。先儒以て禹水を治めて歷る所の年とす。且つ謂う、此の州の水を治むること最も後に在りて畢わる。州は第九の成功を爲す、と。因りて上の文の厥の賦は貞しという者を以て、賦も亦第九なりと謂う。州と正に相當たることを爲すは、殊に意義無し。其の說是に非ず。

△厥貢漆絲。厥篚織文。貢者、下獻厥土所有於上也。兗地宜漆宜桑。故貢漆絲也。篚、竹器。筺屬也。古者幣帛之屬、則盛之以筺篚而貢焉。經曰、篚厥玄黃是也。織文者、織而有文。錦綺之屬也。以非一色、故以織文總之。林氏曰、有貢又有篚者、所貢之物入於篚也。
【読み】
△厥の貢は漆絲。厥の篚[はこもの]は織文あり。貢は、下厥の土の有する所を上に獻ずるなり。兗の地は漆に宜く桑に宜し。故に漆絲を貢す。篚は、竹器。筺の屬なり。古の幣帛の屬は、則ち之を盛るに筺篚[きょうひ]を以てして貢す。經に曰く、厥の玄黃を篚にすとは是れなり。織文は、織りて文有り。錦綺の屬なり。一色に非ざるを以て、故に織文を以て之を總ぶ。林氏が曰く、貢有りて又篚有る者は、貢する所の物を篚に入るるなり、と。

△浮于濟・漯、達于河。舟行水曰浮。漯者、河之枝流也。兗之貢賦浮濟浮漯、以達於河也。帝都冀州三面距河、達河、則達帝都矣。又按地志曰、漯水出東郡東武陽、至千乘入海。程氏以爲、此乃漢河、與漯殊異。然亦不能明言漯河所在。未詳其地也。
【読み】
△濟・漯[とう]に浮かんで、河に達す。舟水を行くを浮と曰う。漯は、河の枝流なり。兗の貢賦濟に浮かび漯に浮かんで、以て河に達するなり。帝都冀州三面は河に距り、河に達するときは、則ち帝都に達するなり。又地志を按ずるに曰く、漯水は東郡東武陽より出でて、千乘に至りて海に入る、と。程氏以爲えらく、此れ乃ち漢河にて、漯と殊に異なり、と。然れども亦明らかに漯河の在る所を言うこと能わず。未だ其の地を詳らかにせざるなり。

△海・岱惟靑州。靑州之域、東北至海、西南距岱。岱、泰山也。在今襲慶府奉府縣西北三十里。
【読み】
△海・岱は惟れ靑州なり。靑州の域は、東北は海に至り、西南は岱に距る。岱は、泰山なり。今の襲慶府奉府縣の西北三十里に在り。

△嵎夷旣略。嵎夷、薛氏曰、今登州之地。略、經略爲之封畛也。卽堯典之嵎夷。
【読み】
△嵎夷[ぐうい]旣に略[かぎ]れり。嵎夷は、薛氏が曰く、今の登州の地、と。略は、經略して之が封畛[ほうしん]を爲すなり。卽ち堯典の嵎夷なり。

△濰・淄其道。濰・淄、二水名。濰水、地志云、出琅琊郡箕縣。今密州莒縣東北濰山也。北至都昌入海。今濰州昌邑也。淄水地志云、出泰山郡萊蕪縣原山。今淄州淄川縣東南七十里原山也。東至慱昌縣入濟。今靑州壽光縣也。其道者、水循其道也。上文言旣道者、禹爲之道也。此言其道者、泛濫旣去、水得其故道也。林氏曰、河濟下流、兗受之。淮下流、徐受之。江漢下流、揚受之。靑雖近海、然不當衆流之衝。但濰淄二水、順其故道、則其功畢矣。比之他州、用力最省者也。
【読み】
△濰[い]・淄[し]其れ道なる。濰・淄は、二水の名。濰水は、地志に云う、琅琊郡箕縣より出づ、と。今の密州莒[きょ]縣の東北の濰山なり。北は都昌に至りて海に入る。今の濰州の昌邑なり。淄水は地志に云う、泰山郡萊蕪縣の原山より出づ、と。今の淄州淄川縣の東南七十里の原山なり。東は慱昌[たんしょう]縣に至りて濟に入る、と。今の靑州壽光縣なり。其れ道なるとは、水其の道に循うなり。上の文に旣に道なると言うは、禹之が道を爲るなり。此に其れ道なると言うは、泛濫旣に去りて、水其の故道を得るなり。林氏が曰く、河濟の下流、兗之を受く。淮の下流、徐之を受く。江漢の下流、揚之を受く。靑は海に近しと雖も、然れども衆流の衝に當たらず。但濰淄の二水、其の故道に順うときは、則ち其の功畢わる。之を他州に比するに、力を用ゆること最も省せる者なり、と。

△厥土白墳。海濱廣斥。濱、涯也。海涯之地、廣漠而斥鹵。許愼曰、東方謂之斥、西方謂之鹵。斥鹵、鹹地、可煮爲鹽者也。
【読み】
△厥の土は白くして墳[うごも]てり。海濱廣き斥あり。濱は、涯なり。海涯の地は、廣漠にして斥鹵[ろ]なり。許愼が曰く、東方を之を斥と謂い、西方を之を鹵と謂う、と。斥鹵は、鹹地[かんち]、煮て鹽[しお]を爲る可き者なり。

△厥田惟上下。厥賦中上。田第三、賦第四也。
【読み】
△厥の田は惟れ上の下なり。厥の賦は中の上なり。田は第三、賦は第四なり。

△厥貢鹽・絺。海物惟錯。岱畎絲・枲・鈆・松・怪石。萊夷作牧、厥篚檿絲。鹽、斥地所出。絺、細葛也。錯、雜也。海物、非一種。故曰錯。林氏曰、旣總謂之海物、則固非一物矣。此與揚州齒革・羽毛・惟木文勢正同。錯、蓋別爲一物。如錫貢磬錯之錯、理或然也。畎、谷也。岱山之谷也。枲、麻也。怪石、怪異之石也。林氏曰、怪石之貢、誠爲可疑。意其必須以爲器用之飾、而有不可闕者。非特貢其怪異之石、以爲玩好也。萊夷、顏師古曰、萊山之夷。齊有萊侯萊人。卽今萊州之地。作牧者、言可牧放。夷人以畜牧爲生也。檿、山桑也。山桑之絲其韌中琴瑟之絃。蘇氏曰、惟東萊爲有此絲、以之爲繒。其堅韌異常。萊人謂之山蠒。
【読み】
△厥の貢は鹽・絺[ち]、海物惟れ錯われり。岱の畎[たに]は絲・枲[し]・鈆[なまり]・松・怪石なり。萊夷牧を作し、厥の篚は檿絲[えんし]なり。鹽は、斥地の出だす所。絺は、細き葛なり。錯は、雜わるなり。海物は、一種に非ず。故に錯と曰う。林氏が曰く、旣に總べて之を海物と謂うときは、則ち固に一物に非ず。此れ揚州の齒革・羽毛・惟れ木と文勢正に同じ、と。錯は、蓋し別に一物を爲す。磬錯を錫わりて貢するの錯の如き、理或は然らん。畎は、谷なり。岱山の谷なり。枲は、麻なり。怪石は、怪異の石なり。林氏が曰く、怪石の貢は、誠に疑う可きことを爲す。意うに其れ必ず須ち以て器用の飾りを爲して、闕く可からざること有る者ならん。特に其の怪異の石を貢して、以て玩好を爲すに非ず、と。萊夷は、顏師古が曰く、萊山の夷。齊に萊侯萊人有り、と。卽ち今の萊州の地なり。牧を作すとは、言うこころは、牧放す可し。夷人は畜牧を以て生を爲す。檿は、山桑なり。山桑の絲は其の韌[つよ]きこと琴瑟の絃に中る。蘇氏が曰く、惟れ東萊に此の絲有るが爲に、之を以て繒[きぬ]に爲る。其の堅韌[けんじん]なること常に異なり。萊人之を山蠒[やままゆ]と謂う、と。

△浮于汶、達于濟。汶水、出泰山郡萊蕪縣原山。今襲慶府萊蕪縣也。西南入濟。在今鄆州中都縣也。蓋淄水、出萊蕪原山之陰、東北而入海。汶水、出萊蕪原山之陽、西南而入濟。不言達河者、因於兗也。
【読み】
△汶[ぶん]に浮かんで、濟に達す。汶水は、泰山郡萊蕪縣の原山より出づ。今の襲慶府萊蕪縣なり。西南して濟に入る。今の鄆[うん]州中都縣に在り。蓋し淄水は、萊蕪原山の陰[きた]より出でて、東北して海に入る。汶水は、萊蕪原山の陽[みなみ]より出でて、西南して濟に入る。河に達すと言わざるは、兗に因ればなり。

△海・岱及淮、惟徐州。徐州之域、東至海、南至淮、北至岱、而西不言濟者、岱之陽、齊東爲徐、岱之北、濟東爲靑、言濟不足以辨。故略之也。爾雅濟東曰徐州者、商無靑。幷靑於徐也。周禮正東曰靑州者、周無徐。幷徐於靑也。林氏曰、一州之境、必有四至。七州皆止二至、蓋以鄰州互見。至此州獨載其三邉者、止言海岱、則嫌於靑、止言淮海則嫌於揚。故必曰海岱及淮、而後徐州之疆境始別也。
【読み】
△海・岱及び淮は、惟れ徐州なり。徐州の域、東は海に至り、南は淮に至り、北は岱に至りて、西に濟を言わざるは、岱の陽[みなみ]、齊の東を徐と爲し、岱の北、濟の東を靑と爲し、濟を言いて以て辨ずるに足らず。故に之を略せり。爾雅に濟の東を徐州と曰うは、商に靑無し。靑を徐に幷すればなり。周禮に正東を靑州と曰うは、周に徐無し。徐を靑に幷すればなり。林氏が曰く、一州の境は、必ず四至有り。七州皆二至に止まるは、蓋し鄰州を以て互いに見る。此の州に至りて獨り其の三邉を載する者は、止海岱と言うときは、則ち靑に嫌あり、止淮海と言うときは則ち揚に嫌あり。故に必ず海岱及び淮と曰いて、而して後に徐州の疆境始めて別る、と。

△淮・沂其乂。淮・沂、二水名。淮、見導水。曾氏曰、淮之源出于豫之境。至揚・徐之閒始大。其泛濫爲患尤在於徐。故淮之治、於徐言之也。沂水、地志云、出泰山郡蓋縣艾山。今沂州沂水縣也。南至于下邳、西南而入于泗。曾氏曰、徐州水以沂名者非一。酈道元謂、水出尼丘山西北、徑魯之雩門、亦謂之沂水。水出太公武陽之冠石山、亦謂之沂水。而沂水之大、則出於泰山也。又按徐之水、有泗有汶、有汴有漷、而獨以淮沂言者、周職方氏靑州其川淮・泗、其浸沂・沭。周無徐州。兼之於靑。周之靑卽禹之徐。卽徐之川莫大於淮。淮乂、則自泗而下、凡爲川者可知矣。徐之浸莫大於沂。沂乂、則自沭而下、凡爲浸者可知矣。
【読み】
△淮・沂其れ乂[おさ]まる。淮・沂は、二水の名。淮は、導水に見えたり。曾氏が曰く、淮の源は豫の境より出づ。揚・徐の閒に至りて始めて大いなり。其の泛濫の患えを爲すこと尤も徐に在り。故に淮の治は、徐に於て之を言う、と。沂水は、地志に云う、泰山郡蓋縣の艾山[がいざん]より出づ、と。今の沂州沂水縣なり。南して下邳[ひ]に至り、西南して泗に入る。曾氏が曰く、徐州の水の沂を以て名づくる者は一に非ず、と。酈道元が謂う、水の尼丘山の西北より出でて、魯の雩門[うもん]を徑る、亦之を沂水と謂う。水の太公武陽の冠石山より出づる、亦之を沂水と謂う。而して沂水の大いなるは、則ち泰山より出づ、と。又按ずるに徐の水に、泗有り汶有り、汴[べん]有り漷[かく]有りて、獨り淮沂を以て言う者は、周の職方氏に靑州の其の川は淮・泗、其の浸は沂・沭[じゅつ]、と。周に徐州無し。之を靑に兼ぬ。周の靑は卽ち禹の徐なり。卽ち徐の川は淮より大いなるは莫し。淮乂まるときは、則ち泗よりして下、凡て川爲る者知る可し。徐の浸は沂より大いなるは莫し。沂乂まるときは、則ち沭より下、凡て浸爲る者知る可し。

△蒙・羽其藝。蒙・羽、二山名。蒙山、地志在泰山郡蒙陰縣西南。今沂州費縣也。羽山、地志在東海郡祝其縣南。今海州朐山縣也。藝者、言可種藝也。
【読み】
△蒙・羽其れ藝す。蒙・羽は、二山の名。蒙山は、地志に泰山郡蒙陰縣の西南に在り、と。今の沂州費縣なり。羽山は、地志に東海郡祝其縣の南に在り、と。今の海州朐[く]山縣なり。藝とは、言うこころは、種藝す可しとなり。

△大野旣豬。大野、澤名。地志在山陽郡鉅野縣北。今濟州鉅野縣也。鉅卽大也。水蓄而復流者、謂之豬。按水經、濟水至乘氏縣分爲二。南爲菏、北爲濟。酈道元謂、一水東南流。一水東北流、入鉅野澤、則大野爲濟之所絕。其所聚也大矣。何承天曰、鉅野廣大南導洙泗、北連淸濟。徐之有濟、於是乎見。又鄆州中都西南、亦有大野陂。或皆大野之地也。
【読み】
△大野旣に豬[ちょ]す。大野は、澤の名。地志に山陽郡鉅野縣の北に在り、と。今の濟州鉅野縣なり。鉅は卽ち大なり。水蓄えて復流るる者、之を豬と謂う。水經を按ずるに、濟水は乘氏縣に至りて分かれて二つと爲す。南は菏[か]と爲り、北は濟と爲る、と。酈道元が謂う、一水は東南に流る。一水は東北に流れ、鉅野の澤に入りて、則ち大野は濟の絕ゆる所と爲る。其の聚まる所は大いなり、と。何承天が曰く、鉅野は廣大にして南は洙泗を導き、北は淸濟に連なる。徐の濟有ること、是に於て見る。又鄆州の中都の西南にも、亦大野陂有り。或は皆大野の地ならん。

△東原厎平。東原、漢之東平國。今之鄆州也。晁氏曰、東平自古多水患、數徙其城。咸平中又徙城於東南、則其下濕可知。厎平者、水患已去、而厎於平也。後人以其地之平、故謂之東平。又按東原在徐之西北、而謂之東者、以在濟東故也。東平國、在景帝亦謂濟東國云、益知大野東原所以志濟也。
【読み】
△東原平らかなるに厎[いた]る。東原は、漢の東平國。今の鄆州なり。晁氏が曰く、東平は古より水患多く、數々其の城を徙[うつ]す。咸平の中ごろ又城を東南に徙せば、則ち其の下濕なること知る可し。平らかなるに厎るとは、水患已に去りて、平らかなることを厎すなり。後人其の地の平らかなるを以て、故に之を東平と謂う。又按ずるに東原は徐の西北に在りて、之を東と謂うは、濟の東に在るを以ての故なり。東平國は、景帝に在りて亦濟東の國と謂うと云えば、益々大野の東原を濟と志[しる]す所以を知るなり。

△厥土赤埴墳。草木漸包。土黏曰埴。埴、膩也。黏泥如脂之膩也。周有摶埴之工。老氏言、埏埴以爲器。惟土性黏膩細密。故可摶可埏也。漸、進長也。如易所謂木漸。言其日進於茂而不已也。包、叢生也。如詩所謂如竹苞矣。言其叢生而積也。
【読み】
△厥の土は赤くして埴墳[うごも]てり。草木漸包す。土黏[ねば]るを埴と曰う。埴は、膩[なめ]らかなり。黏泥は脂の膩らかなるが如し。周に摶埴[たんしょく]の工有り。老氏言く、埴を埏[こ]ねて以て器に爲る、と。惟れ土の性は黏膩[ねんじ]細密。故に摶[う]つ可く埏ねる可し。漸は、進長なり。易に所謂木漸というが如し。言うこころは、其れ日に茂[さか]りに進んで已まざるなり。包は、叢生なり。詩に所謂竹の苞[しげ]るが如しというが如し。言うこころは、其れ叢生して積れるなり。

△厥田惟上中。厥賦中中。田第二等、賦第五等也。
【読み】
△厥の田は惟れ上の中なり。厥の賦は中の中なり。田は第二等、賦は第五等なり。

△厥貢惟土五色。羽畎夏翟、嶧陽孤桐。泗濱浮磬、淮夷蠙珠曁魚。厥篚玄纖縞。徐州之土雖赤、而五色之土、亦閒有之。故制以爲貢。周書作雒曰、諸侯受命于周、乃建大社于國中。其壝東靑土、南赤土、西白土、北驪土、中央疂以黃土。將建諸侯、鑿取其方面之土、苞以黃土、苴以白茅、以爲土封。故曰、受削土于周室。此貢土五色、意亦爲是用也。羽畎、羽山之谷也。夏翟、雉具五色。其羽中旌旄者也。染人之職、秋染夏。鄭氏曰、染夏者、染五色也。林氏曰、古之車服器用、以雉爲飾者多。不但旌旄也。曾氏曰、山雉具五色、出于羽山之畎。則其名山以羽者以此歟。嶧、山名。地志云、東海郡下邳縣西、有葛嶧山。古文以爲嶧山。下邳、今淮陽軍下邳縣也。陽者、山南也。孤桐、特生之桐。其材中琴瑟。詩曰、梧桐生矣、于彼朝陽。蓋草木之生、以向日爲貴也。泗、水名。出魯國卞縣。桃墟西北、陪尾山源有泉四、四泉倶導。因以爲名。西南過彭城、又東南過下邳入淮卞縣。今襲慶府泗水縣也。濱、水旁也。浮磬、石露水濱。若浮於水然。或曰、非也。泗濱非必水中。泗水之旁近浮者、石浮生土中、不根著者也。今下邳有石磬山。或以爲古取磬之地。曾氏曰、不謂之石者、成聲而後貢也。淮夷、淮之夷也。蠙、蚌之別名也。曁、及也。珠、爲服飾、魚、用祭祀。今濠・泗・楚皆貢淮白魚。亦古之遺制歟。夏翟之出于羽畎、孤桐之生於嶧陽、浮磬之出於泗濱、珠魚之出於淮夷、各有所產之地、非他處所有。故詳其地而使貢也。玄、赤黑色幣也。武成曰、篚厥玄黃。纖縞、皆繒也。禮曰、及期而大祥。素縞麻衣。中月而禫。禫而纖。記曰、有虞氏縞衣而養老。則知纖縞皆繒之名也。曾氏曰、玄赤而有黑色、以之爲袞、所以祭也。以之爲端、所以齊也。以之爲冠、以爲首服也。黑經白緯曰纖。纖也縞也、皆去凶卽吉之所服也。
【読み】
△厥の貢は惟れ土の五色なり。羽の畎[たに]は夏翟[かてき]、嶧[えき]の陽[みなみ]は孤桐なり。泗の濱は浮磬、淮夷は蠙珠[ひんしゅ]曁[およ]び魚なり。厥の篚は玄[くろ]き纖縞なり。徐州の土は赤しと雖も、而れども五色の土も、亦閒々に之れ有り。故に制して以て貢とす。周書の作雒[さくらく]に曰く、諸侯命を周に受け、乃ち大社を國中に建つ。其の壝[い]は東は靑土、南は赤土、西は白土、北は驪土、中央は疂ぬるに黃土を以てす。將に諸侯を建てんとすれば、鑿ちて其の方面の土を取りて、苞むに黃土を以てし、苴[し]くに白茅を以てし、以て土封を爲る。故に曰く、削土を周室に受く、と。此れ土の五色を貢する、意うに亦是の用を爲さんとなり。羽の畎は、羽山の谷なり。夏翟は、雉は五色を具う。其の羽は旌旄[せいぼう]に中る者なり。染人の職、秋に夏を染む。鄭氏が曰く、夏を染むとは、五色に染むるなり、と。林氏が曰く、古の車服器用、雉を以て飾りとする者多し。但に旌旄のみならず、と。曾氏が曰く、山雉は五色を具えて、羽山の畎に出づ。則ち其の山を名づくるに羽を以てする者は此を以てか、と。嶧は、山の名。地志に云う、東海郡下邳縣の西に、葛嶧山有り、と。古文に以爲えらく、嶧山、と。下邳は、今の淮陽軍下邳縣なり。陽は、山の南なり。孤桐は、特生の桐。其の材は琴瑟に中る。詩に曰く、梧桐生いたり、彼の朝陽に、と。蓋し草木の生ずるは、日に向かうを以て貴しとす。泗は、水の名。魯國卞[べん]縣より出づ。桃墟の西北、陪尾山の源に泉四つ有り、四泉倶に導く。因りて以て名とす。西南して彭城を過ぎ、又東南して下邳を過ぎて淮卞縣に入る。今の襲慶府泗水縣なり。濱は、水の旁[ほとり]なり。浮磬は、石の水濱に露わる。水に浮くが若く然り。或ひと曰く、非なり。泗濱は必ずしも水中に非ず。泗水の旁近に浮くは、石浮きて土中に生じて、根著せざる者なり、と。今の下邳に石磬山有り。或ひと以爲えらく、古磬を取るの地、と。曾氏が曰く、之を石と謂わざるは、磬を成して而して後に貢するなり、と。淮夷は、淮の夷なり。蠙は、蚌[ほう]の別名なり。曁は、及ぶなり。珠は、服の飾りと爲し、魚は、祭祀に用ゆ。今の濠・泗・楚は皆淮の白魚を貢す。亦古の遺制か。夏翟の羽の畎より出で、孤桐の嶧の陽に生じ、浮磬の泗濱より出で、珠魚の淮夷より出づる、各々產する所の地有り、他處の有する所に非ず。故に其の地を詳らかにして貢せしむ。玄は、赤黑の色の幣なり。武成に曰く、厥の玄黃を篚にす、と。纖縞は、皆繒[きぬ]なり。禮に曰く、期に及んで大祥す。素縞麻衣す。中月にして禫[たん]す。禫して纖す、と。記に曰く、有虞氏は縞衣して老を養う、と。則ち知る、纖縞は皆繒の名なることを。曾氏が曰く、玄赤にして黑色有り、之を以て袞に爲るは、祭る所以なり。之を以て端に爲るは、齊する所以なり。之を以て冠に爲るは、以て首服とするなり、と。黑き經白き緯を纖と曰う。纖や縞や、皆凶を去りて吉に卽くの服する所なり。

△浮于淮・泗、達于河。許愼曰、汳水、受陳留浚儀陰溝、至豪爲灉水、東入于泗、則淮泗之可以達于河者、以灉至于泗也。許愼又曰、泗受泲水東入淮。蓋泗水至大野而合泲。然則泗之上源自泲亦可以通河也。
【読み】
△淮・泗に浮かんで、河に達す。許愼が曰く、汳水[べんすい]、陳留浚儀の陰溝を受けて、豪に至りて灉水[ようすい]と爲り、東して泗に入るときは、則ち淮泗の以て河に達す可き者、灉を以て泗に至る、と。許愼又曰く、泗は泲水[せいすい]を受けて東して淮に入る。蓋し泗水は大野に至りて泲に合う。然らば則ち泗の上源は泲より亦以て河に通ず可し、と。

△淮・海惟揚州。揚州之域、北至淮、東南至于海。
【読み】
△淮・海は惟れ揚州なり。揚州の域は、北は淮に至り、東南は海に至る。

△彭蠡旣豬。彭蠡、地志在豫章郡彭澤縣東、合江西江東諸水。跨豫章・饒州・南康軍三州之地。所謂鄱陽湖者是也。詳見導水。
【読み】
△彭蠡[ほうれい]旣に豬す。彭蠡は、地志に豫章郡彭澤縣の東に在り、江西江東の諸水に合う、と。豫章・饒州・南康軍の三州の地に跨る。所謂鄱陽[はよう]湖なる者是れなり。詳らかに導水に見えたり。

△陽鳥攸居。陽鳥、隨陽之鳥。謂鴈也。今惟彭蠡洲渚之閒、千百爲羣。記陽鳥所居、猶夏小正記鴈北郷也。言澤水旣豬、洲渚旣平、而禽鳥亦得居止、而遂其性也。
【読み】
△陽鳥の居る攸なり。陽鳥は、陽に隨うの鳥。鴈を謂うなり。今惟れ彭蠡の洲渚の閒、千百羣を爲す。陽鳥の居る所と記すは、猶夏小正に鴈北に郷[む]かうと記すがごとし。言うこころは、澤水旣に豬し、洲渚旣に平らいで、禽鳥も亦居止を得て、其の性を遂ぐるなり。

△三江旣入。唐仲初吳都賦註、松江下七十里、分流東北入海者爲婁江、東南流者爲東江、倂松江爲三江。其地今亦名三江口。吳越春秋所謂范蠡乘舟出三江之口者是也。○又按蘇氏謂岷山之江爲中江、嶓冢之江爲北江、豫章之江爲南江。卽導水所謂東爲北江、東爲中江者。旣有中北二江、則豫章之江、爲南江可知。今按此爲三江、若可依據。然江漢會於漢陽、合流數百里、至湖口而後與豫章江會、又合流千餘里而後入海。不復可指爲三矣。蘇氏知其說不通、遂有味別之說。禹之治水、本爲民去害。豈如陸羽輩辨味烹茶、爲口腹計耶。亦可見其說之窮矣。以其說易以惑人、故幷及之。或曰、江漢之水、揚州巨浸、何以不書。曰、禹貢書法費疎鑿者、雖小必記。無施勞者、雖大亦略。江漢荆州而下、安於故道。無俟濬治。故在不書。況朝宗于海。荆州固備言之。是亦可以互見矣。此正禹貢之書法也。
【読み】
△三江旣に入りぬ。唐仲初が吳都の賦の註に、松江の下七十里、東北に分かれ流れて海に入る者を婁江[ろうこう]とし、東南に流るる者を東江とし、松江を倂せて三江とす、と。其の地は今亦三江口と名づく。吳越春秋に所謂范蠡舟に乘りて三江の口を出づる者是れなり。○又按ずるに蘇氏が謂ゆる岷山[びんざん]の江を中江とし、嶓冢[はちょう]の江を北江とし、豫章の江を南江とす、と。卽ち導水に所謂東を北江とし、東を中江とする者なり。旣に中北の二江有るときは、則ち豫章の江は、南江爲ること知る可し。今按ずるに此を三江とすること、依り據る可きが若し。然れども江漢漢陽に會し、合流すること數百里、湖口に至りて而して後に豫章江と會し、又合流すること千餘里にして而して後に海に入る。復指して三つとす可からず。蘇氏其の說の通ぜざるを知りて、遂に味別の說有り。禹の水を治むるは、本民の爲に害を去る。豈陸羽が輩の味を辨じ茶を烹る、口腹の爲の計の如くならんや。亦其の說の窮まることを見る可し。其の說以て人を惑わし易きを以て、故に幷せて之に及ぶ。或ひと曰く、江漢の水、揚州の巨浸、何を以てか書さざる、と。曰く、禹貢の書法疎鑿を費す者は、小なりと雖も必ず記す。勞を施すこと無き者は、大なりと雖も亦略す。江漢荆州よりして下は、故道を安んず。濬治[しゅんち]を俟つこと無し。故に書さざるに在り。況んや海に朝宗するをや。荆州は固に備に之を言う。是れ亦以て互いに見る可し。此れ正に禹貢の書法なり。

△震澤厎定。震澤、太湖也。周職方揚州藪曰具區。地志在吳縣西南五十里。今蘇州吳縣也。曾氏曰、震、如三川震之震。若今湖翻是也。具區之水、多震而難定。故謂之震澤。厎定者、言厎於定而不震蕩也。
【読み】
△震澤定まれるに厎る。震澤は、太湖なり。周の職方に揚州の藪を具區と曰う、と。地志に吳縣の西南五十里に在り、と。今の蘇州吳縣なり。曾氏が曰く、震は、三川震うの震の如し。今の湖翻の若き是れなり、と。具區の水、多く震いて定まり難し。故に之を震澤と謂う。定まれるに厎るとは、言うこころは、定まれるに厎りて震蕩せざるなり。

△篠簜旣敷。厥草惟夭。厥木惟喬。厥土惟塗泥。篠、箭竹。簜、大竹。郭璞曰、竹闊節曰簜。敷、布也。水去竹已布生也。少長曰夭。喬、高也。塗泥、水泉濕也。下地多水、其土淖。
【読み】
△篠簜[しょうとう]旣に敷く。厥の草は惟れ夭[わか]し。厥の木は惟れ喬[たか]し。厥の土は惟れ塗泥なり。篠は、箭竹なり。簜は、大竹なり。郭璞が曰く、竹の闊節なるを簜と曰う、と。敷は、布くなり。水去りて竹已に布生す。少しく長きを夭と曰う。喬は、高きなり。塗泥は、水泉の濕[うるお]えるなり。下地水多くして、其の土は淖[どう]なり。

△厥田惟下下。厥賦下上上錯。田第九等、賦第七等、雜出第六等也。言下上上錯者、以本設賦九等、分爲三品。下上與中下異品。故變文言下上上錯也。
【読み】
△厥の田は惟れ下の下なり。厥の賦は下の上にして上も錯[まじ]われり。田は第九等、賦は第七等にして、第六等を雜え出だすなり。言うこころは、下の上にして上も錯わるとは、本賦を設くること九等なるを以て、分かちて三品とす。下の上と中の下とは品を異なり。故に文を變じて下の上にして上も錯わると言うなり。

△厥貢惟金三品・瑤琨・篠簜・齒革・羽毛・惟木。島夷卉服。厥篚織貝、厥包橘柚、錫貢。三品、金・銀・銅也。瑤琨、玉石名。詩曰、何以舟之、維玉及瑤。琨、說文云、石之美似玉者。取之可以爲禮器。篠之材、中於矢之笴、簜之材、中於樂之管。簜亦可爲符節。周官、掌節有英簜、象有齒、犀兕有革、鳥有羽、獸有毛。木、楩梓豫章之屬。齒革可以成車甲。羽毛可以爲旌旄。木可以備棟宇器械之用也。島夷、東南海島之夷。卉、草也。葛越木綿之屬。織貝、錦名。織爲貝文。詩曰、貝錦是也。今南夷木綿之精好者、亦謂之吉貝。海島之夷、以卉服來貢。而織貝之精者、則入篚焉。包、裹也。小曰橘、大曰柚。錫者、必待錫命而後貢。非歲貢之常也。張氏曰、必錫命乃貢者、供祭祀燕賓客、則詔之。口腹之欲、則難於出令也。
【読み】
△厥の貢は惟れ金三品・瑤琨[ようこん]・篠簜[しょうとう]・齒革・羽毛・惟れ木なり。島夷卉服す。厥の篚は織貝、厥の包は橘柚、錫わりて貢す。三品は、金・銀・銅なり。瑤琨は、玉石の名。詩に曰く、何を以て之を舟[お]びん、維れ玉及び瑤、と。琨は、說文に云う、石の美にして玉に似る者。之を取りて以て禮器に爲る可し、と。篠の材は、矢の笴[やがら]に中り、簜の材は、樂の管に中る。簜も亦符節に爲る可し。周官に、掌節に英簜有り、象に齒有り、犀兕[じ]に革有り、鳥に羽有り、獸に毛有り、と。木は、楩梓豫章の屬。齒革は以て車甲に成す可し。羽毛は以て旌旄に爲る可し。木は以て棟宇器械の用に備う可し。島夷は、東南海島の夷なり。卉は、草なり。葛越木綿の屬なり。織貝は、錦の名。織りて貝の文を爲る。詩に曰く、貝錦とは是れなり。今南夷木綿の精好なる者も、亦之を吉貝と謂う。海島の夷、卉服を以て來貢す。而して織貝の精しき者は、則ち篚に入るる。包は、裹[つつ]むなり。小なるを橘と曰い、大なるを柚と曰う。錫とは、必ず錫命を待ちて而して後に貢す。歲貢の常に非ざるなり。張氏が曰く、必ず命を錫いて乃ち貢する者は、祭祀に供し賓客を燕するときは、則ち之を詔[まね]く。口腹の欲には、則ち令を出だし難し、と。

△沿于江・海、達于淮・泗。順流而下曰沿。沿江入海。自海而入淮・泗、不言達于河者、因於徐也。禹時江・淮未通。故沿於海、至吳始開邦溝。隋人廣之、而江・淮舟船始通也。孟子言、排淮・泗而注之江、記者之誤也。
【読み】
△江・海に沿[したが]いて、淮・泗に達す。流れに順いて下るを沿と曰う。江に沿いて海に入る。海よりして淮・泗に入るを、河に達すと言わざるは、徐に因りてなり。禹の時は江・淮未だ通ぜず。故に海に沿いて、吳に至りて始めて邦溝を開く。隋人之を廣めて、江・淮の舟船始めて通ず。孟子言く、淮・泗を排[ひら]いて之を江に注ぐとは、記者の誤りならん。

△荆及衡陽、惟荆州。荆州之域、北距南條荆山、南盡衡山之陽。荆衡各見導山。唐孔氏曰、荆州以衡山之陽爲至者、蓋南方惟衡山爲大、以衡陽言之。見其地不止此山、而猶包其南也。
【読み】
△荆及び衡の陽[みなみ]は、惟れ荆州なり。荆州の域は、北は南條荆山に距[いた]り、南は衡山の陽を盡くす。荆衡は各々導山に見えたり。唐の孔氏が曰く、荆州を衡山の陽を以て至るとする者は、蓋し南方は惟れ衡山を大なりとし、衡の陽を以て之を言う。其の地は此の山に止まらざることを見して、猶其の南を包ぬ。

△江・漢朝宗于海。江・漢見導水。春見曰朝、夏見曰宗。朝宗、諸侯見天子之名也。江漢合流于荆、去海尙遠。然水道已安、而無有壅塞橫決之患。雖未至海、而其勢已奔趨於海。猶諸侯之朝宗于王也。
【読み】
△江・漢は海に朝宗す。江・漢は導水に見えたり。春に見ゆるを朝と曰い、夏見ゆるを宗と曰う。朝宗は、諸侯天子に見ゆるの名なり。江漢は荆に合流して、海を去ること尙遠し。然れども水道已に安んじて、壅塞橫決の患え有ること無し。未だ海に至らざると雖も、而して其の勢い已に奔りて海に趨る。猶諸侯の王に朝宗するがごとし。

△九江孔殷。九江、卽今之洞庭也。水經言、九江在長沙下雋西北。楚地記曰、巴陵瀟湘之淵、在九江之閒。今岳州巴陵縣、卽楚之巴陵、漢之下雋也。洞庭正在其西北、則洞庭之爲九江審矣。今沅水・漸水・元水・辰水・敍水・酉水・澧水・資水・湘水、皆合於洞庭。意以是名九江也。孔、甚。殷、正也。九江水道、甚得其正也。○按漢志、九江在廬江郡之尋陽縣。尋陽記九江之名、一曰烏江、二曰蜯江、三曰烏白江、四曰嘉靡江、五曰畎江、六曰源江、七曰廩江、八曰提江、九曰箘江。今詳漢九江郡之尋陽、乃禹貢・揚州之境。而唐孔氏又以爲、九江之名、起於近代。未足爲據。且九江派別取之耶。亦必首尾短長、大略均布、然後可目之爲九。然其一水之閒、當有一洲、九江之閒、沙水相閒、乃爲十有七道。而今尋陽之地、將無所容。況沙洲出沒、其勢不常。果可以爲地理之定名乎。設使派別爲九、則當曰九江旣道、不應曰孔殷。於導江當曰播九江、不應曰過九江。反復參攷、則九江非尋陽明甚。本朝胡氏以洞庭爲九江者得之。曾氏亦謂、導江曰過九江至于東陵。東陵、今之巴陵。今巴陵之上、卽洞庭也。因九水所合、遂名九江。故下文導水曰過九江。經之例、大水合小水謂之過、則洞庭之爲九江、益以明矣。
【読み】
△九江孔だ殷[ただ]し。九江は、卽ち今の洞庭なり。水經に言う、九江は長沙下雋[かすい]の西北に在り、と。楚地記に曰く、巴陵瀟湘[しょうしょう]の淵は、九江の閒に在り、と。今の岳州巴陵縣は、卽ち楚の巴陵、漢の下雋なり。洞庭は正に其の西北に在れば、則ち洞庭の九江爲ること審[あき]らかなり。今の沅水・漸水・元水・辰水・敍水・酉水[ゆうすい]・澧水[れいすい]・資水・湘水は、皆洞庭に合う。意うに是を以て九江と名づくるならん。孔は、甚だ。殷は、正しきなり。九江の水道、甚だ其の正しきを得るなり。○漢志を按ずるに、九江は廬江郡の尋陽縣に在り、と。尋陽記に九江の名は、一に曰く烏江、二に曰く蜯江[ぼうこう]、三に曰く烏白江、四に曰く嘉靡江、五に曰く畎江、六に曰く源江、七に曰く廩江、八に曰く提江、九に曰く箘江[きんこう]、と。今漢の九江郡の尋陽を詳らかにするに、乃ち禹貢・揚州の境なり。而るに唐の孔氏又以爲えらく、九江の名は、近代に起こる、と。未だ據ると爲すに足らず。且つ九江の派別に之を取るか。亦必ず首尾短長、大略均布にして、然して後に之を目づけて九とす可し。然も其の一水の閒、當に一洲有るべく、九江の閒、沙水相閒[まじ]わりて、乃ち十有七道とす。而るに今尋陽の地は、將に容るる所無かるべし。況んや沙洲の出沒、其の勢い常ならず。果たして以て地理の定名とす可けんや。設使[たと]い派別れて九と爲らば、則ち當に九江旣に道なると曰うべく、應に孔だ殷しと曰うべからず。江を導くに於て當に九江を播くと曰うべく、應に九江を過ぐと曰うべからず。反復參攷すれば、則ち九江は尋陽に非ざること明らかなること甚だし。本朝胡氏洞庭を以て九江とする者之を得たり。曾氏も亦謂う、江を導くに九江を過ぎて東陵に至ると曰う。東陵は、今の巴陵。今の巴陵の上は、卽ち洞庭なり。九水の合う所に因りて、遂に九江と名づく。故に下の文に水を導くに九江を過ぐと曰う、と。經の例、大水の小水に合うを之を過と謂わば、則ち洞庭の九江爲ること、益々以て明らかなり。

△沱・潛旣道。爾雅曰、自江出爲沱、自漢出爲潛。凡水之出於江・漢者、皆有此名。此則荆州江・漢之出者也。今按南郡枝江縣有沱水。然其流入江而非出於江也。華容縣有夏水。首出于江、尾入于沔。亦謂之沱。若潛水、則未有見也。
【読み】
△沱[た]・潛旣に道なる。爾雅に曰く、江より出づるを沱とし、漢より出づるを潛とす、と。凡そ水の江・漢より出づる者は、皆此の名有り。此れ則ち荆州江・漢の出づる者なり。今按ずるに南郡枝江縣に沱水有り。然れども其の流れは江に入りて江より出づるに非ず。華容縣に夏水有り。首は江より出でて、尾は沔[べん]に入る。亦之を沱と謂う。潛水の若きは、則ち未だ見ること有らず。

△雲土夢作乂。雲・夢、澤名。周官職方、荆州其澤藪曰雲夢。方八九百里、跨江南北。華容・枝江・枝江・江夏・安陸、皆其地也。左傳楚子濟江、入于雲中。又楚子以鄭伯田于江南之夢。合而言之則爲一。別而言之則二澤也。雲土者、雲之地土見而已。夢作乂者、夢之地已可耕治也。蓋雲夢之澤、地勢有高卑。故水落有先後、人工有早晩也。
【読み】
△雲土みえ夢乂[おさ]むることを作すべし。雲・夢は、澤の名。周官の職方に、荆州の其の澤藪を雲夢と曰う、と。方八九百里、江の南北に跨る。華容・枝江・枝江・江夏・安陸は、皆其の地なり。左傳に楚子江を濟[わた]りて、雲中に入る、と。又楚子鄭伯を以て江南の夢に田す、と。合わせて之を言わば則ち一爲り。別けて之を言わば則ち二澤なり。雲土とは、雲の地は土見るのみ。夢乂むることを作すとは、夢の地は已に耕治す可しとなり。蓋し雲夢の澤は、地勢高卑有り。故に水落ちて先後有り、人工に早晩有り。

△厥土惟塗泥。厥田惟下中。厥賦上下。荆州之土、與揚州同。故田比揚只加一等、而賦爲第三等者、地闊而人工修也。
【読み】
△厥の土は惟れ塗泥なり。厥の田は惟れ下の中なり。厥の賦は上の下なり。荆州の土は、揚州と同じ。故に田揚に比すれば只一等を加えて、賦第三等とする者は、地闊[ひろ]くして人工修むればなり。

△厥貢羽毛・齒革、惟金三品、杶榦・栝柏・礪砥・砮丹、惟箘簵・楛。三邦厎貢厥名。包匭菁茅、厥篚玄纁璣組。九江納錫大龜。荆之貢、與揚州大抵多同。然荆先言羽毛者、漢孔氏所謂善者爲先也。按職方氏、揚州其利金錫、荆州其利丹銀・齒革。則荆・揚所產、不無優劣矣。杶・栝・柏、三木名也。杶木似樗、而可爲弓榦。栝木、柏葉松身。礪砥、皆磨石。砥以細密爲名。礪以麤糲爲稱。砮者、中矢鏃之用。肅愼氏貢石砮者是也。丹、丹砂也。箘簵、竹名。楛、木名。皆可以爲矢。董安干之治晉陽也、公宮之垣、皆以荻蒿・苫楚廩之。其高丈餘。趙襄子發而試之。其堅則箘簵不能過也。則箘簵蓋竹之堅者、其材中矢之笴。楛、肅愼氏貢楛矢者是也。三邦、未詳其地。厎、致也。致貢箘簵楛之有名者也。匭、匣也。菁茅、有刺而三脊、所以供祭祀縮酒之用。旣包而又匣之。所以示敬也。齊桓公責楚貢包茅不入、王祭不供、無以縮酒。又管子云、江・淮之閒、一茅而三脊、名曰菁茅。菁茅、一物也。孔氏謂菁以爲葅者非是。今辰州麻陽縣苞茅山出。苞茅、有刺而三脊。纁、周禮染人夏纁玄纁。絳色幣也。璣、珠不圓者。組、綬類。大龜、尺有二寸、所謂國之守龜。非可常得。故不爲常貢。若偶得之、則使之納錫於上。謂之納錫者、下與上之辭。重其事也。
【読み】
△厥の貢は羽毛・齒革、惟れ金の三品、杶[ちゅん]榦・栝[かつ]柏・礪砥・砮[ど]丹、惟れ箘簵[きんろ]・楛[こ]なり。三邦厎[いた]し貢す厥の名あり。包は匭[はこ]にせる菁茅、厥の篚は玄纁[げんくん]の璣組[きそ]なり。九江は大龜を納れ錫わしむ。荆の貢は、揚州と大抵多く同じ。然れども荆先ず羽毛を言うは、漢の孔氏が所謂善き者を先とするなり。按ずるに職方氏に、揚州の其の利は金錫、荆州の其の利は丹銀・齒革、と。則ち荆・揚の產する所、優劣無からず。杶・栝・柏は、三木の名なり。杶木は樗[ちょ]に似て、弓榦にす可し。栝木は、柏の葉松の身なり。礪砥は、皆磨石。砥は細密を以て名とす。礪は麤糲を以て稱とす。砮は、矢鏃の用に中る。肅愼氏が石砮を貢すという者是れなり。丹は、丹砂なり。箘簵は、竹の名。楛は、木の名。皆以て矢に爲る可し。董安干が晉陽を治むるとき、公宮の垣は、皆荻蒿・苫楚を以て之を廩にす。其の高さ丈餘なり。趙襄子發して之を試む。其の堅きこと則ち箘簵も過ぐること能わず。則ち箘簵は蓋し竹の堅き者にて、其の材は矢の笴[やがら]に中る。楛は、肅愼氏楛矢を貢すという者是れなり。三邦は、未だ其の地を詳らかにせず。厎[し]は、致すなり。箘簵楛の名有る者を致し貢すなり。匭[き]は、匣[こう]なり。菁茅は、刺有りて三脊、祭祀に供し酒を縮[こ]す所以の用なり。旣に包んで又之を匣にす。敬を示す所以なり。齊の桓公楚の貢に包茅入れずして、王の祭に供さず、以て酒を縮すこと無きを責む。又管子云う、江・淮の閒、一茅にして三脊なる、名づけて菁茅と曰う、と。菁茅は、一物なり。孔氏が謂ゆる菁は以て葅[しょ]に爲るとは是に非ず。今の辰州麻陽縣の苞茅山に出づ。苞茅は、刺有りて三脊なり。纁は、周禮の染人に夏纁玄纁あり。絳[あか]色の幣なり。璣は、珠の圓からざる者なり。組は、綬の類。大龜は、尺有二寸、所謂國の守龜なり。常に得可きに非ず。故に常の貢とせず。若し偶々之を得るときは、則ち之をして上に納れ錫わしむ。之を納錫すと謂うは、下の上に與うるの辭。其の事を重んじてなり。

△浮于江・沱・潛・漢、逾于洛、至于南河。江・沱・潛・漢、其水道之出入不可詳、而大勢則自江・沱而入潛・漢也。逾、越也。漢與洛不通。故舍舟而陸以達于洛、自洛而至于南河也。程氏曰、不徑浮江・漢、兼用沱・潛者、隨其貢物所出之便、或由經流、或循枝派、期於便事而已。
【読み】
△江・沱・潛・漢に浮かんで、洛を逾えて、南の河に至る。江・沱・潛・漢は、其の水道の出入は詳らかにす可からずして、大勢は則ち江・沱よりして潛・漢に入るなり。逾は、越ゆるなり。漢と洛とは通ぜず。故に舟を舍[お]りて陸にして以て洛に達し、洛よりして南の河に至るなり。程氏が曰く、徑に江・漢に浮かばずして、沱・潛を兼ね用ゆる者は、其の貢物の出づる所の便に隨い、或は經流に由り、或は枝派に循いて、事に便なるを期するのみ、と。

△荆・河惟豫州。豫州之域、西南至南條荆山、北距大河。
【読み】
△荆・河は惟れ豫州なり。豫州の域、西南は南條の荆山に至り、北は大河に距[いた]る。

△伊・洛・瀍・澗、旣入于河。伊水、山海經曰、熊耳之山、伊水出焉、東北至洛陽縣南、北入于洛。郭璞云、熊耳在上洛縣南。今商州上洛縣也。地志言、伊水出弘農盧氏之熊耳者非是。洛水、地志云、出弘農郡上洛縣冢領山。水經謂之讙舉山。今商州洛南縣冢領山也。至鞏縣入河。今河南府鞏縣也。瀍水、地志云、出河南郡穀城縣朁亭北。今河南府河南縣西北、有古穀城縣、其北山實瀍水所出也。至偃師縣入洛。今河南府偃師縣也。澗水、地志云、出弘農郡新安縣、東南入于洛。新安在今河南府新安・澠池之閒、今澠池縣東二十三里新安城是也。城東北有白石山。卽澗水所出。酈道元云、世謂之廣陽山。然則澗水出今之澠池、至新安入洛也。伊・瀍・澗水入于洛、而洛水入于河。此言伊・洛・瀍・澗、入于河、若四水不相合而各入河者。猶漢入江、江入海。而荆州言江・漢朝宗于海意同。蓋四水竝流、小大相敵故也。詳見下文。
【読み】
△伊・洛・瀍[てん]・澗、旣に河に入る。伊水は、山海經に曰く、熊耳の山、伊水出でて、東北して洛陽縣の南に至り、北して洛に入る、と。郭璞が云う、熊耳は上洛縣の南に在り、と。今の商州上洛縣なり。地志に言う、伊水は弘農盧氏の熊耳より出づる者とは是に非ず。洛水は、地志に云う、弘農郡上洛縣の冢領山より出づ、と。水經に之を讙[かん]舉山と謂う。今の商州洛南縣の冢領山なり。鞏[きょう]縣に至りて河に入る。今の河南府鞏縣なり。瀍水は、地志に云う、河南郡穀城縣朁亭の北より出づ、と。今の河南府河南縣の西北に、古穀城縣有り、其の北山は實に瀍水の出づる所なり。偃師縣に至りて洛に入る。今の河南府偃師縣なり。澗水は、地志に云う、弘農郡新安縣より出でて、東南して洛に入る、と。新安は今の河南府新安・澠池[べんち]の閒に在り、今の澠池縣の東二十三里の新安城是れなり。城の東北に白石山有り。卽ち澗水の出づる所なり。酈道元が云う、世に之を廣陽山と謂う、と。然らば則ち澗水は今の澠池より出でて、新安に至りて洛に入るなり。伊・瀍・澗水は洛に入りて、洛水は河に入る。此に伊・洛・瀍・澗、河に入ると言うは、四水相合わずして各々河に入る者の若し。猶漢は江に入り、江は海に入る。而るに荆州に江・漢海に朝宗すと言うと意同じ。蓋し四水の竝び流るる、小大相敵する故なり。詳らかに下の文に見えたり。

△滎・波旣豬。滎・波、二水名。濟水自今孟州溫縣入河。潛行絕河、南溢爲滎。在今鄭州滎澤縣西五里、敖倉東南。敖倉者、古之敖山也。按今濟水但入河、不復過河之南滎。瀆水受河。水有石門、謂之滎口石門也。鄭康成謂、滎今塞爲平地。滎陽民猶謂、其處爲滎澤。酈道元曰、禹塞淫水。於滎陽下引河東南、以通淮・泗・濟水、分河東南流。漢明帝使王景卽滎水故瀆、東注浚儀。謂之浚儀渠。漢志謂、滎陽縣有狼蕩渠。首受濟者是也。南曰狼蕩、北曰浚儀、其實一也。波水、周職方、豫州其川滎・雒、其浸波・溠。爾雅云、水自洛出爲波。山海經曰、婁・涿之山、波水出其陰北、流注于穀。二說不同。未詳孰是。孔氏以滎・波爲一水者非也。
【読み】
△滎[けい]・波旣に豬す。滎・波は、二水の名。濟水は今の孟州溫縣より河に入る。潛行して河を絕ちて、南に溢れて滎と爲る。今の鄭州滎澤縣の西五里に在り、敖倉の東南なり。敖倉は、古の敖山なり。按ずるに今の濟水は但河に入りて、復河の南の滎を過ぎず。瀆水は河を受く。水に石門有り、之を滎口の石門と謂うなり。鄭康成が謂う、滎は今塞がりて平地と爲る。滎陽の民猶謂う、其の處は滎澤と爲る、と。酈道元が曰く、禹淫水を塞ぐ。滎陽の下[ほとり]に於て河の東南を引いて、以て淮・泗・濟水を通じ、河の東南の流れを分かつ、と。漢の明帝王景をして滎水の故瀆に卽いて、東し浚儀に注がしむ。之を浚儀渠と謂う。漢志に謂う、滎陽縣に狼蕩渠有り、と。首め濟を受くる者是れなり。南を狼蕩と曰い、北を浚儀と曰い、其の實は一なり。波水は、周の職方に、豫州其の川は滎・雒、其の浸は波・溠、と。爾雅に云う、水洛より出づるを波とす、と。山海經に曰く、婁・涿[たく]の山、波水其の陰北より出でて、穀に流れ注ぐ、と。二說同じからず。未だ孰れか是なるか詳らかならず。孔氏の滎・波を以て一水とする者は非なり。

△導菏澤、被孟豬。菏澤、地志在濟陰郡定陶縣東。今興仁府濟陰縣南三里、其地有菏山。故名其澤爲菏澤也。蓋濟水所經。水經謂南濟東過寃句縣南、又東過定陶縣南、又東北菏水東出焉是也。被、及也。孟豬、爾雅作孟諸。地志在梁國睢陽縣東北。今南京虞城縣西北孟諸澤是也。曾氏曰、被、覆也。菏水衍溢、導其餘波、入于孟豬。不常入也。故曰被。
【読み】
△菏[か]澤を導きて、孟豬に被[およ]べり。菏澤は、地志に濟陰郡定陶縣の東に在り、と。今の興仁府濟陰縣の南三里、其の地に菏山有り。故に其の澤を名づけて菏澤とするなり。蓋し濟水の經る所なり。水經に謂ゆる南濟東し寃句縣の南を過ぎ、又東し定陶縣の南を過ぎ、又東北して菏水の東に出づるとは是れなり。被は、及ぶなり。孟豬は、爾雅に孟諸に作る。地志に梁國睢陽[すいよう]縣の東北に在り、と。今の南京虞城縣の西北の孟諸澤是れなり。曾氏が曰く、被は、覆うなり。菏水衍溢し、其の餘波を導いて、孟豬に入る。常に入るにあらず。故に被と曰う、と。

△厥土惟壤。下土墳壚。土不言色者、其色雜也。壚、疎也。顏氏曰、玄而疎者、謂之壚。其土有高下之不同。故別言之。
【読み】
△厥の土は惟れ壤なり。下土は墳[うごも]ち壚[あら]し。土に色を言わざるは、其の色雜ればなり。壚[ろ]は、疎きなり。顏氏が曰く、玄くして疎き者、之を壚と謂う、と。其の土に高下の同じからざる有り。故に別に之を言う。

△厥田惟中上。厥賦錯上中。田第四等、賦第二等、雜出第一等也。
【読み】
△厥の田は惟れ中の上なり。厥の賦は錯[まじ]わりて上の中なり。田第四等、賦第二等なるは、第一等を雜え出だせばなり。

△厥貢漆枲・絺紵。厥篚纖纊。錫貢磬錯。林氏曰、周官載師、漆林之征、二十有五、周以爲征。而此乃貢者、蓋豫州在周爲畿内。故載師掌其征而不制貢。禹時豫在畿外。故有貢也。推此義、則冀不言貢者可知。顏師古曰、織紵以爲布及練。然經但言貢枲與紵。成布與未成布、不可詳也。纊、細綿也。磬錯、治磬之錯也。非所常用之物。故非常貢。必待錫命而後納也。與揚州橘柚同。然揚州先言橘柚、而此先言錫貢者、橘柚言包、則於厥篚之文無嫌。故言錫貢在後。磬錯、則與厥篚之文嫌於相屬。故言錫貢在先。蓋立言之法也。
【読み】
△厥の貢は漆枲[し]・絺紵[ちちょ]なり。厥の篚は纖纊なり。錫わりて貢する磬錯あり。林氏が曰く、周官の載師に、漆林の征、二十有五、周以て征とす、と。而るに此には乃ち貢するは、蓋し豫州は周に在りて畿内爲り。故に載師其の征を掌りて貢を制せず。禹の時に豫は畿外に在り。故に貢有るなり、と。此の義を推せば、則ち冀貢を言わざること知る可し。顏師古が曰く、紵を織りて以て布及び練を爲る、と。然れども經に但枲と紵とを貢すと言う。布を成すと未だ布を成さざるとは、詳らかにす可からず。纊は、細綿なり。磬錯は、磬を治むるの錯なり。常に用ゆる所の物に非ず。故に常の貢に非ず。必ず錫命を待ちて而して後に納むるなり。揚州の橘柚と同じ。然るに揚州は先に橘柚を言いて、此に先に錫貢を言うは、橘柚包を言うときは、則ち厥の篚の文に於て嫌無し。故に錫貢を言うこと後に在り。磬錯は、則ち厥の篚の文と相屬[つら]ぬるに嫌あり。故に錫貢を言うこと先に在り。蓋し立言の法ならん。

△浮于洛、達于河。豫州去帝都最近。豫之東境、徑自入河。豫之西境、則浮于洛、而後至河也。
【読み】
△洛に浮かんで、河に達す。豫州は帝都を去ること最も近し。豫の東境は、徑自ずから河に入る。豫の西境は、則ち洛に浮かんで、而して後に河に至るなり。

△華陽・黑水惟梁州。梁州之境、東距華山之南、西據黑水。華山、卽大華。見導山。黑水見導水。
【読み】
△華の陽[みなみ]・黑水は惟れ梁州なり。梁州の境は、東は華山の南に距[いた]り、西は黑水に據る。華山は、卽ち大華なり。導山に見えたり。黑水は導水に見えたり。

△岷・嶓旣藝。岷・嶓、二山名。岷山、地志在蜀郡湔氐道西徼外。在今茂州汶山縣、江水所出也。晁氏曰、蜀以山近江源者、通爲岷山、連峯接岫、重疊險阻、不詳遠近。靑城・天彭諸山之所環遶、皆古之岷山。靑城乃其第一峯也。嶓冢山、地志云、在隴西郡氐道縣。漾水所出。又云、在西縣。今興元府西縣三泉縣也。蓋嶓冢一山、跨于兩縣云。川原旣滌、水去不滯而無泛溢之患。其山已可種藝也。
【読み】
△岷[びん]・嶓[は]旣に藝す。岷・嶓は、二山の名。岷山は、地志に蜀郡湔氐道[せんていどう]の西徼[せいきょう]の外に在り、と。今の茂州汶山縣に在り、江水の出づる所なり。晁氏が曰く、蜀は山の江源に近き者を以て、通じて岷山とし、連峯接岫[しゅう]、重疊險阻にして、遠近を詳らかにせず。靑城・天彭諸山の環り遶[めぐ]る所は、皆古の岷山なり。靑城は乃ち其の第一峯なり。嶓冢山は、地志に云う、隴西郡氐道縣に在り、と。漾水[ようすい]の出づる所なり。又云う、西縣に在り、と。今の興元府西縣の三泉縣なり。蓋し嶓冢の一山は、兩縣に跨ると云う。川原旣に滌[すす]ぎ、水去りて滯らずして泛溢の患え無し。其の山は已に種藝す可きなり。

△沱・潛旣道。此江・漢別流之在梁州者。沱水、地志蜀郡郫縣、江・沱在東、西入大江郫縣。今成都府郫縣也。又地志云、蜀郡汶江縣、江・沱在西南東入江。汶江縣、今永康軍導江縣也。潛水、地志云、巴郡宕渠縣、潛水西南入江。宕渠、今渠州流江縣也。酈道元謂、宕渠縣有大穴、潛水入焉。通罡山下、西南潛出南入于江。又地志漢中郡安陽縣、灊谷水出西南入漢。灊、音潛。安陽縣、今洋州眞符縣也。○又按梁州乃江・漢之原、此不志者、岷之藝導江也。嶓之藝導漾也。道沱、則江悉矣。道潛、則漢悉矣。上志岷・嶓、下志沱・潛。江・漢源流於是而見。
【読み】
△沱[た]・潛旣に道なる。此れ江・漢別流の梁州に在る者なり。沱水は、地志に蜀郡郫[ひ]縣、江・沱東に在り、西して大江郫縣に入る、と。今の成都府郫縣なり。又地志に云う、蜀郡汶江縣、江・沱西南に在りて東して江に入る、と。汶江縣は、今の永康軍導江縣なり。潛水は、地志に云う、巴郡宕渠[とうきょ]縣、潛水西南して江に入る、と。宕渠は、今の渠州流江縣なり。酈道元が謂う、宕渠縣に大穴有り、潛水焉に入る。罡[こう]山の下に通じて、西南に潛出でて南して江に入る、と。又地志に漢中郡安陽縣、灊[せん]谷水西南に出でて漢に入る、と。灊は、音潛。安陽縣は、今の洋州眞符縣なり。○又按ずるに梁州乃ち江・漢の原、此に志[しる]さざるは、岷の藝は江を導くなり。嶓の藝は漾を導くなり。沱を道[みちび]くときは、則ち江悉[つ]くせり。潛を道くときは、則ち漢悉くせり。上に岷・嶓と志し、下に沱・潛と志す。江・漢の源流是に於て見る。

△蔡・蒙旅平。蔡・蒙、二山名。蔡山、輿地記在今雅州嚴道縣。蒙山、地志蜀郡靑衣縣。今雅州名山縣也。酈道元謂、山上合下開。沫水逕其閒。溷崖水脈漂疾、歷代爲患。蜀郡太守李冰、發卒鑿平溷崖。則此二山在禹爲用功多也。祭山曰旅。旅平者、治功畢而旅祭也。
【読み】
△蔡・蒙旅し平らぐ。蔡・蒙は、二山の名。蔡山は、輿地記に今の雅州嚴道縣に在り、と。蒙山は、地志に蜀郡靑衣縣、と。今の雅州名山縣なり。酈道元が謂う、山上合いて下開く。沫水其の閒を逕る。溷[こん]崖水脈漂疾にして、歷代患えを爲す。蜀郡の太守李冰、卒を發して溷崖を鑿り平らぐ。則ち此の二山は禹に在りて用功を爲すこと多し。山を祭るを旅と曰う。旅平とは、治功畢わりて旅祭するなり。

△和夷厎績。和夷、地名。嚴道以西有和川、有夷道。或其地也。又按晁氏曰、和夷、二水名。和水、今雅州滎經縣北。和川水、自蠻界羅嵒州東西來、逕蒙山。所謂靑衣水而入岷・江者也。夷水、出巴郡魚復縣、東南過佷山縣南、又東過夷道縣北、東入于江。今詳二說、皆未可必。但經言厎績者三。覃懷・原隰、旣皆地名、則此恐爲地名。或地名因水、亦不可知也。
【読み】
△和夷績[こと]を厎[いた]す。和夷は、地の名。嚴道より以西に和川有り、夷道有り。或は其の地ならん。又按ずるに晁氏が曰く、和夷は、二水の名なり。和水は、今の雅州滎經縣の北。和川の水は、蠻界羅嵒[らがん]州の東西より來り、蒙山を逕る、と。所謂靑衣水にして岷・江に入る者なり。夷水は、巴郡魚復縣より出でて、東南して佷山[こんざん]縣の南を過ぎ、又東して夷道縣の北を過ぎ、東して江に入る、と。今二說を詳らかにするに、皆未だ必とす可からず。但經に績を厎すと言う者三つ。覃懷[たんかい]・原隰、旣に皆地の名なるときは、則ち此れ恐らくは地の名爲らん。或は地の名の水に因るも、亦知る可からず。

△厥土靑黎。黎、黑也。
【読み】
△厥の土は靑く黎[くろ]し。黎は、黑きなり。

△厥田惟下上。厥賦下中三錯。田第七等、賦第八等、雜出第七第九等也。按賦雜出他等者、或以爲歲有豐凶、或以爲戶有增減、皆非也。意者地力有上下年分不同。如周官田一易再易之類。故賦之等第亦有上下年分。冀之正賦第一等、而閒歲第二等也。揚之正賦第七等、而閒歲第六等也。豫之正賦第二等、而閒歲第一等也。梁之正賦第八等、而閒歲出第七第九等也。當時必有條目詳具。今不存矣。書之所載、特凡例也。若謂歲之豐凶、戶之增減、則九州皆然、何獨於冀・揚・豫・梁四州言哉。
【読み】
△厥の田は惟れ下の上なり。厥の賦は下の中にして三つ錯[まじ]われり。田は第七等、賦は第八等にて、第七第九等を雜え出だすなり。按ずるに賦他の等を雜え出だす者は、或は以爲えらく、歲に豐凶有り、或は以爲えらく、戶に增減有りとは、皆非なり。意は地力に上下年分同じからざる有り。周官の田一易再易の類の如し。故に賦の等第も亦上下年分有り。冀の正賦は第一等にして、閒歲は第二等なり。揚の正賦は第七等にして、閒歲は第六等なり。豫の正賦は第二等にして、閒歲は第一等なり。梁の正賦は第八等にして、閒歲は第七第九等を出だすなり。當時必ず條目の詳らかに具わる有り。今存せず。書の載する所は、特に凡例なり。若し歲の豐凶、戶の增減なりと謂わば、則ち九州皆然るに、何ぞ獨り冀・揚・豫・梁の四州に於てのみ言わんや。

△厥貢璆鐵・銀鏤・砮磬・熊羆・狐貍・織皮。璆、玉磬。鐵、柔鐵也。鏤、剛鐵。可以刻鏤者也。磬、石磬也。言鐵而先於銀者、鐵之利多於銀也。後世蜀之卓氏・程氏、以鐵冶富擬封君、則梁之利尤在於鐵也。織皮者、梁州之地、山林爲多、獸之所走、熊羆狐狸四獸之皮、製之可以爲裘、其毳毛織之可以爲罽也。○林氏曰、徐州貢浮磬。此州旣貢玉磬、又貢石磬。豫州又貢磬錯。以此觀之、則知當時樂器、磬最爲重。豈非以其聲角、而在淸濁小大之閒、最難得其和者哉。
【読み】
△厥の貢は璆鐵[きゅうてつ]・銀鏤[ぎんろう]・砮磬・熊羆[ゆうひ]・狐貍・織れる皮なり。璆は、玉磬。鐵は、柔鐵なり。鏤は、剛鐵。以て刻鏤す可き者なり。磬は、石磬なり。鐵を言いて銀より先にする者は、鐵の利銀より多ければなり。後世蜀の卓氏・程氏、鐵冶を以て富み封君に擬するときは、則ち梁の利尤も鐵に在り。織れる皮は、梁州の地、山林多きを爲し、獸の走る所、熊羆狐狸四獸の皮、之を製して以て裘に爲る可く、其の毳毛[ぜいもう]之を織りて以て罽[けい]に爲る可し。○林氏が曰く、徐州は浮磬を貢す。此の州旣に玉磬を貢し、又石磬を貢す。豫州も又磬錯を貢す。此を以て之を觀れば、則ち知る、當時の樂器は、磬を最も重きとす。豈其の聲は角にして、淸濁小大の閒に在るを以て、最も其の和を得難き者に非ざらんや、と。

△西傾因桓是來。浮于潛、逾于沔、入于渭、亂于河。西傾、山名。地志在隴西郡臨洮縣西。今洮州臨潭縣西南。桓、水名。水經曰、西傾之南、桓水出焉。蘇氏曰、漢始出爲漾、東南流爲沔、至漢中東行爲漢沔。酈道元曰、自西傾而至葭萌、浮于西漢。西漢、卽潛水也。自西漢遡流而屆于晉壽界。阻漾・枝・津、南歷岡北迤邐接漢・沔、歷漢川至于褒水。逾褒而曁于衙嶺之南溪、灌于斜川、屆于武功、而北以入于渭。漢武帝時、人有上書欲通褒斜道、及漕事、下張湯問之。云、褒水通沔斜水通渭、皆可以漕。從南陽上沔入褒。褒絕水至斜、閒百餘里。以車轉從斜下渭。如此則漢中穀可致。經言沔・渭、而不言褒・斜者、因大以見小也。褒・斜之閒、絕水百餘里。故曰逾。然於經文則當曰逾于渭、今曰逾于沔。此又未可曉也。絕河而渡曰亂。
【読み】
△西傾より桓に因りて是に來る。潛に浮かび、沔[べん]を逾え、渭に入り、河を亂[わた]る。西傾は、山の名。地志に隴西郡臨洮縣の西に在り、と。今の洮州臨潭[りんたん]縣の西南なり。桓は、水の名。水經に曰く、西傾の南、桓水出づ、と。蘇氏が曰く、漢始めて出でて漾と爲り、東南に流れて沔と爲り、漢中に至りて東行して漢沔と爲る、と。酈道元が曰く、西傾よりして葭萌[かぼう]に至り、西漢に浮かぶ。西漢は、卽ち潛水なり。西漢より流れに遡りて晉壽の界に屆る。漾・枝・津を阻して、南して岡北を歷て迤邐[いり]して漢・沔に接し、漢川を歷て褒水に至る。褒を逾えて衙嶺[がれい]の南溪に曁[およ]び、斜川に灌ぎ、武功に屆りて、北して以て渭に入る、と。漢の武帝の時、人上書して褒斜の道を通じ、及び漕の事を欲するもの有り、張湯に下して之を問わしむ。云う、褒水は沔に通じ斜水は渭に通じて、皆以て漕す可し。南陽より沔に上り褒に入る。褒水を絕ちて斜に至ること、百餘里を閒[へだ]つ。車を以て轉じて斜より渭に下らん。此の如くならば則ち漢中の穀致す可し、と。經に沔・渭を言いて、褒・斜を言わざるは、大に因りて以て小を見すなり。褒・斜の閒、水を絕つこと百餘里。故に逾と曰う。然れども經文に於て則ち當に渭を逾ゆと曰うべくして、今沔を逾ゆと曰う。此れ又未だ曉[さと]る可からず。河を絕ちて渡るを亂と曰う。

△黑水・西河惟雍州。雍州之域、西據黑水、東距西河。謂之西河者、主冀都而言也。
【読み】
△黑水・西河は惟れ雍州なり。雍州の域、西は黑水に據り、東は西河に距る。之を西河と謂うは、冀都を主として言えり。

△弱水旣西。劉宗元曰、西海之山有水焉。散渙無力。不能負芥。投之則委靡墊沒、及底而後止。故名曰弱。旣西者、導之西流也。地志云、在張掖郡刪丹縣。薛氏曰、弱水出吐谷渾界窮石山、自刪丹西至合黎山、與張掖縣河合。又按通鑑、魏太武擊柔然至栗水、西行至菟園水、分郡搜討。又循弱水、西行至涿邪山、則弱水在菟園水之西、涿邪山之東矣。北史載太武至菟園水、分軍搜討。東至瀚海、西接張掖水、北度燕然山。與通鑑小異。豈瀚海・張掖水、於弱水爲近乎。程氏據西域傳、以弱水爲在條支。援引甚悉。然長安西行一萬二千二百里、又百餘日方至條支。其去雍州如此之遠。禹豈應窮荒而導其流也哉。其說非是。
【読み】
△弱水旣に西す。劉宗元が曰く、西海の山に水有り。散渙として力無し。芥を負うこと能わず。之を投ずれば則ち委靡墊沒[てんぼつ]し、底に及んで後に止む、と。故に名づけて弱と曰う。旣に西すとは、之を導いて西に流るるなり。地志に云う、張掖郡刪丹縣に在り、と。薛氏が曰く、弱水は吐谷渾の界の窮石山に出でて、刪丹の西より合黎山に至りて、張掖縣の河と合う、と。又按ずるに通鑑に、魏の太武柔然を擊たんとして栗水に至り、西行して菟園[とえん]水に至り、郡を分かちて搜討す。又弱水に循いて、西行して涿邪山に至るときは、則ち弱水は菟園水の西、涿邪山の東に在り、と。北史に載す、太武菟園水に至りて、軍を分かちて搜討す。東は瀚海に至り、西は張掖水に接し、北は燕然山に度[わた]る、と。通鑑と小しく異なり。豈瀚海・張掖水を、弱水に於て近きとせんや。程氏西域傳に據りて、弱水を以て條支に在りとす。援引すること甚だ悉くせり。然れども長安より西行すること一萬二千二百里、又百餘日にして方に條支に至る。其の雍州を去ること此の如く遠し。禹豈應に荒を窮めて其の流を導くべけんや。其の說是に非ず。

△涇屬渭・汭。涇・渭・汭、三水名。涇水、地志出安定郡涇陽縣西。今原州百泉縣岍頭山也。東南至馮翊陽陵縣入渭。今永興軍高陵縣也。渭水、地志出隴西郡首陽縣西南。今渭州渭源縣、鳥鼠山西北南谷山也。東至京兆船司空縣入河。今華州華陰縣也。汭水、地志作芮。扶風岍縣弦蒲藪。芮水出其西北、東入涇。今隴州岍源縣弦蒲藪有汭水焉。周職方雍州其川涇・汭。詩曰、汭鞫之卽、皆謂是也。屬、連屬也。涇水連屬渭・汭二水也。
【読み】
△涇は渭・汭[ぜい]に屬[つづ]く。涇・渭・汭は、三水の名。涇水は、地志に安定郡涇陽縣の西より出づ、と。今の原州百泉縣の岍[けん]頭山なり。東南して馮翊[ひょうよく]陽陵縣に至りて渭に入る。今の永興軍高陵縣なり。渭水は、地志に隴西郡首陽縣の西南より出づ、と。今の渭州渭源縣、鳥鼠山の西北の南谷山なり。東して京兆船司空縣に至りて河に入る。今の華州華陰縣なり。汭水は、地志に芮[ぜい]に作る。扶風岍縣の弦蒲藪なり。芮水は其の西北より出でて、東して涇に入る。今の隴州岍源縣の弦蒲藪に汭水有り。周の職方に雍州其の川は涇・汭、と。詩に曰く、汭の鞫[ほか]まで之れ卽くとは、皆是を謂うなり。屬は、連屬なり。涇水は渭・汭二水に連屬するなり。

△漆・沮旣從。漆・沮、二水名。漆水、寰宇記自耀州同官縣東北界來、經華原縣合沮水。沮水、地志出北地郡直路縣東。今坊州宜君縣西北境也。寰宇記、沮水自坊州昇平縣北、子午嶺出。俗號子午水。下合楡谷・慈馬等川、遂爲沮水。至耀州華原縣合漆水。至同州朝邑縣東南入渭。二水相敵。故竝言之。旣從者、從於渭也。又按地志謂漆水出扶風縣。晁氏曰、此豳之漆也。水經漆水出扶風杜陽縣。程氏曰、杜陽、今岐山普潤縣之地。亦漢漆縣之境。其水入渭、在灃水之上。與經序渭水節次不合。非禹貢之漆水也。
【読み】
△漆・沮旣に從う。漆・沮は、二水の名。漆水は、寰宇記[かんうき]に耀州同官縣の東北の界より來りて、華原縣を經て沮水に合う、と。沮水は、地志に北地郡直路縣の東より出づ、と。今の坊州宜君縣の西北の境なり。寰宇記に、沮水は坊州昇平縣の北、子午嶺より出づ。俗に子午水と號す。下りて楡谷・慈馬等の川に合いて、遂に沮水と爲る。耀州華原縣に至りて漆水に合う。同州朝邑縣の東南に至りて渭に入る、と。二水相敵す。故に竝べて之を言う。旣に從うとは、渭に從うなり。又按ずるに地志に謂ゆる漆水は扶風縣より出づ、と。晁氏が曰く、此れ豳[ひん]の漆なり、と。水經に漆水は扶風杜陽縣より出づ、と。程氏が曰く、杜陽は、今の岐山普潤縣の地。亦漢漆縣の境なり。其の水は渭に入り、灃[ほう]水の上に在り、と。經の渭水を序ずる節次と合わず。禹貢の漆水に非ず。

△灃水攸同。灃水、地志作鄷。出扶風鄠縣終南山。今永興軍鄠縣山也。東至咸陽縣入渭。同者、同於渭也。渭水自鳥鼠而東、灃水南注之、涇水北注之、漆・沮東北注之。曰屬曰從曰同、皆主渭而言也。
【読み】
△灃水[ほうすい]同じくする攸なり。灃水は、地志に鄷[ほう]に作る。扶風鄠[こ]縣終南山より出づ。今の永興軍鄠縣山なり。東して咸陽縣に至りて渭に入る。同じくすとは、渭に同じくするなり。渭水鳥鼠よりして東し、灃水南より之に注ぎ、涇水北より之に注ぎ、漆・沮東北より之に注ぐ。屬と曰い從と曰い同と曰うは、皆渭を主として言えり。

△荆・岐旣旅。終南・惇物、至于鳥鼠。荆・岐、二山名。荆山、卽北條之荆。地志在馮翊懷德縣南。今耀州富平縣掘陵原也。岐山、地志在扶風美陽縣西北。今鳳翔府岐山縣東北十里也。終南・惇物・鳥鼠、亦皆山名。終南、地志古文以太一山爲終南山。在扶風武功縣。今永興軍萬年縣南五十里也。惇物、地志古文以埀山爲惇物。在扶風武功縣。今永興軍武功縣也。鳥鼠、地志在隴西郡首陽縣西南。今渭州渭源縣西也。俗呼爲靑雀山。舉三山而不言所治者、蒙上旣旅之文也。
【読み】
△荆・岐旣に旅す。終南・惇物より、鳥鼠に至る。荆・岐は、二山の名。荆山は、卽ち北條の荆なり。地志に馮翊[ひょうよく]懷德縣の南に在り、と。今の耀州富平縣の掘陵原なり。岐山は、地志に扶風美陽縣の西北に在り、と。今の鳳翔府岐山縣の東北十里なり。終南・惇物・鳥鼠も、亦皆山の名なり。終南は、地志古文に太一山を以て終南山とす。扶風武功縣に在り、と。今の永興軍萬年縣の南五十里なり。惇物は、地志古文に埀山を以て惇物とす。扶風武功縣に在り、と。今の永興軍武功縣なり。鳥鼠は、地志に隴西郡首陽縣の西南に在り、と。今の渭州渭源縣の西なり。俗に呼んで靑雀山とす。三山を舉げて所治を言わざるは、上の旣に旅すの文に蒙ればなり。

△原隰厎績、至于豬野。廣平曰原。下濕曰隰。詩曰、度其隰原、卽指此也。鄭氏曰、其地在豳。今邠州也。豬野、地志云、武威縣東北有休屠澤、古今以爲豬野。今涼州姑臧縣也。治水成功、自高而下。故先言山、次原隰、次陂澤也。
【読み】
△原隰績[こと]を厎[いた]して、豬野に至る。廣平を原と曰う。下濕を隰と曰う。詩に曰く、其の隰原を度[わた]るとは、卽ち此を指すなり。鄭氏が曰く、其の地豳に在り。今の邠[ひん]州なり、と。豬野は、地志に云う、武威縣の東北に休屠澤有り、古今以て豬野とす、と。今の涼州姑臧[こそう]縣なり。水を治め功を成すは、高きよりして下。故に先ず山を言いて、次に原隰、次に陂澤なり。

△三危旣宅。三苗丕敍。三危、卽舜竄三苗之地。或以爲燉煌。未詳其地。三苗之竄、在洪水未平之前。及是三危已旣可居、三苗於是大有功敍。今按舜竄三苗、以其惡之尤甚者遷之、而立其次者於舊都。今旣竄者已丕敍、而居於舊都者、尙桀驁不服。蓋三苗舊都、山川險阻、氣習使然。今湖南徭洞、時猶竊發。俘而詢之、多爲猫姓。豈其遺種歟。
【読み】
△三危旣に宅れり。三苗丕[おお]いに敍あり。三危は、卽ち舜の三苗を竄[さん]するの地なり。或ひと以爲えらく燉煌、と。未だ其の地を詳らかにせず。三苗の竄は、洪水未だ平らげざるの前に在り。是の三危已旣に居る可きに及んで、三苗是に於て大いに功敍有り。今按ずるに舜の三苗を竄するは、其の惡の尤も甚だしき者を以て之を遷して、其の次なる者を舊都に立つ。今旣に竄者已に丕いに敍で、舊都に居る者、尙桀驁[けつごう]して服せず。蓋し三苗の舊都、山川險阻にて、氣習然らしむ。今湖南徭洞[ようどう]、時に猶竊かに發す。俘[とりこ]にして之を詢[と]わば、多く猫姓爲り。豈其れ遺種か。

△厥土惟黃壤。黃者、土之正色。林氏曰、物得其常性者最貴。雍州之土黃壤。故其田非他州所及。
【読み】
△厥の土は惟れ黃壤なり。黃は、土の正色なり。林氏が曰く、物の其の常性を得る者最も貴し。雍州の土は黃壤なり。故に其の田は他州の及ぶ所に非ず、と。

△厥田惟上上。厥賦中下。田第一等、而賦第六等者、地狹而人功少也。
【読み】
△厥の田は惟れ上の上なり。厥の賦は中の下なり。田第一等にして、賦第六等なるは、地狹くして人功少なければなり。

△厥貢惟球琳・琅玕。球琳、美玉也。琅玕、石之似珠者。爾雅曰、西北之美者、有崐崘虛之球琳・琅玕。今南海有靑琅玕・珊瑚屬也。
【読み】
△厥の貢は惟れ球琳・琅玕[ろうかん]なり。球琳は、美玉なり。琅玕は、石の珠に似たる者。爾雅に曰く、西北の美しき者、崐崘[こんろん]虛の球琳・琅玕有り、と。今南海に靑琅玕・珊瑚の屬有り。

△浮于積石、至于龍門・西河、會于渭汭。積石、地志在金城郡河關縣西南羌中。今鄯州龍支縣界也。龍門山、地志在馮翊夏陽縣。今河中府龍門縣也。西河、冀之西河也。雍之貢道有二。其東北境、則自積石至于西河。其西南境、則會于渭汭。言渭汭不言河者、蒙梁州之文也。他州貢賦亦當不止一道。發此例以互見耳。○按邢恕奏、乞下煕河路、打造船五百隻、於黃河順流放下、至會州西小河内、藏放煕河路。漕使李復奏、竊知邢恕欲用此船載兵順流而下、去取興州、契勘會州之西。小河鹹水、其闊不及一丈、深止於一二尺。豈能藏船。黃河過會州、入韋精山。石峽險窄、自上埀流直下、高數十丈。船豈可過。至西安州之東、大河分爲六七道、散流渭之南山、逆流數十里、方再合。逆溜水淺灘磧、不勝舟載。此聲若出、必爲夏國侮笑。事遂寢。邢恕之策、如李復之言、可謂謬矣。然此言貢賦之路。亦曰浮于積石、至于龍門・西河。則古來此處河道、固通舟楫矣。而復之言乃如此何也。姑錄之以備參考云。
【読み】
△積石に浮かんで、龍門・西河に至り、渭汭[いぜい]に會す。積石は、地志に金城郡河關縣の西南の羌中に在り、と。今の鄯[ぜん]州龍支縣の界なり。龍門山は、地志に馮翊[ひょうよく]夏陽縣に在り、と。今の河中府龍門縣なり。西河は、冀の西河なり。雍の貢道は二つ有り。其の東北の境は、則ち積石より西河に至る。其の西南の境は、則ち渭汭に會す。渭汭を言いて河を言わざるは、梁州の文に蒙れり。他州の貢賦も亦當に一道に止まらざるべし。此の例を發して以て互いに見るのみ。○按ずるに邢恕奏すらく、乞う、煕河路を下りて、造船五百隻を打[つく]り、黃河の順流に於て放下し、會州の西の小河の内に至りて、藏して煕河路に放たん、と。漕使李復奏すらく、竊かに知る、邢恕は此の船を用いて兵を載せて流れに順いて下り、興州に去取し、會州の西に契勘せんと欲す。小河鹹水[かんすい]、其の闊[ひろ]きこと一丈に及ばず、深きこと一二尺に止まる。豈能く船を藏さんや。黃河は會州を過ぎて、韋精山に入る。石峽險窄にして、上より埀れ流れ直に下ること、高さ數十丈なり。船豈過ぐ可けんや。西安州の東に至りて、大河分かれて六七道と爲り、渭の南山に散流し、逆流すること數十里にして、方に再び合う。逆溜水淺く灘は磧にして、舟を載するに勝えず。此の聲若し出ださば、必ず夏國の爲に侮笑せられん、と。事遂に寢[や]みぬ。邢恕が策、李復が言の如くなれば、謬れりと謂う可し。然れども此れ貢賦の路を言う。亦曰う、積石に浮かんで、龍門・西河に至る、と。則ち古來此の處の河道は、固より舟楫を通ぜん。而るに復が言の乃ち此の如きは何ぞや。姑く之を錄して以て參考に備うと云う。

△織皮崑崙・析支・渠搜、西戎卽敍。崑崙、卽河源所出。在臨羌。析支、在河關西千餘里。渠搜、水經曰、河自朔方東轉、經渠搜縣故城北。蓋近朔方之地也。三國皆貢皮衣。故以織皮冠之。皆西方戎落。故以西戎總之。卽、就也。雍州水土旣平而餘功及於西戎。故附于末。○蘇氏曰、靑・徐・揚三州、皆萊夷・淮夷・島夷所篚。此三國亦篚織皮。但古語有顚倒詳略爾。其文當在厥貢惟球琳・琅玕之下、浮于積石之上。簡篇脫誤、不可不正。愚謂、梁州亦篚織皮。恐蘇氏之說爲然。
【読み】
△織皮の崑崙・析支・渠搜より、西戎卽き敍ず。崑崙は、卽ち河源の出づる所。臨羌に在り。析支は、河關の西千餘里に在り。渠搜は、水經に曰く、河は朔方より東に轉じ、渠搜縣の故城の北を經、と。蓋し朔方に近き地なり。三國皆皮衣を貢す。故に織皮を以て之を冠らしむ。皆西方の戎落。故に西戎を以て之を總ぶ。卽は、就くなり。雍州の水土旣に平らげて餘功西戎に及ぶ。故に末に附す。○蘇氏が曰く、靑・徐・揚の三州は、皆萊夷・淮夷・島夷の篚する所。此の三國も亦織皮を篚す。但古語に顚倒詳略有るのみ。其の文は當に厥貢惟球琳・琅玕の下、浮于積石の上に在るべし。簡篇脫誤、正さずんばある可からず、と。愚謂えらく、梁州も亦織皮を篚す。恐らくは蘇氏が說を然りとす。

△導岍及岐、至于荆山。逾于河、壺口・雷首、至于太岳。厎柱・析城、至于王屋。太行・恆山、至于碣石入于海。此下隨山也。岍・岐・荆三山、皆雍州山。岍山、地志扶風岍縣西吳山。古文以爲汧山。今隴州吳山縣吳嶽山也。周禮雍州山鎭曰嶽山。又按寰宇記、隴州岍源有岍山。岍水所出。禹貢所謂岍山也。晁氏以爲今之隴山・天井・金門・秦嶺山者、皆古之岍也。岐・荆、見雍州。壺口・雷首・太岳・厎柱・析城・王屋・太行・恆山、皆冀州山。壺口・太岳・碣石、見冀州。雷首、地志在河東郡蒲坂縣南。今河中府河東縣也。厎柱石、在大河中流。其形如柱。今陜州陜縣三門山是也。析城、地志在河東郡濩澤縣西。今澤州陽城縣也。晁氏曰、山峯四面如城。王屋、地志在河東郡垣縣東北。今絳州垣曲縣也。晁氏曰、山狀如屋。太行山、地志在河内郡山陽縣西北。今懷州河内也。恆山、地志在常山郡上曲陽縣西北。今定州曲陽也。逾者、禹自荆山而過于河也。孔氏以爲、荆山之脈、逾河而爲壺口・雷首者非是。蓋禹之治水、隨山刋木。其所表識諸山之名、必其高大可以辨疆域、廣博可以奠民居。故謹而書之、以見其施功之次第。初非有意推其脈絡之所自來。若今之葬法所言也。若必實以山脈言之、則尤見其說之謬妄。蓋河北諸山根本、脊脈皆自代北・寰武・嵐憲諸州乘高而來。其脊以西之水、則西流以入龍門・西河之上流。其脊以東之水、則東流而爲桑乾・幽・冀、以入于海。其西一支爲壺口・太岳。次一支包汾・晉之源、而南出以爲析城・王屋、而又西折以爲雷首。又次一支乃爲太行、又次一支乃爲恆山。其閒各隔沁潞、諸川不相連屬。豈自岍・岐跨河而爲是諸山哉。山之經理者、已附于逐州之下。於此又條列而詳記之。而山之經緯皆可見矣。王・鄭有三條四列之名。皆爲未當。今據導字分之、以爲南北二條、而江・河以爲之紀。於二之中又分爲二焉。此北條大河、北境之山也。
【読み】
△岍[けん]及び岐を導いて、荆山に至る。河を逾え、壺口・雷首より、太岳に至る。厎柱[しちゅう]・析城より、王屋に至る。太行・恆山より、碣石[けっせき]に至りて海に入る。此より下は山に隨うなり。岍・岐・荆の三山は、皆雍州の山。岍山は、地志に扶風岍縣の西の吳山なり。古文に以て汧山[けんざん]とす。今の隴州吳山縣の吳嶽山なり。周禮に雍州の山鎭を嶽山と曰う、と。又按ずるに寰宇記[かんうき]に、隴州の岍源に岍山有り。岍水出づる所。禹貢に所謂岍山なり、と。晁氏以爲えらく、今の隴山・天井・金門・秦嶺山は、皆古の岍なり、と。岐・荆は、雍州に見えたり。壺口・雷首・太岳・厎柱・析城・王屋・太行・恆山は、皆冀州の山なり。壺口・太岳・碣石は、冀州に見えたり。雷首は、地志に河東郡蒲坂縣の南に在り、と。今の河中府河東縣なり。厎柱石は、大河の中流に在り。其の形は柱の如し。今の陜州陜縣の三門山是れなり。析城は、地志に河東郡濩澤[こたく]縣の西に在り、と。今の澤州陽城縣なり。晁氏が曰く、山峯の四面城の如し。王屋は、地志に河東郡垣縣の東北に在り、と。今の絳[こう]州垣曲縣なり。晁氏が曰く、山の狀屋の如し、と。太行山は、地志に河内郡山陽縣の西北に在り、と。今の懷州の河内なり。恆山は、地志に常山郡上曲陽縣の西北に在り、と。今の定州の曲陽なり。逾とは、禹荆山よりして河を過ぐなり。孔氏以爲えらく、荆山の脈、河を逾えて壺口・雷首と爲る者是に非ず。蓋し禹の水を治むるに、山に隨い木を刋[き]る。其の表識する所の諸山の名は、必ず其れ高大にして以て疆域を辨ず可く、廣博にして以て民居を奠[さだ]む可し。故に謹んで而して之を書して、以て其の功を施すの次第を見す。初めより其の脈絡の自りて來る所を推すに意有るに非ず。今の葬法に言う所の若し。必ず實に山脈を以て之を言うが若くなれば、則ち尤も其の說の謬妄を見る。蓋し河北諸山の根本、脊脈皆代北・寰武・嵐憲の諸州より高きに乘じて來る。其の脊以西の水は、則ち西に流れて以て龍門・西河の上流に入る。其の脊以東の水は、則ち東に流れて桑乾・幽・冀と爲りて、以て海に入る。其の西の一支は壺口・太岳と爲る。次の一支は汾・晉の源を包ねて、南に出でて以て析城・王屋と爲り、而して又西に折れて以て雷首と爲る。又次の一支は乃ち太行と爲り、又次の一支は乃ち恆山と爲る。其の閒各々沁潞を隔てて、諸川相連屬せず。豈岍・岐より河を跨いで是の諸山と爲らんや、と。山の經理の者、已に逐州の下に附す。此に於て又條列して詳らかに之を記す。而して山の經緯皆見る可し。王・鄭に三條四列の名有り。皆未だ當たらずとす。今導の字に據りて之を分かちて、以て南北二條として、江・河以て之が紀とす。二つの中に於て又分かちて二つとす。此れ北條の大河、北境の山なり。

△西傾・朱圉・鳥鼠、至于太華。熊耳・外方・桐柏、至于陪尾。西傾・朱圉・鳥鼠・太華、雍州山也。熊耳・外方・桐柏・陪尾、豫州山也。西傾、見梁州。朱圉、地志在天水郡冀縣南。今秦州大潭縣也。俗呼爲白巖山。鳥鼠、見雍州。太華、地志在京兆華陰縣南。今華州華陰縣二十里也。熊耳、在商州上洛縣。詳見豫州。外方、地志穎川郡崈高縣有崈高山、古文以爲外方。在今西京登封縣也。桐柏、地志在南陽郡平氏縣東南。今唐州桐柏縣也。陪尾、地志江夏郡安陸縣東北有橫尾山、古文以爲陪尾。今安州安陸也。西傾不言導者、蒙導岍之文也。此北條大河、南境之山也。
【読み】
△西傾・朱圉[しゅぎょ]・鳥鼠より、太華に至る。熊耳・外方・桐柏より、陪尾に至る。西傾・朱圉・鳥鼠・太華は、雍州の山なり。熊耳・外方・桐柏・陪尾は、豫州の山なり。西傾は、梁州に見えたり。朱圉は、地志に天水郡冀縣の南に在り、と。今の秦州大潭[たん]縣なり。俗に呼んで白巖山とす。鳥鼠は、雍州に見えたり。太華は、地志に京兆華陰縣の南に在り、と。今の華州華陰縣の二十里なり。熊耳は、商州上洛縣に在り。詳らかに豫州に見えたり。外方は、地志に穎川郡崈高縣に崈高山有り、古文に以て外方とす。今の西京登封縣に在り。桐柏は、地志に南陽郡平氏縣の東南に在り、と。今の唐州桐柏縣なり。陪尾は、地志に江夏郡安陸縣の東北に橫尾山有り、古文に以て陪尾とす。今の安州安陸なり。西傾導を言わざるは、導岍の文に蒙れり。此れ北條の大河、南境の山なり。

△導嶓冢、至于荆山。内方至于大別。嶓冢、卽梁州之嶓也。山形如冢。故謂之嶓冢。詳見梁州。荆山、南條荆山。地志在南郡臨沮縣北。今襄陽府南章縣也。内方・大別、亦山名。内方、地志章山。古文以爲内方山在江夏郡竟陵縣東北。今荆門軍長林縣也。左傳吳與楚戰、楚濟漢而陳、自小別至于大別。蓋近漢之山、今漢陽軍漢陽縣北大別山是也。地志水經云在安豐者非是。此南條江漢、北境之山也。
【読み】
△嶓冢[はちょう]を導いて、荆山に至る。内方より大別に至る。嶓冢は、卽ち梁州の嶓なり。山の形冢の如し。故に之を嶓冢と謂う。詳らかに梁州に見えたり。荆山は、南條の荆山なり。地志に南郡臨沮縣の北に在り、と。今の襄陽府南章縣なり。内方・大別も、亦山の名なり。内方は、地志に章山、と。古文以て内方山は江夏郡竟陵縣の東北に在りとす。今の荆門軍長林縣なり。左傳に吳と楚と戰い、楚漢を濟りて陳し、小別より大別に至る、と。蓋し漢に近き山にて、今の漢陽軍漢陽縣の北の大別山是れなり。地志水經に安豐に在る者と云うは是に非ず。此れ南條の江漢、北境の山なり。

△岷山之陽、至于衡山、過九江、至于敷淺原。岷山、見梁州。衡山、南嶽也。地志在長沙國湘南縣。今潭州衡山縣也。九江、見荆州。敷淺原、地志云、豫章郡歷陵縣南有博易山。古文以爲敷淺原。今江州德安縣博陽山也。晁氏以爲在鄱陽者非是。今按晁氏以鄱陽有博陽山、又有歷陵山、爲應地志歷陵縣之名。然鄱陽、漢舊縣地、不應又爲歷陵縣。山名偶同。不足據也。江州德安、雖爲近之、然所謂敷淺原者、其山其小而卑。亦未見其爲在所表見者。惟廬阜在大江・彭蠡之交、最高且大。宜所當紀志者、而皆無考據。恐山川之名、古今或異。而傳者未必得其眞也。姑俟知者。過、經過也。與導岍逾于河之義同。孔氏以爲衡山之脈連延、而爲敷淺原者亦非是。蓋岷山之脈、其北一支爲衡山、而盡於洞庭之西、其南一支、度桂嶺、北經袁筠之地至德安。所謂敷淺原者。二支之閒、湘水閒斷。衡山在湘水西南、敷淺原在湘水東北。其非衡山之脈連延。過九江、而爲敷淺原者明甚。且其山川崗脊、源流具在眼前。而古今異說如此。況殘山斷港、歷數千百年者、尙何自取信哉。岷山不言導者、蒙導嶓冢之文也。此南條江漢、南境之山也。
【読み】
△岷山[びんざん]の陽[みなみ]より、衡山に至り、九江を過ぎて、敷淺原に至る。岷山は、梁州に見えたり。衡山は、南嶽なり。地志に長沙國湘南縣に在り、と。今の潭[たん]州衡山縣なり。九江は、荆州に見えたり。敷淺原は、地志に云う、豫章郡歷陵縣の南に博易山有り、と。古文に以て敷淺原とす。今の江州德安縣の博陽山なり。晁氏以爲えらく、鄱陽[はよう]に在るという者は是に非ず。今按ずるに晁氏鄱陽に博陽山有り、又歷陵山有るを以て、地志の歷陵縣の名に應ずとす。然れども鄱陽は、漢の舊縣の地にて、應に又歷陵縣とすべからず。山の名偶々同じ。據るに足らず。江州の德安は、之に近しとすと雖も、然れども所謂敷淺原は、其の山其れ小にして卑し。亦未だ其の在る所の表見を爲す者を見ず。惟れ廬阜は大江・彭蠡[ほうれい]の交わりに在り、最も高く且つ大なり。宜しく當に紀志すべき所の者にして、皆考え據ること無し。恐らくは山川の名、古今或は異なり。而して傳者未だ必ずしも其の眞を得ず。姑く知者を俟たん。過は、經過なり。岍を導いて河を逾ゆるの義と同じ。孔氏以爲えらく、衡山の脈連延として、敷淺原と爲るという者も亦是に非ず。蓋し岷山の脈は、其の北の一支は衡山と爲りて、洞庭の西を盡くし、其の南の一支は、桂嶺を度[わた]り、北して袁筠[えんいん]の地を經て德安に至る。所謂敷淺原という者なり。二支の閒、湘水閒斷す。衡山は湘水の西南に在り、敷淺原は湘水の東北に在り。其れ衡山の脈連延するに非ず。九江を過ぎて、敷淺原と爲る者明らかなること甚だし。且つ其れ山川の崗脊、源流具に眼前に在り。而るに古今異說此の如し。況んや殘山斷港、數千百年を歷る者、尙何ぞ自ら信を取らんや。岷山導を言わざるは、嶓冢を導くの文に蒙れり。此れ南條の江漢、南境の山なり。

△導弱水、至于合黎、餘波入于流沙。此下濬川也。弱水見雍州。合黎、山名。隋地志在張掖縣西北。亦名羌谷。流沙、杜佑云、在沙州西八十里。其沙隨風流行。故曰流沙。水之疏導者、已附于逐州之下。於此又派別而詳記之。而水之經徫皆可見矣。濬川之功、自隨山始。故導水次於導山也。又按山水皆原於西北。故禹敍山敍水、皆自西北而東南。導山則先岍・岐。導水則先弱水也。
【読み】
△弱水を導いて、合黎に至り、餘波は流沙に入る。此の下は川を濬[さら]うなり。弱水は雍州に見えたり。合黎は、山の名。隋の地志に張掖縣の西北に在り、と。亦羌谷と名づく。流沙は、杜佑が云う、沙州の西八十里に在り、と。其の沙風に隨いて流行す。故に流沙と曰う。水の疏導する者、已に逐州の下に附す。此に於て又派別にして詳らかに之を記す。而して水の經徫[けいい]皆見る可し。川を濬うの功、山に隨うにより始まる。故に導水は導山に次げり。又按ずるに山水は皆西北に原づく。故に禹山を敍で水を敍ずること、皆西北よりして東南なり。山を導くは則ち岍・岐を先にす。水を導くは則ち弱水を先にす。

△導黑水、至于三危、入于南海。黑水、地志出犍爲郡南廣縣汾關山。水經出張掖雞山、南至燉煌、過三危山、南流入于南海。唐樊綽云、西夷之水、南流入于南海者凡四。曰區江、曰西珥河、曰麗水、曰濔渃江、皆入于南海。其曰麗水者、卽古黑水也。三危山臨峙其上。按梁・雍二州、西邉皆以黑水爲界。是黑水自雍之西北、而直出梁之西南也。中國山勢岡脊、大抵皆自西北而來。積石・西傾・岷山・岡脊以東之水、旣入于河漢・岷江。其岡脊以西之水、卽爲黑水而入于南海。地志水經、樊氏之說、雖未詳的實、要是其地也。程氏曰、樊綽以麗水爲黑水者、恐其狹小不足爲界。其所稱西珥河者、却與漢志葉楡澤相貫。廣處可二十里。旣足以界別二州、其流又正趨南海。又漢滇池卽葉楡之地。武帝初開滇嶲時、其地古有黑水舊祠。夷人不知載籍、必不能附會。而綽及道元皆謂、此澤以楡葉所積得名、則其水之黑、似楡葉積漬所成。且其地乃在蜀之正西、又東北距宕昌不遠。宕昌、卽三苗種裔、與三苗之敍于三危者、又爲相應。其證驗莫此之明也。
【読み】
△黑水を導いて、三危に至り、南海に入る。黑水は、地志に犍爲[けんい]郡南廣縣の汾關山より出づ、と。水經に張掖雞山より出で、南して燉煌に至り、三危山を過ぎて、南に流れて南海に入る、と。唐の樊綽[はんしゃく]が云う、西夷の水、南に流れて南海に入る者凡そ四つ。區江と曰い、西珥[せいじ]河と曰い、麗水と曰い、濔渃[びじゃく]江と曰い、皆南海に入る。其れ麗水と曰う者は、卽ち古の黑水なり。三危山其の上に臨み峙[そばだ]つ、と。按ずるに梁・雍の二州、西邉は皆黑水を以て界とす。是れ黑水雍の西北よりして、直に梁の西南に出づるなり。中國の山勢岡脊、大抵皆西北よりして來る。積石・西傾・岷山・岡脊以東の水は、旣に河漢・岷江に入る。其の岡脊以西の水は、卽ち黑水と爲りて南海に入る。地志水經、樊氏が說、未だ的實を詳らかにせずと雖も、要すれば是れ其の地なり。程氏が曰く、樊綽麗水を以て黑水とする者、恐らくは其れ狹小にして界とするに足らず。其の西珥河と稱する所の者は、却って漢志の葉楡澤と相貫く。廣き處は二十里なる可し。旣に以て二州を界別するに足り、其の流れも又正に南海に趨く。又漢の滇池[てんち]は卽ち葉楡の地なり。武帝初めて滇嶲[てんけい]を開く時、其の地に古黑水の舊祠有り。夷人載籍を知らず、必ず附會すること能わず。而して綽及び道元も皆謂う、此の澤楡葉の積む所を以て名を得れば、則ち其の水の黑きこと、楡葉の積漬して成す所に似れり。且つ其の地は乃ち蜀の正西に在り、又東北は宕昌[とうしょう]に距ること遠からず。宕昌は、卽ち三苗の種裔と、三苗の三危に敍ずる者と、又相應を爲す、と。其の證驗此より明らかなること莫し。

△導河積石、至于龍門。南至于華陰、東至于厎柱、又東至于孟津。東過洛汭、至于大伾。北過洚水、至于大陸。又北播爲九河、同爲逆河入于海。積石・龍門、見雍州。華陰、華山之北也。厎柱、見導山。孟、地名。津、渡處也。杜預云、在河内郡河陽縣南。今孟州河陽縣也。武王師渡孟津者卽此。今亦名富平津。洛汭、洛水交流之内、在今河南府鞏縣之東。洛之入河、實在東南。河則自西而東過之。故曰東過洛汭。大伾、孔氏曰、山再成曰伾。張揖以爲在成皐。鄭玄以爲在脩武。武德臣瓚以爲脩武。武德無此山。成皐山又不再成。今通利軍黎陽縣臨河有山。蓋大伾也。按黎陽山、在大河埀欲趨北之地。故禹記之。若成皐之山、旣非從東折北之地。又無險礙如龍門・厎柱之須疏鑿。西去洛汭旣已大近、東距洚水・大陸、又爲絕遠。當以黎陽者爲是。洚水、地志在信都縣。今冀州信都縣枯洚渠也。程氏曰、周時河徙砱礫。至漢又改向頓丘東南流。與禹河迹大相背戾。地志魏郡鄴縣有故大河、在東北直達于海。疑卽禹之故河。孟康以爲王莽河非也。古洚瀆、自唐貝州經城北入南宮、貫穿信都。大抵北向而入。故河於信都之北爲合。北過洚水之文、當以信都者爲是。大陸、見冀州。九河、見兗州。逆河、意以海水逆潮而得名。九河旣淪于海、則逆河在其下流、固不復有矣。河上播而爲九、下同而爲一。其分播合同、皆水勢之自然。禹特順而導之耳。今按漢西域傳、張鶱所窮河源云、河有兩源。一出葱嶺、一出于闐。于闐、在南山下。其河北流與葱嶺河合。東注蒲昌海。蒲昌海、一名鹽澤。去玉門・陽關三百餘里、其水停居、冬夏不增減、潛行地中、南出積石。又唐長慶中薛元鼎使吐蕃。自隴西成紀縣西南、出塞二千餘里、得河源於莫賀延磧尾。曰悶磨黎山。其山中高四下。所謂崑崙也。東北流與積石河相連。河源澄瑩、冬春可涉。下稍合流。色赤益遠。他水幷注遂濁。吐蕃亦自言、崑崙在其國西南。二說恐薛氏爲是。河自積石三千里、而後至于龍門。經但一書積石、不言方向、荒遠在所略也。龍門而下、因其所經。記其自北而南、則曰南至華陰。記其自南而東、則曰東至厎柱。又詳記其東向所經之地、則曰孟津、曰洛汭、曰大伾。又記其自東而北、則曰北過洚水。又詳記其北向所經之地、則曰大陸、曰九河。又記其入海之處、則曰逆河。自洛汭而上、河行於山。其地皆可攷。自大伾而下、垠岸高於平地。故決齧流移、水陸變遷、而洚水・大陸・九河・逆河、皆難指實。然上求大伾、下得碣石、因其方向、辨其故迹、則猶可考也。其詳悉見上文。○又按李復云、同州韓城北、有安國嶺、東西四十餘里、東臨大河。瀕河有禹廟在山斷河出處。禹鑿龍門、起於唐張仁愿所築東受降城之東。自北而南、至此山盡。兩岸石壁峭立、大河盤束於山峽閒。千數百里、至此山開岸闊、豁然奔放、怒氣噴風、聲如萬雷。今按舊說、禹鑿龍門。而不詳其所以鑿、誦說相傳。但謂、因舊修闢去其齟齬、以決水勢而已。今詳此說、則謂、受降以東、至於龍門、皆是禹新開鑿。若果如此、則禹未鑿時、河之故道不知却在何處。而李氏之學極博。不知此說又何所考也。
【読み】
△河を積石より導いて、龍門に至る。南して華陰に至り、東して厎柱[しちゅう]に至り、又東して孟津に至る。東して洛汭[らくぜい]を過ぎ、大伾[たいひ]に至る。北して洚水を過ぎ、大陸に至る。又北に播[し]いて九河と爲り、同じく逆河と爲りて海に入る。積石・龍門は、雍州に見えたり。華陰は、華山の北なり。厎柱は、導山に見えたり。孟は、地の名。津は、渡る處なり。杜預が云う、河内郡河陽縣の南に在り、と。今の孟州河陽縣なり。武王の師孟津を渡るとは卽ち此れなり。今亦富平津と名づく。洛汭は、洛水交流するの内、今の河南府鞏[きょう]縣の東に在り。洛の河に入るは、實に東南に在り。河は則ち西よりして東して之を過ぐ。故に曰く、東して洛汭を過ぐ、と。大伾は、孔氏が曰く、山再び成るを伾と曰う、と。張揖以爲えらく、成皐に在り、と。鄭玄以爲えらく、脩武に在り、と。武德は臣瓚[しんさん]以爲えらく、脩武、と。武德に此の山無し。成皐山も又再び成らず。今の通利軍黎陽縣は河に臨みて山有り。蓋し大伾なり。按ずるに黎陽山は、大河の埀れて北に趨かんと欲するの地に在り。故に禹之を記す。成皐の山の若きは、旣に東より北に折[ゆ]くの地に非ず。又險礙なること龍門・厎柱の須く疏鑿すべきが如き無し。西洛汭を去りて旣已に大いに近く、東洚水・大陸を距てること、又絕遠なりとす。當に黎陽なる者を以て是とすべし。洚水は、地志に信都縣に在り、と。今の冀州信都縣の枯洚渠なり。程氏が曰く、周の時河は砱礫[れいれき]に徙[うつ]る。漢に至りて又改めて頓丘の東南に向かいて流る、と。禹の河迹と大いに相背戾す。地志に魏郡鄴[ぎょう]縣に故の大河有り、東北に在りて直に海に達す、と。疑うらくは卽ち禹の故河ならん。孟康以爲えらく、王莽河とは非なり。古の洚瀆、唐の貝州より城北を經て南宮に入り、信都を貫穿す。大抵北向して入る。故に河は信都の北に於て合うことを爲す。北して洚水を過ぐるの文は、當に信都という者を以て是とすべし。大陸は、冀州に見えたり。九河は、兗州に見えたり。逆河は、意うに海水逆潮を以て名を得。九河旣に海に淪[しず]むときは、則ち逆河は其の下流に在り、固に復有らず。河上播いて九と爲り、下同じくして一と爲る。其の分播合同、皆水勢の自然なり。禹特に順にして之を導くのみ。今按ずるに漢の西域傳に、張鶱が窮まる所の河源と云う、河に兩源有り。一つは葱嶺より出で、一つは于闐[うてん]より出づ。于闐は、南山の下[ふもと]に在り。其の河は北に流れて葱嶺の河と合う。東して蒲昌海に注ぐ。蒲昌海、一名は鹽澤なり。玉門・陽關を去ること三百餘里、其の水は停居し、冬夏增減せず、地中に潛行して、南して積石に出づ。又唐の長慶中に薛元鼎吐蕃に使いす。隴西成紀縣の西南より、塞を出づること二千餘里、河源を莫賀延磧尾に得。悶磨黎山と曰う。其の山中高く四下る。所謂崑崙なり。東北の流れは積石河と相連なる。河源は澄瑩にして、冬春涉る可し。下稍合流す。色赤きこと益々遠し。他水幷せ注ぎ遂に濁る。吐蕃も亦自ら言う、崑崙は其の國の西南に在り、と。二說恐らくは薛氏を是とす。河は積石より三千里にして、而して後に龍門に至る。經は但一に積石と書して、方向を言わず、荒遠にして略する所在り。龍門より而して下るときは、其の經る所に因る。其の北よりして南すと記すときは、則ち南して華陰に至ると曰う。其の南よりして東すと記すときは、則ち東して厎柱に至ると曰う。又詳らかに其の東向して經る所の地を記すときは、則ち孟津と曰い、洛汭と曰い、大伾と曰う。又其の東よりして北すと記すときは、則ち北して洚水を過ぐと曰う。又詳らかに其の北向して經る所の地を記すときは、則ち大陸と曰い、九河と曰う。又其の海に入る處を記すときは、則逆河と曰う。洛汭よりして上、河は山を行く。其の地皆攷[かんが]う可し。大伾よりして下、垠[ぎん]岸平地より高し。故に決齧流移し、水陸變遷して、洚水・大陸・九河・逆河、皆實を指し難し。然れども上は大伾を求め、下は碣石を得て、其の方向に因りて、其の故迹を辨ずるときは、則ち猶考う可し。其の詳悉は上の文に見えたり。○又按ずるに李復が云う、同州韓城の北に、安國嶺有り、東西四十餘里、東は大河に臨む。河に瀕して禹の廟有りて山斷[た]え河出づる處に在り。禹の龍門を鑿る、唐の張仁愿が築く所の東受降城の東より起こる。北よりして南し、此の山に至りて盡く。兩岸の石壁峭立し、大河山峽の閒に盤束す。千數百里、此に至りて山開け岸闊[ひろ]がり、豁然として奔放し、怒氣噴風、聲萬雷の如し。今按ずるに舊說に、禹龍門を鑿る。而るに其の鑿る所以を詳らかにせず、誦說相傳う。但謂う、舊に因りて修闢して其の齟齬を去りて、以て水勢を決るのみ、と。今此の說を詳らかにするに、則ち謂う、受降より以東、龍門に至るまで、皆是れ禹新たに開鑿す、と。若し果たして此の如くなれば、則ち禹未だ鑿らざる時、河の故道知らず、却って何れの處に在るかを。而れども李氏の學は極めて博し。知らず、此の說も又何れの考うる所なるかを。

△嶓冢導漾、東流爲漢。又東爲滄浪之水。過三澨、至于大別、南入于江、東匯澤爲彭蠡。東爲北江入于海。漾、水名。水經曰、漾水出隴西郡氐道縣嶓冢山、東至武都。常璩曰、漢水有兩源。此東源也。卽禹貢所謂嶓冢導漾者。其西源出隴西嶓冢山。會泉始源曰沔。逕葭萌入漢。東源在今西縣之西。西源在今三泉縣之東也。酈道元謂、東西兩川、倶出嶓冢、而同爲漢水者是也。水源發于嶓冢爲漾、至武都爲漢。又東流爲滄浪之水。酈道元云、武當縣北四十里、漢水中有洲曰滄浪洲、水曰滄浪水是也。蓋水之經歷、隨地得名。謂之爲者、明非他水也。三澨、水名。今郢州長壽縣磨石山、發源東南流者名澨水。至復州景陵縣界來、又名汊水。疑卽三澨之一。然據左傳漳澨・薳澨、則爲水際未可曉也。大別、見導山。入江、在今漢陽軍漢陽縣。匯、廻也。彭蠡、見揚州。北江未詳。入海、在今通州靜海縣。○今按彭蠡、古今記載、皆謂今之番陽。然其澤在江之南、去漢水入江之處、已七百餘里、所蓄之水、則合饒・信徽・撫吉・贑・南安・建昌・臨江・袁筠・隆興・南康・數州之流、非自漢入而爲匯者。又其入江之處、西則廬阜、東則湖口、皆石山峙立、水道狹甚。不應漢水入江之後、七百餘里。乃橫截而南入于番陽、又橫截而北流爲北江、且番陽合數州之流、豬而爲澤、泛溢壅遏、初無仰於江・漢之匯而後成也。不惟無所仰於江・漢、而衆流之積、日遏月高勢亦不復容江・漢之來入矣。今湖口橫渡之處、其北則江・漢之濁流、其南則番陽之淸漲。不見所謂漢水匯澤而爲彭蠡者。番陽之水、旣出湖口、則依南岸與大江、相持以東。又不見所謂橫截而爲北江者。又以經文考之、則今之彭蠡、旣在大江之南。於經則宜曰南匯彭蠡、不應曰東匯。於導江則宜曰南會于匯、不應曰北會于匯。匯旣在南。於經則宜曰北爲北江、不應曰東爲北江。以今地望參校、絕爲反戾。今廬江之北、有所謂巢湖者、湖大而源淺。每歲四五月閒、蜀嶺雪消、大江泛溢之時、水淤入湖。至七八月、大江水落、湖水方洩、隨江以東。爲合東匯北匯之文。然番陽之湖、方五六百里、不應舍此而錄彼、記其小而遺其大也。蓋嘗以事理情勢考之、洪水之患、惟河爲甚。意當時龍門・九河等處、事急民困。勢重役煩。禹親莅而身督之。若江・淮則地徧水急。不待疏鑿、固已通行。或分遣官屬往視亦可。況洞庭・彭蠡之閒、乃三苗所居。水澤山林、深昧不測。彼方負其險阻、頑不卽工、則官屬之往者、亦未必遽敢深入。是以但知彭蠡之爲澤、而不知其非漢水所匯。但意如巢湖・江水之淤、而不知彭蠡之源爲甚衆也。以此致誤。謂之爲匯、謂之爲北江、無足恠者。然則番陽之爲彭蠡信矣。
【読み】
△嶓冢[はちょう]より漾[よう]を導いて、東に流れて漢と爲る。又東して滄浪の水と爲る。三澨[さんぜい]を過ぎて、大別に至り、南して江に入り、東して澤を匯[めぐ]りて彭蠡[ほうれい]と爲る。東して北江と爲りて海に入る。漾は、水の名。水經に曰く、漾水は隴西郡氐道[ていどう]縣の嶓冢山より出でて、東して武都に至る、と。常璩[じょうきょ]が曰く、漢水に兩源有り。此れ東源なり。卽ち禹貢に所謂嶓冢より漾を導く者なり。其の西源は隴西の嶓冢山より出づ。會泉の始源を沔[べん]と曰う。葭萌[かぼう]を逕て漢に入る、と。東源は今の西縣の西に在り。西源は今の三泉縣の東に在り。酈道元が謂う、東西の兩川は、倶に嶓冢より出でて、同じく漢水と爲るという者是れなり。水源の嶓冢より發して漾と爲り、武都に至りて漢と爲る。又東流して滄浪の水と爲る。酈道元が云う、武當縣の北四十里、漢水の中に洲有るを滄浪洲と曰い、水を滄浪水と曰うは是れなり。蓋し水の經歷は、地に隨いて名を得。之を爲ると謂う者は、明らかに他の水に非ざればなり。三澨は、水の名。今の郢[えい]州長壽縣の磨石山、源を東南の流に發する者を澨水と名づく。復州景陵縣の界に至りて來るを、又汊水[さすい]と名づく。疑うらくは卽ち三澨の一つならん。然れども左傳の漳澨・薳澨[いぜい]に據るときは、則ち水際爲ること未だ曉る可からず。大別は、導山に見えたり。入江は、今の漢陽軍漢陽縣に在り。匯[かい]は、廻るなり。彭蠡は、揚州に見えたり。北江は未だ詳らかならず。入海は、今の通州靜海縣に在り。○今按ずるに彭蠡は、古今の記載に、皆今の番陽と謂う。然れども其の澤は江の南に在り、漢水を去りて江に入るの處、已に七百餘里、蓄うる所の水は、則ち合饒・信徽・撫吉・贑[かん]・南安・建昌・臨江・袁筠[えんいん]・隆興・南康・數州の流にて、漢より入りて匯と爲る者に非ず。又其の江に入るの處は、西には則ち廬阜、東には則ち湖口あり、皆石山峙[そばだ]ち立ちて、水道狹きこと甚だし。應に漢水江に入るの後、七百餘里なるべからず。乃ち橫截して南して番陽に入り、又橫截して北流して北江と爲り、且つ番陽數州の流を合わせて、豬して澤と爲り、泛溢壅遏[ようあつ]して、初めて江・漢の匯りて而して後に成さんことを仰ぐこと無し。惟江・漢を仰ぐ所無きのみにあらずして、衆流の積も、日に遏[や]み月に高くして勢いも亦復江・漢の來り入ることを容れず。今湖口橫渡の處、其の北は則ち江・漢の濁流、其の南は則ち番陽の淸漲なり。所謂漢水の匯れる澤ありて彭蠡と爲る者を見ず。番陽の水、旣に湖口を出づるときは、則ち南岸と大江とに依りて、相持して以て東す。又所謂橫截して北江と爲る者を見ず。又經文を以て之を考うれば、則ち今の彭蠡は、旣に大江の南に在り。經に於ては則ち宜しく南して匯れる彭蠡と曰うべく、應に東して匯ると曰うべからず。導江に於ては則ち宜しく南して匯に會すと曰うべく、應に北して匯に會すと曰うべからず。匯は旣に南に在り。經に於ては則ち宜しく北して北江と爲ると曰うべく、應に東して北江と爲ると曰うべからず。今の地望を以て參校すれば、絕[はなは]だ反戾を爲す。今廬江の北に、所謂巢湖なる者有り、湖大いにして源淺し。每歲四五月の閒は、蜀嶺雪消えて、大江泛溢するの時にて、水淤[すいよ]湖に入る。七八月に至りて、大江水落ちて、湖水方に洩[まじわ]り、江に隨いて以て東す。東匯北匯の文に合うとす。然れども番陽の湖は、方五六百里、應に此を舍てて彼を錄し、其小なるを記して其の大なるを遺つべからず。蓋し嘗て事理情勢を以て之を考うるに、洪水の患えは、惟れ河を甚だしとす。意うに當時の龍門・九河等の處は、事急にして民困しむ。勢重く役煩[はげ]し。禹親ら莅んで身ら之を督[ただ]す。江・淮の若きは則ち地徧に水急なり。疏鑿するを待たずして、固に已に通行す。或は官屬を分遣して往いて視るも亦可なり。況んや洞庭・彭蠡の閒は、乃ち三苗の居る所。水澤山林、深昧不測なり。彼れ方に其の險阻を負いて、頑にして工に卽かざるときは、則ち官屬の往く者も、亦未だ必ずしも遽に敢えて深く入らず。是を以て但彭蠡の澤と爲ることを知りて、其の漢水の匯れる所に非ざることを知らず。但意うに巢湖・江水の淤の如くにして、而も彭蠡の源甚だ衆しとすることを知らず。此を以て誤りを致す。之を謂いて匯とし、之を謂いて北江とすれば、恠[あや]しむに足る者無し。然らば則ち番陽の彭蠡爲ること信なり。

△岷山導江、東別爲沱。又東至于澧、過九江、至于東陵。東迆北會于匯、東爲中江入于海。沱、江之別流於梁者也。澧、水名。水經出武陵充縣。西至長沙下雋縣西北入江。鄭氏曰、經言道言會者、水也。言至者、或山或澤也。澧、宜山澤之名。按下文九江、澧水旣與其一、則非水明矣。九江、見荆州。東陵、巴陵也。今岳州巴陵縣也。地志在廬江西北者非是。會匯・中江、見上章。
【読み】
△岷山[びんざん]より江を導いて、東に別れて沱[た]と爲る。又東して澧[れい]に至り、九江を過ぎて、東陵に至る。東に迆[なな]めに北して匯[かい]に會し、東して中江と爲りて海に入る。沱は、江の梁に別れ流るる者なり。澧は、水の名。水經に武陵充縣に出づ。西して長沙下雋[かすい]縣の西北に至り江に入る、と。鄭氏が曰く、經に道くと言い會すと言う者は、水なり。至ると言う者は、或は山或は澤なり。澧は、宜しく山澤の名なるべし。下の文の九江を按ずるに、澧水旣に其の一つに與るときは、則ち水に非ざること明らかなり、と。九江は、荆州に見えたり。東陵は、巴陵なり。今の岳州巴陵縣なり。地志に廬江の西北に在りという者は是に非ず。會匯・中江は、上の章に見えたり。

△導沇水、東流爲濟入于河。溢爲滎、東出于陶丘北。又東至于菏、又東北會于汶。又北東入于海。沇水、濟水也。發源爲沇。旣東爲濟。地志云、濟水出河東郡垣曲縣王屋山東南。今絳州垣曲縣山也。始發源王屋山頂崖下曰沇水、旣見而伏、東出於今孟州濟源縣。二源。東源周廻七百步、其深不測。西源周廻六百八十五步、其深一丈。合流至溫縣。是爲濟水。歷虢公臺西南入于河。溢、滿也。復出河之南、溢而爲滎。滎卽滎波之滎。見豫州。又東出於陶丘北。陶丘、地名。再成曰陶。在今廣濟軍西。又東至于菏。菏、卽菏澤。亦見豫州。謂之至者、濟陰縣自有菏派、濟流至其地爾。汶、北汶也。見靑州。又東北至于東平府壽張縣安民亭、合汶水、至今靑州博興縣入海。唐李賢謂、濟自鄭以東、貫滑・曹・鄆・濟・齊・靑、以入于海。本朝樂史謂、今東平・濟南・緇川・北海界中有水流入海、謂之淸河。酈道元謂、濟水當王莽之世、川瀆枯竭。其後水流逕通、津渠勢改。尋梁脈水、不與昔同。然則滎澤濟河雖枯、而濟水未嘗絕流也。程氏曰、滎水之爲濟、本無他義。濟之入河、適會河滿、溢出南岸。溢出者非濟水。因濟而溢。故禹還以元名命之。按程氏言溢之一字、固爲有理。然出於河南者旣非濟水、則禹不應以河枝流、而冒稱爲濟。蓋溢者指滎而言、非指河也。且河濁而滎淸、則滎之水、非河之溢明矣。況經所書、單立導沇條例、若斷若續。而實有源流、或見或伏而脈絡可考。先儒皆以濟水性下勁疾、故能入河穴地、流注顯伏。南豐曾氏齊州二堂記云、泰山之北、與齊之東南諸谷之水、西北匯于黑水之灣、又西北匯于柏崖之灣、而至于渴馬之崖。蓋水之來也衆。其北折而西也、悍疾尤甚。及至于崖下、則泊然而止。而自崖以北、至于歷城之西、蓋五十里而有泉湧出。高或致數尺。其旁之人、名之曰趵突之泉。齊人皆謂、嘗有棄糠於黑水之灣者、而見之於此。蓋泉自渴馬之崖、潛流地中、而至此復出也。其注而北、則謂之濼水、達于淸河以入于海。舟之通於濟者、皆於是乎達也。齊多甘泉。其顯名者十數、而色味皆同。以余驗之、蓋皆濼水之旁出者也。然則水之伏流地中、固多有之。奚獨於滎澤疑哉。吳興沈氏亦言、古說濟水伏流地中。今歷下凡發地、皆是流水。世謂濟水經過其下。東阿亦濟所經。取其井水煮膠、謂之阿膠。用攪濁水則淸。人服之下膈疏痰。蓋其水性趨下、淸而重故也。濟水伏流絕河、乃其物性之常、事理之著者。程氏非之。顧弗深考耳。
【読み】
△沇水[いんすい]を導いて、東に流れて濟と爲りて河に入る。溢れて滎[けい]と爲り、東して陶丘の北に出づ。又東して菏[か]に至り、又東北して汶に會す。又北東して海に入る。沇水は、濟水なり。源を發するを沇とす。旣に東するを濟とす。地志に云う、濟水は河東郡垣曲縣の王屋山の東南より出づ、と。今の絳[こう]州垣曲縣の山なり。始めて源を王屋の山頂崖下に發するを沇水と曰い、旣に見れて伏して、東して今の孟州濟源縣より出づ。二源あり。東源は周廻七百步、其の深さ測られず。西源は周廻六百八十五步、其の深さ一丈。合流して溫縣に至る。是を濟水とす。虢[かく]公臺を歷て西南して河に入る。溢は、滿つるなり。復河の南に出でて、溢れて滎となる。滎は卽ち滎波の滎なり。豫州に見えたり。又東して陶丘の北に出づ。陶丘は、地の名。再成を陶と曰う。今の廣濟軍の西に在り。又東して菏に至る。菏は、卽ち菏澤なり。亦豫州に見えたり。之を至ると謂うは、濟陰縣に自ずから菏派有り、濟流は其の地に至るのみ。汶は、北汶なり。靑州に見えたり。又東北して東平府壽張縣の安民亭に至りて、汶水に合い、今の靑州博興縣に至りて海に入る。唐の李賢が謂う、濟は鄭より以東、滑・曹・鄆[うん]・濟・齊・靑を貫いて、以て海に入る、と。本朝の樂史が謂う、今の東平・濟南・緇川・北海の界中に水流有りて海に入る、之を淸河と謂う、と。酈道元が謂う、濟水は王莽が世に當たりて、川瀆枯竭す。其の後水流逕通し、津渠勢い改まれり。梁の脈水を尋ぬるに、昔と同じからず。然らば則ち滎澤濟河枯るると雖も、而れども濟水は未だ嘗て流れを絕えず、と。程氏が曰く、滎水の濟と爲るは、本他義無し。濟の河に入るは、適々河滿つるに會いて、南岸に溢れ出づ。溢れ出づる者は濟水に非ず。濟に因りて溢る。故に禹還って元の名を以て之に命づく、と。按ずるに程氏溢の一字を言うは、固に理有りとす。然れども河南より出づる者旣に濟水に非ざるときは、則ち禹應に河の枝流を以てして、冒し稱して濟とすべからず。蓋し溢るとは滎を指して言い、河を指すに非ず。且つ河濁りて滎淸めば、則ち滎の水は、河の溢るるに非ざること明らかなり。況んや經に書す所は、單に導沇條例を立つこと、斷つが若く續ぐが若し。而して實に源流有り、或は見れ或は伏して脈絡考う可し。先儒皆濟水性下り勁疾[けいしつ]なるを以て、故に能く河穴の地に入りて、流注顯伏す、と。南豐の曾氏が齊州二堂の記に云う、泰山の北と、齊の東南諸谷の水と、西北して黑水の灣を匯[めぐ]り、又西北して柏崖の灣を匯りて、渴馬の崖に至る。蓋し水の來ること衆し。其の北に折れて西するや、悍疾なること尤も甚だし。崖下に至るに及んで、則ち泊然として止まる。而して崖より以北、歷城の西に至ること、蓋し五十里にして泉有りて湧き出づ。高きこと或は數尺を致す。其の旁らの人、之を名づけて趵突[はくとつ]の泉と曰う。齊人皆謂う、嘗て糠を黑水の灣に棄つる者有りて、之を此に見る、と。蓋し泉渴馬の崖より、地中を潛流して、此に至りて復出づるなり、と。其の注いで北するときは、則ち之を濼水と謂い、淸河に達して以て海に入る。舟の濟に通ずる者、皆是に於て達するなり。齊に甘泉多し。其の名を顯す者十數にして、色味皆同じ。余を以て之を驗すに、蓋し皆濼水の旁らに出づる者なり。然らば則ち水の地中を伏流する、固に多く之れ有り。奚ぞ獨り滎澤に於て疑わんや。吳興の沈氏も亦言う、古說に濟水は地中を伏流す、と。今の歷下凡そ地を發するは、皆是の流水なり。世に謂う、濟水其の下を經過す、と。東阿も亦濟の經る所なり。其の井水を取りて膠を煮る、之を阿膠と謂う。用て濁水を攪[か]くときは則ち淸し。人之を服すれば膈[かく]を下し痰を疏[とお]す。蓋し其水の性下に趨りて、淸くして重きが故なり。濟水伏流して河を絕つは、乃ち其の物性の常、事理の著る者なり、と。程氏之を非とす。顧[おも]うに深く考えざるのみ。

△導淮自桐柏。東會于泗・沂、東入于海。水經云、淮水出南陽平氏縣胎簪山。禹只自桐柏導之耳。桐柏、見導山。泗・沂、見徐州。沂入于泗、泗入于淮。此言會者、以二水相敵故也。入海、在今淮浦。
【読み】
△淮を導くこと桐柏よりす。東して泗・沂[き]に會して、東して海に入る。水經に云う、淮水は南陽平氏縣の胎簪山[たいしんざん]より出づ、と。禹は只桐柏より之を導くのみ。桐柏は、導山に見えたり。泗・沂は、徐州に見えたり。沂は泗に入り、泗は淮に入る。此に會と言うは、二水相敵するを以て故なり。海に入るは、今の淮浦に在り。

△導渭自鳥鼠・同穴。東會于灃、又東會于涇、又東過漆・沮入于河。同穴、山名。地志云、鳥鼠山者、同穴之枝山也。餘竝見雍州。孔氏曰、鳥鼠共爲雌雄、同穴而處。其說怪誕不經、不足信也。酈道元云、渭水出南谷山、在鳥鼠山西北。禹只自鳥鼠・同穴導之耳。
【読み】
△渭を導くこと鳥鼠・同穴よりす。東して灃[ほう]に會し、又東して涇に會し、又東して漆・沮を過ぎて河に入る。同穴は、山の名。地志に云う、鳥鼠山は、同穴の枝山なり、と。餘は竝[みな]雍州に見えたり。孔氏が曰く、鳥鼠共に雌雄を爲して、穴を同じくして處る、と。其の說怪誕不經にて、信ずるに足らず。酈道元が云う、渭水は南谷山を出でて、鳥鼠山の西北に在り。禹は只鳥鼠・同穴より之を導くのみ、と。

△導洛自熊耳。東北會于澗・瀍、又東會于伊、又東北入于河。熊耳、廬氏之熊耳也。餘竝見豫州。洛水、出冢嶺山。禹只自熊耳導之耳。○按經言、嶓冢導漾、岷山導江者、漾之源出於嶓、江之源出於岷。故先言山而後言水也。言導河積石、導淮自桐柏、導渭自鳥鼠・同穴、導洛自熊耳、皆非出於其山。特自其山以導之耳。故先言水而後言山也。河不言自者、河源多伏流。積石其見處。故言積石而不言自也。沇水不言山者、流水伏流、其出非一。故不誌其源也。弱水・黑水不言山者、九州之外、蓋略之也。小水合大水、謂之入。大水合小水、謂之過。二水勢均相入、謂之會。天下之水、莫大於河。故於河不言會。此禹貢立言之法也。
【読み】
△洛を導くこと熊耳よりす。東北して澗・瀍[てん]に會し、又東して伊に會し、又東北して河に入る。熊耳は、廬氏の熊耳なり。餘は竝[みな]豫州に見えたり。洛水は、冢嶺山より出づ。禹は只熊耳より之を導くのみ。○按ずるに經に言う、嶓冢[はちょう]より漾を導き、岷山より江を導くは、漾の源は嶓より出で、江の源は岷より出づ。故に先ず山を言いて而して後に水を言うなり。河を積石より導き、淮を導くこと桐柏よりし、渭を導くこと鳥鼠・同穴よりし、洛を導くこと熊耳よりすと言うは、皆其の山より出づるに非ず。特に其の山より以て之を導くのみ。故に先ず水を言いて而して後に山を言うなり。河の自と言わざるは、河源は伏流多し。積石は其の見る處なり。故に積石を言いて自と言わざるなり。沇水の山を言わざるは、流水の伏流、其の出づること一つに非ず。故に其の源を誌さざるなり。弱水・黑水の山を言わざるは、九州の外、蓋し之を略せり。小水の大水に合う、之を入と謂う。大水の小水に合う、之を過と謂う。二水勢均しく相入る、之を會と謂う。天下の水、河より大なるは莫し。故に河に於ては會を言わず。此れ禹貢立言の法なり。

△九州攸同、四隩旣宅、九山刋旅、九川滌源、九澤旣陂。四海會同。隩、隈也。李氏曰、涯内近水爲隩。陂、障也。會同、與灉・沮會同同義。四海之隩、水涯之地已可奠居。九州之山、槎木通道已可祭告。九州之川、濬滌泉源而無壅遏。九州之澤、已有陂障而無決潰。四海之水、無不會同而各有所歸。此蓋總結上文。言九州・四海、水土無不平治也。
【読み】
△九州の同[ひと]しき攸、四隩[おう]旣に宅り、九山刋[き]りて旅し、九川源を滌[ふか]くし、九澤旣に陂す。四海會同す。隩は、隈なり。李氏が曰く、涯の内水に近きを隩とす、と。陂は、障[つつみ]なり。會同は、灉[よう]・沮會同すと義を同じくす。四海の隩、水涯の地已に奠[さだ]め居る可し。九州の山、木を槎[き]り道を通じて已に祭告す可し。九州の川、泉源を濬滌[しゅんでき]して壅遏[ようあつ]無し。九州の澤、已に陂障有りて決潰無し。四海の水、會同して各々歸する所有らざる無し。此れ蓋し總べて上の文を結べり。言うこころは、九州・四海、水土平治せざること無し。

△六府孔修、庶土交正、厎愼財賦、咸則三壤、成賦中邦。孔、大也。水・火・金・木・土・穀皆大修治也。土者、財之自生。謂之庶土、則非特穀土也。庶土有等、當以肥瘠高下名物交相正焉、以任土事。厎、致也。因庶土所出之財、而致謹其財賦之入。如周大司徒、以土宜之法、辨十有二土之名物、以任土事之類。咸、皆也。則、品節之也。九州穀土、又皆品節之、以上中下三等。如周大司徒、辨十有二壤之名物、以致稼穡之類。中邦、中國也。蓋土賦或及於四夷、而田賦則止於中國而已。故曰成賦中邦。
【読み】
△六府孔だ修まり、庶土交々正しく、財賦を厎[いた]し愼み、咸三壤に則り、賦を中邦に成せり。孔は、大いなり。水・火・金・木・土・穀皆大いに修まり治まるなり。土は財の自ずから生るなり。之を庶土と謂うときは、則ち特に穀土のみに非ず。庶土は等有り、當に肥瘠高下名物を以て交々相正して、以て土の事に任ずべし。厎[し]は、致すなり。庶土出だす所の財に因りて、其の財賦の入るを致し謹む。周の大司徒、土宜の法を以て、十有二土の名物を辨ちて、以て土の事を任ずるの類の如し。咸は、皆なり。則は、之を品節するなり。九州の穀土も、又皆之を品節するに、上中下三等を以てす。周の大司徒、十有二壤の名物を辨ちて、以て稼穡を致すの類の如し。中邦は、中國なり。蓋し土賦或は四夷に及んで、田賦は則ち中國に止むるのみ。故に賦を中邦に成すと曰う。

△錫土姓。錫土姓者、言錫之土以立國、錫之姓以立宗。左傳所謂天子建德。因生以賜姓。胙之土而命之氏者也。
【読み】
△土姓を錫う。土姓を錫うとは、言うこころは、之に土を錫いて以て國を立て、之に姓を錫いて以て宗を立つなり。左傳に所謂天子德を建つ。生に因りて以て姓を賜う。之に土を胙[たま]いて之に氏を命ずという者なり。

△祗台德先、不距朕行。台、我。距、違也。禹平水土、定土賦建諸侯、治已定功已成矣。當此之時、惟敬德以先天下、則天下自不能違越我之所行也。
【読み】
△台[わ]が德を祗[つつし]んで先だつときは、朕が行うことに距[たが]わず。台は、我。距は、違うなり。禹水土を平らげ、土賦を定めて諸侯建てば、治已に定まり功已に成れり。此の時に當たりて、惟德を敬んで以て天下に先だつときは、則ち天下自ずから我が行う所に違越すること能わざるなり。

△五百里甸服。百里賦納總、二百里納銍、三百里納秸服。四百里粟、五百里米。甸服、畿内之地也。甸、田。服、事也。以皆田賦之事。故謂之甸服。五百里者、王城之外、四面皆五百里也。禾本全曰總。刈禾曰銍。半藁也。半藁去皮曰秸。謂之服者、三百里内去王城爲近。非惟納總・銍・秸、而又使之服輸將之事也。獨於秸言之者、總前二者而言也。粟、穀也。内百里爲最近。故幷禾本總賦之。外百里次之、只刈禾半藁納也。外百里又次之、去藁麤皮納也。外百里爲遠。去其穂而納穀。外百里爲尤遠。去其穀而納米。蓋量其地之遠近、而爲納賦之輕重精麤也。此分甸服五百里、而爲五等者也。
【読み】
△五百里は甸服[でんふく]。百里は賦總を納れ、二百里は銍[ちつ]を納れ、三百里は秸[かつ]を納れ服す。四百里は粟、五百里は米。甸服は、畿内の地なり。甸は、田。服は、事なり。皆田賦の事を以てす。故に之を甸服と謂う。五百里は、王城の外、四面皆五百里なり。禾[いね]本全きを總と曰う。禾を刈るを銍と曰う。半藁なり。半藁の皮を去るを秸と曰う。之を服すと謂うは、三百里の内は王城を去ること近しとす。惟總・銍・秸を納むるのみに非ずして、又之をして輸將の事に服せしむ。獨り秸に於て之を言うは、前の二つの者を總べて言うなり。粟は、穀なり。内百里は最も近しとす。故に禾本を幷せて總べて之を賦す。外百里は之に次ぎ、只刈れる禾半藁を納るるなり。外百里も又之に次ぎ、藁麤皮を去りて納るるなり。外百里を遠しとす。其の穂を去りて穀を納る。外百里を尤も遠しとす。其の穀を去りて米を納る。蓋し其の地の遠近を量りて、納賦の輕重精麤を爲すなり。此れ甸服五百里を分かちて、五等とする者なり。

△五百里侯服。百里采、二百里男邦、三百里諸侯。侯服者、侯國之服。甸服外四面又各五百里也。采者、卿大夫邑地。男邦、男爵小國也。諸侯、諸侯之爵、大國次國也。先小國而後大國者、大可以禦外侮、小得以安内附也。此分侯服五百里、而爲三等也。
【読み】
△五百里は侯服。百里は采、二百里は男邦、三百里は諸侯。侯服は、侯國の服なり。甸服の外の四面も又各々五百里なり。采は、卿大夫の邑地。男邦は、男爵の小國なり。諸侯は、諸侯の爵、大國次國なり。小國を先にして大國を後にするは、大は以て外侮を禦ぐ可く、小は以て内附を安んずるを得るなり。此れ侯服五百里を分かちて、三等とするなり。

△五百里綏服。三百里揆文敎、二百里奮武衛。綏、安也。謂之綏者、漸遠王畿、而取撫安之義。侯服外四面又各五百里也。揆、度也。綏服内取王城千里、外取荒服千里、介於内外之閒。故以内三百里揆文敎、外二百里奮武衛。文以治内、武以治外、聖人所以嚴華夏之辨者如此。此分綏服五百里、而爲二等也。
【読み】
△五百里は綏服[すいふく]。三百里は文敎を揆[はか]り、二百里は武衛を奮う。綏は、安んずるなり。之を綏と謂うは、漸く王畿に遠くして、撫安の義を取るなり。侯服の外の四面も又各々五百里なり。揆は、度るなり。綏服の内は王城千里を取り、外は荒服千里を取り、内外の閒を介[わけ]る。故に内三百里を以て文敎を揆り、外二百里は武衛を奮う。文以て内を治め、武以て外を治むる、聖人華夏の辨を嚴にする所以の者此の如し。此れ綏服五百里を分かちて、二等とするなり。

△五百里要服。三百里夷、二百里蔡。要服、去王畿已遠。皆夷狄之地。其文法略於中國。謂之要者、取要約之義、特羈縻之而已。綏服外四面又各五百里也。蔡、放也。左傳云、蔡蔡叔是也。流放罪人於此也。此分要服五百里、而爲二等也。
【読み】
△五百里は要服。三百里は夷、二百里は蔡。要服は、王畿を去ること已に遠し。皆夷狄の地なり。其の文法は中國を略す。之を要と謂うは、要約の義を取り、特に之を羈縻[きび]するのみ。綏服の外の四面も又各々五百里なり。蔡は、放つなり。左傳に云う、蔡叔を蔡[はな]つとは是れなり。罪人を此に流放するなり。此れ要服五百里を分かちて、二等とするなり。

△五百里荒服。三百里蠻、二百里流。荒服、去王畿益遠、而經略之者、視要服爲尤略也。以其荒野、故謂之荒服。要服外四面又各五百里也。流、流放罪人之地。蔡與流皆所以處罪人、而罪有輕重。故地有遠近之別也。此分荒服五百里、而爲二等也。○今按每服五百里、五服則二千五百里、南北東西相距五千里。故益稷篇言、弼成五服、至于五千。然堯都冀州。冀之北境、幷雲中・涿・易、亦恐無二千五百里。藉使有之、亦皆沙漠不毛之地、而東南財賦所出、則反棄於要荒。以地勢考之、殊未可曉。但意古今土地盛衰不同。當舜之時、冀北之地未必荒落如後世耳。亦猶閩・浙之閒、舊爲蠻夷淵藪、而今富庶繁衍、遂爲上國。土地興廢、不可以一時槩也。周制九畿、曰侯・甸・男・采・衛・蠻・夷・鎭・藩。每畿亦五百里、而王畿又不在其中、倂之則一方五千里、四方相距爲萬里。蓋倍禹服之數也。漢地志亦言、東西九千里、南北一萬二千里。先儒皆疑、禹服之狹、而周漢地廣。或以周服里數、皆以方言。或以古今尺有長短。或以禹直方計。而後世以人迹屈曲取之。要之皆非的論。蓋禹聲敎所及、則地盡四海、而其疆理、則止以五服爲制、至荒服之外、又別爲區畫。如所謂咸建五長是已。若周漢則盡其地之所至、而疆畫之也。
【読み】
△五百里は荒服。三百里は蠻、二百里は流。荒服は、王畿を去ること益々遠くして、之を經略する者は、要服に視[くら]ぶれば尤も略なりとす。其の荒野なるを以て、故に之を荒服と謂う。要服の外の四面も又各々五百里なり。流は、罪人を流放するの地なり。蔡と流とは皆罪人を處く所以にして、罪に輕重有り。故に地に遠近の別有り。此れ荒服五百里を分かちて、二等とするなり。○今按ずるに每服五百里、五服は則ち二千五百里、南北東西相距てること五千里。故に益稷の篇に言う、五服を弼成して、五千に至る、と。然れども堯は冀州に都す。冀の北境、幷[も]し雲中・涿・易なるも、亦恐らくは二千五百里無からん。藉使[たとい]之れ有るも、亦皆沙漠不毛の地にして、東南財賦の出づる所は、則ち反って要荒を棄つ。地勢を以て之を考うるに、殊に未だ曉る可からず。但意うに古今土地の盛衰同じからず。舜の時に當たりて、冀北の地は未だ必ずしも荒落すること後世の如くならざるのみ。亦猶閩[びん]・浙の閒、舊蠻夷の淵藪と爲りて、今富庶繁衍して、遂に上國と爲る。土地の興廢は、一時を以て槩[はか]る可からず。周の制に九畿あり、曰く侯・甸・男・采・衛・蠻・夷・鎭・藩、と。每畿亦五百里にして、王畿は又其の中に在らず、之を倂するときは則ち一方五千里、四方相距てること萬里と爲る。蓋し禹服の數に倍せり。漢の地志にも亦言う、東西九千里、南北一萬二千里、と。先儒皆疑う、禹服の狹くして、周漢の地廣し、と。或は周は服里の數を以てするに、皆方を以て言う、と。或は古今尺に長短有るを以てす、と。或は禹は直方を以て計る、と。而して後世人迹の屈曲を以て之を取る。之を要するに皆的論に非ず。蓋し禹の聲敎の及ぶ所は、則ち地四海を盡くして、其の疆理は、則ち止に五服を以て制とし、荒服の外に至りては、又別に區畫を爲す。所謂咸五長を建つるが如き是れのみ。周漢の若きは則ち其の地の至る所を盡くして、之を疆畫す。

△東漸于海、西被于流沙、朔南曁聲敎、訖于四海。禹錫玄圭、告厥成功。漸、漬。被、覆。曁、及也。地有遠近。故言有淺深也。聲、謂風聲。敎、謂敎化。林氏曰、振舉於此、而遠者聞焉。故謂之聲。軌範於此、而遠者效焉。故謂之敎。上言五服之制、此言聲敎所及。蓋法制有限、而敎化無窮也。錫、與師錫之錫同。水土旣平、禹以玄圭爲贄、而告成功于舜也。水色黑。故圭以玄云。
【読み】
△東は海を漸[ひた]し、西は流沙を被い、朔[きた]南に聲敎を曁[およ]ぼし、四海に訖[いた]る。禹玄圭を錫[あた]えて、厥の成功を告[もう]す。漸は、漬す。被は、覆う。曁は、及ぶなり。地に遠近有り。故に言に淺深有り。聲は、謂ゆる風聲なり。敎は、謂ゆる敎化なり。林氏が曰く、此に振舉して、遠き者焉を聞く。故に之を聲と謂う。此に軌範して、遠き者焉に效う。故に之を敎と謂う、と。上には五服の制を言い、此には聲敎の及ぶ所を言う。蓋し法制は限り有りて、敎化は窮まり無し。錫は、師錫の錫と同じ。水土旣に平らいで、禹玄圭を以て贄として、成功を舜に告す。水の色は黑し。故に圭も玄[くろ]きを以て云う。

甘誓 甘、地名。有扈氏國之南郊也。在扶風鄠縣。誓、與禹征苗之誓同義。言其討叛伐罪之意。嚴其坐作進退之節。所以一衆志而起其怠也。誓師于甘。故以甘誓名篇。書有六體、誓其一也。今文古文皆有。○按有扈、夏同姓之國。史記曰、啓立、有扈不服。遂滅之。唐孔氏因謂、堯舜受禪、啓獨繼父。以是不服。亦臆度之見耳。左傳昭公元年、趙孟曰、虞有三苗、夏有觀・扈、商有姺・邳、周有徐・奄。則有扈亦三苗徐奄之類也。
【読み】
甘誓[かんせい] 甘は、地の名。有扈[ゆうこ]氏の國の南郊なり。扶風鄠[こ]縣に在り。誓は、禹苗を征するの誓いと義を同じくす。其の叛くを討ち罪あるを伐つの意を言う。其の坐作進退の節を嚴にす。衆の志を一にして其の怠[たゆ]むを起こす所以なり。師に甘に誓う。故に甘誓を以て篇に名づく。書に六體有り、誓は其の一つなり。今文古文皆有り。○按ずるに有扈は、夏の同姓の國なり。史記に曰く、啓立ちて、有扈服せず。遂に之を滅ぼす、と。唐の孔氏因りて謂う、堯舜は禪を受け、啓獨り父に繼ぐ。是を以て服せず、と。亦臆度の見なるのみ。左傳昭公元年に、趙孟が曰く、虞に三苗有り、夏に觀・扈有り、商に姺[せん]・邳[ひ]有り、周に徐・奄[えん]有り、と。則ち有扈も亦三苗徐奄の類なり。

大戰于甘。乃召六卿。六卿、六卿之卿也。按周禮卿大夫、每郷卿一人。六郷、六卿。平居無事、則各掌其郷之政敎禁令、而屬於大司徒。有事出征、則各率其郷之一萬二千五百人、而屬於大司馬。所謂軍將皆卿者是也。意夏制亦如此。古者四方有變、專責之方伯。方伯不能討、然後天子親征之。天子之兵、有征無戰。今啓旣親率六軍以出、而又書大戰于甘、則有扈之怙强稔惡、敢與天子抗衡。豈特孟子所謂六師移之者。書曰大戰。蓋所以深著有扈不臣之罪、而爲天下後世諸侯之戒也。
【読み】
大いに甘に戰う。乃ち六卿を召す。六卿は、六卿の卿なり。按ずるに周禮の卿大夫、郷每に卿一人。六郷は、六卿なり。平居無事なるときは、則ち各々其の郷の政敎禁令を掌りて、大司徒に屬す。事有りて出征するときは、則ち各々其の郷の一萬二千五百人を率いて、大司馬に屬す。所謂軍將は皆卿というは是れなり。意うに夏の制も亦此の如し。古には四方變有るときは、專ら之を方伯に責む。方伯討ずること能わず、然して後に天子親ら之を征す。天子の兵は、征有りて戰無し。今啓旣に親ら六軍を率いて以て出でて、又大いに甘に戰うと書せば、則ち有扈の强を怙[たの]み惡を稔[つ]んで、敢えて天子と抗衡す。豈特に孟子の所謂六師之を移す者ならんや。書して曰く大いに戰う、と。蓋し深く有扈不臣の罪を著す所以にして、天下後世諸侯の戒めとするなり。

△王曰、嗟六事之人、予誓告汝。重其事。故嗟歎而告之。六事者、非但六卿。有事於六軍者皆是也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]六事の人、予れ誓いて汝に告ぐ。其の事を重んず。故に嗟歎して之に告ぐ。六事は、但六卿のみに非ず。六軍に事とすること有る者は皆是れなり。

△有扈氏、威侮五行、怠棄三正。天用勦絕其命。今予惟恭行天之罰。威、暴殄之也。侮、輕忽之也。鯀汨五行而殛死。況於威侮之者乎。三正、子・丑・寅之正也。夏正建寅。怠棄者、不用正朔也。有扈氏暴殄天物、輕忽不敬、廢棄正朔、虐下背上、獲罪于天。天用勦絕其命。今我伐之。惟敬行天之罰而已。今按此章、則三正迭建、其來久矣。舜協時月正日、亦所以一正朔也。子丑之建、唐虞之前、當已有之。
【読み】
△有扈氏、五行を威侮して、三正を怠棄す。天用て其の命を勦絕[そうぜつ]す。今予れ惟れ恭んで天の罰を行う。威は、之を暴殄[ぼうてん]するなり。侮は、之を輕忽するなり。鯀五行を汨[みだ]して殛死[きょくし]す。況んや之を威侮する者をや。三正は、子・丑・寅の正なり。夏の正は寅を建[さ]す。怠棄は、正朔を用いざるなり。有扈氏天物を暴殄し、輕忽不敬にして、正朔を廢棄し、下を虐げ上に背いて、罪を天に獲。天用て其の命を勦絕す。今我れ之を伐つ。惟れ敬んで天の罰を行うのみ、と。今此の章を按ずるに、則ち三正迭[たが]いに建す、其の來ること久し。舜の時月を協え日を正すも、亦正朔を一にする所以なり。子丑の建も、唐虞の前に、當に已に之れ有るべし。

△左不攻于左、汝不恭命。右不攻于右、汝不恭命。御非其馬之正、汝不恭命。左、車左、右、車右也。攻、治也。古者車戰之法、甲士三人、一居左以主射、一居右以主擊刺、御者居中以主馬之馳驅也。左傳宣公十二年、楚許伯御樂伯。攝叔爲右、以致晉師。樂伯曰、吾聞致師者、左射以菆。是車左主射也。攝叔曰、吾聞致師者、右入壘折馘執俘而還。是車右主擊刺也。御非其馬之正、猶王良所謂詭遇也。蓋左右不治其事、與御非其馬之正、皆足以致敗。故各指其人以責其事、而欲各盡其職而不敢忽也。
【読み】
△左左を攻[おさ]めざるは、汝の命を恭[つつし]まざるなり。右右を攻めざるは、汝の命を恭まざるなり。御其の馬の正しきに非ざるは、汝の命を恭まざるなり。左は、車の左、右は、車の右なり。攻は、治むるなり。古は車戰の法、甲士三人、一りは左に居りて以て射を主り、一りは右に居りて以て擊刺を主り、御者は中に居りて以て馬の馳驅を主るなり。左傳の宣公十二年に、楚の許伯樂伯に御たり。攝叔右と爲り、以て晉の師に致[いど]む。樂伯が曰く、吾れ聞く、師を致む者は、左は射るに菆[しゅう]を以てす、と。是れ車左は射を主ればなり。攝叔が曰く、吾れ聞く、師を致む者は、右は壘に入りて馘[きりみみ]を折[き]り俘を執りて還る、と。是れ車右は擊刺を主ればなり。御其の馬の正しきに非ずとは、猶王良が所謂詭遇のごとし。蓋し左右其の事を治めざると、御其の馬の正しきに非ざるとは、皆以て敗れを致すに足れり。故に各々其の人を指して以て其の事を責めて、各々其の職を盡くして敢えて忽にせざることを欲するなり。

△用命賞于祖。弗用命戮于社。予則孥戮汝。戮、殺也。禮曰、天子巡狩、以遷廟主行。左傳、軍行祓社釁鼓。然則天子親征、必載其遷廟之主、與其社主以行。以示賞戮之不敢專也。祖左、陽也。故賞于祖。社右、陰也。故戮于社。孥、子也。孥戮與上戮字同義。言若不用命、不但戮及汝身、將倂汝妻子而戮之。戰、危事也。不重其法、則無以整肅其衆而使赴功也。或曰、戮、辱也。孥戮、猶秋官司厲、孥男子以爲罪隷之孥。古人以辱爲戮。謂戮辱之以爲孥耳。古者罰弗及嗣。孥戮之刑、非三代之所宜有也。按此說固爲有理。然以上句考之、不應一戮而二義。蓋罰弗及嗣者、常刑也。予則孥戮者、非常刑也。常刑、則愛克厥威。非常刑、則威克厥愛。盤庚遷都尙有劓殄滅之無遺育之語。則啓之誓師、豈爲過哉。
【読み】
△命を用いば祖に賞せん。命を用いざれば社に戮[ころ]さん。予れ則ち孥[やっこ]まで汝を戮さん、と。戮[りく]は、殺すなり。禮に曰く、天子巡狩するときは、遷廟の主を以て行く、と。左傳に、軍行くときは社に祓い鼓に釁[ちぬ]る、と。然れば則ち天子親征するに、必ず其の遷廟の主と、其の社主とを載せて以て行く。以て賞戮の敢えて專らにせざることを示すなり。祖は左にて、陽なり。故に祖に賞す。社は右にて、陰なり。故に社に戮す。孥[ど]は、子なり。孥戮と上の戮の字とは義を同じくす。言うこころは、若し命を用いざれば、但戮すこと汝が身に及ぶのみにあらず、將に汝が妻子を倂せて之を戮す、と。戰は、危事なり。其の法を重んぜざるときは、則ち以て其の衆を整肅して功に赴かしむること無し。或ひと曰く、戮は、辱なり。孥戮とは、猶秋官の司厲に、男子を孥にして以て罪隷の孥とするがごとし。古人辱を以て戮とす。之を戮辱して以て孥とすると謂うのみ。古は罰は嗣に及ばず。孥戮の刑は、三代の宜しく有るべき所に非ず、と。按ずるに此の說固に理有りとす。然れども上の句を以て之を考うれば、應に一戮にして二義あるべからず。蓋し罰は嗣に及ばずとは、常の刑なり。予れ則ち孥戮すとは、常の刑に非ず。常の刑は、則ち愛厥の威に克つ。常の刑に非ざるときは、則ち威厥の愛に克つ。盤庚都を遷すに尙之を劓[はなぎ]り殄[た]ち滅ぼして遺し育[ひととな]すこと無けんの語有り。則ち啓の師に誓う、豈過ぎたりとせんや。

五子之歌 五子、太康之弟也。歌、與帝舜作歌之歌同義。今文無。古文有。
【読み】
五子之歌[ごしのうた] 五子は、太康の弟なり。歌は、帝舜歌を作るの歌と義を同じくす。今文無し。古文有あり。

太康尸位、以逸豫滅厥德。黎民咸貳。乃盤遊無度。畋于有洛之表、十旬弗反。太康、啓之子。尸、如祭祀之尸。謂居其位而不爲其事。如古人所謂尸祿尸官者也。豫、樂也。夏諺曰、吾王不遊、吾何以休。吾王不豫、吾何以助。一遊一豫、爲諸侯度。夏之先王、非不遊豫、蓋有其節。皆所以爲民。非若太康以逸豫而滅其德也。民咸貳心。而太康猶不知悔、乃安於遊畋之無度。言其遠、則至于洛水之南、言其久、則十旬而弗反。是則太康自棄其國矣。
【読み】
太康位を尸[つかさど]り、逸豫を以て厥の德を滅ぼす。黎民咸貳[ふたごころ]あり。乃ち盤遊して度[のり]無し。有洛の表に畋[かり]して、十旬まで反らず。太康は、啓の子。尸は、祭祀の尸の如し。其の位に居りて其の事をせざるを謂う。古人の所謂尸祿尸官という者の如し。豫は、樂しむなり。夏の諺に曰く、吾が王遊ばずんば、吾れ何を以てか休[いこ]わん。吾が王豫ばずんば、吾れ何を以てか助からん。一遊一豫は、諸侯の度と爲る、と。夏の先王、遊豫せざるに非ず、蓋し其の節有り。皆民を爲むる所以なり。太康の逸豫を以てして其の德を滅ぼすが若きには非ず。民咸貳心あり。而るを太康猶悔ゆることを知らず、乃ち遊畋[ゆうでん]の度無きに安んず。其の遠きを言えば、則ち洛水の南に至り、其の久しきを言えば、則ち十旬までにして反らず。是れ則ち太康自ら其の國を棄つるなり。

△有窮后羿、因民弗忍、距于河。窮、國名。羿、窮國君之名也。或曰、羿善射者之名。賈逵說文、羿、帝嚳射官。故其後善射者皆謂之羿。有窮之君亦善射。故以羿目之也。羿因民不堪命、距太康于河北、使不得返、遂廢之。
【読み】
△有窮の后羿[げい]、民の忍びざるに因りて、河に距[ふせ]ぐ。窮は、國の名。羿は、窮國の君の名なり。或ひと曰く、羿は善く射る者の名なり。賈逵[かき]が說文に、羿は、帝嚳の射官。故に其の後善く射る者を皆之を羿と謂う、と。有窮の君も亦善く射る。故に羿を以て之に目づくなり、と。羿民の命に堪えざるに因りて、太康を河の北に距いで、返ることを得ざらしめて、遂に之を廢す。

△厥弟五人、御其母以從、徯于洛之汭。五子咸怨、述大禹之戒、以作歌。御、侍也。怨、如孟子所謂小弁之怨、親親也。小弁之詩、父子之怨、五子之歌、兄弟之怨也。親之過大而不怨、是愈疏也。五子知宗廟社稷危亡之不可救、母子兄弟離散之不可保、憂愁鬱悒、慷慨感厲、情不自已、發爲詩歌。推其亡國敗家之由、皆原於荒棄皇祖之訓。雖其五章之閒、非盡迷皇祖之戒、然其先後終始、互相發明。史臣以其作歌之意、序於五章之首。後世序詩者、每篇皆有小序、以言其作詩之義。其原蓋出諸此。
【読み】
△厥の弟五人、其の母に御[はべ]りて以て從い、洛の汭[ほとり]に徯[ま]つ。五子咸怨んで、大禹の戒めを述べて、以て歌を作る。御は、侍るなり。怨は、孟子の所謂小弁[しょうはん]の怨みは、親を親しんずるというが如し。小弁の詩は、父子の怨み、五子の歌は、兄弟の怨みなり。親の過ち大いにして怨みざるは、是れ愈々疏なり。五子宗廟社稷危亡の救う可からず、母子兄弟離散して保つ可からざるを知りて、憂愁鬱悒[うつゆう]、慷慨感厲して、情自ずから已まず、發して詩歌を爲る。其の亡國敗家の由を推すに、皆皇祖の訓を荒棄するに原づく。其の五章の閒、盡くは皇祖の戒めを迷[たが]えるに非ずと雖も、然れども其の先後終始、互いに相發明す。史臣其の歌を作るの意を以て、五章の首めに序す。後世詩を序する者、每篇皆小序有り、以て其の詩を作るの義を言う。其の原は蓋し此より出づ。

△其一曰、皇祖有訓。民可近、不可下。民惟邦本。本固邦寧。此禹之訓也。皇、大也。君之與民、以勢而言、則尊卑之分、如霄壤之不侔。以情而言、則相須以安。猶身體之相資以生也。故勢疎則離、情親則合。以其親、故謂之近、以其疎、故謂之下。言其可親而不可疎之也。且民者國之本。本固而後國安。本旣不固、則雖强如秦、富如隋。終亦滅亡而已矣。其一其二、或長幼之序、或作歌之序、不可知也。
【読み】
△其一に曰く、皇祖に訓有り。民は近づく可く、下す可からず。民は惟れ邦の本なり。本固ければ邦寧し。此れ禹の訓なり。皇は、大いなり。君と民とは、勢を以て言うときは、則ち尊卑の分、霄壤[しょうじょう]の侔[ひと]しからざるが如し。情を以て言うときは、則ち相須[たす]けて以て安し。猶身體の相資[たす]けて以て生るがごとし。故に勢疎なるときは則ち離れ、情親なるときは則ち合う。其の親を以て、故に之を近づくと謂い、其の疎を以て、故に之を下すと謂う。言うこころは、其れ親しくす可くして之を疎んず可からざるなり。且つ民は國の本なり。本固くして而して後に國安し。本旣に固からざれば、則ち强きこと秦の如しと雖も、富隋の如し。終に亦滅亡せんのみ。其の一其の二とは、或は長幼の序か、或は歌を作るの序か、知る可からず。

△予視天下、愚夫愚婦、一能勝予。一人三失、怨豈在明。不見是圖。予臨兆民、懍乎若朽索之馭六馬。爲人上者、柰何不敬。索、昔各反。馭、音御。○予、五子自稱也。君失人心、則爲獨夫。獨夫、則愚夫愚婦、一能勝我矣。三失者、言所失衆也。民心怨背、豈待其彰著而後知之。當於事幾未形之時而圖之也。朽、腐也。朽索易絕。六馬易驚。朽索固非可以馭馬也。以喩其危懼可畏之甚。爲人上者、奈何而不敬乎。前旣引禹之訓言、此則以己之不足恃、民之可畏者、申結其義也。
【読み】
△予れ天下を視るに、愚夫愚婦も、一に能く予に勝つ。一人三失ある、怨み豈明らかなるに在らんや。見えざるを是れ圖れ。予れ兆民に臨むこと、懍乎として朽索の六馬を馭[おさ]むるが若し。人の上爲る者、柰何ぞ敬まざる、と。索は、昔各反。馭は、音御。○予は、五子自ら稱するなり。君人の心を失するときは、則ち獨夫と爲る。獨夫なるときは、則ち愚夫愚婦も、一に能く我に勝たん。三失とは、失う所衆きを言うなり。民の心の怨み背く、豈其の彰著を待ちて而して後に之を知らんや。事幾の未だ形れざるの時に當たりて之を圖るなり。朽は、腐るなり。朽ちたる索は絕え易し。六馬は驚き易し。朽索は固に以て馬を馭むる可きに非ず。以て其の危懼畏る可きの甚だしきに喩う。人の上爲る者は、奈何ぞしてか敬まざらんや。前に旣に禹の訓言を引いて、此には則己が恃むに足らずして、民の畏る可き者を以て、申ねて其の義を結ぶなり。

△其二曰、訓有之。内作色荒、外作禽荒、甘酒嗜音、峻宇彫牆。有一于此、未或不亡。此亦禹之訓也。色荒、惑嬖寵也。禽荒、耽遊畋也。荒者、迷亂之謂。甘・嗜、皆無厭也。峻、高大也。宇、棟宇也。彫、繪飾也。言六者有其一、皆足以致滅亡也。禹之訓昭明如此、而太康獨不念之乎。此章首尾意義已明。故不復申結之也。
【読み】
△其の二に曰く、訓に之れ有り。内に色荒を作し、外に禽荒を作し、酒を甘しとし音を嗜み、宇を峻[たか]くし牆に彫る。此に一つも有れば、未だ亡びざること或らず、と。此れ亦禹の訓なり。色荒は、嬖寵に惑うなり。禽荒は、遊畋[ゆうでん]に耽けるなり。荒は、迷亂の謂。甘・嗜は、皆厭うこと無きなり。峻は、高大なり。宇は、棟宇なり。彫は、繪飾なり。言うこころは、六つの者其の一つ有れば、皆以て滅亡を致すに足るなり。禹の訓昭明なること此の如くにして、太康獨り之を念わざらんや。此の章の首尾意義已に明らかなり。故に復申ねて之を結ばざるなり。

△其三曰、惟彼陶唐、有此冀方。今失厥道、亂其紀綱。乃厎滅亡。堯初爲唐侯、後爲天子都陶。故曰陶唐。堯授舜、舜授禹、皆都冀州。言冀方者、舉中以包外也。大者爲綱、小者爲紀。厎、致也。堯・舜・禹相授一道、以有天下。今太康失其道、而紊亂其綱紀、以致滅亡也。○又按左氏所引、惟彼陶唐之下、有帥彼天常一語、厥道、作其行、乃厎滅亡、作乃滅而亡。
【読み】
△其の三に曰く、惟れ彼の陶唐、此の冀方を有てり。今厥の道を失い、其の紀綱を亂る。乃ち滅亡を厎[いた]す、と。堯初め唐侯と爲り、後に天子と爲りて陶に都す。故に陶唐と曰う。堯は舜に授け、舜は禹に授け、皆冀州に都す。冀方と言うは、中を舉げて以て外を包ぬ。大なる者を綱とし、小なる者を紀とす。厎は、致すなり。堯・舜・禹相授くること一道にして、以て天下を有てり。今太康其の道を失いて、其の綱紀を紊り亂りて、以て滅亡を致す。○又按ずるに左氏に引く所は、惟彼陶唐の下に、彼の天常に帥[したが]いの一語有り、厥の道は、其の行と作し、乃ち滅亡を厎すは、乃ち滅して亡ぶと作す。

△其四曰、明明我祖、萬邦之君。有典有則、貽厥子孫。關石和鈞、王府則有。荒墜厥緒、覆宗絕祀。明明、明而又明也。我祖、禹也。典、猶周之六典。則、猶周之八則。所以治天下之典章決度也。貽、遺。關、通。和、平也。百二十斤爲石。三十斤爲鈞。鈞與石、五權之最重者也。關通以見彼此通同、無折閱之意。和平以見人情兩平、無乖忤之意。言禹以明明之德、君臨天下。典則・法度、所以貽後世者如此。至於鈞石之設、所以一天下輕重、而立民信者、王府亦有之。其爲子孫後世慮、可謂詳且遠矣。奈何太康荒墜其緒、覆其宗而絕其祀乎。○又按法度之制始於權、權與物鈞而生衡。衡運生規。規圓生矩。矩方生繩。繩直生準。是權衡者、又法度之所自出也。故以鈞石言之。
【読み】
△其の四に曰く、明明たる我が祖、萬邦の君なり。典有り則有り、厥の子孫に貽[のこ]す。石を關[とお]し鈞を和して、王府に則有り。厥の緒を荒墜して、宗を覆し祀を絕つ、と。明明は、明らかにして又明らかなり。我が祖は、禹なり。典は、猶周の六典のごとし。則は、猶周の八則のごとし。天下を治むる所以の典章決度なり。貽は、遺す。關は、通す。和は、平らかなり。百二十斤を石とす。三十斤を鈞とす。鈞と石とは、五權の最も重き者なり。關通以て彼れ此れ通同して、折閱無きの意を見す。和平以て人情兩つながら平らかにして、乖忤[かいご]無きの意を見す。言うこころは、禹明明の德を以て、天下に君とし臨む。典則・法度、後世に貽す所以の者此の如し。鈞石の設くるに至りて、天下の輕重を一にして、民信を立つる所以の者、王府にも亦之れ有り。其の子孫後世の爲に慮ること、詳らかにして且つ遠しと謂う可し。奈何ぞ太康其の緒を荒墜し、其の宗を覆して其の祀を絕たんや。○又按ずるに法度の制權より始まり、權と物と鈞しくして衡を生す。衡運規を生す。規圓矩を生す。矩方繩を生す。繩直準を生す。是れ權衡は、又法度の自りて出づる所なり。故に鈞石を以て之を言う。

△其五曰、嗚呼曷歸。予懷之悲。萬姓仇予、予將疇依。鬱陶乎予心、顏厚有忸怩。弗愼厥德、雖悔可追。忸、女六反。怩、女夷反。○曷、何也。嗚呼曷歸、歎息無地之可歸也。予將疇依、彷徨無人之可依也。爲君至此、亦可哀矣。仇予之予、指太康也。指太康而謂之予者、不忍斥言、忠厚之至也。鬱陶、哀思也。顏厚、愧之見於色也。忸怩、愧之發於心也。可追、言不可追也。
【読み】
△其の五に曰く、嗚呼曷[なん]ぞ歸らん。予れ之を懷[おも]いて悲しむ。萬姓予を仇とす、予れ將疇[だれ]にか依らん。鬱陶乎たる予が心、顏厚く忸怩たる有り。厥の德を愼まずんば、悔ゆと雖も追う可けんや、と。忸は、女六反。怩は、女夷反。○曷は、何なり。嗚呼曷ぞ歸らんとは、地の歸す可きこと無きを歎息するなり。予れ將疇にか依らんとは、彷徨して人の依る可き無きなり。君と爲りて此に至るは、亦哀しむ可きなり。仇予の予は、太康を指すなり。太康を指して之を予と謂うは、斥し言うに忍びず、忠厚の至りなり。鬱陶は、哀しみ思うなり。顏厚は、愧の色に見るなり。忸怩は、愧の心に發るなり。追う可しとは、言うこころは、追う可からざるなり。

胤征 胤、國名。孟子曰、征者、上伐下也。此以征名。實卽誓也。仲康丁有夏中衰之運、羿執國政、社稷安危、在其掌握。而仲康能命胤侯以掌六師。胤侯能承仲康以討有罪。是雖未能行羿不道之誅、明羲和黨惡之罪。然當國命中絕之際、而能舉師伐罪、猶爲禮樂征伐之自天子出也。夫子所以錄其書者以是歟。今文無。古文有。○或曰、蘇氏以爲羲和貳於羿忠於夏者。故羿假仲康之命、命胤侯征之。今按篇首言、仲康肇位四海、胤侯命掌六師。又曰、胤侯承王命徂征。詳其文意、蓋史臣善仲康能命將遣師、胤侯能承命致討、未見貶仲康不能制命、而罪胤侯之爲專征也。若果爲簒羿之書、則亂臣賊子所爲。孔子亦取之爲後世法乎。
【読み】
胤征[いんせい] 胤は、國の名。孟子曰く、征は、上、下を伐つ、と。此れ征を以て名づく。實に卽誓なり。仲康有夏中衰の運に丁[あ]たり、羿國政を執りて、社稷の安危は、其の掌握に在り。而して仲康能く胤侯に命じて以て六師を掌らしむ。胤侯能く仲康に承けて以て有罪を討つ。是れ未だ羿が不道の誅を行うこと能わずと雖も、羲和黨惡の罪を明らかにす。然れども國命中絕の際に當たりて、能く師を舉げて罪を伐つは、猶禮樂征伐の天子より出づることを爲す。夫子其の書を錄す所以の者は是を以てか。今文無し。古文有り。○或ひと曰く、蘇氏以爲えらく、羲和は羿に貳[ふたごころ]ありて夏に忠ある者。故に羿仲康の命を假りて、胤侯に命じて之を征す、と。今按ずるに篇の首めに言う、仲康肇めて四海に位し、胤侯命ぜられて六師を掌る、と。又曰く、胤侯王命を承けて徂いて征す、と。其の文意を詳らかにするに、蓋し史臣仲康の能く將に命じ師を遣り、胤侯の能く命を承けて討を致すを善しとして、未だ仲康の命を制すること能わずして、胤侯の專ら征するを爲すに罪ありと貶[そし]ることを見ず。若し果たして簒羿が書とするときは、則ち亂臣賊子のする所なり。孔子も亦之を取りて後世の法とせんや。

惟仲康肇位四海。胤侯命掌六師。羲和廢厥職、酒荒于厥邑。胤后承王命徂征。仲康、太康之弟。胤侯、胤國之侯。命掌六師、命爲大司馬也。仲康始卽位、卽命胤侯以掌六師。次年方有征羲和之命。必本始而言者、蓋史臣善仲康肇位之時、已能收其兵權、故羲和之征、猶能自天子出也。林氏曰、羿廢太康而立仲康。然其簒也、乃在相之世、仲康不爲羿所簒。至其子相、然後見簒。是則仲康猶有以制之也。羿之立仲康也、方將執其禮樂征伐之權、以號令天下。而仲康卽位之始、卽能命胤侯掌六師、以收其兵權。如漢文帝入自代邸卽皇帝位、夜拜宋昌爲衛將軍、鎭撫南北軍之類。羲和之罪、雖曰沉亂于酒、然黨惡於羿、同惡相濟。故胤侯承王命往征之、以翦羿羽翼。故終仲康之世、羿不得以逞。使仲康盡失其權、則羿之簒夏、豈待相而後敢耶。羲氏和氏夏合為一官。曰胤后者、諸侯入爲王朝公卿。如禹・稷・伯夷謂之后也。
【読み】
惟れ仲康肇めて四海に位す。胤侯命ぜられて六師を掌る。羲和厥の職を廢てて、酒もて厥の邑に荒[すさ]む。胤后王の命を承けて徂いて征す。仲康は、太康の弟。胤侯は、胤國の侯。命ぜられて六師を掌るとは、命ぜられて大司馬と爲るなり。仲康始めて位に卽いて、卽ち胤侯に命じて以て六師を掌らしむ。次の年方に羲和を征するの命有り。必ず始めに本づいて言う者は、蓋し史臣仲康肇めて位するの時、已に能く其の兵權を收むる、故に羲和が征、猶能く天子より出づるを善しとしてなり。林氏が曰く、羿太康を廢して仲康を立つ。然れども其の簒えるは、乃ち相の世に在りて、仲康は羿の爲に簒われず。其の子相に至りて、然して後に簒わる。是れ則ち仲康猶以て之を制すること有るなり。羿が仲康を立つるや、方に將に其の禮樂征伐の權を執りて、以て天下に號令せんとすればなり。而るを仲康卽位の始め、卽ち能く胤侯に命じて六師を掌らしめて、以て其の兵權を收む。漢の文帝代の邸より入りて皇帝の位に卽き、夜宋昌を拜して衛將軍と爲り、南北軍を鎭撫するの類の如し。羲和の罪、酒に沉亂すと曰うと雖も、然れども惡を羿に黨し、惡を同じくして相濟[な]す。故に胤侯王命を承けて往いて之を征して、以て羿が羽翼を翦る。故に仲康の世を終うるまで、羿以て逞[ほしいまま]にすることを得ず。仲康をして盡く其の權を失わしむれば、則ち羿が夏を簒うこと、豈相を待ちて而して後に敢えてせんや、と。羲氏和氏夏合わせて一官とす。胤后と曰うは、諸侯入りて王朝の公卿と爲る。禹・稷・伯夷之を后と謂うが如し。

△告于衆曰、嗟予有衆、聖有謨訓、明徵定保。先王克謹天戒、臣人克有常憲、百官修輔、厥后惟明明。徵、音澄。○徵、驗。保、安也。聖人謨訓、明有徵驗、可以定安邦國也。下文卽謨訓之語。天戒、日蝕之類。謹者、恐懼修省以消變異也。常憲者、奉法修職以供乃事也。君能謹天戒於上、臣能有常憲於下、百官之衆、各修其職以輔其君。故君内無失德、外無失政。此其所以爲明明后也。又按日蝕者、君弱臣强之象。后羿專政之戒也。羲和掌日月之官。黨羿而不言、是可赦乎。
【読み】
△衆に告げて曰く、嗟[ああ]予が有衆、聖に謨訓有り、明らかに徵[しる]し定め保んず。先王克く天の戒めを謹み、臣人克く常の憲有り、百官修め輔くれば、厥の后惟れ明明なり。徵は、音澄。○徵は、驗。保は、安んずるなり。聖人の謨訓、明らかに徵驗有り、以て邦國を定め安んず可し。下の文は卽ち謨訓の語なり。天の戒めとは、日蝕の類。謹むとは、恐懼修省して以て變異を消するなり。常の憲とは、法を奉げ職を修めて以て乃の事を供するなり。君能く天戒を上に謹み、臣能く下に常の憲有り、百官の衆、各々其の職を修めて以て其の君を輔く。故に君内に失德無く、外に失政無し。此れ其の明明の后爲る所以なり。又按ずるに日蝕は、君弱く臣强きの象。后羿政を專らにするの戒めなり。羲和は日月を掌るの官。羿に黨して言わず、是れ赦す可けんや。

△每歲孟春、遒人以木鐸徇於路。官師相規、工執藝事以諫。其或不恭、邦有常刑。遒、慈秋反。鐸、達各反。○遒人、宣令之官。木鐸、金口木舌、施政敎時、振以警衆也。周禮小宰之職、正歲帥治官之屬、徇以木鐸曰、不用法者、國有常刑、亦此意也。官以職言、師以道言。規、正也。相規云者、胥敎誨也。工、百工也。百工技藝之事、至理存焉。理無往而不在。故言無微而可略也。孟子曰、責難於君、謂之恭。官師百工不能規諫、是謂不恭。不恭之罪、猶有常刑。而況於畔官離次、俶擾天紀者乎。
【読み】
△每歲孟春、遒[しゅう]人木鐸を以て路に徇[とな]う。官師相規[ただ]し、工藝事を執りて以て諫む。其れ或は不恭なれば、邦に常の刑有り。遒は、慈秋反。鐸は、達各反。○遒人は、令を宣ぶるの官なり。木鐸は、金口木舌、政敎を施す時、振いて以て衆を警むるなり。周禮に、小宰の職、正歲に官を治むるの屬を帥いて、徇うるに木鐸を以てして曰く、法を用いざる者は、國に常の刑有りとは、亦此の意なり。官は職を以て言い、師は道を以て言う。規は、正すなり。相規すと云うは、胥[あい]敎誨するなり。工は、百工なり。百工技藝の事、至理存せり。理は往くとして在らざる無し。故に言う、微として略す可き無し、と。孟子曰く、難きを君に責む、之を恭と謂う、と。官師百工規諫すること能わず、是を不恭と謂う。不恭の罪には、猶常の刑有り。而るを況んや官を畔き次を離れて、俶[はじ]めて天紀を擾[みだ]る者をや。

△惟時羲和、顚覆厥德、沈亂于酒、畔官離次、俶擾天紀、遐棄厥司。乃季秋月朔、辰弗集于房。瞽奏鼓、嗇夫馳、庶人走。羲和尸厥官、罔聞知。昏迷于天象、以干先王之誅。政典曰、先時者殺無赦、不及時者殺無赦。次、位也。官以職言、次以位言。畔官、則亂其所治之職。離次、則舍其所居之位。俶、始。擾、亂也。天紀、則洪範所謂歲・月・日・星辰・曆數是也。蓋自堯舜命羲和曆象日月星辰之後、爲羲和者、世守其職、未嘗紊亂。至是始亂其天紀焉。遐、遠也。遠棄其所司之事也。辰、日月會次之名。房、所次之宿也。集、漢書作輯。集輯通用。言日月會次、不相和輯、而掩蝕於房宿也。按唐志、日蝕在仲康卽位之五年。瞽、樂官。以其無目而審於音也。奏、進也。古者日蝕、則伐鼓用幣以救之。春秋傳曰、惟正陽之月則然。餘則否。今季秋而行此禮。夏禮與周異也。嗇夫、小臣也。漢有上林嗇夫。庶人、庶人之在官者。周禮庭氏救日之弓矢。嗇夫庶人、蓋供救日之百役者。曰馳曰走者、以見日蝕之變、天子恐懼于上、嗇夫庶人奔走于下、以助救日如此其急。羲和爲曆象之官、尸居其位。若無聞知、則其昏迷天象、以干先王之誅、豈特不恭之刑而已哉。政典、先王政治之典籍也。先時後時、皆違制失時。當誅而不赦者也。今日蝕之變如此、而羲和罔聞知。是固下先王後時之誅也。
【読み】
△惟れ時[こ]の羲和、厥の德を顚覆し、酒に沈亂し、官を畔き次を離れて、俶[はじ]めて天紀を擾[みだ]し、厥の司を遐[とお]ざけ棄つ。乃ち季秋月朔、辰房に集わず。瞽は鼓を奏[すす]め、嗇夫[しょくふ]は馳せ、庶人は走る。羲和厥の官を尸[つかさど]り、聞き知ること罔し。天象に昏迷して、以て先王の誅[せめ]を干[おか]す。政典に曰く、時に先だつ者は殺して赦すこと無し、時に及ばざる者は殺して赦すこと無し、と。次は、位なり。官は職を以て言い、次は位を以て言う。官を畔くとは、則ち其の治むる所の職を亂るなり。次を離るとは、則ち其の居る所の位を舍[す]つるなり。俶は、始め。擾は、亂るるなり。天紀は、則ち洪範に所謂歲・月・日・星辰・曆數是れなり。蓋し堯舜が羲和に曆象日月星辰を命じてより後、羲和爲る者、世々其の職を守り、未だ嘗て紊り亂れず。是に至りて始めて其の天紀を亂る。遐[か]は、遠ざくるなり。其の司る所の事を遠ざけ棄つるなり。辰は、日月會次の名。房は、次ぐ所の宿なり。集は、漢書に輯に作る。集輯は通じ用ゆ。言うこころは、日月の會次、相和輯せずして、房宿に掩蝕するなり。唐志を按ずるに、日蝕は仲康卽位の五年に在り。瞽は、樂官。其の目無くして音に審らかなるを以てなり。奏は、進むなり。古は日蝕あるときは、則ち鼓を伐ち幣を用いて以て之を救う。春秋傳に曰く、惟れ正陽の月は則ち然り。餘は則ち否[しか]らず、と。今季秋にして此の禮を行う。夏の禮と周とは異なれり。嗇夫は、小臣なり。漢に上林の嗇夫有り。庶人は、庶人の官に在る者なり。周禮に庭氏日を救うの弓矢あり。嗇夫庶人は、蓋し日を救うの百役を供する者なり。馳すと曰い走ると曰うは、日蝕の變を見るを以て、天子は上に恐懼し、嗇夫庶人は下に奔走して、以て日を助け救うこと此の如くにして其れ急なり。羲和は曆象の官と爲りて、其の位に尸居す。聞き知ること無きが若きは、則ち其の天象を昏迷して、以て先王の誅を干すこと、豈特に不恭の刑のみならんや。政典は、先王の政治の典籍なり。時に先だち時に後るるは、皆制に違い時を失う。當に誅して赦さざる者なり。今日蝕の變此の如くにして、羲和聞き知ること罔し。是れ固に先王時に後るるの誅を下せり。

△今予以爾有衆、奉將天罰。爾衆士、同力王室、尙弼予、欽承天子威命。將、行也。我以爾衆士、奉行天罰。爾其同力王室、庶幾輔我、以敬承天子之威命也。蓋天子討而不伐、諸侯伐而不討。仲康之命胤侯、得天子討罪之權。胤侯之征羲和、得諸侯敵愾之義。其辭直其義明。非若五霸摟諸侯以伐諸侯、其辭曲其義迂也。
【読み】
△今予れ爾有衆を以[い]て、天の罰を奉け將[おこな]う。爾衆士、力を王室に同じくして、尙わくは予を弼け、欽んで天子の威命を承けよ。將は、行うなり。我れ爾衆士を以て、天の罰を奉け行う。爾其れ力を王室に同じくし、庶幾わくは我を輔けて、以て敬んで天子の威命を承けよ、と。蓋し天子は討して伐せず、諸侯は伐して討さず。仲康の胤侯に命ずるは、天子討罪の權を得たり。胤侯の羲和を征するは、諸侯愾[がい]に敵するの義を得たり。其の辭直にして其の義明らかなり。五霸諸侯を摟[い]て以て諸侯を伐つ、其の辭曲り其の義迂[まが]れるが若きには非ず。

△火炎崑岡、玉石倶焚。天吏逸德、烈于猛火。殲厥渠魁、脅從罔治。舊染汙俗、咸與惟新。殲、將廉反。○崑、出玉山名。岡、山脊也。逸、過。渠、大也。言火炎崑岡、不辨玉石之美惡而焚之。苟爲天吏而有過逸之德、不擇人之善惡而戮之。其害有甚於猛火不辨玉石也。今我但誅首惡之魁而已。脅從之黨、則罔治之。舊染汙習之人、亦皆赦而新之。其誅惡宥善、是猶王者之師也。今按胤征始稱羲和之罪、止以其畔官離次、俶擾天紀。至是有脅從舊染之語、則知羲和之罪、當不止於廢時亂日、是必聚不逞之人、崇飮私邑、以爲亂黨、助羿爲惡者也。胤皇徂征、隱其叛逆而不言者、蓋正名其罪、則必鋤根除源。而仲康之勢、有未足以制后羿者。故止責其曠職之罪、而實誅其不臣之心也。
【読み】
△火崑岡に炎ゆるときは、玉石倶に焚く。天吏德を逸[あやま]れば、猛火よりも烈[はげ]し。厥の渠魁を殲[つ]くし、脅從は治むること罔し。舊染の汙俗は、咸與に惟れ新たにせよ。殲は、將廉反。○崑は、玉を出だす山の名。岡は、山の脊なり。逸は、過つなり。渠は、大いなり。言うこころは、火崑岡に炎ゆるときは、玉石の美惡を辨たずして之を焚く。苟も天吏と爲りて過逸の德有るときは、人の善惡を擇ばずして之を戮くす。其の害は猛火の玉石を辨たざるよりも甚だしきこと有り。今我れ但首惡の魁を誅するのみ。脅從の黨は、則ち之を治むること罔し。舊染汙習の人も、亦皆赦して之を新たにせん。其の惡を誅し善を宥むる、是れ猶王者の師なり。今按ずるに胤征に始めて羲和の罪を稱すに、止に其の官を畔き次を離れ、俶めて天紀を擾すを以てす。是に至りて脅從舊染の語有れば、則ち知る、羲和の罪は、當に時を廢し日を亂すに止まらず、是れ必ず不逞の人を聚め、私邑に崇飮して、以て亂黨を爲し、羿を助けて惡をする者なり、と。胤皇の徂いて征する、其の叛逆を隱して言わざるは、蓋し其の罪を正し名づくるときは、則ち必ず根を鋤き源を除く。而れども仲康の勢、未だ以て后羿を制するに足らざる者有り。故に止に其の曠職の罪を責めて、實に其の不臣の心を誅するなり。

△嗚呼、威克厥愛、允濟。愛克厥威、允罔功。其爾衆士、懋戒哉。威者、嚴明之謂。愛者、姑息之謂。記曰、軍旅主威。蓋軍法不可以不嚴。嚴明勝、則信其事之必濟。姑息勝、則信其功之無成。誓師之末、而復嗟歎、以是深警之。欲其勉力戒懼而用命也。
【読み】
△嗚呼、威厥の愛に克つときは、允に濟[な]る。愛厥の威に克つときは、允に功罔し。其れ爾衆士、懋[つと]め戒めよや、と。威は、嚴明の謂。愛は、姑息の謂。記に曰く、軍旅には威を主とす、と。蓋し軍法は以て嚴にせずんばある可からず。嚴明勝つときは、則ち其の事の必ず濟ることを信ず。姑息勝つときは、則ち其の功の成ること無きことを信ず。師に誓うの末にして、復嗟歎して、是を以て深く之を警む。其の勉力戒懼して命を用ゆることを欲するなり。

書經卷之三  蔡沉集傳

商書 契始封商。湯因以爲有天下之號。書凡十七篇。
【読み】
商書[しょうしょ] 契始め商に封ぜらる。湯因りて以て天下を有つの號とす。書は凡て十七篇なり。

湯誓 湯、號也。或曰、謚。湯、名履、姓子氏。夏桀暴虐。湯往征之。亳衆憚於征役。故湯諭以弔伐之意。蓋師興之時、而誓于亳都者也。今文古文皆有。
【読み】
湯誓[とうせい] 湯は、號なり。或ひと曰く、謚なり、と。湯は、名は履、姓は子氏。夏の桀暴虐なり。湯往いて之を征す。亳[はく]の衆征役を憚る。故に湯諭すに弔伐の意を以てす。蓋し師興の時にして、亳の都に誓う者なり。今文古文皆有り。

王曰、格爾衆庶。悉聽朕言。非台小子敢行稱亂。有夏多罪。天命殛之。台、音怡。後同。○王曰者、史臣追述之稱也。格、至。台、我。稱、舉也。以人事言之、則臣伐君、可謂亂矣。以天命言之、則所謂天吏、非稱亂也。
【読み】
王曰く、格[きた]れ爾衆庶。悉く朕が言を聽け。台[わ]れ小子敢えて亂を稱[あ]ぐることを行うに非ず。有夏罪多し。天命じて之を殛[つみ]せしむ。台は、音怡。後も同じ。○王曰くとは、史臣追って述ぶるの稱なり。格は、至る。台は、我。稱は、舉ぐるなり。人事を以て之を言わば、則ち臣の君を伐つは、亂と謂う可し。天命を以て之を言わば、則ち所謂天吏にして、亂を稱ぐるに非ず。

△今爾有衆、汝曰、我后不恤我衆、舍我穡事、而割正夏。予惟聞汝衆言、夏氏有罪、予畏上帝。不敢不正。穡、刈穫也。割、斷也。亳邑之民、安於湯之德政。桀之虐智所不及。故不知夏氏之罪、而憚伐桀之勞、反謂、湯不恤亳邑之衆、舍我刈穫之事、而斷正有夏。湯言、我亦聞汝衆論如此。然夏桀暴虐、天命殛之。我畏上帝、不敢不往正其罪也。
【読み】
△今爾有衆、汝曰く、我が后我が衆を恤[あわ]れまず、我が穡事を舍てて、夏を割き正す、と。予れ惟れ汝の衆[もろもろ]の言を聞けども、夏氏罪有り、予れ上帝を畏る。敢えて正さずんばあらず。穡は、刈穫なり。割は、斷[き]るなり。亳邑の民は、湯の德政に安んず。桀の虐智の及ばざる所なり。故に夏氏の罪を知らずして、桀を伐つの勞を憚り、反って謂う、湯は亳邑の衆を恤れまずして、我が刈穫の事を舍てて、有夏を斷り正す、と。湯が言う、我も亦汝が衆論を聞くこと此の如し。然れども夏桀暴虐にして、天命じて之を殛せしむ。我れ上帝を畏れて、敢えて往いて其の罪を正さずんばあらず、と。

△今汝其曰、夏罪其如台。夏王率遏衆力、率割夏邑。有衆率怠、弗協曰、時日曷喪、予及汝皆亡。夏德若茲。今朕必往。遏、絕也。割、劓割夏邑之割。時、是也。湯又舉商衆言。桀雖暴虐其如我何。湯又應之曰、夏王率爲重役以窮民力、嚴刑以殘民生。民厭夏德、亦率皆怠於奉上。不和於國、疾視其君指日而曰、是日何時而亡乎、若亡則吾寧與之倶亡。蓋苦桀之虐、而欲其亡之甚也。桀之惡德如此。今我之所以必往也。桀嘗自言、吾有天下、如天之有日。日亡、吾乃亡耳。故民因以日目之。
【読み】
△今汝其れ曰く、夏の罪其れ台[われ]を如[いか]ん、と。夏王率いて衆力を遏[た]ち、率いて夏の邑を割[た]つ。有衆率いて怠り、協[かな]わずして曰く、時[こ]の日曷[いずく]んか喪びん、予れ汝と皆[とも]に亡びん、と。夏の德茲の若し。今朕れ必ず往かん。遏は、絕つなり。割は、夏邑を劓割[ぎかつ]するの割。時は、是れなり。湯又商の衆の言を舉ぐ。桀暴虐なりと雖も其れ我を如何、と。湯又之に應えて曰く、夏王率いて重役を爲して以て民力を窮め、刑を嚴にして以て民生を殘[そこな]う。民夏の德を厭いて、亦率いて皆上に奉るに怠る。國に和らがずして、其の君を疾[にく]み視て日を指して曰く、是の日何の時にして亡びんや、若し亡ぶときは則ち吾れ寧ろ之と倶に亡びん、と。蓋し桀の虐を苦んで、其の亡びんことを欲するの甚だしきなり。桀の惡德此の如し。今我が必ず往く所以なり、と。桀嘗て自ら言う、吾れ天下を有つこと、天の日を有つが如し。日亡びなば、吾れ乃ち亡びんのみ、と。故に民因りて日を以て之を目づく。

△爾尙輔予一人、致天之罰。予其大賚汝。爾無不信。朕不食言。爾不從誓言、予則孥戮汝。罔有攸赦。賚、與也。食言、言已出而反呑之也。禹之征苗、止曰、爾尙一乃心力、其克有勳。至啓則曰、用命賞于祖、不用命戮于社、予則孥戮汝。此又益以朕不食言、罔有攸赦。亦可以觀世變矣。
【読み】
△爾尙わくは予れ一人を輔けて、天の罰を致せ。予れ其れ大いに汝に賚[あた]えん。爾信ぜざる無かれ。朕れ言を食まず。爾誓言に從わざれば、予れ則ち孥[やっこ]まで汝を戮[ころ]さん。赦す攸有る罔けん、と。賚[らい]は、與うるなり。言を食むとは、言うこころは、已に出だして反って之を呑むなり。禹の苗を征するに、止曰く、爾尙わくは乃の心と力を一にして、其れ克く勳有れ、と。啓に至りては則ち曰く、命を用いば祖に賞せん、命を用いざれば社に戮さん、予れ則ち孥まで汝を戮さん、と。此れ又益すに朕れ言を食まず、赦す攸有る罔けんを以てす。亦以て世變を觀る可し。

仲虺之誥 虺、許偉反。○仲虺、臣名。奚仲之後。爲湯左相。誥、告也。周禮士師以五戒先後刑罰。一曰誓。用之於軍旅。二曰誥。用之於會同。以喩衆也。此但告湯而亦謂之誥者、唐孔氏謂仲虺亦必對衆而言。蓋非特釋湯之慙、而且以曉其臣民衆庶也。古文有、今文無。
【読み】
仲虺之誥[ちゅうきのこう] 虺は、許偉反。○仲虺は、臣の名。奚仲の後なり。湯の左相爲り。誥は、告ぐるなり。周禮に士師五戒を以て刑罰を先後す。一に曰く誓。之を軍旅に用う。二に曰く誥。之を會同に用う、と。以て衆を喩すなり。此れ但湯に告げて亦之を誥と謂うは、唐の孔氏が謂ゆる仲虺も亦必ず衆に對して言えり、と。蓋し特に湯の慙ずるを釋くのみに非ず、而も且つ以て其の臣民衆庶を曉すなり。古文有り、今文無し。

成湯放桀于南巢。惟有慙德曰、予恐來世、以台爲口實。武功成。故曰成湯。南巢、地名。廬江六縣有居巢城、桀奔于此。因以放之也。湯之伐桀、雖順天應人、然承堯舜禹授受之後、於心終有所不安。故愧其德之不若、而又恐天下後世、藉以爲口實也。○陳氏曰、堯舜以天下讓。後世好名之士、猶有不知而慕之者。湯武征伐而得天下。後世嗜利之人、安得不以爲口實哉。此湯之所以恐也歟。
【読み】
成湯桀を南巢に放つ。惟れ德に慙ずること有りて曰く、予れ來世、台[われ]を以て口實とせんことを恐る、と。武功成る。故に成湯と曰う。南巢は、地の名。廬江六縣に居巢城有り、桀此に奔れり。因りて以て之を放つなり。湯の桀を伐つ、天に順い人に應ずと雖も、然れども堯舜禹授受の後を承けて、心に於て終に安んぜざる所有り。故に其の德の若かざるを愧じて、又天下後世、藉[か]りて以て口實とすることを恐るるなり。○陳氏が曰く、堯舜は天下を以て讓る。後世名を好むの士、猶知らずして之を慕う者有り。湯武は征伐して天下を得る。後世利を嗜[この]むの人、安んぞ以て口實とせざることを得んや。此れ湯の恐るる所以なるか、と。

△仲虺乃作誥曰、嗚呼惟天生民有欲。無主乃亂。惟天生聰明時乂。有夏昏德、民墜塗炭。天乃錫王勇智、表正萬邦、纘禹舊服。茲率厥典、奉若天命。仲虺恐湯憂愧不已、乃作誥以解釋其意。歎息言、民生有耳目口鼻愛惡之欲、無主則爭且亂矣。天生聰明所以爲之主、而治其爭亂者也。遂、陷也。塗、泥。炭、火也。桀爲民主、而反行昏亂、陷民於塗炭、旣失其所以爲主矣。然民不可以無主也。故天錫湯以勇智之德。勇足以有爲、智足以有謀。非勇智、則不能成天下之大業也。表正者、表正於此、而影直於彼也。天錫湯以勇智者、所以使其表正萬邦、而繼禹舊所服行也。此但率循其典常、以奉順乎天而已。天者、典常之理所自出、而典常者、禹之所服行者也。湯革夏而纘舊服。武革商而政由舊。孔子所謂百世可知者、正以是也。林氏曰、齊宣王問孟子曰、湯放桀武王伐紂有諸。孟子曰、賊仁者、謂之賊。賊義者、謂之殘。殘賊之人、謂之一夫。聞誅一夫紂矣。未聞弑君也。夫立之君者、懼民之殘賊而無以主之。爲之主而自殘賊焉、則君之實喪矣。非一夫而何。孟子之言、則仲虺之意也。
【読み】
△仲虺乃ち誥を作りて曰く、嗚呼惟れ天民を生して欲有らしむ。主無きときは乃ち亂る。惟れ天聰明を生して時[こ]れ乂[おさ]めしむ。有夏昏德、民塗炭に墜[お]つ。天乃ち王に勇智を錫い、萬邦に表正し、禹の舊服を纘[つ]がしむ。茲に厥の典に率いて、天命を奉[う]け若[したが]う。仲虺湯の憂え愧ずることの已まざるを恐れて、乃ち誥を作りて以て其の意を解釋す。歎息して言う、民生耳目口鼻愛惡の欲有りて、主無きときは則ち爭いて且つ亂る。天聰明を生して之が主と爲りて、其の爭亂を治めしむる所以の者なり。遂は、陷るなり。塗は、泥。炭は、火なり。桀民の主と爲りて、反って昏亂を行い、民を塗炭に陷らしめば、旣に其の主爲る所以を失えり。然れども民は以て主無くんばある可からず。故に天湯に錫うに勇智の德を以てす。勇は以てすること有るに足り、智は以て謀ること有るに足る。勇智に非ざれば、則ち天下の大業を成すこと能わず。表正は、表此に正して、影彼に直きなり。天湯に錫うに勇智を以てする者は、其れをして萬邦に表正して、禹の舊より服し行う所を繼ぐ所以なり。此れ但其の典常に率い循いて、以て天に奉け順うのみ。天は、典常の理の自りて出づる所にして、典常は、禹の服し行う所の者なり。湯は夏を革めて舊服を纘ぐ。武は商を革めて政舊に由る。孔子の所謂百世知る可しとは、正に是を以てなり。林氏が曰く、齊の宣王孟子に問いて曰く、湯桀を放ち武王紂を伐つということ有りや諸れ、と。孟子曰く、仁を賊[そこな]う者、之を賊と謂う。義を賊う者、之を殘と謂う。殘賊の人、之を一夫と謂う。一夫紂を誅するを聞く。未だ君を弑するを聞かず、と。夫れ之が君を立つる者、民の殘賊にして以て之を主るもの無きことを懼る。之が主と爲りて自ら殘賊するときは、則ち君の實喪う。一夫に非ずして何ぞや。孟子の言は、則ち仲虺の意なり、と。

△夏王有罪、矯誣上天、以布命于下。帝用不臧、式商受命、用爽厥師。矯、與矯制之矯同。誣、罔。臧、善。式、用。爽、明。師、衆也。天以形體言、帝以主宰言。桀知民心不從、矯詐誣罔、託天以惑其衆。王用不善其所爲、用使有商受命、用使昭明其衆庶也。○王氏曰、夏有昏德、則衆從而昏。商有明德、則衆從而明。○吳氏曰、用爽厥師、續下文簡賢附勢、意不相貫。疑有脫誤。
【読み】
△夏王罪有り、上天を矯[いつわ]り誣[し]いて、以て命を下に布く。帝用[もっ]て臧[よ]みせず、商を式[もっ]て命を受けしめ、用て厥の師を爽[あき]らかにす。矯は、矯制の矯と同じ。誣は、罔いる。臧は、善し。式は、用。爽は、明らか。師は、衆なり。天は形體を以て言い、帝は主宰を以て言う。桀民の心の從わざるを知りて、矯詐誣罔して、天に託して以て其の衆を惑わす。王用て其のする所を善しとせず、用て有商をして命を受けしめ、用て其の衆庶を昭明ならしむ。○王氏が曰く、夏昏德有れば、則ち衆從いて昏し。商明德有れば、則ち衆從いて明らかなり、と。○吳氏が曰く、用て厥の師を爽らかにすは、下の文の賢を簡[おろそ]かにし勢いに附くに續いて、意相貫かず。疑うらくは脫誤有らん、と。

△簡賢附勢、寔繁有徒。肇我邦于有夏、若苗之有莠、若粟之有秕。小大戰戰、罔不懼于非辜。矧予之德、言足聽聞。秕、卑履反。○簡、略。繁、多。肇、始也。戰戰、恐懼貌。言簡賢附勢之人、同惡相濟、寔多徒衆。肇我邦於有夏、爲桀所惡、欲見翦除、如苗之有莠、若粟之有秕。鋤治簛揚、有必不相容之勢。商衆小大震恐、無不懼陷于非罪。況湯之德、言則足人之聽聞、尤桀所忌疾者乎。以苗粟喩桀、以莠秕喩湯。特言其不容於桀、而迹之危如此。史記言、桀囚湯於夏臺。湯之危屢矣。無道而惡有道、勢之必至也。
【読み】
△賢を簡[おろそ]かにし勢いに附く、寔[まこと]に繁[おお]く徒有り。肇め我が有夏に邦せしに、苗の莠[ゆう]有るが若く、粟の秕[ひ]有るが若し。小大戰戰として、辜[つみ]に非ざるを懼れざる罔し。矧んや予が德、言えば聽き聞くに足れるをや。秕は、卑履反。○簡は、略か。繁は、多し。肇は、始めなり。戰戰は、恐懼の貌。言うこころは、賢を簡かにし勢いに附く人、同惡相濟[な]し、寔に徒衆多し。肇め我が有夏に邦せしに、桀が爲に惡まれ、翦り除かれんと欲すること、苗の莠有るが如く、粟の秕有るが若し。鋤治[じょち]簛揚[しよう]して、必ず相容れざるの勢い有り。商の衆小大震え恐れ、罪に非ざるに陷ることを懼れざる無し。況んや湯の德、言えば則ち人の聽き聞くに足り、尤も桀が忌み疾[にく]む所の者をや。苗粟を以て桀に喩え、莠秕を以て湯に喩う。特に其の桀に容れられずして、迹の危うきこと此の如くなるを言う。史記に言う、桀湯を夏臺に囚う、と。湯の危うきこと屢々なり。無道にして有道を惡むは、勢いの必ず至れるなり。

△惟王不邇聲色、不殖貨利。德懋懋官、功懋懋賞。用人惟己、改過不吝。克寬克仁、彰信兆民。懋、與茂同。○邇、近。殖、聚也。不近聲色、不聚貨利、若未足以盡湯之德。然此本原之地、非純乎天德、而無一毫人欲之私者不能也。本原澄澈、然後用人處己、而莫不各得其當。懋、茂也。繁多之意。與時乃功、懋哉之義同。言人之懋於德者、則懋之以官、人之懋於功者、則懋之以賞。用人惟己、而人之有善者無不容。改過不吝、而己之不善者無不改。不忌能於人、不吝過於己、合倂爲公、私意不立、非聖人其孰能之。湯之用人處己者如此。而於臨民之際、是以能寬能仁。謂之能者。寬而不失於縱、仁而不失於柔。易曰、寬以居之、仁以行之、君德也。君德昭著、而孚信於天下矣。湯之德、足人聽聞者如此。
【読み】
△惟れ王聲色を邇づけず、貨利を殖さず。德に懋[つと]むるは官に懋めしめ、功に懋むるは賞に懋めしむ。人を用うること惟れ己のごとくにし、過ちを改むること吝かならず。克く寬[ゆた]かに克く仁ありて、彰らかに兆民に信あり。懋[ぼう]は、茂んと同じ。○邇は、近し。殖は、聚むるなり。聲色を近づけず、貨利を聚めざるは、未だ以て湯の德を盡くすに足らざるが若し。然れども此れ本原の地にて、天德に純[もっぱ]らにして、一毫の人欲の私無き者に非ざれば能わざるなり。本原澄澈[ちょうてつ]して、然して後に人を用うること己を處するがごとくにして、各々其の當を得ざること莫し。懋は、茂んなり。繁多の意なり。時[こ]れ乃の功なり、懋めよやの義と同じ。言うこころは、人の德を懋むる者は、則ち之を懋めしむるに官を以てし、人の功を懋むる者は、則ち之を懋めしむるに賞を以てす。人を用うること惟れ己のごとくにして、人の善有る者容れざる無し。過ちを改むること吝かならずして、己が不善なる者改めざる無し。能を人に忌まず、過ちを己に吝かにせず、合わせ倂せて公を爲して、私意立たざるは、聖人に非ざれば其れ孰か之を能くせん。湯の人を用ゆるに己を處するがごとくする者此の如し。而も民に臨むの際に於て、是を以て能く寬かに能く仁あり。之を能者と謂う。寬かにして縱なるに失せず、仁にして柔なるに失せず。易に曰く、寬以て之に居り、仁以て之を行う、君の德なり、と。君の德昭著にして、信を天下に孚とす。湯の德、人聽聞するに足る者此の如し。

△乃葛伯仇餉。初征自葛。東征西夷怨、南征北狄怨。曰、奚獨後予。攸徂之民、室家相慶曰、徯予后。后來其蘇。民之戴商、厥惟舊哉。葛、國名。伯、爵也。餉、饋也。仇餉、與餉者爲仇也。葛伯不祀。湯使問之。曰、無以供粢盛。湯使亳衆往耕。老弱饋餉。葛伯殺其童子。湯遂征之。湯征自葛始也。奚、何。徯、待也。蘇、復生也。西夷・北狄、言遠者如此、則近者可知也。湯師之未加者、則怨望其來曰、何獨後予。其所往伐者、則妻孥相慶曰、待我后久矣。后來我其復生乎。他國之民、皆以湯爲我君、而望其來者如此。天下之愛戴歸往於商者、非一日矣。商業之興、蓋不在於鳴條之役也。○呂氏曰、夏商之際、君臣易位。天下之大變。然觀其征伐之時、唐虞都兪揖遜氣象、依然若存。蓋堯舜禹湯、以道相傳。世雖降而道不降也。
【読み】
△乃ち葛伯餉[おく]るに仇す。初めて征[う]つこと葛よりす。東に征てば西夷怨み、南に征てば北狄怨む。曰く、奚ぞ獨り予を後にする、と。徂く攸の民、室家まで相慶びて曰く、予が后を徯[ま]つ。后來らば其れ蘇[い]きん、と。民の商を戴くこと、厥れ惟れ舊[ひさ]しきかな。葛は、國の名。伯は、爵なり。餉[しょう]は、饋[おく]るなり。餉るに仇すとは、餉る者と仇を爲すなり。葛伯祀らず。湯之を問わしむ。曰く、以て粢盛[しせい]に供する無し、と。湯亳の衆をして往いて耕さしむ。老弱餉を饋る。葛伯其の童子を殺す。湯遂に之を征す。湯の征は葛より始まる。奚は、何。徯は、待つなり。蘇は、復生なり。西夷・北狄は、言うこころは、遠き者此の如きときは、則ち近き者知る可し。湯の師の未だ加[う]たざる者は、則ち其の來るを怨み望んで曰く、何ぞ獨り予を後にする、と。其の往いて伐つ所の者は、則ち妻孥まで相慶びて曰く、我が后を待つこと久し。后來らば我れ其れ復生きん、と。他國の民、皆湯を以て我が君として、其の來るを望む者此の如し。天下の商を愛戴歸往する者、一日に非ず。商業の興ること、蓋し鳴條の役に在らず。○呂氏が曰く、夏商の際、君臣位を易う。天下の大變なり。然れども其の征伐の時を觀るに、唐虞の都兪[とゆ]揖遜[ゆうそん]の氣象、依然として存するが若し。蓋し堯舜禹湯は、道を以て相傳う。世降ると雖も而して道は降らず、と。

△佑賢輔德、顯忠遂良、兼弱攻昧、取亂侮亡、推亡固存、邦乃其昌。前旣釋湯之慙、此下因以勸勉之也。諸侯之賢德者、佑之輔之、忠良者、顯之遂之、所以善善也。侮、說文曰、傷也。諸侯之弱者兼之、昧者攻之、亂者取之、亡者傷之、所以惡惡也。言善則由大以及小。言惡則由小以及大。推亡者、兼・攻・取・侮也。固存者、佑・輔・顯・遂也。推彼之所以亡、固我之所以存、邦國乃其昌矣。
【読み】
△賢きを佑け德を輔け、忠を顯[あらわ]し良きを遂げ、弱きを兼ね昧[くら]きを攻め、亂れたるを取り亡びたるを侮[やぶ]り、亡びたるを推して存するを固くすれば、邦乃ち其れ昌んなり。前には旣に湯の慙ずるを釋き、此より下は因りて以て之を勸勉するなり。諸侯の賢德ある者、之を佑け之を輔け、忠良ある者、之を顯し之を遂ぐるは、善を善みする所以なり。侮は、說文に曰く、傷[やぶ]る、と。諸侯の弱き者は之を兼ね、昧き者は之を攻め、亂れたる者は之を取り、亡びたる者は之を傷るは、惡を惡む所以なり。善を言うときは則ち大由り以て小に及ぼす。惡を言うときは則ち小由り以て大に及ぼす。亡びたるを推すとは、兼・攻・取・侮なり。存するを固くすとは、佑・輔・顯・遂なり。彼が亡ぶる所以を推して、我が存する所以を固くすれば、邦國乃ち其れ昌んなり。

△德日新、萬邦惟懷、志自滿、九族乃離。王懋昭大德、建中于民。以義制事、以禮制心、垂裕後昆。予聞、曰、能自得師者王。謂人莫己若者亡。好問則裕。自用則小。德日新者、日新其德、而不自已也。志自滿者、反是。湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。其廣日新之義歟。德日新、則萬邦雖廣、而無不懷。志自滿、則九族雖親、而亦離。萬邦、舉遠以見近也。九族、舉親以見疎也。王其勉明大德、立中道於天下。中者、天下之所同有也。然非君建之、則民不能以自中。而禮義者、所以建中者也。義者、心之裁制、禮者、理之節文。以義制事、則事得其宜。以禮制心、則心得其正。内外合德而中道立矣。如此則非特有以建中於民、而垂諸後世者、亦綽乎有餘裕矣。然是道也、必學焉而後至。故又舉古人之言、以爲隆師好問、則德尊而業廣。自賢自用者、反是。謂之自得師者、眞知己之不足、人之有餘、委心聽順、而無拂逆之謂也。孟子曰、湯之於伊尹、學焉而後臣之。故不勞而王。其湯之所以自得者歟。仲虺言懷諸侯之道、推而至於脩德檢身。又推而至於能自得師。夫自天子至於庶人、未有舍師而能成者、雖生知之聖、亦必有師焉。後世之不如古、非特世道之降、抑亦師道之不明也。仲虺之論、遡流而源、要其極而歸諸能自得師之一語。其可爲帝王之大法也歟。
【読み】
△德日々に新たなれば、萬邦惟れ懷[なつ]き、志自ら滿つれば、九族乃ち離る。王懋[つと]めて大德を昭らかにし、中を民に建てよ。義を以て事を制し、禮を以て心を制し、裕かなるを後昆に垂れよ。予れ聞く、曰く、能く自ら師を得る者は王たり。人己に若く莫しと謂う者は亡ぶ。問うことを好めば則ち裕かなり。自ら用うれば則ち小なり、と。德日々に新たとは、日々に其の德を新たにして、自ら已まざるなり。志自ら滿つるは、是に反す。湯の盤の銘に曰く、苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり、と。其れ日新を廣むるの義か。德日に新たなれば、則ち萬邦廣しと雖も、而して懷かざる無し。志自ら滿つれば、則ち九族親しきと雖も、而して亦離る。萬邦は、遠きを舉げて以て近きを見すなり。九族は、親しきを舉げて以て疎きを見すなり。王其れ勉めて大德を明らかにし、中道を天下に立てよ、と。中は、天下の同じく有する所なり。然れども君之を建つるに非ざれば、則ち民以て自ら中すること能わず。而して禮義は、中を建つる所以の者なり。義は、心の裁制、禮は、理の節文なり。義を以て事を制すれば、則ち事其の宜しきを得。禮を以て心を制すれば、則ち心其の正しきを得。内外德を合わせて中道立つ。此の如くなれば則ち特に以て中を民に建つること有るのみに非ずして、諸を後世に垂るる者も、亦綽乎として餘裕有らん。然れども是の道は、必ず學んで而して後に至る。故に又古人の言を舉げて、以爲えらく、師を隆び問うことを好めば、則ち德尊くして業廣まる。自ら賢として自ら用うる者は、是に反す、と。之を自ら師を得ると謂う者は、眞に己が足らずして、人の餘り有るを知りて、心を委ねて聽順して、拂逆すること無きの謂なり。孟子曰く、湯の伊尹に於る、學んで而して後に之を臣とす。故に勞せずして王たり、と。其れ湯の自ら得る所以の者か。仲虺言うこころは、諸侯を懷くるの道、推して德を脩め身を檢するに至る。又推して能く自ら師を得るに至る。夫れ天子より庶人に至るまで、未だ師を舍てて能く成る者有らず、生知の聖と雖も、亦必ず師有り。後世の古に如かざるは、特に世道の降るのみに非ず、抑々亦師道の明らかならざればなり。仲虺の論、流れに遡りて源をし、其の極を要して諸を能く自ら師を得るの一語に歸す。其れ帝王の大法爲る可きものか。

△嗚呼、愼厥終、惟其始。殖有禮、覆昏暴、欽崇天道、永保天命。上文旣勸勉之。於是歎息言、謹其終之道、惟於其始圖之。始之不謹、而能謹終者、未之有也。伊尹亦言、謹終于始。事雖不同、而理則一也。欽崇者、敬畏尊奉之意。有禮者、封殖之、昏暴者、覆亡之。天之道也。欽崇乎天道、則永保其天命矣。按仲虺之誥、其大意有三。先言天立君之意。桀逆天命、而天之命湯者不可辭。次言湯德足以得民、而民之歸湯者非一日。末言爲君艱難之道。人心離合之機、天道福善禍淫之可畏、以明今之受夏、非以利己、乃有無窮之恤、以深慰湯而釋其慙。仲虺之忠愛、可謂至矣。然湯之所慙、恐來世以爲口實者、仲虺終不敢謂無也。君臣之分、其可畏如此哉。
【読み】
△嗚呼、厥の終わりを愼むこと、惟れ其の始めよりせよ。有禮を殖[な]し、昏暴を覆し、欽んで天道を崇べば、永く天の命を保んず、と。上の文旣に之を勸勉す。是に於て歎息して言う、其の終わりを謹むの道は、惟其の始めに於て之を圖れ、と。始めを謹まずして、能く終わりを謹む者は、未だ之れ有らず。伊尹も亦言う、終わりを謹むこと始めに于てす、と。事同じからずと雖も、而して理は則ち一なり。欽んで崇ぶとは、敬畏尊奉の意なり。有禮は、之を封殖し、昏暴は、之を覆亡す。天の道なり。欽んで天道を崇べば、則ち永く其の天命を保つ。按ずるに仲虺の誥、其の大意は三つ有り。先ず天君を立つるの意を言う。桀天命に逆いて、天の湯に命ずる者辭す可からず。次に湯の德以て民を得るに足りて、民の湯に歸する者一日に非ざるを言う。末に君爲るの艱難の道を言う。人心離合の機、天道善に福[さいわ]いし淫に禍いするの畏る可き、以て今の夏に受くるは、以て己を利するに非ず、乃ち無窮の恤[つつし]み有ることを明らかにして、以て深く湯を慰めて其の慙ずるを釋く。仲虺が忠愛、至れりと謂う可し。然れども湯の慙ずる所、恐れらくは來世以て口實とする者を、仲虺終に敢えて無しと謂わず。君臣の分、其の畏る可きこと此の如きか。

湯誥 湯伐夏歸亳。諸侯率職來朝。湯作誥以與天下更始。今文無、古文有。
【読み】
湯誥[とうこう] 湯夏を伐ちて亳[はく]に歸る。諸侯職を率いて來朝す。湯誥を作りて以て天下と更始す。今文無し、古文有り。

王歸自克夏、至于亳、誕告萬方。誕、大也。亳、湯所都。在宋州穀孰縣。
【読み】
王夏に克ちてより歸り、亳[はく]に至り、誕[おお]いに萬方に告ぐ。誕は、大いなり。亳は、湯の都する所。宋州穀孰縣に在り。

△王曰、嗟爾萬方有衆、明聽予一人誥。惟皇上帝、降衷于下民。若有恆性、克綏厥猷惟后。皇、大。衷、中。若、順也。天之降命、而具仁義禮智信之理、無所偏倚、所謂衷也。人之稟命、而得仁義禮智信之理、與心倶生、所謂性也。猷、道也。由其理之自然、而有仁義禮智信之行、所謂道也。以降衷而言、則無有偏倚、順其自然、固有常性矣。以稟受而言、則不無淸濁純雜之異。故必待君師之職、而後能使之安於其道也。故曰、克綏厥猷惟后。夫天生民有欲、以情言也。上帝降衷于下民、以性言也。仲虺卽情以言人之欲、成湯原性以明人之善。聖賢之論、互相發明。然其意則皆言、君道之係於天下者、如此之重也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]爾萬方の有衆、明らかに予れ一人の誥[つ]ぐるを聽け。惟れ皇[おお]いなる上帝、衷を下民に降す。恆有るの性に若[したが]いて、克く厥の猷[みち]を綏んずるは惟れ后なり。皇は、大い。衷は、中。若は、順うなり。天の命を降して、仁義禮智信の理を具え、偏倚する所無きは、所謂衷なり。人の命を稟[う]けて、仁義禮智信の理を得て、心と倶に生すは、所謂性なり。猷は、道なり。其の理の自然に由りて、仁義禮智信の行有るは、所謂道なり。降衷を以て言わば、則ち偏倚有る無く、其の自然に順いて、固に常の性有り。稟受を以て言わば、則ち淸濁純雜の異なり無きにあらず。故に必ず君師の職を待ちて、而して後に能く之をして其の道を安んぜしむ。故に曰く、克く厥の猷を綏んずるは惟れ后なり、と。夫れ天民を生して欲有らしむは、情を以て言えり。上帝衷を下民に降すは、性を以て言えり。仲虺は情に卽いて以て人の欲を言い、成湯は性に原づいて以て人の善を明らかにす。聖賢の論、互いに相發明す。然れども其の意は則ち皆言う、君道の天下に係る者、此の如く重し、と。

△夏王滅德作威、以敷虐于爾萬方百姓。爾萬方百姓、罹其凶害、弗忍荼毒、竝告無辜于上下神祇。天道福善禍淫。降災于夏、以彰厥罪。罹、鄰知反。荼、音徒。○言桀無有仁愛、但爲殺戮。天下被其凶害、如荼之苦、如毒之螫、不可堪忍。稱冤於天地鬼神、以冀其拯己。屈原曰、人窮則反本。故勞苦倦極、未嘗不呼天也。天之道、善者福之、淫者禍之。桀旣淫虐。故天降災以明其罪。意當時必有災異之事。如周語所謂伊洛竭而夏亡之類。
【読み】
△夏王德を滅ぼし威を作し、以て虐を爾萬方の百姓に敷く。爾萬方の百姓、其の凶害に罹りて、荼毒[とどく]に忍びず、竝[とも]に辜[つみ]無きを上下の神祇に告ぐ。天道は善に福[さいわ]いし淫に禍いす。災いを夏に降して、以て厥の罪を彰らかにせり。罹は、鄰知反。荼は、音徒。○言うこころは、桀は仁愛有る無く、但殺戮をす。天下其の凶害を被ること、荼の苦きが如く、毒の螫[さ]すが如く、堪え忍ぶ可からず。冤[うら]みを天地鬼神に稱[とな]えて、以て其の己を拯[すく]わんことを冀う。屈原が曰く、人窮するときは則ち本に反る。故に勞苦倦極して、未だ嘗て天を呼ばずんばあらず、と。天の道は、善き者は之に福いし、淫なる者は之に禍いす。桀旣に淫虐なり。故に天災いを降して以て其の罪を明らかにす。意うに當時必ず災異の事有らん。周語に所謂伊洛竭[つ]きて夏亡ぶの類の如し。

△肆台小子、將天命明威不敢赦。敢用玄牡、敢昭告于上天神后、請罪有夏。聿求元聖、與之戮力、以與爾有衆請命。戮、當作勠。○肆、故也。故我小子、奉將天命明威、不敢赦桀之罪也。玄牡、夏尙黑。未變其禮也。神后、后土也。聿、遂也。元聖、伊尹也。
【読み】
△肆[ゆえ]に台[わ]れ小子、天命の明威を將[おこな]いて敢えて赦さず。敢えて玄牡を用いて、敢えて昭らかに上天神后に告[もう]し、罪を有夏に請う。聿[つい]に元聖を求めて、之と力を戮[あ]わせて、以て爾有衆と命を請う。戮は、當に勠[りく]に作るべし。○肆は、故なり。故に我れ小子、天命の明威を奉將して、敢えて桀が罪を赦さざるなり。玄牡は、夏は黑を尙ぶ。未だ其の禮を變えざるなり。神后は、后土なり。聿は、遂なり。元聖は、伊尹なり。

△上天孚佑下民、罪人黜伏。天命弗僭、賁若草木。兆民允殖。孚・允、信也。僭、差也。賁、文之著也。殖、生也。上天信佑下民。故夏桀竄亡而屈服。天命無所僭差。燦然若草木之敷榮、兆民信乎其生殖矣。
【読み】
△上天孚に下民を佑け、罪人黜[しりぞ]き伏す。天命僭[たが]わず、賁[ひ]たること草木の若し。兆民允に殖[な]れり。孚・允は、信なり。僭は、差うなり。賁は、文の著るなり。殖は、生るなり。上天信に下民を佑く。故に夏の桀竄亡[ざんぼう]して屈服す。天命僭差する所無し。燦然として草木の榮を敷くが若く、兆民信なるかな其れ生殖す。

△俾予一人輯寧爾邦家。茲朕未知獲戾于上下。慄慄危懼、若將隕于深淵。輯、和。戾、罪。隕、墜也。天使我輯寧爾邦家。其付予之重、恐不足以當之。未知己得罪於天地與否、驚恐憂畏、若將墜於深淵。蓋責愈重、則憂愈大也。
【読み】
△予れ一人をして爾の邦家を輯[やわ]らげ寧んぜしむ。茲に朕れ未だ戾[つみ]を上下に獲るを知らず。慄慄として危懼し、將に深淵に隕ちんとするが若し。輯は、和らぐ。戾は、罪。隕は、墜つるなり。天我をして爾の邦家を輯らげ寧んぜしむ。其の付予の重き、恐れらくは以て之に當たるに足らざるを。未だ己が罪を天地に得るか否かというを知らず、驚恐憂畏して、將に深淵に墜ちんとするが若し。蓋し責め愈々重きときは、則ち憂え愈々大いなり。

△凡我造邦、無從匪彝、無卽慆淫。各守爾典、以承天休。夏命已黜、湯命維新。侯邦雖舊、悉與更始。故曰造邦。彝、法。卽、就。慆、慢也。匪彝、指法度言。慆淫、指逸樂言。典、常也。各守其典常之道、以承天之休命也。
【読み】
△凡そ我が造[な]せる邦、彝[のり]匪ざるに從うこと無かれ、慆淫に卽くこと無かれ。各々爾の典[つね]を守りて、以て天の休[よ]きを承けよ。夏の命已に黜[しりぞ]きて、湯の命維れ新たなり。侯邦舊きと雖も、悉く與に更まり始まる。故に造せる邦と曰う。彝は、法。卽は、就く。慆は、慢るなり。匪彝は、法度を指して言う。慆淫は、逸樂を指して言う。典は、常なり。各々其の典常の道を守りて、以て天の休命を承けよ、と。

△爾有善、朕弗敢蔽。罪當朕躬、弗敢自赦。惟簡在上帝之心。其爾萬方有罪、在予一人。予一人有罪、無以爾萬方。簡、閱也。人有善、不敢以不達。己有罪、不敢以自恕。簡閱、一聽於天。然天以天下付之我、則民之有罪、實君所爲、君之有罪、非民所致。非特聖人厚於責己、而薄於責人、是乃理之所在、君道當然也。
【読み】
△爾善有らば、朕れ敢えて蔽わず。罪朕が躬に當たらば、敢えて自ら赦さず。惟れ簡[えら]ぶこと上帝の心に在り。其れ爾萬方罪有らば、予れ一人に在り。予れ一人罪有らば、爾萬方を以てすること無けん。簡は、閱ぶなり。人善有るときは、敢えて以て達せずんばあらず。己罪有るときは、敢えて以て自ら恕[ゆる]さず。簡閱すること、一に天に聽く。然して天天下を以て之を我に付するときは、則ち民の罪有るは、實に君のする所、君の罪有るは、民の致す所に非ず。特り聖人己を責むるに厚くして、人を責むるに薄きのみに非ず、是れ乃ち理の在る所にして、君道の當然なり。

△嗚呼、尙克時忱。乃亦有終。忱、時壬反。○忱、信也。歎息言、庶幾能於是而忱信焉。乃亦有終也。吳氏曰、此兼人己而言。
【読み】
△嗚呼、尙わくは克く時[ここ]に忱[まこと]あらんことを。乃ち亦終わり有らん、と。忱[しん]は、時壬反。○忱は、信なり。歎息して言う、庶幾わくは能く是に於て忱信あらんことを。乃ち亦終わり有らん、と。吳氏が曰く、此れ人己を兼ねて言う、と。

伊訓 訓、導也。太甲嗣位。伊尹作書訓導之。史錄爲篇。今文無、古文有。
【読み】
伊訓[いくん] 訓は、導くなり。太甲位を嗣ぐ。伊尹書を作りて之を訓え導く。史錄を篇とす。今文無し、古文有り。

惟元祀十有二月乙丑、伊尹祠于先王。奉嗣王祗見厥祖。侯甸羣后咸在。百官總己以聽冢宰。伊尹乃明言烈祖之成德、以訓于王。見、形甸反。○夏曰歲、商曰祀、周曰年、一也。元祀者、太甲卽位之元年。十二月者、商以建丑爲正。故以十二月爲正也。乙丑、日也。不繫以朔者、非朔日也。三代雖正朔不同、然皆以寅月起數。蓋朝覲會同、頒曆授時、則以正朔行事。至於紀月之數、則皆以寅爲首也。伊、姓、尹、字也。伊尹名摯。祠者、告祭於廟也。先王、湯也。冢、長也。禮有冢子冢婦之名。周人亦謂之冢宰。古者王宅憂、祠祭則冢宰攝而告廟、又攝而臨羣臣。太甲服仲壬之喪。伊尹祠于先王、奉太甲以卽位改元之事。祗見厥祖、則攝而告廟也。侯服甸服之羣后咸在、百官總己之職、以聽冢宰、則攝而臨羣臣也。烈、功也。商頌曰、衎我烈祖。太甲卽位改元。伊尹於祠告先王之際、明言湯之成德、以訓太甲。此史官敍事之始辭也。或曰、孔氏言、湯崩踰月、太甲卽位、則十二月者湯崩之年、建子之月也。豈改正朔而不改月數乎。曰、此孔氏惑於序書之文也。太甲繼仲壬之後、服仲壬之喪。而孔氏曰、湯崩奠殯而告。固已誤矣。至於改正朔、而不改月數、則於經史尤可攷。周建子矣。而詩言、四月維夏、六月徂暑。則寅月起數。周未嘗改也。秦建亥矣。而史記始皇三十一年十二月、更名臘曰嘉平。夫臘必建丑月也。秦以亥正、則臘爲三月。云十二月者、則寅月起數。秦未嘗改也。至三十七年、書十月癸丑、始皇出遊。十一月行至雲夢、繼書七月丙寅、始皇崩。九月葬酈山。先書十月十一月、而繼書七月九月者、知其以十月爲正朔、而寅月起數。未嘗改也。且秦史制書、謂改年始朝賀、皆自十月朔。夫秦繼周者也。若改月數、則周之十月爲建酉月矣。安在其爲建亥乎。漢初史氏所書舊例也。漢仍秦正、亦書曰、元年冬十月、則正朔改而月數不改、亦已明矣。且經曰、元祀十有二月乙丑。則以十二月爲正朔、而改元何疑乎。惟其以正朔行事也。故後乎此者、復政厥辟、亦以十二月朔、奉嗣王歸于亳。蓋祠告復政、皆重事也。故皆以正朔行之。孔氏不得其說、而意湯崩踰月、太甲卽位奠殯而告。是以崩年改元矣。蘇氏曰、崩年改元、亂世事也。不容在伊尹而有之。不可以不辨。又按孔氏以爲湯崩。吳氏曰、殯有朝夕之奠、何爲而致祠。主喪者不離於殯側。何待於祗見。蓋太甲之爲嗣王、嗣仲壬而王也。太甲、太丁之子。仲壬、其叔父也。嗣叔父而王。而爲之服三年之喪。爲之後者、爲之子也。太甲旣卽位於仲壬之柩前。方居憂於仲壬之殯側、伊尹乃至商之祖廟、徧祀商之先王、而以立太甲告之。不言太甲祠、而言伊尹、喪三年不祭也。奉太甲徧見商先王、而獨言祗見厥祖者、雖徧見先王、而尤致意於湯也。亦猶周公金縢之册、雖徧告三王、而獨眷眷於文王也。湯旣已祔于廟、則是此書初不廢外丙・仲壬之事。但此書本爲伊尹稱湯以訓太甲、故不及外丙・仲壬之事爾。餘見書序。
【読み】
惟れ元祀十有二月乙丑[きのと・うし]、伊尹先王を祠[まつ]る。嗣王を奉[あが]めて祗[つつし]んで厥の祖に見ゆ。侯甸[てん]の羣后咸在り。百官己を總べて以て冢宰に聽く。伊尹乃ち明らかに烈祖の成德を言いて、以て王に訓ゆ。見は、形甸反。○夏には歲と曰い、商には祀と曰い、周には年と曰えども、一なり。元祀は、太甲卽位の元年なり。十二月は、商丑に建[さ]すを以て正とす。故に十二月を以て正とするなり。乙丑は、日なり。繫くるに朔を以てせざるは、朔日に非ざるなり。三代は正朔同じからずと雖も、然れども皆寅月を以て數を起こす。蓋し朝覲會同、曆を頒ち時を授くるときは、則ち正朔を以て事を行う。紀月の數に至りては、則ち皆寅を以て首めとす。伊は、姓、尹は、字なり。伊尹名は摯[し]。祠は、廟に告祭するなり。先王は、湯なり。冢は、長なり。禮に冢子冢婦の名有り。周人も亦之を冢宰と謂う。古は王憂に宅りて、祠祭するときは則ち冢宰攝して廟に告げ、又攝して羣臣に臨む。太甲仲壬の喪を服す。伊尹先王を祠りて、太甲に奉ずるに卽位改元の事を以てす。祗んで厥の祖に見ゆるときは、則ち攝して廟に告ぐ。侯服甸服の羣后咸在り、百官己が職を總べて、以て冢宰に聽くときは、則ち攝して羣臣に臨むなり。烈は、功なり。商頌に曰く、我が烈祖を衎[たの]しましむ、と。太甲位に卽き元を改む。伊尹先王を祠り告ぐるの際に於て、明らかに湯の成德を言いて、以て太甲に訓ゆ。此れ史官事を敍ずるの始めの辭なり。或ひと曰く、孔氏が言う、湯崩じて月を踰[こ]え、太甲位に卽くときは、則ち十二月は湯崩ずるの年、子を建すの月なり。豈正朔を改めて月數を改めざらんや、と。曰く、此れ孔氏書に序するの文に惑えり。太甲仲壬の後に繼ぎ、仲壬の喪を服す。而して孔氏が曰く、湯崩じて殯に奠して告ぐ、と。固に已に誤れり。正朔を改むるに至りて、月數を改めざるは、則ち經史に於て尤も攷[かんが]う可し。周は子に建す。而るを詩に言う、四月維れ夏、六月暑きこと徂んぬ、と。則ち寅月數を起こす。周は未だ嘗て改めざるなり。秦は亥[い]に建す。而るを史記に始皇の三十一年十二月、更めて臘[ろう]を名づけて嘉平と曰う。夫れ臘は必ず丑に建すの月なり。秦亥を以て正とすれば、則ち臘は三月爲り。十二月と云う者は、則ち寅月數を起こす。秦未だ嘗て改めざるなり。三十七年に至りて、十月癸丑[みずのと・うし]、始皇出でて遊ぶ。十一月行いて雲夢に至ると書し、繼いで七月丙寅[ひのえ・とら]、始皇崩ず。九月酈山に葬むると書す。先ず十月十一月と書して、繼いで七月九月と書す者は、其の十月を以て正朔として、寅月數を起こすことを知る。未だ嘗て改めざるなり。且つ秦史書を制する、謂ゆる年始を改めて朝賀するは、皆十月朔よりす。夫れ秦は周に繼ぐ者なり。若し月數を改むれば、則ち周の十月は酉を建す月とす。安んぞ其れ亥を建すとするに在らんや。漢の初め史氏の書す所は舊例なり。漢、秦の正に仍り、亦書して曰く、元年冬十月、則ち正朔改めて月數改めざること、亦已に明らかなり。且つ經に曰く、元祀十有二月乙丑、と。則ち十二月を以て正朔として、改元何ぞ疑わんや。惟れ其れ正朔を以て事を行うなり。故に此より後なる者、政を厥の辟[きみ]に復すに、亦十二月朔を以て、嗣王を奉[むか]えて亳に歸る。蓋し祠告復政は、皆重事なり。故に皆正朔を以て之を行う。孔氏其の說を得ずして、意えらく、湯崩じて月を踰えて、太甲位に卽き殯に奠して告ぐ、と。是れ崩ずる年を以て改元す、と。蘇氏が曰く、崩ずる年改元するは、亂世の事なり。伊尹に在りて之れ有る容からず。以て辨ぜずんばある可からず、と。又按ずるに孔氏以て湯崩ずとす。吳氏が曰く、殯は朝夕の奠有り、何の爲にして祠を致さん。喪を主る者は殯の側を離れず。何ぞ祗んで見ゆるを待たん、と。蓋し太甲の嗣王爲る、仲壬に嗣いで王たり。太甲は、太丁の子。仲壬は、其の叔父なり。叔父に嗣いで王たり。而して之が爲に三年の喪を服す。之が後爲る者は、之が子爲ればなり。太甲旣に仲壬の柩の前に卽位す。憂えに仲壬の殯の側に居るに方りて、伊尹乃ち商の祖廟に至りて、徧く商の先王を祀りて、太甲を立つることを以て之に告ぐ。太甲祠ると言わずして、伊尹と言うは、喪には三年祭らざればなり。太甲を奉じて徧く商の先王に見えて、獨り祗んで厥の祖に見ゆと言うは、徧く先王に見ゆと雖も、而れども尤も意を湯に致すなり。亦猶周公金縢の册、徧く三王に告ぐと雖も、而れども獨り文王に眷眷するがごとし。湯旣已に廟に祔[ふ]せば、則ち是れ此の書初めより外丙・仲壬の事を廢てず。但此の書は本伊尹湯を稱して以て太甲に訓ゆるが爲、故に外丙・仲壬の事に及ばざるのみ。餘は書の序に見えたり。

△曰、嗚呼、古有夏先后、方懋厥德、罔有天災。山川鬼神、亦莫不寧、曁鳥獸魚鼈咸若。于其子孫弗率。皇天降災、假手于我有命。造攻自鳴條。朕哉自亳。詩曰、殷監不遠、在夏后之世。商之所宜監者、莫近於夏。故首以夏事告之也。率、循也。假、借也。有命、有天命者、謂湯也。桀不率循先王之道。故天降災、借手于我成湯以誅之。夏之先后、方其懋德、則天之眷命如此。及其子孫弗率、而覆亡之禍又如此。太甲不知率循成湯之德、則夏桀覆亡之禍、亦可監矣。哉、始也。鳴條、夏所宅也。亳、湯所宅也。言造可攻之釁者、由桀積惡於鳴條。而湯德之修、則始於亳都也。
【読み】
△曰く、嗚呼、古有夏の先后、方に厥の德を懋[つと]めて、天の災い有る罔し。山川鬼神も、亦寧んぜざる莫く、鳥獸魚鼈に曁[およ]ぶまで咸[みな]若[したが]えり。其の子孫に于て率[したが]わず。皇天災いを降し、手を我が有命に假る。造[はじ]めて攻むること鳴條よりす。朕れ亳[はく]より哉[はじ]む。詩に曰く、殷監遠からず、夏后の世に在り、と。商の宜しく監るべき所の者は、夏より近きは莫し。故に首めに夏の事を以て之に告ぐ。率は、循うなり。假は、借るなり。有命は、天命を有する者、湯を謂うなり。桀先王の道に率い循わず。故に天災いを降し、手を我が成湯に借りて以て之を誅す。夏の先后、方に其れ德を懋むるときは、則ち天の眷命此の如し。其の子孫に及んで率わずして、覆亡の禍いも又此の如し。太甲成湯の德に率い循うことを知らざれば、則ち夏の桀覆亡の禍いも、亦監る可し。哉は、始めなり。鳴條は、夏の宅る所なり。亳は、湯の宅る所なり。言うこころは、造めて攻む可きの釁[きん]は、桀惡を鳴條に積むに由る。而して湯の德を修むるは、則ち亳の都に始むるなり。

△惟我商王、布昭聖武、代虐以寬、兆民允懷。布昭、敷著也。聖武、猶易所謂神武而不殺者。湯之德威、敷著于天下、代桀之虐、以吾之寬。故天下之民、信而懷之也。
【読み】
△惟れ我が商王、聖武を布き昭らかにし、虐に代うるに寬を以てして、兆民允として懷く。布昭は、敷き著らかにするなり。聖武は、猶易に所謂神武にして殺さざる者なり。湯の德威、天下に敷き著らかなること、桀が虐に代うるに、吾が寬を以てす。故に天下の民、信として之に懷けり。

△今王嗣厥德。罔不在初。立愛惟親、立敬惟長。始于家邦、終于四海。初、卽位之初。言始不可以不謹也。謹始之道孝悌而已。孝悌者、人心之所同。非必人人敎詔之。立、植也。立愛敬於此、而形愛敬於彼、親吾親以及人之親、長吾長以及人之長、始于家達于國、終而措之天下矣。孔子曰、立愛自親始。敎民睦也。立敬自長始。敎民順也。
【読み】
△今王厥の德を嗣ぐ。初めに在らざる罔し。愛を立つるは惟れ親よりし、敬を立つるは惟れ長よりす。家邦より始めて、四海に終う。初は、位に卽くの初め。言うこころは、始めより以て謹まずんばある可からざるなり。始めを謹むの道は孝悌なるのみ。孝悌は、人心の同じき所。必ずしも人人之を敎え詔[おし]ゆるに非ず。立は、植[た]つなり。愛敬を此に立てて、愛敬を彼に形し、吾が親を親として以て人の親に及ぼし、吾が長を長として以て人の長に及ぼし、家に始めて國に達し、終わりにして之を天下に措くなり。孔子曰く、愛を立つるは親より始む。民に睦を敎ゆるなり。敬を立つるは長より始む。民に順を敎ゆるなり、と。

△嗚呼、先王肇修人紀、從諫弗咈、先民時若。居上克明、爲下克忠。與人不求備、檢身若不及。以至于有萬邦。茲惟艱哉。人紀、三綱五常孝敬之實也。上文欲太甲立其愛敬。故此言成湯之所修人紀者、如下文所云也。綱常之理、未嘗泯沒。桀廢棄之、而湯始修復之也。咈、逆也。先民、猶前輩舊德也。從諫不逆、先民是順。非誠於樂善者不能也。居上克明、言能盡臨下之道。爲下克忠、言能盡事上之心。○呂氏曰、湯之克忠、最爲難看。湯放桀、以臣易君。豈可爲忠。不知湯之心最忠者也。天命未去、人心未離、事桀之心、曷嘗斯須替哉。與人之善、不求其備、檢身之誠、有若不及。其處上下人己之閒、又如此。是以德日以盛、業日以廣、天命歸之、人心戴之。由七十里、而至于有萬邦也。積累之勤、茲亦難矣。伊尹前旣言夏失天下之易、此又言湯得天下之難。太甲可不思所以繼之哉。
【読み】
△嗚呼、先王肇めて人紀を修めて、諫めに從いて咈[もと]らず、先民時[こ]れ若[したが]えり。上に居りては克く明らかに、下と爲りては克く忠あり。人と與[とも]にするに備わらんことを求めず、身を檢するは及ばざるが若くす。以て萬邦を有つに至れり。茲れ惟れ艱[かた]いかな。人紀は、三綱五常孝敬の實なり。上の文は太甲の其の愛敬を立つることを欲す。故に此に成湯の人紀を修むる所の者を言うこと、下の文に云う所の如し。綱常の理、未だ嘗て泯沒せず。桀之を廢棄して、湯始めて之を修復す。咈は、逆うなり。先民は、猶前輩舊德のごとし。諫めに從いて逆わず、先民是れ順う。善を樂しむに誠ある者に非ずんば能わざるなり。上に居りて克く明らかとは、言うこころは、能く下に臨むの道を盡くす。下と爲りては克く忠ありとは、言うこころは、能く上に事うるの心を盡くすなり。○呂氏が曰く、湯の克く忠ある、最も看難しとす。湯桀を放ち、臣を以て君を易う。豈忠とす可けんや、と。湯の心最も忠なるを知らざる者なり。天命未だ去らず、人心未だ離れず、桀に事うるの心、曷ぞ嘗て斯須も替えんや。人と與にするの善きは、其の備わらんことを求めず、身を檢するの誠は、及ばざるが若きこと有り。其の上下人己の閒に處ること、又此の如し。是を以て德日々に以て盛んにして、業日々に以て廣まり、天命之に歸し、人心之を戴く。七十里由りして、萬邦を有つに至れり。積累の勤め、茲れ亦難いかな。伊尹前には旣に夏の天下を失うの易きを言い、此には又湯の天下を得るの難きを言う。太甲之を繼ぐ所以を思わざる可けんや。

△敷求哲人、俾輔于爾後嗣。敷、廣也。廣求賢哲、使輔爾後嗣也。
【読み】
△敷[ひろ]く哲人を求めて、爾の後嗣を輔けしむ。敷は、廣きなり。廣く賢哲を求めて、爾の後嗣を輔けしむ。

△制官刑、儆于有位曰、敢有恆舞于宮、酣歌于室、時謂巫風。敢有殉于貨色、恆于遊畋、時謂淫風。敢有侮聖言、逆忠直、遠耆德、比頑童、時謂亂風。惟茲三風十愆、卿士有一于身、家必喪。邦君有一于身、國必亡。臣下不匡、其刑墨。具訓于蒙士。殉、松潤反。遠、于願反。○官刑、官府之刑也。巫風者、常歌常舞。若巫覡然也。淫、過也。過而無度也。比、昵也。倒置悖理曰亂。好人之所惡、惡人之所好也。風、風化也。三風、愆之綱也。十愆、風之目也。卿士諸侯十有其一、已喪其家、亡其國矣。墨、墨刑也。臣下而不能匡正其君、則以墨刑加之。具、詳悉也。童蒙始學之士、則詳悉以是訓之。欲其入官而知所以正諫也。異時太甲欲敗度、縱敗禮。伊尹先見其微。故拳拳及此。劉侍講曰、墨、卽叔向所謂夏書昏墨賊殺、皐陶之刑。貪以敗官爲墨。
【読み】
△官刑を制して、有位を儆[いまし]めて曰く、敢えて恆に宮に舞い、室に酣[たの]しみ歌うこと有る、時[これ]を巫風と謂う。敢えて貨色に殉[したが]い、遊畋[ゆうでん]を恆にすること有る、時を淫風と謂う。敢えて聖言を侮り、忠直に逆い、耆德を遠ざけ、頑童に比[むつ]ぶこと有る、時を亂風と謂う。惟れ茲の三風十愆[けん]、卿士身に一つも有るときは、家必ず喪ぶ。邦君身に一つも有るときは、國必ず亡ぶ。臣下匡さざるときは、其の刑は墨す。具[つぶさ]に蒙士に訓ゆ。殉は、松潤反。遠は、于願反。○官刑は、官府の刑なり。巫風は、常に歌い常に舞う。巫覡[ふげき]の若く然り。淫は、過ぐなり。過ぎて度無きなり。比は、昵[むつ]ぶなり。倒置悖理を亂と曰う。人の惡む所を好み、人の好む所を惡むなり。風は、風化なり。三風は、愆の綱なり。十愆は、風の目なり。卿士諸侯十に其の一有るときは、已に其の家を喪い、其の國を亡ぼす。墨は、墨刑なり。臣下として其の君を匡正すること能わざるときは、則ち墨刑を以て之に加う。具は、詳悉なり。童蒙始學の士には、則ち詳悉にして是を以て之を訓う。其の官に入りて正し諫むる所以を知ることを欲するなり。異時太甲欲するときは度を敗り、縱にするときは禮を敗る。伊尹先ず其の微を見る。故に拳拳として此に及ぶ。劉侍講が曰く、墨は、卽ち叔向が所謂夏書の昏墨賊殺は、皐陶が刑なり、と。貪りて以て官を敗るを墨とす。

△嗚呼嗣王、祗厥身念哉。聖謨洋洋、嘉言孔彰。惟上帝不常、作善降之百祥、作不善降之百殃。爾惟德罔小。萬邦惟慶。爾惟不德罔大。墜厥宗。歎息言、太甲當以三風十愆之訓、敬之於身、念而勿忘也。謨、謂其謀。言、謂其訓。洋、大。孔、甚也。言其謀訓大明。不可忽也。不常者、去就無定也。爲善則降之百祥、爲惡則降之百殃。各以類應也。勿以小善而不爲。萬邦之慶積於小。勿以小惡而爲之。厥宗之墜不在大。蓋善必積而後成。惡雖小而可懼。此總結上文、而又以天命人事禍福、申戒之也。
【読み】
△嗚呼嗣王、厥の身を祗[つつし]んで念えや。聖謨洋洋たり、嘉言孔だ彰らかなり。惟れ上帝常ならず、善を作せば之に百祥を降し、不善を作せば之に百殃を降す。爾惟れ德小なりとする罔かれ。萬邦惟れ慶ばん。爾惟れ不德大いなりとする罔かれ。厥の宗を墜さん、と。歎息して言う、太甲當に三風十愆の訓を以て、之を身に敬んで、念いて忘るる勿かるべし、と。謨は、其の謀を謂う。言は、其の訓を謂う。洋は、大い。孔は、甚だなり。言うこころは、其の謀訓大だ明らかなり。忽にす可からざるなり。常ならずとは、去就定め無きなり。善をすれば則ち之に百祥を降し、惡をすれば則ち之に百殃を降す。各々類を以て應ずるなり。小善を以てせざること勿かれ。萬邦の慶びは小より積る。小惡を以て之をすること勿かれ。厥の宗の墜つること大に在らず。蓋し善必ず積んで而して後に成る。惡は小なりと雖も懼る可し。此れ總べて上の文を結んで、又天命人事禍福を以て、申ねて之を戒むなり。

太甲上 商史錄伊尹告戒節次、及太甲往復之辭。故三篇相屬成文。其閒或附史臣之語、以貫篇意。若史家記傳之所載也。唐孔氏曰、伊訓・肆命徂后・太甲・咸有一德、皆是告戒太甲、不可皆名伊訓。故隨事立稱也。林氏曰、此篇亦訓體。今文無、古文有。
【読み】
太甲上[たいこうじょう] 商の史伊尹が告戒の節次、及び太甲往復の辭を錄す。故に三篇相屬して文を成す。其の閒或は史臣の語を附して、以て篇の意を貫く。史家記傳の載する所の若し。唐の孔氏が曰く、伊訓・肆命徂后・太甲・咸有一德は、皆是れ太甲を告戒すれども、皆伊訓と名づく可からず。故に事に隨いて稱を立つ、と。林氏が曰く、此の篇も亦訓の體なり、と。今文無し、古文有り。

惟嗣王、不惠于阿衡。惠、順也。阿、倚。衡、平也。阿衡、商之官名。言天下之所倚平也。亦曰、保衡。或曰、伊尹之號。史氏錄伊尹之書、先此以發之。
【読み】
惟れ嗣王、阿衡に惠[したが]わず。惠は、順うなり。阿は、倚る。衡は、平らぐなり。阿衡は、商の官の名。言うこころは、天下の倚平する所なり。亦曰く、保衡、と。或ひと曰く、伊尹の號、と。史氏伊尹が書を錄すに、此を先にして以て之を發す。

△伊尹作書曰、先王顧諟天之明命、以承上下神祇、社稷宗廟、罔不祗肅。天監厥德、用集大命、撫綏萬方。惟尹躬克左右厥辟宅師。肆嗣王丕承基緒。監、音鑑。左、音佐。○顧、常目在之也。諟、古是字。明命者、上天顯然之理、而命之我者。在天爲明命、在人爲明德。伊尹言成湯常目在是天之明命、以奉天地神祇、神稷宗廟、無不敬肅。故天視其德、用集大命、以有天下、撫安萬邦。我又身能左右成湯、以居民衆。故嗣王得以大承其基業也。
【読み】
△伊尹書を作りて曰く、先王諟[こ]の天の明命を顧みて、以て上下の神祇、社稷宗廟までに承[つかまつ]りて、祗[つつし]み肅まざる罔し。天厥の德を監て、用て大命を集めて、萬方を撫で綏んず。惟れ尹が躬克く厥の辟[きみ]を左[たす]け右[たす]けて師[もろもろ]を宅けり。肆[ゆえ]に嗣王丕[おお]いに基緒を承[つ]げり。監は、音鑑。左は、音佐。○顧は、常に目之に在るなり。諟は、古の是の字なり。明命は、上天顯然の理にして、之を我に命ずる者なり。天に在りては明命とし、人に在りては明德とす。伊尹言うこころは、成湯常に目是の天の明命に在りて、以て天地神祇、神稷宗廟に奉じて、敬み肅まざる無し。故に天其の德を視て、用て大命を集めて、以て天下を有ちて、萬邦を撫で安んず。我も又身ら能く成湯を左け右けて、以て民衆を居く。故に嗣王以て大いに其の基業を承ぐことを得たり。

△惟尹躬先見于西邑夏、自周有終。相亦惟終。其後嗣王、罔克有終。相亦罔終。嗣王戒哉。祗爾厥辟。辟不辟、忝厥祖。先・見、如字。相、去聲。下同。○夏都安邑。在亳之西。故曰西邑夏。周、忠信也。國語曰、忠信爲周。○施氏曰、作僞心勞日拙、則缺露而不周。忠信則無僞。故能周而無缺。夏之先王、以忠信有終。故其輔相者亦能有終。其後夏桀不能有終。故其輔相者亦不能有終。嗣王其以夏桀爲戒哉。當敬爾所以爲君之道。君而不君、則忝辱成湯矣。太甲之意、必謂伊尹足以任天下之重。我雖縱欲、未必遽至危亡。故伊尹以相亦罔終之言、深折其私、而破其所恃也。
【読み】
△惟れ尹が躬先ず西邑の夏を見るに、周[まこと]を自[もっ]て終わり有り。相も亦惟れ終う。其の後の嗣王、克く終わること有る罔し。相も亦終わること罔し。嗣王戒めよや。爾の厥の辟[きみ]たるを祗[つつし]め。辟辟たらざれば、厥の祖を忝[はずかし]む、と。先・見は、字の如し。相は、去聲。下も同じ。○夏は安邑に都す。亳の西に在り。故に西邑の夏と曰う。周は、忠信なり。國語に曰く、忠信を周とす、と。○施氏が曰く、僞りを作し心勞して日に拙なるときは、則ち缺露[けつろ]して周ならず。忠信なるときは則ち僞り無し。故に能く周にして缺無し、と。夏の先王、忠信を以て終わり有り。故に其の輔相の者も亦能く終わり有り。其の後夏の桀終わり有ること能わず。故に其の輔相の者も亦終わり有ること能わず。嗣王其れ夏桀を以て戒めとせよ。當に爾が君爲る所以の道を敬むべし。君として君たらざれば、則ち成湯を忝め辱む、と。太甲の意、必ず謂う、伊尹以て天下の重きを任ずるに足れり。我れ欲を縱にすと雖も、未だ必ずしも遽に危亡に至らず、と。故に伊尹相も亦終わり罔しの言を以て、深く其の私を折[くじ]いて、其の恃む所を破るなり。

△王惟庸罔念聞。庸、常也。太甲惟若尋常、於伊尹之言、無所念聽。此史氏之言。
【読み】
△王惟れ庸[つね]として念い聞くこと罔し。庸は、常なり。太甲惟れ尋常の若く、伊尹の言に於て、念い聽く所無し。此れ史氏の言なり。

△伊尹乃言曰、先王昧爽丕顯、坐以待旦、旁求俊彥、啓迪後人。無越厥命以自覆。昧、晦。爽、明也。昧爽云者、欲明未明之時也。丕、大也。顯、亦明也。先王於昧爽之時、洗濯澡雪、大明其德、坐以待旦而行之也。旁求者、求之非一方也。彥、美士也。言湯孜孜爲善、不遑寧處。如此、而又旁求俊彥之士、以開導子孫。太甲毋顚越其命、以自取履亡也。
【読み】
△伊尹乃ち言いて曰く、先王昧爽丕[おお]いに顯らかにして、坐して以て旦を待つ。旁[あまね]く俊彥を求めて、後人を啓[ひら]き迪[みちび]く。厥の命を越えて以て自ら覆すこと無かれ。昧は、晦。爽は、明なり。昧爽と云う者は、明けんと欲して未だ明けざるの時なり。丕は、大いなり。顯も、亦明なり。先王昧爽の時に於て、洗濯澡雪して、大いに其の德を明らかにして、坐して以て旦を待ちて之を行う。旁く求むとは、之を求むること一方に非ざるなり。彥は、美士なり。言うこころは、湯孜孜[しし]として善を爲し、寧處に遑あらず。此の如くにして、又旁く俊彥の士を求めて、以て子孫を開き導く。太甲其の命を顚越して、以て自ら履亡を取ること毋かれ。

△愼乃儉德、惟懷永圖。太甲欲敗度縱敗禮。蓋奢侈失之、而無長遠之慮者。伊尹言、當謹其儉約之德、惟懷永久之謀。以約失之者鮮矣。此太甲受病之處。故伊尹特言之。
【読み】
△乃儉德を愼んで、惟れ永圖を懷え。太甲欲するときは度を敗り縱にするときは禮を敗る。蓋し奢侈之を失して、長遠の慮り無き者なり。伊尹が言う、當に其の儉約の德を謹んで、惟れ永久の謀を懷うべし、と。約を以て之を失う者は鮮し。此れ太甲病を受くるの處。故に伊尹特に之を言う。

△若虞機張、往省括于度則釋、欽厥止、率乃祖攸行。惟朕以懌、萬世有辭。虞、虞人也。機、弩牙也。括、矢括也。度、法度。射者之所準望者也。釋、發也。言若虞人之射、弩機旣張、必往察其括之合於法度、然後發之、則發無不中矣。欽者、肅恭收斂。止、見虞書。率、循也。欽厥止者、所以立本。率乃祖者、所以致用。所謂省括于度則釋也。王能如是、則動無過舉。近可以慰悅尹心。遠可以有譽於後世矣。安汝止者、聖君之事。生而知者也。欽厥止者、賢君之事。學而知者也。
【読み】
△虞の機の張りて、往いて括[やはず]を度に省みて則ち釋[はな]つが若く、厥の止まりを欽んで、乃の祖の行う攸に率え。惟れ朕れ以て懌[よろこ]び、萬世辭有らん、と。虞は、虞人なり。機は、弩牙なり。括は、矢括なり。度は、法度。射る者の準望する所の者なり。釋は、發つなり。言うこころは、虞人の射るが若き、弩機旣に張りて、必ず往いて其の括の法度に合わんことを察して、然して後に之を發つときは、則ち發して中らざる無し。欽は、肅恭收斂するなり。止は、虞書に見えたり。率は、循うなり。厥の止まりを欽むは、本を立つる所以なり。乃の祖に率うは、用を致す所以なり。所謂括を度に省みて則ち釋つなり。王能く是の如くなれば、則ち動いて過舉無し。近くは以て尹が心を慰悅す可し。遠くは以て後世に譽れ有る可し、と。汝が止まりを安んずるは、聖君の事。生まれながらにして知る者なり。厥の止まりを欽むは、賢君の事。學んで知る者なり。

△王未克變。不能變其舊習也。此亦史氏之言。
【読み】
△王未だ變うること克[あた]わず。其の舊習を變うること能わざるなり。此れ亦史氏の言なり。

△伊尹曰、茲乃不義、習與性成。予弗狎于弗順。營于桐宮、密邇先王、其訓無俾世迷。狎、習也。弗順者、不順義理之人也。桐、成湯墓陵之地。伊尹指太甲所爲、乃不義之事、習惡而性成者也。我不可使其狎習不順義理之人、於是營宮于桐、使親近成湯之墓、朝夕哀思、興起其善、以是訓之、無使終身迷惑而不悟也。
【読み】
△伊尹曰く、茲れ乃の不義なる、習い性と成れり。予れ順わざるに狎れしめず。桐宮を營[つく]りて、先王に密邇せば、其れ訓えて世をして迷わしむること無けん、と。狎は、習うなり。順わずとは、義理に順わざるの人なり。桐は、成湯墓陵の地なり。伊尹太甲のする所を指すは、乃ち不義の事、惡に習いて性と成る者なり。我れ其をして義理に順わざるの人に狎れ習わしむ可からずとして、是に於て宮を桐に營じ、成湯の墓に親近せしめて、朝夕哀思して、其の善を興起し、是を以て之を訓えて、身を終うるまで迷い惑いて悟らざらしむること無けん、と。

△王徂桐宮居憂、克終允德。徂、往也。允、信也。有諸己、之謂信。實有其德於身也。凡人之不善、必有從臾以導其爲非者。太甲桐宮之居、伊尹旣使其密邇先王陵墓、以興發其善心、又絕其比昵之黨、而革其汚染。此其所以克終允德也。次篇伊尹言嗣王克終其德、又曰、允德協于下。故史氏言、克終允德。結此篇以發次篇之義。
【読み】
△王桐宮に徂いて憂えに居り、克く允の德を終う。徂は、往くなり。允は、信なり。己に有る、之を信と謂う。實に其の德を身に有つなり。凡そ人の不善は、必ず從臾して以て其の非を爲す者を導くこと有り。太甲桐宮の居、伊尹旣に其をして先王の陵墓に密邇し、以て其の善心を興發し、又其の比昵[ひじつ]の黨を絕ちて、其の汚染を革めしむ。此れ其の克く允の德を終うる所以なり。次の篇には伊尹嗣王克く其の德を終うることを言い、又曰く、允に德ありて下に協う、と。故に史氏言う、克く允の德を終う、と。此の篇を結んで以て次の篇の義を發すなり。

太甲中
【読み】
太甲中[たいこうちゅう]

惟三祀十有二月朔、伊尹以冕服、奉嗣王歸于亳。太甲終喪明年之正朔也。冕、冠也。唐孔氏曰、周禮天子六冕。備物盡文。惟袞冕耳。此蓋袞冕之服、義或然也。奉、迎也。喪旣除、以袞冕吉服、奉迎以歸也。
【読み】
惟れ三祀十有二月朔に、伊尹冕服を以て、嗣王を奉[むか]えて亳[はく]に歸る。太甲喪を終う明年の正朔なり。冕は、冠なり。唐の孔氏が曰く、周禮に天子は六冕、と。物を備え文を盡くす。惟れ袞冕なるのみ、と。此れ蓋し袞冕の服、義或は然らん。奉は、迎うなり。喪旣に除[お]わりて、袞冕吉服を以て、奉迎して以て歸るなり。

△作書曰、民非后、罔克胥匡以生。后非民、罔以辟四方。皇天眷佑有商。俾嗣王克終厥德、實萬世無疆之休。民非君、則不能相正以生、君非民、則誰與爲君者、言民固不可無君、而君尤不可失民也。太甲改過之初、伊尹首發此義。其喜懼之意深矣。夫太甲不義、有若性成。一旦翻然改悟、是豈人力所至。蓋天命眷商、陰誘其衷。故嗣王能終其德也。向也湯緒幾墜。今其自是有永。豈不爲萬世無疆之休乎。
【読み】
△書を作りて曰く、民は后に非ずんば、克く胥[あい]匡して以て生けること罔し。后は民に非ずんば、以て四方に辟[きみ]たること罔し。皇天有商を眷[かえり]み佑けん。嗣王をして克く厥の德を終え、實に萬世まで疆り無きの休きなり、と。民は君に非ずんば、則ち相正して以て生けること能わず、君は民に非ずんば、則ち誰と與にか君爲らんとは、言うこころは、民は固に君無くんばある可からずして、君は尤も民を失う可からざるなり。太甲過ちを改むるの初め、伊尹首めに此の義を發す。其の喜懼の意深し。夫れ太甲不義にして、性の成るが若きこと有り。一旦翻然として改め悟る、是れ豈人力の至る所ならんや。蓋し天命商を眷み、陰[ひそ]かに其の衷を誘[みちび]く。故に嗣王能く其の德を終う。向[さき]に湯の緒幾ど墜ちなんとす。今其れ是より永きこと有り。豈萬世無疆の休きとせざらんや。

△王拜手稽首曰、予小子不明于德、自厎不類。欲敗度、縱敗禮、以速戾于厥躬。天作孼猶可違、自作孼不可逭。旣往背師保之訓、弗克于厥初。尙賴匡救之德、圖惟厥終。逭、胡玩反。○拜手、首至手也。稽首、首至地也。太甲致敬於師保、其禮如此。不類、猶不肖也。多欲、則興作而亂法度。縱肆、則放蕩而隳禮儀。度、就事言之也。禮、就身言之也。速、召之急也。戾、罪。孼、災。逭、逃也。旣往、已往也。已往旣不信伊尹之言、不能謹之於始。庶幾正救之力、以圖惟其終也。當太甲不惠阿衡之時、伊尹之言、惟恐太甲不聽。及太甲改過之後、太甲之心惟恐伊尹不言。夫太甲固困而知之者。然昔迷、今之復、昔之晦、今之明、如日月昏蝕。一復其舊而光采炫耀、萬景倶新。湯武不可及已。豈居成王之下乎。
【読み】
△王拜手稽首して曰く、予れ小子德を明らかにせず、自ら不類を厎す。欲するときは度を敗り、縱にするときは禮を敗り、以て戾[つみ]を厥の躬に速[まね]けり。天の作せる孼[わざわ]いは猶違[さ]る可し、自ら作せる孼いは逭[のが]る可からず。旣往は師保の訓えに背いて、厥の初めを克くせず。尙わくは匡し救うの德に賴りて、惟れ厥の終わりを圖らんことを、と。逭[かん]は、胡玩反。○拜手は、首の手に至るなり。稽首は、首の地に至るなり。太甲の敬を師保に致す、其の禮此の如し。不類は、猶不肖のごとし。多欲なるときは、則ち興作して法度を亂る。縱肆なるときは、則ち放蕩して禮儀を隳[やぶ]る。度は、事に就いて之を言う。禮は、身に就いて之を言う。速は、召くことの急なり。戾は、罪。孼[げつ]は、災。逭は、逃るるなり。旣往は、已往なり。已往には旣に伊尹が言を信ぜず、之を始めに謹むこと能わず。庶幾わくは正し救うの力、以て惟れ其の終わりを圖らん、と。太甲阿衡に惠わざるの時に當たりて、伊尹が言、惟れ太甲の聽かざるを恐る。太甲過ちを改むるの後に及んで、太甲の心惟れ伊尹言わざるを恐る。夫れ太甲は固に困しんで之を知る者なり。然れども昔の迷い、今の復する、昔の晦、今の明は、日月昏蝕の如し。一たび其の舊に復して光采炫耀し、萬景倶に新たなり。湯武には及ぶ可からざるのみ。豈成王の下に居らんや。

△伊尹拜手稽首曰、修厥身、允德協于下、惟明后。伊尹致敬以復太甲也。修身、則無敗度敗禮之事。允德、則有誠身誠意之實。德誠於上、協和於下、惟明后然也。
【読み】
△伊尹拜手稽首して曰く、厥の身を修め、允に德ありて下に協えれば、惟れ明后なり。伊尹敬を致して以て太甲に復[こた]うるなり。身を修むれば、則ち敗度敗禮の事無し。允に德あれば、則ち誠身誠意の實有り。德上に誠ありて、下に協い和らげば、惟れ明后なること然り。

△先王子惠困窮、民服厥命、罔有不悅。竝其有邦厥鄰乃曰、徯我后、后來無罰。此言湯德所以協下者、困窮之民、若己子而惠愛之。惠之若子、則心之愛者誠矣。未有誠而不動者也。故民服其命、無有不得其懽心。當時諸侯竝湯而有國者、其鄰國之民、乃以湯爲我君曰、待我君、我君來其無罰乎。言除其邪虐、湯之得民心也如此。卽仲虺后來其蘇之事。
【読み】
△先王困窮を子とし惠み、民厥の命に服し、悅びざること有る罔し。竝[とも]に其の邦を有てる厥の鄰乃ち曰く、我が后を徯つ、后來らば罰無けん、と。此れ言うこころは、湯の德の下に協う所以の者は、困窮の民を、己が子の若くにして之を惠愛すればなり。之を惠むこと子の若きときは、則ち心の愛する者誠あり。未だ有らず、誠ありて動かざる者は。故に民其の命に服して、其の懽心を得ざること有る無し。當時の諸侯湯に竝んで國を有つ者、其の鄰國の民、乃ち湯を以て我が君と爲して曰く、我が君を待つ、我が君來らば其れ罰無けんか、と。言うこころは、其の邪虐を除いて、湯の民心を得ること此の如し。卽ち仲虺に后來らば其れ蘇[い]きんの事なり。

△王懋乃德、視乃烈祖、無時豫怠。湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新。湯之所以懋其德者如此。太甲亦當勉於其德。視烈祖之所爲、不可頃刻而逸豫怠惰也。
【読み】
△王乃の德を懋[つと]むること、乃の烈祖を視て、時として豫[やす]んじ怠る無かれ。湯の盤の銘に曰く、苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり、と。湯の其の德を懋むる所以の者此の如し。太甲も亦當に其の德を勉むべし。烈祖の爲せる所を視て、頃刻も逸豫怠惰す可からず、と。

△奉先思孝。接下思恭。視遠惟明。聽德惟聰。朕承王之休無斁。思孝、則不敢違其祖。思恭、則不敢忽其臣。惟、亦思也。思明、則所視者遠、而不蔽於淺近。思聰、則所聽者德、而不惑於憸邪。此懋德之所從事者。太甲能是、則我承王之美、而無所厭斁也。
【読み】
△先に奉[つかまつ]るには孝を思え。下に接わるには恭を思え。遠きを視るには明を惟[おも]え。德を聽くには聰を惟え。朕れ王の休[よ]きを承けて斁[いと]うこと無けん、と。孝を思えば、則ち敢えて其の祖に違わず。恭を思えば、則ち敢えて其の臣を忽にせず。惟も、亦思うなり。明を思えば、則ち視る所の者遠くして、淺近に蔽われず。聰を思えば、則ち聽く所の者德にして、憸邪[せんじゃ]に惑わず。此れ德を懋むるの從りて事とする所の者なり。太甲是を能くするときは、則ち我れ王の美きを承けて、厭い斁う所無けん、と。

太甲下
【読み】
太甲下[たいこうげ]

伊尹申誥于王曰、嗚呼惟天無親。克敬惟親。民罔常懷。懷于有仁。鬼神無常享。享于克誠。天位艱哉。申誥、重誥也。天之所親、民之所懷、鬼神之所享、皆不常也。惟克敬有仁克誠、而後天親之、民懷之、鬼神享之也。曰敬曰仁曰誠者、各因所主而言。天謂之敬者、天者理之所在。動靜語默、不可有一毫之慢。民謂之仁者、民非元后何戴。鰥寡孤獨、皆人君所當恤。鬼神謂之誠者、不誠無物。誠立於此、而後神格於彼。三者所當盡如此。人君居天之位。其可易而爲之哉。分而言之則三、合而言之一德而已。太甲遷善未幾、而伊尹以是告之。其才固有大過人者歟。
【読み】
伊尹申ねて王に誥[つ]げて曰く、嗚呼惟れ天親しむこと無し。克く敬めるに惟れ親しむ。民常に懷[なつ]くこと罔し。仁[いつく]しみ有るに懷く。鬼神常に享くること無し。克く誠あるに享く。天位艱いかな。申誥は、重ねて誥ぐなり。天の親しむ所、民の懷く所、鬼神の享くる所は、皆常ならず。惟れ克く敬し仁有り克く誠にして、而して後に天之を親しみ、民之に懷き、鬼神之を享く。敬と曰い仁と曰い誠と曰う者は、各々主とする所に因りて言う。天に之を敬と謂うは、天は理の在る所。動靜語默、一毫の慢り有る可からず。民に之を仁と謂うは、民は元后に非ずば何をか戴かん。鰥寡孤獨は、皆人君の當に恤れむべき所。鬼神に之を誠と謂うは、誠あらざれば物無し。誠此に立てて、而して後に神彼に格る。三つの者當に盡くすべき所此の如し。人君は天の位に居る。其れ易しとして之をす可けんや。分けて之を言わば則ち三つ、合わせて之を言わば一德なるのみ。太甲善に遷りて未だ幾ならずして、伊尹是を以て之に告ぐ。其の才固に大いに人に過ぎたる者有るか。

△德惟治、否德亂。與治同道罔不興。與亂同事罔不亡。終始愼厥與、惟明明后。治、去聲。否、俯久反。○德者、合敬・仁・誠之稱也。有是德則治、無是德則亂。治固古人有行之者矣。亂亦古人有行之者也。與古之治者同道、則無不興。與古之亂者同事、則無不亡。治而謂之道者、蓋治因時制宜。或損或益、事未必同、而道則同也。亂而謂之事者、亡國喪家、不過貨色遊畋作威殺戮等事、事同道無不同也。治亂之分、顧所與如何耳。始而與治固可以興。終而與亂、則亡亦至矣。謹其所與、終始如一、惟明明之君爲然也。上篇言惟明后、此篇言惟明明后。蓋明其所已明、而進乎前者矣。
【読み】
△德あれば惟れ治まり、否德なれば亂る。治と道を同じうすれば興らざる罔し。亂と事を同じうすれば亡びざる罔し。終始厥の與にするを愼むは、惟れ明明の后なり。治は、去聲。否は、俯久反。○德は、敬・仁・誠に合うの稱なり。是の德有るときは則ち治まり、是の德無きときは則ち亂る。治は固に古人之を行う者有り。亂も亦古人之を行う者有り。古の治むる者と道を同じうすれば、則ち興らざる無し。古の亂るる者と事を同じうすれば、則ち亡びざる無し。治にして之を道と謂う者は、蓋し治は時に因りて宜しきを制す。或は損らし或は益し、事未だ必ずしも同じからずして、道は則ち同じ。亂にして之を事と謂う者は、國を亡ぼし家を喪い、貨色遊畋[ゆうでん]威を作し殺戮する等の事に過ぎず、事同じくして道同じからざる無し。治亂の分は、與にする所如何と顧みるのみ。始めにして治を與にすれば固に以て興る可し。終わりにして亂を與にすれば、則ち亡亦至る。其の與にする所を謹んで、終始一の如くなるときは、惟れ明明の君たること然りとす。上の篇には惟れ明后なりと言い、此の篇には惟れ明明の后なりと言う。蓋し其の已に明らかなる所を明らかにして、前に進む者なり。

△先王惟時懋敬厥德、克配上帝。今王嗣有令緒。尙監茲哉。敬、卽克敬惟親之敬。舉其一以包其二也。成湯勉敬其德、德與天合。故克配上帝。今王嗣有令緒。庶幾其監視此也。
【読み】
△先王惟れ時[こ]れ懋[つと]めて厥の德を敬んで、克く上帝に配せり。今王令緒有るを嗣げり。尙わくは茲を監みよや。敬は、卽ち克く敬めるに惟れ親しむの敬なり。其の一を舉げて以て其の二を包ぬ。成湯勉めて其の德を敬み、德と天と合う。故に克く上帝に配す。今王令緒有るを嗣げり。庶幾わくは其れ此を監視せよ、と。

△若升高必自下、若陟遐必自邇。此告以進德之序也。中庸論君子之道亦謂、譬如行遠必自邇、譬如登高必自卑。進德修業之喩、未有如此之切者。呂氏曰、自此乃伊尹畫一以告太甲也。
【読み】
△高きに升るが必ず下きよりするが若く、遐[とお]きに陟[のぼ]るが必ず邇[ちか]きよりするが若し。此れ告ぐるに德に進むの序を以てす。中庸に君子の道を論ずるにも亦謂う、譬えば遠きに行くが必ず邇きよりするが如く、譬えば高きに登るが必ず卑きよりするが如し、と。德に進み業を修むるの喩え、未だ此の如く切なる者有らず。呂氏が曰く、此より乃ち伊尹一を畫して以て太甲に告[もう]せり、と。

△無輕民事惟難、無安厥位惟危。無、毋通。毋輕民事、而思其難。毋安君位、而思其危。
【読み】
△民の事を輕んずること無くして惟れ難しとし、厥の位を安んずること無くして惟れ危うしとせよ。無は、毋と通ず。民の事を輕んずること毋くして、其の難きを思え。君の位を安んずることを毋くして、其の危うきを思え、と。

△愼終于始。人情孰不欲善終者。特安於縱欲以爲、今日姑若是、而他日固改之也。然始而不善、而能善其終者寡矣。桐宮之事往已、今其卽政臨民。亦事之一初也。
【読み】
△終わりを始めに愼め。人情孰か終わりを善くするを欲せざる者あらん。特に欲を縱にするに安んじて以爲えらく、今日姑く是の若くにして、他日固に之を改めん、と。然れども始めにして善からずして、能く其の終わりを善くする者寡し。桐宮の事は往已にして、今其れ政に卽き民に臨む。亦事の一の初めなり。

△有言逆于汝心、必求諸道。有言遜于汝志、必求諸非道。鯁直之言、人所難受。巽順之言、人所易從。於其所難受者、必求諸道、不可遽以逆于心而拒之。於其所易從者、必求諸非道、不可遽以遜于志而聽之。以上五事、蓋欲太甲矯乎情之偏也。
【読み】
△言汝の心に逆うこと有らば、必ず諸を道に求めよ。言汝の志に遜[したが]うこと有らば、必ず諸を非道に求めよ。鯁直[こうちょく]の言は、人の受け難き所。巽順の言は、人の從い易き所。其の受け難き所の者に於ては、必ず諸を道に求めて、遽に心に逆うを以て之を拒ぐ可からず。其の從い易き所の者に於ては、必ず諸を非道に求めて、遽に志に遜うを以て之を聽く可からず。以上の五事は、蓋し太甲の情の偏を矯さんことを欲するなり。

△鳴呼弗慮胡獲、弗爲胡成。一人元良、萬邦以貞。胡、何也。弗慮何得、欲其謹思之也。弗爲何成、欲其篤行之也。元、大。良、善。貞、正也。一人者、萬邦之儀表。一人元良、則萬邦以正矣。
【読み】
△鳴呼慮[はか]らずんば胡[なん]ぞ獲ん、せずんば胡ぞ成らん。一人元[おお]いに良きときは、萬邦以て貞し。胡は、何なり。慮らずんば何ぞ得んとは、其の謹んで之を思わんことを欲するなり。せずんば何ぞ成らんとは、其の篤く之を行わんことを欲するなり。元は、大い。良は、善き。貞は、正しきなり。一人は、萬邦の儀表。一人元いに良きときは、則ち萬邦以て正し。

△君罔以辯言亂舊政、臣罔以寵利居成功、邦其永孚于休。弗思弗爲、安於縱弛、先王之法廢矣。能思能爲、作其聰明、先王之法亂矣。亂之爲害、甚於廢也。成功、非寵利之所可居者。至是太甲德已進。伊尹有退休之志矣。此咸有一德之所以繼作也。君臣各盡其道、邦國永信其休美也。○吳氏曰、上篇稱嗣王不惠于阿衡。必其言有與伊尹背違者。辯言亂政、或太甲所失在此。罔以寵利居成功、己之所自處者、已素定矣。下語旣非泛論。則上語必有爲而發也。
【読み】
△君辯言を以て舊政を亂ること罔く、臣寵利を以て成功に居ること罔くば、邦其れ永く休きを孚とせん、と。思わず爲さずして、縱弛に安んずれば、先王の法廢る。能く思い能く爲して、其の聰明を作せば、先王の法亂る。亂の害を爲すは、廢るより甚だし。成功は、寵利の居る可き所の者に非ず。是に至りて太甲の德已に進む。伊尹退休の志有り。此れ咸有一德の繼いて作る所以なり。君臣各々其の道を盡くすときは、邦國永く其の休美を信にす。○吳氏が曰く、上の篇には嗣王阿衡に惠わずと稱す。必ず其の言伊尹と背き違う者有り。辯言の政を亂る、或は太甲の失する所此に在り。寵利を以て成功に居ること罔くば、己が自ら處る所の者、已に素より定まる。下の語は旣に泛論に非ず。則ち上の語必ず爲にすること有りて發せるならん、と。

咸有一德 伊尹致仕而去。恐太甲德不純一、及任用非人。故作此篇。亦訓體也。史氏取其篇中咸有一德四字、以爲篇目。今文無、古文有。
【読み】
咸有一德[かんゆういっとく] 伊尹致仕して去る。太甲の德純一ならずして、任用の人に非ざるに及ぶを恐る。故に此の篇を作る。亦訓の體なり。史氏其の篇の中の咸有一德の四字を取りて、以て篇の目とす。今文無し、古文有り。

伊尹旣復政厥辟。將告歸、乃陳戒于德。伊尹已還政太甲。將告老而歸私邑、以一德陳戒其君。此史氏本序。
【読み】
伊尹旣に政を厥の辟[きみ]に復す。將に告げ歸らんとし、乃ち德を陳べ戒む。伊尹已に政を太甲に還す。將に老を告げて私邑に歸らんとし、一德を以て其の君に陳べ戒む。此れ史氏の本序なり。

△曰、嗚呼天難諶、命靡常。常厥德、保厥位、厥德匪常、九有以亡。諶、信也。天之難信、以其命之不常也。然天命雖不常、而常於有德者。君德有常、則天命亦常而保厥位矣。君德不常、則天命亦不常、而九有以亡矣。九有、九州也。
【読み】
△曰く、嗚呼天諶[まこと]とし難きは、命常靡ければなり。厥の德を常にするときは、厥の位を保んじ、厥の德常ならざるときは、九有以て亡ぶ。諶は、信なり。天の信とし難きは、其の命の常ならざるを以てなり。然れども天命常ならずと雖も、而して德有る者に常なり。君の德常有るときは、則ち天命も亦常にして厥の位を保んず。君の德常ならざるときは、則ち天命も亦常ならずして、九有以て亡ぶ。九有は、九州なり。

△夏王弗克庸德、慢神虐民。皇天弗保、監于萬方、啓迪有命、眷求一德、俾作神主。惟尹躬曁湯、咸有一德、克享天心、受天明命、以有九有之師、爰革夏正。上文言天命無常、惟有德則可常。於是引桀之所以失天命、湯之所以得天命者證之。一德、純一之德、不雜不息之義。卽上文所謂常德也。神主、百神之主。享、當也。湯之君臣、皆有一德。故能上當天心、受天明命、而有天下。於是改夏建寅之正、而爲建丑正也。
【読み】
△夏王德を庸[つね]にすること克[あた]わず、神を慢り民を虐ぐ。皇天保んぜず、萬方を監みて、有命を啓[ひら]き迪[みちび]き、一德を眷[かえり]み求めて、神主作らしむ。惟れ尹が躬曁[およ]び湯、咸一德有り、克く天の心に享[あ]たり、天の明命を受けて、以て九有の師を有ち、爰に夏正を革む。上の文に言う、天命常無し、惟德有るときは則ち常にす可し、と。是に於て桀が天命を失う所以、湯が天命を得る所以の者を引いて之を證す。一德は、純一の德、雜えず息まざるの義なり。卽ち上の文に所謂常の德なり。神主は、百神の主。享は、當たるなり。湯の君臣、皆一德有り。故に能く上は天心に當たり、天の明命を受けて、天下を有てり。是に於て夏の建寅の正を改めて、建丑の正とす。

△非天私我有商、惟天佑于一德。非商求于下民、惟民歸于一德。上言一德。故得天得民。此言天佑民歸。皆以一德之故。蓋反復言之。
【読み】
△天我が有商に私するに非ず、惟れ天一德を佑く。商下民に求むるに非ず、惟れ民一德に歸す。上には一德を言う。故に天を得民を得。此には天佑け民歸すを言う。皆一德を以ての故なり。蓋し反復して之を言うなり。

△德惟一、動罔不吉、德二三、動罔不凶。惟吉凶不僭在人、惟天降災祥在德。二三則雜矣。德之純、則無往而不吉。德而雜、則無往而不凶。僭、差也。惟吉凶不差在人者、惟天之降災祥在德故也。
【読み】
△德惟れ一なれば、動きて吉ならざる罔く、德二三なれば、動きて凶ならざる罔し。惟れ吉凶僭[たが]わざること人に在り、惟れ天災祥を降すこと德に在り。二三は則ち雜じるなり。德の純なるときは、則ち往くとして吉ならざる無し。德として雜じるときは、則ち往くとして凶ならざる無し。僭は、差うなり。惟れ吉凶差わざること人に在りとは、惟れ天の災祥を降すこと德に在るが故なり。

△今嗣王新服厥命。惟新厥德。終始惟一、時乃日新。太甲新服天子之命。德亦當新。然新德之要、在於有常而已。終始有常、而無閒斷、是乃所以日新也。
【読み】
△今嗣王新たに厥の命に服す。惟れ厥の德を新たにせよ。終始惟れ一なれば、時[こ]れ乃ち日々に新たならん。太甲新たに天子の命に服す。德も亦當に新たなるべし。然れども德を新たにするの要は、常有るに在るのみ。終始常有りて、閒斷無きは、是れ乃ち日々に新たなる所以なり。

△任官惟賢才、左右惟其人。臣爲上爲德、爲下爲民。其難其愼、惟和惟一。賢者、有德之稱。才者、能也。左右者、輔弼大臣、非賢才之稱可盡。故曰惟其人。夫人臣之職、爲上爲德、左右厥辟也。爲下爲民、所以宅師也。不曰君而曰德者、兼君道而言也。臣職所係、其重如此。是必其難其愼、難者、難於任用。愼者、愼於聽察。所以防小人也。惟和惟一、和者、可否相濟。一者、終始如一。所以任君子也。
【読み】
△官に任ずるは惟れ賢才をし、左右は惟れ其の人をす。臣は上の爲にするは德の爲にし、下の爲にするは民の爲にす。其れ難んじ其れ愼み、惟れ和らぎ惟れ一にす。賢は、有德の稱。才は、能なり。左右は、輔弼の大臣、賢才の稱の盡くす可きに非ず。故に曰う、惟れ其の人をす、と。夫れ人臣の職、上の爲に德の爲にするは、厥の辟[きみ]を左右[たす]くるなり。下の爲に民の爲にするは、師を宅く所以なり。君と曰わずして德と曰うは、君道を兼ねて言うなり。臣職の係る所、其の重きこと此の如し。是れ必ず其れ難んじ其れ愼むとは、難は、任用を難んず。愼は、聽察を愼む。小人を防ぐ所以なり。惟れ和らぎ惟れ一にすとは、和は、可否相濟う。一は、終始一の如し。君子に任ずる所以なり。

△德無常師。主善爲師。善無常主。協于克一。上文言用人。因推取人爲善之要。無常者、不可執一之謂。師、法。協、合也。德者、善之總稱。善者、德之實行。一者、其本原統會者也。德兼衆善、不主於善、則無以得一本萬殊之理。善原於一。不協于一、則無以達萬殊一本之妙。謂之克一者、能一之謂也。博而求之於不一之善、約而會之於至一之理、此聖學始終條理之序、與夫子所謂一貫者幾矣。太甲至是而得與聞焉。亦異乎常人之改過者歟。張氏曰、虞書精一數語之外、惟此爲精密。
【読み】
△德に常の師[のり]無し。善を主とするを師とす。善に常の主無し。克く一なるに協えり。上の文は人を用うるを言う。因りて人を取りて善を爲すの要を推す。常無しとは、一を執る可からざるの謂なり。師は、法。協は、合うなり。德は、善の總稱。善は、德の實行なり。一は、其の本原統會する者なり。德衆善を兼ねて、善を主とせざるときは、則ち以て一本萬殊の理を得ること無し。善は一に原づく。一に協わざるときは、則ち以て萬殊一本の妙に達すること無し。之を克く一と謂うは、能く之を一にするの謂なり。博めて之を不一の善に求め、約して之を至一の理に會う、此れ聖學始終條理の序、夫子の所謂一貫という者と幾し。太甲是に至りて與り聞くことを得。亦常の人の過ちを改むる者に異なるか。張氏が曰く、虞書の精一の數語の外、惟れ此に精密なりとす、と。

△俾萬姓咸曰大哉王言。又曰一哉王心。克綏先王之祿、永厎烝民之生。人君惟其心之一。故其發諸言也大。萬姓見其言之大。故能知其心之一。感應之理、自然而然。以見人心之不可欺、而誠之不可掩也。祿者、先王所守之天祿也。烝、衆也。天祿安、民生厚、一德之效驗也。
【読み】
△萬姓をして咸大いなるかな王の言と曰い、又一なるかな王の心と曰わしむ。克く先王の祿を綏んじて、永く烝民の生を厎す。人君惟れ其の心の一なる。故に其の言に發することや大いなり。萬姓其の言の大いなるを見る。故に能く其の心の一なるを知る。感應の理、自然にして然り。以て人心の欺く可からずして、誠の掩う可からざるを見すなり。祿は、先王守る所の天祿なり。烝は、衆々なり。天祿安く、民生厚きは、一德の效驗なり。

△嗚呼七世之廟、可以觀德。萬夫之長、可以觀政。長、上聲。○天子、七廟。三昭三穆與太祖之廟七。七廟親盡則遷。必有德之主、則不祧毀。故曰、七世之廟、可以觀德。天子居萬民之上、必政敎有以深服乎人、而後萬民悅服。故曰、萬夫之長、可以觀政。伊尹歎息言、德政修否、見於後世、服乎當時。有不可掩者如此。
【読み】
△嗚呼七世の廟、以て德を觀る可し。萬夫の長、以て政を觀る可し。長は、上聲。○天子は、七廟。三昭三穆太祖の廟と七つ。七廟親盡きるときは則ち遷す。必ず有德の主は、則ち祧毀[ちょうき]せず。故に曰く、七世の廟、以て德を觀る可し、と。天子萬民の上に居りて、必ず政敎以て深く人に服すこと有りて、而して後に萬民悅服す。故に曰く、萬夫の長、以て政を觀る可し、と。伊尹歎息して言う、德政の修否、後世に見れ、當時に服す、と。掩う可からざる者此の如きこと有り。

△后非民罔使。民非后罔事。無自廣以狹人。匹夫匹婦、不獲自盡、民主罔與成厥功。盡、子忍在忍二反。○罔使罔事、卽上篇民非后、罔克胥匡以生。后非民、罔以辟四方之意。申言君民之相須者如此、欲太甲不敢忽也。無、毋同。伊尹又言、君民之使事、雖有貴賤不同、至於取人爲善、則初無貴賤之閒。蓋天以一理、賦之於人、散爲萬善。人君合天下之萬善、而後理之一者可全也。苟自大而狹人、匹夫匹婦有一不得自盡於上、則一善不備、而民主亦無與成厥功矣。伊尹於篇終、致厥警戒之意。而言外之旨、則又推廣其所謂一者如此。蓋道體之純全、聖功之極致也。嘗因是言之、以爲精粹無雜者、一也。終始無閒者、一也。該括萬善者、一也。一者、通古今達上下、萬化之原、萬事之榦。語其理、則無二。語其運、則無息。語其體、則幷包而無所遺也。咸有一德之書、而三者之義悉備。前乎伏羲堯舜禹湯、後乎文武周公孔子、同一揆也。
【読み】
△后民に非ずんば使うこと罔し。民后に非ずんば事ること罔し。自ら廣しとして以て人を狹しとする無かれ。匹夫匹婦も、自ら盡くすことを獲ざれば、民主與に厥の功を成すこと罔けん、と。盡は、子忍在忍の二反。○使うこと罔し事ること罔しとは、卽ち上の篇の民は后に非ずんば、克く胥[あい]匡して以て生けること罔し。后は民に非ずんば、以て四方に辟[きみ]たること罔しの意なり。申ねて君民の相須ゆる者此の如くなるを言いて、太甲敢えて忽にせざることを欲するなり。無は、毋と同じ。伊尹又言う、君民の使うと事るとは、貴賤同じからざること有りと雖も、人に取りて善を爲すに至りては、則ち初めより貴賤の閒て無し。蓋し天は一理を以て、之を人に賦し、散じて萬善とす。人君天下の萬善を合わせて、而して後に理の一なる者全くす可し。苟も自ら大いなりとして人を狹しとし、匹夫匹婦一も自ら上に盡くすことを得ざること有らば、則ち一善備わらずして、民主も亦與に厥の功を成すこと無し。伊尹篇の終わりに於て、厥の警戒の意を致す。而して言外の旨、則ち又其の所謂一という者を推し廣むること此の如し。蓋し道體の純全、聖功の極致なり。嘗て是に因りて之を言いて、以爲えらく、精粹にして雜じること無き者は、一なり。終始閒て無き者は、一なり。萬善を該括する者は、一なり、と。一は、古今に通じ上下に達し、萬化の原、萬事の榦なり。其の理を語るときは、則ち二無し。其の運を語るときは、則ち息むこと無し。其の體を語るときは、則ち幷せ包ねて遺る所無し。咸有一德の書にして、三つの者の義悉く備われり。伏羲堯舜禹湯を前にし、文武周公孔子を後にして、同一揆なり。

盤庚上 盤庚、陽甲之弟。自祖乙都耿、圮於河水。盤庚欲遷于殷。而大家世族、安土重遷、胥動浮言。小民雖蕩析離居、亦惑於利害、不適有居。盤庚喩以遷都之利、不遷之害。上中二篇未遷時言。下篇旣遷後言。王氏曰、上篇告羣臣、中篇告庶民、下篇告百官族姓。左傳謂盤庚之誥。實誥體也。三篇今文古文皆有。但今文三篇合爲一。
【読み】
盤庚上[ばんこうじょう] 盤庚は、陽甲の弟。祖乙より耿[こう]を都とし、河水に圮[やぶ]らる。盤庚殷に遷らんと欲す。而して大家世族、土を安んじ遷るを重しとし、胥動いて浮言す。小民蕩析離居すと雖も、亦利害に惑いて、適いて居を有たず。盤庚喩すに遷都の利、不遷の害を以てす。上中の二篇は未だ遷らざる時の言。下の篇は旣に遷りて後の言なり。王氏が曰く、上の篇は羣臣に告げ、中の篇は庶民に告げ、下の篇は百官族姓に告ぐ、と。左傳に謂ゆる盤庚の誥、と。實に誥の體なり。三篇今文古文皆有り。但今文は三篇合わせて一とす。

盤庚遷于殷。民不適有居。率籲衆慼、出矢言。籲、音喩。○殷在河南偃師。適、往。籲、呼。矢、誓也。史臣言、盤庚欲遷于殷、民不肯往適有居、盤庚率呼衆憂之人、出誓言以喩之、如下文所云也。○周氏曰、商人稱殷、自盤庚始。自此以前惟稱商。自盤庚遷都之後、於是殷商兼稱。或只稱殷也。
【読み】
盤庚殷に遷らんとす。民適いて居を有たず。衆々の慼[うれ]うるを率い籲[よ]びて、矢言を出だす。籲[ゆ]は、音喩。○殷は河南の偃師に在り。適は、往く。籲は、呼ぶ。矢は、誓うなり。史臣言う、盤庚殷に遷らんと欲して、民往き適いて居を有つを肯ぜず、盤庚衆々の憂うる人を率い呼びて、誓いの言を出だして以て之を喩すこと、下の文に云う所の如し、と。○周氏が曰く、商人殷を稱するは、盤庚より始まる。此より以前は惟商と稱す。盤庚都を遷してよりの後、是に於て殷商兼ね稱す。或は只殷と稱す、と。

△曰、我王來旣爰宅于茲、重我民無盡劉。不能胥匡以生、卜稽曰、其如台。盡、子忍反。○曰、盤庚之言也。劉、殺也。盤庚言、我先王祖乙來都于耿。固重我民之生、非欲盡致之死也。民適不幸蕩析離居、不能相救以生。稽之於卜亦曰、此地無若我何。言耿不可居。決當遷也。
【読み】
△曰く、我が王來りて旣に爰に茲に宅るは、我が民を重んじて盡く劉[ころ]すこと無からんとなり。胥[あい]匡して以て生けること能わず、卜い稽うるに曰く、其れ台[われ]を如ん、と。盡は、子忍反。○曰は、盤庚の言なり。劉は、殺すなり。盤庚言う、我が先王祖乙來りて耿に都す。固に我が民の生けるを重んじ、盡く之を死に致さんと欲するに非ず。民適いて不幸にして蕩析離居し、相救いて以て生けること能わず。之を卜に稽うるにも亦曰く、此の地我を若何とすること無し、と。言うこころは、耿は居る可からず。決して當に遷るべし。

△先王有服、恪謹天命。茲猶不常寧、不常厥邑、于今五邦。今不承于古、罔知天之斷命。矧曰其克從先王之烈。服、事也。先王有事、恪謹天命、不敢違越。先王猶不敢常安、不常其邑、于今五遷厥邦矣。今不承先王而遷、且不知上天之斷絕我命。況謂其能從先王之大烈乎。詳此言、則先王遷徙、亦必有稽卜之事。仲丁・河亶甲、篇逸不可考矣。五邦、漢孔氏謂湯遷亳、仲丁遷囂、河亶甲居相、祖乙居耿。幷盤庚遷殷爲五邦。然以下文今不承于古文勢考之、則盤庚之前當自有五遷。史記言、祖乙遷邢。或祖乙兩遷也。
【読み】
△先王服[こと]有れば、天命を恪[つつし]み謹む。茲に猶常に寧んぜず、厥の邑を常にせず、今に于て五たび邦せり。今古に承[つ]がずんば、天の命を斷つるを知る罔けん。矧んや其れ克く先王の烈に從うと曰わんや。服は、事なり。先王事有れば、天命を恪み謹んで、敢えて違越せず。先王猶敢えて常に安んぜず、其の邑を常にせず、今に于て五たび厥の邦を遷せり。今先王に承いで遷らずんば、且つ上天の我が命を斷ち絕つことを知らず。況んや其れ能く先王の大烈に從うと謂わんや、と。此の言を詳らかにすれば、則ち先王の遷徙も、亦必ず稽え卜うの事有らん。仲丁・河亶甲、篇逸して考う可からず。五邦とは、漢の孔氏が謂ゆる湯亳[はく]に遷り、仲丁囂[ごう]に遷り、河亶甲相に居り、祖乙耿に居る。盤庚殷に遷るを幷せて五邦とす、と。然れども下の文の今古に承がずの文勢を以て之を考うれば、則ち盤庚の前に當に自ずから五たび遷ること有るべし。史記に言う、祖乙邢に遷る、と。或は祖乙兩び遷すならん。

△若顚木之有由蘖。天其永我命于茲新邑、紹復先王之大業、厎綏四方。蘖、牙葛反、又魚列反。○顚、仆也。由、古文作甹。木生條也。顚木、譬耿。由蘖、譬殷也。言今自耿遷殷、若已仆之木而復生也。天其將永我國家之命於殷、以繼復先王之大業、而致安四方乎。
【読み】
△顚木の由蘖[ゆうげつ]有るが若し。天其れ我が命を茲の新邑に永くして、先王の大業を紹ぎ復さしめて、四方を厎し綏んぜん、と。蘖は、牙葛反、又魚列反。○顚は、仆るるなり。由は、古文に甹に作る。木條を生ずるなり。顚木は、耿に譬う。由蘖は、殷に譬う。言うこころは、今耿より殷に遷る、已に仆るる木にして復生ずるが若し。天其れ將に我が國家の命を殷に永くせんとして、以て先王の大業を繼ぎ復して、四方を安んずることを致さんや。

△盤庚斅于民、由乃在位。以常舊服、正法度曰、無或敢伏小人之攸箴。王命衆悉至于庭。斅、胡敎反。○斅、敎。服、事。箴、規也。耿地潟鹵墊隘、而有沃饒之利。故小民苦於蕩析離居、而巨室則總于貨寶。惟不利於小民、而利於巨室。故巨室不悅而胥動浮言。小民昡於利害、亦相與咨怨。閒有能審利害之實而欲遷者、則又往往爲在位者之所排擊阻難、不能自達於上。盤庚知其然。故其敎民必自在位始。而其所以敎在位者、亦非作爲一切之法以整齊之。惟舉先王舊常遷都之事、以正其法度而已。然所以正法度者、亦非有他焉。惟曰、使在位之臣、無或敢伏小人之所箴規焉耳。蓋小民患潟鹵墊隘、有欲遷而以言箴規其上者。汝毋得遏絕而使不得自達也。衆者、臣民。咸、在也。史氏將述下文盤庚之訓語。故先發此。
【読み】
△盤庚民に斅[おし]ゆるに、乃の在位由りす。常の舊き服[こと]を以て、法度を正しくして曰く、敢えて小人の箴[いまし]むる攸を伏すこと或る無かれ、と。王衆に命じて悉く庭に至らしむ。斅[こう]は、胡敎反。○斅は、敎。服は、事。箴は、規なり。耿の地は潟鹵[せきろ]墊隘[てんえき]にして、沃饒の利有り。故に小民は蕩析離居を苦しみて、巨室は則ち貨寶を總ぶ。惟れ小民に利あらずして、巨室に利あり。故に巨室悅びずして胥動いて浮言す。小民は利害に眩んで、亦相與に咨怨す。閒々能く利害の實を審らかにして遷らんと欲する者有らば、則ち又往往に在位の者の爲に排擊阻難せれて、自ら上に達すること能わず。盤庚其の然ることを知る。故に其の民を敎ゆるは必ず在位より始む。而して其の在位に敎ゆる所以の者も、亦一切の法を作爲して以て之を整齊するに非ず。惟先王の舊常遷都の事を舉げて、以て其の法度を正すのみ。然れども法度を正す所以の者も、亦他有るに非ず。惟曰く、在位の臣をして、敢えて小人の箴規する所を伏すること或ること無からしむのみ。蓋し小民潟鹵墊隘を患えて、遷らんと欲して言を以て其の上を箴規する者有り。汝遏絕[あつぜつ]して自ら達することを得ざらしむることを得る毋かれ、と。衆は、臣民。咸は、在るなり。史氏將に下の文の盤庚の訓語を述べんとす。故に先ず此を發す。

△王若曰、格汝衆。予告汝訓。汝猷黜乃心、無傲從康。若曰者、非盡當時之言、大意若此也。汝猷黜乃心者、謀去汝之私心也。無與毋同。毋得傲上之命、從己之安、蓋傲上則不肯遷、從康則不能遷。二者所當黜之私心也。此雖盤庚對衆之辭、實爲羣臣而發。以斅民由在位故也。
【読み】
△王若[か]く曰く、格[いた]れ汝衆。予れ汝に訓えを告げん。汝乃の心を猷[はか]り黜[しりぞ]けて、傲りて康きに從うこと無かれ。若曰は、當時の言を盡くすに非ず、大意此の若きなり。汝乃の心を猷り黜けよとは、汝の私心を謀り去れとなり。無と毋とは同じ。上の命に傲りて、己が安きに從うことを得る毋かれとは、蓋し上に傲れば則ち遷ることを肯ぜず、康きに從えば則ち遷ること能わず。二つの者は當に黜くべき所の私心なり。此れ盤庚衆に對するの辭と雖も、實は羣臣の爲にして發す。民を斅ゆるに在位由りするを以ての故なり。

△古我先王、亦惟圖任舊人共政。王播告之修、不匿厥指。王用丕欽、罔有逸言、民用丕變。今汝聒聒、起信險膚。予弗知乃所訟。逸、過也。盤庚言、先王亦惟謀任舊人共政。王播告之修、則奉承于内、而能不隱匿其指意。故王用大敬之。宣化于外、又無過言以惑衆聽。故民用大變。今爾在内則伏小人之攸箴、在外則不和吉言于百姓、譊譊多言。凡起信於民者、咸險陂膚淺之說。我不曉汝所言果何謂也。詳此所謂舊人者、世臣舊家之人、非謂老成人也。蓋沮遷都者、咸世臣舊家之人。下文人惟求舊一章可見。
【読み】
△古我が先王、亦惟れ圖りて舊人に任じて政を共にす。王修むることを播告し、厥の指を匿さず。王用て丕[おお]いに欽みて、逸言有る罔く、民用て丕いに變われり。今汝聒聒[かつかつ]として、信を起こすに險膚なり。予れ乃の訟[うった]うる所を知らず。逸は、過ちなり。盤庚言う、先王も亦惟れ謀りて舊人に任じて政を共にす。王修むることを播告するときは、則ち内に奉承して、能く其の指意を隱匿せず。故に王用て大いに之を敬む。化を外に宣べて、又過言以て衆聽を惑わすこと無し。故に民用て大いに變われり。今爾内に在りては則ち小人の箴むる攸を伏し、外に在りては則ち吉言を百姓に和せず、譊譊[どうどう]として多言す。凡そ信を民に起こす者は、咸險陂膚淺の說なり。我れ汝が言う所果たして何の謂うことかを曉らず、と。此の所謂舊人という者を詳らかにするに、世臣舊家の人にて、老成人を謂うに非ず。蓋し遷都を沮む者は、咸世臣舊家の人なり。下の文の人は惟れ舊きを求むの一章見る可し。

△非予自荒茲德。惟汝舍德、不惕予一人。予若觀火。予亦拙謀作乃逸。荒、廢也。逸、過失也。盤庚言、非我輕易遷徙、自荒廢此德。惟汝不宣布德意、不畏懼於我。我視汝情、明若觀火。我亦拙謀、不能制命、而成汝過失也。
【読み】
△予れ自ら茲の德を荒[すさ]むに非ず。惟れ汝德を舍[お]いて、予れ一人を惕れず。予れ火を觀るが若し。予も亦拙き謀にして乃の逸を作せり。荒は、廢つるなり。逸は、過失なり。盤庚言う、我れ輕易に遷徙して、自ら此の德を荒み廢つるに非ず。惟れ汝德意を宣べ布かず、我を畏懼せず。我れ汝が情を視るに、明らかなること火を觀るが若し。我も亦拙き謀にして、命を制すこと能わずして、汝が過失を成せり。

△若網在綱、有條而不紊。若農服田力穡、乃亦有秋。紊、亂也。綱舉則目張。喩下從上、小從大。申前無傲之戒。勤於田畝、則有秋成之望。喩今雖遷徙勞苦、而有永建乃家之利。申前從康之戒。
【読み】
△網の綱に在るが、條有りて紊[みだ]れざるが若し。農の田に服し穡を力めて、乃ち亦秋有るが若し。紊は、亂るなり。綱舉ぐれば則ち目張る。下の上に從い、小の大に從うに喩う。前の傲ること無かれの戒めを申ぶ。田畝を勤むるときは、則ち秋成の望み有り。今遷徙勞苦すと雖も、而して永く乃の家を建つるの利有るに喩う。前の康きに從うの戒めを申ぶ。

△汝克黜乃心、施實德于民、至于婚友、丕乃敢大言、汝有積德。蘇氏曰、商之世家大族、造言以害遷者、欲以苟悅小民爲德也。故告之曰、是何德之有。汝曷不去汝私心、施實德于民、與汝婚姻僚友乎。勞而有功、此實德也。汝能勞而有功、則汝乃敢大言曰、我有積德。曰積德云者、亦指世家大族而言。申前汝猷黜乃心之戒。
【読み】
△汝克く乃の心を黜け、實の德を民に施し、婚友にまで至らば、丕いに乃ち敢えて大いに言わん、汝積德有り、と。蘇氏が曰く、商の世家大族、造言して以て遷ることを害する者、苟も小民を悅ばしむるを以て德と爲さんと欲す。故に之に告げて曰く、是れ何の德か之れ有らん。汝曷ぞ汝が私心を去りて、實德を民と、汝が婚姻僚友に施さざるや、と。勞して功有るは、此れ實德なり。汝能く勞して功有れば、則ち汝乃ち敢えて大言して曰わん、我れ積德有り、と。曰く積德と云うは、亦世家大族を指して言う。前の汝乃の心を猷[はか]り黜けよの戒めを申ぶ。

△乃不畏戎毒于遠邇。惰農自安、不昬作勞、不服田畝、越其罔有黍稷。戎、大。昬、强也。汝不畏沈溺大害於遠近、而憚勞不遷、如怠惰之農、不强力爲勞苦之事、不事田畝。安有黍稷之可望乎。此章再以農喩。申言從康之害。
【読み】
△乃戎[おお]いなる毒を遠邇に畏れず。惰農自ら安んじ、作勞を昬[つと]めず、田畝に服せざれば、越[ここ]に其れ黍稷有ること罔からん。戎は、大い。昬は、强むるなり。汝沈溺大害を遠近に畏れずして、勞を憚りて遷らざるは、怠惰の農の、强力して勞苦の事を爲さず、田畝を事とせざるが如し。安んぞ黍稷の望む可き有らんや。此の章再び農を以て喩う。申ねて康きに從うの害を言う。

△汝不和吉言于百姓。惟汝自生毒。乃敗禍姦宄、以自災于厥身。乃旣先惡于民、乃奉其恫。汝悔身何及。相時憸民、猶胥顧于箴言、其發有逸口。矧予制乃短長之命。汝曷弗告朕、而胥動以浮言、恐沈于衆。若火之燎于原、不可嚮邇、其猶可撲滅。則惟汝衆自作弗靖。非予有咎。恫、音通。燎、盧皎反。撲、晉十反。○吉、好也。先惡、爲惡之先也。奉、承。恫、痛。相、視也。憸民、小民也。逸口、過言也。逸口尙可畏。況我制爾生殺之命、可不畏乎。恐、謂恐動之以禍患。沈、謂沈陷之於罪惡。不可嚮邇、其猶可撲滅者、言其勢焰雖盛、而殄滅之不難也。靖、安。咎、過也。則惟爾衆自爲不安。非我有過也。此章反復辯論、申言傲上之害。
【読み】
△汝吉言を百姓に和せず。惟れ汝自ら毒を生せり。乃敗禍姦宄[かんき]して、以て自ら厥の身に災いす。乃旣に惡を民に先んじて、乃其の恫[いた]みを奉[う]く。汝悔ゆるとも身何ぞ及ばん。時[こ]の憸民[せんみん]を相[み]るに、猶箴言を胥顧みるに、其れ發りて逸口有り。矧んや予れ乃短長の命を制するをや。汝曷ぞ朕に告げずして、胥動かすに浮言を以て、衆を恐沈せんや。火の原に燎[も]ゆるが、嚮[む]かい邇づく可からずとも、其れ猶撲[う]ち滅[け]す可きが若し。則ち惟れ汝衆自ら靖からざるを作す。予が咎有るに非ず。恫[とう]は、音通。燎は、盧皎反。撲は、晉十反。○吉は、好きなり。惡を先にすとは、惡の先を爲すなり。奉は、承く。恫は、痛む。相は、視るなり。憸民は、小民なり。逸口は、過言なり。逸口は尙畏る可し。況んや我れ爾生殺の命を制する、畏れざる可けんや。恐とは、之を恐動するに禍患を以てするを謂う。沈は、之を罪惡に沈陷するを謂う。嚮かい邇づく可からずとも、其れ猶撲ち滅す可しとは、言うこころは、其の勢焰盛んなりと雖も、而れども之を殄滅すること難からざるなり。靖は、安し。咎は、過ちなり。則ち惟れ爾衆自ら安からざるをす。我が過ち有るに非ず、と。此の章反復辯論して、申ねて上に傲るの害を言う。

△遲任有言曰、人惟求舊、器非求舊、惟新。任、如林反。○遲任、古之賢人。蘇氏曰、人舊則習、器舊則敝。當常使舊人、用新器也。今按盤庚所引、其意在人惟求舊一句。而所謂求舊者、非謂老人。但謂求人於世臣舊家云爾。詳下文意可見。若以舊人爲老人、又何侮老成人之有。
【読み】
△遲任言えること有りて曰く、人は惟れ舊きを求む、器は舊きを求むるに非ず、惟れ新しきなり。任は、如林反。○遲任は、古の賢人なり。蘇氏が曰く、人舊きときは則ち習い、器舊きときは則ち敝[やぶ]る。當に常に舊人を使い、新器を用ゆべし。今按ずるに盤庚引く所、其の意は人惟れ舊きを求むの一句に在り。而れども所謂舊きを求むとは、老人を謂うに非ず。但人を世臣舊家に求むるを謂うと云うのみ。下の文意を詳らかにして見る可し。若し舊人を以て老人とすれば、又何ぞ老成人を侮るということ有らん、と。

△古我先王、曁乃祖乃父、胥及逸勤。予敢動用非罰。世選爾勞、予不掩爾善、茲予大享于先王、爾祖其從與享之、作福作災。予亦不敢動用非德。選、須絹反。與、去聲。○胥、相也。敢、不敢也。非罰、非所當罰也。世、非一世也。勞、勞于王家也。掩、蔽也。言先王及乃祖乃父、相與同其勞逸。我豈敢動用非罰、以加汝乎。世簡爾勞、不蔽爾善。茲我大享于先王、爾祖亦以功而配食於廟。先王與爾祖父、臨之在上、質之在旁、作福作災。皆簡在先王與爾祖父之心。我亦豈敢動用非德以加汝乎。
【読み】
△古我が先王、曁び乃の祖乃の父、胥及[とも]に逸[やす]んじ勤む。予れ敢えて非罰を動かし用いんや。世々爾の勞を選び、予れ爾の善を掩わず、茲れ予れ大いに先王を享するに、爾の祖も其れ從いて之に與り享して、福を作し災いを作せり。予も亦敢えて非德を動かし用いず。選は、須絹反。與は、去聲。○胥は、相なり。敢は、敢えてせざるなり。非罰は、當に罰すべき所に非ざるなり。世は、一世に非ざるなり。勞は、王家に勞するなり。掩は、蔽うなり。言うこころは、先王及び乃の祖乃の父、相與に其の勞逸を同じくす。我れ豈敢えて非罰を動かし用いて、以て汝に加えんや。世々爾の勞を簡[えら]び、爾の善を蔽わず。茲れ我れ大いに先王を享すに、爾の祖も亦功を以てして廟に配食す。先王と爾の祖父と、之を臨めば上に在り、之を質せば旁らに在りて、福を作し災いを作せり。皆簡ぶこと先王と爾の祖父との心に在り。我も亦豈に敢えて非德を動かし用いて以て汝に加えんや、と。

△予告汝于難、若射之有志。汝無侮老成人。無弱孤有幼。各長于厥居、勉出乃力、聽予一人之作猷。難、言謀遷徙之難也。蓋遷都固非易事、而又當時臣民傲上從康、不肯遷徙。然我志決遷、若射者之必於中、有不容但已者。弱、少之也。意當時老成孤幼、皆有言當遷者。故戒其老成者不可侮、孤幼者不可少之也。爾臣各謀長遠其居、勉出汝力、以聽我一人遷徙之謀也。
【読み】
△予れ汝に難きを告ぐに、射の志有るが若し。汝老成人を侮る無かれ。孤有幼を弱[わか]しとする無かれ。各々厥の居を長くして、勉めて乃の力を出だして、予れ一人が作せる猷[はかりごと]を聽け。難は、遷徙を謀るの難きを言うなり。蓋し遷都は固に易き事に非ずして、又當時の臣民上に傲り康きに從いて、遷徙を肯ぜず。然れども我が志遷を決すること、射る者の中るを必して、但已む容からざる者有るが若し。弱は、之を少しとするなり。意うに當時の老成孤幼、皆當に遷るべしと言う者有り。故に戒むるに、其の老成の者侮る可からず、孤幼の者之を少しとす可からず。爾臣各々謀りて其の居を長遠にし、勉めて汝の力を出だして、以て我れ一人遷徙の謀を聽け、と。

△無有遠邇、用罪伐厥死、用德彰厥善。邦之臧、惟汝衆。邦之不臧、惟予一人有佚罰。用罪、猶言爲惡。用德、猶言爲善也。伐、猶誅也。言無有遠近親疎、凡伐死彰善、惟視汝爲惡爲善如何爾。邦之善、惟汝衆用德之故。邦之不善、惟我一人失罰其所當罰也。
【読み】
△遠邇有る無く、罪を用て厥の死を伐ち、德を用て厥の善を彰らかにす。邦の臧[よ]きは、惟れ汝衆なり。邦の臧からざるは、惟れ予れ一人佚罰有らん。用罪は、猶惡を爲すと言うがごとし。用德は、猶善を爲すと言うがごとし。伐は、猶誅のごとし。言うこころは、遠近親疎有る無く、凡そ死を伐ち善を彰らかにするは、惟れ汝が惡を爲し善を爲すこと如何と視るのみ。邦の善きは、惟れ汝衆德を用ての故なり。邦の善からざるは、惟れ我れ一人其の當に罰すべき所を罰するを失すればなり。

△凡爾衆、其惟致告。自今至于後日、各恭爾事、齊乃位、度乃口。罰及爾身、弗可悔。致告者、使各相告戒也。自今以往、各敬汝事、整齊汝位、法度汝言。不然罰及汝身、不可悔也。
【読み】
△凡そ爾衆、其れ惟れ告ぐることを致せ。今より後の日に至るまで、各々爾の事を恭[つつし]み、乃の位を齊[ととの]え、乃の口を度れ。罰爾の身に及ぶとも、悔ゆ可からず、と。告ぐることを致すとは、各々相告げ戒めしむるなり。今より以往、各々汝の事を敬み、汝の位を整齊し、汝の言を法度せよ。然らずんば罰汝が身に及ぶとも、悔ゆ可からず、と。

盤庚中
【読み】
盤庚中[ばんこうちゅう]

盤庚作、惟涉河以民遷。乃話民之弗率、誕告用亶。其有衆咸造、勿褻在王庭。盤庚乃登進厥民、亶、當旱反。造、七到反。○作、起而將遷之詞。殷在河南。故涉河。誕、大。亶、誠也。皆造、咸至也。勿褻、戒其毋得褻慢也。此史氏之言。蘇氏曰、民之弗率、不以政令齊之、而以話言曉之。盤庚之仁也。
【読み】
盤庚作[た]ちて、惟れ河を涉[わた]りて民を以[い]て遷らんとす。乃ち民の率わざるに話りて、誕[おお]いに告ぐるに亶[まこと]を用てす。其の有衆咸造り、褻[な]るること勿く王庭に在り。盤庚乃ち厥の民を登[あ]げ進めて、亶[たん]は、當旱反。造は、七到反。○作は、起ちて將に遷らんとするの詞なり。殷は河南に在り。故に河を涉る、と。誕は、大い。亶は、誠なり。咸造るは、皆至るなり。褻るること勿しは、其の得て褻れ慢ること毋きを戒むるなり。此れ史氏の言なり。蘇氏が曰く、民の率わざるは、政令を以て之を齊えずして、話言を以て之を曉す。盤庚の仁なり、と。

△曰、明聽朕言。無荒失朕命。荒、廢也。
【読み】
△曰く、明らかに朕が言を聽け。朕が命を荒[す]て失う無かれ。荒は、廢つるなり。

△嗚呼古我前后、罔不惟民之承。保后胥戚。鮮以不浮於天時。承、敬也。蘇氏曰、古謂過爲浮。浮之言勝也。后旣無不惟民之敬。故民亦保后、相與憂其憂。雖有天時之災、鮮不以人力勝之也。林氏曰、憂民之憂者、民亦憂其憂。罔不惟民之承、憂民之憂也。保后胥戚、民亦憂其憂也。
【読み】
△嗚呼古の我が前后、惟れ民を承[つつし]まざること罔し。后を保んじて胥戚[うれ]う。以て天の時に浮[か]たざること鮮[な]し。承は、敬むなり。蘇氏が曰く、古は過を謂いて浮とす。浮の言は勝つなり。后旣に惟れ民を敬まざること無し。故に民も亦后を保んじて、相與に其の憂えを憂う。天の時の災い有りと雖も、人力を以て之に勝たざること鮮し、と。林氏が曰く、民の憂えを憂うる者は、民も亦其の憂えを憂う。惟れ民を承まざること罔しとは、民の憂えを憂うるなり。后を保んじて胥戚うとは、民も亦其の憂えを憂うるなり、と。

△殷降大虐、先王不懷。厥攸作、視民利用遷。汝曷弗念我古后之聞。承汝俾汝、惟喜康共。非汝有咎比於罰。比、毘至反。○先王以天降大虐、不敢安居。其所興作、視民利當遷而已。爾民何不念我以所聞先王之事。凡我所以敬汝使汝者、惟喜與汝同安爾。非爲汝有罪、比于罰而謫遷汝也。
【読み】
△殷大虐を降すに、先王懷[やす]んぜず。厥の作す攸、民の利を視て用て遷る。汝曷ぞ我が古の后の聞くことを念わざる。汝を承[つつし]み汝をせしむるは、惟れ喜び康んずるを共にするなり。汝咎有りて罰に比[なら]ぶに非ず。比は、毘至反。○先王天の大虐を降すを以て、敢えて安居せず。其の興作する所は、民の利を視て當に遷るべきのみ。爾民何ぞ我れ以て先王に聞く所の事を念わざる。凡そ我が汝を敬み汝をせしむる所以は、惟れ喜び汝と同じく安んぜんのみ。汝に罪有るが爲に、罰に比して汝を謫遷[たくせん]するに非ず、と。

△予若籲懷茲新邑、亦惟汝故。以丕從厥志。我所以招呼懷來于此新邑者、亦惟以爾民蕩析離居之故、欲承汝俾汝康共、以大從爾志也。或曰、盤庚遷都。民咨胥怨。而此以爲丕從厥志何也。蘇氏曰、古之所謂從衆者、非從其口之所不樂、而從其心之所不言而同然者。夫趨利而避害捨危而就安、民心同然也。殷亳之遷實斯民所利。特其一時爲浮言搖動、怨咨不樂、使其卽安危利害之實、而反求其心、則固其所大欲者矣。
【読み】
△予れ若く茲の新邑に籲[よ]び懷[きた]すは、亦惟れ汝の故なり。丕[おお]いに厥の志に從うを以てなり。我れ此の新邑に招き呼び懷し來す所以の者は、亦惟れ爾民蕩析離居の故を以て、汝を承[つつし]み汝をせしめて康く共にして、以て大いに爾の志に從わんと欲すればなり、と。或ひと曰く、盤庚都を遷す。民咨[なげ]き胥怨む。而るに此れ以て丕いに厥の志に從うとするは何ぞや、と。蘇氏が曰く、古の所謂衆に從う者は、其の口の樂しまざる所に從うに非ずして、其の心の言わずして同じく然る所の者に從う。夫れ利に趨りて害を避け危うきを捨てて安きに就くは、民心も同じく然り。殷亳の遷は實に斯れ民の利する所。特り其の一時浮言搖動を爲して、怨み咨いて樂しめざるを、其をして安危利害の實に卽いて、反って其の心に求めしむるは、則ち固に其の大いに欲する所の者なり、と。

△今予將試以汝遷、安定厥邦。汝不憂朕心之攸困、乃咸大不宣乃心、欽念以忱動予一人。爾惟自鞠自苦。若乘舟。汝弗濟、臭厥載。爾忱不屬、惟胥以沈。不其或稽、自怒曷瘳。忱、時壬反。乘、平聲。瘳、丑鳩反。○上文言先王惟民之承、而民亦保后胥戚。今我亦惟汝故安定厥邦、而汝乃不憂我心之所困、乃皆不宣布腹心、欽念以誠感動於我。爾徒爲此紛紛自取窮苦。譬乘舟、不以時濟、必敗壞其所資。今汝從上之誠、閒斷不屬、安能有濟。惟相與以及沈溺而已。詩曰、其何能淑、載胥及溺、正此意也。利害若此。爾民而罔或稽察焉、是雖怨疾忿怒、何損於困苦乎。
【読み】
△今予れ將に試みに汝を以て遷りて、厥の邦を安んじ定めんとす。汝朕が心の困しむ攸を憂えず、乃咸大いに乃の心を宣べて、欽み念いて忱[まこと]を以て予れ一人を動かさず。爾惟れ自ら鞠[きわ]まり自ら苦しむ。舟に乘るが若し。汝濟[わた]らずんば、厥の載を臭[やぶ]らん。爾忱屬[つづ]かずんば、惟れ胥以て沈まん。其れ稽うること或らずんば、自ら怒るも曷ぞ瘳[い]えん。忱は、時壬反。乘は、平聲。瘳[ちゅう]は、丑鳩反。○上の文に言う、先王惟れ民を承[つつし]んで、民も亦后を保んじ胥戚う、と。今我も亦惟れ汝が故に厥の邦を安んじ定めて、汝乃ち我が心の困しむ所を憂えず、乃皆腹心を宣べ布いて、欽み念いて誠を以て我を感動せしめず。爾徒に此の紛紛を爲して自ら窮苦を取る。譬えば舟に乘るに、時を以て濟らざれば、必ず其の資くる所を敗壞せん。今汝上に從うの誠、閒斷して屬かずんば、安んぞ能く濟ること有らん。惟れ相與に以て沈溺に及ばんのみ。詩に曰く、其れ何ぞ能く淑[よ]けん、載ち胥及[とも]に溺れなんとは、正に此の意なり。利害此の若し。爾民にして稽え察すること或ること罔くば、是れ怨疾忿怒すと雖も、何ぞ困苦を損[へ]らさんや。

△汝不謀長以思乃災。汝誕勸憂。今其有今罔後。汝何生在上。汝不爲長久之謀、以思其不遷之災、是汝大以憂而自勸也。孟子曰、安其危而利其災、樂其所以亡、勸憂之謂也。有今、猶言有今日也。罔後、猶言無後日也。上、天也。今其有今罔後、是天斷棄汝命。汝有何生理於天乎。下文言迓續乃命于天。蓋相首尾之辭。
【読み】
△汝長きを謀り以て乃の災いを思わず。汝誕[おお]いに憂えを勸む。今其れ今有るとも後罔けん。汝何ぞ生けること上に在らん。汝長久の謀を爲し、以て其の不遷の災いを思わざれば、是れ汝大いに憂えを以て自ら勸まん。孟子曰く、其の危きを安んじて其の災いを利とし、其の亡ぶる所以を樂しむとは、憂えを勸むの謂なり。今有るとは、猶今日有ると言うがごとし。後罔しとは、猶後日無しと言うがごとし。上は、天なり。今其れ今有り後罔しとは、是れ天汝の命を斷ち棄つ。汝何ぞ生ける理か天に有らんや。下の文に言う、乃の命を天に迓[むか]え續ぐ、と。蓋し相首尾するの辭なり。

△今予命汝一。無起穢以自臭。恐人倚乃身、迂乃心。迂、雲倶反。○爾民當一心以聽上。無起穢惡以自臭敗。恐浮言之人、倚汝之身、迂汝之心、使汝邪僻而無中正之見也。
【読み】
△今予れ命ず汝一なれ。穢らわしきを起こして以て自ら臭[やぶ]る無かれ。恐れらくは人乃の身を倚らしめ、乃の心を迂[ま]げんことを。迂は、雲倶反。○爾民當に一心にて以て上に聽くべし。穢惡を起こして以て自ら臭り敗る無かれ。恐れらくは浮言の人、汝の身を倚らしめ、汝の心を迂げ、汝をして邪僻にして中正の見無からしむるを、と。

△予迓續乃命於天。予豈汝威。用奉畜汝衆。畜、許六反。○我之所以遷都者、正以迎續汝命于天。予豈以威脅汝哉。用以奉養汝衆而已。
【読み】
△予れ乃の命を天に迓[むか]え續ぐ。予れ豈汝を威[おど]さんや。用いて汝衆を奉[う]け畜[やしな]わんとなり。畜は、許六反。○我が都を遷す所以の者は、正に以て迎えて汝の命を天に續がんとす。予れ豈以て汝を威し脅さんや。用いて以て汝衆を奉け養わんのみ、と。

△予念我先神后之勞爾先、予丕克羞爾、用懷爾然。神后、先正也。羞、養也。卽上文畜養之意。言我思念我先神后之勞爾先人、我大克羞養爾者、用懷念爾故也。
【読み】
△予れ我が先神后の爾の先を勞るを念いて、予れ丕いに克く爾を羞[やしな]うは、用て爾を懷うこと然ればなり。神后は、先正なり。羞は、養うなり。卽ち上の文の畜養の意なり。言うこころは、我れ我が先神后の爾の先人を勞るを思い念いて、我れ大いに克く爾を羞い養う者は、用て爾を懷い念う故なり。

△失于政、陳于茲、高后丕乃崇降罪疾曰、曷虐朕民。陳、久。崇、大也。耿圮而不遷、以病我民。是失政而久于此也。高后、湯也。湯必大降罪疾於我曰、何爲而虐害我民。蓋人君不能爲民圖安、是亦虐之也。
【読み】
△政を失い、茲に陳[ひさ]しくせば、高后丕いに乃ち崇[おお]いに罪疾を降して曰わん、曷ぞ朕が民を虐[やぶ]る、と。陳は、久し。崇は、大いなり。耿[こう]圮[やぶ]れて遷らずして、以て我が民を病ましむ。是れ政を失いて此に久し。高后は、湯なり。湯必ず大いに罪疾を我に降して曰わん、何爲れぞ我が民を虐り害す、と。蓋し人君民の爲に安きを圖ること能わざるは、是れ亦之を虐るなり。

△汝萬民乃不生生、曁予一人猷同心、先后丕降與汝罪疾曰、曷不曁朕幼孫有比。故有爽德、自上其罰汝。汝罔能迪。比、毘至反。○樂生興事、則其生也厚。是謂生生。先后、泛言商之先王也。幼孫、盤庚自稱之辭。比、同事也。爽、失也。言汝民不能樂生興事、與我同心以遷、我先后大降罪疾於汝曰、汝何不與朕幼小之孫同遷乎。故汝有失德、自上其罰汝。汝無道以自免也。
【読み】
△汝萬民乃ち生生として、予れ一人と猷[はか]りて心を同じくせずんば、先后丕いに汝に罪疾を降し與えて曰わん、曷ぞ朕が幼孫と比[ひと]しくすること有らざる、と。故に德に爽[たが]うこと有りて、上より其れ汝を罰せん。汝能く迪[みち]すること罔けん。比は、毘至反。○生を樂しみ事を興すときは、則ち其の生や厚し。是を生生と謂う。先后は、泛[ひろ]く商の先王を言うなり。幼孫は、盤庚自ら稱するの辭。比は、事を同じくするなり。爽は、失うなり。言うこころは、汝民生を樂しみ事を興して、我と心を同じくして以て遷ること能わざれば、我が先后大いに罪疾を汝に降して曰わん、汝何ぞ朕が幼小の孫と同じく遷らざるや、と。故に汝失德有りて、上より其れ汝を罰せん。汝以て自ら免るるに道無けん。

△古我先后旣勞乃祖乃父。汝共作我畜民。汝有戕則在乃心。我先后綏乃祖乃父。乃祖乃父乃斷棄汝、不救乃死。戕、慈良反。斷、都管反。○旣勞乃祖乃父者、申言勞爾先也。汝共作我畜民者、汝皆爲我所畜之民也。戕、害也。綏、懷來之意。謂汝有戕害、在汝之心。我先后固已知之。懷來汝祖汝父。汝祖汝父亦斷棄汝、不救汝死也。
【読み】
△古我が先后旣に乃の祖乃の父を勞る。汝共に我が畜える民作り。汝戕[そこな]うこと有らば則ち乃の心に在らん。我が先后乃の祖乃の父を綏んぜり。乃の祖乃の父乃ち汝を斷ち棄てて、乃の死を救わざらん。戕[しょう]は、慈良反。斷は、都管反。○旣に乃の祖乃の父を勞るとは、申ねて爾の先を勞るを言うなり。汝共に我が畜える民作りとは、汝皆我が畜う所の民爲り。戕は、害うなり。綏は、懷け來るの意なり。謂ゆる汝戕い害うこと有らば、汝の心に在らん。我が先后固に已に之を知れり。汝の祖汝の父を懷け來せり。汝の祖汝の父も亦汝を斷ち棄てて、汝の死を救わざらん、と。

△茲予有亂政同位、具乃貝玉、乃祖乃父丕乃告我高后曰、作丕刑於朕孫。迪高后、丕乃崇降弗祥。亂、治也。具、多取而兼有之謂。言若我治政之臣、所與共天位者、不以民生爲念、而務富貝玉者、其祖父亦告我成湯、作丕刑于其子孫。啓成湯、丕乃崇降弗祥而不赦也。此章先儒皆以爲責臣之辭。然詳其文勢、曰茲予有亂政同位、則亦對民庶責臣之辭。非直爲羣臣言也。按上四章、言君有罪、民有罪、臣有罪、我高后與爾民臣祖父、一以義斷之、無所赦也。王氏曰、先王設敎、因俗之善而導之、反俗之惡而禁之。方盤庚時商俗衰、士大夫棄義卽利。故盤庚以具貝玉爲戒。此反其俗之惡、而禁之者也。自成周以上、莫不事死如事生、事亡如事存。故其俗皆嚴鬼神。以經考之、商俗爲甚。故盤庚特稱先后與臣民之祖父、崇降罪疾爲告。此因其俗之善、而導之者也。
【読み】
△茲れ予が政を亂[おさ]め位を同じくすること有るもの、乃の貝玉を具えば、乃の祖乃の父丕[おお]いに乃ち我が高后に告して曰わん、丕いなる刑を朕が孫に作せ、と。高后を迪[みちび]いて、丕いに乃ち崇[おお]いに弗祥を降さん。亂は、治むるなり。具は、多く取りて兼ね有つの謂なり。言うこころは、我が治政の臣、天位を與に共にする所の者の若き、民生を以て念うことをせずして、貝玉に富まんことを務むる者は、其の祖父も亦我が成湯に告して、丕いなる刑を其の子孫に作す。成湯を啓[みちび]いて、丕いに乃ち崇いに弗祥を降して赦さざるなり。此の章先儒皆以爲えらく、臣を責むるの辭、と。然れども其の文勢を詳らかにするに、茲れ予が政を亂め位を同じくすること有りと曰わば、則ち亦民庶に對して臣を責むるの辭なり。直に羣臣の爲に言うに非ず。上の四章を按ずるに、言う、君に罪有り、民に罪有り、臣に罪有り、我が高后と爾民臣の祖父と、一に義を以て之を斷つときは、赦す所無し、と。王氏が曰く、先王の敎えを設くる、俗の善に因りて之を導き、俗の惡に反して之を禁ず。盤庚の時に方りて商の俗衰え、士大夫義を棄て利に卽く。故に盤庚貝玉を具うるを以て戒めとす。此れ其の俗の惡に反して、之を禁ずる者なり。成周より以上、死に事ること生に事るが如く、亡に事ること存に事るが如くならざるは莫し。故に其の俗皆鬼神を嚴にす。經を以て之を考うるに、商の俗甚だしとす。故に盤庚特に先后と臣民の祖父と、崇いに罪疾を降すと稱して告ぐることをす。此れ其の俗の善に因りて、之を導く者なり。

△嗚呼今予告汝不易。永敬大恤、無胥絕遠。汝分猷念以相從、各設中於乃心。告汝不易、卽上篇告汝于難之意。大恤、大憂也。今我告汝以遷都之難。汝當永敬我之所大憂念者。君民一心、然後可以有濟。苟相絕遠而誠不屬、則殆矣。分猷者、分君之所圖而共圖之。分念者、分君之所念而共念之。相從、相與也。中者、極至之理。各以極至之理存于心、則知遷徙之議爲不可易、而不爲浮言橫議之所動搖也。
【読み】
△嗚呼今予れ汝に易からざるを告ぐ。永く大いなる恤えを敬んで、胥絕ち遠[さか]る無かれ。汝猷念[ゆうねん]を分かちて以て相從いて、各々中を乃の心に設けよ。汝に易からざるを告ぐとは、卽ち上の篇の汝に難きを告ぐの意なり。大いなる恤えは、大いなる憂えなり。今我れ汝に告ぐるに遷都の難きを以てす。汝當に永く我が大いに憂念する所の者を敬むべし。君民心を一にして、然して後に以て濟[な]ること有る可し。苟も相絕ち遠いて誠屬[つ]がざれば、則ち殆うし。猷[はかりごと]を分かつとは、君の圖る所を分かちて共に之を圖るなり。念いを分かつとは、君の念う所を分かちて共に之を念うなり。相從うとは、相與するなり。中は、極至の理。各々極至の理を以て心に存するときは、則ち遷徙の議の易う可からずとするを知りて、浮言橫議の爲に動搖されず。

△乃有不吉不迪、顚越不恭、暫遇姦宄、我乃劓殄滅之、無遺育。無俾易種於茲新邑。易、夷益反。種、之勇反。○乃有不善不道之人、顚隕踰越、不恭上命者、及暫時所遇、爲姦爲宄、刼掠行道者、我小則加以劓、大則殄滅之、無有遺育、毋使移其種于此新邑也。遷徙道路難關、恐姦人乘隙生變。故嚴明號令、以告勑之。
【読み】
△乃ち吉からず迪[みち]あらず、顚越して恭[つつし]まず、暫[あからさま]に遇いて姦宄[かんき]するもの有らば、我れ乃ち之を劓[はなき]り殄[た]ち滅ぼして、遺し育[ひととな]すこと無けん。種を茲の新邑に易えしむること無けん。易は、夷益反。種は、之勇反。○乃ち不善不道の人、顚隕踰越して、上の命を恭まざる者、及び暫時遇う所、姦を爲し宄を爲し、行道を刼掠する者有らば、我れ小なるときは則ち加うるに劓を以てし、大なるときは則ち之を殄滅して、遺し育すこと有る無く、其の種を此の新邑に移さしむること毋けん、と。遷徙の道路難關にて、恐れらくは姦人隙に乘じて變を生すことを。故に號令を嚴明にして、以て之に告げ勑[のり]す。

△往哉生生。今予將試以汝遷、永建乃家。往哉、往新邑也。方遷徙之時、人懷舊土之念、而未見新居之樂。故再以生生勉之、振起其怠惰、而作其趨事也。試、用也。今我將用汝遷、永立乃家、爲子孫無窮之業也。
【読み】
△往けや生けり生けれ。今予れ將に試[もっ]て汝を以[い]て遷りて、永く乃の家を建てんとす、と。往けやは、新邑に往くなり。遷徙の時に方りて、人舊土の念を懷いて、未だ新居の樂しみを見ず。故に再び生生を以て之を勉めしめ、其の怠惰を振起して、其の事に趨くことを作さしむ。試は、用なり。今我れ將に汝を用て遷り、永く乃の家を立てて、子孫無窮の業を爲さんとす、と。

盤庚下
【読み】
盤庚下[ばんこうげ]

盤庚旣遷、奠厥攸居、乃正厥位、綏爰有衆、盤庚旣遷新邑、定其所居、正君臣上下之位、慰勞臣民遷徙之勞、以安有衆之情也。此史氏之言。
【読み】
盤庚旣に遷りて、厥の居る攸を奠[さだ]め、乃ち厥の位を正しくし、爰の有衆を綏んじて、盤庚旣に新邑に遷り、其の居る所を定め、君臣上下の位を正し、臣民遷徙の勞を慰勞し、以て有衆の情を安んず。此れ史氏の言なり。

△曰、無戲怠、懋建大命。曰、盤庚之言也。大命、非常之命也。遷國之初、臣民上下、正當勤勞盡瘁。趨事赴功、以爲國家無窮之計。故盤庚以無戲怠戒之、以建大命勉之。
【読み】
△曰く、戲れ怠ること無く、懋[つと]めて大命を建てよ。曰くは、盤庚の言なり。大命は、非常の命なり。國を遷るの初め、臣民上下、正に勤勞に當たりて盡く瘁[や]む。事に趨り功に赴いて、以て國家無窮の計を爲す。故に盤庚戲れ怠ること無きを以て之を戒め、大命を建つるを以て之を勉めしむ。

△今予其敷心腹腎腸、歷告爾百姓于朕志。罔罪爾衆。爾無共怒協比、讒言予一人。腎、是忍反。比、毗至反。○歷、盡也。百姓、畿内民庶。百官族姓亦在其中。
【読み】
△今予れ其れ心腹腎腸を敷いて、歷[あまね]く爾百姓に朕が志を告ぐ。爾衆を罪すること罔し。爾共に怒りて協え比[むら]がりて、予れ一人を讒言すること無かれ。腎は、是忍反。比は、毗[ひ]至反。○歷は、盡くなり。百姓は、畿内の民庶。百官族姓も亦其の中に在り。

△古我先王、將多于前功、適于山、用降我凶德、嘉績于朕邦。古我先王、湯也。適于山、往于亳也。契始居亳。其後屢遷。成湯欲多于前人之功。故復往居亳。按立政三亳鄭氏曰、東成皐、南轘轅、西降谷。以亳依山故曰適于山也。降、下也。依山地高、水下而無河圮之患。故曰、用下我凶德。嘉績、美功也。
【読み】
△古我が先王、將に前功を多しとせんとして、山に適いて、用て我が凶德を降して、朕が邦に嘉き績[いさおし]あり。古我が先王とは、湯なり。山に適くとは、亳[はく]に往くなり。契始め亳に居る。其の後屢々遷る。成湯前人の功を多しとせんと欲す。故に復往いて亳に居れり。按ずるに立政に三亳は鄭氏が曰く、東は成皐、南は轘轅[かんえん]、西は降谷、と。亳は山に依るを以て故に山に適くと曰うなり。降は、下すなり。山に依りて地高く、水下りて河圮[やぶ]るるの患え無し。故に曰く、用て我が凶德を下す、と。嘉績は、美き功なり。

△今我民用蕩析離居、罔有定極。爾謂、朕曷震動萬民以遷。今耿爲河水圮壞、沈溺墊隘。民用蕩析離居、無有定止。將陷於凶德、而莫之救。爾謂、我何故震動萬民以遷也。
【読み】
△今我が民用て蕩析離居して、定まり極まること有る罔し。爾謂う、朕れ曷ぞ萬民を震動して以て遷る、と。今耿[こう]河水の爲に圮[やぶ]れ壞れ、沈溺墊隘[てんえき]す。民用て蕩析離居して、定まり止まること有る無し。將に凶德に陷らんとして、之を救うこと莫し。爾謂う、我れ何が故に萬民を震動して以て遷る、と。

△肆上帝將復我高祖之德、亂越我家。朕及篤敬、恭承民命、用永地于新邑。乃上天將復我成湯之德、而治及我國家。我與一二篤敬之臣、敬承民命、用長居于此新邑也。
【読み】
△肆[ゆえ]に上帝將に我が高祖の德を復して、亂[おさ]めて我が家に越[およ]ぼさんとす。朕れ篤敬と、恭[つつし]んで民の命を承けて、用て地を新邑に永くす。乃ち上天將に我が成湯の德を復して、治めて我が國家に及ぼさんとす。我れ一二の篤敬の臣と、敬んで民の命を承けて、用て長く此の新邑に居らん、と。

△肆予沖人、非廢厥謀、弔由靈。各非敢違卜、用宏茲賁。沖、童。弔、至。由、用。靈、善也。宏・賁、皆大也。言我非廢爾衆謀。乃至用爾衆謀之善者。指當時臣民、有審利害之實、以爲當遷者言也。爾衆亦非敢固違我卜、亦惟欲宏大此大業爾。言爾衆亦非有他意也。蓋盤庚於旣遷之後、申彼此之情、釋疑懼之意、明吾前日之用謀、略彼旣往之傲惰。委曲忠厚之意、藹然於言辭之表。大事已定、大業以興、成湯之澤、於是而益永。盤庚其賢矣哉。
【読み】
△肆に予れ沖人、厥の謀を廢つるに非ず、靈[よ]きを由[もち]ゆるに弔[いた]る。各々敢えて卜に違うに非ず、用て茲の賁[おお]いなるを宏[おお]いにす。沖は、童。弔は、至る。由は、用ゆ。靈は、善なり。宏・賁は、皆大いなり。言うこころは、我れ爾の衆謀を廢つるに非ず。乃ち爾の衆謀の善き者を用ゆるに至る。當時の臣民、利害の實を審らかにすること有りて、以て當に遷るべしとする者を指して言うなり。爾衆も亦敢えて固に我が卜に違うに非ず、亦惟れ此の大業を宏大にせんと欲するのみ。言うこころは、爾衆も亦他意有るに非ざるなり。蓋し盤庚旣遷の後に於て、彼れ此れの情を申ねて、疑懼の意を釋いて、吾が前日の謀を用ゆるは、彼の旣往の傲惰を略せることを明かす。委曲忠厚の意、言辭の表に藹然[あいぜん]たり。大事已に定まり、大業以て興り、成湯の澤、是に於て益々永し。盤庚其れ賢なるかな。

△嗚呼邦伯・師長・百執事之人、尙皆隱哉。隱、痛也。盤庚復歎息言、爾諸侯・公卿・百執事之人、庶幾皆有所隱痛於心哉。
【読み】
△嗚呼邦伯・師長・百執事の人、尙わくは皆隱[いた]めよや。隱は、痛むなり。盤庚復歎息して言う、爾諸侯・公卿・百執事の人、庶幾わくは皆心に隱み痛む所有れや、と。

△予其懋簡相爾、念敬我衆。相、爾雅曰、導也。我懋勉簡擇導汝、以念敬我之民衆也。
【読み】
△予れ其れ懋[つと]め簡[えら]びて爾を相[みちび]きて、我が衆を念い敬ましむ。相は、爾雅に曰く、導く、と。我れ懋め勉め簡び擇びて汝を導き、以て我が民衆を敬まんことを念う、と。

△朕不肩好貨、敢恭生生。鞠人謀人之保居、敍欽。肩、任。敢、勇也。鞠人謀人、未詳。或曰、鞠、養也。我不任好賄之人、惟勇於敬民、以其生生爲念。使鞠人謀人之保居者、吾則敍而用之、欽而禮之也。
【読み】
△朕れ貨を好みするに肩[まか]せず、敢[いさ]んで生生を恭[つつし]む。鞠[きく]人謀人の居に保んずるを、敍[つつし]んで欽む。肩は、任す。敢は、勇むなり。鞠人謀人は、未だ詳らかならず。或ひと曰く、鞠は、養う、と。我れ賄を好みするに任せず、惟れ民を敬むに勇んで、其の生生を以て念いとす。鞠人謀人の居に保んずる者をして、吾れ則ち敍んで之を用い、欽んで之を禮せん、と。

△今我旣羞告爾于朕志若否。罔有弗欽。否、俯久反。○羞、進也。若者、如我之意。卽敢恭生生之謂。否者、非我之意。卽不肩好貨之謂。二者爾當深念、無有不敬我所言也。
【読み】
△今我れ旣に羞[すす]みて爾に朕が志若のごときか否[し]かざるかを告ぐ。欽まざること有る罔かれ。否は、俯久反。○羞は、進むなり。若は、我が意の如し。卽ち敢んで生生を恭むの謂なり。否は、我が意に非ず。卽ち貨を好みするに肩せずの謂なり。二つの者爾當に深く念いて、我が言う所を敬まざること有ること無かるべし、と。

△無總于貨寶。生生自庸。無、毋同。總、聚也。庸、民功也。此則直戒其所不可爲、勉其所當爲也。
【読み】
△貨寶を總[あつ]むる無かれ。生生として自ら庸[いさおし]をせよ。無は、毋と同じ。總は、聚むなり。庸は、民の功なり。此れ則ち直に其のす可からざる所を戒めて、其の當にすべき所を勉むるなり。

△式敷民德、永肩一心。式、敬也。敬布爲民之德、永任一心、欲其久而不替也。盤庚篇終、戒勉之意、一節嚴於一節、而終以無窮期之。盤庚其賢矣哉。蘇氏曰、民不悅而猶爲之。先王未之有也。祖乙圮於耿。盤庚不得不遷。然使先王處之、則動民而民不懼、勞民而民不怨。盤庚德之衰也。其所以信於民者未至。故紛紛如此。然民怨誹逆命、而盤庚終不怒、引咎自責、益開衆言、反復告諭、以口舌代斧鉞。忠厚之至。此殷之所以不亡而復興也。後之君子、厲民以自養者、皆以盤庚藉口。予不可以不論。
【読み】
△式[つつし]んで民の德を敷いて、永く一心に肩[まか]せよ、と。式は、敬むなり。敬んで民の爲にするの德を布いて、永く一心に任せ、其の久しくして替わらざらんことを欲するなり。盤庚の篇の終わり、戒め勉むるの意、一節は一節より嚴にして、終わるに無窮を以て之を期す。盤庚其れ賢なるかな。蘇氏が曰く、民悅びずして猶之を爲すがごとし。先王未だ之れ有らず。祖乙耿[こう]に圮[やぶ]らる。盤庚遷らざるを得ず。然れども先王をして之を處しむれば、則ち民を動かして民懼れず、民を勞して民怨みず。盤庚の德の衰えたるなり。其の民に信ある所以の者未だ至らず。故に紛紛たること此の如し。然れども民怨み誹り命に逆いて、盤庚終に怒らず、咎を引くに自ら責めて、益々衆言を開いて、反復告諭して、口舌を以て斧鉞に代う。忠厚の至りなり。此れ殷の亡びずして復興る所以なり。後の君子、民を厲[や]まして以て自ら養う者、皆盤庚を以て口を藉[か]る。予れ以て論ぜずんばある可からず、と。

說命上 說命、記高宗命傅說之言。命之曰以下、是也。猶蔡仲之命、微子之命。後世命官制詞、其原蓋出於此。上篇記得說命相之辭。中篇記說爲相進戒之辭。下篇記說論學之辭。總謂之命者、高宗命說實三篇之綱領。故總稱之。今文無、古文有。
【読み】
說命上[えつめいじょう] 說命は、高宗傅說に命ずるの言を記す。之に命じて曰く以下、是れなり。猶蔡仲の命、微子の命のごとし。後世官に命じて詞を制する、其の原は蓋し此より出づ。上の篇は說を得て相に命ずるの辭を記す。中の篇は說相と爲りて戒めを進むるの辭を記す。下の篇は說學を論ずるの辭を記す。總べて之を命と謂うは、高宗の說に命ずる實に三篇の綱領なり。故に總べて之を稱す。今文無し、古文有り。

王宅憂亮陰三祀。旣免喪、其惟弗言。羣臣咸諫于王曰、嗚呼知之曰明哲。明哲實作則。天子惟君萬邦、百官承式。王言惟作命。不言、臣下罔攸稟令。亮、龍張反。陰、鳥含反。○亮亦作諒。陰古作闇。按喪服四制、高宗諒陰三年。鄭氏註云、諒古作梁。楣謂之梁。闇讀如鶉■(左が酓で右が鳥)之■(左が酓で右が鳥)。闇、謂廬也。卽倚廬之廬。儀禮剪屛柱楣。鄭氏謂柱楣所謂梁闇、是也。宅憂亮陰、言宅憂於梁闇也。先儒以亮陰爲信默不言、則於諒陰三年不言、爲語復而不可雜矣。君薨、百官總已聽於冢宰。居憂亮陰不言、禮之常也。高宗喪父小乙。惟旣免喪而猶弗言、羣臣以其過於禮也、故咸諫之。歎息言、有先知之德者、謂之明哲。明哲、實爲法於天下。今天子君臨萬邦、百官皆奉承法令。王言則爲命。不言則臣下無所稟令矣。
【読み】
王憂えに亮陰[りょうあん]に宅ること三祀なり。旣に喪を免れて、其れ惟れ言わず。羣臣咸王を諫めて曰く、嗚呼之を知るを明哲と曰う。明哲は實に則と作る。天子は惟れ萬邦の君として、百官式[のり]を承く。王言惟れ命と作る。言わざれば、臣下令を稟くる攸罔し、と。亮は、龍張反。陰は、鳥含反。○亮も亦諒に作る。陰は古闇に作る。喪服四制を按ずるに、高宗諒陰三年、と。鄭氏が註に云う、諒は古梁に作る。楣[び]之を梁と謂う、と。闇は讀んで鶉■(左が酓で右が鳥)の■(左が酓で右が鳥)の如し。闇は、廬を謂うなり。卽ち倚廬の廬なり。儀禮に柱楣を剪屛す、と。鄭氏が謂ゆる柱楣は所謂梁闇とは、是れなり。憂えに亮陰に宅るとは、言うこころは、憂えに梁闇に宅るなり。先儒亮陰を以て信に默して言わずとするときは、則ち諒陰三年言わずというに於て、語復して雜じる可からずとするなり。君薨ずるときは、百官已を總べて冢宰に聽く。憂えに亮陰に居りて言わざるは、禮の常なり。高宗父小乙を喪す。惟れ旣に喪を免れて猶言わざるがごとき、羣臣其の禮に過ぎたるを以て、故に咸之を諫む。歎息して言う、先知の德有る者、之を明哲と謂う。明哲は、實に法を天下に爲す。今天子萬邦に君とし臨み、百官皆法令を奉承す。王言うときは則ち命と爲る。言わざるときは則ち臣下令を稟くる所無し、と。

△王庸作書以誥曰、以台正于四方、台恐德弗類。茲故弗言。恭默思道。夢帝賚予良弼。其代予言。庸、用也。高宗用作書告喩羣臣、以不言之意。言以我表正四方、任大責重。恐德不類于前人。故不敢輕易發言。而恭敬淵默以思治道、夢帝與我賢輔。其將代我言矣。蓋高宗恭默思道之心、純一不二、與天無閒。故夢寐之閒、帝賚良弼。其念慮所孚、精神所格、非偶然而得者也。
【読み】
△王庸て書を作りて以て誥げて曰く、台[わ]れ四方に正しきを以て、台れ恐れらくは德の類[に]ざらんことを。茲の故に言わず。恭み默して道を思う。夢に帝予に良弼を賚[たま]う。其れ予に代わりて言わん、と。庸は、用てなり。高宗用て書を作りて羣臣を告げ喩すに、不言の意を以てす。言うこころは、我れ四方を表正するを以て、任大にして責重し。恐れらくは德前人に類ざらんことを。故に敢えて輕易に言を發せず。而して恭敬淵默にして以て治道を思わば、夢に帝我に賢輔を與う。其れ將に我に代わりて言わん。蓋し高宗恭み默して道を思うの心、純一にして二あらず、天と閒て無し。故に夢寐の閒、帝良弼を賚う。其れ念慮の孚ある所、精神の格る所、偶然として得る者に非ず。

△乃審厥象、俾以形旁求于天下。說築傅巖之野、惟肖。審、詳也。詳所夢之人、繪其形象、旁求于天下。旁求者、求之非一方也。築、居也。今言所居、猶謂之卜築。傅巖、在虞虢之閒。肖、似也。與所夢之形相似。
【読み】
△乃ち厥の象を審らかにして、以て形を旁[あまね]く天下に求めしむ。說傅巖の野に築[お]り、惟れ肖[に]たり。審は、詳らかなり。夢みる所の人を詳らかにして、其の形象を繪きて、旁く天下に求む。旁く求むとは、之を求むること一方に非ざるなり。築は、居るなり。今所居を言いて、猶之を卜築と謂うがごとし。傅巖は、虞虢[かく]の閒に在り。肖は、似るなり。夢みる所の形と相似す。

△爰立作相、王置諸其左右。於是立以爲相。按史記、高宗得說、與之語。果聖人。乃舉以爲相。書不言、省文也。未接語而遽命相、亦無此理。置諸左右、蓋以冢宰兼師保也。荀卿曰、學莫便乎近其人。置諸左右者、近其人以學也。史臣將記高宗命說之辭、先敍事始如此。
【読み】
△爰に立てて相と作して、王諸を其の左右に置く。是に於て立てて以て相とす。史記を按ずるに、高宗說を得て、之と語る。果たして聖人なり。乃ち舉げて以て相とす、と。書に言わざるは、文を省けるなり。未だ語を接せずして遽に相に命ずるも、亦此の理無し。諸を左右に置くとは、蓋し冢宰を以て師保を兼ぬ。荀卿が曰く、學は其の人に近づくより便なるは莫し、と。諸を左右に置くは、其の人に近づいて以て學ぶなり。史臣將に高宗說に命ずるの辭を記せんとして、先ず事の始めを敍ずること此の如し。

△命之曰、朝夕納誨、以輔台德。此下命說之辭。朝夕納誨者、無時不進善言也。孟子曰、人不足與適也。政不足與閒也。惟大人爲能格君心之非。高宗旣相說、處之以師傅之職、而又命之、朝夕納誨、以輔台德。可謂知所本矣。呂氏曰、高宗見道明。故知頃刻不可無賢人之言。
【読み】
△之に命じて曰く、朝夕誨[おし]えを納れて、以て台[わ]が德を輔けよ。此より下は說に命ずるの辭なり。朝夕誨えを納るとは、時として善言を進めざること無きなり。孟子曰く、人も與に適[とが]むるに足らず。政も與に閒[そし]るに足らず。惟大人のみ能く君心の非を格[ただ]すことをす、と。高宗旣に說を相として、之を處くに師傅の職を以てして、又之に命ずるに、朝夕誨えを納れて、以て台が德を輔けよ、と。本とする所を知ると謂う可し。呂氏が曰く、高宗道を見ること明らかなり。故に頃刻も賢人の言無くんばある可からざるを知る、と。

△若金、用汝作礪。若濟巨川、用汝作舟楫。若歲大旱、用汝作霖雨。三日雨爲霖。高宗託物、以喩望說納誨之切。三語雖若一意、然一節深一節也。
【読み】
△若し金ならば、汝を用て礪と作さん。若し巨川を濟[わた]らば、汝を用て舟楫と作さん。若し歲大いに旱せば、汝を用て霖雨と作さん。三日の雨を霖とす。高宗物に託して、以て說が誨えを納るるを望むの切なるに喩う。三つの語は一意の若しと雖も、然れども一節は一節より深し。

△啓乃心、沃朕心。啓、開也。沃、灌漑也。啓乃心者、開其心而無隱。沃朕心者、漑我心而厭飫也。
【読み】
△乃の心を啓[ひら]いて、朕が心に沃[そそ]げ。啓は、開くなり。沃は、灌漑なり。乃の心を啓けとは、其の心を開いて隱すこと無きなり。朕が心に沃げとは、我が心に漑いで厭飫[えんよ]するなり。

△若藥弗瞑眩、厥疾弗瘳。若跣弗視地、厥足用傷。瞑、眠見反。眩、熒絹反。跣、蘇典反。○方言曰、飮藥而毒、海岱之閒、謂之瞑眩。瘳、愈也。弗瞑眩、喩臣之言不苦口也。弗視地、喩我之行無所見也。
【読み】
△若し藥瞑眩せずんば、厥の疾瘳[い]えず。若し跣[せん]にして地を視ずんば、厥の足用て傷れん。瞑は、眠見反。眩は、熒[けい]絹反。跣は、蘇典反。○方言に曰く、藥を飮みて毒ある、海岱の閒、之を瞑眩と謂う、と。瘳[ちゅう]は、愈ゆるなり。瞑眩せずとは、臣の言口に苦からざるに喩うなり。地を視ずは、我が行見る所無きに喩うなり。

△惟曁乃僚、罔不同心、以匡乃辟。俾率先王、迪我高后、以康兆民。辟、必益反。○匡、正。率、循也。先王、商先哲王也。說旣作相總百官、則卿士而下、皆其僚屬。高宗欲傅說曁其僚屬、同心正救、使循先王之道、蹈成湯之迹、以安天下之民也。
【読み】
△惟れ乃の僚と、心を同じくして、以て乃の辟[きみ]を匡さざる罔かれ。先王に率い、我が高后を迪[みちび]いて、以て兆民を康んぜしめよ。辟は、必益反。○匡は、正す。率は、循うなり。先王は、商の先哲王なり。說旣に相と作りて百官を總ぶれば、則ち卿士より下は、皆其の僚屬なり。高宗傅說と其の僚屬と、心を同じくし正し救い、先王の道に循いて、成湯の迹を蹈んで、以て天下の民を安んぜしめんことを欲す。

△嗚呼欽予時命、其惟有終。敬我是命、其思有終也。是命、上文所命者。
【読み】
△嗚呼予が時[こ]の命を欽んで、其れ惟れ終わり有れ、と。我が是の命を敬んで、其れ終わり有らんことを思う、と。是の命は、上の文の命ずる所の者なり。

△說復于王曰、惟木從繩則正。后從諫則聖。后克聖、臣不命其承。疇敢不祗若王之休命。答欽予時命之語。木從繩、喩后從諫。明諫之決不可不受也。然高宗當求受言於己、不必責進言於臣。君果從諫。臣雖不命、猶且承之。況命之如此。誰敢不敬順其美命乎。
【読み】
△說王に復して曰く、惟れ木繩に從うときは則ち正し。后諫めに從うときは則ち聖なり。后克く聖なるときは、臣命ぜずとも其れ承けん。疇[だれ]か敢えて王の休命に祗み若[したが]わざらん、と。予が時の命を欽めの語に答う。木繩に從うは、后諫に從うに喩う。諫めの決して受けずんばある可からざるを明らかにす。然れども高宗當に言を己に受くるを求むべく、必ずしも言を臣に進むるを責めず。君果たして諫めに從う。臣命ぜられずと雖も、猶且つ之を承く。況んや之に命ずること此の如し。誰か敢えて其の美命を敬み順わざらんや。

說命中
【読み】
說命中[えつめいちゅう]

惟說命總百官。說受命總百官、冢宰之職也。
【読み】
惟れ說命ぜられて百官を總ぶ。說命を受けて百官を總ぶるは、冢宰の職なればなり。

△乃進于王曰、嗚呼明王、奉若天道、建邦設都、樹后王君公、承以大夫師長。不惟逸豫、惟以亂民。后王、天子也。君公、諸侯也。治亂曰亂。明王奉順天道、建邦設都、立天子諸侯、承以大夫師長。制爲君臣上下之禮、以尊臨卑、以下奉上。非爲一人逸豫之計而已也。惟欲以治民焉耳。
【読み】
△乃ち王に進めて曰く、嗚呼明王、天道を奉[う]け若[したが]いて、邦を建て都を設け、后王君公を樹てて、承[つかまつ]るに大夫師長を以てす。惟れ逸豫せしむるにあらず、惟れ以て民を亂[おさ]めしめんとなり。后王は、天子なり。君公は、諸侯なり。亂を治むるを亂と曰う。明王天道を奉け順いて、邦を建て都を設けて、天子諸侯を立て、承るに大夫師長を以てす。制して君臣上下の禮を爲りて、尊を以て卑に臨み、下を以て上に奉ず。一人逸豫の計を爲すに非ざるのみ。惟れ以て民を治むるを欲するのみ。

△惟天聰明、惟聖時憲、惟臣欽若、惟民從乂。天之聰明、無所不聞、無所不見、無他、公而已矣。人君法天之聰明、一出於公、則臣敬順而民亦從治矣。
【読み】
△惟れ天は聰明にして、惟れ聖時[こ]れ憲るときは、惟れ臣欽み若[したが]い、惟れ民從い乂[おさ]まる。天の聰明、聞かざる所無く、見ざる所無きは、他無し、公なるのみ。人君天の聰明に法りて、一に公に出づるときは、則ち臣敬み順いて民も亦從いて治まるなり。

△惟口起羞、惟甲冑起戎。惟衣裳在笥、惟干戈省厥躬。王惟戒茲、允茲克明、乃罔不休。冑、直又反。○言語所以文身也。輕出、則有起羞之患。甲冑、所以衛身也。輕動、則有起戎之憂。二者所以爲己、當慮其患於人也。衣裳、所以命有德。必謹於在笥者、戒其有所輕予。干戈、所以討有罪。必嚴於省躬者、戒其有所輕動。二者所以加人、當審其用於己也。王惟戒此四者、信此而能明焉、則政治無不休美矣。
【読み】
△惟れ口は羞を起こし、惟れ甲冑は戎を起こす。惟れ衣裳は笥[し]に在り、惟れ干戈は厥の躬を省みる。王惟れ茲を戒めて、允に茲れ克く明らかなるときは、乃ち休[よ]からざる罔し。冑は、直又反。○言語は身を文[かざ]る所以なり。輕く出だせば、則ち羞を起こすの患え有り。甲冑は、身を衛る所以なり。輕く動けば、則ち戎を起こすの憂え有り。二つの者は己が爲にする所以にて、當に其の人に患えあらんことを慮るべし。衣裳は、有德を命ずる所以。必ず笥に在るを謹む者は、其の輕く予うる所有るを戒む。干戈は、有罪を討ずる所以。必ず躬を省みるに嚴なる者は、其の輕く動かす所有るを戒む。二つの者は人に加うる所以にて、當に其の己に用ゆるを審らかにすべし。王惟れ此の四つの者を戒め、此を信にして能く明らかなるときは、則ち政治休美ならざる無し、と。

△惟治亂在庶官。官不及私昵。惟其能。爵罔及惡德。惟其賢。昵、尼爾反。○庶官、治亂之原也。庶官得其人則治。不得其人則亂。王制曰、論定而後官之。任官而後爵之。六卿百執事、所謂官也。公卿大夫士、所謂爵也。官以任事。故曰能。爵以命德。故曰賢。惟賢惟能、所以治也。私昵惡德、所以亂也。○按古者公侯伯子男、爵之於侯國、公卿大夫士、爵之於朝廷。此言庶官、則爵爲公卿大夫士也。○吳氏曰、惡德、猶凶德也。人君當用吉士。凶德之人、雖有過人之才、爵亦不可及矣。
【読み】
△惟れ治亂は庶官に在り。官は私昵[しじつ]に及ぼさず。惟れ其れ能をす。爵は惡德に及ぼすこと罔し。惟れ其れ賢をす。昵は、尼爾反。○庶官は、治亂の原なり。庶官其の人を得ば則ち治まる。其の人を得ざれば則ち亂る。王制に曰く、論定まりて而して後に之を官にす。官に任じて而して後に之を爵にす、と。六卿百執事は、所謂官なり。公卿大夫士は、所謂爵なり。官は以て事を任ず。故に能と曰う。爵は以て德に命ず。故に賢と曰う。惟れ賢にし惟れ能にするは、治むる所以なり。私昵惡德は、亂る所以なり。○按ずるに古は公侯伯子男は、之を侯國に爵し、公卿大夫士は、之を朝廷に爵す。此に庶官と言うときは、則ち爵は公卿大夫士爲り。○吳氏が曰く、惡德は、猶凶德のごとし。人君は當に吉士を用ゆべし。凶德の人は、人に過ぎたるの才有りと雖も、爵は亦及ぼす可からず、と。

△慮善以動。動惟厥時。善、當乎理也。時、時措之宜也。慮、固欲其當乎理。然動非其時、猶無益也。聖人酬酢斯世、亦其時而已。
【読み】
△善を慮りて以て動く。動くこと惟れ厥の時をす。善は、理に當たるなり。時は、時に措くの宜しきなり。慮は、固に其の理に當たらんことを欲す。然れども動くこと其の時に非ざれば、猶益無きがごとし。聖人斯の世に酬酢する、亦其の時をするのみ。

△有其善、喪厥善。矜其能、喪厥功。自有其善、則己不加勉而德虧矣。自矜其能、則人不效力而功隳矣。
【読み】
△其の善を有りとせば、厥の善を喪う。其の能を矜[ほこ]れば、厥の功を喪う。自ら其の善を有りとせば、則ち己勉を加えずして德虧く。自ら其の能を矜れば、則ち人力を效[いた]さずして功隳[やぶ]る、と。

△惟事事、乃其有備。有備無患。惟事其事、乃其有備。有備、故無患也。張氏曰、修車馬備器械、事乎兵事、則兵有其備。故外侮不能爲之憂。簡稼器修稼政、事乎農事、則農有其備。故水旱不能爲之害。所謂事事有備無患者如此。
【読み】
△惟れ事を事とすれば、乃ち其れ備え有り。備え有れば患え無し。惟れ其の事を事として、乃ち其れ備え有り。備え有る、故に患え無し。張氏が曰く、車馬を修め器械を備え、兵事を事とするときは、則ち兵其の備え有り。故に外侮も之が憂えを爲すこと能わず。稼器を簡[えら]び稼政を修め、農事を事とするときは、則ち農其の備え有り。故に水旱も之が害を爲すこと能わず。所謂事事備え有りて患え無き者此の如し、と。

△無啓寵納侮。無恥過作非。毋開寵幸而納人之侮。毋恥過誤而遂己之非。過誤出於偶然、作非出於有意。
【読み】
△寵を啓[ひら]いて侮りを納るること無かれ。過ちを恥じて非を作すこと無かれ。寵幸を開いて人の侮りを納るること毋かれ。過誤を恥じて己が非を遂ぐること毋かれ、と。過誤は偶然より出で、非を作すは有意に出づ。

△惟厥攸居、政事惟醇。居、止而安之義。安於義理之所止也。義理出於勉强、則猶二也。義理安於自然、則一矣。一故政事醇而不雜也。
【読み】
△惟れ厥の居る攸のままにして、政事惟れ醇[もっぱ]らなり。居は、止まりて之を安んずるの義。義理の止まる所に安んずるなり。義理勉强に出づるときは、則ち猶二つのごとし。義理自然に安んずるときは、則ち一なり。一なる故に政事醇らにして雜えず。

△黷于祭祀、時謂弗欽。禮煩則亂。事神則難。黷、徒谷反。○祭不欲黷。黷則不敬。禮不欲煩。煩則擾亂。皆非所以交鬼神之道也。商俗尙鬼。高宗或未能脫於流俗、事神之禮、必有過焉。祖已戒其祀無豐昵。傅說蓋因其失而正之也。
【読み】
△祭祀に黷[けが]るる、時[これ]を欽まずと謂う。禮煩わしきときは則ち亂る。神に事るは則ち難し、と。黷[とく]は、徒谷反。○祭は黷るるを欲せず。黷るるときは則ち敬まず。禮は煩わしきを欲せず。煩わしきときは則ち擾亂す。皆鬼神に交わる所以の道に非ず。商の俗は鬼を尙ぶ。高宗或は未だ流俗を脫すること能わず、神に事るの禮、必ず過ぐること有り。祖已に其の祀昵を豐かにすること無かれと戒む。傅說蓋し其の失に因りて之を正すなり。

△王曰、旨哉說。乃言惟服。乃不良于言、予罔聞于行。旨、美也。古人於飮食之美者、必以旨言之。蓋有味其言也。服、行也。高宗贊美說之所言、謂可服行。使汝不善於言、則我無所聞而行之也。蘇氏曰、說之言譬如藥石。雖散而不一、然一言一藥、皆足以治天下之公患。所謂古之立言者。
【読み】
△王曰く、旨いかな說。乃が言惟れ服[おこな]わん。乃言に良からずんば、予れ行うに聞くこと罔けん、と。旨は、美なり。古人飮食の美なる者に於て、必ず旨を以て之を言う。蓋し其の言に味わい有ればなり。服は、行うなり。高宗說が言う所を贊美して、服行す可しと謂う。汝をして言に善からずんば、則ち我れ聞いて之を行う所無し、と。蘇氏が曰く、說が言は譬えば藥石の如し。散じて一ならずと雖も、然れども一言一藥、皆以て天下の公患を治むるに足れり。所謂古の言を立つる者なり、と。

△說拜稽首曰、非知之艱、行之惟艱。王忱不艱、允協于先王成德。惟說不言、有厥咎。高宗方味說之所言、而說以爲得於耳者非難、行於身者爲難。王忱信之、亦不爲難、信可合成湯之成德。說於是而猶有所不言、則有其罪矣。上篇言、后克聖、臣不命其承。所以廣其從諫之量、而將告以爲治之要也。此篇言、允協先王成德。惟說不言、有厥咎。所以責其躬行之實、將進其爲學之說也。皆引而不發之義。
【読み】
△說拜稽首して曰く、知ることの艱きに非ず、行うこと惟れ艱し。王忱[まこと]に艱しとせずんば、允に先王の成德に協わん。惟れ說言わずんば、厥の咎有らん、と。高宗說が言う所を味わうに方りて、說以爲えらく、耳に得る者は難きに非ず、身に行う者を難しとす。王忱に之を信じて、亦難しとせずんば、信に成湯の成德に合う可し。說是に於て猶言わざる所有れば、則ち其の罪有り、と。上の篇に言う、后克く聖なるときは、臣命ぜずとも其れ承けん、と。其の諫めに從うの量を廣むる所以にして、將に告すに治を爲すの要を以てせんとす。此の篇に言う、允に先王の成德に協わん。惟れ說言わずんば、厥の咎有らん、と。其の躬行の實を責めて、將に其の學を爲むるの說を進めんとする所以なり。皆引いて發せざるの義なり。

說命下
【読み】
說命下[えつめいげ]

王曰、來汝說。台小子、舊學于甘盤、旣乃遯于荒野。入宅于河、自河徂亳。曁厥終罔顯。甘盤、臣名。君奭言、在武丁時則有若甘盤。遯、退也。高宗言我小子舊學於甘盤、已而退于荒野。後又入居于河。自河徂亳、遷徙不常。歷敍其廢學之因、而歎其學終無所顯明也。無逸言、高宗舊勞于外、爰曁小人。與此相應。國語亦謂、武丁入于河、自河徂亳。唐孔氏曰、高宗爲王子時、其父小乙欲其知民之艱苦。故使居民閒也。蘇氏謂、甘盤遯于荒野、以台小子語脈推之非是。
【読み】
王曰く、來れ汝說。台[わ]れ小子、舊甘盤に學びて、旣にして乃ち荒野に遯る。入りて河に宅り、河より亳に徂く。厥の終わりに曁[およ]んで顯るること罔し。甘盤は、臣の名。君奭[くんせき]に言う、武丁の時に在りては則ち甘盤の若き有り、と。遯は、退くなり。高宗言うこころは、我れ小子舊甘盤に學びて、已にして荒野に退く。後に又入りて河に居る。河より亳に徂き、遷徙して常ならず。歷[あまね]く其の廢學の因を敍べて、其の學終に顯明する所無きを歎ず。無逸に言う、高宗舊外に勞し、爰に小人と曁[とも]にす、と。此と相應せり。國語に亦謂う、武丁河に入りて、河より亳に徂く、と。唐の孔氏が曰く、高宗王子爲りし時、其の父小乙其の民の艱苦を知らんことを欲す。故に民閒に居らしむ、と。蘇氏が謂う、甘盤荒野に遯るとは、台れ小子の語脈を以て之を推すに是に非ず、と。

△爾惟訓于朕志。若作酒醴、爾惟麴糵。若作和羹、爾惟鹽梅。爾交修予、罔予棄。予惟克邁乃訓。心之所之、謂之志。邁、行也。范氏曰、酒非麴糵不成。羹非鹽梅不和。人君雖有美質、必得賢人輔導、乃能成德。作酒者、麴多則太苦。糵多則太甘。麴糵得中、然後成酒。作羹者、鹽過則鹹。梅過則酸。鹽梅得中、然後成羹。臣之於君、當以柔濟剛、可濟否、左右規正以成其德。故曰、爾交修予、爾無我棄。我能行爾之言也。孔氏曰、交者、非一之義。
【読み】
△爾惟れ朕が志を訓えよ。若し酒醴を作らば、爾は惟れ麴糵[きくげつ]なり。若し和羹を作らば、爾は惟れ鹽梅なり。爾交々予を修めて、予を棄つること罔かれ。予れ惟れ克く乃の訓えを邁[おこな]わん。心の之く所、之を志と謂う。邁は、行うなり。范氏が曰く、酒は麴糵に非ざれば成らず。羹は鹽梅に非ざれば和せず。人君美質有りと雖も、必ず賢人を得て輔け導いて、乃ち能く德を成す。酒を作る者、麴多きときは則ち太だ苦し。糵多きときは則ち太だ甘し。麴糵中を得て、然して後に酒を成す。羹を作る者、鹽過ぐるときは則ち鹹[から]し。梅過ぐるときは則ち酸し。鹽梅中を得て、然して後に羹を成す。臣の君に於る、當に柔を以て剛を濟[な]し、可にて否を濟し、左右規正して以て其の德を成すべし。故に曰く、爾交々予を修めて、爾我を棄つること無かれ。我れ能く爾の言を行わん、と。孔氏が曰く、交々は、一に非ざるの義なり、と。

△說曰、王、人求多聞、時惟建事。學于古訓、乃有獲。事不師古、以克永世、匪說攸聞。求多聞者資之人。學古訓者反之己。古訓者、古先聖王之訓、載修身治天下之道。二典三謨之類、是也。說稱王而告之曰、人求多聞者、是惟立事。然必學古訓、深識義理、然後有得。不師古訓、而能長治久安者、非說所聞。甚言無此理也。○林氏曰、傅說稱王而告之。與禹稱舜曰帝光天之下、文勢正同。
【読み】
△說が曰く、王、人多聞を求めて、時[こ]れ惟れ事を建つ。古訓を學べば、乃ち獲ること有り。事古を師とせずして、以て克く世を永くするは、說の聞く攸に匪ず。多聞を求むる者は之を人に資[と]る。古訓を學ぶ者は之を己に反す。古訓は、古先聖王の訓え、身を修め天下を治むるの道を載す。二典三謨の類、是れなり。說王を稱して之に告げて曰く、人多聞を求むる者は、是れ惟れ事を立つ。然れども必ず古訓を學び、深く義理を識り、然して後に得ること有り。古訓を師とせずして、能く長く治まり久しく安き者は、說が聞く所に非ず、と。甚だ此の理無きを言うなり。○林氏が曰く、傅說王を稱して之に告ぐ。禹舜を稱して帝天の下に光[て]ると曰うと、文勢正に同じ、と。

△惟學遜志、務時敏、厥修乃來。允懷于茲、道積于厥躬。遜、謙抑也。務、專力也。時敏者、無時而不敏也。遜其志、如有所不能。敏於學、如有所不及。虛以受人、勤以勵己、則其所修、如泉始達、源源乎其來矣。茲、此也。篤信而深念乎此、則道積於身、不可以一二計矣。夫修之來、來之積。其學之得於己者如此。
【読み】
△惟れ學びて志を遜[へりくだ]り、務めて時に敏くすれば、厥の修むること乃ち來る。允に茲を懷えば、道厥の躬に積る。遜は、謙抑なり。務は、專力なり。時に敏とは、時として敏からざること無きなり。其の志を遜ること、能わざる所有るが如し。學に敏きこと、及ばざる所有るが如し。虛にして以て人に受け、勤めて以て己に勵すときは、則ち其の修むる所、泉の始めて達するが如く、源源乎として其れ來る。茲は、此なり。篤く信じて深く此を念うときは、則ち道身に積りて、一二を以て計る可からず。夫れ之を修むるときは來り、之を來すときは積る。其の學の己に得る者此の如し。

△惟斅學半。念終始、典于學、厥德修罔覺。斅、胡敎反。○斅、敎也。言敎人居學之半。蓋道積厥躬者、體之立。斅學于人者、用之行。兼體用合内外、而後聖學可全也。始之自學、學也。終之敎人、亦學也。一念終始、常在於學、無少閒斷、則德之所修、有不知其然而然者矣。或曰、受敎亦曰斅。斅於爲學之道半之。半須自得。此說極爲新巧。但古人論學、語皆平正的實。此章句數非一。不應中閒一語、獨爾險巧。此蓋後世釋敎機權、而誤以論聖賢之學也。
【読み】
△惟れ斅[おし]ゆるは學ぶの半ばなり。終始を念いて、學ぶに典[つね]なれば、厥の德修まりて覺ゆること罔し。斅は、胡敎反。○斅は、敎なり。言うこころは、人に敎ゆるは學に居るの半ばなり。蓋し道厥の躬に積る者は、體の立なり。學を人に斅ゆる者は、用の行なり。體用を兼ね内外を合わせて、而して後に聖學全かる可し。始めの自ら學ぶも、學なり。終わりの人に敎ゆるも、亦學なり。一らに終始を念い、常に學ぶこと在りて、少しの閒斷無きときは、則ち德の修むる所、其の然ることを知らずして然る者有り。或ひと曰く、敎えを受くるも亦斅えと曰う。學を爲むるの道を斅ゆるは之を半とす。半は須く自得すべし、と。此の說極めて新巧とす。但古人の學を論ずる、語は皆平正的實なり。此の章の句數は一に非ず。中閒の一語、獨り爾も險巧なる應からず。此れ蓋し後世釋敎の機權、而も誤りて以て聖賢の學を論ずるなり。

△監于先王成憲、其永無愆。憲、法。愆、過也。言德雖造於罔覺、而法必監于先王。先王成法者、子孫之所當守者也。孟子言、遵先王之法、而過者未之有也。亦此意。
【読み】
△先王の成憲を監みて、其れ永く愆つこと無し。憲は、法。愆は、過つなり。言うこころは、德覺ゆること罔きに造ると雖も、而れども法は必ず先王を監みる。先王の成法は、子孫の當に守るべき所の者なり。孟子言く、先王の法に遵いて、過てる者未だ之れ有らず、と。亦此の意なり。

△惟說式克欽承、旁招俊乂、列于庶位。式、用也。言高宗之德、苟至於無愆、則說用能敬承其意、廣求俊乂、列于衆職。蓋進賢雖大臣之責、然高宗之德未至、則雖欲進賢、有不可得者。
【読み】
△惟れ說式[もっ]て克く欽み承けて、旁く俊乂を招いて、庶位に列ねん、と。式は、用てなり。言うこころは、高宗の德、苟も愆つこと無きに至るときは、則ち說用て能く其の意を敬み承けて、廣く俊乂を求めて、衆職に列せん。蓋し賢を進むるは大臣の責と雖も、然れども高宗の德未だ至らざるときは、則ち賢を進めんと欲すと雖も、得可からざる者有り。

△王曰、嗚呼說、四海之内、咸仰朕德、時乃風。風、敎也。天下皆仰我德。是汝之敎也。
【読み】
△王曰く、嗚呼說、四海の内、咸朕が德を仰ぐは、時[こ]れ乃の風[おしえ]なり。風は、敎えなり。天下皆我が德を仰ぐ。是れ汝の敎えなり、と。

△股肱惟人。良臣惟聖。手足備而成人。良臣輔而君聖。高宗初以舟楫霖雨爲喩、繼以麴糵鹽梅爲喩。至此又以股肱惟人爲喩。其所造益深、所望益切矣。
【読み】
△股肱ありて惟れ人なり。良臣ありて惟れ聖なり。手足備わりて人と成る。良臣輔けて君聖なり。高宗初め舟楫霖雨を以て喩えとし、繼ぐに麴糵鹽梅を以て喩えとす。此に至りて又股肱ありて惟れ人なりを以て喩えとす。其の造る所益々深くして、望む所益々切なり。

△昔先正保衡、作我先王。乃曰、予弗克俾厥后惟堯舜、其心愧恥、若撻于市。一夫不獲、則曰、時予之辜。佑我烈祖、格于皇天。爾尙明保予、罔俾阿衡、專美有商。先正、先世長官之臣。保、安也。保衡、猶阿衡。作、興起也。撻于市、恥之甚也。不獲、不得其所也。高宗舉伊尹之言、謂其自任如此。故能輔我成湯、功格于皇天。爾庶幾明以輔我、無使伊尹專美於我商家也。傅說以成湯望高宗。故曰、協于先王成德、監于先王成憲。高宗以伊尹望傅說。故曰、罔俾阿衡、專美有商。
【読み】
△昔先正保衡、我が先王を作[おこ]す。乃ち曰く、予れ厥の后をして惟れ堯舜ならしむる克[あた]わざるときは、其の心愧じ恥ずること、市に撻[むちう]たるるが若し。一夫も獲ざるときは、則ち曰く、時[こ]れ予が辜なり、と。我が烈祖を佑けて、皇天に格れり。爾尙わくは明らかに予を保んじて、阿衡をして、美を有商に專らならしむること罔かれ。先正は、先世の長官の臣。保は、安んずるなり。保衡は、猶阿衡のごとし。作は、興起なり。市に撻たるるは、恥の甚だしきなり。獲ずとは、其の所を得ざるなり。高宗伊尹の言を舉げて、其の自ら任ずること此の如きを謂う。故に能く我が成湯を輔けて、功皇天に格れり。爾庶幾わくは明らかに以て我を輔けて、伊尹をして美を我が商家に專らならしむること無かれ、と。傅說成湯を以て高宗に望む。故に曰く、先王の成德に協え、先王の成憲を監みよ、と。高宗伊尹を以て傅說に望む。故に曰く、阿衡をして、美を有商に專らならしむること罔かれ、と。

△惟后非賢不乂。惟賢非后不食。其爾克紹乃辟于先王、永綏民。說拜稽首曰、敢對揚天子之休命。君非賢臣、不與共治。賢非其君、不與共食。言君臣相遇之難如此。克者、責望必能之辭。敢者、自信無慊之辭。對者、對以己。揚者、揚於衆。休命、上文高宗所命也。至是高宗以成湯自期。傅說以伊尹自任。君臣相勉勵如此。異時高宗爲商令王、傅說爲商賢佐、果無愧於成湯伊尹也、宜哉。
【読み】
△惟れ后賢に非ざれば乂[おさ]めず。惟れ賢后に非ざれば食まず。其れ爾克く乃の辟を先王に紹[つ]がしめて、永く民を綏んぜよ、と。說拜稽首して曰く、敢えて天子の休命を對揚せん、と。君賢臣に非ざれば、與に共に治めず。賢其の君に非ざれば、與に共に食まず。言うこころは、君臣相遇するの難きこと此の如し。克は、必ず能わんことを責望するの辭なり。敢は、自ら信じて慊無きの辭なり。對は、對うるに己を以てす。揚は、衆を揚ぐるなり。休命は、上の文の高宗命ずる所なり。是に至りて高宗成湯を以て自ら期す。傅說伊尹を以て自ら任ず。君臣相勉勵すること此の如し。異時高宗商の令王と爲り、傅說商の賢佐と爲り、果たして成湯伊尹に愧ずること無きこと、宜なるかな。

高宗肜日 高宗肜祭。有雊雉之異。祖己訓王。史氏以爲篇。亦訓體也。不言訓者、以旣有高宗之訓、故只以篇首四字爲題。今文古文皆有。
【読み】
高宗肜日[こうそうゆうじつ] 高宗肜祭す。雊[な]く雉の異有り。祖己王に訓ゆ。史氏以て篇とす。亦訓の體なり。訓と言わざるは、旣に高宗の訓有るを以て、故に只篇首の四字を以て題とす。今文古文皆有り。

高宗肜日、越有雊雉。肜、音融。雊、居候反。○肜、祭明日。又祭之名。殷曰肜、周曰繹。雊、鳴也。於肜日有雊雉之異。蓋祭禰廟也。序言湯廟者非是。
【読み】
高宗の肜日[ゆうじつ]に、越[ここ]に雊[な]く雉有り。肜は、音融。雊[こう]は、居候反。○肜は、祭の明日。又祭の名なり。殷には肜と曰い、周には繹と曰う。雊は、鳴くなり。肜日に於て雊く雉の異有り。蓋し禰廟[でいびょう]を祭るなり。序に湯廟と言う者は是に非ず。

△祖己曰、惟先格王、正厥事。格、正也。猶格其非心之格。詳下文高宗祀豐于昵。昵者、禰廟也。豐於昵、失禮之正。故有雊雉之異。祖己自言、當先格王之非心、然後正其所失之事。惟天監民以下、格王之言。王司敬民以下、正事之言也。
【読み】
△祖己曰く、惟れ先ず王を格しくして、厥の事を正しくす。格は、正すなり。猶其の非心を格すの格のごとし。下の文の高宗の祀昵[じつ]に豐かにするに詳らかなり。昵は、禰廟なり。昵に豐かにするは、禮の正を失するなり。故に雊く雉の異有り。祖己自ら言う、當に先ず王の非心を格しくして、然して後に其の失する所の事を正しくす、と。惟れ天民を監みるより以下は、王を格しくするの言。王は民を敬むを司るより以下は、事を正しくするの言なり。

△乃訓于王曰、惟天監下民、典厥義。降年有永有不永、非天夭民、民中絕命。監、音鑑。夭、於兆反。○典、主也。義者、理之當然。行而宜之之謂。言天監視下民、其禍福予奪、惟主義如何爾。降年有永有不永者。義則永、不義則不永。非天夭折其民、民自以非義、而中絕其命也。意高宗之祀、必有祈年請命之事。如漢武帝五畤祀之類。祖己言、永年之道、不在禱祠、在於所行義與不義而已。禱祠非永年之道也。言民而不言君者、不敢斥也。
【読み】
△乃ち王に訓えて曰く、惟れ天下民を監みて、厥の義を典[つかさど]る。年を降すに永き有り永からざる有るは、天の民を夭するに非ず、民中ごろ命を絕つなり。監は、音鑑。夭は、於兆反。○典、主るなり。義は、理の當然。行いて之を宜しくするの謂なり。言うこころは、天下民を監み視て、其の禍福予奪、惟れ義如何なるかを主るのみ。年を降すに永き有り永からざる者有り。義あれば則ち永く、不義なれば則ち永からず。天其の民を夭折するに非ず、民自ら非義を以て、中ごろ其の命を絕つなり。意うに高宗の祀、必ず年を祈り命を請うの事有らん。漢の武帝の五畤の祀の類の如し。祖己言う、永年の道は、禱祠に在らず、行う所義と不義とに在るのみ。禱祠は永年の道に非ず、と。民と言いて君と言わざるは、敢えて斥[さ]さざるなり。

△民有不若德、不聽罪、天旣孚命、正厥德。乃曰其如台。不若德、不順於德。不聽罪、不服其罪。謂不改過也。孚命者、以妖孼爲符信、而譴告之也。言民不順德、不服罪、天旣以妖孼爲符信、而譴告之。欲其恐懼修省以正德。民乃曰、孼祥其如我何。則天必誅絕之矣。祖己意謂、高宗當因雊雉以自省。不可謂適然而自恕。夫數祭豐昵、徼福於神、不若德也。瀆於祭祀、傅說嘗以進戒。意或吝改、不聽罪也。雊雉之異、是天旣孚命正厥德矣。其可謂妖孼。其如我何耶。
【読み】
△民德に若[したが]わず、罪を聽かざる有れば、天旣に孚命して、厥の德を正す。乃ち其れ台[われ]を如[いか]んと曰わんや。德に若わずとは、德に順わざるなり。罪を聽かずとは、其の罪に服せざるなり。謂ゆる過ちを改めざるなり。孚命とは、妖孼[ようげつ]を以て符信と爲して、之に譴め告ぐるなり。言うこころは、民德に順わず、罪に服せざれば、天旣に妖孼を以て符信と爲して、之に譴め告ぐ。其の恐懼修省して以て德を正さんと欲するなり。民乃ち曰く、孼祥其れ我を如何、と。則ち天必ず之を誅絕するなり。祖己が意に謂く、高宗當に雊く雉に因りて以て自省すべし。適然として自恕すと謂う可からず、と。夫れ數々祭りて昵に豐かにして、福を神に徼[もと]むるは、德に若わざるなり。祭祀を瀆すこと、傅說嘗て以て戒めを進む。意うに或は改むるに吝かにして、罪を聽かざらん。雊く雉の異あるは、是れ天旣に孚命して厥の德を正す。其れ妖孼と謂う可し。其れ我を如何や。

△嗚呼王司敬民。罔非天胤。典祀無豐于昵。司、主。胤、嗣也。王之職、主於敬民而已。徼福於神、非王之事也。況祖宗莫非天之嗣。主祀其可獨豐於昵廟乎。
【読み】
△嗚呼王は民を敬むを司る。天胤に非ざる罔し。祀を典ること昵[じつ]に豐かにする無かれ、と。司は、主る。胤は、嗣なり。王の職は、民を敬むを主るのみ。福を神に徼むるは、王の事に非ず。況んや祖宗は天の嗣に非ざる莫し。祀を主ること其れ獨り昵廟に豐かにする可けんや、と。

西伯戡黎 戡、音堪。○西伯、文王也。名、昌。姓、姬氏。戡、勝也。黎、國名。在上黨壺關之地。按史記、文王脫羑里之囚、獻洛西之地。紂賜弓矢鈇鉞、使得專征伐爲西伯。文王旣受命、黎爲不道。於是舉兵伐而勝之。祖伊知周德日盛、旣已戡黎、紂惡不悛勢必及殷。故恐懼奔告于王、庶幾王之改之也。史錄其言、以爲此篇。誥體也。今文古文皆有。○或曰、西伯、武王也。史記嘗載、紂使膠鬲觀兵。膠鬲問之曰、西伯曷爲而來。則武王亦繼文王爲西伯矣。
【読み】
西伯戡黎[せいはくかんれい] 戡は、音堪。○西伯は、文王なり。名は、昌。姓は、姬氏。戡は、勝つなり。黎は、國の名。上黨壺關の地に在り。史記を按ずるに、文王羑里の囚を脫[まぬが]れて、洛西の地を獻ず。紂弓矢鈇鉞[ふえつ]を賜いて、征伐を專らにすることを得せしめて西伯爲らしむ。文王旣に命を受けて、黎不道を爲す。是に於て兵を舉げて伐ちて之に勝つ。祖伊周の德日に盛んにして、旣已に黎に戡[か]ち、紂惡悛[あらた]めずして勢い必ず殷に及ばんことを知る。故に恐懼して奔りて王に告ぐ、庶幾わくは王の之を改めんことを。史其の言を錄して、以て此の篇を爲る。誥の體なり。今文古文皆有り。○或ひと曰く、西伯は、武王、と。史記に嘗て載す、紂膠鬲[こうかく]をして兵を觀せしむ。膠鬲之に問いて曰く、西伯曷爲れぞ而も來れる、と。則ち武王も亦文王を繼いで西伯爲り。

西伯旣戡黎。祖伊恐。奔告于王、下文無及戡黎之事。史氏特標此篇首、以見祖伊告王之因也。祖、姓。伊、名。祖己後也。奔告、自其邑奔走、來告紂也。
【読み】
西伯旣に黎に戡[か]ちぬ。祖伊恐る。奔りて王に告げて、下の文に黎に戡つの事に及ぶこと無し。史氏特り此の篇の首に標して、以て祖伊王に告ぐるの因を見すなり。祖は、姓。伊は、名。祖己の後なり。奔り告ぐとは、其の邑より奔走して、來りて紂に告ぐるなり。

△曰、天子、天旣訖我殷命。格人元龜、罔敢知吉。非先王不相我後人。惟王淫戲用自絕。祖伊將言天訖殷命。故特呼天子以感動之。訖、絕也。格人、猶言至人也。格人元龜、皆能先知吉凶者。言天旣已絕我殷命。格人元龜、皆無敢知其吉者、甚言凶禍之必至也。非先王在天之靈、不佑我後人。我後人淫戲、用自絕於天耳。
【読み】
△曰く、天子、天旣に我が殷の命を訖[お]えん。格人元龜も、敢えて吉を知ること罔し。先王我が後人を相[たす]けざるには非ず。惟れ王淫戲にして用[もっ]て自ら絕てり。祖伊將に天殷の命を訖えんことを言わんとす。故に特に天子と呼びて以て之を感動せしむ。訖は、絕つなり。格人は、猶至人と言うがごとし。格人元龜は、皆能く先だちて吉凶を知る者なり。言うこころは、天旣已に我が殷の命を絕つ。格人元龜も、皆敢えて其の吉を知ること無きは、甚だ凶禍の必ず至らんことを言うなり。先王天に在るの靈、我が後人を佑けざるに非ず。我が後人淫戲にして、用て自ら天を絕つのみ、と。

△故天棄我、不有康食。不虞天性、不迪率典。康、安。虞、度也。典、常法也。紂自絕於天。故天棄殷不有康食。饑饉荐臻也。不虞天性、民失常心也。不迪率典、廢壞常法也。
【読み】
△故に天我を棄て、康食有らず。天性を虞[はか]らず、典[つね]に率うに迪[みち]あらず。康は、安し。虞は、度るなり。典は、常の法なり。紂自ら天を絕つ。故に天殷を棄てて康食有らず。饑饉荐[しき]りに臻[いた]るなり。天性を虞らざるときは、民常の心を失うなり。典に率うに迪あらずとは、常の法を廢壞するなり。

△今我民罔弗欲喪。曰、天曷不降威、大命不摯。今王其如台。大命、非常之命。摯、至也。史記云、大命胡不至。民苦紂虐、無不欲殷之亡。曰、天何不降威於殷、而受大命者何不至乎。今王其無如我何、言紂不復能君長我也。上章言天棄殷、此章言民棄殷。祖伊之言、可謂痛切明著矣。
【読み】
△今我が民喪びんことを欲せざる罔し。曰く、天曷ぞ威を降さざる。大命摯[いた]らざる、と。今王其れ台[われ]を如[いか]ん、と。大命は、非常の命なり。摯は、至るなり。史記に云う、大命胡ぞ至らざる、と。民紂の虐に苦しみて、殷の亡びんことを欲せざる無し。曰く、天何ぞ威を殷に降さずして、大命を受くる者何ぞ至らざるや、と。今王其れ我を如何とすること無しは、言うこころは、紂は復能く我に君長たるにあらず。上の章には天殷を棄つるを言い、此の章には民殷を棄つるを言う。祖伊の言、痛切明著なりと謂う可し。

△王曰、嗚呼、我生不有命在天。紂歎息謂、民雖欲亡我、我之生獨不有命在天乎。
【読み】
△王曰く、嗚呼、我が生けること命天に在ること有らざらんや、と。紂歎息して謂う、民我を亡ぼさんと欲すと雖も、我が生獨り命天に在ること有らざらんや、と。

△祖伊反曰、嗚呼、乃罪多參在上。乃能責命于天。參、倉含反。○紂旣無改過之意。祖伊退而言曰、爾罪衆多參列在上。乃能責其命於天耶。呂氏曰、責命於天、惟與天同德者方可。
【読み】
△祖伊反りて曰く、嗚呼、乃が罪多く參わりて上に在り。乃ち能く命を天に責めんや。參は、倉含反。○紂旣に過ちを改むるの意無し。祖伊退いて言いて曰く、爾の罪衆多にして參わり列なりて上に在り。乃ち能く其の命を天に責めんや、と。呂氏が曰く、命を天に責むるは、惟れ天と德を同じくする者方に可なり、と。

△殷之卽喪。指乃功、不無戮于爾邦。功、事也。言殷卽喪亡矣。指汝所爲之事、其能免戮於商邦乎。蘇氏曰、祖伊之諫、盡言不諱、漢唐中主所不能容者。紂雖不改、而終不怒。祖伊得全、則後世人主、有不如紂者多矣。愚讀是篇、而知周德之至也。祖伊以西伯戡黎不利於殷、故奔告於紂。意必及西伯戡黎不利於殷之語、而入以告后、出以語人、未嘗有一毫及周者。是知、周家初無利天下之心、其戡黎也、義之所當伐也。使紂遷善改過、則周將終守臣節矣。祖伊、殷之賢臣也。知周之興必不利於殷、又知殷之亡、初無與於周。故因戡黎告紂。反覆乎天命民情之可畏、而略無及周者。文武公天下之心、於是可見。
【読み】
△殷は之れ卽ち喪びん。乃の功[こと]を指すに、爾が邦に戮[ころ]さるること無くんばあらず、と。功は、事なり。言うこころは、殷は卽ち喪亡せん。汝が爲す所の事を指すに、其れ能く戮を商邦に免れんや。蘇氏が曰く、祖伊が諫めは、言を盡くして諱まず、漢唐の中の主の容るること能わざる所の者なり。紂改めずと雖も、而れども終に怒らず。祖伊全きを得れば、則ち後世の人主、紂に如かざる者の有ること多し。愚是の篇を讀みて、周の德の至れるを知んぬ。祖伊西伯の黎に戡つは殷に利あらざるを以て、故に奔りて紂に告ぐ。意うに必ず西伯の黎に戡つは殷に利あらざるの語に及んで、入りて以て后に告げ、出でて以て人に語るに、未だ嘗て一毫も周に及ぶ者有らず。是れ知んぬ、周家初めより天下を利するの心無く、其の黎に戡つは、義の當に伐つべき所なり。紂をして善に遷り過ちを改めしむるときは、則ち周將[はた]終に臣の節を守らんことを。祖伊は、殷の賢臣なり。周の興るは必ず殷に利あらざるを知り、又殷の亡ぶるは、初めより周に與ること無きを知る。故に黎に戡つに因りて紂に告ぐ。天命民情の畏る可きを反覆して、略周に及ぶ者無し。文武天下を公にするの心、是に於て見る可し。

微子 微、國名。子、爵也。微子、名啓。帝乙長子、紂之庶母兄也。微子痛殷之將亡、謀於箕子・比干。史錄其問答之語。亦誥體也。以篇首有微子二字、因以名篇。今文古文皆有。
【読み】
微子[びし] 微は、國の名。子は、爵なり。微子、名は啓。帝乙の長子、紂の庶母兄なり。微子殷の將に亡びんとするを痛んで、箕子・比干に謀る。史其の問答の語を錄す。亦誥の體なり。篇の首めに微子の二字有るを以て、因りて以て篇に名づく。今文古文皆有り。

微子若曰、父師・少師、殷其弗或亂正四方。我祖厎遂、陳于上。我用沈酗于酒、用亂敗厥德于下。酗、吁句反。○父師、大師、三公箕子也。少師、孤卿比干也。弗或者、不能或如此也。亂、治也。言紂無道、無望其能治正天下也。厎、致。陳、列也。我祖成湯、致功陳列於上。而子孫沈酗于酒、敗亂其德於下。沈酗言我而不言紂者、過則歸己。猶不忍斥言之也。
【読み】
微子若[かくのごと]く曰く、父師・少師、殷其れ四方を亂[おさ]め正すこと或らず。我が祖厎し遂げて、上に陳ぬ。我れ用て酒に沈酗[ちんく]し、用て厥の德を下に亂れ敗る。酗は、吁句反。○父師は、大師、三公箕子なり。少師は、孤卿比干なり。或らずとは、此の如くなること或ること能わざるなり。亂は、治むるなり。言うこころは、紂無道にして、其れ能く天下を治め正すことを望むこと無し。厎は、致す。陳は、列ぬるなり。我が祖成湯、功を致して上に陳列す。而れども子孫酒に沈酗して、其の德を下に敗れ亂る。沈酗を我と言いて紂と言わざるは、過ちは則ち己に歸す。猶斥[さ]し言うに忍びざるなり。

△殷罔不小大好草竊姦宄。卿士師師非度。凡有辜罪、乃罔恆獲。小民方興、相爲敵讎。今殷其淪喪、若涉大水、其無津涯。殷遂喪、越至于今。殷之人民、無小無大、皆好草竊姦宄。上而卿士、亦皆相師非法、上下容隱、凡有冒法之人、無有得其罪者。小民無所畏懼、强陵弱、衆暴寡、方起讎怨、爭鬭侵奪、綱紀蕩然。淪喪之形、茫無畔崖。若涉大水無有津涯。殷之喪亡、乃至於今日乎。微子上陳祖烈、下述喪亂。哀怨痛切、言有盡而意無窮。數千載之下、猶使人傷感非憤。後世人主觀此、亦可深監矣。
【読み】
△殷小大として草竊[そうせつ]姦宄[かんき]を好まざる罔し。卿士も非度を師師とす。凡そ辜罪有るとも、乃ち恆に獲ること罔し。小民方に興りて、相敵讎と爲る。今殷其れ淪喪せんこと、大水を涉るに、其れ津涯無きが若し。殷遂に喪びんこと、越[ここ]に今に至れり、と。殷の人民、小と無く大と無く、皆草竊姦宄を好む。上にしては卿士も、亦皆非法を相師とし、上下容隱して、凡そ法を冒す人有るとも、其の罪を得る者有る無し。小民畏懼する所無くして、强は弱を陵ぎ、衆は寡を暴[おか]し、方に讎怨を起こし、爭鬭侵奪して、綱紀蕩然たり。淪喪の形は、茫として畔崖無し。大水を涉るに津涯有ること無きが若し。殷の喪亡は、乃ち今日に至らんか、と。微子上には祖烈を陳べ、下には喪亂を述ぶ。哀怨痛切、言盡くすこと有りて意窮まり無し。數千載の下、猶人をして傷感非憤せしむ。後世の人主此を觀て、亦深く監みる可し。

△曰、父師・少師、我其發出狂。吾家耄遜于荒。今爾無指告予。顚隮若之何其。出、尺類反。隮、牋西反。○曰者、微子更端之辭也。何其、語辭。言紂發出顚狂、暴虐無道、我家老成之人、皆逃遁于荒野、危亡之勢如此。今爾無所指示、告我以顚隕隮墮之事。將若之何哉。蓋微子憂危之甚、特更端以問救亂之策。言我而不言紂者、亦上章我用沈酗之義。
【読み】
△曰く、父師・少師、我れ其れ發し出だして狂す。吾が家耄荒に遜[のが]る。今爾予に指し告ぐること無し。顚隮[てんせい]之を若何にせん、と。出は、尺類反。隮は、牋西反。○曰くは、微子端を更むるの辭なり。何其は、語の辭なり。言うこころは、紂顚狂を發し出だして、暴虐無道にして、我が家老成の人、皆荒野に逃遁して、危亡の勢い此の如し。今爾指し示す所無くして、我に告ぐるに顚隕隮墜の事を以てす。將[はた]之を若何せんや、と。蓋し微子危きを憂うるの甚だしき、特に端を更めて以て亂を救うの策を問う。我と言いて紂と言わざるは、亦上の章の我れ用て沈酗すの義なり。

△父師若曰、王子、天毒降災、荒殷邦。方興沈酗于酒。此下箕子之答也。王子、微子也。自紂言之、則紂無道。故天降災。自天下言之、則紂之無道、亦天之數。箕子歸之天者、以見其忠厚敬君之意、與小旻詩言、旻天疾威、敷于下土意同。方興者、言其方興而未艾也。此答微子沈酗于酒之語。而有甚之之意。下同。
【読み】
△父師若く曰く、王子、天毒して災いを降し、殷の邦を荒[す]つ。方に興りて酒に沈酗す。此の下は箕子の答えなり。王子は、微子なり。紂より之を言わば、則ち紂は無道なり。故に天災を降す。天下より之を言わば、則ち紂の無道も、亦天の數なり。箕子之を天に歸す者は、以て其の忠厚君を敬するの意を見すこと、小旻の詩に言う、旻天疾威、下土に敷けりの意と同じ。方に興るとは、言うこころは、其れ方に興りて未だ艾[おさ]まらざるなり。此れ微子酒に沈酗すの語に答う。而して之を甚だしとするの意有り。下も同じ。

△乃罔畏畏、咈其耇長、舊有位人。乃罔畏畏者、不畏其所當畏也。孔子曰、君子有三畏。畏天命、畏大人、畏聖人之言。咈、逆也。耇長、老成之人也。紂惟不畏其所當畏。故老成舊有位者、紂皆咈逆而棄逐之。卽武王所謂播棄黎老者。此答微子發狂耄遜之語。以上文特發問端、故此先答之。
【読み】
△乃ち畏るべきを畏るること罔くして、其の耇長[こうちょう]、舊有位の人に咈[もと]る。乃ち畏るべきを畏るること罔しとは、其の當に畏るべき所を畏れざるなり。孔子曰く、君子に三畏有り。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る、と。咈[ふつ]は、逆うなり。耇長は、老成の人なり。紂惟れ其の當に畏るべき所を畏れず。故に老成舊有位の者、紂皆咈逆して之を棄逐す。卽武王の所謂黎老を播[はな]ち棄つる者なり。此れ微子の發狂耄遜の語に答う。上の文特り問いを發するの端なるを以て、故に此れ先ず之に答う。

△今殷民、乃攘竊神祇之犧牷牲、用以容將食無災。攘、如羊反。牷、音全。○色純曰犧、體完曰牷、牛羊豕曰牲。犧牷牲、祭祀天地之物。禮之最重者、猶爲商民攘竊而去。有司用相容隱、將而食之。且無災禍。豈特草竊姦宄而已哉。此答微子草竊姦宄之語。
【読み】
△今殷の民、乃ち神祇の犧牷牲[ぎせんせい]を攘竊して、用いて以て容れ將[ひき]いて食えども災い無し。攘は、如羊反。牷は、音全。○色純なるを犧と曰い、體完きを牷と曰い、牛羊豕を牲と曰う。犧牷牲は、天地を祭祀する物。禮の最も重き者なれども、猶商の民攘竊して去ることをす。有司用て相容隱して、將いて之を食う。且つ災禍無し。豈特り草竊姦宄なるのみならんや。此れ微子の草竊姦宄の語に答う。

△降監殷民、用乂讎斂。召敵讎不怠。罪合于一。多瘠罔詔。讎斂、若仇敵掊斂之也。不怠、力行而不息也。詔、告也。下視殷民、凡上所用以治之者、無非讎斂之事。夫上以讎而斂下、則下必爲敵以讎上。下之敵讎、實上之讎斂以召之。而紂方且召敵讎不怠、君臣上下、同惡相濟、合而爲一。故民多飢殍、而無所告也。此答微子小民相爲敵讎之語。
【読み】
△殷の民を降し監みるに、用いて乂[おさ]むること讎斂なり。敵讎を召くこと怠らず。罪一に合えり。多く瘠せても詔ぐること罔し。讎斂は、仇敵掊斂[ほうれん]するが若し。怠らずは、力行して息まざるなり。詔は、告ぐるなり。殷の民を下し視るに、凡そ上の用いて以て之を治むる所の者、讎斂の事に非ざる無し。夫れ上讎を以て下を斂むるときは、則ち下必ず敵と爲りて以て上に讎す。下の敵讎は、實に上の讎斂以て之を召くなり。而れども紂方に且つ敵讎を召いて怠らず、君臣上下、惡を同じくして相濟し、合わせて一とす。故に民多く飢殍[きひょう]して、告ぐる所無し。此れ微子の小民敵讎を相爲すの語に答う。

△商今其有災、我興受其敗。商其淪喪、我罔爲臣僕。詔王子、出迪。我舊云刻子。王子弗出、我乃顚隮。商今其有災、我出當其禍敗。商若淪喪、我斷無臣僕他人之理。詔、告也。告微子以去爲道。蓋商祀不可無人。微子去、則可以存商祀也。刻、害也。箕子舊以微子長且賢、勸帝乙立之。帝乙不從、卒立紂。紂必忌之。是我前日所言、適以害子。子若不去、則禍必不免、我商家宗祀、始隕墜而無所托矣。箕子自言、其義決不可去。而微子之義、決不可不去也。此答微子淪喪顚隮之語。
【読み】
△商今其れ災い有らば、我れ興[た]ちて其の敗れを受けん。商其れ淪喪せば、我れ臣僕爲ること罔けん。王子に詔ぐ、出づるは迪[みち]なり、と。我れ舊云えること子を刻[やぶ]る。王子出でずんば、我れ乃ち顚隮せん。商今其れ災い有り、我れ出でて其の禍敗に當たらん。商若し淪喪せば、我れ斷ちて他人に臣僕たるの理無けん。詔は、告ぐるなり。微子に告ぐるに去るを以て道とす。蓋し商の祀は人無くんばある可からず。微子去るときは、則ち以て商の祀を存す可し。刻は、害うなり。箕子舊微子長にして且つ賢なるを以て、帝乙に之を立つことを勸む。帝乙從わず、卒に紂を立つ。紂必ず之を忌まん。是れ我が前日言う所、適々以て子を害す。子若し去らずんば、則ち禍い必ず免れず、我が商家の宗祀、始めて隕墜して托す所無し。箕子自ら言う、其の義決して去る可からず。而れども微子の義、決して去らずんばある可からず、と。此れ微子の淪喪顚隮の語に答う。

△自靖人自獻于先王。我不顧行遯。上文旣答微子所言。至此則告以彼此去就之義。靖、安也。各安其義之所當盡、以自達其志於先王、使無愧於神明而已。如我則不復顧行遯也。按此篇、微子謀於箕子・比干、箕子答如上文、而比干獨無所言者、得非比干安於義之當死、而無復言歟。孔子曰、殷有三仁焉。三仁之行雖不同、而皆出乎天理之正、各得其心之所安。故孔子皆許之以仁。而所謂自靖者卽此也。○又按左傳、楚克許。許男面縛銜璧、衰絰輿櫬、以見楚子。楚子問諸逢伯。逢伯曰、昔武王克商、微子啓如是。武王親釋其縛、受其璧而祓之。焚其櫬、禮而命之。然則微子適周、乃在克商之後、而此所謂去者、特去其位、而逃遯於外耳。論微子之去者、當詳於是。
【読み】
△自ら靖んじて人自ら先王に獻[たてまつ]らん。我れ行き遯れんことを顧みず、と。上の文は旣に微子が言う所に答う。此に至りて則ち告ぐるに彼れ此れ去就の義を以てす。靖は、安んずるなり。各々其の義の當に盡くすべき所に安んじて、以て自ら其の志を先王に達して、神明に愧ずること無からしむるのみ。我の如きは則ち復顧みるに行き遯れざらん、と。此の篇を按ずるに、微子箕子・比干に謀り、箕子答うること上の文の如きにして、比干獨り言う所無き者は、比干義の當に死すべきに安んじて、復言うこと無きに非ざることを得んや。孔子曰く、殷に三仁に有り、と。三仁の行同じからずと雖も、而れども皆天理の正に出でて、各々其の心の安んずる所を得。故に孔子皆之を許すに仁を以てす。而して所謂自ら靖んずるとは卽ち此なり。○又左傳を按ずるに、楚許に克つ。許男面縛して璧を銜[ふく]み、衰絰[さいてつ]して櫬[ひつぎ]を輿[にな]いて、以て楚子に見ゆ。楚子諸を逢伯に問う。逢伯が曰く、昔武王商に克ちて、微子啓是の如し、と。武王親ら其の縛を釋き、其の璧を受けて之を祓う。其の櫬を焚き、禮して之に命ず。然らば則ち微子の周に適くは、乃ち商に克つの後に在りて、此に所謂去るという者は、特に其の位を去りて、外に逃げ遯るるのみ。微子の去ることを論ずる者、當に是を詳らかにすべし。

書經卷之四  蔡沉集傳

周書 周、文王國號。後武王因以爲有天下之號。書凡三十二篇。
【読み】
周書[しゅうしょ] 周は、文王の國號。後に武王因りて以て天下を有つの號とす。書は凡て三十二篇。

泰誓上 泰、大同。國語作大。武王伐殷。史錄其誓師之言。以其大會孟津、編書者因以泰誓名之。上篇未渡河作。後二篇旣渡河作。今文無、古文有。○按伏生二十八篇、本無泰誓。武帝時僞泰誓出。與伏生今文書、合爲二十九篇。孔壁書雖出、而未傳於世。故漢儒所引、皆用僞泰誓。如曰白魚入于王舟、有火復于王屋、流爲烏。太史公記周本紀、亦載其語。然僞泰誓、雖知剽竊經傳所引、而古書亦不能盡見。故後漢馬融得疑其僞、謂泰誓按其文、若淺露。吾又見書傳多矣。所引泰誓、而不在泰誓者甚多。至晉孔壁古文書行、而僞泰誓始廢。○吳氏曰、湯武皆以兵受命。然湯之辭裕、武王之辭迫。湯之數桀也恭。武之數紂也傲。學者不能無憾。疑其書之晩出、或非盡當時之本文也。
【読み】
泰誓上[たいせいじょう] 泰は、大と同じ。國語に大に作る。武王殷を伐つ。史其の師に誓うの言を錄す。其の大いに孟津に會すというを以て、書を編む者因りて泰誓を以て之を名づく。上の篇は未だ河を渡らざるときに作る。後の二篇は旣に河を渡りて作る。今文無し、古文有り。○伏生二十八篇を按ずるに、本泰誓無し。武帝の時に僞泰誓出づ。伏生の今文の書と、合わせて二十九篇とす。孔壁の書出づると雖も、而れども未だ世に傳わらず。故に漢儒の引く所、皆僞泰誓を用ゆ。白魚王の舟に入り、火有りて王屋を復[おお]いて、流れて烏と爲ると曰うが如し。太史公周の本紀を記すに、亦其の語を載す。然れども僞泰誓、經傳の引く所を剽竊するを知ると雖も、而れども古書も亦盡く見ること能わず。故に後漢の馬融其の僞りを疑うことを得て、謂く、泰誓其の文を按ずるに、淺露なるが若し。吾も又書傳を見ること多し。引く所の泰誓、而も泰誓に在らざる者甚だ多し、と。晉に至りて孔壁の古文の書行[もち]いられて、僞泰誓始めて廢る。○吳氏が曰く、湯武は皆兵を以て命を受く。然れども湯の辭は裕かにして、武王の辭は迫れり。湯の桀を數[せ]むるは恭し。武の紂を數むるは傲れり。學者憾み無きこと能わず。疑うらくは其の書の晩[おそ]く出づる、或は盡くは當時の本文に非ざらん、と。

惟十有三年春、大會于孟津。十三年者、武王卽位之十三年也。春者、孟春建寅之月也。孟津、見禹貢。○按漢孔氏言、虞芮質成、爲文王受命改元之年。凡九年而文王崩、武王立。二年而觀兵。三年而伐紂。合爲十有三年。此皆惑於僞書泰誓之文、而誤解九年大統未集、與夫觀政于商之語也。古者人君卽位、則稱元年、以計其在位之久近、常事也。自秦惠文始改十四年、爲後元年、漢文帝亦改十七年、爲後元年、自後說春秋、因以元年爲重。歐陽氏曰、果重事歟。西伯卽位、已改元年。中閒不宜改元而又改元。至武王卽位、宜改元而反不改元。乃上冒先君之元年、幷其居喪稱十一年。及其滅商、而得天下。其事大於聽訟遠矣。而又不改元。由是言之、謂文王受命改元、武王冒文王之元年者皆妄也。歐陽氏之辨、極爲明著。但其曰十一年者、亦惑於書序十一年之誤也。詳見序篇。又按漢孔氏以春爲建子之月。蓋謂三代改正朔、必改月數。改月數、必以其正爲四時之首。序言一月戊午。旣以一月爲建子之月、而經又係之以春。故遂以建子之月爲春。夫改正朔不改月數、於太甲辨之詳矣。而四時改易、尤爲無藝。冬不可以爲春、寒不可以爲暖、固不待辨而明也。或曰、鄭氏箋詩、維暮之春、亦言周之季春、於夏爲孟春。曰、此漢儒承襲之誤耳。且臣工詩言、維暮之春、亦又何求。如何新畬。於皇來牟、將受厥明。蓋言暮春、則當治其新畬矣。今如何哉。然牟麥。將熟可以受上帝之明賜。夫牟麥將熟則建辰之月、夏正季春審矣。鄭氏於詩、且不得其義。則其攷之固不審也。不然、則商以季冬爲春、周以仲冬爲春、四時反逆、皆不得其正。豈三代聖人奉天之政乎。
【読み】
惟十有三年の春、大いに孟津に會す。十三年は、武王位に卽くの十三年なり。春は、孟春建寅の月なり。孟津は、禹貢に見えたり。○按ずるに漢の孔氏が言く、虞芮質[たい]らぎ成るを、文王受命改元の年とせり。凡そ九年にして文王崩じ、武王立つ。二年にして兵を觀す。三年にして紂を伐つ。合わせて十有三年爲り、と。此れ皆僞書泰誓の文に惑いて、誤りて九年大統未だ集[な]らずと、夫の政を商に觀るとの語を解すればなり。古は人君位に卽くときは、則ち元年と稱して、以て其の在位の久近を計るは、常の事なり。秦の惠文始めて十四年を改めて、後の元年とするより、漢の文帝も亦十七年を改めて、後の元年とし、自後春秋を說くに、因りて元年を以て重しとす、と。歐陽氏が曰く、果たして重き事ならんか。西伯位に卽いて、已に元年を改む。中閒宜しく元を改むべからずして又元を改む。武王位に卽くに至りて、宜しく元を改むべくして反って元を改めず。乃ち上先君の元年を冒し、其の喪に居ることを幷せて十一年と稱す。其の商を滅ぼすに及んで、天下を得。其の事訟を聽くより大なること遠し。而して又元を改めず。是に由りて之を言わば、謂ゆる文王命を受けて元を改め、武王文王の元年を冒す者は皆妄なり、と。歐陽氏の辨、極めて明著とす。但其れ十一年と曰うは、亦書の序の十一年の誤りに惑えり。詳らかに序の篇に見えたり。又按ずるに漢の孔氏春を以て建子の月とす。蓋し謂ゆる三代正朔を改むるに、必ず月數を改む、と。月數を改むれば、必ず其の正を以て四時の首めとす。序に言う、一月戊午[つちのえ・うま]、と。旣に一月を以て建子の月と爲して、經も又之を係くるに春を以てす。故に遂に建子の月を以て春とす。夫れ正朔を改めて月數を改めざること、太甲に於て之を辨ずること詳らかなり。而れども四時改め易うること、尤も藝無しとす。冬は以て春とす可からず、寒きは以て暖かきとす可からざること、固に辨を待たずして明らかなり。或ひと曰く、鄭氏の箋詩に、維れ暮の春、亦言く、周の季春は、夏に於て孟春爲り、と。曰く、此れ漢儒承襲の誤りなるのみ、と。且つ臣工詩に言く、維れ暮の春、亦又何をか求めん。新畬[しんよ]を如何せん。於[ああ]皇[よ]いかな來牟、將に厥の明[たもまの]を受けんとせんや、と。蓋し言うこころは、暮春なるときは、則ち當に其の新畬を治むべし。今如何せんや。然も牟麥將に熟さんとす。以て上帝の明賜を受く可し。夫れ牟麥將に熟さんとするときは則ち建辰の月、夏正の季春なること審らかなり。鄭氏詩に於て、且つ其の義を得ず。則ち其の之を攷[かんが]うること固に審らかならず。然らずんば、則ち商は季冬を以て春とし、周は仲冬を以て春とし、四時反逆して、皆其の正を得ず。豈三代の聖人天を奉るの政ならんや。

△王曰、嗟我友邦冢君、越我御事・庶士、明聽誓。王曰者、史臣追稱之也。友邦、親之也。冢君、尊之也。越、及也。御事、治事者。庶士、衆士也。告以伐商之意、且欲其聽之審也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]我が友邦の冢君、越[およ]び我が御事・庶士、明らかに誓いを聽け。王曰くとは、史臣追って之を稱するなり。友邦は、之を親しむなり。冢君は、之を尊ぶなり。越は、及びなり。御事は、事を治むる者なり。庶士は、衆士なり。告ぐるに商を伐つの意を以てして、且つ其の之を聽くことの審らかならんことを欲するなり。

△惟天地萬物父母。惟人萬物之靈。亶聰明作元后。元后作民父母。亶、誠實無妄之謂。言聰明出於天性然也。大哉乾元、萬物資始。至哉坤元、萬物資生。天地者、萬物之父母也。萬物之生、惟人得其秀而靈。具四端備萬善、知覺獨異於物。而聖人又得其最秀、而最靈者。天性聰明、無待勉强、其知先知、其覺先覺。首出庶物。故能爲大君於天下、而天下之疲癃殘疾得其生、鰥寡孤獨得其養、舉萬民之衆、無一而不得其所焉、則元后者、又所以爲民之父母也。夫天地生物而厚於人。天地生人而厚於聖人。其所以厚於聖人者、亦惟欲其君長乎民、而推天地父母斯民之心而已。天之爲民如此、則任元后之責者、可不知所以作民父母之義乎。商紂失君民之道。故武王發此。是雖一時誓師之言、而實萬世人君之所當體念也。
【読み】
△惟れ天地は萬物の父母なり。惟れ人は萬物の靈なり。亶[まこと]ありて聰明なるは元后作り。元后は民の父母作り。亶は、誠實無妄の謂なり。言うこころは、聰明の天性に出づること然り。大いなるかな乾元、萬物資りて始む。至れるかな坤元、萬物資りて生ず。天地は、萬物の父母なり。萬物の生ずる、惟人のみ其の秀を得て靈なり。四端を具え萬善を備えて、知覺獨り物に異なり。而も聖人は又其の最も秀を得て、最も靈なる者なり。天性聰明にして、勉强を待つこと無くして、其の知先ず知り、其の覺先ず覺る。首めとして庶物を出づ。故に能く天下に大君と爲りて、天下の疲癃[ひりゅう]殘疾其の生を得、鰥寡[かんか]孤獨其の養を得、萬民の衆を舉げて、一つとして其の所を得ざること無きときは、則ち元后は、又民の父母爲る所以なり。夫れ天地物を生じて人に厚し。天地人を生じて聖人に厚し。其れ聖人に厚き所以の者は、亦惟其れ民に君長として、天地斯の民に父母たるの心を推さしめんと欲するのみ。天の民の爲にすること此の如きときは、則ち元后の責に任ずる者、民の父母作る所以の義を知らざる可けんや。商紂民に君たるの道を失う。故に武王此に發る。是れ一時師に誓うの言と雖も、而れども實に萬世人君の當に體念すべき所なり。

△今商王受、弗敬上天、降災下民。受、紂名也。言紂慢天虐民、不知所以作民父母也。慢天虐民之實、卽下文所云也。
【読み】
△今商王受、上天を敬わず、災いを下民に降せり。受は、紂の名なり。言うこころは、紂天を慢り民を虐して、民の父母作る所以を知らざるなり。天を慢り民を虐するの實は、卽ち下の文に云う所なり。

△沈湎冒色、敢行暴虐。罪人以族、官人以世。惟宮室臺榭、陂池侈服、以殘害于爾萬姓。焚炙忠良、刳剔孕婦。皇天震怒、命我文考、肅將天威。大勳未集。湎、彌袞反。陂、班縻反。刳、空胡反。○沈湎、溺於酒也。冒色、冒亂女色也。族、親族也。一人有罪、刑及親族也。世、子弟也。官使不擇賢才、惟因父兄、而寵任子弟也。土高曰臺、有木曰榭、澤障曰陂、停水曰池。侈、奢也。焚炙、炮烙刑之類。刳剔、割剝也。皇甫謐云、紂剖比干妻、以視其胎。未知何據。紂虐害無道如此。故皇天震怒、命我文王、敬將天威以除邪虐。大功未集而文王崩。愚謂、大勳在文王時、未嘗有意。至紂惡貫盈、武王伐之。敍文王之辭、不得不爾。學者當言外得之。
【読み】
△沈湎して色に冒[みだ]れて、敢えて暴虐を行う。人を罪するに族を以てし、人を官するに世を以てす。惟れ宮室臺榭[しゃ]、陂池侈服あり、以て爾萬姓を殘[そこな]い害[やぶ]る。忠良を焚き炙り、孕める婦を刳[さ]き剔[き]る。皇天震い怒りて、我が文考に命じて、肅[つつし]みて天威を將[おこな]う。大勳未だ集[な]らず。湎は、彌袞反。陂は、班縻反。刳[こ]は、空胡反。○沈湎は、酒に溺るるなり。冒色は、女色を冒亂するなり。族は、親族なり。一人罪有れば、刑親族に及ぶなり。世は、子弟なり。官使は賢才を擇ばず、惟れ父兄に因りて、子弟に寵任するなり。土高きを臺と曰い、木有るを榭と曰い、澤障を陂と曰い、停水を池と曰う。侈は、奢るなり。焚炙は、炮烙の刑の類。刳剔[こてき]は、割き剝[さ]くなり。皇甫謐[こうほひつ]が云う、紂比干の妻を剖[さ]いて、以て其の胎を視る、と。未だ何の據ることかを知らず。紂の虐害無道此の如し。故に皇天震い怒りて、我が文王に命じて、敬んで天威を將いて以て邪虐を除かんとす。大功未だ集らずして文王崩ず。愚謂えらく、大勳は文王の時に在りて、未だ嘗て意有らず。紂の惡貫き盈てるに至りて、武王之を伐つ。文王の辭を敍ずるに、爾らざることを得ず。學者當に言外に之を得るべし。

△肆予小子發、以爾友邦冢君、觀政于商。惟受罔有悛心。乃夷居弗事上帝・神祇、遺厥先宗廟弗祀、犧牲粢盛、旣于凶盜。乃曰、吾有民有命。罔懲其侮。悛、旦緣反。○肆、故也。觀政、猶伊尹所謂萬夫之長、可以觀政。八百諸侯、背商歸周、則商政可知。先儒以觀政爲觀兵、誤矣。悛、改也。夷、蹲踞也。武王言、故我小子、以爾諸侯之向背、觀政之失得於商。今諸侯背叛、旣已如此。而紂無有悔悟改過之心。夷踞而居、廢上帝百神宗廟之祀、犧牲粢盛、以爲祭祀之備者、皆盡于凶惡盜賊之人。卽箕子所謂攘竊神祇之犧牷牲者也。受之慢神如此。乃謂、我有民社、我有天命。而無有懲戒其侮慢之意。
【読み】
△肆[ゆえ]に予れ小子發、爾友邦の冢君を以[い]て、政を商に觀る。惟れ受悛[あらた]むる心有ること罔し。乃ち夷居して上帝・神祇に事えず、厥の先の宗廟を遺[す]てて祀らず、犧牲[ぎせい]粢盛[しせい]は、凶盜に旣[つ]きぬ。乃ち曰く、吾れ民有り命有り、と。其の侮りを懲らすこと罔し。悛は、旦緣反。○肆は、故なり。政を觀るは、猶伊尹が所謂萬夫の長、以て政を觀る可しというがごとし。八百の諸侯、商に背き周に歸せば、則ち商の政知る可し。先儒政を觀るを以て兵を觀るとするは、誤れり。悛は、改むるなり。夷は、蹲踞[そんきょ]なり。武王言く、故に我れ小子、爾諸侯の向背を以て、政の失得を商に觀る、と。今諸侯背叛すること、旣已に此の如し。而して紂悔悟し過ちを改むるの心有ること無し。夷踞して居り、上帝百神宗廟の祀を廢て、犧牲粢盛、以て祭祀の備えを爲す者、皆凶惡盜賊の人に盡くせり。卽ち箕子が所謂神祇の犧牷牲[ぎせんせい]を攘竊する者なり。受の神を慢ること此の如し。乃ち謂う、我に民社有り、我に天命有り、と。而して其の侮慢の意を懲らし戒むること有る無し。

△天佑下民、作之君、作之師。惟其克相上帝、寵綏四方。有罪無罪、予曷敢有越厥志。佑、助。寵、愛也。天助下民、爲之君以長之、爲之師以敎之。君師者、惟其能左右上帝、以寵安天下。則夫有罪之當討、無罪之當赦、我何敢有過用其心乎。言一聽於天而已。
【読み】
△天下民を佑けて、之が君と作し、之が師と作す。惟れ其れ克く上帝を相[たす]けて、四方を寵[めぐ]み綏んず。罪有るも罪無きも、予れ曷ぞ敢えて厥の志を越ゆること有らん。佑は、助く。寵は、愛むなり。天下民を助けて、之が君と爲して以て之に長たらしめ、之が師と爲して以て之に敎ゆ。君師は、惟れ其れ能く上帝を左右[たす]けて、以て天下を寵み安んず。則ち夫れ罪有るの當に討つべく、罪無きの當に赦すべき、我れ何ぞ敢えて過ぎて其の心を用ゆること有らんや、と。言うこころは、一に天に聽[まか]すのみ。

△同力度德、同德度義。受有臣億萬、惟億萬心。予有臣三千、惟一心。度、量度也。德、得也。行道有得於身也。義、宜也。制事達時之宜也。同力度德、同德度義、意古者兵志之詞。武王舉以明伐商之必克也。林氏曰、左氏襄三十一年、魯穆叔曰、年鈞擇賢、義鈞以卜。昭二十六年、王子朝曰、年鈞以德、德鈞以卜。蓋亦舉古人之語、文勢正與此同。百萬曰億。紂雖有億萬臣、而有億萬心。衆叛親離、寡助之至。力且不同。況德與義乎。
【読み】
△力を同じくするときは德を度り、德を同じくするときは義を度る。受臣億萬有り、惟れ億萬の心なり。予れ臣三千有り、惟れ一つの心なり。度は、量度なり。德は、得なり。道を行いては身に得ること有り。義は、宜なり。事を制して時の宜しきに達するなり。力を同じくするときは德を度り、德を同じくするときは義を度るとは、意うに古の兵志の詞ならん。武王舉げて以て商を伐つの必ず克たんことを明す。林氏が曰く、左氏の襄の三十一年に、魯の穆叔が曰く、年鈞しきときは賢を擇び、義鈞しきときは以て卜う、と。昭の二十六年に、王子朝して曰く、年鈞しきときは德を以てし、德鈞しきときは以て卜う、と。蓋し亦古人の語を舉ぐる、文勢正に此と同じ、と。百萬を億と曰う。紂億萬の臣有りと雖も、而れども億萬の心有り。衆叛き親離るるは、助け寡なきの至りなり。力且つ同じからず。況んや德と義とをや。

△商罪貫盈。天命誅之。予弗順天、厥罪惟鈞。貫、通。盈、滿也。言紂積惡如此。天命誅之。今不誅紂、是長惡也。其罪豈不與紂鈞乎。如律故縱者與同罪也。
【読み】
△商の罪貫き盈てり。天命じて之を誅せしむ。予れ天に順わずんば、厥の罪惟れ鈞しきか。貫は、通。盈は、滿つるなり。言うこころは、紂の積惡此の如し。天命じて之を誅せしむ。今紂を誅せずんば、是れ惡を長[ま]すなり。其の罪豈紂と鈞しからざらんや。律の如きは故[ことさら]に縱にする者は與に罪を同じくするなり。

△予小子夙夜祗懼、受命文考、類于上帝、宜于冢土。以爾有衆、厎天之罰。厎、致也。冢土、大社也。祭社曰宜。上文言縱紂不誅、則罪與紂鈞。故此言、予小子畏天之威、早夜敬懼、不敢自寧、受命于文王之廟、告于天神地祇、以爾有衆、致天之罰於商也。王制曰、天子將出、類乎上帝、宜乎社、造乎禰。受命文考、卽造乎禰也。王制以神尊卑爲序。此先言受命文考者、以伐紂之舉、天本命之文王。武王特稟文王之命、以卒其伐功而已。
【読み】
△予れ小子夙夜に祗[つつし]み懼れて、命を文考に受けて、上帝を類[まつ]り、冢土を宜[まつ]る。爾有衆を以[い]て、天の罰を厎す。厎は、致すなり。冢土は、大社なり。社を祭るを宜と曰う。上の文に言う、紂を縱にして誅せざれば、則ち罪は紂と鈞し、と。故に此に言う、予れ小子天の威を畏れて、早夜に敬み懼れて、敢えて自ら寧んぜず、命を文王の廟に受けて、天神地祇に告げて、爾有衆を以て、天の罰を商に致す、と。王制に曰く、天子將に出でんとするに、上帝に類し、社に宜し、禰に造[つ]ぐ、と。命を文考に受くとは、卽ち禰に造ぐるなり。王制には神の尊卑を以て序とす。此に先ず命を文考に受くと言うは、紂を伐つの舉を以て、天本之を文王に命ず。武王特に文王の命を稟けて、以て其の伐功を卒えるのみ。

△天矜于民。民之所欲、天必從之。爾尙弼予一人、永淸四海。時哉弗可失。天矜憐於民。民有所欲、天必從之。今民欲亡紂如此。則天意可知。爾庶幾輔我一人、除其邪穢、永淸四海。是乃天人合應之時。不可失也。
【読み】
△天民を矜[あわ]れむ。民の欲する所は、天必ず之に從う。爾尙わくは予れ一人を弼けて、永く四海を淸くせよ。時なるかな失う可からず、と。天民を矜れみ憐れむ。民欲する所有れば、天必ず之に從う。今民紂を亡ぼさんと欲すること此の如し。則ち天意知る可し。爾庶幾わくは我れ一人を輔けて、其の邪穢を除き、永く四海を淸くせよ。是れ乃ち天人合應の時なり。失う可からず、と。

泰誓中
【読み】
泰誓中[たいせいちゅう]

惟戊午、王次于河朔。羣后以師畢會。王乃徇師而誓。戊、音茂。○次、止。徇、循也。河朔、河北也。戊午、以武成考之、是二月二十八日。
【読み】
惟れ戊午[つちのえ・うま]、王河の朔[きた]に次[やど]る。羣后師を以[い]て畢[ことごと]く會す。王乃ち師を徇[めぐ]りて誓う。戊は、音茂。○次は、止まる。徇は、循るなり。河朔は、河北なり。戊午は、武成を以て之を考うるに、是れ二月二十八日なり。

△曰、嗚呼西土有衆、咸聽朕言。周都豐・鎬。其地在西。從武王渡河者、皆西方諸侯。故曰西土有衆。
【読み】
△曰く、嗚呼西土の有衆、咸朕が言を聽け。周は豐・鎬に都す。其の地西に在り。武王に從いて河を渡る者は、皆西方の諸侯なり。故に西土の有衆と曰う。

△我聞吉人爲善、惟日不足。凶人爲不善、亦惟日不足。今商王受、力行無度。播棄犂老、昵比罪人。淫酗肆虐、臣下化之、朋家作仇、脅權相滅。無辜籲天、穢德彰聞。惟日不足者、言終日爲之、而猶爲不足也。將言紂力行無度。故以古人語發之。無度者、無法度之事。播、放也。犂、黧通。黑而黃也。微子所謂耄遜于荒、是也。老成之臣、所當親近者。紂乃放棄之。罪惡之人、所當斥逐者。紂乃親比之。酗、醉怒也。肆、縱也。臣下亦化紂惡、各立朋黨、相爲仇讎、脅上權命、以相誅滅、流毒天下。無辜之人、呼天告冤、腥穢之德、顯聞于上。呂氏曰、爲善至極、則至治馨香。爲惡至極、則穢德彰聞。
【読み】
△我れ聞く、吉人善をするに、惟れ日を足らずとす。凶人不善をするに、亦惟れ日を足らずとす、と。今商王受、力め行いて度無し。犂老[りろう]を播[はな]ち棄てて、罪人を昵[むつ]み比[なつ]く。淫酗[いんく]肆虐、臣下之に化して、家に朋[むら]がりて仇を作し、脅かし權りて相滅ぼす。無辜天に籲[よ]ばいて、穢き德彰れ聞えたり。惟れ日を足らずとは、言うこころは、終日之をして、猶足らずとするなり。將に紂の力め行いて度無きを言わんとす。故に古人の語を以て之を發す。度無しとは、法度の事無し。播は、放つなり。犂は、黧[り]と通ず。黑くして黃なり。微子が所謂耄も荒に遜[のが]るとは、是れなり。老成の臣は、當に親近すべき所の者。紂乃ち之を放ち棄つ。罪惡の人は、當に斥け逐うべき所の者。紂乃ち之を親比す。酗は、醉い怒るなり。肆は、縱なり。臣下も亦紂が惡に化して、各々朋黨を立て、仇讎を相爲し、上の權命を脅して、以て相誅滅し、毒を天下に流す。無辜の人、天に呼ばいて冤を告ぎ、腥穢の德、上に顯れ聞ゆ。呂氏が曰く、善を爲すの至極は、則ち至治馨香なり。惡を爲すの至極は、則ち穢德彰れ聞ゆ、と。

△惟天惠民。惟辟奉天。有夏桀弗克若天、流毒下國。天乃佑命成湯、降黜夏命。言天惠愛斯民。君當奉承天意。昔桀不能順天、流毒下國。故天命成湯、降黜夏命。
【読み】
△惟れ天民を惠む。惟れ辟[きみ]天を奉[う]く。有夏の桀天に若[したが]うこと克わず、毒を下國に流す。天乃ち成湯を佑け命じて、夏の命を降し黜く。言うこころは、天斯の民を惠愛す。君當に天意を奉け承くべし。昔桀天に順うこと能わず、毒を下國に流す。故に天成湯に命じて、夏の命を降し黜く。

△惟受罪浮于桀。剝喪元良、賊虐諫輔。謂己有天命、謂敬不足行、謂祭無益、謂暴無傷。厥鑒惟不遠、在彼夏王。天其以予乂民。朕夢協朕卜、襲于休祥。戎商必克。浮、過。剝、落。喪、去也。古者去國爲喪。元良、微子也。諫輔、比干也。謂己有天命、如答祖尹、我生不有命在天之類。下三句、亦紂所嘗言者。鑒、視也。其所鑒視、初不在遠。有夏多罪。天旣命湯黜其命矣。今紂多罪。天其以我乂民乎。襲、重也。言我之夢、協我之卜、重有休祥之應。知伐商而必勝之也。此言天意有必克之理。
【読み】
△惟れ受が罪は桀に浮[す]ぎたり。元良を剝[おと]し喪[す]てて、諫輔を賊い虐[やぶ]る。己を天命有りと謂い、敬みを行うに足らずと謂い、祭を益無しと謂い、暴を傷ること無けんと謂う。厥の鑒惟れ遠からず、彼の夏王に在り。天其れ予を以て民を乂[おさ]めしむ。朕が夢朕が卜に協い、休祥を襲[かさ]ねたり。商に戎せば必ず克たん。浮は、過ぐ。剝は、落つ。喪は、去るなり。古は國を去るを喪とす。元良は、微子なり。諫輔は、比干なり。己天命有りと謂うは、祖尹に答うる、我が生けること命天に在ること有らざらんやの類の如し。下の三句も、亦紂が嘗て言う所の者なり。鑒は、視るなり。其の鑒視する所、初めより遠きに在らず。有夏罪多し。天旣に湯に命じて其の命を黜く。今紂罪多し。天其れ我を以て民を乂めしめんとするか、と。襲は、重ぬるなり。言うこころは、我が夢、我が卜に協い、重ねて休祥の應有り。商を伐ちて必ず之に勝たんことを知る。此れ言うこころは、天意必ず克つの理有り。

△受有憶兆夷人、離心離德。予有亂臣十人、同心同德。雖有周親、不如仁人。夷、平也。夷人、言其智識不相上下也。治亂曰亂。十人、周公旦・召公奭・太公望・畢公・榮公・太顚・閎夭・散宜生・南宮括、其一文母。孔子曰、有婦人焉。九人而已。劉侍讀以爲、子無臣母之義。蓋邑姜也。九臣治外、邑姜治内。言紂雖有夷人之多、不如周治臣之少而盡忠也。周、至也。紂雖有至親之臣、不如周仁人之賢而可恃也。此言人事有必克之理。
【読み】
△受憶兆の夷人有り、心を離ち德を離つ。予れ亂臣十人有り、心を同じくし德を同じくす。周親有りと雖も、仁人に如かず。夷は、平らなり。夷人は、言うこころは、其の智識相上下せざるなり。亂を治むるを亂と曰う。十人は、周公旦・召公奭・太公望・畢公・榮公・太顚・閎夭・散宜生・南宮括、其の一りは文母なり。孔子曰く、婦人有り、と。九人なるのみ。劉侍讀以爲えらく、子母を臣とするの義無し。蓋し邑姜ならん。九臣は外を治め、邑姜は内を治む、と。言うこころは、紂夷人の多き有りと雖も、周の治臣の少なくして忠を盡くすに如かず。周は、至るなり。紂至親の臣有りと雖も、周の仁人の賢にして恃む可きに如かず。此れ言うこころは、人事必ず克つの理有り。

△天視自我民視。天聽自我民聽。百姓有過、在予一人。今朕必往。過、廣韻責也。武王言、天之視聽、皆自乎民。今民皆有責於我謂、我不正商罪。以民心而察天意、則我之伐商、斷必往矣。蓋百姓畏紂之虐、望周之深、而責武王不卽拯己於水火也。如湯東面而征西夷怨、南面而征北狄怨之意。
【読み】
△天の視ること我が民より視る。天の聽くこと我が民より聽く。百姓過[せ]むること有り、予れ一人に在り。今朕れ必ず往かん。過は、廣韻に責む、と。武王言く、天の視聽は、皆民による。今民皆我を責むること有りて謂く、我れ商の罪を正さず、と。民の心を以て天の意を察すれば、則ち我が商を伐つこと、斷じて必ず往かん。蓋し百姓紂の虐を畏れて、周を望むこと深くして、武王卽ち己を水火より拯わざることを責むるなり。湯東面して征すれば西夷怨み、南面して征すれば北狄怨むの意の如し。

△我武惟揚、侵于之疆。取彼凶殘、我伐用張。于湯有光。揚、舉。侵、入也。凶殘、紂也。猶孟子謂之殘賊。武王弔民伐罪、於湯之心、爲益明白於天下也。自世俗觀之、武王伐湯之子孫、覆湯之宗社。謂之湯讎可也。然湯放桀武王伐紂、皆公天下爲心、非有私於己者。武之事、質之湯而無愧。湯之心、驗之武而益顯。是則伐商之舉、豈不於湯爲有光也哉。
【読み】
△我が武惟れ揚[あが]り、之が疆に侵[い]る。彼の凶殘を取りて、我が伐つこと用て張らん。湯に于[おい]て光有らん。揚は、舉ぐ。侵は、入るなり。凶殘は、紂なり。猶孟子之を殘賊と謂うがごとし。武王民を弔いて罪を伐つは、湯の心に於て、益々天下に明白なりとせん。世俗より之を觀れば、武王湯の子孫を伐ち、湯の宗社を覆す。之を湯の讎と謂わば可なり。然れども湯の桀を放ち武王の紂を伐つは、皆天下に公なるを心とし、己に私有る者に非ず。武の事は、之を湯に質して愧ずること無し。湯の心、之を武に驗して益々顯らかなり。是れ則ち商を伐つの舉、豈湯に於て光有りとせざらんや。

△勖哉夫子、罔或無畏。寧執非敵。百姓懍懍、若崩厥角。嗚呼乃一德一心、立定厥功。惟克永世。勖、勉也。夫子、將士也。勉哉將士、無或以紂爲不足畏。寧執心以爲非我所敵也。商民畏紂之虐、懍懍若崩摧其頭角然。言人心危懼如此。汝當一德一心、立定厥功、以克永世也。
【読み】
△勖[つと]めよや夫子、畏るること無きこと或る罔かれ。寧ろ執りて敵するところに非ずとせよ。百姓懍懍[りんりん]として、厥の角を崩すが若し。嗚呼乃德を一にし心を一にして、厥の功を立て定めよ。惟れ克く世を永くせん、と。勖[きょく]は、勉むるなり。夫子は、將士なり。勉めよや將士、以て紂を畏るるに足らずとすること或る無かれ。寧ろ心を執りて以て我が敵する所に非ずとせよ。商の民紂の虐を畏るること、懍懍として其の頭角を崩し摧[くじ]くが若く然り。言うこころは、人心危懼すること此の如し。汝當に德を一にし心を一にして、厥の功を立て定めて、以て克く世を永くすべし。

泰誓下
【読み】
泰誓下[たいせいげ]

時厥明、王乃大巡六師、明誓衆士。厥明、戊午之明日也。古者天子六軍、大國三軍、是時武王未備六軍。牧誓敍三卿可見。此曰六師者、史臣之詞也。
【読み】
時[こ]れ厥の明、王乃ち大いに六師を巡りて、明らかに衆士に誓う。厥の明は、戊午の明日なり。古には天子は六軍、大國は三軍、是の時に武王未だ六軍を備えず。牧誓の三卿を敍ずるを見る可し。此れ六師と曰うは、史臣の詞なり。

△王曰、嗚呼我西土君子、天有顯道、厥類惟彰。今商王受、狎侮五常、荒怠弗敬、自絕于天、結怨于民。天有至顯之理、其義類甚明。至顯之理、卽典常之理也。紂於君臣父子兄弟夫婦典常之道、褻狎侮慢、荒棄怠惰、無所敬畏。上自絕于天、下結怨于民。結怨者、非一之謂。下文自絕結怨之實也。
【読み】
△王曰く、嗚呼我が西土の君子、天に顯らかなる道有り、厥の類惟れ彰らかなり。今商王受、五常を狎れ侮り、荒[すさ]み怠りて敬まず、自ら天を絕ちて、怨みを民に結ぶ。天に至顯の理有り、其の義類甚だ明らかなり。至顯の理は、卽ち典常の理なり。紂君臣父子兄弟夫婦典常の道に於て、褻狎[せっこう]侮慢、荒棄怠惰して、敬み畏るる所無し。上は自ら天を絕ち、下は民に怨みを結ぶ、と。怨みを結ぶ者、一に非ざるの謂なり。下の文は自ら絕ちて怨みを結ぶの實なり。

△斮朝涉之脛、剖賢人之心。作威殺戮、毒痡四海。崇信姦回、放黜師保。屛棄典刑、囚奴正士。郊社不修、宗廟不享。作奇技淫巧、以悅婦人。上帝弗順、祝降時喪。爾其孜孜、奉予一人、恭行天罰。斮、側略反。痡、音鋪。○斮、斫也。孔氏曰、冬月見朝涉水者謂、其脛耐寒。斫而視之。史記云、比干强諫。紂怒曰、吾聞聖人心有七竅。遂剖比干觀其心。痡、病也。作刑威、以殺戮爲事、毒病四海之人。言其禍之所及者遠也。回、邪也。正士、箕子也。郊、所以祭天。社、所以祭地。奇技、謂奇異技能。淫巧、爲過度之巧。列女傳紂膏銅柱、下加炭令有罪者行。輒墮炭中妲己乃笑。夫欲妲己之笑、至爲炮烙之刑、則其奇技淫巧、以悅之者、宜無所不至矣。祝、斷也。言紂於姦邪、則尊信之、師保則放逐之。屛棄先王之法、囚奴中正之士、輕廢奉祀之禮、專意汚褻之行、悖亂天常。故天弗順、而斷然降是喪亡也。爾衆士其勉力不怠、奉我一人、而敬行天罰乎。
【読み】
△朝に涉るの脛を斮[き]り、賢人の心を剖[さ]く。威を作して殺戮し、四海を毒[くる]しめ痡[や]ましむ。姦回を崇び信とし、師保を放ち黜く。典刑を屛[しりぞ]け棄て、正士を囚え奴にす。郊社修めず、宗廟享けず。奇技淫巧を作して、以て婦人を悅ばしむ。上帝順わず、時[こ]の喪びを祝[た]ちて降せり。爾其れ孜孜として、予れ一人に奉[つか]えて、恭んで天の罰を行え。斮[さく]は、側略反。痡[ほ]は、音鋪。○斮は、斫[き]るなり。孔氏が曰く、冬月朝に水を涉る者を見て謂く、其の脛寒に耐えたり。斫りて之を視ん、と。史記に云う、比干强いて諫む。紂怒りて曰く、吾れ聞く、聖人の心に七竅[きょう]有り、と。遂に比干を剖きて其の心を觀る、と。痡は、病むなり。刑威を作して、殺戮を以て事とし、四海の人を毒病す。言うこころは、其の禍いの及ぶ所の者遠し。回は、邪なり。正士は、箕子なり。郊は、天を祭る所以。社は、地を祭る所以なり。奇技は、奇異技能を謂う。淫巧は、過度の巧を爲すなり。列女傳に紂銅柱に膏ぬり、下に炭を加えて罪有る者を行かしむ。輒ち炭中に墮つるときは妲己乃ち笑う。夫れ妲己の笑いを欲して、炮烙の刑を爲すに至れば、則ち其の奇技淫巧にして、以て之を悅ばしむる者、宜しく至らざる所無かるべし。祝は、斷つなり。言うこころは、紂姦邪に於ては、則ち之を尊信し、師保は則ち之を放逐す。先王の法を屛け棄て、中正の士を囚え奴にし、輕々しく奉祀の禮を廢て、意を汚褻の行に專らにし、天常を悖り亂る。故に天順わずして、斷然として是の喪亡を降せり。爾衆士其れ勉め力めて怠らず、我れ一人を奉じて、敬んで天の罰を行え、と。

△古人有言曰、撫我則后、虐我則讎。獨夫受、洪惟作威。乃汝世讎。樹德務滋、除惡務本。肆予小子、誕以爾衆士、殄殲乃讎。爾衆士、其尙迪果毅、以登乃辟。功多有厚賞。不迪有顯戮。洪、大也。獨夫、言天命已絕、人心已去。但一獨夫耳。孟子曰、殘賊之人、謂之一夫。武王引古人之言謂、撫我則我之君也。虐我則我之讎也。今獨夫受、大作威虐、以殘害于爾百姓。是乃爾之世讎也。務、專力也。植德則務其滋長。去惡則務絕根本。兩句意亦古語。喩紂爲衆惡之本、在所當去。故我小子、大以爾衆士、而殄絕殲滅汝之世讎也。迪、蹈。登、成也。殺敵爲果。致果爲毅。爾衆士其庶幾蹈行果毅、以成汝君。若功多則有厚賞。非特一爵一級而已。不迪果毅、則有顯戮。謂之顯戮、則必肆諸市朝、以示衆庶。
【読み】
△古人言えること有りて曰く、我を撫すれば則ち后なり、我を虐すれば則ち讎なり、と。獨夫受、洪[おお]いに惟れ威を作す。乃ち汝の世々の讎なり。德を樹つるは滋[ま]すことを務め、惡を除くは本を務む。肆[ゆえ]に予れ小子、誕[おお]いに爾衆士を以[い]て、乃の讎を殄[た]ち殲[つ]くす。爾衆士、其れ尙わくは果毅を迪[おこな]いて、以て乃の辟を登[な]せ。功多くば厚き賞有らん。迪わずんば顯らかなる戮[つみ]有らん。洪は、大いなり。獨夫は、言うこころは、天命已に絕え、人心已に去る。但一獨夫なるのみ。孟子曰く、殘賊の人、之を一夫と謂う、と。武王古人の言を引いて謂く、我を撫すれば則ち我が君なり。我を虐すれば則ち我が讎なり。今獨夫受、大いに威虐を作して、以て爾百姓を殘害す。是れ乃ち爾の世々の讎なり、と。務は、專力なり。德を植つるは則ち其の滋長を務む。惡を去るは則ち務めて根本を絕つ。兩句意うに亦古語ならん。紂を衆惡の本と爲して、當に去るべき所に在るに喩う。故に我れ小子、大いに爾衆士を以て、汝の世々の讎を殄絕[てんぜつ]殲滅[せんめつ]す。迪[てき]は、蹈む。登は、成すなり。敵を殺すを果とす。果を致すを毅とす。爾衆士其れ庶幾わくは果毅を蹈み行いて、以て汝の君を成せ。若し功多くば則ち厚賞有らん。特に一爵一級のみに非ず。果毅を迪わざれば、則ち顯らかなる戮有らん。之を顯戮と謂うときは、則ち必ず諸を市朝に肆[つら]ねて、以て衆庶に示さん。

△嗚呼惟我文考、若日月之照臨。光于四方、顯于西土。惟我有周、誕受多方。若日月照臨、言其德之輝光也。光于四方、言其德之遠被也。顯于西土、言其德尤著於所發之地也。文王之地、止於百里、文王之德、達于天下。多方之受、非周其誰受之。文王之德、實天命人心之所歸。故武王於誓師之末、歎息而言之。
【読み】
△嗚呼惟れ我が文考、日月の照臨するが若し。四方に光り、西土に顯らかなり。惟れ我が有周、誕[おお]いに多方を受けたり。日月の照臨するが若しとは、其の德の輝り光るを言うなり。四方に光るとは、言うこころは、其の德の遠くに被るなり。西土に顯らかとは、言うこころは、其の德尤も發する所の地に著らかなり。文王の地は、百里に止まり、文王の德は、天下に達す。多方の受くるは、周に非ずんば其れ誰か受けん。文王の德は、實に天命人心の歸する所。故に武王誓師の末に於て、歎息して之を言う。

△予克受、非予武。惟朕文考無罪。受克予、非朕文考有罪。惟予小子無良。無罪、猶言無過也。無良、猶言無善也。商周之不敵久矣。武王猶有勝負之慮。恐爲文王羞者、聖人臨事而懼也如此。
【読み】
△予れ受に克たば、予が武きに非ず。惟れ朕が文考罪無きなり。受予に克たば、朕が文考罪有るに非ず。惟れ予れ小子良きこと無きなり、と。罪無しとは、猶過[とが]無しと言うがごとし。良きこと無しとは、猶善きこと無しと言うがごとし。商周の敵せざること久し。武王猶勝負の慮り有り。文王の羞を爲すことを恐るる者、聖人事に臨みて懼るること此の如し。

牧誓 牧、地名。在朝歌南。卽今衛州治之南也。武王軍於牧野。臨戰誓衆。前旣有泰誓三篇。因以地名別之。今文古文皆有。
【読み】
牧誓[ぼくせい] 牧は、地の名。朝歌の南に在り。卽ち今の衛州治の南なり。武王牧野に軍す。戰に臨みて衆に誓う。前に旣に泰誓三篇有り。因りて地名を以て之を別つ。今文古文皆有り。

時甲子昧爽、王朝至于商郊牧野乃誓。王左杖黃鉞、右秉白旄以麾曰、逖矣西土之人。甲子、二月四日也。昧、冥。爽、明也。昧爽、將明未明之時也。鉞、斧也。以黃金爲飾。王無自用鉞之理。左杖以爲儀耳。旄、軍中指麾。白則見遠。麾非右手不能。故右秉白旄也。按武成言、癸亥陳于商郊。則癸亥之日、周師已陳牧野矣。甲子昧爽、武王始至而誓師焉。曰者、武王之言也。逖、遠也。以其行役之遠、而慰勞之也。
【読み】
時[こ]れ甲子[きのえ・ね]の昧爽に、王朝に商郊の牧野に至りて乃ち誓う。王左に黃鉞[こうえつ]を杖[つ]き、右に白旄[はくぼう]を秉りて以て麾[さしまね]いて曰く、逖[とお]いかな西土の人、と。甲子は、二月四日なり。昧は、冥[くら]い。爽は、明なり。昧爽は、將に明けんとして未だ明けざるの時なり。鉞は、斧なり。黃金を以て飾りとす。王に自ら鉞を用ゆるの理無し。左に杖いて以て儀とするのみ。旄は、軍中の指麾[しき]。白ければ則ち遠くに見ゆ。麾は右の手に非ずんば能くせず。故に右に白旄を秉るなり。按ずるに武成に言く、癸亥[みずのと・い]に商郊に陳ぬ、と。則ち癸亥の日、周の師已に牧野に陳ぬ。甲子の昧爽に、武王始めて至りて師に誓うならん。曰くは、武王の言なり。逖[てき]は、遠きなり。其の行役の遠きを以て、之を慰勞するなり。

△王曰、嗟我友邦冢君、御事司徒・司馬・司空、亞旅・師氏、千夫長・百夫長、司徒・司馬・司空、三卿也。武王是時尙爲諸侯。故未備六卿。唐孔氏曰、司徒主民、治徒庶之政令。司馬主兵、治軍旅之誓戒。司空主土、治壘壁以營軍。亞、次。旅、衆也。大國、三卿。下大夫、五人。士、二十七人。亞者、卿之貳。大夫、是也。旅者、卿之屬。士、是也。師氏、以兵守門者。猶周禮師氏。王舉則從者也。千夫長、統千人之帥。百夫長、統百人之帥也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]我が友邦の冢君、御事の司徒・司馬・司空、亞旅・師氏、千夫の長・百夫の長、司徒・司馬・司空は、三卿なり。武王是の時尙諸侯爲り。故に未だ六卿を備えず。唐の孔氏が曰く、司徒は民を主りて、徒庶の政令を治む。司馬は兵を主りて、軍旅の誓戒を治む。司空は土を主りて、壘壁を治めて以て軍を營む。亞は、次。旅は、衆なり。大國は、三卿。下大夫は、五人。士は、二十七人。亞は、卿の貳[つぎ]。大夫、是れなり。旅は、卿の屬。士、是れなり。師氏は、兵を以て門を守る者。猶周禮の師氏のごとし。王舉するときは則ち從う者なり。千夫の長は、千人の帥を統ぶ。百夫の長は、百人の帥を統ぶ。

△及庸・蜀・羌・髳・微・盧・彭・濮人、羌、驅羊反。髳、莫侯反。○左傳庸與百濮伐楚。庸・濮、在漢之南。羌、在西蜀。髳・微、在巴蜀。盧・彭、在西北。武王伐紂、不期會者八百國。今誓師獨稱八國者、蓋八國近周西都。素所服役、乃受約束以戰者。若上文所言友邦冢君、則泛指諸侯而誓者也。
【読み】
△及び庸・蜀・羌[きょう]・髳[ぼう]・微・盧・彭[ほう]・濮[ぼく]の人、羌は、驅羊反。髳は、莫侯反。○左傳に庸と百濮と楚を伐つ、と。庸・濮は、漢の南に在り。羌は、西蜀に在り。髳・微は、巴蜀に在り。盧・彭は、西北に在り。武王紂を伐つに、期せずして會する者八百國。今師に誓うに獨り八國を稱するは、蓋し八國は周の西都に近し。素より服役する所にて、乃ち約束を受けて以て戰う者なり。上の文に言う所の若き友邦の冢君は、則ち泛く諸侯を指して誓う者なり。

△稱爾戈、比爾干、立爾矛。予其誓。稱、舉。戈、戟。干、楯。矛、亦戟之屬。長二丈。唐孔氏曰、戈、短。人執以舉之。故言稱。楯、則竝以扞敵。故言比。矛、長。立之於地。故言立。器械嚴整、則士氣精明、然後能聽誓命。
【読み】
△爾の戈[か]を稱[あ]げ、爾の干を比[なら]べ、爾の矛[ぼう]を立てよ。予れ其れ誓わん、と。稱は、舉ぐ。戈は、戟[げき]。干は、楯。矛も、亦戟の屬。長さ二丈。唐の孔氏が曰く、戈は、短し。人執りて以て之を舉ぐ。故に稱と言う。楯は、則ち竝べて以て敵を扞[ふせ]ぐ。故に比と言う。矛は、長し。之を地に立つ。故に立と言う。器械嚴整なるときは、則ち士氣精明にして、然して後に能く誓命を聽く。

△王曰、古人有言曰、牝雞無晨。牝雞之晨、惟家之索。索、蕭索也。牝雞而晨、則陰陽反常。是爲妖孼。而家道索矣。將言紂惟婦言是用。故先發此。
【読み】
△王曰く、古人言えること有りて曰く、牝雞晨すること無し。牝雞の晨するは、惟れ家の索[つ]くるなり、と。索は、蕭索なり。牝雞にして晨するときは、則ち陰陽常に反す。是を妖孼とす。而して家道索くるなり。將に紂惟れ婦の言是を用ゆと言わんとす。故に先ず此を發す。

△今商王受、惟婦言是用。昏棄厥肆祀弗答、昏棄厥遺王父母弟不迪。乃惟四方之多罪逋逃是崇是長、是信是使、是以爲大夫卿士、俾暴虐于百姓、以姦宄于商邑。婦、房缶反。○肆、陳。答、報也。婦、妲己也。列女傳云、紂好酒淫樂。不離妲己。妲己所舉者貴之、所憎者誅之。惟妲己之言是用。故顚倒昏亂。祭所以報本也。紂以昏亂棄其所當陳之祭祀而不報。昆弟、先王之胤也。紂以昏亂棄其王父母弟、而不以道遇之。廢宗廟之禮、無宗族之義。乃惟四方多罪逃亡之人、尊崇而信使之、以爲大夫卿士、使暴虐于百姓、姦宄于商邑。蓋紂惑於妲己之嬖、背常亂理、遂至流毒如此也。
【読み】
△今商王受、惟れ婦の言是を用ゆ。昏くして厥の肆祀を棄てて答[むく]いず、昏くして厥の遺せる王の父母弟を棄てて迪[みち]とせず。乃ち惟れ四方の罪多き逋逃[ほとう]是を崇び是を長とし、是を信とし是を使い、是を以て大夫卿士と爲して、百姓を暴虐し、以て商邑に姦宄[かんき]せしむ。婦は、房缶反。○肆は、陳ぬる。答は、報ゆるなり。婦は、妲己なり。列女傳に云う、紂酒を好みて淫樂す。妲己を離れず。妲己舉ぐる所の者は之を貴び、憎む所の者は之を誅す、と。惟れ妲己が言是を用ゆ。故に顚倒昏亂す。祭は本を報ゆる所以なり。紂昏亂を以て其の當に陳ぬべき所の祭祀を棄てて報いず。昆弟は、先王の胤なり。紂昏亂を以て其の王の父母弟を棄てて、道を以て之を遇せず。宗廟の禮を廢て、宗族の義無し。乃ち惟れ四方の罪多き逃亡の人を、尊崇して之を信使して、以て大夫卿士と爲して、百姓を暴虐し、商邑に姦宄せしむ。蓋し紂妲己の嬖に惑うこと、常に背き理を亂り、遂に流毒此の如きに至る。

△今予發、惟恭行天之罰。今日之事、不愆于六步七步、乃止齊焉。夫子勖哉。愆、過。勖、勉也。步、進趨也。齊、齊整也。今日之戰、不過六步七步、乃止而齊。此告之以坐作進退之法。所以戒其輕進也。
【読み】
△今予れ發、惟れ恭みて天の罰を行う。今日の事、六步七步に愆[す]ぎずして、乃ち止まりて齊[ととの]えよ。夫子勖[つと]めよや。愆は、過ぐ。勖は、勉むるなり。步は、進趨なり。齊は、齊整なり。今日の戰は、六步七步に過ぎずして、乃ち止まりて齊えよ、と。此れ之に告ぐるに坐作進退の法を以てす。其の輕々しく進むを戒むる所以なり。

△不愆于四伐五伐六伐七伐、乃止齊焉。勖哉夫子。伐、擊刺也。少不下四五、多不過六七而齊。此告之以攻殺擊刺之法。所以戒其貪殺也。上言夫子勖哉、此言勖哉夫子者、反覆成文、以致其丁寧勸勉之意。下倣此。
【読み】
△四伐五伐六伐七伐に愆ぎずして、乃ち止まりて齊えよ。勖めよや夫子。伐は、擊刺なり。少なくして四五に下らず、多くして六七を過ぎずして齊えよ、と。此れ之に告ぐるに攻殺擊刺の法を以てす。其の貪殺を戒むる所以なり。上には夫子勖めよやと言い、此には勖めよや夫子と言うは、反覆して文を成して、以て其の丁寧勸勉の意を致すなり。下も此に倣え。

△尙桓桓、如虎如貔、如熊如羆、于商郊。弗迓克奔、以役西土。勖哉夫子。桓、胡官反。貔、頻脂反。○桓桓、威武貌。貔、執夷也。虎屬。欲將士如四獸之猛、而奮擊于商郊也。迓、迎也。能奔來降者、勿迎擊之、以勞役我西土之人。此勉其武勇、而戒其殺降也。
【読み】
△尙わくは桓桓として、虎の如く貔[ひ]の如く、熊の如く羆[ひ]の如く、商郊に于てせんことを。克く奔るを迓[むか]えて、以て西土を役せざれ。勖めよや夫子。桓は、胡官反。貔は、頻脂反。○桓桓は、威武の貌。貔は、執夷なり。虎の屬。將士四獸の猛きが如くして、商郊に奮擊せんことを欲するなり。迓[が]は、迎うなり。能く奔り來り降る者は、迎えて之を擊ち、以て我が西土の人を勞役せしむること勿かれ、と。此れ其の武勇を勉てて、其の降れるを殺すを戒むなり。

△爾所弗勖、其于爾躬有戮。弗勖、謂不勉於前三者。愚謂、此篇嚴肅而溫厚、與湯誓誥相表裏。眞聖人之言也。泰誓・武成、一篇之中、似非盡出於一人之口。豈獨此爲全書乎。讀者其味之。
【読み】
△爾勖めざる所あらば、其れ爾の躬に于て戮[つみ]有らん、と。勖めずとは、前の三つの者を勉めざるを謂う。愚謂えらく、此の篇の嚴肅にして溫厚なる、湯の誓誥と相表裏す。眞に聖人の言なり。泰誓・武成は、一篇の中、盡くは一人の口より出づるに非ざるに似たり。豈獨り此れ全書と爲るか。讀者其れ之を味わえ。

武成 史氏記武王往伐歸獸、祀羣神、告羣后、與其政事、共爲一書。篇中有武成二字、遂以名篇。今文無、古文有。
【読み】
武成[ぶせい] 史氏武王往いて伐ちて獸を歸し、羣神を祀り、羣后に告ぐると、其の政事とを記して、共に一書とす。篇の中に武成の二字有り、遂に以て篇に名づく。今文無し、古文有り。

惟一月壬辰、旁死魄。越翼日癸巳、王朝步自周、于征伐商。一月、建寅之月。不曰正、而曰一者、商建丑。以十二月爲正朔。故曰一月也。詳見太甲・泰誓篇。壬辰、以泰誓戊午推之、當是一月二日。死魄、朔也。二日故曰旁死魄。翼、明也。先記壬辰旁死魄、然後言癸巳伐商者、猶後世言某日、必先言某朔也。周、鎬京也。在京兆鄠縣上林。卽今長安縣昆明池北鎬陂、是也。
【読み】
惟れ一月の壬辰[みずのえ・たつ]、死魄に旁[ちか]し。越[ここ]において翼日の癸巳[みずのと・み]に、王朝に周より步[ゆ]いて、于[ここ]に商を征伐す。一月は、寅に建[さ]すの月。正と曰わずして、一と曰うは、商は丑に建す。十二月を以て正朔とす。故に一月と曰うなり。詳らかに太甲・泰誓の篇に見えたり。壬辰は、泰誓の戊午[つちのえ・うま]を以て之を推すに、當に是れ一月二日なるべし。死魄は、朔なり。二日なる故に旁死魄と曰う。翼は、明なり。先ず壬辰旁死魄と記して、然して後に癸巳に商を伐つと言うは、猶後世某の日を言うときは、必ず先ず某の朔と言うがごとし。周は、鎬京なり。京兆鄠[こ]縣上林に在り。卽ち今の長安縣昆明池の北鎬陂、是れなり。

△厥四月哉生明、王來自商、至于豐。乃偃武修文、歸馬于華山之陽、放牛于桃林之野。示天下弗服。哉、始也。始生明、月三日也。豐、文王舊都也。在京兆鄠縣。卽今長安縣西北靈臺。豐水之上、周先王廟在焉。山南曰陽。桃林、今華陰縣潼關也。樂記曰、武王勝商、渡河而西。馬散之華山之陽、而弗復乘、牛放之桃林之野、而弗復服。車甲衅而藏之府庫、倒載干戈、包以虎皮。天下知武王之不復用兵也。○此當在萬姓悅服之下。
【読み】
△厥の四月の哉[さい]生明、王商より來りて、豐に至る。乃ち武を偃[ふ]し文を修めて、馬を華山の陽[みなみ]に歸[はな]ち、牛を桃林の野に放つ。天下に服[もち]いざるを示す。哉は、始なり。始生明は、月の三日なり。豐は、文王の舊都なり。京兆鄠縣に在り。卽ち今の長安縣の西北の靈臺なり。豐水の上[ほとり]に、周の先王の廟在り。山の南を陽と曰う。桃林は、今の華陰縣潼關なり。樂記に曰く、武王商に勝ちて、河を渡りて西す。馬之を華山の陽に散じて、復乘らず、牛之を桃林の野に放ちて、復服いず。車甲衅[ちぬ]りて之を府庫に藏し、干戈を倒[さかさま]に載せ、包むに虎皮を以てす。天下武王の復兵を用いざるを知る、と。○此れ當に萬姓悅服の下に在るべし。

△丁未、祀于周廟。邦・甸・侯・衛、駿奔走執豆籩。越三日庚戌、柴望大告武成。駿、爾雅曰、速也。周廟、周祖廟也。武王以克商之事、祭告祖廟。近而邦甸、遠而侯衛、皆駿奔走執事、以助祭祀。豆、木豆。籩、竹豆。祭器也。旣告祖廟、燔柴祭天、望祀山川、以告武功之成。由近而遠、由親而疎也。○此當在百工受命于周之下。
【読み】
△丁未[ひのと・ひつじ]、周の廟を祀る。邦・甸[でん]・侯・衛、駿[と]く奔り走りて豆籩を執る。越[ここ]において三日庚戌[かのえ・いぬ]、柴望して大いに武きことの成れるを告ぐ。駿は、爾雅に曰く、速き、と。周廟は、周の祖廟なり。武王商に克つ事を以て、祭りて祖廟に告ぐ。近くしては邦甸、遠くしては侯衛、皆駿く奔り走りて事を執りて、以て祭祀を助く。豆は、木豆。籩は、竹豆。祭器なり。旣に祖廟に告げて、燔柴して天を祭り、山川を望祀して、以て武功の成れるを告ぐ。近く由りして遠く、親しき由りして疎きまでなり。○此れ當に百工受命于周の下に在るべし。

△旣生魄、庶邦冢君、曁百工、受命于周。生魄、望後也。四方諸侯及百官、皆於周受命。蓋武王新卽位、諸侯百官、皆朝見新君。所以正始也。○此當在示天下弗服之下。
【読み】
△旣に生魄、庶邦の冢君、曁[およ]び百工、命を周に受く。生魄は、望後なり。四方の諸侯及び百官、皆周に於て命を受く。蓋し武王新たに位に卽き、諸侯百官、皆新君に朝見するならん。始めを正す所以なり。○此れ當に示天下弗服の下に在るべし。

△王若曰、嗚呼羣后、惟先王建邦啓土。公劉克篤前烈。至于太王、肇基王跡。王季其勤王家。我文考文王、克成厥勳。誕膺天命、以撫方夏。大邦畏其力、小邦懷其德。惟九年大統未集。予小子、其承厥志。羣后、諸侯也。先王、后稷。武王追尊之也。后稷始封於邰。故曰建邦啓土。公劉、后稷之曾孫。史記云、能修后稷之業。太王、古公亶父也。避狄去邠居岐。邠人仁之、從之者如歸市。詩曰、居岐之陽、實始翦商。太王雖未始有翦商之志、然太王始得民心、王業之成、實基於此。王季能勤以繼其業、至於文王、克成厥功。大受天命、以撫安方夏、大邦畏其威、而不敢肆、小邦懷其德、而得自立。自爲西伯專征、而威德益著於天下。凡九年崩大統未集者、非文王之德不足以受天下。是時紂之惡未至於亡天下也。文王以安天下爲心。故予小子亦以安天下爲心。○此當在大告武成之下。
【読み】
△王若[か]く曰く、嗚呼羣后、惟れ先王邦を建て土を啓く。公劉克く前烈を篤くす。太王に至りて、肇めて王跡を基す。王季其れ王家を勤めたり。我が文考の文王、克く厥の勳を成せり。誕[おお]いに天の命に膺[あた]りて、以て方夏を撫でたり。大邦は其の力を畏れ、小邦は其の德に懷く。惟れ九年まで大統未だ集[な]らず。予れ小子、其れ厥の志を承[つ]げり。羣后は、諸侯なり。先王は、后稷。武王追って之を尊ぶなり。后稷始めて邰[たい]に封ぜらる。故に邦を建て土を啓くと曰う。公劉は、后稷の曾孫なり。史記に云う、能く后稷の業を修む、と。太王は、古公亶父なり。狄を避け邠[ひん]を去りて岐に居れり。邠人之を仁なりとして、之に從う者市に歸[おもむ]くが如し、と。詩に曰く、岐の陽[みなみ]に居り、實に始めて商を翦[た]つ、と。太王未だ始めより商を翦つの志有らずと雖も、然れども太王始めて民の心を得て、王業の成ること、實に此に基す。王季能く勤めて以て其の業を繼ぎ、文王に至りて、克く厥の功を成す。大いに天の命を受けて、以て方夏を撫安せば、大邦は其の威に畏れて、敢えて肆にせず、小邦は其の德に懷いて、自ら立つことを得。西伯爲りしより專ら征して、威德益々天下に著る。凡て九年にして崩じて大統未だ集らざる者は、文王の德以て天下を受くるに足らざるに非ず。是の時紂の惡未だ天下を亡うに至らざるなり。文王は天下を安んずるを以て心とす。故に予れ小子も亦天下を安んずるを以て心とす、と。○此れ當に大告武成の下に在るべし。

△厎商之罪、告于皇天后土、所過名山大川曰、惟有道曾孫周王發、將有大正于商。今商王受無道、暴殄天物、害虐烝民。爲天下逋逃主、萃淵藪。予小子、旣獲仁人。敢祗承上帝、以遏亂略。華夏蠻貊、罔不率俾。厎、至也。后土、社也。句龍爲后土。周禮大祝云、王過大山川、則用事焉。孔氏曰、名山、謂華。大川、謂河。蓋自豐鎬往朝歌、必道華涉河也。曰者、舉武王告神之語。有道、指其父祖而言。周王二字、史臣追增之也。正、卽湯誓不敢不正之正。萃、聚也。紂殄物害民、爲天下逋逃罪人之主、如魚之聚淵、如獸之聚藪也。仁人、孔氏曰、太公・周・召之徒。略、謀略也。俾、廣韻曰、從也。仁人旣得、則可以敬承上帝、而遏絕亂謀。内而華夏、外而蠻貊、無不率從矣。或曰、太公歸周、在文王之世。周・召、周之懿親。不可謂之獲。此蓋仁人自商而來者。愚謂、獲者得之云爾。卽泰誓之所謂仁人、非必自外來也。不然、經傳豈無傳乎。○此當在于征伐商之下。
【読み】
△商の罪を厎して、皇天后土、過ぐる所の名山大川に告して曰く、惟れ有道の曾孫周王發、將に大いに商を正すこと有らんとす。今商王受無道、天物を暴[そこな]い殄[た]ち、烝民を害い虐[やぶ]る。天下の逋逃の主と爲りて、淵藪に萃[あつ]まる。予れ小子、旣に仁人を獲たり。敢えて祗みて上帝に承けて、以て亂略を遏[とど]む。華夏蠻貊まで、率い俾[したが]わざる罔し。厎は、至るなり。后土は、社なり。句龍を后土とす。周禮の大祝に云う、王大山川を過ぐるときは、則ち事を用ゆ、と。孔氏が曰く、名山は、華を謂う。大川は、河を謂う、と。蓋し豐鎬より朝歌に往くときは、必ず華を道にし河を涉るなり。曰くとは、武王神に告ぐる語を舉ぐるなり。有道は、其の父祖を指して言う。周王の二字は、史臣追って之を增すなり。正は、卽ち湯誓に敢えて正さずんばあらずの正なり。萃は、聚まるなり。紂物を殄ち民を害いて、天下の逋逃罪人の主と爲り、魚の淵に聚まるが如く、獸の藪に聚まるが如し。仁人は、孔氏が曰く、太公・周・召が徒、と。略は、謀略なり。俾は、廣韻に曰く、從う、と。仁人旣に得ば、則ち以て敬みて上帝に承けて、亂謀を遏ち絕つ可し。内にして華夏、外にして蠻貊、率い從わざる無し。或ひと曰く、太公の周に歸するは、文王の世に在り。周・召は、周の懿親なり。之を獲と謂う可からず。此れ蓋し仁人商よりして來る者なり、と。愚謂えらく、獲は之を得と云うのみ。卽ち泰誓の所謂仁人にて、必ずしも外より來るに非ず。然らずんば、經傳に豈傳うること無けんや。○此れ當に于征伐商の下に在るべし。

△恭天成命。肆予東征、綏厥士女。惟其士女、篚厥玄黃、昭我周王。天休震動、用附我大邑周。成命、黜商之定命也。篚、竹器。玄黃、色幣也。敬奉天之定命。故我東征、安其士女。士女喜周之來、筐篚盛其玄黃之幣、明我周王之德者、是蓋天休之所震動。故民用歸附我大邑周也。或曰、玄黃、天地之色。篚厥玄黃者、明我周王有天地之德也。○此當在其承厥志之下。
【読み】
△天の成命を恭む。肆[ゆえ]に予れ東征して、厥の士女を綏んず。惟れ其の士女、厥の玄黃を篚にして、我が周王を昭らかにす。天休震動して、用て我が大邑周に附く。成命は、商を黜くの定命なり。篚は、竹器。玄黃は、色幣なり。敬みて天の定命を奉く。故に我れ東征して、其の士女を安んず。士女周の來るを喜びて、筐篚に其の玄黃の幣を盛り、我が周王の德を明らかにする者は、是れ蓋し天休の震動する所。故に民用て我が大邑周に歸附するなり。或ひと曰く、玄黃は、天地の色。厥の玄黃を篚にする者は、我が周王天地を有つの德を明らかにするなり、と。○此れ當に其承厥志の下在るべし。

△惟爾有神、尙克相予、以濟兆民、無作神羞。旣戊午、師渡孟津。癸亥、陳于商郊、俟天休命。甲子昧爽、受率其旅若林、會于牧野。罔有敵于我師。前徒倒戈、攻于後以北。血流漂杵。一戎衣、天下大定。乃反商政、政由舊。釋箕子囚、封比干墓、式商容閭。散鹿臺之財、發鉅橋之粟。大賚于四海、而萬姓悅服。散、先諫反。○休命、勝商之命也。武王頓兵商郊。雍容不迫、以待紂師之至而克之。史臣謂之俟天休命、可謂善形容者矣。若林、卽詩所謂其會如林者。紂衆雖有如林之盛、然皆無有肯敵我師之志。紂之前徒倒戈、反攻其在後之衆以走、自相屠戮、遂至血流漂杵。史臣指其實而言之。蓋紂衆離心離德、特刧於勢、而未敢動耳。一旦因武王弔伐之師、始乘機投隙、奮其怨怒、反戈相戮。其酷烈遂至如此。亦足以見紂積怨于民、若是其甚。而武王之兵、則蓋不待血刃也、此所以一被兵甲、而天下遂大定乎。乃者、繼事之辭。反紂之虐政、由商先王之舊政也。式、車前橫木。有所敬則俯而憑之。商容、商之賢人。閭、族居里門也。賚、予也。武王除殘去暴、顯忠遂良、賑窮賙乏、澤及天下、天下之人、皆心悅而誠服之。帝王世紀云、殷民言、王之於仁人也、死者猶封其墓。況生者乎。王之於賢人也、亡者猶表其閭。況存者乎。王之於財也、聚者猶散之。況其復籍之乎。唐孔氏曰、是爲悅服之事。○此當在罔不率俾之下。
【読み】
△惟れ爾神有らば、尙わくは克く予を相けて、以て兆民を濟[すく]いて、神の羞を作すこと無けん、と。旣に戊午、師孟津を渡る。癸亥、商郊に陳ねて、天の休命を俟つ。甲子の昧爽、受其の旅を率いて林の若く、牧野に會す。我が師に敵[あた]ること有る罔し。前徒戈を倒[さかしま]にし、後を攻めて以て北[に]ぐ。血流れて杵を漂わす。一たび戎衣して、天下大いに定まる。乃ち商の政を反して、政舊きに由る。箕子が囚を釋[ゆる]し、比干が墓を封じ、商容が閭に式す。鹿臺の財を散じ、鉅橋の粟を發[ひら]く。大いに四海に賚して、萬姓悅服す。散は、先諫反。○休命は、商に勝つの命なり。武王兵を商郊に頓す。雍容として迫らず、以て紂が師の至るを待ちて之に克つ。史臣之を天の休命を俟つと謂うは、善く形容する者と謂う可し。林の若しとは、卽ち詩に所謂其の會すること林の如しという者なり。紂が衆林の如きの盛んなること有りと雖も、然れども皆肯えて我が師に敵するの志有ること無し。紂が前徒は戈を倒にし、反って其の後に在るの衆を攻めて以て走り、自ら相屠戮して、遂に血流れて杵を漂わすに至る。史臣其の實を指して之を言う。蓋し紂が衆の離心離德、特に勢いに刧かされて、未だ敢えて動かざるのみ。一旦武王弔伐の師に因りて、始めて機に乘じ隙に投じて、其の怨怒を奮い、戈を反して相戮す。其の酷烈遂に此の如きに至る。亦以て紂が怨みを民に積むこと、是の若く其れ甚だしきを見るに足れり。而して武王の兵は、則ち蓋し刃に血ぬることを待たざれば、此れ一たび兵甲を被りて、天下遂に大いに定まる所以か。乃ちとは、事を繼ぐの辭なり。紂の虐政を反して、商の先王の舊政に由るなり。式は、車前の橫木。敬する所有るときは則ち俯して之に憑[よ]る。商容は、商の賢人なり。閭は、族居の里門なり。賚は、予うるなり。武王殘を除き暴を去り、忠を顯らかにして良を遂げ、窮を賑し乏を賙し、澤天下に及び、天下の人、皆心悅して誠に服す。帝王世紀に云う、殷の民言く、王の仁人に於るや、死する者も猶其の墓を封ず。況んや生ける者をや。王の賢人に於るや、亡ぶる者も猶其の閭を表す。況んや存する者をや。王の財に於るや、聚まる者も猶之を散ず。況んや其れ復之を籍せんや、と。唐の孔氏が曰く、是れ悅服の事爲り、と。○此れ當に罔不率俾の下に在るべし。

△列爵惟五、分土惟三。建官惟賢、位事惟能。重民五敎、惟食・喪・祭。惇信明義、崇德報功。垂拱而天下治。列爵惟五、公・侯・伯・子・男也。分土惟三、公侯百里、伯七十里、子男五十里之三等也。建官惟賢、不肖者不得進。位事惟能、不才者不得任。五敎、君臣・父子・夫婦・兄弟・長幼、五典之敎也。食以養生、喪以送死、祭以追遠。五敎三事、所以立人紀而厚風俗、聖人之所甚重焉者。惇、厚也。厚其信、明其義、信義立而天下無不勵之俗。有德者尊之以官、有功者報之以賞。官賞行而天下無不勸之善。夫分封有法、官使有要。五敎修而三事舉。信義立而官賞行。武王於此復何爲哉。垂衣拱手、而天下自治矣。史臣述武王政治之本末、言約而事博也如此哉。○此當在大邑周之下。而上猶有缺文。按此篇編簡錯亂、先後失序。今考正其文于後。
【読み】
△爵を列ぬること惟れ五つ、土を分かつこと惟れ三つ。官を建つること惟れ賢をし、位の事は惟れ能をす。民の五敎を重んず、惟れ食・喪・祭をさえ。信を惇くし義を明らかにし、德を崇び功を報ゆ。垂れ拱[こまね]いて天下治まる。爵を列ぬること惟れ五つとは、公・侯・伯・子・男なり。土を分かつこと惟れ三つとは、公侯は百里、伯は七十里、子男は五十里の三等なり。官を建つること惟れ賢をすとは、不肖者は進むことを得ざるなり。位の事は惟れ能をすとは、不才者は任ずることを得ざるなり。五敎は、君臣・父子・夫婦・兄弟・長幼、五典の敎えなり。食は以て生を養い、喪は以て死を送り、祭は以て遠きを追う。五敎三事は、人紀を立てて風俗を厚くする所以、聖人の甚だ重んずる所の者なり。惇は、厚きなり。其の信を厚くし、其の義を明らかにするときは、信義立ちて天下勵まざるの俗無し。德有る者は之を尊ぶに官を以てし、功有る者は之を報ゆるに賞を以てす。官賞行われて天下勸まざるの善無し。夫れ分封に法有り、官使に要有り。五敎修めて三事舉ぐ。信義立ちて官賞行わる。武王此に於て復何をかせんや。衣を垂れ手を拱いて、天下自ずから治まる。史臣の武王の政治の本末を述ぶる、言は約にして事博きこと此の如きかな。○此れ當に大邑周の下に在るべし。而して上に猶缺文有らん。按ずるに此の篇の編簡錯亂して、先後序を失う。今其の文を後に考え正す。

今考定武成
【読み】
今考え定むる武成

惟一月壬辰、旁死魄。越翼日癸巳、王朝步自周、于征伐商。
【読み】
惟れ一月の壬辰[みずのえ・たつ]、死魄に旁[ちか]し。越[ここ]において翼日の癸巳[みずのと・み]に、王朝に周より步[ゆ]いて、于[ここ]に商を征伐す。

厎商之罪、告于皇天后土、所過名山大川曰、惟有道曾孫周王發、將有大正于商。今商王受無道、暴殄天物、害虐烝民。爲天下逋逃主、萃淵藪。予小子、旣獲仁人。敢祗承上帝、以遏亂略。華夏蠻貊、罔不率俾。
【読み】
商の罪を厎して、皇天后土、過ぐる所の名山大川に告して曰く、惟れ有道の曾孫周王發、將に大いに商を正すこと有らんとす。今商王受無道、天物を暴[そこな]い殄[た]ち、烝民を害い虐[やぶ]る。天下の逋逃の主と爲りて、淵藪に萃[あつ]まる。予れ小子、旣に仁人を獲たり。敢えて祗みて上帝に承けて、以て亂略を遏[とど]む。華夏蠻貊まで、率い俾[したが]わざる罔し。

惟爾有神、尙克相予、以濟兆民、無作神羞。旣戊午、師渡孟津。癸亥、陳于商郊、俟天休命。甲子昧爽、受率其旅若林、會于牧野。罔有敵于我師。前徒倒戈、攻于後以北。血流漂杵。一戎衣、天下大定。乃反商政、政由舊。釋箕子囚、封比干墓、式商容閭。散鹿臺之財、發鉅橋之粟。大賚于四海、而萬姓悅服。
【読み】
惟れ爾神有らば、尙わくは克く予を相けて、以て兆民を濟[すく]いて、神の羞を作すこと無けん、と。旣に戊午、師孟津を渡る。癸亥、商郊に陳ねて、天の休命を俟つ。甲子の昧爽、受其の旅を率いて林の若く、牧野に會す。我が師に敵[あた]ること有る罔し。前徒戈を倒[さかしま]にし、後を攻めて以て北[に]ぐ。血流れて杵を漂わす。一たび戎衣して、天下大いに定まる。乃ち商の政を反して、政舊きに由る。箕子が囚を釋[ゆる]し、比干が墓を封じ、商容が閭に式す。鹿臺の財を散じ、鉅橋の粟を發[ひら]く。大いに四海に賚して、萬姓悅服す。

厥四月哉生明、王來自商、至于豐。乃偃武修文、歸馬于華山之陽、放牛于桃林之野。示天下弗服。
【読み】
厥の四月の哉[さい]生明、王商より來りて、豐に至る。乃ち武を偃[ふ]し文を修めて、馬を華山の陽[みなみ]に歸[はな]ち、牛を桃林の野に放つ。天下に服[もち]いざるを示す。

旣生魄、庶邦冢君、曁百工、受命于周。
【読み】
旣に生魄、庶邦の冢君、曁[およ]び百工、命を周に受く。

丁未、祀于周廟。邦・甸・侯・衛、駿奔走執豆籩。越三日庚戌、柴望大告武成。
【読み】
丁未[ひのと・ひつじ]、周の廟を祀る。邦・甸[でん]・侯・衛、駿[と]く奔り走りて豆籩を執る。越[ここ]において三日庚戌[かのえ・いぬ]、柴望して大いに武きことの成れるを告ぐ。

王若曰、嗚呼羣后、惟先王建邦啓土。公劉克篤前烈。至于太王、肇基王跡。王季其勤王家。我文考文王、克成厥勳。誕膺天命、以撫方夏。大邦畏其力、小邦懷其德。惟九年大統未集。予小子、其承厥志。
【読み】
王若[か]く曰く、嗚呼羣后、惟れ先王邦を建て土を啓く。公劉克く前烈を篤くす。太王に至りて、肇めて王跡を基す。王季其れ王家を勤めたり。我が文考の文王、克く厥の勳を成せり。誕[おお]いに天の命に膺[あた]りて、以て方夏を撫でたり。大邦は其の力を畏れ、小邦は其の德に懷く。惟れ九年まで大統未だ集[な]らず。予れ小子、其れ厥の志を承[つ]げり。

恭天成命。肆予東征、綏厥士女。惟其士女、篚厥玄黃、昭我周王。天休震動、用附我大邑周。
【読み】
天の成命を恭む。肆[ゆえ]に予れ東征して、厥の士女を綏んず。惟れ其の士女、厥の玄黃を篚にして、我が周王を昭らかにす。天休震動して、用て我が大邑周に附く、と。

列爵惟五、分土惟三。建官惟賢、位事惟能。重民五敎、惟食・喪・祭。惇信明義、崇德報功。垂拱而天下治。
【読み】
爵を列ぬること惟れ五つ、土を分かつこと惟れ三つ。官を建つること惟れ賢をし、位の事惟れ能をす。民の五敎を重んず、惟れ食・喪・祭をさえ。信を惇くし義を明らかにし、德を崇び功を報ゆ。垂れ拱[こまね]いて天下治まる。

按劉氏・王氏・程子、皆有改正次序、今參考定讀如此。大略集諸家所長。獨四月・生魄・丁未・庚戌一節、今以上文及漢志日辰推之、其序當如此耳。疑先儒以王若曰、宜繫受命于周之下。故以生魄在丁未・庚戌之後。蓋不知生魄之日、諸侯百工雖來請命、而武王以未祭祖宗、未告天地、未敢發命。故且命以助祭。乃以丁未・庚戌、祀于郊廟、大告武功之成、而後始告諸侯。上下之交、神人之序、固如此也。劉氏謂、予小子其承厥志之下、當有缺文。以今考之、固所宜有。而程子從恭天成命以下三十四字、屬于其下、則已得其一節、而用附我大邑周之下。劉氏所謂缺文、猶當有十數語也。蓋武王革命之初、撫有區夏、宜有退託之辭、以示不敢遽當天命、而求助於諸侯、且以致其交相警勑之意、略如湯誥之文。不應但止自序其功而已也。列爵惟五以下、又史官之詞、非武王之語。讀者詳之。
【読み】
按ずるに劉氏・王氏・程子、皆次序を改め正すこと有り、今參考とし定め讀むこと此の如し。大略諸家の長とする所を集む。獨り四月・生魄・丁未・庚戌の一節は、今上の文及び漢志の日辰を以て之を推すに、其の序は當に此の如くなるべきのみ。疑うらくは先儒王若曰を以て、宜しく受命于周の下に繫ぐべし、と。故に生魄を以て丁未・庚戌の後に在り。蓋し知らず、生魄の日、諸侯百工來りて命を請くと雖も、而れども武王未だ祖宗を祭らず、未だ天地に告げざるを以て、未だ敢えて命を發せず。故に且つ命じて以て祭を助けしむ。乃ち丁未・庚戌を以て、郊廟を祀り、大いに武功の成れるを告して、而して後に始めて諸侯に告ぐ。上下の交わり、神人の序、固に此の如けん。劉氏が謂く、予小子其承厥志の下に、當に缺文有るべし、と。今を以て之を考うるに、固に宜しく有るべき所なり。而れども程子が恭天成命以下の三十四字に從いて、其の下に屬くるときは、則ち已に其の一節を得て、用て我大邑周の下に附す。劉氏が所謂缺文は、猶當に十數語有るべし。蓋し武王命を革むるの初め、區夏を撫有するに、宜しく退託の辭有るべくして、以て敢えて遽に天命に當たらずして、助けを諸侯に求むることを示し、且つ以て其の交々相警め勑[いまし]むるの意を致すこと、略湯誥の文の如し。但に自ら其の功を序ずるに止まる應からざるのみ。列爵惟五以下は、又史官の詞にて、武王の語に非ず。讀者之を詳らかにせよ。

洪範 漢志曰、禹治洪水、錫洛書。法而陳之。洪範是也。史記武王克殷、訪問箕子以天道。箕子以洪範陳之。按篇内、曰而曰汝者、箕子告武王之辭。意洪範發之於禹。箕子推衍增益以成篇歟。今文古文皆有。
【読み】
洪範[こうはん] 漢志に曰く、禹洪水を治めて、洛書を錫う。法りて之を陳ぬ。洪範是れなり。史記に武王殷に克ちて、箕子に訪い問うに天道を以てす。箕子洪範を以て之を陳ぬ。篇の内を按ずるに、而と曰い汝と曰う者は、箕子武王に告ぐるの辭なり。意うに洪範は之を禹に發す。箕子推衍增益して以て篇を成すか。今文古文皆有り。

惟十有三祀、王訪于箕子。商曰祀、周曰年。此曰祀者、因箕子之辭也。箕子嘗言、商其淪喪、我罔爲臣僕。史記亦載、箕子陳洪範之後、武王封于朝鮮、而不臣也。蓋箕子不可臣、武王亦遂其志、而不臣之也。訪、就而問之也。箕、國名。子、爵也。○蘇氏曰、箕子之不臣周也、而曷爲爲武王陳洪範也。天以是道畀之禹、傳至於我。不可使自我而絕。以武王而不傳、則天下無可傳者矣。故爲箕子之道者、傳道則可。仕則不可。
【読み】
惟れ十有三祀に、王箕子に訪う。商には祀と曰い、周には年と曰う。此れ祀と曰うは、箕子の辭に因るなり。箕子嘗て言う、商其れ淪喪せば、我れ臣僕爲ること罔けん、と。史記に亦載す、箕子洪範を陳ぬるの後、武王朝鮮に封じて、臣とせず、と。蓋し箕子は臣たる可からず、武王も亦其の志を遂げて、之を臣とせざるなり。訪は、就いて之を問うなり。箕は、國の名。子は、爵なり。○蘇氏が曰く、箕子が周に臣たらず、而も曷爲れぞ武王の爲に洪範を陳ぬるや。天是の道を以て之を禹に畀[あた]え、傳えて我に至る。我よりして絕やしむ可からず。武王を以て傳えずんば、則ち天下に傳う可き者無し、と。故に箕子が道を爲むる者は、道を傳うるは則ち可なり。仕うるは則ち不可なり。

△王乃言曰、嗚呼箕子、惟天陰騭下民、相協厥居。我不知其彝倫攸敍。騭、職日反。相、去聲。○乃言者、難辭。重其問也。箕子稱舊邑爵者、方歸自商、未新封爵也。騭、定。協、合。彝、常。倫、理也。所謂秉彝人倫也。武王之問蓋曰、天於冥冥之中、默有以安定其民、輔相保合其居止、而我不知其彝倫之所以敍者如何也。
【読み】
△王乃ち言いて曰く、嗚呼箕子、惟れ天陰[くら]きより下民を騭[さだ]めて、厥の居を相[たす]け協えり。我れ其彝倫の敍たる攸を知らず、と。騭[しつ]は、職日反。相は、去聲。○乃ち言うとは、難ずる辭。其の問いを重んずるなり。箕子舊邑の爵を稱するは、方に商より歸して、未だ新たに封爵せざればなり。騭は、定む。協は、合う。彝は、常。倫は、理なり。所謂秉彝は人倫なり。武王の問いは蓋し曰く、天冥冥の中に於て、默して以て其の民を安んじ定め、輔け相けて其の居止を保ち合わすこと有りて、我れ其の彝倫の敍たる所以の者如何というを知らず、と。

△箕子乃言曰、我聞在昔鯀陻洪水、汨陳其五行。帝乃震怒、不畀洪範九疇。彝倫攸斁。鯀則殛死、禹乃嗣興。天乃錫禹洪範九疇。彝倫攸敍。陻、音因。汨、音骨。斁、音妬。○乃言者、重其答也。陻、塞。汨、亂。陳、列。畀、與。洪、大。範、法。疇、類。斁、敗。錫、賜也。帝以主宰言、天以理言也。洪範九疇、治天下之大法、其類有九。卽下文初一至次九者。箕子之答蓋曰、洪範九疇原出於天。鯀逆水性、汨陳五行。故帝震怒、不以與之。此彝倫之所以敗也。禹順水之性、地平天成。故天出書于洛。禹別之以爲洪範九疇。此彝倫之所以敍也。彝倫之敍、卽九疇之所敘者也。○按孔氏曰、天與禹神龜。負文而出。列於背有數至九。禹遂因而第之、以成九類。易言、河出圖、洛出書。聖人則之。蓋治水功成、洛龜呈瑞。如簫韻奏而鳳儀。春秋作而麟至、亦其理也。世傳戴九履一、左三右七、二四爲肩、六八爲足。則洛書之數也。
【読み】
△箕子乃ち言いて曰く、我れ聞く在昔[むかし]鯀洪水を陻[ふさ]いで、其の五行を陳ぬるを汨[みだ]る。帝乃ち震怒して、洪範九疇を畀[あた]えず。彝倫の斁[やぶ]れたる攸なり。鯀をば則ち殛[つみ]し死[ころ]し、禹をば乃ち嗣ぎ興[た]たしむ。天乃ち禹に洪範九疇を錫う。彝倫の敍たる攸なり。陻[いん]は、音因。汨は、音骨。斁[と]は、音妬。○乃ち言うとは、其の答えを重んずるなり。陻は、塞ぐ。汨は、亂る。陳は、列ぬる。畀は、與う。洪は、大い。範は、法。疇は、類。斁は、敗る。錫は、賜うなり。帝は主宰を以て言い、天は理を以て言うなり。洪範九疇は、天下を治むるの大法、其の類は九つ有り。卽ち下の文初めの一より次の九に至る者なり。箕子の答えは蓋し曰う、洪範九疇は原天より出づ。鯀水性に逆いて、五行を陳ぬるを汨る。故に帝震怒して、以て之に與えず。此れ彝倫の敗れたる所以なり。禹水の性に順いて、地平らぎ天成る。故に天書を洛に出だす。禹之を別ちて以て洪範九疇とす。此れ彝倫の敍たる所以なり、と。彝倫の敍は、卽ち九疇の敘ずる所の者なり。○按ずるに孔氏が曰く、天禹に神龜を與う。文を負いて出づ。背に列ぬるに數有りて九に至る。禹遂に因りて之を第[つい]で、以て九類を成す、と。易に言う、河圖を出だず、洛書を出だす。聖人之に則る、と。蓋し水を治むるの功成りて、洛龜瑞を呈す。簫韻奏じて鳳儀するが如し。春秋作りて麟至るも、亦其の理なり。世に傳う、九を戴き一を履み、左は三右は七、二四は肩と爲り、六八は足と爲る、と。則ち洛書の數なり。

△初一曰、五行。次二曰、敬用五事。次三曰、農用八政。次四曰、協用五紀。次五曰、建用皇極。次六曰、乂用三德。次七曰、明用稽疑。次八曰、念用庶徵。次九曰、嚮用五福、威用六極。此九疇之綱也。在天惟五行、在人惟五事。以五事參五行。天人合矣。八政者、人之所以因乎天。五紀者、天之所以示乎人。皇極者、君之所以建極也。三德者、治之所以應變也。稽疑者、以人而聽於天也。庶徵者、推天而徵之人也。福極者、人感而天應也。五事曰敬、所以誠身也。八政曰農、所以厚生也。五紀曰協、所以合天也。皇極曰建、所以立極也。三德曰乂、所以治民也。稽疑曰明、所以辨惑也。庶徵曰念、所以省驗也。五福曰嚮、所以勸也。六極曰威、所以懲也。五行不言用、無適而非用也。皇極不言數、非可以數明也。本之以五行、敬之以五事、厚之以八政、協之以五紀、皇極之所以建也。乂之以三德、明之以稽疑、驗之以庶徵、勸懲之以福極、皇極之所以行也。人君治天下之法、是孰有加於此哉。
【読み】
△初めの一に曰く、五行。次の二に曰く、敬むに五事を用ゆ。次の三に曰く、農に八政を用ゆ。次の四に曰く、協うるに五紀を用ゆ。次の五に曰く、建つるに皇極を用ゆ。次の六に曰く、乂[おさ]むるに三德を用ゆ。次の七に曰く、明らかにするに稽疑を用ゆ。次の八に曰く、念うに庶徵を用ゆ。次の九に曰く、嚮[たっと]ぶるに五福を用い、威すに六極を用ゆ。此れ九疇の綱なり。天に在りては惟れ五行、人に在りては惟れ五事。五事を以て五行に參ゆ。天人合うなり。八政は、人の天に因る所以。五紀は、天の人に示す所以。皇極は、君の極を建つる所以なり。三德は、治の變に應ずる所以なり。稽疑は、人を以てして天に聽くなり。庶徵は、天を推して之を人に徵[しる]すなり。福極は、人感じて天應ずるなり。五事に敬を曰うは、身を誠にする所以なり。八政に農を曰うは、生を厚くする所以なり。五紀に協を曰うは、天に合する所以なり。皇極に建を曰うは、極を立つる所以なり。三德に乂を曰うは、民を治むる所以なり。稽疑に明を曰うは、惑いを辨ずる所以なり。庶徵に念を曰うは、省み驗[かえり]みる所以なり。五福に嚮を曰うは、勸むる所以なり。六極に威を曰うは、懲らす所以なり。五行に用を言わざるは、適くとして用に非ざること無し。皇極に數を言わざるは、數を以て明かす可きに非ざるなり。之を本づくるに五行を以てし、之を敬むに五事を以てし、之を厚くするに八政を以てし、之を協うるに五紀を以てするは、皇極の建つる所以なり。之を乂むるに三德を以てし、之を明らかにするに稽疑を以てし、之を驗みるに庶徵を以てし、之を勸懲するに福極を以てするは、皇極の行わるる所以なり。人君天下を治むるの法、是れ孰か此に加うこと有らんや。

△一五行。一曰水、二曰火、三曰木、四曰金、五曰土。水曰潤下、火曰炎上、木曰曲直、金曰從革、土爰稼穡。潤下作鹹、炎上作苦、曲直作酸、從革作辛、稼穡作甘。此下九疇之目也。水・火・木・金・土者、五行之生序也。天一生水、地二生火、天三生木、地四生金、天五生土。唐孔氏曰、萬物成形、以微著爲漸。五行先後、亦以微著爲次。五行之體、水最微爲一、火漸著爲二、木形實爲三、金體固爲四、土質大爲五。潤下・炎上・曲直・從革、以性言也。稼穡、以德言也。潤下者、潤而又下也。炎上者、炎而又上也。曲直者、曲而又直也。從革者、從而又革也。稼穡者、稼而又穡也。稼穡獨以德言者、土兼五行、無正位。無成性、而其生之德、莫盛於稼穡。故以稼穡言也。稼穡不可以爲性也。故不曰曰而曰爰。爰、於也。於是稼穡而已。非所以名也。作、爲也。鹹・苦・酸・辛・甘者、五行之味也。五行有聲色氣味、而獨言味者、以其切於民用也。
【読み】
△一には五行。一に曰く水、二に曰く火、三に曰く木、四に曰く金、五に曰く土。水を潤下と曰い、火を炎上と曰い、木を曲直と曰い、金を從革と曰い、土は爰に稼穡あり。潤下は鹹[しおから]きを作し、炎上は苦きを作し、曲直は酸きを作し、從革は辛きを作し、稼穡は甘きを作す。此より下は九疇の目なり。水・火・木・金・土は、五行の生れる序なり。天一水を生し、地二火を生し、天三木を生し、地四金を生し、天五土を生す。唐の孔氏が曰く、萬物形を成すに、微著を以て漸を爲す。五行の先後も、亦微著を以て次を爲す。五行の體は、水最も微にして一と爲り、火漸く著れて二と爲り、木の形は實して三と爲り、金の體は固くして四と爲り、土の質は大いにして五と爲る、と。潤下・炎上・曲直・從革は、性を以て言う。稼穡は、德を以て言う。潤下は、潤いて又下るなり。炎上は、炎じて又上るなり。曲直は、曲りて又直きなり。從革は、從いて又革むるなり。稼穡は、稼して又穡するなり。稼穡獨り德を以て言う者は、土は五行を兼ねて、正位無し。成性無くして、其の生の德は、稼穡より盛んなるは莫し。故に稼穡を以て言えり。稼穡は以て性とす可からず。故に曰くと曰わずして爰と曰う。爰は、於てなり。是に於て稼穡するのみ。名づくる所以に非ず。作は、爲すなり。鹹・苦・酸・辛・甘は、五行の味なり。五行に聲色氣味有りて、獨り味を言うは、其の民用に切なるを以てなり。

△二五事。一曰貌、二曰言、三曰視、四曰聽、五曰思。貌曰恭、言曰從、視曰明、聽曰聰、思曰睿。恭作肅、從作乂、明作哲、聰作謀、睿作聖。睿、兪芮反。○貌・言・視・聽・思者、五事之敍也。貌、澤水也。言、揚火也。視、散木也。聽、收金也。思、通土也。亦人事發見先後之敍。人始生、則形色具矣。旣生、則聲音發矣。旣又而後能視、而後能聽、而後能思也。恭・從・明・聰・睿者、五事之德也。恭者、敬也。從者、順也。明者、無不見也。聰者、無不聞也。睿者、通乎微也。肅・乂・哲・謀・聖者、五德之用也。肅者、嚴整也。乂者、條理也。哲者、智也。謀者、度也。聖者、無不通也。
【読み】
△二には五事。一に曰く貌、二に曰く言、三に曰く視、四に曰く聽、五に曰く思。貌には恭と曰い、言には從と曰い、視には明と曰い、聽には聰と曰い、思には睿と曰う。恭は肅を作し、從は乂を作し、明は哲を作し、聰は謀を作し、睿は聖を作す。睿は、兪芮反。○貌・言・視・聽・思は、五事の敍なり。貌は、澤[うるお]える水なり。言は、揚がれる火なり。視は、散ずる木なり。聽は、收むる金なり。思は、通ずる土なり。亦人事發見先後の敍なり。人始めて生るときは、則ち形色具わる。旣に生れるときは、則ち聲音發す。旣に又而して後に能く視て、而して後に能く聽いて、而して後に能く思うなり。恭・從・明・聰・睿は、五事の德なり。恭は、敬なり。從は、順なり。明は、見ざること無きなり。聰は、聞かざること無きなり。睿は、微に通ずるなり。肅・乂・哲・謀・聖は、五德の用なり。肅は、嚴整なり。乂は、條理なり。哲は、智なり。謀は、度なり。聖は、通ぜざること無きなり。

△三八政。一曰食、二曰貨、三曰祀、四曰司空、五曰司徒、六曰司寇、七曰賓、八曰師。食者、民之所急。貨者、民之所資。故食爲首、而貨次之。食貨、所以養生也。祭祀、所以報本也。司空掌土。所以安其居也。司徒掌敎。所以成其性也。司寇掌禁。所以治其姦也。賓者、禮諸侯遠人。所以往來交際也。師者、除殘禁暴也。兵非聖人之得已。故居末也。
【読み】
△三には八政。一に曰く食、二に曰く貨、三に曰く祀、四に曰く司空、五に曰く司徒、六に曰く司寇、七に曰く賓、八に曰く師。食は、民の急にする所。貨は、民の資する所。故に食を首めとして、貨は之に次ぐ。食貨は、生を養う所以なり。祭祀は、本を報ゆる所以なり。司空は土を掌る。其の居を安んずる所以なり。司徒は敎えを掌る。其の性を成す所以なり。司寇は禁を掌る。其の姦を治むる所以なり。賓は、諸侯遠人を禮す。往來交際する所以なり。師は、殘を除き暴を禁ずるなり。兵は聖人の已むことを得るに非ず。故に末に居くなり。

△四五紀。一曰歲、二曰月、三曰日、四曰星辰、五曰曆數。歲者、序四時也。月者、定晦朔也。日者、正躔度也。星、經星緯星也。辰、日月所會十二次也。曆數者、占步之法。所以紀歲・月・日・星辰也。
【読み】
△四には五紀。一に曰く歲、二に曰く月、三に曰く日、四に曰く星辰、五に曰く曆數。歲は、四時を序ずるなり。月は、晦朔を定むるなり。日は、躔度[てんど]を正すなり。星は、經星緯星なり。辰は、日月會する所の十二次なり。曆數は、占步の法。歲・月・日・星辰を紀する所以なり。

△五皇極。皇建其有極、斂時五福、用敷錫厥庶民。惟時厥庶民、于汝極、錫汝保極。皇、君。建、立也。極、猶北極之極。至極之義、標準之名。中立而四方之所取正焉者也。言人君當盡人倫之至。語父子則極其親、而天下之爲父子者、於此取則焉。語夫婦則極其別、而天下之爲夫婦者、於此取則焉。語兄弟則極其愛、而天下爲兄弟者、於此取則焉。以至一事一物之接、一言一動之發、無不極其義理之當然、而無一毫過不及之差、則極建矣。極者、福之本。福者、極之效。極之所建、福之所集也。人君集福於上、非厚其身而已。用敷其福、以與庶民、使人人觀感而化、所謂敷錫也。當時之民、亦皆於君之極、與之保守、不敢失墜、所謂錫保也。言皇極君民、所以相與者如此也。
【読み】
△五には皇極。皇其の有極を建て、時[こ]の五福を斂め、用て厥の庶民に敷き錫う。惟れ時の厥の庶民、汝の極に于て、汝に錫えて極を保んぜん。皇は、君。建は、立つるなり。極は、猶北極の極のごとし。至極の義、標準の名。中立にして四方の正を取る所の者なり。言うこころは、人君は當に人倫の至りを盡くすべし。父子を語るときは則ち其の親を極めて、天下の父子爲る者、此に於て則を取る。夫婦を語るときは則ち其の別を極めて、天下の夫婦爲る者、此に於て則を取る。兄弟を語るときは則ち其の愛を極めて、天下の兄弟爲る者、此に於て則を取る。以て一事一物の接、一言一動の發に至るまで、其の義理の當然を極めざること無くして、一毫の過不及の差い無きときは、則ち極建つ。極は、福の本。福は、極の效。極の建つ所は、福の集まる所なり。人君の福を上に集むるは、其の身を厚くするに非ざるのみ。用て其の福を敷いて、以て庶民に與え、人人をして觀感して化せしむるは、所謂敷き錫うなり。當時の民、亦皆君の極に於て、之に與えて保んじ守りて、敢えて失墜せざるは、所謂錫え保んずるなり。言うこころは、皇極の君民、相與うる所以の者此の如し。

△凡厥庶民、無有淫朋、人無有比德、惟皇作極。淫朋、邪黨也。人、有位之人。比德、私相比附也。言庶民與有位之人、而無淫朋比德者、惟君爲之極、而使之有所取正耳。重言君不可以不建極也。
【読み】
△凡そ厥の庶民、淫朋有ること無く、人比德有ること無きは、惟れ皇極を作せばなり。淫朋は、邪黨なり。人は、位に有るの人。比德は、私に相比附するなり。言うこころは、庶民と有位の人と、而して淫朋比德無き者は、惟君之が極を爲して、之をして正を取る所有らしむるのみ。重ねて君以て極を建てずんばある可からざることを言えり。

△凡厥庶民、有猷有爲有守、汝則念之。不協于極、不罹于咎、皇則受之。而康而色、曰予攸好德、汝則錫之福。時人斯其惟皇之極。此、言庶民也。有猷、有謀慮者。有爲、有施設者。有守、有操守者。是三者、君之所當念也。念之者、不忘之也。帝念哉之念。不協于極、未合於善也。不罹于咎、不陷於惡也。未合於善、不陷於惡、所謂中人也。進之則可與爲善。棄之則流於惡。君之所當受也。受之者、不拒之也。歸斯受之之受。念之受之、隨其才、而輕重以成就之也。見於外而有安和之色、發於中而有好德之言。汝於是則錫之以福。而是人斯其惟皇之極矣。福者、爵祿之謂。或曰、錫福、卽上文斂福錫民之福、非自外來也。曰祿亦福也。上文指福之全體而言。此則爲福之一端而發。苟謂非祿之福、則於下文于其無好德、汝雖錫之福、其作汝用咎、爲不通矣。
【読み】
△凡そ厥の庶民、猷[はか]ること有りすること有り守ること有らば、汝則ち之を念え。極に協わざれども、咎に罹[かか]らざるをば、皇則ち之を受けよ。而[なんじ]康んじ而[しか]く色ありて、予が好む攸は德なりと曰わば、汝則ち之に福を錫え。時の人は斯れ其れ惟れ皇の極なり。此は、庶民を言うなり。猷ること有りとは、謀慮有る者。すること有りとは、施設有る者。守ること有りとは、操守有る者。是の三つの者は、君の當に念うべき所なり。之を念えとは、之を忘れざれとなり。帝念えやの念なり。極に協わずとは、未だ善に合わざるなり。咎に罹らずとは、惡に陷らざるなり。未だ善に合わず、惡に陷らざるは、所謂中人なり。之を進むるときは則ち與に善を爲す可し。之を棄つるときは則ち惡に流る。君の當に受くべき所なり。之を受くとは、之を拒まざるなり。歸せば斯れ之を受くの受なり。之を念い之を受け、其の才に隨いて、輕重して以て之を成就す。外に見て安和の色有り、中に發して德を好むの言有り。汝是に於て則ち之に錫うに福を以てせよ。而して是の人は斯れ其れ惟れ皇の極なり。福は、爵祿の謂。或ひと曰く、福を錫うとは、卽ち上の文の福を斂め民に錫うの福にて、外より來るに非ず。祿と曰うも亦福なり。上の文は福の全體を指して言う。此は則ち福の一端と爲して發す。苟も祿の福に非ずと謂うは、則ち下の文の其の德を好みすること無きに于て、汝之に福を錫うと雖も、其れ汝咎を用ゆると作さんというに於て、通ぜずとす、と。

△無虐煢獨、而畏高明。煢獨、庶民之至微者也。高明、有位之尊顯者也。各指其甚者而言。庶民之至微者、有善則當勸勉之。有位之尊顯者、有不善則當懲戒之。此結上章而起下章之義。
【読み】
△煢獨[けいどく]を虐[し]いること無くして、高明を畏れしめよ。煢獨は、庶民の至微なる者なり。高明は、有位の尊顯なる者なり。各々其の甚だしき者を指して言う。庶民の至微なる者、善有るときは則ち當に之を勸め勉むべし。有位の尊顯なる者、不善有るときは則ち當に之を懲戒すべし。此れ上の章を結びて下の章の義を起こすなり。

△人之有能有爲、使羞其行。而邦其昌。凡厥正人、旣富方穀。汝弗能使有好于而家、時人斯其辜。于其無好德、汝雖錫之福、其作汝用咎。此言有位者也。有能、有才智者。羞、進也。使進其行、則官使者皆賢才、而邦國昌盛矣。正人者、在官之人。如康誥所謂惟厥正人者。富、祿之也。穀、善也。在官之人、有祿可仰、然後可責其爲善。廩祿不繼、衣食不給、不能使其和好于而家、則是人將陷於罪戾矣。於其不好德之人、而與之以祿、則爲汝用咎惡之人也。此言祿以與賢、不可及惡德也。必富之而後責其善者、聖人設敎、欲中人以上皆可能也。
【読み】
△人の能くすること有りすること有るをば、其の行いを羞[すす]めしめよ。而して邦其れ昌んなり。凡そ厥の正人は、旣に富みて方に穀[よ]くせよ。汝而[なんじ]の家に好有らしむること能わずんば、時[こ]の人斯れ其れ辜[つみ]あらん。其の德を好みすること無きに于て、汝之に福を錫うと雖も、其れ汝咎を用ゆると作さん。此は有位の者を言うなり。能くすること有りとは、才智有る者なり。羞は、進むなり。其の行いを進めしむるときは、則ち官使の者皆賢才にして、邦國昌盛なり。正人は、官に在るの人。康誥に所謂惟れ厥の正人という者の如し。富は、之を祿するなり。穀は、善なり。官に在るの人、祿有りて仰ぐ可く、然して後に其の善をすることを責む可し。廩祿繼がず、衣食給せず、其をして而の家に和好せしむること能わざれば、則ち是の人將に罪戾に陷らんとす。其の德を好みせざるの人に於て、之に與うるに祿を以てするときは、則ち汝咎惡を用ゆるの人と爲るなり。此れ言うこころは、祿は以て賢に與えて、惡德に及ぼす可からず。必ず之を富まして而して後に其の善を責むる者は、聖人の敎えを設くる、中人以上は皆能くす可きことを欲してなり。

△無偏無陂、遵王之義。無有作好、遵王之道。無有作惡、遵王之路。無偏無黨、王道蕩蕩。無黨無偏、王道平平。無反無側、王道正直。會其有極、歸其有極。偏、不中也。陂、不平也。作好作惡、好惡加之意也。黨、不公也。反、倍常也。側、不正也。偏・陂・好・惡、己私之生於心也。偏・黨・反・側、己私之見於事也。王之義、王之道、王之路、皇極之所由行也。蕩蕩、廣遠也。平平、平易也。正直、不偏邪也。皇極正大之體也。遵義、遵道、遵路、會其極也。蕩蕩・平平・正直、歸其極也。會者、合而來也。歸者、來而至也。此章蓋詩之體、所以使人吟詠、而得其情性者也。夫歌詠以協其音、反復以致其意。戒之以私、而懲創其邪思、訓之以極、而感發其善性。諷詠之閒、恍然而悟、悠然而得。忘其傾斜狹小之念、達乎公平廣大之理、人欲消熄、天理流行、會極歸極、有不知其所以然而然者。其功用深切、與周禮太師敎以六詩者、同一機而尤要者也。後世此意不傳、皇極之道、其不明於天下也宜哉。
【読み】
△偏と無く陂と無く、王の義に遵え。好を作すこと有る無く、王の道に遵え。惡を作すこと有る無く、王の路に遵え。偏無く黨無きときは、王道蕩蕩たり。黨無く偏無きときは、王道平平たり。反無く側無きときは、王道正しく直し。其の有極に會いて、其の有極に歸[おもむ]く。偏は、不中なり。陂は、不平なり。好を作し惡を作すは、好惡之に加うるの意なり。黨は、不公なり。反は、常に倍[そむ]くなり。側は、正しからざるなり。偏・陂・好・惡は、己私の心に生ずるなり。偏・黨・反・側は、己私の事に見るなり。王の義、王の道、王の路は、皇極の由りて行わる所なり。蕩蕩は、廣遠なり。平平は、平易なり。正直は、偏邪ならざるなり。皇極正大の體なり。義に遵い、道に遵い、路に遵うは、其の極に會するなり。蕩蕩・平平・正直は、其の極に歸するなり。會は、合わせ來るなり。歸は、來りて至るなり。此の章は蓋し詩の體にて、人をして吟詠して、其の情性を得せしむる所以の者なり。夫れ歌詠して以て其の音に協え、反復して以て其の意を致す。之を戒むるに私を以てして、其の邪思を懲創し、之を訓ゆるに極を以てして、其の善性を感發す。諷詠の閒、恍然として悟り、悠然として得。其の傾斜狹小の念いを忘れ、公平廣大の理に達し、人欲消熄し、天理流行して、極に會し極に歸し、其の然る所以を知らずして然る者有り。其の功用深切にして、周禮の太師敎ゆるに六詩を以てする者と、同一機にして尤も要なる者なり。後世此の意傳わらず、皇極の道、其れ天下に明らかならざること宜なるかな。

△曰、皇極之敷言、是彝是訓、于帝其訓。曰、起語辭。敷言、上文敷衍之言也。言人君以極之理、而反復推衍爲言者、是天下之常理、是天下之大訓。非君之訓也。天之訓也。蓋理出乎天。言純乎天、則天之言矣。此贊敷言之妙如此。
【読み】
△曰く、皇極の敷言は、是れ彝[つね]是れ訓えにして、帝に于て其れ訓えなり。曰くは、語を起こすの辭なり。敷言は、上の文の敷衍の言なり。言うこころは、人君極の理を以て、反復推衍して言を爲す者は、是れ天下の常理なり、是れ天下の大訓なり。君の訓えに非ず。天の訓えなり。蓋し理は天より出づ。言天に純らなるときは、則ち天の言なり。此れ敷言の妙を贊すること此の如し。

△凡厥庶民、極之敷言、是訓是行、以近天子之光。曰、天子作民父母、以爲天下王。光者、道德之光華也。天子之於庶民、性一而已。庶民於極之敷言、是訓是行、則可以近天子道德之光華也。曰者、民之辭。謂之父母者、指其恩育而言。親之之意。謂之王者、指其君長而言。尊之之意。言天子恩育君長乎我者、如此其至也。言民而不言人者、舉小以見大也。
【読み】
△凡そ厥の庶民、極の敷言、是れ訓え是れ行うときは、以て天子の光に近づく。曰く、天子は民の父母作り、以て天下の王爲り、と。光は、道德の光華なり。天子の庶民に於る、性は一なるのみ。庶民の極の敷言に於る、是れ訓え是れ行うときは、則ち以て天子道德の光華に近づく可し。曰くとは、民の辭なり。之を父母と謂うは、其の恩育を指して言う。之を親とするの意なり。之を王と謂うは、其の君長を指して言う。之を尊ぶの意なり。言うこころは、天子の恩育ありて我に君長たる者、此の如く其れ至れり。民と言いて人と言わざるは、小を舉げて以て大を見すなり。

△六三德。一曰正直、二曰剛克、三曰柔克。平康正直、彊弗友剛克、燮友柔克。沈潛剛克、高明柔克。克、治。友、順。燮、和也。正直・剛・柔、三德也。正者無邪。直者無曲。剛克・柔克者、威福予奪、抑揚進退之用也。彊弗友者、彊梗弗順者也。燮友者、和柔委順者也。沈潛者、沈深潛退、不及中者也。高明者、高亢明爽、過乎中者也。蓋習俗之偏、氣稟之過者也。故平康正直、無所事乎矯拂。無爲而治是也。彊弗友剛克、以剛克剛也。燮友柔克、以柔克柔也。沈潛剛克、以剛克柔也。高明柔克、以柔克剛也。正直之用一、而剛柔之用四也。聖人撫世酬物、因時制宜。三德乂用、陽以舒之、陰以斂之。執其兩端、用其中于民。所以納天下民俗於皇極者蓋如此。
【読み】
△六には三德。一に曰く正直、二に曰く剛克、三に曰く柔克。平らかに康ければ正しく直きをし、彊くして友[したが]わざれば剛く克[おさ]め、燮[やわ]らぎ友わば柔らかに克む。沈み潛めるは剛く克め、高ぶり明らかなれば柔らかに克む。克は、治む。友は、順う。燮[しょう]は、和らぐなり。正直・剛・柔は、三德なり。正は邪無し。直は曲無し。剛克・柔克は、威福予奪、抑揚進退の用なり。彊くして友わずとは、彊梗にして順わざる者なり。燮らぎ友うとは、和柔委順なる者なり。沈み潛むとは、沈深潛退して、中に及ばざる者なり。高ぶり明らかとは、高亢明爽にして、中に過ぎたる者なり。蓋し習俗の偏、氣稟の過ぎたる者なり。故に平康は正直にして、矯拂を事とする所無し。無爲にして治むるとは是れなり。彊くして友わざれば剛く克むとは、剛を以て剛を克むるなり。燮らぎ友わば柔らかに克むとは、柔を以て柔を克むるなり。沈み潛めるは剛く克むとは、剛を以て柔を克むるなり。高ぶり明らかなれば柔らかに克むとは、柔を以て剛を克むるなり。正直の用は一つにして、剛柔の用は四つなり。聖人世を撫し物に酬ゆるは、時に因りて宜しきを制す。三德乂め用ゆること、陽以て之を舒べ、陰以て之を斂む。其の兩端を執りて、其の中を民に用ゆ。天下の民俗を皇極に納むる所以の者蓋し此の如し。

△惟辟作福、惟辟作威、惟辟玉食。臣無有作福作威玉食。福・威者、上之所以御下。玉食者、下之所以奉上也。曰惟辟者、戒其權不可下移。曰無有者、戒其臣不可上僭也。
【読み】
△惟れ辟福を作し、惟れ辟威を作し、惟れ辟玉食す。臣は福を作し威を作し玉食すること有る無し。福・威は、上の下を御する所以。玉食は、下の上に奉ずる所以なり。惟れ辟と曰うは、其の權下に移す可からざるを戒む。有る無しと曰うは、其の臣上僭す可からざるを戒むるなり。

△臣之有作福作威玉食、其害于而家、凶于而國。人用側頗僻、民用僭忒。忒、惕德反。○頗、不平也。僻、不公也。僭、踰。忒、過也。臣而僭上之權、則大夫必害于而家、諸侯必凶于而國。有位者、固側頗僻而不安其分、小民者、亦僭忒而踰越其常。甚言人臣僭上之患如此。
【読み】
△臣の福を作し威を作し玉食すること有るときは、其れ而[なんじ]の家に害あり、而の國に凶あり。人用て側頗僻にして、民用て僭忒[せんとく]す。忒は、惕德反。○頗は、不平なり。僻は、不公なり。僭は、踰ゆ。忒は、過[たが]うなり。臣として上の權を僭するときは、則ち大夫は必ず而の家に害あり、諸侯は必ず而の國に凶あり。有位の者は、固に側頗僻にして其の分に安んぜず、小民は、亦僭忒して其の常を踰越す。甚だ人臣僭上の患えを言うこと此の如し。

△七稽疑。擇建立卜筮人、乃命卜筮。稽、考也。有所疑、則卜筮以考之。龜曰卜、蓍曰筮。蓍龜者、至公無私。故能紹天之明。卜筮者、亦必至公無私、而後能傳蓍龜之意。必擇是人而建立之、然後使之卜筮也。
【読み】
△七には疑わしきを稽[かんが]う。擇びて卜筮の人を建て立てて、乃ち卜筮を命ず。稽は、考うなり。疑う所有るを、則ち卜筮して以て之を考う。龜を卜と曰い、蓍を筮と曰う。蓍龜は、至公にして私無し。故に能く天の明を紹[つ]ぐ。卜筮は、亦必ず至公にして私無くして、而して後に能く蓍龜の意を傳う。必ず是の人を擇びて之を建立して、然して後に之をして卜筮せしむるなり。

△曰雨、曰霽、曰蒙、曰驛、曰克。此卜兆也。雨者、如雨。其兆爲水。霽者、開霽。其兆爲火。蒙者、蒙昧。其兆爲木。驛者、絡驛不屬。其兆爲金。克者、交錯有相勝之意。其兆爲士。
【読み】
△曰く雨、曰く霽[せい]、曰く蒙、曰く驛、曰く克。此れ卜の兆なり。雨は、雨の如し。其の兆は水爲り。霽は、開霽。其の兆は火爲り。蒙は、蒙昧。其の兆は木爲り。驛は、絡驛して屬かず。其の兆は金爲り。克は、交錯して相勝るの意有り。其の兆は士爲り。

△曰貞、曰悔。此占卦也。内卦爲貞、外卦爲悔。左傳蠱之貞風、其悔山、是也。又有以遇卦爲貞、之卦爲悔。國語貞屯、悔豫、皆八、是也。
【読み】
△曰く貞、曰く悔。此は占卦なり。内卦を貞とし、外卦を悔とす。左傳に蠱の貞は風、其の悔は山というは、是れなり。又遇卦を以て貞とし、之卦を悔とすること有り。國語に貞は屯、悔は豫、皆八というは、是れなり。

△凡七。卜五。占用二。衍忒。凡七、雨・霽・蒙・驛・克・貞・悔也。卜五、雨・霽・蒙・驛・克也。占二、貞・悔也。衍、推。忒、過也。所以推人事之過差也。
【読み】
△凡そ七つ。卜は五つ。占は二つを用ゆ。忒[たが]えるを衍[お]す。凡そ七つとは、雨・霽・蒙・驛・克・貞・悔なり。卜は五つとは、雨・霽・蒙・驛・克なり。占は二つとは、貞・悔なり。衍は、推す。忒[とく]は、過うなり。人事の過差を推す所以なり。

△立時人作卜筮。三人占、則從二人之言。凡卜筮必立三人、以相參考。舊說卜有玉兆・瓦兆・原兆、筮有連山・歸藏・周易者非是。謂之三人、非三卜筮也。
【読み】
△時[こ]の人を立てて卜筮を作さしむ。三人占えば、則ち二人の言に從う。凡そ卜筮は必ず三人を立てて、以て相參え考う。舊說に卜に玉兆・瓦兆・原兆有り、筮に連山・歸藏・周易の者有りとは是に非ず。之を三人と謂うは、三つの卜筮に非ず。

△汝則有大疑、謀及乃心、謀及卿士、謀及庶人、謀及卜筮。汝則從、龜從、筮從、卿士從、庶民從。是之謂大同。身其康彊、子孫其逢吉。汝則從、龜從、筮從、卿士逆、庶民逆、吉。卿士從、龜從、筮從、汝則逆、庶民逆、吉。庶民從、龜從、筮從、汝則逆、卿士逆、吉。汝則從、龜從、筮逆、卿士逆、庶民逆、作内吉、作外凶。龜筮共違于人、用靜吉、用作凶。稽疑以龜筮爲重。人與龜筮皆從、是之謂大同。固吉也。人一從而龜筮不違者、亦吉。龜從筮逆、則可作内、不可作外。内謂祭祀等事。外謂征伐等事。龜筮共違、則可靜、不可作。靜謂守常。作謂動作也。然有龜從筮逆、而無筮從龜逆者、龜尤聖人所重也。故禮記大事卜、小事筮。傳謂筮短龜長是也。自夫子贊易、極著蓍卦之德。蓍重而龜書不傳云。
【読み】
△汝則ち大いなる疑い有らば、謀乃の心に及ぼし、謀卿士に及ぼし、謀庶人に及ぼし、謀卜筮に及ぼせ。汝則ち從い、龜從い、筮從い、卿士從い、庶民從う。是れ之を大同と謂う。身其れ康く彊くして、子孫其れ吉に逢わん。汝則ち從い、龜從い、筮從わば、卿士逆い、庶民逆うとも、吉。卿士從い、龜從い、筮從わば、汝則ち逆い、庶民逆うとも、吉。庶民從い、龜從い、筮從わば、汝則ち逆い、卿士逆うとも、吉。汝則ち從い、龜從い、筮逆い、卿士逆い、庶民逆わば、内に作すに吉、外に作すに凶。龜筮共に人に違わば、靜なるに用ゆるに吉、作[うご]くに用ゆるに凶。疑わしきを稽うるは龜筮を以て重しとす。人と龜筮と皆從う、是を之れ大同と謂う。固に吉なり。人一り從いて龜筮も違わざる者も、亦吉なり。龜從い筮逆うときは、則ち内に作す可く、外に作す可からず。内とは祭祀等の事を謂う。外とは征伐等の事を謂う。龜筮共に違うときは、則ち靜なる可く、作く可からず。靜とは常を守るを謂う。作とは動作を謂うなり。然れども龜從いて筮逆うこと有りて、筮從いて龜逆うこと無きは、龜は尤も聖人の重んずる所なればなり。故に禮記に大事は卜し、小事は筮す、と。傳に謂ゆる筮は短く龜は長しとは是れなり。夫子易を贊してより、極めて蓍卦の德を著す。蓍重くして龜書傳わらずと云う。

△八庶徵。曰雨、曰暘、曰燠、曰寒、曰風。曰時。五者來備、各以其敍、庶草蕃廡。徵、驗也。廡、豐茂。所驗者非一。故謂之庶徵。雨・暘・燠・寒・風、各以時至。故曰時也。備者、無鈌少也。敍者、應節候也。五者備而不失其敍、庶草且蕃廡矣、則其他可知也。雨屬水、暘屬火、燠屬木、寒屬金、風屬土。吳仁傑曰、易以坎爲水。北方之卦也。又曰、雨以潤之、則雨爲水矣。離爲火。南方之卦也。又曰、日以烜之、則暘爲火矣。小明之詩首章云、我征徂西。二月初吉。三章云、昔我往矣、日月方燠。夫以二月爲燠、則燠之爲春爲木明矣。漢志引狐突金寒之言。顏師古謂、金行在西。故謂之寒。則寒之爲秋爲金明矣。又按稽疑以雨屬水、以霽屬火。霽、暘也。則庶徵雨之爲水、暘之爲火、類例抑又甚明。蓋五行乃生數自然之敍。五事則本於五行。庶徵則本於五事。其條理次第、相爲貫通、有秩然而不可紊亂者也。
【読み】
△八には庶徵。曰く雨、曰く暘、曰く燠[いく]、曰く寒、曰く風。曰く時あり。五つの者來り備わりて、各々其の敍を以てすれば、庶草蕃廡[ばんぶ]す。徵は、驗なり。廡は、豐かに茂る。驗す所の者は一に非ず。故に之を庶徵と謂う。雨・暘・燠・寒・風、各々時を以て至る。故に時と曰うなり。備は、鈌少[けつしょう]無きなり。敍は、節候に應ずるなり。五つの者備わりて其の敍を失わず、庶草且つ蕃廡するときは、則ち其の他も知る可し。雨は水に屬し、暘は火に屬し、燠は木に屬し、寒は金に屬し、風は土に屬す。吳仁傑が曰く、易に坎を以て水とす。北方の卦なり、と。又曰く、雨以て之を潤すときは、則ち雨を水とす。離を火とす。南方の卦なり、と。又曰く、日以て之を烜[かわ]かすときは、則ち暘を火とす、と。小明の詩の首めの章に云う、我れ征いて西に徂く。二月初吉なり、と。三章に云う、昔我が往くとき、日月方に燠なり、と。夫れ二月を以て燠とするときは、則ち燠の春と爲り木と爲ること明らかなり。漢志に狐突が金は寒の言を引く。顏師古が謂く、金行西に在り。故に之を寒と謂う、と。則ち寒の秋と爲り金と爲ること明らかなり。又按ずるに稽疑に雨を以て水に屬し、霽を以て火に屬す。霽は、暘なり。則ち庶徵に雨の水爲る、暘の火爲ること、類例抑々又甚だ明らかなり。蓋し五行は乃ち生數自然の敍。五事は則ち五行に本づく。庶徵は則ち五事に本づく。其の條理次第、貫通を相爲し、秩然として紊亂す可からざる者有り。

△一極備凶。一極無凶。極備、過多也。極無、過少也。唐孔氏曰、雨多則澇。雨少則旱。是極備亦凶。極無亦凶。餘准是。
【読み】
△一つも極まり備わるときは凶。一つも極まり無きときは凶。極まり備わるは、過多なり。極まり無しは、過少なり。唐の孔氏が曰く、雨多きときは則ち澇す。雨少なきときは則ち旱す。是れ極まり備わるも亦凶。極まり無きも亦凶。餘は是に准[なぞら]う。

△曰休徵。曰肅、時雨若。曰乂、時暘若。曰哲、時燠若。曰謀、時寒若。曰聖、時風若。曰咎徵。曰狂、恆雨若。曰僭、恆暘若。曰豫、恆燠若。曰急、恆寒若。曰蒙、恆風若。狂、妄。僭、差。豫、怠。急、迫。蒙、昧也。在天爲五行、在人爲五事。五事修、則休徵各以類應之。五事失、則咎徵各以類應之。自然之理也。然必曰某事得則某休徵應、某事失則某咎徵應、則亦膠固不通、而不足與語造化之妙矣。天人之際、未易言也。失得之機、應感之微、非知道者、孰能識之哉。
【読み】
△曰く休徵。曰く肅めるときは、時に雨若[したが]う。曰く乂まるときは、時に暘若う。曰く哲なるときは、時に燠若う。曰く謀るときは、時に寒若う。曰く聖なるときは、時に風若う。曰く咎徵。曰く狂[みだ]れるときは、恆に雨若う。曰く僭[たが]うときは、恆に暘若う。曰く豫[おこた]るときは、恆に燠若う。曰く急[せま]るときは、恆に寒若う。曰く蒙[くら]きときは、恆に風若う。狂は、妄る。僭は、差う。豫は、怠る。急は、迫る。蒙は、昧きなり。天に在りては五行と爲り、人に在りては五事と爲る。五事修むるときは、則ち休徵各々類を以て之に應ず。五事失うときは、則ち咎徵各々類を以て之に應ず。自然の理なり。然れども必ず某の事得るときは則ち某の休徵應じ、某の事失うときは則ち某の咎徵應ずと曰わば、則ち亦膠固[こうこ]して通ぜず、而も與に造化の妙を語るに足らず。天人の際は、未だ言い易からざるなり。失得の機、應感の微、道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らんや。

△曰王省惟歲。卿士惟月。師尹惟日。歲・月・日、以尊卑爲徵也。王者之失得、其徵以歲。卿士之失得、其徵以月。師尹之失得、其徵以日。蓋雨・暘・燠・寒・風、五者之休咎、有係一歲之利害、有係一月之利害、有係一日之利害。各以其大小言也。
【読み】
△曰く王省みること惟れ歲をす。卿士は惟れ月をす。師尹は惟れ日をす。歲・月・日は、尊卑を以て徵を爲すなり。王者の失得は、其の徵歲を以てす。卿士の失得は、其の徵月を以てす。師尹の失得は、其の徵日を以てす。蓋し雨・暘・燠・寒・風、五つの者の休咎は、一歲の利害に係ること有り、一月の利害に係ること有り、一日の利害に係ること有り。各々其の大小を以て言うなり。

△歲・月・日時無易、百穀用成。乂用明、俊民用章、家用平康。歲・月・日三者、雨・暘・燠・寒・風不失其時、則其效如此。休徵所感也。
【読み】
△歲・月・日時に易わること無きときは、百穀用て成る。乂めて用て明らかなるときは、俊民用て章らかに、家用て平らかに康し。歲・月・日の三つ者、雨・暘・燠・寒・風其の時を失わざるときは、則ち其の效此の如し。休徵の感ずる所なり。

△日・月・歲時旣易、百穀用不成。乂用昏不明、俊民用微、家用不寧。日・月・歲三者、雨・暘・燠・寒・風旣失其時、則其害如此。咎徵所致也。休徵言歲・月・日者、總於大也。咎徵言日・月・歲者、著其小也。
【読み】
△日・月・歲時に旣に易わるときは、百穀用て成らず。乂めて用て昏くして明らかならざるときは、俊民用て微[すこ]しくして、家用て寧らかず。日・月・歲の三つ者、雨・暘・燠・寒・風旣に其の時を失うときは、則ち其の害此の如し。咎徵の致す所なり。休徵に歲・月・日を言うは、大を總ぶ。咎徵に日・月・歲を言うは、其の小を著すなり。

△庶民惟星。星有好風、星有好雨。日月之行、則有冬有夏。月之從星、則以風雨。民之麗乎土、猶星之麗乎天也。好風者箕星、好雨者畢星。漢志言、軫星亦好雨。意者星宿皆有所好也。日有中道、月有九行。中道者、黃道也。北至東井、去極近。南至牽牛、去極遠。東至角、西至婁、去極中、是也。九行者、黑道二。出黃道北。赤道二。出黃道南。白道二。出黃道西。靑道二。出黃道東。幷黃道爲九行也。日極南至于牽牛、則爲冬至。極北至于東井、則爲夏至。南北中、東至角、西至婁、則爲春秋分。月立春春分從靑道、立秋秋分從白道、立冬冬至從黑道、立夏夏至從赤道。所謂日月之行、則有冬有夏也。月行東北入于箕、則多風。月行西南入于畢、則多雨。所謂月之從星、則以風雨也。民不言省者、庶民之休咎、係乎上人之得失。故但以月之從星、以見所以從民之欲者如何爾。夫民生之衆、寒者欲衣、飢者欲食。鰥寡孤獨者之欲得其所、此王政之所先、而卿士師尹近民者之責也。然星雖有好風好雨之異、而日月之行、則有冬有夏之常。以月之常行、而從星之異好。以卿士師尹之常職、而從民之異欲、則其從民者、非所以徇民矣。言日月而不言歲者、有冬有夏、所以成歲功也。言月而不言日者、從星惟月爲可見耳。
【読み】
△庶民は惟れ星のごとし。星風を好む有り、星雨を好む有り。日月の行くときは、則ち冬有り夏有り。月の星に從うときは、則ち以て風ふき雨ふる。民の土に麗[つ]くは、猶星の天に麗くがごとし。風を好む者は箕星、雨を好む者は畢星。漢志に言く、軫星[しんせい]も亦雨を好む、と。意うに星宿には皆好む所有り。日に中道有り、月に九行有り。中道は、黃道なり。北は東井に至り、極を去ること近し。南は牽牛に至り、極を去ること遠し。東は角に至り、西は婁に至り、極を去ること中ばなりというは、是れなり。九行は、黑道二つ。黃道の北に出づ。赤道二つ。黃道の南に出づ。白道二つ。黃道の西に出づ。靑道二つ。黃道の東に出づ。黃道を幷せて九行とす。日極南牽牛に至るときは、則ち冬至爲り。極北東井に至るときは、則ち夏至爲り。南北の中ば、東は角に至り、西は婁に至るときは、則ち春秋分爲り。月立春春分には靑道に從い、立秋秋分には白道に從い、立冬冬至には黑道に從い、立夏夏至には赤道に從う。所謂日月の行くときは、則ち冬有り夏有るなり。月行東北して箕に入るときは、則ち風多し。月行西南して畢に入るときは、則ち雨多し。所謂月の星に從うときは、則ち以て風ふき雨ふるなり。民に省ることを言わざるは、庶民の休咎は、上人の得失に係る。故に但月の星に從うを以て、以て民の欲に從う所以の者如何と見るのみ。夫れ民生の衆、寒き者は衣を欲し、飢えたる者は食を欲す。鰥寡孤獨の者の其の所に得んと欲するは、此れ王政の先んずる所にして、卿士師尹民に近き者の責なり。然れども星風を好み雨を好むの異なり有りと雖も、而して日月の行は、則ち冬有り夏有るの常あり。月の常行を以て、而して星の異好に從う。卿士師尹の常職を以て、而して民の異欲に從うときは、則ち其の民に從う者、民に徇う所以に非ず。日月を言いて歲を言わざるは、冬有り夏有り、歲功を成す所以なり。月を言いて日を言わざるは、星に從うときは惟れ月見る可しとするのみ。

△九五福。一曰壽、二曰富、三曰康寧、四曰攸好德、五曰考終命。人有壽而後能享諸福。故壽先之。富者有廩祿也。康寧者、無患難也。攸好德者、樂其道也。考終命者、順受其正也。以福之急緩爲先後。
【読み】
△九には五福。一に曰く壽、二に曰く富、三に曰く康らかに寧んず、四に曰く好む攸德、五に曰く考[お]いて命を終う。人壽有りて而して後に能く諸の福を享く。故に壽之を先にす。富は廩祿有るなり。康寧は、患難無きなり。攸好德は、其の道を樂しむなり。考終命は、順にして其の正を受くるなり。福の急緩を以て先後を爲す。

△六極。一曰凶短折、二曰疾、三曰憂、四曰貧、五曰惡、六曰弱。凶者、不得其死也。短折者、橫天也。禍莫大於凶短折。故先言之。疾者、身不安也。憂者、心不寧也。貧者、用不足也。惡者、剛之過也。弱者、柔之過也。以極之重輕爲先後。五福・六極、在君則係於極之建不建、在民人則由於訓之行不行。感應之理微矣。
【読み】
△六極。一に曰く凶短折、二に曰く疾、三に曰く憂、四に曰く貧、五に曰く惡、六に曰く弱、と。凶は、其の死を得ざるなり。短折は、橫天なり。禍いは凶短折より大なるは莫し。故に先ず之を言う。疾は、身の安からざるなり。憂は、心の寧からざるなり。貧は、用の足らざるなり。惡は、剛の過ぐるなり。弱は、柔の過ぐるなり。極の重輕を以て先後を爲す。五福・六極は、君に在りては則ち極の建不建に係り、民人に在りては則ち訓えの行不行に由る。感應の理微なり。

旅獒 西旅貢獒。召公以爲非所當受。作書以戒武王。亦訓體也。因以旅獒名篇。今文無、古文有。
【読み】
旅獒[りょごう] 西旅獒を貢[たてまつ]る。召公以爲えらく、當に受くべき所に非ず、と。書を作りて以て武王を戒む。亦訓の體なり。因りて旅獒を以て篇に名づく。今文無し、古文有り。

惟克商、遂通道于九夷八蠻。西旅厎貢厥獒。太保乃作旅獒、用訓于王。獒、牛刀反。○九夷八蠻、多之稱也。職方言、四夷八蠻。爾雅言、九夷八蠻。但言其非一而已。武王克商之後、威德廣被、九州之外、蠻夷戎狄、莫不梯山航海而至。曰通道云者、蓋蠻夷來王、則道路自通。非武王有意於開四夷而斥大境土也。西旅、西方蠻夷國名。犬高四尺曰獒。按說文曰、犬知人心可使者。公羊傳曰、晉靈公欲殺趙盾。盾躇階而走。靈公呼獒而屬之。獒亦躇階而從之、則獒能曉解人意、猛而善搏人者、異於常犬、非特以其高大也。太保、召公奭也。史記云、與周同姓、姬氏。此旅獒之本序。
【読み】
惟れ商に克ちて、遂に道を九夷八蠻に通す。西旅厥の獒[ごう]を厎し貢[たてまつ]る。太保乃ち旅獒を作りて、用て王を訓ゆ。獒は、牛刀反。○九夷八蠻は、多きの稱なり。職方に言く、四夷八蠻、と。爾雅に言く、九夷八蠻、と。但其の一に非ざるを言うのみ。武王商に克つの後、威德廣く被[おお]い、九州の外、蠻夷戎狄まで、山に梯し海に航して至らざる莫し。曰く道を通すと云うは、蓋し蠻夷來王するときは、則ち道路自ずから通ず。武王四夷を開いて斥[さ]して境土を大いにする意有るに非ず。西旅は、西方蠻夷の國の名。犬の高さ四尺を獒と曰う。說文を按ずるに曰く、犬の人の心を知りて使う可き者なり、と。公羊傳に曰く、晉の靈公趙盾を殺さんと欲す。盾階を躇[こ]えて走る。靈公獒を呼びて之に屬かしむ。獒も亦階を躇えて之に從うときは、則ち獒は能く人の意を曉り解[と]いて、猛くして善く人を搏[う]つ者にて、常の犬に異なり、特に其の高大なるを以てするに非ず。太保は、召公奭なり。史記に云う、周と同姓、姬氏、と。此れ旅獒の本序なり。

△曰、嗚呼明王愼德。四夷咸賓。無有遠邇、畢獻方物。惟服食器用。謹德、蓋一篇之綱領也。方物、方土所生之物。明王謹德、四夷咸賓。其所貢獻、惟服食器用而已。言無異物也。
【読み】
△曰く、嗚呼明王德を愼む。四夷咸賓す。遠邇有る無く、畢く方物を獻る。惟れ服食器用あり。德を謹むは、蓋し一篇の綱領なり。方物は、方土生ずる所の物なり。明王德を謹んで、四夷咸賓す。其の貢獻する所は、惟れ服食器用のみ。言うこころは、異物無きなり。

△王乃昭德之致于異姓之邦、無替厥服、分寶玉于伯叔之國、時庸展親。人不易物、惟德其物。昭、示也。德之致、謂上文所貢方物也。昭示方物于異姓之諸侯、使之無廢其職、分寶玉于同姓之諸侯、使之益厚其親。如分陳以肅愼氏之矢、分魯以夏后氏之璜之類。王者以其德所致方物、分賜諸侯。故諸侯亦不敢軽易其物、而以德視其物也。
【読み】
△王乃ち德の致すことを異姓の邦に昭らかにして、厥の服[こと]を替[す]つること無からしめ、寶玉を伯叔の國に分かちて、時[こ]れ庸[もっ]て親しきを展[あつ]くす。人物を易[あなど]らず、惟れ其の物を德とす。昭は、示すなり。德の致すこととは、上の文の貢る所の方物を謂うなり。方物を異姓の諸侯に昭示して、之をして其の職を廢つること無からしめ、寶玉を同姓の諸侯に分かちて、之をして益々其の親しきを厚くせしむ。陳に分かつに肅愼氏の矢を以てし、魯に分わつに夏后氏の璜を以てするの類の如し。王者其の德の致す所の方物を以て、諸侯に分かち賜う。故に諸侯も亦敢えて其の物を軽易せずして、德を以て其の物を視るなり。

△德盛不狎侮。狎侮君子、罔以盡人心。狎侮小人、罔以盡其力。盡、子忍反。○德盛、則動容周旋皆中禮。然後能無狎侮之心。言謹德不可不極其至也。德而未至、則未免有狎侮之心。狎侮君子、則色斯舉矣。彼必高蹈遠引、望望然而去。安能盡其心。狎侮小人、雖其微賤畏威易役、然至愚而神。亦安能盡其力哉。
【読み】
△德盛んなるときは狎れ侮らず。君子を狎れ侮るときは、以て人の心を盡くすこと罔し。小人を狎れ侮るときは、以て其の力を盡くすこと罔し。盡は、子忍反。○德盛んなるときは、則ち動容周旋皆禮に中る。然して後に能く狎れ侮るの心無し。言うこころは、德を謹んで其の至りを極めずんばある可からざるなり。德にして未だ至らざるときは、則ち未だ狎れ侮るの心有るを免れず。君子を狎れ侮るときは、則ち色のままに斯れ舉す。彼必ず高く蹈み遠く引いて、望望然として去る。安んぞ能く其の心を盡くさん。小人を狎れ侮るときは、其れ微賤にして威を畏れ役し易しと雖も、然れども至愚にして神なり。亦安んぞ能く其の力を盡くさんや。

△不役耳目、百度惟貞。貞、正也。不役於耳目之所好、百爲之度、惟其正而已。
【読み】
△耳目に役[つか]われざるときは、百度惟れ貞し。貞は、正なり。於耳目の好む所に役われずんば、百之が度と爲りて、惟れ其れ正しきのみ。

△玩人喪德。玩物喪志。玩人、卽上文狎侮君子之事。玩物、卽上文不役耳目之事。德者、己之所得。志者、心之所之。
【読み】
△人を玩ぶときは德を喪う。物を玩ぶときは志を喪う。人を玩ぶとは、卽ち上の文の君子を狎れ侮るの事。物を玩ぶとは、卽ち上の文の耳目に役われざるの事なり。德は、己の得る所。志は、心の之く所なり。

△志以道寧。言以道接。道者、所當由之理也。己之志以道而寧、則不至於妄發。人之言以道而接、則不至於妄受。存乎中者、所以應乎外。制乎外者、所以養其中。古昔聖賢相授心法也。
【読み】
△志は道を以て寧し。言は道を以て接わる。道は、當に由るべき所の理なり。己の志道を以て寧きときは、則ち妄りに發するに至らず。人の言道を以て接わるときは、則ち妄りに受くるに至らず。中に存する者は、外に應ずる所以。外に制する者は、其の中を養う所以なり。古昔聖賢相授の心法なり。

△不作無益害有益、功乃成。不貴異物賤用物、民乃足。犬馬非其土性不畜、珍禽奇獸、不育于國、不寶遠物、則遠人格。所寶惟賢、則邇人安。孔氏曰、遊觀爲無益、奇巧爲異物。蘇氏曰、周穆王得白狐白鹿、而荒服因以不至。此章凡三節、至所寶惟賢、則益切至矣。
【読み】
△無益を作して有益を害せざれば、功乃ち成る。異物を貴びて用物を賤しまざれば、民乃ち足る。犬馬其の土性に非ざれば畜[か]わず、珍禽奇獸、國に育[か]わず、遠物を寶とせざれば、則ち遠人格る。寶とする所惟れ賢なれば、則ち邇人安し。孔氏が曰く、遊觀を無益とし、奇巧を異物とす、と。蘇氏が曰く、周の穆王白狐白鹿を得て、荒服因りて以て至らず、と。此の章凡て三節、寶とする所惟れ賢に至りて、則ち益々切に至れり。

△嗚呼夙夜罔或不勤。不矜細行、終累大德。爲山九仞、功虧一簣。或、猶言萬一也。呂氏曰、此卽謹德工夫。或之一字、最有意味。一暫止息、則非謹德矣。矜、矜持之矜。八尺曰仞。細行・一簣、指受獒而言也。
【読み】
△嗚呼夙夜勤めざること或る罔かれ。細行を矜[たも]たざれば、終に大德を累[わずら]わす。山を爲ること九仞、功一簣に虧く。或は、猶萬一と言うがごとし。呂氏が曰く、此れ卽ち德を謹むの工夫。或の一字は、最も意味有り。一暫も止息するときは、則ち德を謹むに非ず、と。矜は、矜持の矜。八尺を仞と曰う。細行・一簣は、獒を受くるを指して言うなり。

△允迪茲、生民保厥居、惟乃世王。信能行此、則生民保其居、而王業可永也。蓋人主一身、實萬化之原。苟於理有毫髪之不盡、卽遺生民無窮之害、而非創業垂統可繼之道矣。以武王之聖、召公所以警戒之者如此。後之人君、可不深思而加念之哉。
【読み】
△允に茲を迪[ふ]むときは、生民厥の居に保んじて、惟れ乃ち世々王たり、と。信に能く此を行うときは、則ち生民其の居に保んじて、王業永かる可し。蓋し人主の一身は、實に萬化の原。苟も理に於て毫髪の盡くさざること有るときは、卽ち生民に無窮の害を遺して、業を創め統を垂れ繼ぐ可きの道に非ず。武王の聖を以てすら、召公警め戒むる所以の者此の如し。後の人君、深く思いて之を念うことを加えざる可けんや。

金縢 縢、徒登反。○武王有疾、周公以王室未安、殷民未服、根本易搖、故請命三王、欲以身代武王之死。史錄其册祝之文、幷敍其事之始末、合爲一篇。以其藏於金縢之匱、編書者因以金縢名篇。今文古文皆有。○唐孔氏曰、發首至王季文王、史敍將告神之事也。史乃册祝至屛壁與珪、託告神之辭也。自乃卜至乃瘳、記卜吉及王病瘳之事也。自武王旣喪已下、記周公流言居東、及成王迎歸之事也。
【読み】
金縢[きんとう] 縢は、徒登反。○武王疾有り、周公王室未だ安からず、殷民未だ服せず、根本搖ぎ易きを以て、故に命を三王に請いて、身を以て武王の死に代わらんと欲す。史其の册祝の文を錄し、幷せて其の事の始末を敍べ、合わせて一篇とす。其の金縢の匱に藏するを以て、書を編む者因りて金縢を以て篇に名づく。今文古文皆有り。○唐の孔氏が曰く、發首より王季文王に至るまでは、史將に神に告げんとするの事を敍ぶ。史乃册祝屛壁與珪に至るまでは、神に告ぐるの辭を託す。乃卜より乃瘳に至るまでは、卜吉及び王の病瘳[い]ゆるの事を記す。武王旣喪より已下は、周公流言せられて東に居り、及び成王迎えて歸するの事を記す、と。

旣克商二年、王有疾弗豫。記年、見其克商之未久也。弗豫、不悅豫也。
【読み】
旣に商に克ちて二年、王疾有りて豫[こころよ]からず。年を記すは、其の商に克つの未だ久しからざるを見すなり。豫からずとは、悅豫せざるなり。

△二公曰、我其爲王穆卜。二公、太公・召公也。李氏曰、穆者、敬而有和意。穆卜、猶言共卜也。愚謂、古者國有大事卜、則公卿百執事皆在、誠一而和同以聽卜筮。故名其卜曰穆卜。下文成王因風雷之變、王與大夫盡弁、啓金縢之書、以卜者是也。先儒專以穆爲敬。而於所謂其勿穆卜、則義不通矣。
【読み】
△二公曰く、我れ其れ王の爲に穆卜せん、と。二公は、太公・召公なり。李氏が曰く、穆は、敬んで和意有るなり。穆卜は、猶共卜と言うがごとし、と。愚謂えらく、古には國に大事有りて卜うときは、則ち公卿百執事皆在り、誠一にして和同して以て卜筮を聽く。故に其の卜を名づけて穆卜と曰う。下の文の成王風雷の變に因りて、王と大夫と盡く弁して、金縢の書を啓いて、以て卜する者是れなり。先儒專ら穆を以て敬とす。而れども所謂其れ穆卜すること勿かれというに於て、則ち義通ぜず。

△周公曰、未可以戚我先王。戚、憂惱之意。未可以武王之疾、而憂惱我先王也。蓋卻二公之卜。
【読み】
△周公曰く、未だ以て我が先王を戚[いた]ましむ可からず、と。戚は、憂惱の意。未だ武王の疾を以てして、我が先王を憂惱せしむ可からず、と。蓋し二公の卜を卻くなり。

△公乃自以爲功、爲三壇同墠。爲壇於南方、北面周公立焉。植璧秉珪、乃告太王・王季・文王。墠、上演時戰二反。○功、事也。築土曰壇。除地曰墠。三壇、三王之位。皆南向。三壇之南、別爲一壇北向。周公所立之地也。植、置也。圭璧、所以禮神。詩言圭璧旣卒。周禮裸圭以祀先王。周公卻二公之卜、而乃自以爲功者、蓋二公不過卜武王之安否耳。而周公愛兄之切、危國之至、忠誠懇懇於祖父之前、如下文所云者、有不得盡焉。此其所以自以爲功也。又二公穆卜、則必禱於宗廟、用朝廷卜筮之禮。如此則上下喧騰、而人心搖動。故周公不於宗廟、而特爲壇墠以自禱也。
【読み】
△公乃ち自ら以て功[こと]を爲して、三壇を爲りて墠[せん]を同じくす。壇を南方に爲りて、北面して周公立てり。璧を植[お]き珪を秉りて、乃ち太王・王季・文王に告す。墠は、上演時戰の二反。○功は、事なり。土を築くを壇と曰う。地を除[はら]うを墠と曰う。三壇は、三王の位。皆南に向かう。三壇の南、別に一壇を爲りて北に向かう。周公立つ所の地なり。植は、置くなり。圭璧は、神を禮する所以なり。詩に言う、圭璧旣に卒[つ]きぬ、と。周禮に裸圭以て先王を祀る、と。周公二公の卜を卻けて、乃ち自ら以て功を爲す者は、蓋し二公は武王の安否を卜するに過ぎざるのみ。而して周公兄を愛するの切、國を危ぶむの至り、祖父の前に忠誠懇懇なること、下の文に云う所の如き者、得て盡くさざること有り。此れ其の自ら以て功を爲す所以なり。又二公穆卜するときは、則ち必ず宗廟に禱り、朝廷卜筮の禮を用ゆ。此の如きは則ち上下喧騰して、人心搖動す。故に周公宗廟に於てせずして、特に壇墠を爲りて以て自ら禱るなり。

△史乃册祝曰、惟爾元孫某、遘厲虐疾。若爾三王、是有丕子之責于天、以旦代某之身。遘、居候反。○史、太史也。册祝、如今祝版之類。元孫某、武王也。遘、遇。厲、惡。虐、暴也。丕子、元子也。旦、周公名也。言武王遇惡暴之疾。若爾三王、是有元子之責于天、蓋武王爲天元子。三王當任其保護之責于天、不可令其死也。如欲其死、則請以旦代武王之身。于天之下、疑有鈌文。舊說謂、天責、取武王者非是。詳下文予仁若考、能事鬼神等語、皆主祖父人鬼爲言。至於乃命帝庭、無墜天之降寶命、則言天命武王如此之大。而三王不可墜天之寶命。文意可見。又按死生有命、周公乃欲以身代武王之死。或者疑之。蓋方是時、天下未安、王業未固、使武王死、則宗社傾危、生民塗炭、變故有不可勝言者。周公忠誠切至、欲代其死以紓危急、其精神感動。故卒得命於三王。今世之匹夫匹婦、一念誠孝、猶足以感格鬼神、顯有應驗。而況於周公之元聖乎。是固不可謂無此理也。
【読み】
△史乃ち册祝して曰く、惟れ爾の元孫某、厲虐の疾に遘[あ]えり。若し爾三王、是れ丕子[ひし]の責め天に有らば、旦を以て某の身に代えよ。遘[こう]は、居候反。○史は、太史なり。册祝は、今の祝版の類の如し。元孫某は、武王なり。遘は、遇う。厲は、惡。虐は、暴なり。丕子は、元子なり。旦は、周公の名なり。言うこころは、武王惡暴の疾に遇えり。若し爾三王、是れ元子の責め天に有らば、蓋し武王は天の元子爲り。三王當に其の保護の責めを天に任じて、其をして死なしむ可からず。如し其の死を欲すれば、則ち請う、旦を以て武王の身に代えよ、と。于天の下、疑うらくは鈌文有らん。舊說に謂う、天の責め、武王に取るとは是に非ず。下の文の予れ仁にして考に若[したが]い、能く鬼神に事る等の語を詳らかにするに、皆祖父人鬼を主として言を爲す。乃ち帝庭に命ぜられて、天の降せる寶命を墜すこと無しというに至りては、則ち天の武王に命ずること此の如く大いなるを言う。而して三王天の寶命を墜す可からず、と。文意見る可し。又按ずるに死生命有り、周公乃ち身を以て武王の死に代わらんと欲す。或者之を疑う。蓋し是の時に方りて、天下未だ安んぜず、王業未だ固まらず、武王をして死なしめば、則ち宗社傾危し、生民塗炭し、變故勝[あ]げて言う可からざる者有り。周公の忠誠切に至り、其の死に代わりて以て危急を紓[と]かんと欲す、其の精神感動す。故に卒に命を三王に得たり。今の世の匹夫匹婦も、一念の誠孝、猶以て鬼神を感格するに足りて、顯に應驗有るがごとし。而るを況んや周公の元聖に於てをや。是れ固に此の理無しと謂う可からず。

△予仁若考。能多材多藝。能事鬼神。乃元孫不若旦多材多藝。不能事鬼神。周公言、我仁順祖考、多材幹、多藝能。可任役使、能事鬼神。武王不如旦多材多藝、不任役使、不能事鬼神。材藝、但指服事役使而言。
【読み】
△予れ仁にして考に若[したが]う。能く材多く藝多し。能く鬼神に事る。乃ち元孫は旦の材多く藝多きに若かず。鬼神に事ること能わず。周公言うこころは、我れ仁にして祖考に順い、材幹多く、藝能多し。役使に任[た]え、能く鬼神に事る可し。武王は旦の多材多藝に如かず、役使に任えず、鬼神に事ること能わず。材藝は、但服事役使を指して言うのみ。

△乃命于帝庭、敷佑四方。用能定爾子孫于下地。四方之民、罔不祗畏。嗚呼無墜天之降寶命。我先王亦永有依歸。言武王乃受命於上帝之庭、布文德以佑助四方、用能定爾子孫於下地、使四方之民無不敬畏。其任大、其責重。未可以死。故又歎息申言、三王不可墜■天降之寶命。庶先王之祀、亦永有所賴以存也。寶命、卽帝庭之命也。謂之寶者、重其事也。
【読み】
△乃ち帝庭に命ぜられて、敷きて四方を佑く。用て能く爾の子孫を下地に定む。四方の民まで、祗み畏れざること罔し。嗚呼天の降せる寶命を墜すこと無かれ。我が先王も亦永く依り歸[よ]るところ有らん。言うこころは、武王乃ち命を上帝の庭受け、文德を布きて以て四方を佑け助け、用て能く爾の子孫を下地に定め、四方の民をして敬畏せざること無からしむ。其の任大いに、其の責重し。未だ以て死す可からず。故に又歎息して申ねて言う、三王天降せるの寶命を墜し■す可からず。庶わくは先王の祀も、亦永く賴りて以て存する所有らん、と。寶命は、卽ち帝庭の命なり。之を寶と謂うは、其の事を重んじてなり。

△今我卽命于元龜。爾之許我、我其以璧與珪、歸俟爾命。爾不許我、我乃屛璧與珪。卽、就也。歸俟爾命、俟武王之安也。屛、藏也。屛璧與珪、言不得事神也。蓋武王喪、則周之基業必墜。雖欲事神、不可得也。其稱爾稱我、無異人子之在膝下、以語其親者。此亦終身慕父母與不死其親之意。以見公之達孝也。
【読み】
△今我れ命に元龜に卽く。爾の我を許さば、我れ其れ璧と珪とを以て、歸りて爾の命を俟たん。爾我を許さずんば、我れ乃ち璧と珪とを屛[しりぞ]けん、と。卽は、就くなり。歸りて爾の命を俟つとは、武王の安んずるを俟つなり。屛は、藏むるなり。璧と珪とを屛くとは、言うこころは、神に事るを得ざるなり。蓋し武王喪するときは、則ち周の基業必ず墜ちん。神に事るを欲すと雖も、得可からざるなり。其の爾と稱し我と稱するは、人子の膝下に在りて、以て其の親に語る者に異ること無し。此れ亦身を終うるまで父母を慕うと其の親を死ねりとせざるの意なり。以て公の達孝を見すなり。

△乃卜三龜。一習吉。啓籥見書。乃幷是吉。籥與鑰通。○卜筮必立三人以相參考。三龜者、三人所卜之龜也。習、重也。謂三龜之兆一同、開籥見卜兆之書、乃幷是吉。
【読み】
△乃ち三龜を卜う。一つに習[かさ]ねて吉。籥[やく]を啓き書を見る。乃ち幷せて是れ吉。籥と鑰[やく]とは通ず。○卜筮には必ず三人を立てて以て相參考す。三龜は、三人卜う所の龜なり。習は、重ぬるなり。謂ゆる三龜の兆一に同じく、籥を開いて卜兆の書を見るに、乃ち幷せて是れ吉なり。

△公曰、體王其罔害。予小子、新命于三王、惟永終是圖。茲攸俟、能念予一人。體、兆之體也。言視其卜兆之吉、王疾其無所害。我新受三王之命、而永終是圖矣。茲攸俟者、卽上文所謂歸俟也。一人、武王也。言三王能念我武王、使之安也。詳此言新命于三王、不言新命于天。以見果非謂天之責取武王也。
【読み】
△公曰く、體において王其れ害わるること罔し。予れ小子、新たに三王に命ぜられて、惟れ永く是の圖を終う。茲れ俟つ攸、能く予れ一人を念え、と。體は、兆の體なり。言うこころは、其の卜兆の吉を視るに、王の疾其れ害する所無し。我れ新たに三王の命を受けて、永く是の圖を終う。茲れ俟つ攸とは、卽ち上の文の所謂歸りて俟つなり。一人は、武王なり。言うこころは、三王能く我が武王を念いて、之をして安んぜしめよとなり。此を詳らかにするに、新たに三王に命ぜらると言いて、新たに天に命ぜらると言わず。以て果たして謂ゆる天の責めは武王に取るに非ざることを見すなり。

△公歸、乃納册于金縢之匱中。王翼日乃瘳。册、祝册也。匱、藏卜書之匱。金縢、以金緘之也。翼日、公歸之明日也。瘳、愈也。按金縢之匱、乃周家藏卜筮書之物。每卜、則以告神之辭書於册、旣卜、則納册於匱而藏之。前後卜皆如此。故前周公乃卜三龜、一習吉、啓籥見書者、啓此匱也。後成王遇風雷之變、欲卜啓金縢者、亦啓此匱也。蓋卜筮之物、先王不敢褻。故金縢其匱而藏之。非周公始爲此匱藏此册祝、爲後來自解計也。
【読み】
△公歸りて、乃ち册を金縢の匱の中に納る。王翼日乃ち瘳[い]えぬ。册は、祝册なり。匱は、卜書を藏むるの匱なり。金縢は、金を以て之を緘す。翼日は、公歸るの明日なり。瘳[ちゅう]は、愈ゆるなり。按ずるに金縢の匱は、乃ち周家卜筮の書を藏むるの物ならん。卜する每に、則ち神に告ぐるの辭を以て册に書し、旣に卜すれば、則ち册を匱に納れて之を藏む。前後の卜は皆此の如し。故に前に周公乃ち三龜を卜い、一つに習ねて吉なり、籥[やく]を啓いて書を見る者は、此の匱を啓くなり。後に成王風雷の變に遇いて、卜わんと欲して金縢を啓く者も、亦此の匱を啓くなり。蓋し卜筮の物は、先王敢えて褻[けが]さず。故に其の匱を金縢にして之を藏む。周公の始めて此の匱を爲り此の册祝を藏むるは、後來自ら解き計るが爲に非ず。

△武王旣喪、管叔及其羣弟、乃流言於國曰、公將不利於孺子。管叔、名鮮。武王弟、周公兄也。羣弟、蔡叔度、霍叔處也。流言、無根之言。如水之流。自彼而至此也。孺子、成王也。商人兄死弟立者多。武王崩成王幼。周公攝政。商人固已疑之。又管叔於周公爲兄。尤所覬覦。故武庚・管・蔡、流言於国、以危懼成王、而動搖周公也。史氏言管叔及其羣弟而不及武庚者、所以深著三叔之罪也。
【読み】
△武王旣に喪して、管叔と其の羣弟と、乃ち國に流言して曰く、公將に孺子に利あらざらんとす、と。管叔、名は鮮。武王の弟、周公の兄なり。羣弟は、蔡叔度、霍叔處なり。流言は、根無きの言。水の流るるが如し。彼よりして此に至るなり。孺子は、成王なり。商人兄死して弟立つ者多し。武王崩じて成王幼し。周公政を攝す。商人固に已に之を疑う。又管叔は周公に於て兄爲り。尤も覬覦[きゆ]する所なり。故に武庚・管・蔡、国に流言して、以て成王を危ぶみ懼れしめて、周公を動搖す。史氏管叔及び其の羣弟を言いて武庚に及ばざるは、深く三叔の罪を著す所以なり。

△周公乃告二公曰、我之弗辟、我無以告我先王。辟、讀爲避。鄭氏詩傳言、周公以管蔡流言、辟居東都是也。漢孔氏以爲、致辟於管叔之辟。謂誅殺之也。夫三叔流言、以公將不利於成王。周公豈容遽興兵以誅之耶。且是時王方疑公。公將請王而誅之耶。將自誅之也。請之固未必從、不請自誅之、亦非所以爲周公矣。我之弗辟、我無以告我先王、言我不避則於義有所不盡、無以告先王於地下也。公豈自爲身計哉。亦盡其忠誠而已矣。
【読み】
△周公乃ち二公に告げて曰く、我れ辟[さ]けずんば、我れ以て我が先王に告ぐること無けん、と。辟は、讀んで避とす。鄭氏が詩の傳に言く、周公管蔡の流言を以て、東都に辟け居るとは是れなり。漢の孔氏以爲えらく、辟[つみ]を管叔に致すの辟。之を誅殺するを謂う、と。夫れ三叔の流言は、公を以て將に成王に利あらざらんとす。周公豈に遽に兵を興して以て之を誅す容けんや。且つ是の時王方に公を疑う。公將に王に請いて之を誅せんとせんや。將に自ら之を誅せんとせんや。之を請うこと固に未だ必ず從わず、請わずして自ら之を誅するは、亦周公爲る所以に非ず。我れ辟けずんば、我れ以て我が先王に告ぐること無けんとは、言うこころは、我れ避けずんば則ち義に於て盡くさざる所有り、以て先王に地下に告ぐること無けん。公豈に自ら身計をせんや。亦其の忠誠を盡くすのみ。

△周公居東二年、則罪人斯得。居東、居國之東也。鄭氏謂、避居東都。未知何據。孔氏以居東爲東征非也。方流言之起、成王未知罪人爲誰、二年之後、王始知流言之爲管蔡。斯得者、遲之之辭也。
【読み】
△周公東に居ること二年、則ち罪人斯に得。東に居るとは、國の東に居るなり。鄭氏が謂く、東都に避けり居る、と。未だ何の據かを知らず。孔氏東に居るを以て東征とするは非なり。流言の起こるに方りて、成王未だ罪人の誰爲るかを知らず、二年の後、王始めて流言の管蔡爲るを知る。斯に得とは、之を遲しとするの辭なり。

△于後公乃爲詩以貽王。名之曰鴟鴞。王亦未敢誚公。鴟鴞、惡鳥也。以其破巢取卵、比武庚之敗管蔡及王室也。誚、讓也。上文言罪人斯得。則是時成王之疑十已去其四五矣。
【読み】
△後に公乃ち詩を爲りて以て王に貽[おく]る。之を名づけて鴟鴞[しきょう]と曰う。王亦未だ敢えて公を誚[せ]めず。鴟鴞は、惡鳥なり。其の巢を破りて卵を取るを以て、武庚の管蔡及び王室を敗るに比す。誚[しょう]は、讓[せ]むるなり。上の文に罪人斯に得と言う。則ち是の時成王の疑い十にして已に其の四五を去るなり。

△秋大熟未穫、天大雷電以風、禾盡偃、大木斯拔、邦人大恐。王與大夫盡弁、以啓金縢之書、乃得周公所自以爲功、代武王之說。穫、胡郭反。弁、皮變反。○王與大夫盡弁、以發金縢之書、將卜天變、而偶得周公册祝請命之說也。孔氏謂、二公倡王啓之者非是。按秋大熟係于二年之後。則成王迎周公之歸、蓋二年秋也。東山之詩言、自我不見于今三年。則居東之非東征明矣。蓋周公居東二年、成王因風雷之變、旣親迎以歸。三叔懷流言之罪、遂脅武庚以叛。成王命周公征之。其東征往反首尾又自三年也。
【読み】
△秋大いに熟りて未だ穫らず、天大いに雷電以て風ふいて、禾盡く偃[ふ]し、大木斯に拔け、邦人大いに恐る。王と大夫と盡く弁して、以て金縢の書を啓いて、乃ち周公の自ら以て功[こと]を爲して、武王に代わらんとする所の說を得たり。穫は、胡郭反。弁は、皮變反。○王と大夫と盡く弁して、以て金縢の書を發いて、將に天變を卜わんとして、偶々周公の册祝命を請うの說を得たり。孔氏が謂く、二公王を倡[いざな]いて之を啓くというは是に非ず。按ずるに秋大いに熟するは二年の後に係れり。則ち成王周公の歸るを迎うるは、蓋し二年の秋なり。東山の詩に言う、我れ見ざりしより今に三年、と。則ち東に居ること東征に非ざること明らかなり。蓋し周公東に居ること二年、成王風雷の變に因りて、旣に親迎して以て歸る。三叔流言の罪を懷いて、遂に武庚を脅して以て叛く。成王周公に命じて之を征す。其の東征往反首尾も又自ずから三年ならん。

△二公及王、乃問諸史與百執事。對曰、信、噫公命。句。我勿敢言。周公卜武王之疾、二公未必不知之。周公册祝之文、二公蓋不知也。諸史百執事、蓋卜筮執事之人。成王使卜天變者、卽前日周公使卜武王疾之人也。二公及成王、得周公自以爲功之說、因以問之。故皆謂信有此事。已而歎息言、此實周公之命、而我勿敢言爾。孔氏謂、周公使之勿道者非是。
【読み】
△二公と王と、乃ち諸史と百執事とに問う。對えて曰く、信なり、噫[ああ]公の命なり、と。句。我れ敢えて言うこと勿し。周公武王の疾を卜するは、二公未だ必ずしも之を知らずんばあらず。周公の册祝の文は、二公蓋し知らず。諸史百執事は、蓋し卜筮執事の人ならん。成王天變を卜わしむる者は、卽ち前日周公が武王の疾を卜わしむるの人なり。二公及び成王、周公自ら以て功を爲すの說を得て、因りて以て之を問う。故に皆信に此の事有りと謂う。已にして歎息して言う、此れ實に周公の命にして、我れ敢えて言うこと勿けんや、と。孔氏が謂く、周公之をして道うこと勿からしむるとは是に非ず。

△王執書以泣曰、其勿穆卜。昔公勤勞王家。惟予沖人弗及知。今天動威、以彰周公之德。惟朕小子其新逆。我國家禮亦宜之。新、當作親。成王啓金縢之書、欲卜天變。旣得公册祝之文、遂感悟。執書以泣言、不必更卜。昔周公勤勞王室、我幼不及知。今天動威以明周公之德。我小子其親迎公以歸、於國家禮亦宜也。按鄭氏詩傳、成王旣得金縢之書、親迎周公。鄭氏學出於伏生、而此篇則伏生所傳、當以親爲正。親誤作新。正猶大學新誤作親也。
【読み】
△王書を執りて以て泣いて曰く、其れ穆卜すること勿かれ。昔公王家に勤勞す。惟れ予れ沖人知るに及ばず。今天威を動かして、以て周公の德を彰[あらわ]す。惟れ朕れ小子其れ新[みずか]ら逆[むか]えん。我が國家の禮や亦之に宜し、と。新は、當に親に作るべし。成王金縢の書を啓いて、天變を卜わんと欲す。旣に公の册祝の文を得て、遂に感じ悟る。書を執りて以て泣いて言く、必ずしも更に卜わざらん。昔周公王室に勤勞して、我が幼き知るに及ばず。今天威を動かして以て周公の德を明らかにす。我れ小子其れ親ら公を迎えて以て歸さば、國家の禮に於て亦宜し。鄭氏の詩の傳を按ずるに、成王旣に金縢の書を得て、親ら周公を迎う、と。鄭氏の學は伏生に出で、而して此の篇も則ち伏生の傳うる所にて、當に親を以て正とすべし。親誤りて新に作る。正に猶大學の新誤りて親に作るがごとし。

△王出郊、天乃雨反風。禾則盡起。二公命邦人、凡大木所偃、盡起而築之。歲則大熟。國外曰郊。王出郊者、成王自往迎公。卽上文所謂親逆者也。天乃反風。感應如此之速、洪範庶徵、孰謂其不可信哉。又按武王疾瘳、四年而崩、羣叔流言。周公居東二年、罪人旣得。成王迎周公以歸。凡六年事也。編書者、附于金縢之末、以見請命事之首末、金縢書之顯晦也。
【読み】
△王郊に出づるときに、天乃ち雨ふりて風を反す。禾則ち盡く起つ。二公邦人に命じて、凡そ大木の偃す所、盡く起こして之を築かしむ。歲則ち大いに熟す。國の外を郊と曰う。王郊に出づる者は、成王自ら往いて公を迎う。卽ち上の文に所謂親ら逆う者なり。天乃ち風を反す、と。感應此の如く速やかなる、洪範の庶徵、孰か其れ信ず可からずと謂わんや。又按ずるに武王の疾瘳えて、四年にして崩じ、羣叔流言す。周公東に居ること二年、罪人旣に得。成王周公を迎えて以て歸る。凡て六年の事なり。書を編む者、金縢の末に附して、以て命を請う事の首末、金縢の書の顯晦を見すなり。

大誥 武王克殷、以殷餘民、封受子武庚、命三叔監殷。武王崩成王立。周公相之。三叔流言、公將不利於孺子。周公避位居東。後成王悟、迎周公歸。三叔懼、遂與武庚叛。成王命周公東征以討之。大誥天下。書言武庚而不言管叔者、爲親者諱也。篇首有大誥二字、編書者因以名篇。今文古文皆有。○按此篇誥語多主卜言。如曰、寧王遺我大寶龜。曰、朕卜幷吉。曰、予得吉卜。曰、王害不違卜。曰、寧王惟卜用、曰、矧亦惟卜用。曰、予曷其極卜。曰、矧今卜幷吉。至於篇終又曰、卜陳惟若茲、意邦君・御事有曰、艱大、不可征。欲王違卜。故周公以討叛卜吉之義、與天命人事之不可違者、反復誥諭之也。
【読み】
大誥[たいこう] 武王殷に克ちて、殷の餘民を以て、受の子武庚を封じ、三叔に命じて殷を監せしむ。武王崩じ成王立つ。周公之に相たり。三叔流言して、公將に孺子に利あらざらんとす、と。周公位を避けて東に居る。後に成王悟りて、周公を迎えて歸す。三叔懼れて、遂に武庚と叛く。成王周公に命じて東征して以て之を討つ。大いに天下に誥ぐ。書に武庚を言いて管叔を言わざるは、親しき者の爲に諱むなり。篇の首めに大誥の二字有り、書を編む者因りて以て篇に名づく。今文古文皆有り。○按ずるに此の篇の誥の語多く卜を主として言う。曰く、寧王我に大いなる寶龜を遺れり、と。曰く、朕が卜幷せて吉なり、と。曰く、予吉卜を得たり、と。曰く、王害[なん]ぞ卜に違わざらん、と。曰く、寧王惟れ卜を用ゆるに、曰く、矧んや亦惟れ卜を用ゆるをや、と。曰く、予曷ぞ其れ極めて卜わん、と。曰く、矧んや今卜幷せて吉をや、と。篇の終わりに至りて又曰く、卜陳なりて惟れ茲の若しというが如き、意うに邦君・御事曰えること有り、艱[なや]み大いなり、征[う]つ可からず、と。王の卜に違わんことを欲す。故に周公叛けるを討つの卜吉なるの義と、天命人事の違う可からざる者とを以て、反復して之に誥げ諭すなり。

王若曰、猷大誥爾多邦、越爾御事。弗弔天降割于我家、不少延。洪惟我幼沖人、嗣無疆大歷服、弗造哲迪民康。矧曰其有能格知天命。猷、發語辭也。猶虞書咨嗟之例。按爾雅猷訓最多。曰謀、曰言、曰已、曰圖。未知此何訓也。弔、恤也。猶詩言、不弔昊天之弔。言我不爲天所恤、降害於我周家。武王遂喪、而不少待也。沖人、成王也。歷、歷數也。服、五服也。哲、明哲也。格、格物之格。言大思我幼沖之君、嗣守無疆之大業、弗能造明哲、以導民於安康。是人事且有所未至、而況言其能格知天命乎。
【読み】
王若[か]く曰く、猷[ああ]大いに爾多邦に誥ぐ、越[およ]び爾御事にまで。天に弔[あわ]れまれずして割[やぶ]れを我が家に降し、少[しばら]くも延べず。洪[おお]いに惟[おも]う我れ幼沖人、疆り無き大歷服を嗣いで、哲を造して民を康きに迪[みちび]かず。矧んや其れ能く天命を知ることを格すこと有りと曰わんや。猷[ゆう]は、發語の辭なり。猶虞書の咨嗟の例のごとし。按ずるに爾雅に猷の訓最も多し。謀と曰い、言と曰い、已と曰い、圖と曰う。未だ知らず、此れ何の訓なるかを。弔は、恤れむなり。猶詩に言う、昊天に弔れまれずの弔のごとし。言うこころは、我れ天の爲に恤れまれず、害を我が周家に降す。武王遂に喪して、少くも待たず。沖人は、成王なり。歷は、歷數なり。服は、五服なり。哲は、明哲なり。格は、格物の格。言うこころは、大いに我が幼沖の君を思いて、無疆の大業を嗣ぎ守らしめども、明哲を造して、以て民を安康に導くこと能わず。是れ人事すら且つ未だ至らざる所有り、而るを況んや其の能く天命を格り知ると言わんや。

△已予惟小子、若涉淵水。予惟往求朕攸濟。敷賁、敷前人受命、茲不忘大功。予不敢閉于天降威用。已、承上語詞。已而有不能已之意。若涉淵水者、喩其心之憂懼。求朕攸濟者、冀其事之必成。敷、布。賁、飾也。敷賁者、修明其典章法度。敷前人受命者、增益開大前王之基業。若此者、所以不忘武王安天下之大功也。今武庚不靖、天固誅之。予豈敢閉抑天之威用、而不行討乎。
【読み】
△已んなんや予れ惟れ小子、淵水を涉るが若し。予れ惟れ往いて朕が濟る攸を求む。敷き賁[かざ]りて、前人の受けたる命を敷いて、茲れ大功を忘れず。予れ敢えて天の降せる威用を閉じず。已は、上の語を承くるの詞なり。已んで已むこと能わざること有るの意なり。淵水を涉るが若しとは、其の心の憂懼に喩う。朕が濟る攸を求むとは、其の事の必ず成らんことを冀うなり。敷は、布く。賁は、飾るなり。敷賁は、其の典章法度を修め明らかにす。前人の受けたる命を敷くとは、前王の基業を增益開大するなり。此の若き者は、武王天下を安んずるの大功を忘れざる所以なり。今武庚不靖にして、天固に之を誅す。予れ豈敢えて天の威用を閉じ抑えて、討を行わざらんや、と。

△寧王遺我大寶龜。紹天明卽命。曰、有大艱于西土。西土人亦不靜。越茲蠢。寧王、武王也。下文又曰寧考。蘇氏曰、當時謂武王爲寧王。以其克殷而安天下也。蠢、動而無知之貌。寧王遺我大寶龜者、以其可以紹介天命、以定吉凶。曩嘗卽龜所命、而其兆謂、將有大艱難之事于西土。西土之人亦不安靜。是武庚未叛之時、而大龜之兆、蓋已預告矣。反此果蠢蠢然而動。其卜可驗如此。將言下文伐殷卜吉之事。故先發此、以見十之不可違也。
【読み】
△寧王我に大いなる寶龜を遺せり。天の明を紹[つ]いで命を卽かしむ。曰く、大いに西土に艱めること有り、と。西土の人亦靜ならず。越[ここ]に茲れ蠢けり。寧王は、武王なり。下の文にも又寧考と曰う。蘇氏が曰く、當時武王を謂いて寧王とす。其の殷に克ちて天下を安んずるを以てなり。蠢は、動いて知ること無きの貌。寧王我に大いなる寶龜を遺すとは、其の以て天命を紹介して、以て吉凶を定む可きを以てなり。曩[さき]に嘗て龜の命ずる所に卽くに、而も其の兆に謂く、將に大いなる艱難の事西土に有らんとす、と。西土の人も亦安靜ならず。是れ武庚未だ叛かざるの時にして、大龜の兆、蓋し已に預め告ぐるならん。此に反って果たして蠢蠢然として動く。其の卜の驗す可きこと此の如し。將に下の文の殷を伐つこと卜吉の事を言わんとす。故に先ず此を發して、以て十の違う可からざることを見すなり。

△殷小腆、誕敢紀其敍。天降威、知我國有疵、民不康。曰予復、反鄙我周邦。腆、他典反。疵、才支反。○腆、厚。誕、大。敍、緒。疵、病也。言武庚以小厚之國、乃敢大紀其旣亡之緒。是雖天降威于殷、然亦武庚知我國有三叔疵隙、民心不安。故敢言、我將復殷業、而欲反鄙邑我周邦也。
【読み】
△殷の小にして腆[あつ]き、誕[おお]いに敢えて其の敍を紀[おさ]む。天威を降せども、我が國に疵有りて、民康からざるを知れり。予れ復せんと曰いて、反って我が周邦を鄙[いや]しむ。腆は、他典反。疵は、才支反。○腆は、厚し。誕は、大い。敍は、緒。疵は、病なり。言うこころは、武庚小厚の國を以て、乃ち敢えて大いに其の旣亡の緒を紀む。是れ天威を殷に降すと雖も、然れども亦武庚我が國に三叔の疵隙有りて、民の心安んぜざることを知る。故に敢えて言う、我れ將に殷の業を復して、反って我が周邦を鄙邑にせんと欲す、と。

△今蠢。今翼日、民獻有十夫予翼、以于敉寧武圖功。我有大事休、朕卜幷吉。敉、音弭。○于、往。敉、撫。武、繼也。謂今武庚蠢動。今之明日、民之賢者十夫、輔我以往撫定商邦、而繼嗣武王所圖之功也。大事、戎事。左傳云、國之大事、在祀與戎。休、美也。言知我有戎事休美者、以朕卜三龜而幷吉也。按上文、卽命、曰有大艱于西土、蓋卜於武王方崩之時。此云朕卜幷吉、乃卜於將伐武庚之日。先儒合以爲一誤矣。
【読み】
△今蠢けり。今の翼日、民の獻[さか]しき十夫有りて予を翼けて、以て于[ゆ]いて敉[な]で寧んじて圖れる功を武[つ]がん。我れ大いなる事の休[よ]きこと有らんこと、朕が卜幷せて吉なればなり。敉[び]は、音弭[び]。○于は、往く。敉は、撫でる。武は、繼ぐなり。謂ゆる今武庚蠢動す。今の明日、民の賢者十夫、我を輔けて以て往いて商邦を撫で定めて、武王圖る所の功を繼ぎ嗣ぐなり。大事は、戎事。左傳に云う、國の大事は、祀と戎とに在り、と。休は、美きなり。言うこころは、我れ戎事の休美有ることを知る者は、朕れ三龜に卜して幷わせて吉なるを以てなり。上の文を按ずるに、命を卽かしむ、曰く大いに西土に艱み有りとは、蓋し武王方に崩ずるの時に卜す。此に朕が卜幷せて吉と云うは、乃ち將に武庚を伐たんとするの日に卜す。先儒合わせて以て一とするは誤れり。

△肆予告我友邦君、越尹氏・庶士・御事曰、予得吉卜。予惟以爾庶邦、于伐殷逋播臣。此舉嘗以卜吉之故、告邦君・御事。往伐武庚之詞也。肆、故也。尹氏、庶官之正也。殷逋播臣者、謂武庚及其羣臣。本逋亡播遷之臣也。
【読み】
△肆[ゆえ]に予れ我が友とする邦の君、越[およ]び尹氏・庶士・御事に告げて曰く、予れ吉卜を得たり。予れ惟れ爾庶邦を以て、于いて殷の逋[のが]れ播[うつ]されたる臣を伐たん。此れ嘗て以て卜吉なるの故を舉げて、邦君・御事に告ぐ。往いて武庚を伐つの詞なり。肆は、故なり。尹氏は、庶官の正なり。殷の逋播[ほは]の臣とは、武庚及び其の羣臣を謂う。本逋亡播遷の臣なり。

△爾庶邦君、越庶士・御事、罔不反曰。艱大。民不靜。亦惟在王宮邦君室。越予小子、考翼不可征。王害不違卜。此舉邦君・御事不欲征、欲王違卜之言也。邦君・御事無不反曰。艱難重大。不可輕舉。且民不靜、雖由武庚、然亦在於王之官、邦君之室。謂三叔不睦之故。實兆釁端不可不自反。害、曷也。越我小子與父老敬事者、皆謂不可征。王曷不違卜而勿征乎。
【読み】
△爾庶邦の君、越[およ]び庶士・御事、反して曰わざる罔し。艱み大いなり。民靜ならず。亦惟れ王宮邦君の室に在り、と。越[ここ]に予れ小子、考[お]いて翼[つつし]めるものも征つ可からず、と。王害[なん]ぞ卜に違わざらん、と。此れ邦君・御事征つことを欲せず、王の卜に違わんことを欲するの言を舉ぐ。邦君・御事反して曰わざる無し。艱難重大なり。輕く舉ぐ可からず。且つ民の靜ならざるは、武庚に由ると雖も、然れども亦王の官、邦君の室に在り、と。三叔睦まじからざるの故を謂う。實は釁端[きんたん]を兆すは自ら反せずんばある可からず。害は、曷ぞなり。越に我れ小子と父老の事を敬む者と、皆謂う、征つ可からざれ。王曷ぞ卜に違いて征つこと勿からざらんや、と。

△肆予沖人、永思艱曰、嗚呼允蠢。鰥寡哀哉。予造天役。遺大投艱于朕身。越予沖人、不卬自恤。義爾邦君、越爾多士・尹氏・御事、綏予曰、無毖于恤。不可不成乃寧考圖功。卬、五剛反。毖、音秘。○造、爲。卬、我也。故我沖人、亦永思其事之艱大。歎息言、信四國蠢動。害及鰥寡、深可哀也。然我之所爲、皆天之所役使。今日之事、天實以其甚大者、遺於我之身、以其甚艱者、投於我之身。於我沖人、固不暇自恤矣。然以義言之、於爾邦君、於爾多士、及官正治事之臣、當安我曰、無勞於憂。誠不可不成武王所圖之功。相與戮力致討可也。此章深責邦君・御事之避事。
【読み】
△肆に予れ沖人、永く艱みを思いて曰く、嗚呼允に蠢けり。鰥寡哀しいかな。予れ天の役を造す。大いなるを遺して艱みを朕が身に投げたり。予れ沖人に越[おい]て、卬[わ]れ自ら恤えず。義において爾邦君、越[およ]び爾の多士・尹氏・御事まで、予を綏んじて曰え、恤えを毖[いた]わること無かれ。乃の寧考の圖れる功を成さずんばある可からず、と。卬[ごう]は、五剛反。毖[ひ]は、音秘。○造は、爲す。卬は、我なり。故に我れ沖人、亦永く其の事の艱大なるを思う。歎息して言う、信に四國蠢動す。害の鰥寡に及ばんこと、深く哀しむ可し。然れども我が爲す所は、皆天の役使する所なり。今日の事は、天實に其の甚だ大いなる者を以て、我が身に遺し、其の甚だ艱める者を以て、我が身に投ず。我が沖人に於て、固に自ら恤うるに暇あきあらず。然れども義を以て之を言わば、爾の邦君に於る、爾の多士に於る、及び官正事を治むるの臣まで、當に我を安んじて曰うべし、憂えに勞すること無かれ。誠に武王圖る所の功を成さずんばある可からず。相與に力を戮[あ]わせて討を致すこと可なり、と。此の章深く邦君・御事の事を避くるを責む。

△己予惟小子、不敢替上帝命。天休于寧王、興我小邦周。寧王惟卜用、克綏受茲命。今天其相民。矧亦惟卜用。嗚呼天明畏、弼我丕丕基。卜伐武庚而吉、是上帝命伐之也。上帝之命、其敢廢乎。昔天眷武王、由百里而有天下、亦惟卜用。所謂朕夢協朕卜、襲于休祥、是也。今天相佑斯民、避凶趨吉。況亦惟卜是用。是上而先王、下而小民、莫不用卜。而我獨可廢卜乎。故又歎息言、天之明命可畏如此。是蓋輔成我丕丕基業。其可違也。天明、卽上文所謂紹天明者。
【読み】
△己んなんや予れ惟れ小子、敢えて上帝の命を替[す]てず。天寧王を休[よ]みして、我が小邦の周を興せり。寧王惟れ卜を用いて、克く茲の命を綏んじ受く。今天其れ民を相[たす]く。矧んや亦惟れ卜を用ゆるをや。嗚呼天明の畏るべき、我が丕丕[ひひ]たる基を弼[たす]けん、と。武庚を伐たんと卜して吉なるは、是れ上帝之を伐つことを命ずるなり。上帝の命は、其れ敢えて廢てんや。昔天武王を眷み、百里に由りて天下を有つも、亦惟れ卜を用ゆ。所謂朕が夢朕が卜に協い、休祥を襲[かさ]ぬというは、是れなり。今天斯の民を相け佑けて、凶を避け吉に趨かしむ。況んや亦惟れ卜を是れ用ゆるをや。是れ上にして先王、下にして小民、卜を用いざる莫し。而も我れ獨り卜を廢つ可けんや。故に又歎息して言う、天の明命畏る可きこと此の如し。是れ蓋し我が丕丕たる基業を輔け成す。其れ違う可けんや、と。天明は、卽ち上の文に所謂天の明を紹ぐという者なり。

△王曰、爾惟舊人、爾丕克遠省。爾知寧王若勤哉。天閟毖我成功所、予不敢不極卒寧王圖事。肆予大化誘我友邦君。天棐忱辭。其考我民、予曷其不于前寧人圖功攸終。天亦惟用勤毖我民、若有疾。予曷敢不于前寧人攸受休畢。閟、音秘。○當時邦君御事、有武王之舊臣者、亦憚征役。上文考翼不可征是也。故周公專呼舊臣而告之曰、爾惟武王之舊人、爾大能遠省前日之事、爾豈不知武王若此之勤勞哉。閟者、否閉而不通。毖者、艱難而不易。言天之所以否閉艱難、國家多難者、乃我成功之所在、我不敢不極卒武王所圖之事也。化者、化其固滯。誘者、誘其順從。棐、輔也。寧人、武王之大臣。當時謂武王爲寧王。因謂武王之大臣爲寧人也。民獻十夫以爲可伐、是天輔以誠信之辭。考之民而可見矣。我曷其不於前寧人、而圖功所終乎。勤毖我民、若有疾者、四國勤毖我民、如人有疾。必速攻治之。我曷其不於前寧人所受休美而畢之乎。按此三節、謂不可不卒終畢寧王寧人事功休美之意。言寧人、則舊人之不欲征者、亦可愧矣。
【読み】
△王曰く、爾惟れ舊き人、爾丕いに克く遠く省みたり。爾知れるかな寧王の若[か]く勤めたるを。天の閟[と]じ毖[なや]むは我が成功の所にして、予れ敢えて寧王の圖れる事を極め卒えずんばあらず。肆[ゆえ]に予れ大いに我が友とする邦君を化誘す。天忱[まこと]の辭を棐[たす]く。其れ我が民に考えて、予れ曷ぞ其れ前の寧人の圖れる功の攸に于て終えざらんや。天亦惟れ用て我が民を勤[いたわ]り毖ましむこと、疾有るが若し。予れ曷ぞ敢えて前の寧人の受くる攸の休きに于て畢えざらんや、と。閟[ひ]は、音秘。○當時の邦君・御事に、武王の舊臣なる者有り、亦征役を憚る。上の文の考[お]いて翼[つつし]めるものも征つ可からずとは是れなり。故に周公專ら舊臣を呼びて之に告げて曰く、爾惟れ武王の舊人、爾大いに能く遠く前日の事を省みて、爾豈武王此の若きの勤勞を知らざらんや、と。閟とは、否閉して通ぜざるなり。毖とは、艱難して易からざるなり。言うこころは、天の否閉艱難して、國家難多き所以の者は、乃ち我が成功の在る所にして、我れ敢えて武王圖る所の事を極め卒えずんばあらざるなり。化とは、其の固滯を化するなり。誘とは、其の順從を誘うなり。棐[ひ]は、輔くなり。寧人は、武王の大臣。當時武王を謂いて寧王とす。因りて武王の大臣を謂いて寧人とするなり。民の獻[さか]しき十夫以て伐つ可しとするは、是れ天輔くるに誠信を以てするの辭。之を民に考えて見る可し。我れ曷ぞ其れ前の寧人、而も圖れる功に於て終える所あらざらんや。我が民を勤り毖ましむこと、疾有るが若しとは、四國我が民を勤り毖ましめて、人の疾有るが如し。必ず速やかに之を攻め治むべし。我れ曷ぞ其れ前の寧人受くる所の休美に於て之を畢えざらんや、と。按ずるに此の三節は、畢く寧王寧人の事功休美を卒え終えずんばある可からざるの意を謂う。寧人と言うときは、則ち舊人の征つことを欲せざる者、亦愧ず可し。

△王曰、若昔朕其逝。朕言艱日思。若考作室。旣厎法。厥子乃弗肯堂。矧肯構。厥父菑。厥子乃弗肯播。矧肯穫。厥考翼。其肯曰予有後弗棄基。肆予曷敢不越卬敉寧王大命。昔、前日也。猶孟子昔者之昔。若昔我之欲往、我亦謂其事之難、而日思之矣。非輕舉也。以作室喩之。父旣厎定廣狹高下。其子不肯爲之堂基。況肯爲之造屋乎。以耕田喩之。父旣反土而菑矣、其子乃不肯爲之播種。況肯俟其成而刈穫之乎。考翼、父敬事者也。爲其子者如此、則考翼其肯曰我有後嗣弗棄我之基業乎。蓋武王定天下立經陳紀、如作室之厎法、如治田之旣菑。今三監叛亂。不能討平以終武王之業、則是不肯堂、不肯播。況望其肯構肯穫、而延綿國祚於無窮乎。武王在天之靈、亦必不肯自謂其有後嗣、而不棄墜其基業矣。故我何敢不及我身之存、以撫存武王之大命乎。按此三節、申喩不可不終武功之意。
【読み】
△王曰く、若しくは昔朕れ其れ逝かんとす。朕れ艱きを言[おも]いて日々に思う。考の室を作るが若し。旣に法を厎せり。厥の子乃ち堂するを肯ぜず。矧んや肯えて構えんや。厥の父菑[し]せり。厥の子乃ち播くことを肯ぜず。矧んや肯えて穫らんや。厥の考翼[つつし]めり。其れ肯えて予れ後有り基を棄てずと曰わんや。肆に予れ曷ぞ敢えて卬[われ]に越[およ]んで寧王の大いなる命を敉[な]でざらんや。昔は、前日なり。猶孟子の昔者の昔のごとし。昔我が往かんと欲するが若き、我も亦其の事の難きを謂いて、日々に之を思う。輕く舉ぐるに非ず。室を作るを以て之に喩う。父旣に廣狹高下を厎し定む。其の子之が堂基を爲るを肯ぜず。況んや肯えて之が屋を造ることをせんや。田を耕すを以て之に喩う。父旣に土を反して菑すれども、其の子乃ち之が播種をするを肯ぜず。況んや肯えて其の成れるを俟ちて之を刈り穫らんや。考翼は、父事を敬む者なり。其の子爲る者此の如きときは、則ち考翼めども其れ肯えて我れ後嗣有り我が基業を棄てずと曰わんや。蓋し武王天下を定め經を立て紀を陳ぶるは、室を作るの法を厎すが如く、田を治むるの旣に菑するが如し。今三監叛き亂る。討ち平らげて以て武王の業を終うること能わずんば、則ち是れ堂するを肯ぜず、播くことを肯ぜざるなり。況んや其の構えるを肯じ穫るを肯じて、國祚を無窮に延綿するを望まんや。武王天に在るの靈、亦必ず肯えて自ら其の後嗣有りて、其の基業を棄墜せずと謂わざらん。故に我れ何ぞ敢えて我が身の存するに及んで、以て武王の大命を撫存せざらんや、と。按ずるに此の三節、申ねて武功を終えずんばある可からずの意に喩う。

△若兄考、乃有友伐厥子、民養其勸弗救。民養、未詳。蘇氏曰、養、厮養也。謂人之臣僕。大意言、若父兄、有友攻伐其子、爲之臣僕者、其可勸其攻伐而不救乎。父兄以喩武王。友以喩四國。子以喩百姓。民養以喩邦君・御事。今王之四國毒害百姓。而邦君・臣僕乃憚於征役。是長其患而不救、其可哉。此言民被四國之害、不可不救援之意。
【読み】
△若し兄考、乃ち友有るが厥の子を伐たば、民養其れ勸めて救わざらんや、と。民養は、未だ詳らかならず。蘇氏が曰く、養は、厮養[しよう]、と。人の臣僕を謂う。大意言うこころは、父兄の若き、友有りて其の子を攻め伐たば、之が臣僕爲る者、其れ其の攻伐を勸めて救わざる可けんや。父兄は以て武王に喩う。友は以て四國に喩う。子は以て百姓に喩う。民養は以て邦君・御事に喩う。今王の四國百姓を毒害す。而るを邦君・臣僕乃ち征役を憚る。是れ其の患えを長じて救わざる、其れ可ならんや、と。此れ言うこころは、民四國の害を被るは、救い援けずんばある可からざるの意なり。

△王曰、嗚呼肆哉、爾庶邦君、越爾御事。爽邦由哲。亦惟十人、迪知上帝命、越天棐忱、爾時罔敢易法。矧今天降戾于周邦、惟大艱人。誕鄰胥伐于厥室。爾亦不知天命不易。肆、放也。欲其舒放而不畏縮也。爽、明也。爽厥師之爽。桀昏德、湯伐之。故言爽師。受昏德、武王伐之。故言爽邦。言昔武王之明大命於邦、皆由明智之士、亦惟亂臣十人、蹈知天命及天輔武王之誠。以克商受。爾於是時、不敢違越武王法制、憚於征役。矧今武王死、天降禍於周。首大難之四國大近相攻於其室。事危勢迫如此。爾乃以爲不可征。爾亦不知天命之不可違越矣。此以今昔互言、責邦君・御事之不知天命。按先儒皆以十人爲十夫。然十夫民之賢者爾。恐未可以爲迪知帝命、未可以爲越天棐忱。所謂迪知者、蹈行眞知之詞也。越天棐忱、天命已歸之詞也。非亂臣昭武王以受天命者、不足以當之。況君奭之書、周公歷舉虢叔・閎夭之徒亦曰、迪知天威。於受殷命亦曰、若天棐忱。詳周公前後所言、則十人之爲亂臣、又何疑哉。
【読み】
△王曰く、嗚呼肆なるかな、爾庶邦の君、越[およ]び爾御事まで。邦を爽[あき]らかにするは哲に由る。亦惟れ十人、上帝の命を迪[ふ]み知り、天忱[まこと]を棐[たす]くるに越[およ]んで、爾時に敢えて法を易えること罔し。矧んや今天戾[わざわい]を周の邦に降し、惟れ大いに人を艱ましむ。誕いに鄰[ちか]く厥の室を胥伐つ。爾も亦知らず天命の易わらざるを。肆は、放なり。其の舒放にして畏縮せざることを欲するなり。爽は、明らかなり。厥の師を爽らかにするの爽なり。桀昏德、湯之を伐つ。故に師を爽らかにすと言う。受昏德、武王之を伐つ。故に邦を爽らかにすと言う。言うこころは、昔武王の大命を邦に明らかにするに、皆明智の士を由[もち]い、亦惟れ亂臣十人、天の命及び天武王を輔くるの誠を蹈み知れり。以て商の受に克つ。爾是の時に於て、敢えて武王の法制に違越し、征役を憚らず。矧んや今武王死し、天禍いを周に降す。首め大難の四國大いに近く其の室を相攻む。事危く勢い迫れること此の如し。爾乃ち以て征す可からずとす。爾も亦天命の違越す可からざるを知らざるなり、と。此れ今昔を以て互いに言いて、邦君・御事の天命を知らざるを責む。按ずるに先儒皆十人を以て十夫とす。然れども十夫は民の賢なる者なるのみ。恐らくは未だ以て帝命を迪み知れりとす可からず、未だ以て天の忱を棐くるに越ぶとす可からず。所謂迪み知るとは、眞知を蹈み行うの詞なり。天の忱を棐くるに越ぶとは、天命已に歸するの詞なり。亂臣は武王の以て天命を受くることを昭らかにする者に非ずんば、以て之に當たるに足らず。況んや君奭の書、周公歷く虢叔・閎夭の徒を舉げて亦曰う、天威を迪み知る、と。殷命を受くるに於て亦曰う、天の忱を棐くるが若し、と。周公前後言う所を詳らかにするに、則ち十人の亂臣爲ること、又何ぞ疑わんや。

△予永念曰、天惟喪殷若穡夫。予曷敢不終朕畝。天亦惟休于前寧人。天之喪殷若農夫之去草。必絕其根本。我何敢不終我之田畝乎。我之所以終畝者、是天亦惟欲休美於前寧人也。
【読み】
△予れ永く念いて曰く、天惟れ殷を喪ぼすは穡夫の若し。予れ曷ぞ敢えて朕が畝を終えざらん。天も亦惟れ前の寧人を休[よ]みす。天の殷を喪ぼすこと農夫の草を去[のぞ]くが若し。必ず其の根本を絕つ。我れ何ぞ敢えて我が田畝を終えざらんや。我が畝を終える所以の者は、是れ天も亦惟れ前の寧人を休美せんと欲するなり。

△予曷其極卜。敢弗于從。率寧人。有指疆土。矧今卜幷吉。肆朕誕以爾東征。天命不僭、卜陳惟若茲。我何敢盡欲用卜。敢不從爾勿征。蓋率循寧人之功。當有指定先王疆土之理。卜而不吉、固將伐之。況今卜而幷吉乎。故我大以爾東征。天命斷不僭差。卜之所陳蓋如此。按此篇專主卜言。然其上原天命、下述得人。往推寧王・寧人不可不成之功、近指成王・邦君・御事不可不終之責。諄諄乎民生之休戚、家國之興喪、懇惻切至、不能自已。而反復終始乎卜之一說、以通天下之志、以斷天下之疑、以定天下之業。非聰明睿知、神武而不殺者、孰能與於此哉。
【読み】
△予れ曷ぞ其れ極めて卜わん。敢えて于[ここ]に從わざらんや。寧人に率う。疆土を指すこと有り。矧んや今卜幷せて吉をや。肆に朕れ誕いに爾を以[い]て東征す。天命僭[たが]わず、卜陳なりて惟れ茲の若し、と。我れ何ぞ敢えて盡く卜を用いんと欲せん。敢えて爾が征つこと勿かれというに從わざらん。蓋し寧人の功に率い循わん。當に先王の疆土を指し定むるの理有るべし。卜して吉ならずとも、固に將に之を伐たんとす。況んや今に卜して幷せて吉なるをや。故に我れ大いに爾を以て東征す。天命斷じて僭い差わず。卜の陳ぬる所蓋し此の如し、と。按ずるに此の篇專ら卜を主として言う。然れども其の上は天命に原づき、下は人を得ることを述ぶ。往は寧王・寧人の成さずんばある可からざるの功を推し、近くは成王・邦君・御事の終えずんばある可からざるの責めを指す。諄諄乎として民生の休戚、家國の興喪、懇惻切至、自ら已むこと能わず。而して卜の一說を反復終始して、以て天下の志を通じて、以て天下の疑いを斷り、以て天下の業を定む。聰明睿知、神武にして殺さざる者に非ざれば、孰か能く此に與らんや。

微子之命 微、國名。子、爵也。成王旣殺武庚、封微子於宋、以奉湯祀。史錄其誥命、以爲此篇。今文無、古文有。
【読み】
微子之命[びしのめい] 微は、國の名。子は、爵なり。成王旣に武庚を殺して、微子を宋に封じて、以て湯の祀を奉ず。史其の誥命を錄して、以て此の篇とす。今文無し、古文有り。

王若曰、猷殷王元子、惟稽古崇德象賢。統承先王、修其禮物、作賓于王家。與國咸休、永世無窮。元子、長子也。微子、帝乙之長子。紂之庶兄也。崇德、謂先聖王之有德者、則尊崇而奉祀之也。象賢、謂其後嗣子孫、有象先聖王之賢者、則命之以主祀也。言考古制、尊崇成湯之德、以微子象賢、而奉其祀也。禮、典禮。物、文物也。修其典禮文物、不使廢壞、以備一王之法也。孔子曰、夏禮吾能言之、杞不足徵也。殷禮吾能言之、宋不足徵也。文獻不足故也。殷之典禮、微子修之。至孔子時、已不足徵矣。故夫子惜之。賓、以客禮遇之也。振鷺言、我客戾止。左氏謂、宋先代之後、天子有事膰焉、有喪拜焉者也。呂氏曰、先王之心、公平廣大、非若後世滅人之國、惟恐苗裔之存、爲子孫害。成王命微子、方且撫助愛養、欲其與國咸休、永世無窮。公平廣大氣象、於此可見。
【読み】
王若[か]く曰く、猷[ああ]殷王の元子、惟れ古を稽え德を崇び賢に象る。統べて先王に承[つ]いで、其の禮物を修め、王家に賓作り。國と咸く休[よ]みして、永き世までに窮まり無けん。元子は、長子なり。微子は、帝乙の長子。紂の庶兄なり。德を崇ぶとは、謂ゆる先聖王の德有る者を、則ち尊崇して之を奉祀す。賢に象るとは、謂ゆる其の後嗣子孫、先聖王の賢に象る者有るときは、則ち之に命じて以て祀を主らしむるなり。言うこころは、古制を考え、成湯の德を尊崇し、微子賢に象るを以て、而して其の祀を奉ず。禮は、典禮。物は、文物なり。其の典禮文物を修めて、廢壞せしめずして、以て一に王の法を備うなり。孔子曰く、夏の禮は吾れ能く之を言えども、杞徵[しるし]とするに足らず。殷の禮は吾れ能く之を言えども、宋徵とするに足らず、と。文獻足らざるが故なり。殷の典禮は、微子之を修む。孔子の時に至りて、已に徵とするに足らず。故に夫子之を惜む。賓は、客禮を以て之を遇するなり。振鷺に言く、我が客戾[いた]れり、と。左氏が謂ゆる、宋は先代の後、天子事有るときは膰す、喪有るときは拜すという者なり。呂氏が曰く、先王の心は、公平廣大、後世人の國を滅ぼして、惟れ苗裔の存して、子孫の害を爲すを恐るるが若きに非ず。成王微子に命じ、方に且つ撫助愛養して、其の國と咸く休みして、永き世までに窮まり無からんことを欲す。公平廣大の氣象、此に於て見る可し。

△嗚呼乃祖成湯、克齊聖廣淵。皇天眷佑、誕受厥命。撫民以寬、除其邪虐。功加于時、德垂後裔。齊、肅也。齊則無不敬。聖則無不通。廣、言其大。淵、言其深也。誕、大也。皇天眷佑、誕受厥命、卽伊尹所謂天監厥德、用集大命者。撫民以寬、除厥邪虐、卽伊尹所謂代虐以寬、兆民允懷者。功加于時、言其所及者衆。德垂後裔、言其所傳者遠也。後裔、卽微子也。此崇德之意。
【読み】
△嗚呼乃の祖成湯、克く齊聖廣淵なり。皇天眷[かえり]み佑けて、誕[おお]いに厥の命を受く。民を撫づるに寬を以てし、其の邪虐を除く。功時に加わり、德後裔に垂れたり。齊は、肅むなり。齊なれば則ち敬せざる無し。聖なれば則ち通ぜざる無し。廣は、其の大いなるを言う。淵は、其の深きを言うなり。誕は、大いなり。皇天眷み佑け、誕いに厥の命を受くとは、卽ち伊尹が所謂天厥の德を監て、用て大命を集むという者なり。民を撫づるに寬を以てし、厥の邪虐を除くとは、卽ち伊尹が所謂虐に代うるに寬を以てして、兆民允として懷くという者なり。功時に加うとは、言うこころは、其の及ぶ所の者衆し。德後裔に垂るとは、言うこころは、其の傳わる所の者遠し。後裔は、卽ち微子なり。此れ德を崇ぶの意なり。

△爾惟踐修厥猷、舊有令聞。恪愼克孝、肅恭神人。予嘉乃德。曰篤不忘。上帝時歆、下民祗協。庸建爾于上公、尹茲東夏。猷、道。令、善。聞、譽也。微子踐履修舉成湯之道、舊有善譽、非一日也。恪、敬也。恪謹克孝、肅恭神人、指微子實德而言。抱祭器歸周、亦其一也。篤、厚也。我善汝德、曰厚而不忘也。歆、饗。庸、用也。王者之後稱公。故曰上公。尹、治也。宋・亳在東。故曰東夏。此象賢之意。
【読み】
△爾惟れ厥の猷[みち]を踐み修めて、舊[もと]より令聞有り。恪[つつし]み愼みて克く孝あり、神人を肅み恭む。予れ乃の德を嘉みんず。曰く篤くして忘れず、と。上帝時[こ]れ歆[う]け、下民祗[つつし]み協えり。庸[もっ]て爾を上公に建てて、茲の東夏を尹[おさ]めしむ。猷は、道。令は、善き。聞は、譽れなり。微子成湯の道を踐履修舉して、舊より善譽有るは、一日に非ざるなり。恪は、敬むなり。恪み謹みて克く孝あり、神人を肅み恭むとは、微子の實德を指して言う。祭器を抱いて周に歸するも、亦其の一なり。篤は、厚きなり。我れ汝の德を善みんじて、曰く、厚くして忘れず、と。歆[きん]は、饗[う]く。庸は、用てなり。王者の後を公と稱す。故に上公と曰う。尹は、治むるなり。宋・亳は東に在り。故に東夏と曰う。此れ賢に象るの意なり。

△欽哉。往敷乃訓、愼乃服命、率由典常、以蕃王室。弘乃烈祖、律乃有民、永綏厥位、毗予一人、世世享德、萬邦作式、俾我有周無斁。斁、音亦。○此因戒勉之也。服命、上公服命也。宋、王者之後。成湯之廟、當有天子禮樂。慮有僭擬之失。故曰、謹其服命、率由典常。以戒之也。弘、大。律、範。毗、輔。式、法。斁、厭也。卽詩言、在此無斁之意。○林氏曰、偪生於僭、僭生於疑。非疑無僭、非僭無偪。謹其服命、遵守典常、安有偪僭之過哉。魯實侯爵。乃以天子禮樂祀周公、亦旣不謹矣。其後遂用於羣公之廟。甚至季氏僭八佾、三家僭雍徹。其原一開末流、無所不至。成王於宋謹愼如此。必無賜周公以天子禮樂之事、豈周室旣衰、魯竊僭用、託爲成王之賜、伯禽之受乎。
【読み】
△欽めや。往いて乃の訓えを敷き、乃の服命を愼み、典常に率い由りて、以て王室を蕃[まも]れ。乃の烈祖を弘[おお]いにし、乃の有民に律[のり]として、永く厥の位を綏んじ、予れ一人を毗[たす]けて、世世德を享けて、萬邦式[のり]と作して、我が有周をして斁[いと]うこと無からしめよ。斁[えき]は、音亦。○此は因りて之を戒め勉めしむるなり。服命は、上公の服命なり。宋は、王者の後。成湯の廟、當に天子の禮樂有るべし。僭擬の失有らんことを慮る。故に曰く、其の服命を謹み、典常に率い由れ、と。以て之を戒むるなり。弘は、大い。律は、範。毗は、輔く。式は、法。斁は、厭うなり。卽ち詩に言う、此に在りて斁われ無しの意なり。○林氏が曰く、偪[せ]むるは僭[おご]れるより生り、僭るは疑うより生る。疑うに非ざれば僭ること無し、僭るに非ざれば偪むること無し。其の服命を謹みて、典常を遵守すれば、安んぞ偪僭の過ち有らんや。魯は實に侯爵なり。乃ち天子の禮樂を以て周公を祀るは、亦旣に謹まざるなり。其の後遂に羣公の廟に用ゆ。甚だしきは季氏八佾を僭し、三家雍徹を僭するに至る。其の原一たび開いて末流れ、至らざる所無し。成王宋に於て謹愼すること此の如し。必ず周公に賜うに天子の禮樂を以てするの事無きに、豈周室旣に衰え、魯竊僭して用ゆるは、託して成王の賜、伯禽が受くるとするか、と。

△嗚呼往哉。惟休無替朕命。歎息言、汝往之國、當休美其政、而無廢棄我所命汝之言也。
【読み】
△嗚呼往けや。惟れ休[よ]みんじて朕が命を替[す]つること無かれ、と。歎息して言う、汝が往く國、當に其の政を休美して、我が汝に命ずる所の言を廢て棄つること無かるべし、と。

康誥 康叔、文王之子、武王之弟。武王誥命爲衛侯。今文古文皆有。○按書序以康誥爲成王之書。今詳本篇、康叔於成王爲叔父。成王不應以弟稱之。說者謂、周公以成王命誥。故曰弟。然旣謂之王若曰、則爲成王之言。周公何遽自以弟稱之也。且康誥・酒誥・梓材三篇、言文王者非一、而略無一語以及武王何耶。說者又謂、寡兄勖爲稱武王。尤爲非義。寡兄云者、自謙之辭、寡德之稱。苟語他人、猶之可也。武王康叔之兄。家人相語、周公安得以武王爲寡兄而告其弟乎。或又謂、康叔在武王時尙幼。故不得封。然康叔武王同母弟。武王分封之時、年已九十。安有九十之兄、同母弟尙幼、不可封乎。且康叔文王之子。叔虞成王之弟。周公東征、叔虞已封於唐。豈有康叔得封、反在叔虞之後。必無是理也。又按汲冢周書克殷篇言、王卽位於社南、羣臣畢從。毛叔鄭奉明水、衛叔封傅禮。召公奭贊釆、師尙父牽牲。史記亦言、衛康叔封布茲。與汲書大同小異。康叔在武王時、非幼亦明矣。特序書者、不知康誥篇首四十八字、爲洛誥脫簡、遂因誤爲成王之書。是知書序果非孔子所作也。康誥・酒誥・梓材篇次、當在金縢之前。
【読み】
康誥[こうこう] 康叔は、文王の子、武王の弟なり。武王誥命して衛侯とす。今文古文皆有り。○書の序を按ずるに康誥を以て成王の書とす。今本篇を詳らかにするに、康叔は成王に於て叔父爲り。成王弟を以て之を稱す應からず。說者謂く、周公成王の命を以て誥ぐ。故に弟と曰う、と。然れども旣に之れ王若く曰くと謂うときは、則ち成王の言爲り。周公何ぞ遽に自ら弟を以て之を稱せんや。且つ康誥・酒誥・梓材の三篇、文王を言う者一に非ず、而して略一語以て武王に及ぶこと無きは何ぞや。說者又謂く、寡兄勖[つと]めたりを武王を稱すとす、と。尤も義に非ずとす。寡兄と云うは、自ら謙るの辭、寡德の稱なり。苟も他人に語るときは、猶之れ可なり。武王は康叔の兄。家人相語るに、周公安んぞ武王を以て寡兄として其の弟に告ぐることを得んや。或ひと又謂く、康叔武王の時に在りて尙幼し。故に封ずること得ず、と。然れども康叔は武王の同母弟なり。武王分かち封ずるの時、年已に九十。安んぞ九十の兄有りて、同母弟尙幼くして、封ず可からざらんや。且つ康叔は文王の子。叔虞は成王の弟。周公東征して、叔虞已に唐に封ぜらる。豈康叔封を得ること、反って叔虞の後に在ること有らんや。必ず是の理無けん。又汲冢周書克殷の篇を按ずるに言く、王位に社の南に卽き、羣臣畢く從えり。毛叔鄭明水を奉じ、衛叔封禮を傅[つか]う。召公奭釆を贊け、師尙父牲を牽く、と。史記に亦言う、衛の康叔封茲を布く、と。汲書と大いに同じくして小異なり。康叔武王の時に在りて、幼きに非ざること亦明らかなり。特に書を序ずる者、康誥の篇首の四十八字は、洛誥の脫簡爲ることを知らず、遂に因りて誤りて成王の書とす。是に知る、書の序は果たして孔子の作る所に非ざることを。康誥・酒誥・梓材の篇次は、當に金縢の前に在るべし。

惟三月哉生魄、周公初基、作新大邑于東國洛。四方民大和會。侯・甸・男邦・采・衛、百工播民和、見士于周。周公咸勤、乃洪大誥治。三月、周公攝政七年之三月也。始生魄、十六日也。百工、百官也。士、說文曰、事也。詩曰、勿士行枚。呂氏曰、斧斤版築之事、亦甚勞矣。而民大和會、悉來赴役。卽文王作靈臺、庶民子來之意。蘇氏曰、此洛誥之文、當在周公拜手稽首之上。
【読み】
惟れ三月哉[はじ]めて魄を生すときに、周公初めて基して、新大邑を東國の洛に作る。四方の民大いに和らぎ會[つど]えり。侯・甸・男邦・采・衛までに、百工民に和らぐことを播いて、士[こと]を周に見る。周公咸勤めて、乃ち洪いに大いに誥げて治む。三月は、周公政を攝する七年の三月なり。始めて魄を生すとは、十六日なり。百工は、百官なり。士は、說文に曰く、事、と。詩に曰く、行枚を士とすること勿かれ、と。呂氏が曰く、斧斤版築の事、亦甚だ勞す。而れども民大いに和會して、悉く來りて役に赴く。卽ち文王靈臺を作り、庶民子のごとく來るの意なり、と。蘇氏が曰く、此れ洛誥の文、當に周公拜手稽首の上に在るべし、と。

△王若曰、孟侯、朕其弟小子封、王、武王也。孟、長也。言爲諸侯之長也。封、康叔名。舊說周公以成王命誥康叔者非是。
【読み】
△王若[か]く曰く、孟侯、朕が其の弟小子封、王は、武王なり。孟は、長なり。言うこころは、諸侯の長爲り。封は、康叔の名。舊說に周公成王の命を以て康叔に誥ぐるという者は是に非ず。

△惟乃丕顯考文王、克明德愼罰。左氏曰、明德謹罰、文王所以造周也。明德、務崇之之謂。謹罰、務去之之謂。明德謹罰、一篇之綱領。不敢侮鰥寡以下、文王明德謹罰也。汝念哉以下、欲康叔明德也。敬明乃罰以下、欲康叔謹罰也。爽惟民以下、欲其以德行罰也。封敬哉以下、欲其不用罰而用德也。終則以天命殷民結之。
【読み】
△惟れ乃の丕いに顯らかなる考文王、克く德を明らかにし罰を愼む。左氏が曰く、德を明らかにし罰を謹むは、文王の周を造す所以なり。德を明らかにするは、務めて之を崇ぶの謂なり。罰を謹むは、務めて之を去るの謂なり。德を明らかにし罰を謹むは、一篇の綱領なり。不敢侮鰥寡以下は、文王德を明らかにし罰を謹むなり。汝念哉以下は、康叔の德を明らかにせんことを欲するなり。敬明乃罰以下は、康叔の罰を謹まんことを欲するなり。爽惟民以下は、其の德を以て罰を行うことを欲するなり。封敬哉以下は、其の罰を用いずして德を用ゆることを欲するなり。終わりには則ち天殷の民を命ずるを以て之を結ぶ。

△不敢侮鰥寡、庸庸祗祗威威。顯民用肇造我區夏。越我一二邦以修。我西土惟時怙冒、聞于上帝、帝休。天乃大命文王、殪戎殷、誕受厥命。越厥邦厥民、惟時敍。乃寡兄勖。肆汝小子封、在茲東土。殪、壹計反。○鰥寡、人所易忽也。於人易忽者、而不忽焉。以見聖人無所不敬畏也。卽堯不虐無告之意也。論文王之德而首發此。非聖人不能也。庸、用也。用其所當用、敬其所當敬、威其所當威。言文王用能敬賢討罪、一聽於理、而己無與焉。故德著於民。用始造我區夏。及我一二友邦、漸以修治。至罄西土之人、怙之如父、冒之如天。明德昭升、聞于上帝。帝用休美、乃大命文王、殪滅大殷、大受其命。萬邦萬民、各得其理、莫不時敍。汝寡德之兄、亦勉力不怠。故爾小子封、得以在此東土也。吳氏曰、殪戎殷、武王之事也。此稱文王者、武王不敢以爲己之功也。○又按東土云者、武王克商、分紂城朝歌、以北爲邶、南爲鄘、東爲衛。意邶鄘爲武庚之封、而衛卽康叔也。漢書言、周公善康叔不從管蔡之亂。似地相比近之辭。然不可攷矣。
【読み】
△敢えて鰥寡を侮らず、庸[もち]ゆべきを庸い祗[つつし]むべきを祗み威[おど]すべきを威す。民に顯らかにして用て肇めて我が區夏を造せり。我が一二の邦に越ぶまで以て修まれり。我が西土惟れ時[こ]れ怙[たの]しみ冒[おお]われ、上帝に聞えて、帝休[よ]みす。天乃ち大いに文王に命じて、戎[おお]いなる殷を殪[たお]し、誕[おお]いに厥の命を受けたり。厥の邦厥の民に越ぶまで、惟れ時れ敍ず。乃の寡兄勖[つと]めたり。肆[ゆえ]に汝小子封、茲の東土に在り、と。殪[えい]は、壹計反。○鰥寡は、人の忽にし易き所なり。人の忽にし易き者に於て、忽にせず。以て聖人敬畏せずという所無きを見すなり。卽ち堯の無告を虐げずの意なり。文王の德を論じて首めて此に發す。聖人に非ずんば能わざるなり。庸は、用なり。其の當に用ゆべき所を用い、其の當に敬むべき所を敬み、其の當に威すべき所を威す。言うこころは、文王の能を用い賢を敬し罪を討ずる、一に理に聽いて、己與ること無し。故に德民に著る。用て始めて我が區夏を造す。我が一二の友邦に及ぶまで、漸く以て修まり治む。西土の人を罄[つ]くすに至りて、之を怙しむこと父の如く、之を冒うこと天の如し。明德昭らかに升り、上帝に聞ゆ。帝用て休美し、乃ち大いに文王に命じて、大いなる殷を殪滅し、大いに其の命を受く。萬邦の萬民、各々其の理を得て、時れ敍あらざること莫し。汝が寡德の兄も、亦勉め力めて怠らず。故に爾小子封、以て此の東土に在ることを得たり、と。吳氏が曰く、戎いなる殷を殪すとは、武王の事なり。此に文王と稱するは、武王敢えて以て己が功とせざるなり、と。○又按ずるに東土と云うは、武王商に克ちて、紂の城朝歌を分かちて、北を以て邶[はい]とし、南を鄘とし、東を衛とす。意うに邶鄘は武庚が封と爲りて、衛は卽ち康叔ならん。漢書に言く、周公康叔が管蔡の亂に從わざるを善みす、と。地相比近するの辭に似たり。然れども攷[かんが]う可からず。

△王曰、嗚呼封、汝念哉。今民將在祗遹乃文考、紹聞衣德言。往敷求于殷先哲王、用保乂民。汝丕遠惟商耇成人、宅心知訓。別求聞由古先哲王、用康保民。弘于天、若德裕乃身、不廢在王命。遹、音聿音述。○此下明德也。遹、述。衣、服也。今治民將在敬述文考之事、繼其所聞、而服行文王之德言也。往、之國也。宅心、處心也。安汝止之意。知訓、知所以訓民也。由、行也。曰保乂、曰知訓、曰康保、經緯以成文爾。武王旣欲康叔祗遹文考、又欲敷求商先哲王、又丕遠惟商耇成人、又別聞由古先哲王。近述諸今、遠稽諸古。不一而足、以見義理之無盡。易曰、君子多識前言往行、以蓄其德。弘者、廓而大之也。天者、理之所從出也。康叔博學以聚之、集義以生之、眞積力久、衆理該通。此心之天、理之所從出者、始恢廓而有餘用矣。若是則心廣體胖、動無違禮。斯能不廃在王之命也。○呂氏曰、康叔歷求聖賢問學、至於弘于天、德裕身。可謂盛矣。止能不廢王命、才可免過而已。此見人臣職分之難盡。若欲爲子、必須如舜與曾閔、方能不廢父命。若欲爲臣、必須如舜與周公、方能不廢君命。
【読み】
△王曰く、嗚呼封、汝念えや。今民將に乃の文考を祗み遹[の]べて、聞けるに紹[つ]いで德言を衣[おこな]うに在らんとす。往いて殷の先哲王を敷き求めて、用て民を保んじ乂[おさ]めよ。汝丕いに遠く商の耇[こう]成人を惟い、心を宅[お]き訓えを知れ。別[こと]に古の先哲王に聞き由[おこな]うことを求めて、用て民を康んじ保んぜよ。天に弘[おお]いにし、若[か]く德乃の身に裕かならば、王に在る命を廢てず、と。遹[いつ]は、音聿音述。○此より下は德を明らかにするなり。遹は、述ぶる。衣は、服[したが]うなり。今民を治むるは將に敬んで文考の事を述べ、其の聞く所を繼いで、文王の德言を服い行うに在らんとす。往くは、國に之くなり。心を宅くとは、心を處くなり。汝の止まりを安んずるの意なり。訓えを知るとは、民を訓ゆる所以を知るなり。由は、行うなり。保乂と曰い、知訓と曰い、康保と曰うは、經緯して以て文を成すのみ。武王旣に康叔が祗みて文考を遹べんことを欲し、又敷く商の先哲王を求め、又丕いに遠く商の耇成人を惟い、又別に聞いて由わんことを古の先哲王に欲す。近くは今を述べ、遠くは古を稽う。一つとして足らず、以て義理の盡きること無きを見す。易に曰く、君子は多く前言往行を識して、以て其の德を蓄う、と。弘は、廓[ひろ]くして之を大いにするなり。天は、理の從りて出づる所なり。康叔博く學んで以て之を聚め、集義して以て之を生し、眞に力を積むこと久しく、衆理該通す。此れ心の天、理の從りて出づる所の者、始めて恢廓[かいかく]して餘用有り。是の若きときは則ち心廣く體胖かにして、動きて禮に違うこと無し。斯れ能く王に在るの命を廃てざるなり。○呂氏が曰く、康叔歷く聖賢の問學を求め、天を弘いにし、德身を裕かにするに至る。盛んなりと謂う可し。止能く王命を廢てずして、才過を免る可きのみ。此れ人臣職分の盡くし難きことを見す。若し子爲らんと欲せば、必ず須く舜と曾閔との、方に能く父の命を廢てざるが如くすべし。若し臣爲らんと欲せば、必ず須く舜と周公との、方に能く君の命を廢てざるが如くすべし、と。

△王曰、嗚呼小子封、恫瘝乃身敬哉。天畏棐忱。民情大可見、小人難保。往盡乃心、無康好逸豫。乃其乂民。我聞曰、怨不在大、亦不在小。惠不惠、懋不懋。恫、音通。瘝、姑還反。○恫、痛。瘝、病也。視民之不安、如疾痛之在乃身。不可不敬之也。天命不常、雖甚可畏、然誠則輔之。民情好惡、雖大可見、而小民至爲難保。汝往之國、所以治之者非他、惟盡汝心、無自安而好逸豫。乃其所以治民也。古人言、怨不在大、亦在小、惟在順不順、勉不勉耳。順者、順於理。勉者、勉於行。卽上文所謂往盡乃心、無康好逸豫者也。
【読み】
△王曰く、嗚呼小子封、乃の身に恫[いた]き瘝[やまい]あるがごとく敬めや。天畏るべけれども忱[まこと]を棐[たす]く。民の情大いに見る可きなれども、小人は保んじ難し。往いて乃の心を盡くして、康んじて逸豫を好むこと無かれ。乃ち其れ民を乂[おさ]むるなり。我れ聞く曰く、怨みは大いなるに在らず、亦小しきなるにも在ず。惠[したが]うと惠わざると、懋[つと]むると懋めざるとなり。恫[とう]は、音通。瘝[かん]は、姑還反。○恫は、痛し。瘝は、病なり。民の安んぜざるを視ること、疾痛の乃の身に在るが如し。之を敬まずんばある可からず。天命常ならず、甚だ畏る可しと雖も、然れども誠あるときは則ち之を輔く。民情の好惡、大いに見る可しと雖も、而れども小民は至って保んじ難しとす。汝國に往き之いて、之を治むる所以の者は他に非ず、惟れ汝の心を盡くして、自ら安んじて逸豫を好むこと無し。乃ち其れ民を治むる所以なり。古人言く、怨みは大いなるに在ず、亦小しきなるにも在ず、惟順うと順わざると、勉むると勉めざるとに在るのみ、と。順うとは、理に順うなり。勉むるとは、行を勉むるなり。卽ち上の文に所謂往いて乃の心を盡くして、康んじて逸豫を好むこと無かれという者なり。

△己汝惟小子、乃服惟弘王。應保殷民、亦惟助王宅天命、作新民。服、事。應、和也。汝之事、惟在廣上德意。和保殷民、使之不失其所、以助王安定天命、而作新斯民也。此言明德之終也。大學言明德、亦舉新民終之。
【読み】
△己んなんや汝惟れ小子、乃の服[こと]惟れ王を弘めよ。殷の民を應[やわ]らげ保んじて、亦惟れ王を助け天命を宅[さだ]め、民を新たにすることを作せ、と。服は、事。應は、和らぐなり。汝の事は、惟れ上の德を廣むるに在るの意なり。殷の民を和らげ保んじ、之をして其の所を失わざらしめ、以て王を助け天命を安んじ定めて、新たなる斯の民を作さんとなり。此れ言うこころは、德を明らかにするの終わりなり。大學に明德を言うも、亦新民を舉げて之を終う。

△王曰、嗚呼封、敬明乃罰。人有小罪非眚、乃惟終自作不典。式爾有厥罪小、乃不可不殺。乃有大罪非終、乃惟眚災。適爾旣道極厥辜、時乃不可殺。此下謹罰也。式、用。適、偶也。人有小罪、非過誤、乃其固爲亂常之事。用意如此、其罪雖小、乃不可不殺。卽舜典所謂刑故無小也。人有大罪、非是故犯、乃其過誤、出於不幸、偶爾如此、旣自稱道、盡輸其情、不敢隱匿、罪雖大、時乃不可殺。卽舜典所謂宥過無大也。諸葛孔明治蜀、服罪輸情者、雖重必釋。其旣道極厥辜、時乃不可殺之意歟。
【読み】
△王曰く、嗚呼封、敬みて乃の罰を明らかにせよ。人小しきなる罪有りとも眚[あやまち]に非ず、乃ち惟れ終えて自ら典あらざることを作さん。式[もっ]て爾らば厥の罪小しきなること有りとも、乃ち殺さずんばある可からず。乃ち大いなる罪有りとも終うるに非ず、乃ち惟れ眚ち災いせん。適々爾らば旣に道[い]いて厥の辜[つみ]を極めば、時[こ]れ乃ち殺す可からず、と。此の下は罰を謹むなり。式は、用て。適は、偶々なり。人小しきなる罪有りとも、過誤に非ず、乃ち其れ固に常を亂るの事を爲す。意を用ゆること此の如くなれば、其の罪小しきなりと雖も、乃ち殺さずんばある可からず。卽ち舜典に所謂故を刑するに小しきなること無きなり。人大いなる罪有り、是れ故に犯すに非ずして、乃ち其れ過誤にして、不幸に出でて、偶々爾として此の如くなれば、旣に自ら稱道して、盡く其の情を輸[つ]くして、敢えて隱匿せざれば、罪大いなりと雖も、時れ乃ち殺す可からず。卽ち舜典に所謂過てるを宥めて大いなりとすること無きなり。諸葛孔明蜀を治むるときに、罪に服し情を輸くす者は、重しと雖も必ず釋[ゆる]す。其れ旣に道いて厥の辜を極めば、時れ乃ち殺す可からずの意か。

△王曰、嗚呼封有敍。時乃大明服。惟民其勑懋和。若有疾、惟民其畢棄咎。若保赤子、惟民其康乂。有敍者、刑罰有次序也。明者、明其罰。服者、服其民也。左氏曰、乃大明服。己則不明、而殺人以逞。不亦難乎。勑、戒勑也。民其戒勑、而勉於和順也。若有疾、以去疾之心去惡也。故民皆棄咎。若保赤子者、以保子之心保善也。故民其安治。
【読み】
△王曰く、嗚呼封敍有り。時[こ]れ乃ち大いに明らかにし服[つ]けよ。惟れ民其れ勑[つつし]みて和らぎを懋[つと]めん。疾有るが若くするときは、惟れ民其れ畢く咎を棄つ。赤子を保んずるが若くするときは、惟れ民其れ康んじ乂[おさ]まる。敍有りとは、刑罰に次序有るなり。明は、其の罰を明らかにするなり。服は、其の民を服するなり。左氏が曰く、乃ち大いに明らかなれば服す。己則ち明らかならずして、人を殺して以て逞しくす。亦難からずや、と。勑は、戒勑なり。民其れ戒め勑みて、和順を勉む。疾有るが若しとは、疾を去るの心を以て惡を去るなり。故に民皆咎を棄つ。赤子を保つが若しとは、子を保んずるの心を以て善を保んずるなり。故に民其れ安んじ治まる。

△非汝封刑人殺人。無或刑人殺人。非汝封又曰劓刵人。無或劓刵人。刑殺者、天之所以討有罪、非汝封得以刑之殺之也。汝無或以己而刑殺之。刵、截耳也。刑殺、刑之大者。劓刵、刑之小者。兼舉小大、以申戒之也。又曰、當在無或刑人殺人之下。又按刵、周官五刑所無。呂刑以爲苗民所制。
【読み】
△汝封が人を刑し人を殺すに非ず。人を刑し人を殺すこと或る無かれ。汝封が又曰く人を劓[はなぎ]り刵[みみき]るに非ず。人を劓り刵ること或る無かれ、と。刑殺は、天の罪有るを討ずる所以、汝封が得て以て之を刑し之を殺すに非ざるなり。汝己を以て之を刑殺すること或る無かれ。刵[じ]は、耳を截つなり。刑殺は、刑の大なる者。劓刵[ぎじ]は、刑の小なる者。小大を兼ね舉げて、以て申ねて之を戒むなり。又曰は、當に無或刑人殺人の下に在るべし。又按ずるに刵は、周官の五刑に無き所。呂刑に以爲えらく、苗民制する所、と。

△王曰、外事、汝陳時臬、司師茲殷罰有倫。外事、未詳。陳氏曰、外事、有司之事也。臬、法也。爲準限之義。言汝於外事、但陳列是法、使有司師此殷罰之有倫者用之爾。○呂氏曰、外事、衛國事也。史記言、康叔爲周司寇。司寇、王朝之官。職任内事。故以衛國對言爲外事。今按篇中言、往敷求、往盡乃心。篇終曰、往哉封。皆令其之國之辭、而未見其留王朝之意。但詳此篇、康叔蓋深於法者、異時成王或舉以任司寇之職。而此則未必然也。
【読み】
△王曰く、外の事は、汝時[こ]の臬[のり]を陳べて、司をして茲の殷の罰の倫[ついで]有るを師とせよ、と。外事は、未だ詳らかならず。陳氏が曰く、外事は、有司の事なり、と。臬[げつ]は、法なり。準限の義とす。言うこころは、汝外事に於ては、但是の法を陳列して、有司をして此の殷の罰の倫有る者を師として之を用ゆるのみ。○呂氏が曰く、外事は、衛の國の事なり。史記に言く、康叔は周の司寇爲り、と。司寇は、王朝の官。職内事に任ず。故に衛の國を以て對して言いて外事とす、と。今按ずるに篇の中に言う、往いて敷き求め、往いて乃の心を盡くす、と。篇の終わりに曰く、往けや封、と。皆其をして國に之かしむるの辭にして、未だ其の王朝に留むるの意を見ず。但此の篇を詳らかにするに、康叔は蓋し法に深き者にて、異時成王或は舉げて以て司寇の職に任ずるならん。而れども此れ則ち未だ必ずしも然らざらん。

△又曰、要囚、服念五六日、至于旬時、丕蔽要囚。要囚、獄詞之要者也。服念、服膺而念之。旬、十日。時、三月。爲囚求生道也。蔽、斷也。
【読み】
△又曰く、囚を要めんことは、服念すること五六日より、旬時に至るまでに、丕いに蔽[さだ]めて囚を要めよ、と。要囚は、獄詞の要なる者なり。服念は、服膺して之を念うなり。旬は、十日。時は、三月。囚の爲に生道を求むるなり。蔽は、斷むるなり。

△王曰、汝陳時臬事、罰蔽殷彝。用其義刑義殺、勿庸以次汝封。乃汝盡遜、曰時敍、惟曰未有遜事。義、宜也。次、次舍之次。遜、順也。申言敷陳是法與事、罰斷以殷之常法矣。又慮其泥古而不通、又謂其刑其殺、必察其宜於時者、而後用之。旣又慮其趨時而徇己、又謂刑殺不可以就汝封之意。旣又慮其刑殺雖已當罪、而矜喜之心乘之、又謂使汝刑殺盡順於義、雖曰是有次敍、汝當惟謂未有順義之事。蓋矜喜之心生、乃怠惰之心起。刑殺之所由不中也。可不戒哉。
【読み】
△王曰く、汝時[こ]の臬[のり]と事とを陳べて、罰は殷の彝[つね]に蔽[さだ]めよ。其の義刑義殺を用いて、庸[もち]いて以て汝封を次[お]くこと勿かれ。乃ち汝盡くに遜わば、時れ敍ずと曰うとも、惟れ未だ遜う事有らずと曰え。義は、宜なり。次は、次舍の次。遜は、順うなり。申ねて言う、是の法と事とを敷き陳べて、罰の斷めは殷の常の法を以てす、と。又其の古に泥んで通ぜざるを慮りて、又其の刑其の殺は、必ず其の時に宜しき者を察して、而して後に之を用ゆることを謂う。旣に又其の時に趨りて己に徇うを慮りて、又刑殺は以て汝封の意に就[な]す可からざることを謂う。旣に又其の刑殺已に罪に當たると雖も、而れども矜喜の心之に乘ずるを慮りて、又謂う、汝をして刑殺盡く義に順いて、是れ次敍有りと曰うと雖も、汝當に惟れ未だ義に順うの事有らずと謂うべし、と。蓋し矜喜の心生るときは、乃ち怠惰の心起こる。刑殺の由りて中らざる所なり。戒めざる可けんや。

△已汝惟小子、未其有若汝封之心。朕心朕德惟乃知。已者、語辭之不能已也。小子、幼小之稱。言年雖少、而心獨善也。爾心之善、固朕知之。朕心朕德、亦惟爾知之。將言用罰之事。故先發其良心焉。
【読み】
△已んなんや汝惟れ小子、未だ其れ汝封が心に若くは有らず。朕が心朕が德惟れ乃知れり。已とは、語辭の已むこと能わざるなり。小子は、幼小の稱。言うこころは、年少[わか]しと雖も、心は獨り善きなり。爾が心の善き、固に朕れ之を知れり。朕が心朕が德も、亦惟れ爾之を知れり、と。將に罰を用ゆるの事を言わんとす。故に先ず其の良心を發すなり。

△凡民自得罪、寇攘姦宄、殺越人于貨、暋不畏死、罔弗憝。暋、音敏。憝、徒對反。○越、顚越也。盤庚云、顚越不恭。暋、强。憝、惡也。自得罪、非爲人誘陷以得罪也。凡民自犯罪、爲盜賊姦宄、殺人顚越人、以取財貨、强狠亡命者、人無不憎惡之也。用罰而加是人、則人無不服。以其出乎人之同惡、而非卽乎吾之私心也。特舉此以明用罰之當罪。
【読み】
△凡そ民自ら罪を得て、寇攘姦宄し、人を貨に殺し越[くつがえ]し、暋[つよ]くして死を畏れざるをば、憝[にく]まざる罔し、と。暋[びん]は、音敏。憝[たい]は、徒對反。○越は、顚越なり。盤庚に云う、顚越して恭しからず、と。暋は、强し。憝は、惡むなり。自ら罪を得とは、人の爲に誘き陷いられて以て罪を得るに非ず。凡そ民自ら罪を犯して、盜賊姦宄を爲し、人を殺し人を顚越して、以て財貨を取り、强狠[きょうこん]にして命を亡う者、人之を憎惡せざる無し。罰を用いて是の人に加うるときは、則ち人服せざる無し。其の人の惡に同じく出でて、吾が私心に卽くに非ざるを以てなり。特に此を舉げて以て罰を用ゆるの罪に當たるを明らかにするなり。

△王曰、封、元惡大憝。矧惟不孝不友。子弗祗服厥父事、大傷厥考心。于父不能字厥子、乃疾厥子。于弟弗念天顯、乃弗克恭厥兄、兄亦不念鞠子哀、大不友于弟。惟弔茲、不于我政人得罪、天惟與我民彝大泯亂。曰、乃其速由文王作罰、刑茲無赦。弔、音的。○大憝、卽上文之罔弗憝。言寇攘姦宄、固爲大惡而大可惡矣。況不孝不友之人、而尤爲可惡者。當商之季、禮義不明、人紀廢壞。子不敬事其父、大傷父心。父不能愛子、乃疾惡其子。是父子相夷也。天顯、猶孝經所謂天明。尊卑顯然之序也。弟不念尊卑之序、而不能敬其兄、兄亦不念父母鞠養之勞、而大不友其弟。是兄弟相賊也。父子兄弟至於如此、苟不於我爲政之人而得罪焉、則天之與我民彝、必大泯滅而紊亂矣。曰者、言如此則汝其速由文王作罰、刑此無赦、而懲戒之不可緩也。
【読み】
△王曰く、封、元いなる惡すら大いに憝[にく]む。矧んや惟れ不孝不友をや。子厥の父の事に祗んで服[つ]かず、大いに厥の考の心を傷る。父に于て厥の子を字[いつく]しむこと能わず、乃ち厥の子を疾[にく]む。弟に于て天の顯らかなるを念わず、乃ち厥の兄を恭しくすることを克くせず、兄も亦子を鞠[やしな]うことの哀[いた]みを念わず、大いに弟に友[むつ]まじからず。惟れ茲に弔[いた]るときは、我が政人に于て罪を得ずんば、天惟れ我に與うる民の彝大いに泯[ほろ]び亂る。曰く、乃其れ速やかに文王の罰を作すに由[したが]いて、茲を刑して赦す無かれ。弔は、音的。○大いに憝むは、卽ち上の文の憝まざる罔しなり。言うこころは、寇攘姦宄は、固に大惡を爲して大いに惡む可し。況んや不孝不友の人にして、尤も惡む可しとする者をや。商の季に當たりて、禮義明らかならず、人紀廢り壞る。子は其の父に敬み事えず、大いに父の心を傷る。父は子を愛しむこと能わず、乃ち其の子を疾み惡む。是れ父子相夷[やぶ]るなり。天顯は、猶孝經に所謂天明のごとし。尊卑顯然の序なり。弟は尊卑の序を念わずして、其の兄を敬うこと能わず、兄も亦父母鞠養の勞を念わずして、大いに其の弟に友まじからず。是れ兄弟相賊するなり。父子兄弟此の如きに至り、苟も我れ政を爲むるの人に於て焉を罪するを得ざるときは、則ち天の我に與うる民の彝、必ず大いに泯滅して紊亂す。曰くとは、言うこころは、此の如きときは則ち汝其れ速やかに文王の罰を作すに由いて、此を刑して赦すこと無くして、懲らし戒むるの緩くす可からざるなり。

△不率大戛。矧惟外庶子訓人。惟厥正人、越小臣諸節、乃別播敷、造民大譽。弗念弗庸、瘝厥君。時乃引惡。惟朕憝。己、汝乃其速由茲義率殺。戛、訖詰反。〇戛、法也。言民之不率敎者、固可大寘之法矣。況外庶子以訓人爲職。與庶官之長、及小臣之有符節者、乃別布條敎、違道干譽、弗念其君、弗用其法、以病君上。是乃長惡於下、我之所深惡也。臣之不忠如此、刑其可已乎。汝其速由此義、而率以誅戮之可也。〇按上言民不孝不友、則速由文王作罰、刑玆無赦、此言外庶子正人、小臣背上立私、則速由茲義率殺。其曰刑曰殺、若用法峻急者、蓋殷之臣民化紂之惡、父子兄弟之無其親、君臣上下之無其義、非繩之以法、示之以威、殷民孰知不孝不義之不可干哉。周禮所謂刑亂國用重典者是也。然曰速由文王、曰速由茲義、則其刑其罰亦仁厚而已矣。
【読み】
△大いなる戛[のり]に率わず。矧んや惟れ外庶子の人を訓ゆるをや。惟れ厥の正人、越[およ]び小臣の諸節、乃ち別[こと]に播し敷き、民に大譽を造す。念わず庸いず、厥の君を瘝[や]ましむ。時れ乃ち惡しきを引く。惟れ朕れ憝[にく]む。己んなんや、汝乃ち其れ速やかに茲の義に由[したが]いて率いて殺せ。戛[かつ]は、訖詰反。〇戛は、法なり。言うこころは、民の敎えに率わざる者は、固に大いに之が法を寘[お]く可し。況んや外庶子の以て人を訓えて職とするをや。庶官の長、及び小臣の符節有る者と、乃ち別に條敎を布いて、道に違いて譽れを干して、其の君を念わず、其の法を用いず、以て君上を病ましむ。是れ乃ち惡を下に長ずるは、我が深く惡む所なり。臣の不忠此の如きときは、刑其れ已む可けんや。汝其れ速やかに此の義に由いて、率いて以て誅戮すること可なり、と。〇按ずるに上には民不孝不友なるときは、則ち速やかに文王の罰を作すに由いて、玆を刑して赦す無かれと言い、此には外庶子の正人、小臣の上に背き私を立つるときは、則ち速やかに茲の義に由いて率いて殺せと言う。其の刑と曰い殺と曰う、法を用ゆるの峻急なるが若き者は、蓋し殷の臣民紂の惡に化して、父子兄弟の其の親無く、君臣上下の其の義無く、之を繩するに法を以てし、之に示すに威を以てするに非ずんば、殷の民孰か不孝不義の干す可からざるを知らんや。周禮に所謂亂國を刑するには重典を用ゆという者是れなり。然れども速やかに文王に由うと曰い、速やかに茲の義に由うと曰うときは、則ち其の刑其の罰も亦仁厚なるのみ。

△亦惟君惟長、不能厥家人、越厥小臣外正。惟威惟虐、大放王命、乃非德用乂。君長、指康叔而言也。康叔而不能齊其家、不能訓其臣、惟威惟虐、大廢棄天子之命。乃欲以非德用治。是康叔且不能用上命矣。亦何以責其臣之瘝厥君也哉。
【読み】
△亦惟れ君惟れ長として、厥の家人を能くせず、越[およ]び厥の小臣外正まで。惟れ威し惟れ虐[そこな]いて、大いに王命を放たば、乃德用て乂[おさ]むるに非ず。君長は、康叔を指して言うなり。康叔而も其の家を齊うこと能わず、其の臣を訓ゆること能わず、惟れ威し惟れ虐いて、大いに天子の命を廢棄す。乃非德を以て用て治めんと欲す。是れ康叔すら且つ上の命を用ゆること能わず。亦何を以てか其の臣の厥の君を瘝ましむるを責めんや、と。

△汝亦罔不克敬典。乃由裕民、惟文王之敬忌。乃裕民曰、我惟有及。則予一人以懌。汝罔不能敬守國之常法。由是而求裕民之道。惟文王之敬忌。敬則有所不忽、忌則有所不敢。期裕其民曰、我惟有及於文王、則予一人以悅懌矣。此言謹罰之終也。穆王訓刑亦曰、敬忌云。
【読み】
△汝亦克く典を敬まざる罔かれ。乃由りて民を裕かにせば、惟れ文王の敬忌なり。乃民を裕かにして曰く、我れ惟れ及ぶこと有り、と。則ち予れ一人以て懌[よろこ]ばん、と。汝能く國を守るの常の法を敬まざる罔かれ。是に由りて民を裕かにするの道を求めよ。惟れ文王の敬忌なり。敬むときは則ち忽にせざる所有り、忌むときは則ち敢えてせざる所有り。其の民を裕かにするを期して曰く、我れ惟れ文王に及ぶこと有りというときは、則ち予れ一人以て悅び懌ばん、と。此は罰を謹むの終わりを言うなり。穆王の訓刑にも亦曰く、敬忌すと云う。

△王曰、封、爽惟民迪吉康。我時其惟殷先哲王德、用康乂民作求。矧今民罔迪不適。不迪則罔政在厥邦。此下欲其以德用罰也。求、等也。詩曰、世德作求。言明思夫民、當開導之以吉康。我亦時其惟殷先哲王之德、用以安治其民、爲等匹於商先王也。迪、卽迪吉康之迪。況今民無導之而不從者。苟不有以導之、則爲無政於國矣。迪言德而政言刑也。前旣嚴之民、又嚴之臣、又嚴之康叔。此則武王之自嚴畏也。
【読み】
△王曰く、封、爽らかに民を惟いて吉く康きに迪[みちび]くべし。我れ時れ其れ殷の先哲王の德を惟いて、用て民を康んじ乂[おさ]めて求[ひと]しからんことを作す。矧んや今民迪いて適かざる罔きをや。迪かずんば則ち政厥の邦に在ること罔し、と。此の下は其の德を以て罰を用いんことを欲するなり。求は、等しきなり。詩に曰く、德を世々にして求しからんことを作す、と。言うこころは、明らかに夫の民を思うに、當に之を開き導くに吉康を以てすべし。我も亦時れ其れ殷の先哲王の德を惟いて、用いて以て其の民を安んじ治め、商の先王に等しく匹せんとす。迪は、卽ち吉康に迪くの迪なり。況んや今の民之を導いて從わざる者無し。苟も以て之を導くこと有らずんば、則ち國に政無しとす。迪くに德を言いて政に刑を言う。前に旣に之を民に嚴にし、又之を臣に嚴にし、又之を康叔に嚴にす。此れ則ち武王の自ら嚴畏するなり。

△王曰、封、予惟不可不監。告汝德之說。于罰之行、今惟民不靜、未戾厥心、迪屢未同。爽惟天其罰殛我、我其不怨。惟厥罪無在大、亦無在多。矧曰其尙顯聞于天。戾、止也。又言民不安靜、未能止其心之狠疾、迪之者雖屢、而未能使之上同乎治。明思天其殛罰我、我何敢怨乎。惟民之罪、不在大、亦不在多。苟爲有罪、卽在朕躬。況曰今庶羣腥穢之德、其尙顯聞于天乎。
【読み】
△王曰く、封、予れ惟れ監みずんばある可からず。汝に德の說くことを告ぐ。罰の行うに于て、今惟れ民靜かならず、未だ厥の心を戾[とど]めず、迪[みちび]くこと屢々すれども未だ同じからず。爽らかに惟うに天其れ我を罰殛すとも、我れ其れ怨みず。惟れ厥の罪大なるに在る無く、亦多きに在る無し。矧んや曰く其れ尙顯らかに天に聞ゆるをや、と。戾は、止むなり。又言う、民安靜ならざるときは、未だ其の心の狠疾[こんしつ]を止むること能わず、之を迪く者屢々すと雖も、而れども未だ之をして上治を同じくせしむること能わず。明らかに思うに天其れ我を殛罰すとも、我れ何ぞ敢えて怨まんや。惟れ民の罪、大なるに在らず、亦多きに在らず。苟も罪有りとするは、卽ち朕が躬に在らん。況んや曰く今庶羣腥穢の德、其れ尙天に顯らかに聞ゆるをや、と。

△王曰、嗚呼封敬哉。無作怨。勿用非謀非彝。蔽時忱。丕則敏德、用康乃心、顧乃德、遠乃猷、裕乃以民寧、不汝瑕殄。此欲其不用罰而用德也。歎息言、汝敬哉。毋作可怨之事。勿用非善之謀、非常之法。惟斷以是誠、大法古人之敏德、用以安汝之心、省汝之德、遠汝之謀、寬裕不迫、以待民之自安。若是則不汝瑕疵而棄絕矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼封敬めや。怨みを作す無かれ。謀に非ず彝に非ざるを用ゆる勿かれ。蔽[さだ]むるに時[こ]れ忱[まこと]をせよ。丕いに敏德に則りて、用て乃の心を康んじ、乃の德を顧み、乃の猷[はかりごと]を遠くして、裕かにして乃ち以て民寧らがば、汝を瑕[や]ましめ殄[た]たず、と。此れ其の罰を用いずして德を用いんことを欲するなり。歎息して言く、汝敬めや。怨む可きの事を作す毋かれ。善に非ざるの謀、常に非ざるの法を用ゆる勿かれ。惟れ斷[さだ]むるに是の誠を以てし、大いに古人の敏德に法りて、用いて以て汝の心を安んじ、汝の德を省み、汝の謀を遠くし、寬裕にして迫らずして、以て民の自ら安んずるを待つ。是の若くんば則ち汝瑕疵ありとして棄て絕たず、と。

△王曰、嗚呼肆汝小子封、惟命不于常。汝念哉。無我殄享。明乃服命、高乃聽、用康乂民。肆、未詳。惟命不于常、善則得之、不善則失之。汝其念哉。毋我殄絕所享之國也。明汝侯國服命、高其聽、不可卑忽我言、用安治爾民也。
【読み】
△王曰く、嗚呼肆[いま]汝小子封、惟れ命常に于てせず。汝念えや。我が享くるを殄[た]つ無かれ。乃の服命を明らかにし、乃の聽を高くして、用て民を康んじ乂めよ、と。肆は、未だ詳らかならず。惟れ命常に于てせず、善なるときは則ち之を得、不善なるときは則ち之を失う。汝其れ念えや。我が享くる所の國を殄絕[てんぜつ]する毋かれ。汝が侯國の服命を明らかにし、其の聽を高くし、我が言を卑しみ忽にす可からず、用て爾の民を安んじ治めよ、と。

△王若曰、往哉封。勿替敬典。聽朕告汝。乃以殷民世享。勿廢其所敬之常法。聽我所命、而服行之。乃能以殷民、而世享其國也。世享、對上文殄享而言。
【読み】
△王若[か]く曰く、往けや封。敬める典を替[す]つる勿かれ。朕が汝に告ぐるを聽け。乃ち殷の民を以て世々享けん、と。其の敬む所の常の法を廢つる勿かれ。我が命ずる所を聽いて、之を服し行わん。乃ち能く殷の民を以て、世々其の國を享けん、と。世々享くとは、上の文の享くるを殄つに對して言う。

酒誥 商受酗酒、天下化之。妹土、商之都邑。其染惡尤甚。武王以其地封康叔。故作書誥敎之云。今文古文皆有。○按吳氏曰、酒誥一書、本是兩書。以其皆爲酒而誥、故誤合而爲一。自王若曰、明大命于妹邦以下、武王告受故都之書也。自王曰封、我西土棐徂邦君以下、武王告康叔之書也。書之體爲一人而作、則首稱其人。爲衆人而作、則首稱其衆。爲一方而作、則首稱一方。爲天下而作、則首稱天下。君奭書首稱君奭、君陳書首稱君陳、爲一人而作也。甘誓首稱六事之人、湯誓首稱格汝衆、此爲衆人而作也。湯誥首稱萬方有衆、大誥首稱大誥多邦、此爲天下而作也。多方書爲四國而作。則首稱四國。多士書爲多士而作。則首稱多士。今酒誥爲妹邦而作。故首言明大命于妹邦。其自爲一書無疑。按吳氏分篇引證、固爲明甚。但旣謂專誥毖妹邦、不應有乃穆考文王之語。意酒誥專爲妹邦而作。而妹邦在康叔封坼之内、則明大命之責、康叔實任之。故篇首專以妹邦爲稱。至中篇始名康叔以致誥。其曰尙克用文王敎者、亦申言首章文王誥毖之意。其事則主於妹邦、其書則付之康叔。雖若二篇、而實爲一書。雖若二事、而實相首尾。反復參究、蓋自爲書之一體也。
【読み】
酒誥[しゅこう] 商受酒に酗[く]し、天下之に化す。妹土は、商の都邑。其の惡に染まること尤も甚だし。武王其の地を以て康叔を封ず。故に書を作りて之に誥げ敎ゆと云う。今文古文皆有り。○按ずるに吳氏が曰く、酒誥の一書は、本是れ兩書なり。其れ皆酒の爲にして誥ぐるを以て、故に誤りて合わせて一つとす、と。王若曰、明大命于妹邦より以下は、武王受の故都に告ぐるの書なり。王曰封、我西土棐徂邦君より以下は、武王康叔に告ぐるの書なり。書の體一人の爲にして作るときは、則ち首めに其の人を稱す。衆人の爲にして作るときは、則ち首めに其の衆を稱す。一方の爲にして作るときは、則ち首めに一方を稱す。天下の爲にして作るときは、則ち首めに天下を稱す。君奭の書の首めに君奭を稱し、君陳の書の首めに君陳を稱するは、一人の爲にして作るなり。甘誓の首めに六事の人と稱し、湯誓の首めに格れ汝衆と稱するは、此れ衆人の爲にして作るなり。湯誥の首めに萬方の有衆と稱し、大誥の首めに大いに多邦に誥ぐと稱するは、此れ天下の爲にして作るなり。多方の書は四國の爲にして作る。則ち首めに四國と稱す。多士の書は多士の爲にして作る。則ち首めに多士と稱す。今酒誥は妹邦の爲にして作る。故に首めに大命を妹の邦に明らかにすと言う。其れ自ずから一書爲ること疑い無し。按ずるに吳氏篇を分かちて證を引くは、固に明なること甚だしとす。但旣に專ら妹の邦を誥げ毖[つつし]ましむと謂いて、乃の穆考文王の語有る應からず。意うに酒誥は專ら妹邦の爲にして作る。而も妹邦は康叔封坼[ほうき]の内に在れば、則ち大命を明らかにするの責め、康叔實に之に任ず。故に篇の首めに專ら妹邦を以て稱することをす。中篇に至りて始めて康叔を名のって以て誥を致す。其れ尙克く文王の敎えを用ゆと曰う者は、亦申ねて首めの章の文王誥げ毖ましむの意を言う。其の事は則ち妹邦を主として、其の書は則ち之を康叔に付す。二篇の若しと雖も、而れども實は一書爲り。二事の若しと雖も、而れども實は相首尾す。反復參究すれば、蓋し自ずから書の一體爲り。

王若曰、明大命于妹邦。妹邦、卽詩所謂沬郷。篇首稱妹邦者、誥命專爲妹邦發也。
【読み】
王若[か]く曰く、大命を妹の邦に明らかにせよ。妹の邦は、卽ち詩に所謂沬[ばい]の郷なり。篇の首めに妹の邦と稱するは、誥命專ら妹の邦の爲に發するなり。

△乃穆考文王、肇國在西土。厥誥毖庶邦・庶士、越少正・御事、朝夕曰、祀茲酒。惟天降命肇我民、惟元祀。穆、敬也。詩曰、穆穆文王是也。上篇言文王明德、則曰顯考、此篇言文王誥毖、則曰穆考。言各有當也。或曰、文王世次爲穆。亦通。毖、戒謹也。少正、官之副貳也。文王朝夕勑戒之曰、惟祭祀則用此酒。天始令民作酒者、爲大祭祀而已。西土庶邦遠去商邑。文王誥毖、亦諄諄以酒爲戒、則商邑可知。文王爲西伯。故得誥毖庶邦云。
【読み】
△乃の穆考文王、國を肇[はじ]めて西土に在り。厥れ庶邦・庶士、越[およ]び少正・御事までに誥げ毖[つつし]ましめて、朝夕曰く、祀のみ茲の酒をせよ、と。惟れ天命を降して我が民に肇むるは、惟れ元祀にす。穆は、敬なり。詩に曰く、穆穆たる文王とは是れなり。上の篇に文王の明德を言うときは、則ち顯考と曰い、此の篇に文王誥げ毖ましむることを言うときは、則ち穆考と曰う。言各々當たること有り。或ひと曰く、文王の世次を穆とす、と。亦通ず。毖[ひ]は、戒謹なり。少正は、官の副貳なり。文王朝夕之を勑戒して曰く、惟れ祭祀には則ち此の酒を用ゆ、と。天始めて民をして酒を作らしむる者は、大いなる祭祀の爲なるのみ。西土庶邦は遠く商邑を去る。文王誥げ毖ましむるに、亦諄諄として酒を以て戒めとするときは、則ち商邑知る可し。文王は西伯爲り。故に庶邦に誥げ毖ましむることを得と云う。

△天降威、我民用大亂喪德、亦罔非酒惟行。越小大邦用喪、亦罔非酒惟辜。酒之禍人也、而以爲天降威者、禍亂之成、是亦天爾。箕子言、受酗酒、亦曰天毒降災、正此意也。民之喪德、君之喪邦、皆由於酒。喪德故言行、喪邦故言辜。
【読み】
△天威を降して、我が民用て大いに亂れて德を喪うは、亦酒惟れ行うに非ざる罔し。小大の邦に越[およ]ぶまで用て喪ぶるは、亦酒惟れ辜[つみ]するに非ざるは罔し。酒の人に禍いするや、而も以て天威を降すとするは、禍亂の成るは、是れ亦天なるのみ。箕子が言く、受酒に酗するにも、亦天毒して災いを降すと曰うは、正に此の意なり。民の德を喪い、君の邦を喪ぼすは、皆酒に由る。德を喪う故に行と言い、邦を喪ぼす故に辜と言う。

△文王誥敎小子、有正・有事、無彝酒。越庶國飮惟祀。德將無醉。小子、少子之稱。以其血氣未定、尤易縱酒喪德。故文王專誥敎之。有正、有官守者。有事、有職業者。無、毋同。彝、常也。毋常於酒、其飮惟於祭祀之時。然亦必以德將之、無至於醉也。
【読み】
△文王小子に誥げ敎えらく、有正・有事、酒を彝[つね]にすること無かれ。越[およ]び庶國飮むこと惟れ祀のみせよ。德を將[おこな]いて醉うこと無かれ、と。小子は、少子の稱。其の血氣未だ定まらざるを以て、尤も酒を縱にして德を喪い易し。故に文王專ら之に誥げ敎ゆ。有正は、官守有る者なり。有事は、職業有る者なり。無は、毋と同じ。彝は、常なり。酒を常にすること毋かれとは、其の飮むこと惟れ祭祀の時に於てす。然して亦必ず德を以て之を將い、醉いに至ること無かれ、と。

△惟曰、我民迪小子。惟土物愛、厥心臧。聰聽祖考之彝訓。越小大德、小子惟一。文王言我民、亦常訓導其子孫。惟土物之愛、勤稼穡、服田畝、無外慕、則心之所守者正、而善日生。爲子孫者、亦當聰聽其祖父之常訓。不可以謹酒爲小德。小德大德、小子惟一視之可也。
【読み】
△惟れ曰く、我が民小子を迪[みちび]く。惟れ土物を愛すれば、厥の心臧[よ]し。祖考の彝訓を聰き聽くべし。小大の德に越[およ]ぶまで、小子惟れ一にせよ、と。文王我が民と言いて、亦常に其の子孫を訓え導く。惟れ土物を愛し、稼穡を勤め、田畝に服して、外の慕い無きときは、則ち心の守る所の者正しくして、善日に生る。子孫爲る者、亦當に聰にして其の祖父の常訓を聽くべし。酒を謹むを以て小德とす可からず。小德大德は、小子惟れ一に之を視て可なり。

△妹土嗣爾股肱、純其藝黍稷、奔走事厥考厥長、肇牽車牛遠服賈、用孝養厥父母、厥父母慶、自洗腆致用酒。此武王敎妹土之民也。嗣、續。純、大。肇、敏。服、事也。言妹土民、當嗣續汝四肢之力。無有怠惰。大修農功、服勞田畝、奔走以事其父母、或敏於貿易、牽車牛遠事賈、以孝養其父母。父母喜慶、然後可自洗腆致用酒。洗、以致其潔、腆、以致其厚也。薛氏曰、或大修農功、或遠服商賈、以養父母。父母慶、則汝可以用酒也。
【読み】
△妹の土爾の股肱を嗣いで、純[おお]いに其れ黍稷を藝[う]えて、奔走して厥の考厥の長に事え、肇[と]く車牛を牽いて遠く賈に服[つ]き、孝を用て厥の父母を養いて、厥の父母慶ぶときは、自ら洗ぎ腆[あつ]くして酒を用ゆることを致せ。此れ武王妹土の民に敎ゆるなり。嗣は、續ぐ。純は、大い。肇は、敏き。服は、事なり。言うこころは、妹土の民、當に汝の四肢の力を嗣ぎ續ぐべし。怠惰有ること無かれ。大いに農功を修め、田畝に服勞し、奔走して以て其の父母に事り、或は貿易に敏くし、車牛を牽いて遠く賈を事とし、以て其の父母を孝養せよ。父母喜び慶んで、然して後に自ら洗ぎ腆くして酒を用ゆることを致す可し。洗は、以て其の潔きを致し、腆は、以て其の厚きを致す。薛氏が曰く、或は大いに農功を修め、或は遠く商賈を服[つと]めて、以て父母を養え。父母慶ぶときは、則ち汝以て酒を用ゆ可し、と。

△庶士・有正、越庶伯・君子、其爾典聽朕敎。爾大克羞耇、惟君爾乃飮食醉飽、丕惟曰、爾克永觀省、作稽中德、爾尙克羞饋祀、爾乃自介用逸。茲乃允惟王正事之臣。茲亦惟天若元德、永不忘在王家。此武王敎妹土之臣也。伯、長也。曰君子者、賢之也。典、常也。羞、養也。言其大能養老也。惟君、未詳。丕惟曰者、大言也。介、助也。用逸者、用以宴樂也。言爾能常常反觀内省、使念慮之發、營爲之際、悉稽乎中正之德、而無過不及之差、則德全於身、而可以交於神明矣。如是則庶幾能進饋祀、爾亦可自副而用宴樂也。如此則信爲王治事之臣。如此亦惟天順元德、而永不忘在王家矣。按上文父母慶、則可飮酒。克羞耇、則可飮酒。羞饋祀、則可飮酒。本欲禁絕其飮。今乃反開其端者、不禁之禁也。聖人之敎、不迫而民從者此也。孝養・羞耇・饋祀、皆因其良心之發、而利導之。人果能盡此三者、且爲成德之士矣。而何憂其湎酒也哉。
【読み】
△庶士・有正、越び庶伯・君子、其れ爾典[つね]に朕が敎えを聽け。爾大いに克く耇いたるを羞[やしな]いて、惟れ君爾乃ち飮み食い醉い飽かし、丕いに惟れ曰う、爾克く永く觀省みて、作すこと中德を稽えば、爾尙わくは克く饋[おく]り祀るを羞[すす]めて、爾乃ち自ら介け用て逸[やす]んぜん。茲れ乃ち允に惟れ王の正事の臣たらん。茲れ亦惟れ天元德に若[したが]いて、永く王家に在るを忘れず、と。此れ武王妹土の臣に敎ゆるなり。伯は、長なり。君子と曰うは、之を賢とするなり。典は、常なり。羞は、養うなり。言うこころは、其れ大いに能く老を養うなり。惟君は、未だ詳らかならず。丕いに惟れ曰うとは、大いに言うなり。介は、助くなり。用て逸んずとは、用いて以て宴樂するなり。言うこころは、爾能く常常に反觀内省して、念慮の發、營爲の際をして、悉く中正の德を稽えて、過不及の差い無からしめば、則ち德身に全くして、以て神明に交わる可し。是の如きときは則ち庶幾わくは能く饋祀を進めて、爾も亦自ら副[たす]けて宴樂を用ゆ可し。此の如きときは則ち信に王の治事の臣爲り。此の如くば亦惟れ天元德に順いて、永く王家に在るを忘れず。上の文を按ずるに父母慶ぶときは、則ち酒を飮む可し。克く耇を羞うときは、則ち酒を飮む可し。饋祀を羞むるときは、則ち酒を飮む可し、と。本其の飮むことを禁絕せんと欲す。今乃ち反って其の端を開く者は、禁ぜざるの禁なり。聖人の敎え、迫らずして民從うという者此れなり。孝養・羞耇・饋祀は、皆其の良心の發に因りて、之を利し導く。人果たして能く此の三つの者を盡くすときは、且つ成德の士爲り。而るを何ぞ其の酒に湎[しず]むことを憂えんや。

△王曰、封、我西土棐徂邦君・御事・小子、尙克用文王敎、不腆于酒。故我至于今、克受殷之命。徂、往也。輔佐文王往日之邦君・御事・小子也。言文王毖酒之敎、其大如此。
【読み】
△王曰く、封、我が西土棐[たす]けし徂[むかし]の邦君・御事・小子まで、尙わくは克く文王の敎えを用て、酒に腆[あつ]からず。故に我れ今に至るまで、克く殷の命を受く、と。徂は、往なり。文王往日の邦君・御事・小子を輔け佐くなり。言うこころは、文王酒を毖[つつし]むの敎え、其れ大いなること此の如し。

△王曰、封、我聞。惟曰、在昔殷先哲王、迪畏天顯小民、經德秉哲。自成湯咸至于帝乙、成王畏相。惟御事厥棐有恭、不敢自暇自逸。矧曰其敢崇飮。以商君臣之不暇逸者、告康叔也。殷先哲王、湯也。迪畏者、畏之而見於行也。畏天之明命、畏小民之難保。經其德而不變、所以處己也。秉其哲而不惑、所以用人也。湯之垂統如此。故自湯至于帝乙、賢聖之君六七作。雖世代不同、而皆能成就君德、敬畏輔相。故當時御事之臣、亦皆盡忠、輔翼而有責難之恭、自暇自逸、猶且不敢。況曰其敢尙飮乎。
【読み】
△王曰く、封、我れ聞く。惟れ曰く、在昔[むかし]殷の先哲王、天の顯らかなると小民とを迪[ふ]み畏れて、德を經[つね]にし哲を秉れり。成湯より咸帝乙に至るまで、王を成し相を畏る。惟れ御事厥れ棐[たす]けて恭しきこと有り、敢えて自ら暇あき自ら逸んぜず。矧んや曰く其れ敢えて飮むことを崇ばんや。商の君臣の暇逸せざる者を以て、康叔に告ぐるなり。殷の先哲王は、湯なり。迪み畏るとは、之を畏れて行わるるなり。天の明命を畏れ、小民の保んじ難きを畏る。其の德を經にして變ぜざるは、己を處く所以なり。其の哲を秉りて惑わざるは、人を用ゆる所以なり。湯の垂統此の如し。故に湯より帝乙に至るまで、賢聖の君六七作る。世代同じからずと雖も、皆能く君の德を成就し、輔相を敬み畏る。故に當時の御事の臣も、亦皆忠を盡くし、輔翼して難きを責むるの恭しき有り、自ら暇あき自ら逸しとすること、猶且つ敢えてせず。況んや曰く其れ敢えて飮むことを尙ばんや、と。

△越在外服、侯・甸・男・衛邦伯、越在内服、百僚・庶尹、惟亞、惟服、宗工、越百姓・里居、罔敢湎于酒。不惟不敢、亦不暇。惟助成王德顯、越尹人祗辟。自御事而下、在外服、則有侯・甸・男・衛諸侯、與其長伯。在内服、則有百僚・庶尹、惟亞、惟服、宗工、國中百姓、與夫里居者。亦皆不敢沈湎于酒。不惟不敢、亦不暇。不敢者、有所畏。不暇者、有所勉。惟欲上以助成君德、而使之昭著、下以助尹人祗辟、而使之益不怠耳。成王、顧上文成王而言。祗辟、顧上文有恭而言。呂氏曰、尹人者、百官諸侯之長也。指上文御事而言。
【読み】
△越[およ]び外服に在る、侯・甸[でん]・男・衛の邦伯、越び内服に在る、百僚・庶尹、惟れ亞、惟れ服、宗工、越び百姓・里居まで、敢えて酒に湎[しず]むこと罔し。惟れ敢えてせざるのみにあらず、亦暇あきあらず。惟れ王の德を助け成して顯らかにし、尹人に越ぶまで辟を祗ましむ。御事よりして下、外服に在りては、則ち侯・甸・男・衛の諸侯と、其の長伯と有り。内服に在りては、則ち百僚・庶尹、惟れ亞、惟れ服、宗工、國中の百姓と、夫の里居の者と有り。亦皆敢えて酒に沈湎せず。惟れ敢えてせざるのみにあらず、亦暇あきあらず。敢えてせざる者は、畏るる所有り。暇あきあらざる者は、勉むる所有り。惟れ上は以て君の德を助け成して、之をして昭著ならしめんと欲し、下は以て尹人辟を祗むを助けて、之をして益々怠らざらしむのみ。王を成すとは、上の文の王を成すを顧みて言う。辟を祗むとは、上の文の恭しきこと有りを顧みて言う。呂氏が曰く、尹人は、百官諸侯の長、と。上の文の御事を指して言う。

△我聞、亦惟曰、在今後嗣王酣身、厥命罔顯于民。祗保越怨不易、誕惟厥縱淫泆于非彝。用燕喪威儀。民罔不衋傷心。惟荒腆于酒、不惟自息乃逸。厥心疾很、不克畏死。辜在商邑。越殷國滅無罹。弗惟德馨香、祀登聞于天、誕惟民怨。庶羣自酒腥聞在上。故天降喪于殷、罔愛于殷、惟逸。天非虐、惟民自速辜。衋、迄力反。狠、下墾反。罹、鄰知反。○以商受荒腆于酒者、告康叔也。後嗣王、受也。受沈酣其身、昏迷於政、命令不著於民。其所祗保者、惟在於作怨之事、不肯悛改、大惟縱淫泆于非彝。泰誓所謂奇技淫巧也。燕、安也。用安逸而喪其威儀。史記受爲酒池肉林、使男女裸而相逐。其威儀之喪如此。此民所以無不痛傷其心、悼國之將亡也。而受方且荒怠、益厚于酒、不思自息其逸、力行無度。其心疾狠、雖殺身而不畏也。辜在商邑。雖滅國而不憂也。弗事上帝、無馨香之德以格天、大惟民怨。惟羣酗腥穢之德以聞于上。故上天降喪于殷、無有眷愛之意者、亦惟受縱逸故也。天豈虐殷。惟殷人酗酒、自速其辜爾。曰民者、猶曰先民。君臣之通稱也。
【読み】
△我れ聞く、亦惟れ曰く、今に在りて後の嗣王身を酣[たけなわ]にして、厥の命民に顯らかなること罔し。祗み保んずること怨みに越[おい]て易わらず、誕[おお]いに惟れ厥れ縱に彝[つね]に非ざるに淫泆[いんいつ]す。燕[やす]きを用て威儀を喪う。民心を衋[いた]み傷ましめざること罔し。惟れ荒みて酒に腆くして、自ら乃の逸んずるを息むることを惟わず。厥の心疾[にく]み很[もと]りて、死を畏るること克わず。辜[つみ]商邑に在り。殷の國滅ぶるに越て罹[うれ]うること無し。惟れ德の馨香、祀登りて天に聞えず、誕いに惟れ民怨む。庶羣酒に自りて腥[なまぐさ]きこと聞えて上に在り。故に天喪びを殷に降して、殷を愛すること罔きは、惟れ逸んずればなり。天虐[わざわい]するに非ず、惟れ民自ら辜を速[まね]けり、と。衋[きょく]は、迄力反。狠[こん]は、下墾反。罹は、鄰知反。○商受の酒に荒腆する者を以て、康叔に告ぐるなり。後の嗣王は、受なり。受其の身を沈酣[ちんかん]して、政に昏迷し、命令民に著れず。其の祗み保んずる所の者、惟れ怨みを作すの事に在りて、肯えて悛[あらた]め改めず、大いに惟れ縱に彝に非ざるに淫泆す。泰誓に所謂奇技淫巧なり。燕は、安んずるなり。安逸を用て其の威儀を喪えり。史記に受酒池肉林を爲りて、男女をして裸にして相逐わしむ、と。其の威儀の喪えること此の如し。此れ民の其の心を痛み傷ましめざること無き所以にして、國の將に亡びんとするを悼むなり。而して受方に且つ荒み怠りて、益々酒に厚くして、自ら其の逸んずるを息むることを思わず、力め行うこと度無し。其の心疾み狠りて、身を殺すと雖も畏れず。辜商邑に在り。國を滅ぼすと雖も憂えず。上帝に事えず、馨香の德以て天に格ること無く、大いに惟れ民怨む。惟れ羣酗腥穢の德以て上に聞ゆ。故に上天喪びを殷に降して、眷愛の意有ること無き者は、亦惟れ受が縱逸なる故なり。天豈殷を虐せん。惟れ殷人酒に酗して、自ら其の辜を速くのみ、と。民と曰うは、猶先民と曰うがごとし。君臣の通稱なり。

△王曰、封、予不惟若茲多誥。古人有言曰、人無於水監。當於民監。今惟殷墜厥命。我其可不大監撫于時。我不惟如此多言、所以言湯言受如此其詳者、古人謂、人無於水監。水能見人之妍醜而已。當於民監、則其得失可知。今殷民自速辜、旣墜厥命矣。我其可不以殷民之失爲大監戒、以撫安斯時乎。
【読み】
△王曰く、封、予れ惟れ茲の若く多く誥ぐるにあらず。古人言えること有り曰く、人水に於て監みること無かれ。當に民に於て監みるべし、と。今惟れ殷厥の命を墜せり。我れ其れ大いに監みて時を撫でざる可けんや、と。我れ惟れ此の如く多く言わず、湯を言い受を言う所以此の如く其れ詳らかなる者は、古人謂う、人水に於て監みること無かれ、と。水は能く人の妍醜[けんしゅう]を見るのみ。當に民に於て監みるときは、則ち其の得失知る可し。今殷の民自ら辜を速いて、旣に厥の命を墜す。我れ其れ殷の民の失を以て大いに監戒と爲して、以て斯の時を撫安せざる可けんや、と。

△予惟曰、汝劼毖殷獻臣、侯・甸・男・衛。矧太史友、内史友、越獻臣・百宗工。矧惟爾事服休・服采。矧惟若疇圻父薄違、農父若保、宏父定辟。矧汝剛制于酒。劼、丘八反。圻、與畿同。○劼、用力也。汝當用力戒謹殷之賢臣、與鄰國之侯・甸・男・衛、使之不湎于酒也。毖殷獻臣、侯・甸・男・衛、與文王毖庶邦・庶士同義。殷之賢臣・諸侯、固欲知所謹矣。況太史掌六典八法八則、内史掌八柄之法、汝之所友者、及其賢臣・百寮・大臣、可不謹於酒乎。太史・内史・獻臣・百宗工、固欲知所謹矣。況爾之所事、服休、坐而論道之臣。服采、起而作事之臣。可不謹於酒乎。曰友曰事者、國君有所友、有所事也。然盛德有不可友者。故孟子曰、古之人曰、事之云乎。豈曰友之云乎。服休・服采、固欲知所謹矣。況爾之疇匹而位三卿者、若圻父迫逐違命者乎。若農父之順保萬民者乎。若宏父之制其經界、以定法者乎。皆不可不謹于酒也。圻父、政官司馬也。主封圻。農父、敎官司徒也。主農。宏父、事官司空也。主廓地居民。謂之父者、尊之也。先言圻父者、制殷人湎酒、以政爲急也。圻父・農父・宏父、固欲知所謹矣。況汝之身、所以爲一國之視倣者、可不謹於酒乎。故曰矧汝剛制于酒。剛制、亦劼毖之意。剛果用力以制之也。此章自遠而近、自卑而尊。等而上之、則欲其自康叔之身始。以是爲治、孰能禦之。而況毖於酒德也哉。
【読み】
△予れ惟れ曰く、汝劼[かた]く殷の獻臣、侯・甸・男・衛を毖[つつし]ましめよ。矧んや太史の友、内史の友、越[およ]び獻臣・百宗工をや。矧んや惟れ爾の事うる服休・服采をや。矧んや惟れ若[なんじ]の疇[たぐい]の圻父[きほ]の違えるを薄[せ]め、農父の若[したが]い保んずる、宏父の辟[のり]を定むるものをや。矧んや汝剛く酒を制するをや、と。劼[かつ]は、丘八反。圻は、畿と同じ。○劼は、力を用ゆるなり。汝當に力を用いて殷の賢臣と、鄰國の侯・甸・男・衛とを戒め謹めて、之をして酒に湎ましめざるべし。殷の獻臣、侯・甸・男・衛を毖ましむるは、文王の庶邦・庶士を毖ましむると義を同じくす。殷の賢臣・諸侯、固に謹む所を知らんと欲す。況んや太史の六典八法八則を掌り、内史の八柄の法を掌る、汝の友とする所の者、及び其の賢臣・百寮・大臣、酒に謹まざる可けんや。太史・内史・獻臣・百宗工、固に謹む所を知らんと欲す。況んや爾の事える所、服休は、坐して道を論ずるの臣。服采は、起ちて事を作すの臣。酒に謹まざる可けんや。友と曰い事と曰うは、國君は友とする所有り、事うる所有り。然れども盛德は友とす可からざる者有り。故に孟子曰く、古の人曰く、之に事うると云わんや。豈之を友とすと曰うと云わんや、と。服休・服采、固に謹む所を知らんと欲す。況んや爾の疇匹にして而も三卿に位する者、圻父の命に違えるを迫り逐うが若き者をや。農父の萬民を順保するが若き者をや。宏父の其の經界を制し、以て法を定むるが若き者をや。皆酒を謹まずんばある可からず。圻父は、政官司馬なり。封圻を主る。農父は、敎官司徒なり。農を主る。宏父は、事官司空なり。地を廓し民を居くことを主る。之を父と謂うは、之を尊ぶなり。先ず圻父を言うは、殷人酒に湎むを制すは、政を以て急とするなり。圻父・農父・宏父、固に謹む所を知らんと欲す。況んや汝が身、一國の視倣うことを爲す所以の者、酒を謹まざる可けんや。故に曰く、矧んや汝剛く酒を制するをや、と。剛く制すとは、亦劼く毖むの意。剛果力を用いて以て之を制するなり。此の章遠くよりして近く、卑きよりして尊し。等しくして之を上とするときは、則ち其の康叔の身より始めんことを欲す。是を以て治を爲せば、孰か能く之を禦がん。而るを況んや酒德を毖むをや。

△厥或誥曰、羣飮。汝勿佚。盡執拘以歸于周。予其殺。羣飮者、商民羣聚而飮、爲姦惡者也。佚、失也。其者、未定辭也。蘇氏曰、予其殺者、未必殺也。猶今法曰當斬者、皆具獄以待命。不必死也。然必立法者、欲人畏而不敢犯也。羣飮、蓋亦當時之法、有羣聚飮酒、謀爲大姦者、其詳不可得而聞矣。如今之法、有曰夜聚曉散者皆死罪。蓋聚而爲妖逆者也。使後世不知其詳、而徒聞其名、凡民夜相過者、輒殺之可乎。
【読み】
△厥れ或は誥げて曰く、羣れ飮む、と。汝佚[うしな]うこと勿かれ。盡く執[とら]え拘[とら]えて以て周に歸[おく]れ。予れ其れ殺さん。羣飮とは、商の民羣れ聚りて飮んで、姦惡を爲す者なり。佚は、失うなり。其れとは、未だ定まらざるの辭なり。蘇氏が曰く、予れ其れ殺さんとは、未だ必ずしも殺さざるなり。猶今の法に斬に當[あ]つと曰うがごとき者、皆獄を具えて以て命を待つ。必ずしも死さざるなり。然れども必ず法を立つる者は、人畏れて敢えて犯さざることを欲するなり。羣飮は、蓋し亦當時の法、羣れ聚まり酒を飮んで、謀りて大姦を爲す者有り、其の詳は得て聞く可からず。今の法の如き、曰えること有り、夜聚まりて曉に散ずる者は皆死罪、と。蓋し聚まりて妖逆を爲す者ならん。後世をして其の詳を知らずして、徒に其の名を聞かしめば、凡そ民の夜相過ぐる者、輒ち之を殺すこと可ならんや。

△又惟殷之迪諸臣・惟工、乃湎于酒、勿庸殺之。姑惟敎之。殷受導迪爲惡之諸臣・百工、雖湎于酒、未能遽革。而非羣聚爲姦惡者、無庸殺之、且惟敎之。
【読み】
△又惟れ殷の迪[みちび]ける諸臣・惟れ工まで、乃ち酒に湎[しず]むとも、庸[もっ]て之を殺すこと勿かれ。姑く惟れ之を敎えよ。殷の受導き迪いて惡を爲すの諸臣・百工、酒に湎むと雖も、未だ遽に革むること能わず。而れども羣れ聚まりて姦惡を爲す者に非ざれば、庸て之を殺すこと無くして、且つ惟れ之を敎えよ、と。

△有斯明享。乃不用我敎辭、惟我一人弗恤、弗蠲乃事、時同于殺。有者、不忘之也。斯、此也。指敎辭而言。享、上享下之享。言殷諸臣・百工、不忘敎辭、不湎于酒、我則明享之。其不用我敎辭、惟我一人不恤於汝、弗潔汝事、時則同汝于羣飮誅殺之罪矣。
【読み】
△斯を有たば明らかに享けん。乃我が敎えの辭を用いずんば、惟れ我れ一人恤えず、乃の事を蠲[いさぎよ]くせずんば、時[こ]れ殺すに同じくせん、と。有つとは、之を忘れざるなり。斯は、此なり。敎辭を指して言う。享は、上下を享くるの享なり。言うこころは、殷の諸臣・百工、敎辭を忘れずして、酒に湎まざれば、我れ則ち明らかに之を享けん。其れ我が敎辭を用いずんば、惟れ我れ一人不汝を恤えず、汝の事を潔くせずんば、時れ則ち汝を羣飮誅殺の罪に同じくせん、と。

△王曰、封、汝典聽朕毖。勿辯乃司、民湎于酒。辯、治也。乃司、有司也。卽上文諸臣・百工之類。言康叔不治其諸臣・百工之湎酒、則民之湎酒者、不可禁矣。
【読み】
△王曰く、封、汝典[つね]に朕が毖[つつし]みを聽け。乃の司を辯[おさ]むること勿くんば、民酒に湎[しず]まん、と。辯は、治むるなり。乃司は、有司なり。卽ち上の文の諸臣・百工の類なり。言うこころは、康叔其の諸臣・百工の酒に湎めるを治めずんば、則ち民の酒に湎む者、禁ずる可からざらん。

梓材 亦武王誥康叔之書。諭以治國之理、欲其通上下之情、寬刑辟之用。而篇中有梓材二字。比稽田作室爲雅。故以爲簡篇之別。非有他義也。今文古文皆有。○按此篇文多不類。自今王惟曰以下、若人臣進戒之辭。以書例推之、曰今王惟曰者、猶洛誥之今王卽命曰也。肆王惟德用者、猶召誥之肆惟王其疾敬德、王其德之用也。已若茲監者、猶無逸嗣王其監于茲也。惟王子子孫孫永保民者、猶召誥惟王受命無疆惟休也。反覆參考、與周公召公進戒之言、若出一口。意者此篇得於簡編斷爛之中、文旣不全。而進戒爛簡有用明德之語。編書者、以與罔厲殺人等意合。又武王之誥、有曰王曰監云者。而進戒之書、亦有曰王曰監云者、遂以爲文意相屬。編次其後、而不知前之所謂王者、指先王而言。非若今王之爲自稱也。後之所謂監者、乃監視之監、而非啓監之監也。其非命康叔之書亦明矣。讀書者、優游涵泳、沈潛反覆、繹其文義、審其語脈、一篇之中、前則尊諭卑之辭、後則臣告君之語、蓋有不可得而强合者矣。
【読み】
梓材[しざい] 亦武王康叔に誥ぐるの書なり。諭すに國を治むるの理を以てし、其の上下の情を通じ、刑辟の用を寬[ゆる]めんことを欲す。而して篇の中に梓材の二字有り。田を稽[おさ]め室を作るに比すれば雅とす。故に以て簡篇の別とす。他義有るに非ざるなり。今文古文皆有り。○按ずるに此の篇の文多く類せず。今王惟曰より以下は、人臣戒めを進むるの辭の若し。書の例を以て之を推して、曰く今王惟れ曰えとは、猶洛誥の今王卽ち命じて曰くというがごとし。肆[いま]王惟れ德を用いてとは、猶召誥の肆惟れ王其れ疾く德を敬み、王其れ德之を用いてというがごとし。已[ああ]茲の若く監みよとは、猶無逸の嗣王其れ茲に監みよというがごとし。惟れ王子子孫孫までに永く民を保んぜんとは、猶召誥の惟れ王命を受くること無疆にして惟れ休[よ]きなりというがごとし。反覆參考すれば、周公召公戒めを進むるの言と、一口より出づるが若し。意うに此の篇簡編斷爛の中より得て、文旣に全からず。而して戒めを進むるの爛簡に明德を用ゆるの語有り。書を編む者、以て人を厲して殺すこと罔し等の意と合す、と。又武王の誥に、曰く王曰く監みと云う者有り。而して戒めを進むるの書にも、亦王と曰い監と曰うと云う者有るを、遂に以爲えらく、文意相屬す、と。其の後に編次して、而して知らず、前の所謂王は、先王を指して言う。今の王の自ら稱すとするが若きに非ず。後の所謂監は、乃ち監視の監にして、監を啓くの監に非ざるを。其れ康叔に命ずるの書に非ざること亦明らかなり。書を讀む者、優游涵泳、沈潛反覆して、其の文義を繹[たず]ね、其の語脈を審らかにすれば、一篇の中、前は則ち尊きが卑きを諭すの辭、後は則ち臣が君に告ぐるの語にて、蓋し得て强合す可からざる者有り。

王曰、封、以厥庶民、曁厥臣、達大家。以厥臣達王、惟邦君。大家、巨室也。孟子曰、爲政不難、不得罪於巨室。孔氏曰、卿大夫及都家也。以厥庶民曁厥臣達大家、則下之情無不通矣。以厥臣達王、則上之情無不通矣。王言臣而不言民者、率土之濱、莫非王臣也。邦君上有天子、下有大家。能通上下之情、而使之無閒者、惟邦君也。
【読み】
王曰く、封、厥の庶民、曁[およ]び厥臣を以[い]て、大家に達す。厥臣を以て王に達するは、惟れ邦君なり。大家は、巨室なり。孟子曰く、政をすること難からず、罪を巨室に得ざれ、と。孔氏が曰く、卿大夫及び都家、と。厥の庶民曁び厥の臣を以て大家に達するときは、則ち下の情通ぜざる無し。厥の臣を以て王に達するときは、則ち上の情通ぜざる無し。王に臣を言いて民を言わざるは、率土の濱、王臣に非ざる莫し。邦君は上に天子有り、下に大家有り。能く上下の情を通じて、之をして閒て無き者は、惟れ邦君なり。

△汝若恆越曰。我有師師司徒・司馬・司空・尹旅。曰、予罔厲殺人。亦厥君先敬勞。肆徂厥敬勞。肆往姦宄殺人歷人宥。肆亦見厥君事、戕敗人宥。恆、常也。師師、以官師爲師也。尹、正官之長。旅、衆大夫也。敬勞、恭敬勞來也。徂、往也。歷人者、罪人所過、律所謂知情・藏匿・資給也。戕敗者、毀傷四肢面目。漢律所謂疻也。此章文多未詳。
【読み】
△汝若[か]く恆に越[おこ]して曰え。我れ師師とする司徒・司馬・司空・尹旅有り。曰く、予れ人を厲して殺すこと罔し。亦厥の君先ず敬み勞る。肆[ゆえ]に徂いて厥れ敬み勞る。肆に往[さき]に姦宄し人を殺し歷たらん人をも宥[ゆる]す。肆に亦厥の君の事を見て、人を戕[そこな]い敗るをも宥す、と。恆は、常なり。師師は、官師を以て師とするなり。尹は、正官の長。旅は、衆々の大夫なり。敬勞は、恭敬して勞い來すなり。徂は、往くなり。歷人は、罪人の過つ所、律に所謂知情・藏匿・資給なり。戕い敗るとは、四肢面目を毀[そこな]い傷るなり。漢の律に所謂疻[し]なり。此の章の文多く未だ詳らかならず。

△王啓監、厥亂爲民。曰、無胥戕、無胥虐。至于敬寡、至于屬婦、合由以容。王其效邦君越御事、厥命曷以。引養引恬。自古王若茲。監罔攸辟。監、三監之監。康叔所封。亦受畿内之民、當時亦謂之監。故武王以先王啓監意、而告之也。言王者所以開置監國者、其治本爲民而已。其命監之辭、蓋曰、無相與戕殺其民、無相與虐害其民。人之寡弱者、則哀敬之、使不失其所、婦之窮獨者、則聮屬之、使有所歸、保合其民、率由是而容蓄之也。且王所以責效邦君・御事者、其命何以哉。亦惟欲其引掖斯民於生養安全之地而已。自古王者之命監若此。汝今爲監、其無所用乎刑辟以戕虐人可也。
【読み】
△王監を啓き、厥の亂[おさ]むることは民の爲なり。曰く、胥戕[ころ]すこと無かれ、胥虐[やぶ]ること無かれ。寡を敬うに至り、婦を屬[つ]くに至り、合わせて由りて以て容れよ、と。王其れ邦君越[およ]び御事を效[いた]すこと、厥の命曷[なに]を以てかせん。養うに引き恬[やす]んずるに引く。古より王茲の若し。監みるとして辟[つみ]する攸罔かれ、と。監は、三監の監。康叔封ずる所。亦受が畿内の民、當時亦之を監と謂う。故に武王先王の監を啓くの意を以て、之に告ぐ。言うこころは、王者監國を開き置く所以は、其の治本民の爲なるのみ。其の監に命ずるの辭、蓋し曰く、相與に其の民を戕殺[しょうさつ]すること無かれ、相與に其の民を虐害すること無かれ。人の寡弱なる者は、則ち之を哀敬して、其の所を失わざらしめ、婦の窮獨なる者は、則ち之を聮屬[れんぞく]して、歸する所有らしめ、其の民を保合し、率いて是に由りて之を容蓄せよ、と。且つ王の邦君・御事を責め效す所以の者は、其の命何を以てせんや。亦惟れ其れ斯の民を生養安全の地に引掖せんと欲するのみ。古より王者の監に命ずること此の若し。汝今監と爲るに、其れ刑辟を用いて以て人を戕虐する所無くんば可なり。

△惟曰、若稽田。旣勤敷菑、惟其陳修、爲厥疆畎。若作室家。旣勤垣墉、惟其塗塈茨。若作梓材。旣勤樸斲、惟其塗丹雘。塈、奇寄反。雘、屋郭反。○稽、治也。敷菑、廣去草棘也。疆、畔也。畎、通水渠也。塗塈、泥飾也。茨、蓋也。梓、良材、可爲器者。雘、采色之名。敷菑、以喩除惡。垣墉、以喩立國。樸斲、以喩制度。武王之所已爲也。疆畎・塈茨・丹雘、則望康叔以成終云爾。
【読み】
△惟れ曰く、田を稽[おさ]むるが若し。旣に勤めて菑[し]を敷き、惟れ其れ陳ね修めて、厥の疆畎を爲るがごとし。室家を作るが若し。旣に勤めて垣墉して、惟れ其れ塗り塈[ぬ]りて茨[ふ]くがごとし。梓材を作るが若し。旣に勤め樸斲[ぼくたく]して、惟れ其れ丹雘[たんかく]を塗るがごとし、と。塈[き]は、奇寄反。雘は、屋郭反。○稽は、治むるなり。菑を敷くとは、廣く草棘を去くなり。疆は、畔なり。畎は、水を通ずる渠なり。塗塈は、泥飾なり。茨は、蓋[ふ]くなり。梓は、良材、器に爲る可き者なり。雘は、采色の名。菑を敷くは、以て惡を除くに喩う。垣墉は、以て國を立つるに喩う。樸斲は、以て制度に喩う。武王の已に爲せる所なり。疆畎・塈茨・丹雘は、則ち康叔以て終わりを成すことを望むと爾か云う。

△今王惟曰。先生旣勤用明德、懷爲夾。庶邦享、作兄弟方來。亦旣用明德。后式典集、庶邦丕享。夾、音協。○先王、文王・武王也。夾、近也。懷遠爲近也。兄弟、言友愛也。泰誓曰、友邦冢君。方來者、方方而來也。旣、盡也。先王盡勤用明德、而懷來于上。諸侯亦盡用明德、而視效於下也。后、後王也。式、用也。典、舊典也。集、和輯也。此章以後、若臣下進戒之辭。疑簡脫誤於此。
【読み】
△今王惟れ曰え。先生旣[ことごと]く勤めて明德を用いて、懷けて夾[ちか]しとす。庶邦享けて、兄弟と作りて方々より來る。亦旣く明德を用ゆ。后典を式[もち]いて集[やわ]らがば、庶邦丕いに享けん。夾は、音協。○先王は、文王・武王なり。夾は、近きなり。遠きを懷けて近きとす。兄弟は、友愛を言うなり。泰誓に曰く、友邦の冢君、と。方來とは、方方よりして來るなり。旣は、盡くなり。先王盡く勤めて明德を用いて、上に懷け來る。諸侯も亦盡く明德を用いて、下に視效[なら]うなり。后は、後王なり。式は、用ゆるなり。典は、舊典なり。集は、和輯なり。此の章以後、臣下戒めを進むるの辭の若し。疑うらくは簡の脫誤此に於てせん。

△皇天旣付中國民、越厥疆土于先王。越、及也。皇天旣付中國民、及其疆土于先王也。
【読み】
△皇天旣に中國の民、越[およ]び厥の疆土を先王に付[さず]く。越は、及びなり。皇天旣に中國の民、及び其の疆土を先王に付すなり。

△肆王惟德用、和懌先後迷民。用懌先王受命。肆、今也。德用、用明德也。和懌、和悅之也。先後、勞來之也。迷民、迷惑染惡之民也。命、天命也。用慰悅先王之克受天命者也。
【読み】
△肆[いま]王惟れ德を用いて、迷える民を和らげ懌[よろこ]ばしめ先にし後にす。用て先王命を受けたるを懌ばしむ。肆は、今なり。德用は、明德を用ゆるなり。和懌は、之を和悅するなり。先後は、之を勞い來すなり。迷える民は、迷惑染惡するの民なり。命は、天命なり。用て先王の克く天命を受くる者を慰悅するなり。

△已若茲監。惟曰、欲至于萬年惟王。子子孫孫永保民。已、語辭。監、視也。此人臣祈君永命之辭也。按梓材有自古王若茲、監罔攸辟之言、而編書者、誤以監爲句讀、而爛簡適有己若茲監之語、以爲語意相類、合爲一篇、而不知其句讀之本不同、文義之本不類也。孔氏依阿其說、於篇意無所發明。王氏謂、成王自言必稱王者、以覲禮考之、天子以正遏諸侯、則稱王。亦强釋難通。獨吳氏以爲誤簡者爲得之。但謂、王啓監以下、卽非武王之誥、則未必然也。
【読み】
△已[ああ]茲の若く監みよ。惟れ曰く、萬年に至りて惟れ王たらんことを欲す。子子孫孫までに永く民を保んぜん、と。已は、語の辭。監は、視るなり。此れ人臣君の永命を祈るの辭なり。按ずるに梓材に自古王若茲、監罔攸辟の言有りて、書を編む者、誤りて監を以て句讀と爲して、爛簡に適々己若茲監の語有り、以て語意相類すとし、合わせて一篇と爲して、其の句讀の本同じからず、文義の本類せざるを知らず。孔氏依りて其の說に阿て、篇の意に於て發明する所無し。王氏が謂く、成王自ら言うに必ず王と稱する者は、覲禮を以て之を考うるに、天子正を以て諸侯を遏[とど]むるときは、則ち王と稱す、と。亦强い釋いて通じ難し。獨り吳氏以て誤簡とするは之を得とす。但謂う、王啓監以下は、卽ち武王の誥に非ずとは、則ち未だ必ずしも然らず。

書經卷之五  蔡沉集傳

召誥 左傳曰、武王克商、遷九鼎于洛邑。史記載武王之言、我南望三途、北望獄鄙、顧詹有河、粤詹洛伊、毋遠天室。營周居于洛邑、而後去。則宅洛者武王之志、周公・成王成之。召公實先經理之、洛邑旣成、成王始政、召公因周公之歸、作書致告達之於王。其書拳拳於歷年之久近、反復乎夏商之廢興。究其歸、則以諴小民、爲祈天命之本、以疾敬德、爲諴小民之本。一篇之中、屢致意焉、古之大臣、其爲國家長遠慮蓋如此。以召公之書、因以召誥名篇。今文古文皆有。
【読み】
召誥[しょうこう] 左傳に曰く、武王商に克ちて、九鼎を洛邑に遷す。史記に武王の言を載すに、我れ南は三途を望み、北は獄鄙を望み、顧みて有河を詹[み]、粤[ここ]に洛伊を詹るに、天室に遠きこと毋し。周の居を洛邑に營じて、而して後に去る、と。則ち洛に宅るは武王の志にして、周公・成王之を成す。召公實に先ず之を經理し、洛邑旣に成りて、成王政を始め、召公周公の歸るに因りて、書を作りて告を致して之を王に達す。其の書歷年の久近に拳拳として、夏商の廢興を反復す。其の歸を究むるときは、則ち小民を諴[やわ]らぐるを以て、天命を祈るの本とし、疾く德を敬むを以て、小民を諴らぐるの本とす。一篇の中、屢々意を致す、古の大臣、其れ國家の爲にする長遠の慮り蓋し此の如し。召公の書なるを以て、因りて召誥を以て篇に名づく。今文古文皆有り。

惟二月旣望、越六日乙未、王朝步自周、則至于豐。日月相望、謂之望。旣望、十六日也。乙未、二十一日也。周、鎬京也。去豐二十五里。文武廟在焉。成王至豐、以宅洛之事告廟也。
【読み】
惟れ二月の旣望、越[ここ]に六日の乙未[きのと・ひつじ]、王朝に周より步[ゆ]いて、則ち豐に至る。日月相望む、之を望と謂う。旣望は、十六日なり。乙未は、二十一日なり。周は、鎬京なり。豐を去ること二十五里。文武の廟焉に在り。成王豐に至りて、洛に宅るの事を以て廟に告ぐ。

△惟太保先周公相宅。越若來三月、惟丙午朏、越三日戊申、太保朝至于洛卜宅。厥旣得卜則經營。朏、敷尾反。戊、音茂。○成王在豐、使召公先周公行、相視洛邑。越若來、古語辭。言召公於豐、迤邐而來也。朏、孟康曰、月出也。三日明生之名。戊申、三月五日也。卜宅者、用龜卜宅都之地。旣得吉卜、則經營規度其城郭・宗廟・郊社・朝市之位。
【読み】
△惟れ太保周公に先だちて宅を相[み]る。越若[ここ]に來る三月、惟れ丙午[ひのえ・うま]の朏[みかづき]、越[ここ]に三日の戊申[つちのえ・さる]、太保朝に洛に至りて宅を卜う。厥れ旣に卜を得て則ち經營す。朏[ひ]は、敷尾反。戊は、音茂。○成王豐に在り、召公をして周公に先だちて行いて、洛邑を相視せしむ。越若來は、古語の辭。言うこころは、召公豐より、迤邐[いり]して來るなり。朏は、孟康が曰く、月出づるなり、と。三日明生ずるの名なり。戊申は、三月五日なり。宅を卜うとは、龜を用いて都を宅くの地を卜うなり。旣に吉卜を得るときは、則ち其の城郭・宗廟・郊社・朝市の位を經營規度す。

△越三日庚戌、太保乃以庶殷、攻位于洛汭。越五日甲寅、位成。庶殷、殷之衆庶也。用庶殷者、意是時殷民已遷于洛。故就役之也。位成者、左祖右社、前朝後市之位成也。
【読み】
△越[ここ]に三日の庚戌[かのえ・いぬ]、太保乃ち庶殷を以[い]て、位を洛の汭[ほとり]に攻[おさ]む。越に五日甲寅[きのえ・とら]、位成りぬ。庶殷は、殷の衆庶なり。庶殷を用ゆるは、意うに是の時殷の民已に洛に遷る。故に就いて之を役す。位成るとは、祖を左に社を右に、朝を前に市を後にするの位成るなり。

△若翼日乙卯、周公朝至于洛、則達觀于新邑營。周公至、則徧觀新邑所經營之位。
【読み】
△若[ここ]に翼日の乙卯[きのと・う]、周公朝に洛に至りて、則ち達[あまね]く新邑の營みを觀る。周公至りて、則ち徧く新邑經營する所の位を觀る。

△越三日丁巳、用牲于郊。牛二。越翼日戊午、乃社于新邑。牛一、羊一、豕一。郊、祭天地也。故用二牛。社祭、用太牢。禮也。皆告以營洛之事。
【読み】
△越[ここ]に三日の丁巳[ひのと・み]、牲を郊に用ゆ。牛二つ。越に翼日の戊午[つちのえ・うま]、乃ち新邑に社す。牛一つ、羊一つ、豕一つ。郊は、天地を祭るなり。故に二牛を用ゆ。社祭は、太牢を用ゆ。禮なり。皆告ぐるに洛を營むの事を以てす。

△越七日甲子、周公乃朝用書、命庶殷侯・甸・男邦伯。書、役書也。春秋傳曰、士彌牟營成周、計丈數、揣高卑、度厚薄、仞溝洫、物土方、議遠邇、量事期、計徒庸、慮材用、書糇糧、以令役於諸侯、亦此意。王氏曰、邦伯者、侯・甸・男・服之邦伯也。庶邦冢君咸在、而獨命邦伯者、公以書命邦伯、而邦伯以公命命諸侯也。
【読み】
△越[ここ]に七日の甲子、周公乃ち朝に書を用いて、庶殷の侯・甸・男の邦伯に命ず。書は、役書なり。春秋傳に曰く、士彌牟成周を營むに、丈數を計り、高卑を揣[はか]り、厚薄を度り、溝洫[こうきょく]を仞[はか]り、土方を物[はか]り、遠邇を議り、事期を量り、徒庸を計り、材用を慮り、糇糧を書して、以て諸侯を役せしむとは、亦此の意なり。王氏が曰く、邦伯は、侯・甸・男・服の邦伯なり。庶邦の冢君咸く在りて、獨り邦伯に命ずるは、公書を以て邦伯に命じて、邦伯公命を以て諸侯に命ずるなり、と。

△厥旣命殷庶。庶殷丕作。丕作者、言皆趨事赴功也。殷之頑民若未易役使者。然召公率以攻位而位成。周公用以書命而丕作。殷民之難化者、猶且如此、則其悅以使民可知也。
【読み】
△厥れ旣に殷の庶[もろもろ]に命ず。庶殷丕いに作る。丕いに作るとは、言うこころは、皆事に趨り功に赴くなり。殷の頑民未だ役使し易からざる者の若し。然れども召公率いて以て位を攻[おさ]めて位成る。周公用て書を以て命じて丕いに作る。殷民の化し難き者、猶且つ此の如きときは、則ち其の悅びて以て民を使わしむること知る可し。

△太保乃以庶邦冢君、出取幣、乃復入錫周公曰、拜手稽首、旅王若公。誥告庶殷、越自乃御事。呂氏曰、洛邑事畢、周公將歸宗周。召公因陳戒成王、乃取諸侯贄見幣物以與周公、且言其拜手稽首、所以陳王及公之意。蓋召公雖與周公言、乃欲周公聮諸侯之幣、與召公之誥、倂達之王。謂洛邑已定。欲誥告殷民、其根本乃自爾御事、不敢指言成王。謂之御事、猶今稱人爲執事也。
【読み】
△太保乃ち庶邦の冢君を以[い]て、出でて幣を取りて、乃ち復入りて周公に錫えて曰く、拜手稽首して、王若しくは公に旅[の]ぶ。庶殷に誥げ告ぐることは、越[ここ]に乃の御事よりす。呂氏が曰く、洛邑の事畢わりて、周公將に宗周に歸らんとす。召公因りて戒めを成王に陳べて、乃ち諸侯の贄見[しけん]幣物を取りて以て周公に與え、且つ其れ拜手稽首して、王及び公の意を陳ぶる所以を言う。蓋し召公周公に與えて言うと雖も、乃ち周公が諸侯の幣と、召公の誥とを聮[つら]ねて、倂せて之を王に達せんことを欲す。謂ゆる洛邑已に定まれり。殷の民に誥げ告がんと欲して、其の根本は乃ち爾の御事よりし、敢えて成王を指して言わず。之を御事と謂うは、猶今の人を稱して執事とするがごとし。

△嗚呼皇天上帝、改厥元子。茲大國殷之命。惟王受命、無疆惟休。亦無疆惟恤。嗚呼曷其奈何弗敬。此下皆告成王之辭。託周公達之王也。曷、何也。其、語辭。商受嗣天位、爲元子矣。元子不可改而天改之。大國未易亡而天亡之。皇天上帝、其命之不可恃如此。今王受命、固有無窮之美。然亦有無窮之憂。於是歎息言、王曷其奈何弗敬乎。蓋深言不可以弗敬也。又按此篇專主敬言。敬則誠實無妄、視聽言動、一循乎理、好惡用捨、不違乎天、與天同德。固能受天明命也。人君保有天命、其有要於此哉。伊尹亦言、皇天無親。克敬惟親。敬則天與我一矣。尙何疎之有。
【読み】
△嗚呼皇天の上帝、厥の元子を改む。茲の大國の殷の命をさえ。惟れ王命を受くること、疆り無く惟れ休けん。亦疆り無く惟れ恤えん。嗚呼曷ぞ其れ奈何ぞ敬まざらん。此より下は皆成王に告ぐるの辭。周公に託して之を王に達するなり。曷は、何ぞなり。其は、語の辭。商受天位を嗣いで、元子と爲れり。元子改む可からずして天之を改む。大國未だ亡び易からずして天之を亡ぼす。皇天の上帝、其の命の恃む可からざること此の如し。今王命を受くること、固に窮まり無きの美有り。然れども亦窮まり無きの憂え有り。是に於て歎息して言う、王曷ぞ其れ奈何ぞ敬まざらんや、と。蓋し深く以て敬まずんばある可からざることを言うなり。又按ずるに此の篇は專ら敬を主として言う。敬は則ち誠實無妄にして、視聽言動、一に理に循い、好惡用捨、天に違わず、天と德を同じくす。固に能く天の明命を受くるなり。人君の天命を保んじ有つこと、其れ此に要有るかな。伊尹亦言う、皇天親しむこと無し。克く敬めるに惟れ親しむ、と。敬むときは則ち天と我と一なり。尙何の疎きことか之れ有らん。

△天旣遐終大邦殷之命。茲殷多先哲王在天。越厥後王後民、茲服厥命。厥終智藏瘝在。夫知保抱攜持厥婦子、以哀籲天。徂厥亡出執。嗚呼天亦哀于四方民、其眷命用懋。王其疾敬德。後王後民、指受也。此章語多難解。大意謂天旣欲遠絕大邦殷之命矣。而此殷先哲王、其精爽在天、宜若可恃者。而商紂受命、卒致賢智者退藏、病民者在位。民困虐政、保抱攜持其妻子、哀號呼天。往而逃亡、出見拘執。無地自容。故天亦哀民、而眷命用歸於勉德者。天命不常如此。今王其可不疾敬德乎。
【読み】
△天旣に大邦殷の命を遐[さ]け終[お]う。茲殷に先哲王多く天に在り。越[ここ]に厥の後の王後の民、茲に厥の命に服[つ]く。厥れ終に智るものは藏れて瘝[や]めるものは在り。夫れ厥の婦子を保んじ抱き攜[たずさ]え持ちて、以て哀しみ天に籲[よ]ばうこと知る。徂いて厥れ亡[に]げ出づれば執わる。嗚呼天亦四方の民を哀しんで、其れ眷み命じて用て懋[つと]めしむ。王其れ疾く德を敬め。後王後民は、受を指す。此の章の語多く解き難し。大意は謂ゆる天旣に大邦殷の命を遠ざけ絕たんと欲す。而れども此の殷の先哲王、其の精爽天に在り、宜しく恃む可き者の若し。而れども商紂命を受けて、卒に賢智の者退き藏れ、民を病ましむ者位に在ることを致す。民虐政に困しみ、其の妻子を保抱攜持して、哀しみて天に號呼す。往いて逃げ亡せ、出でて拘え執わる。地として自ら容るること無し。故に天亦民を哀しみて、眷命用て德を勉むる者に歸す。天命常ならざること此の如し。今王其れ疾く德を敬まざる可けんや、と。

△相古先民有夏、天迪從子保。面稽天若。今時旣墜厥命。今相有殷、天迪格保。面稽天若。今時旣墜厥命。從子保者、從其子而保之。謂禹傳之子也。面、郷也。視古先民有夏、天固啓迪之、又從其子、而保佑之。禹亦面考天心、敬順無違、宜若可爲後世憑藉者。今時已墜厥命矣。今視有殷、天固啓迪之、又使其格正夏命、而保佑之。湯亦面考天心、敬順無違、宜亦可爲後世憑藉者。今時已墜厥命矣。以此知天命誠不可恃以爲安也。
【読み】
△古の先民有夏を相[み]るに、天迪[みちび]いて子に從りて保んず。面[まのあたり]天に稽[かんが]えて若[したが]う。今の時旣に厥の命を墜せり。今有殷を相るに、天迪いて格[いた]し保んず。面天に稽えて若う。今の時旣に厥の命を墜せり。子に從りて保んずとは、其の子に從りて之を保んずるなり。謂ゆる禹之を子に傳うるなり。面は、郷[む]かうなり。古の先民有夏を視るに、天固に之を啓き迪いて、又其の子に從りて、之を保んじ佑く。禹亦天心を面考えて、敬み順い違うこと無く、宜しく後世憑藉[ひょうしゃ]とす可き者の若し。今の時已に厥の命を墜せり。今有殷を視るに、天固に之を啓き迪いて、又其をして夏の命を格[いた]し正して、之を保んじ佑けしむ。湯も亦天心を面考えて、敬み順いて違うこと無く、宜しく亦後世憑藉とす可き者なり。今の時已に厥の命を墜せり。此を以て天命誠に恃んで以て安きとす可からざるを知る。

△今沖子嗣。則無遺壽耇。曰、其稽我古人之德。矧曰其有能稽謀自天。稽、考。矧、況也。幼沖之王、於老成之臣、尤易疎遠。故召公言、今王以童子嗣位。不可遺棄老成。言其能稽古人之德、是固不可遺也。況言其能稽謀自天、是尤不可遺也。稽古人之德、則於事有所證、稽謀自天、則於理無所遺。無遺壽耇、蓋君天下者之要務。故召公特首言之。
【読み】
△今沖子嗣ぐ。則ち壽耇を遺つること無かれ。曰く、其れ我が古の人の德を稽う、と。矧んや曰く其れ能く稽え謀りて天に自[したが]うこと有るをや。稽は、考う。矧は、況んやなり。幼沖の王の、老成の臣に於るは、尤も疎遠となり易し。故に召公言く、今王童子を以て位を嗣ぐ。老成を遺し棄つ可からず、と。言うこころは、其れ能く古人の德を稽えて、是れ固に遺つる可からず。況んや言く其れ能く稽え謀りて天に自うや、是れ尤も遺つる可からざるなり。古人の德を稽うるときは、則ち事に於て證とする所有り、稽え謀りて天に自うときは、則ち理に於て遺つる所無し。壽耇を遺つること無きは、蓋し天下に君たる者の要務なり。故に召公特に首めに之を言えり。

△嗚呼有王雖小、元子哉。其丕能諴于小民今休。王不敢後。用顧畏於民碞。召公歎息言、王雖幼沖、乃天之元子哉。謂其年雖小、其任則大也。其者、期之辭也。諴、和。碞、險也。王其大能諴和小民、爲今之休美乎。小民雖至微、而至爲可畏。王當不敢緩於敬德、用顧畏于民之碞險可也。
【読み】
△嗚呼有王小[わか]しと雖も、元子なるかな。其れ丕いに能く小民を諴[やわ]らげて今休[よ]けん。王敢えて後とせざれ。用て民の碞[さか]しきを顧み畏れよ。召公歎息して言う、王幼沖と雖も、乃ち天の元子なるかな、と。謂ゆる其の年小しと雖も、其の任は則ち大いなり。其れとは、之を期するの辭なり。諴[かん]は、和らぐ。碞[がん]は、險しきなり。王其れ大いに能く小民を諴和して、今の休美を爲さんや。小民は至微なりと雖も、至って畏る可しとす。王當に敢えて德を敬むことを緩めざるべく、用て民の碞險を顧み畏れて可なり、と。

△王來紹上帝、自服于土中。旦曰、其作大邑、其自時配皇天、毖祀于上下、其自時中乂。王厥有成命、治民今休。洛邑、天地之中。故謂之土中。王來洛邑繼天出治。當自服行於土中。是時洛邑告成。成王始政。故召公以自服土中爲言。又舉周公嘗言、作此大邑、自是可以對越上天、可以饗答神祇、自是可以宅中圖治。成命者、天之成命也。成王而能紹上帝服土中、則庶幾天有成命、治民今卽休美矣。○王氏曰、成王欲宅洛邑者、以天事言、則日東景夕多陽。日西景朝多陰。日南景短多暑。日北景長多寒。洛天地之中、風雨之所會、陰陽之所和也。以人事言、則四方朝聘・貢賦・道理均焉。故謂之土中。
【読み】
△王來りて上帝に紹[つ]いで、自ら土中に服[おこな]え。旦が曰く、其れ大邑を作して、其れ時[こ]れより皇天を配して、毖[つつし]んで上下を祀り、其れ時れより中に乂[おさ]めん。王厥れ成命有りて、民を治めて今休からん、と。洛邑は、天地の中。故に之を土中と謂う。王洛邑に來りて天に繼いで治を出だす。當に自ら土中に服し行うべし。是の時洛邑成れるを告ぐ。成王政を始むる。故に召公自ら土中に服えを以て言とす。又周公嘗て言えることを舉げて、此の大邑を作して、是れより以て上天に對越す可く、以て神祇に饗答す可く、是れより以て中に宅りて治を圖る可し、と。成命は、天の成命なり。成王にして能く上帝に紹ぎ土中に服うときは、則ち庶幾わくは天に成命有りて、民を治むること今卽ち休美ならんことを、と。○王氏が曰く、成王洛邑に宅らんと欲するは、天事を以て言うときは、則ち日の東景夕には陽多し。日の西景朝には陰多し。日の南景短く暑多し。日の北景長く寒多し。洛は天地の中、風雨の會する所、陰陽の和する所なり。人事を以て言うときは、則ち四方の朝聘・貢賦・道理均し。故に之を土中と謂う、と。

△王先服殷御事、比介于我有周御事、節性惟日其邁。言治人當先服乎民也。王先服殷之御事、以親近副貳我周之御事、使其漸染陶成相觀爲善、以節其驕淫之性、則日進於善而不已矣。
【読み】
△王先ず殷の御事を服して、我が有周の御事に比[した]しみ介けて、性を節して惟れ日々に其れ邁[すす]まん。言うこころは、人を治むるは當に先ず民を服すべし。王先ず殷の御事を服せば、以て我周の御事に親近副貳して、其をして漸染陶成相觀て善を爲さしめ、以て其の驕淫の性を節して、則ち日々に善に進んで已まず。

△王敬作所。不可不敬德。言化臣必謹乎身也。所、處所也。猶所其無逸之所。王能以敬爲所、則動靜語默、出入起居、無往而不居敬矣。不可不敬德者、甚言德之不可不敬也。
【読み】
△王敬みを所とせよ。德を敬まずんばある可からず。言うこころは、臣を化するには必ず身を謹むなり。所は、處り所なり。猶其の逸んずること無きを所とすの所のごとし。王能く敬みを以て所とすれば、則ち動靜語默、出入起居、往くとして敬に居らざること無し。德を敬まずんばある可からずとは、甚だ德の敬せずんばある可からざることを言うなり。

△我不可不監于有夏。亦不可不監于有殷。我不敢知、曰、有夏服天命、惟有歷年。我不敢知、曰、不其延。惟不敬厥德、乃早墜厥命。我不敢知、曰、有殷受天命、惟有歷年。我不敢知、曰、不其延。惟不敬厥德、乃早墜厥命。夏商歷年長短、所不敢知、我所知者、惟不敬厥德、卽墜其命也。與上章相古先民之意、相爲出入。但上章主言天眷之不足恃、此則直言不敬德、則墜厥命爾。
【読み】
△我れ有夏を監みずんばある可からず。亦有殷を監みずんばある可からず。我れ敢えて知るのみにあらず、曰く、有夏の天命に服く、惟れ年を歷たること有り。我れ敢えて知るのみにあらず、曰く、其れ延びず。惟れ厥の德を敬まず、乃ち早く厥の命を墜せり。我れ敢えて知るのみにあらず、曰く、有殷の天命を受く、惟れ年を歷たること有り。我れ敢えて知るのみにあらず、曰く、其れ延びず。惟れ厥の德を敬まず、乃ち早く厥の命を墜せり。夏商歷年の長短は、敢えて知らざる所にて、我が知る所の者は、惟れ厥の德を敬まざれば、卽ち其の命を墜すなり。上の章の古の先民を相るの意と、出入を相爲す。但上の章は主として天眷の恃むに足らざるを言い、此は則ち直に德を敬まずんば、則ち厥の命を墜すことを言うのみ。

△今王嗣受厥命。我亦惟、茲二國命嗣若功。王乃初服。今王繼受天命。我謂亦惟、此夏商之命、當嗣其有功者。謂繼其能敬德而歷年者也。況王乃新邑初政、服行敎化之始乎。
【読み】
△今王嗣いで厥の命を受く。我れ亦惟う、茲の二國の命若[なんじ]の功を嗣がんことを。王乃ち初めて服[つ]けるをや。今王繼いで天命を受く。我れ謂ゆる亦惟う、此の夏商の命は、當に其の功有る者を嗣ぐべし、と。謂ゆる其の能く德を敬みて年を歷たる者を繼ぐなり。況んや王乃ち新邑の初政、敎化を服し行うの始めなるをや。

△嗚呼若生子。罔不在厥初生。自貽哲命。今天其命哲、命吉凶、命歷年。知今我初服。歎息言、王之初服、若生子。無不在於初生、習爲善、則善矣、自貽其哲命。爲政之道、亦猶是也。今天其命王以哲乎、命以吉凶乎、命以歷年乎、皆不可知。所可知者、今我初服如何爾。初服而敬德、則亦自貽哲命。而吉與歷年矣。
【読み】
△嗚呼生まれたる子の若し。厥の初めて生まれたるに在[おい]てせざること罔し。自ら哲命を貽[のこ]せり。今天其れ哲を命じ、吉凶を命じ、歷年を命ずるか。知る今我が初めて服けるを。歎息して言う、王の初めて服するは、生まれたる子の若し。初めて生まれたるに在て、習いて善を爲すときは、則ち善にして、自ら其の哲命を貽さざること無し。政を爲むるの道も、亦猶是のごとし。今天其れ王に命ずるに哲を以てするか、命ずるに吉凶を以てするか、命ずるに歷年を以てするか、皆知る可からず。知る可き所の者は、今我が初服如何とのみ。初服にして德を敬むときは、則ち亦自ら哲命を貽す。而して吉と歷年とをさえ。

△宅新邑、肆惟王其疾敬德。王其德之用、祈天永命。宅新邑、所謂初服矣。王其疾敬德、容可緩乎。王其德之用而祈天、以歷年也。
【読み】
△新邑に宅り、肆[ここ]に惟れ王其れ疾く德を敬め。王其れ德之を用いて、天の永命を祈[もと]めよ。新邑に宅るとは、所謂初服なり。王其れ疾やかに德を敬みて、緩くす可きをせんや。王其れ德之を用いて天に祈るに、歷年を以てせよ、と。

△其惟王勿以小民淫用非彝、亦敢殄戮用乂民。若有功。刑者、德之反。疾於敬德、則當緩於用刑、勿以小民過用非法之故、亦敢於殄戮用治之也。惟順導民、則可有功。民猶水也。水泛濫橫流、失其性矣。然壅而遏之、則害愈甚。惟順而導之、則可以成功。
【読み】
△其れ惟れ王小民の淫[す]ぎて彝に非ざるを用ゆるを以て、亦敢えて殄[た]ち戮[ころ]して用て民を乂[おさ]むること勿かれ。若[したが]わば功有らん。刑は、德の反なり。德を敬むに疾やかなるときは、則ち當に刑を用ゆるを緩くすべく、小民過ぎて非法を用ゆるの故を以て、亦敢えて殄戮[てんりく]するに於て用て之を治むること勿かれ。惟れ順にして民を導くときは、則ち功有る可し。民は猶水のごとし。水泛濫橫流すれば、其の性を失う。然れども壅[ふさ]いで之を遏[とど]むるときは、則ち害愈々甚だし。惟れ順にして之を導くときは、則ち以て功を成す可し。

△其惟王位在德元。小民乃惟刑用于天下、越王顯。元、首也。居天下之上、必有首天下之德。王位在德元、則小民皆儀刑用德于下、於王之德益以顯矣。
【読み】
△其れ惟れ王の位は德の元[はじめ]に在り。小民乃ち惟れ刑[のっと]りて天下に用い、王に越[おい]て顯[あらわ]る。元は、首めなり。天下の上に居りては、必ず天下に首めたるの德有り。王の位德の元に在れば、則ち小民皆儀り刑りて德を下に用い、王の德に於て益々以て顯るならん。

△上下勤恤其曰、我受天命、丕若有夏歷年。式勿替有殷歷年。欲王以小民受天永命。其、亦期之辭也。君臣勤勞期曰、我受天命、大如有夏歷年、用勿替有殷歷年。欲兼夏殷歷年之永也。召公又繼以欲王以小民受天永命。蓋以小民者、勤恤之實。受天永命者、歷年之實也。蘇氏曰、君臣一心以勤恤民、庶幾王受命歷年如夏商。且以民心爲天命也。
【読み】
△上下勤め恤えて其れ曰く、我れ天命を受けて、丕いに有夏の年を歷たるが若くなれ。式[もっ]て有殷の年を歷たるを替[す]つること勿かれ、と。王の小民を以[い]て天の永命を受けんことを欲す。其れは、亦期するの辭なり。君臣勤め勞りて期して曰く、我れ天命を受くること、大いに有夏の歷年の如く、用て有殷の歷年を替つること勿かれ、と。夏殷歷年の永きを兼ねんと欲するなり。召公又繼ぐに以て王の小民を以て天の永命を受けんことを欲す、と。蓋し小民を以る者は、勤め恤うるの實。天の永命を受くる者は、歷年の實なり。蘇氏が曰く、君臣心を一にして以て民を勤め恤うるは、庶幾わくは王命を受け年を歷たること夏商の如くならん、と。且つ民の心を以て天命とするなり、と。

△拜手稽首曰、予小臣、敢以王之讎民・百君子、越友民、保受王威命明德。王末有成命、王亦顯。我非敢勤。惟恭奉幣用供王、能祈天永命。讎民、殷之頑民、與三監叛者。百君子、殷之御事・庶士也。友民、周之友順民也。保者、保而不失。受者、受而無拒。威命明德者、德威德明也。末、終也。召公於篇終致敬言、予小臣敢以殷周臣民、保受王威命明德。王當終有天之成命、以顯于後世。我非敢以此爲勤。惟恭奉幣帛用供王、能祈天永命而已。蓋奉幣之禮、臣職之所當恭、而祈天之實、則在王之所自盡也。又按恭奉幣意、卽上文取幣以錫周公而旅王者。蓋當時成王將舉新邑之祀。故召公奉以助祭云。
【読み】
△拜手稽首して曰く、予れ小臣、敢えて王の讎民・百の君子、越[およ]び友民を以て、王の威命明德を保んじ受けん。王末[つい]に成命を有ちて、王も亦顯らかならん。我れ敢えて勤めとするに非ず。惟れ恭しく幣を奉げて用て王に供して、能く天の永命を祈[もと]めん、と。讎民は、殷の頑民、三監と叛く者なり。百の君子は、殷の御事・庶士なり。友民は、周の友順なる民なり。保とは、保んじて失わず。受は、受けて拒むこと無し。威命明德は、德威德明なり。末は、終になり。召公篇の終わりに於て敬を致して言く、予れ小臣敢えて殷周の臣民を以て、王の威命明德を保んじ受けしむ。王當に終に天の成命を有ちて、以て後世に顯らかなるべし。我れ敢えて此を以て勤めとするに非ず。惟れ恭しく幣帛を奉げて用て王に供して、能く天の永命を祈むるのみ。蓋し奉幣の禮は、臣職の當に恭しくすべき所にして、天に祈むるの實は、則ち王の自ら盡くす所に在り。又按ずるに恭しく幣を奉ぐ意は、卽ち上の文の幣を取りて以て周公に錫えて王に旅[の]ぶる者なり。蓋し當時成王將に新邑の祀を舉げんとす。故に召公奉じて以て祭を助くと云う。

洛誥 洛邑旣定、周公遣使告卜。史氏錄之以爲洛誥。又幷記其君臣答問、及成王命周公留治洛之事。今文古文皆有。○按周公拜手稽首以下、周公授使者告卜之辭也。王拜手稽首以下、成王授使者復公之辭也。王肇稱殷禮以下、周公敎成王宅洛之事也。公明保予沖子以下、成王命公留後治洛之事也。王命予來以下、周公許成王留洛、君臣各盡其責難之辭也。伻來以下、成王錫命毖殷命寧之事也。戊辰以下、史又記其祭祀册誥等事、及周公居洛歲月久近以附之、以見周公作洛之始終。而成王舉祀發政之後、卽歸于周、而未嘗都洛也。
【読み】
洛誥[らくこう] 洛邑旣に定まり、周公使を遣わして卜を告ぐ。史氏之を錄して以て洛誥とす。又其の君臣の答問、及び成王が周公に命じて留まりて洛を治むるの事を幷せ記す。今文古文皆有り。○按ずるに周公拜手稽首より以下は、周公が使者に卜を告ぐるの辭を授くるなり。王拜手稽首より以下は、成王が使者に公に復するの辭を授くるなり。王肇稱殷禮より以下は、周公が成王の洛に宅るの事を敎ゆるなり。公明保予沖子より以下は、成王が公に留まりて後に洛を治むる事を命ずるなり。王命予來より以下は、周公が成王に許し洛に留まり、君臣各々其の難きを責むることを盡くすの辭なり。伻來より以下は、成王命を錫えて殷命を毖[つつし]みて之を寧んずるの事なり。戊辰より以下は、史又其の祭祀册誥等の事、及び周公洛に居る歲月の久近を記して以て之に附し、以て周公の洛を作るの始終を見す。而して成王祀を舉げ政を發するの後、卽ち周に歸りて、未だ嘗て洛に都せざるなり。

周公拜手稽首曰、朕復子明辟。此下周公授使者告卜之辭也。拜手稽首者、史記周公遣使之禮也。復、如逆復之復。成王命周公、往營成周。周公得卜、復命于王也。謂成王爲子者、親之也。謂成王爲明辟者、尊之也。周公相成王、尊則君、親則兄之子也。明辟者、明君之謂。先儒謂、成王幼。周公代王爲辟。至是反政成王。故曰復子明辟。夫有失然後有復。武王崩、成王立。未嘗一日不居君位。何復之有哉。蔡仲之命言、周公位冢宰、正百工。則周公以冢宰總百工而已。豈不彰彰明甚矣乎。王莽居攝、幾傾漢鼎。皆儒者有以啓之。是不可以不辨。○蘇氏曰、此上有脫簡、在康誥。自惟三月哉生魄、至洪大誥治、四十八字。
【読み】
周公拜手稽首して曰く、朕れ子明辟に復[もう]す。此より下は周公が使者に卜を告ぐるの辭を授くるなり。拜手稽首すとは、史が周公の使を遣わすの禮を記すなり。復は、逆復の復の如し。成王周公に命じて、往いて成周を營ぜしむ。周公卜を得て、王に復命するなり。成王を謂いて子と爲す者は、之を親しむなり。成王を謂いて明辟と爲す者は、之を尊ぶなり。周公の成王を相[み]るに、尊ぶときは則ち君、親しむときは則ち兄の子なり。明辟とは、明君の謂なり。先儒謂く、成王幼し。周公王に代わりて辟と爲る。是に至りて政を成王に反す。故に曰く、子に明辟を復[かえ]す、と。夫れ失うこと有りて然して後に復すこと有り。武王崩じて、成王立つ。未だ嘗て一日も君位に居らずんばあらず。何の復すことか之れ有らんや。蔡仲の命に言く、周公冢宰に位して、百工を正す、と。則ち周公は冢宰を以て百工を總ぶるのみ。豈彰彰として明らかなること甚だしからざらんや。王莽攝に居りて、幾ど漢鼎を傾く。皆儒者以て之を啓くこと有り。是れ以て辨ぜずんばある可からず。○蘇氏が曰く、此の上に脫簡有り、康誥に在り。惟三月哉生魄より、洪大誥治に至るまでの、四十八字なり、と。

△王如弗敢及天基命定命。予乃胤保大相東土、其基作民明辟。凡有造、基之而後成。成之而後定。基命、所以成始也。定命、所以成終也。言成王幼沖、退託如不敢及知天之基命定命。予乃繼太保而往、大相洛邑。其庶幾爲王始作民明辟之地也。洛邑在鎬京東。故曰東土。
【読み】
△王敢えて天の基命定命に及ばざるが如し。予れ乃ち保に胤[つ]いで大いに東土を相[み]て、其れ基[はじ]めて民の明辟と作す。凡そ造ること有るは、之を基めて而して後に成る。之を成して而して後に定まる。基命は、始めを成す所以なり。定命は、終わりを成す所以なり。言うこころは、成王幼沖にして、退託して敢えて天の基命定命を知るに及ばざるが如し。予れ乃ち太保に繼いで往いて、大いに洛邑を相る。其れ庶幾わくは王の爲に始めて民の明辟の地を作らんことを。洛邑は鎬京の東に在り。故に東土と曰う。

△予惟乙卯、朝至于洛師、我卜河朔黎水。我乃卜澗水東、瀍水西、惟洛食。我又卜瀍水東、亦惟洛食。伻來以圖、及獻卜。瀍、音廛。伻、補耕反。○乙卯、卽召誥之乙卯也。洛師、猶言京師也。河朔黎水、河北黎水交流之内也。澗水東、瀍水西、王城也。朝會之地。瀍水東、下都也。處商民之地。王城在澗瀍之閒、下都在瀍水之外、其地皆近洛水。故兩云惟洛食也。食者、史先定墨、而灼龜之兆。正食其墨也。伻、使也。圖、洛之地圖也。獻卜、獻其卜之兆辭也。
【読み】
△予れ惟れ乙卯[きのと・う]、朝に洛師に至り、我れ河の朔[きた]の黎水を卜う。我れ乃ち澗水の東、瀍水[てんすい]の西を卜うに、惟れ洛食[は]めり。我れ又瀍水の東を卜うに、亦惟れ洛食めり。來りて圖を以てし、及び卜を獻らしむ、と。瀍は、音廛。伻[ほう]は、補耕反。○乙卯は、卽ち召誥の乙卯なり。洛師は、猶京師と言うがごとし。河の朔の黎水は、河の北の黎水交流するの内なり。澗水の東、瀍水の西は、王城なり。朝會の地なり。瀍水の東は、下都なり。商民を處くの地なり。王城は澗瀍の閒に在り、下都は瀍水の外に在り、其の地皆洛水に近し。故に兩つながら惟れ洛食めりと云うなり。食むとは、史先ず墨を定めて、龜を灼くの兆。正に其の墨を食めり。伻は、使なり。圖は、洛の地圖なり。卜を獻るとは、其の卜の兆辭を獻るなり。

△王拜手稽首曰、公不敢不敬天之休、來相宅、其作周匹休。公旣定宅、伻來、來視予卜休恆吉。我二人共貞。公其以予萬億年、敬天之休。拜手稽首誨言。此王授使者復公之辭也。王拜手稽首者、成王尊異周公、而重其禮。匹、配也。公不敢不敬天之休命、來相宅、爲周匹休之地。言卜洛以配周命於無窮也。視、示也。示我以卜休美而常吉者也。二人、成王・周公也。貞、猶當也。十萬曰億。言周公宅洛、規模宏遠、以我萬億年敬天休命。故又拜手稽首、以謝周公告卜之誨言。
【読み】
△王拜手稽首して曰く、公敢えて天の休[よ]きを敬まずんばあらず、來りて宅を相て、其れ周の匹休を作す。公旣に宅を定めて、來らしめて、來りて予に卜休くして恆に吉きことを視す。我れ二人共に貞[あ]たれり。公其れ予が萬億年を以て、天の休きことを敬ましむ。誨言を拜手稽首す、と。此れ王が使者に公に復するの辭を授くるなり。王拜手稽首すとは、成王が周公を尊異して、其の禮を重んずるなり。匹は、配なり。公敢えて天の休命を敬まずんばあらず、來りて宅を相て、周の匹休の地爲らしむ。言うこころは、洛を卜いて以て周の命を無窮に配するなり。視は、示すなり。我に示すに卜の休美にして常に吉なる者を以てす。二人は、成王・周公なり。貞は、猶當たるのごとし。十萬を億と曰う。言うこころは、周公の洛に宅る、規模宏遠にして、我を以て萬億年まで天の休命を敬ましむ。故に又拜手稽首して、以て周公卜を告ぐるの誨言を謝す。

△周公曰、王肇稱殷禮、祀于新邑、咸秩無文。此下周公告成王宅洛之事也。殷、盛也。與五年再殷祭之殷同。秩、序也。無文、祀典不載也。言王始舉盛禮、祀于洛邑、皆序其所當祭者。雖祀典不載、而義當祀者、亦序而祭之也。呂氏曰、定都之初、肇舉盛禮、大饗羣祀。雖祀典不載者、咸秩序而祭之。有告焉、有報焉、有祈焉。始建新都、昭假上下、告成事也。雨暘時若、大役以成。報神賜也。自今以始、永奠中土、祈鴻休也。後世不知祭祀之義、鬼神之德、觀周公首以祀于新邑爲言、若闊於事情者。抑不知人主臨鎭新邑之始、齊袚一心、對越天地、達此精明之德、放諸四海、無所不準、而助祭諸侯、下逮胞翟之賤、亦皆有孚顒若。收其放而合其離、蓋格君心、萃天下之道、莫要於此。宜周公以爲首務也。
【読み】
△周公曰く、王肇めて殷[さか]んなる禮を稱[あ]げて、新邑に祀り、咸く文無きまでを秩[つい]ず。此より下は周公が成王の洛に宅るの事を告ぐるなり。殷は、盛んなり。五年に再び殷いに祭りするの殷と同じ。秩は、序なり。文無しとは、祀典に載せざるなり。言うこころは、王始めて盛禮を舉げて、洛邑に祀り、皆其の當に祭るべき所の者を序ず。祀典に載せざると雖も、而れども義として當に祀るべき者は、亦序で之を祭るなり。呂氏が曰く、都を定むるの初め、肇めて盛禮を舉げて、大いに羣祀を饗す。祀典に載せざる者と雖も、咸秩序して之を祭る。告ぐること有り、報ゆること有り、祈ること有り。始め新都を建てて、昭らかに上下に假るは、成事を告ぐるなり。雨暘時に若[したが]い、大役以て成る。神の賜に報ゆるなり。今より以て始めて、永く中土に奠[お]くは、鴻休を祈るなり。後世祭祀の義、鬼神の德を知らず、周公首め新邑に祀るを以て言を爲すを觀るに、事情に闊[さか]る者の若し、と。抑々知らず、人主新邑を臨鎭するの始め、一心を齊袚し、天地に對越し、此の精明の德に達し、諸を四海に放ちて、準ならざる所無くして、祭を助くる諸侯、下は胞翟の賤に逮ぶまで、亦皆孚有りて顒若[ぎょうじゃく]たり。其の放てるを收めて其の離れたるを合わす、蓋し君の心を格し、天下に萃[いた]るの道、此より要なるは莫し。宜なるかな周公以て首務とすること、と。

△予齊百工、伻從王于周。予惟曰、庶有事。周公言、予整齊百官、使從成王于周。謂將適洛時也。予惟謂之曰、庶幾其有所事乎。公但微示其意、以待成王自敎詔之也。
【読み】
△予れ百工を齊えて、王に周に從わしむ。予れ惟れ曰く、庶わくは事有らんか、と。周公言く、予れ百官を整え齊えて、成王に周に從わしむ、と。謂ゆる將に洛に適かんとする時なり。予れ惟れ之に謂いて曰く、庶幾わくは其れ事とする所有らんか、と。公但微しく其の意を示して、以て成王自ら之に敎詔するを待つなり。

△今王卽命曰、記功宗、以功作元祀。惟命曰、汝受命篤弼。功宗、功之尊顯者。祭法曰、聖王之制祭祀也、法施於民則祀之。以死勤事則祀之。以勞定國則祀之。能禦大災則祀之。能捍大患則祀之。蓋功臣皆祭於大烝、而勲勞之最尊顯者、則爲之冠。故謂之元祀。周公敎成王、卽命曰、記功之尊顯者、以功作元祀矣。又惟命之曰、汝功臣受此褒賞之命、當益厚輔王室。蓋作元祀、旣以慰答功臣、而又勉其左右王室、益圖久大之業也。
【読み】
△今王卽ち命じて曰く、功宗を記して、功を以て元祀を作せ、と。惟れ命じて曰く、汝命を受けて篤く弼けよ、と。功宗は、功の尊顯なる者なり。祭法に曰く、聖王の祭祀を制するや、法民に施すときは則ち之を祀る。死を以て事を勤むるときは則ち之を祀る。勞を以て國を定むるときは則ち之を祀る。能く大災を禦ぐときは則ち之を祀る。能く大患を捍[ふせ]ぐときは則ち之を祀る。蓋し功臣皆大烝に祭りて、勲勞の最も尊顯なる者は、則ち之が冠爲り。故に之を元祀と謂う。周公成王に敎え、卽ち命じて曰く、功の尊顯なる者を記して、功を以て元祀を作せ、と。又惟れ之に命じて曰く、汝功臣此の褒賞の命を受けて、當に益々厚く王室を輔くべし、と。蓋し元祀を作すは、旣に以て功臣に慰答して、又其の王室を左右[たす]くることを勉めしめ、益々久大の業を圖るなり。

△丕視功載、乃汝其悉自敎工。丕、大。視、示也。功載者、記功之載籍也。大視功載、而無不公、則百工效之、亦皆公也。大視功載、而或出於私、則百工效之、亦皆私也。其公其私、悉自汝敎之。所謂乃汝其悉自敎工也。上章告以褒賞功臣。故戒其大視功載者如此。
【読み】
△丕いに功載を視すは、乃ち汝其れ悉く自ら工を敎ゆ。丕は、大い。視は、示すなり。功載とは、功を記す載籍なり。大いに功載を視して、公ならざること無きときは、則ち百工之に效[なら]いて、亦皆公なり。大いに功載を視して、或は私に出づるときは、則ち百工之に效いて、亦皆私なり。其の公其の私、悉く汝よりして之を敎ゆ。所謂乃ち汝其れ悉く自ら工を敎ゆるなり。上の章には告ぐるに功臣を褒賞するを以てす。故に戒むるに其の大いに功載を視す者此の如し。

△孺子其朋、孺子其朋。其往無若火始燄燄、厥攸灼敍弗其絕。孺子、稚子也。朋、比也。上文百工之視倣如此、則論功行賞、孺子其可少可徇比黨之私乎。孺子其少徇比黨之私、則自是而往、有若火然、始雖燄燄尙微、而其灼爍將次第延爇、不可得而撲滅矣。言論功行賞徇私之害、其初甚微、其終至於不可遏絕。所以嚴其辭而禁之於未然也。
【読み】
△孺子其れ朋[むら]がれんか、孺子其れ朋がれんか。其れ往くさき火の始め燄燄[えんえん]として、厥の灼く攸敍で其れ絕えざるが若くなること無からんや。孺子は、稚子なり。朋は、比なり。上の文の百工の視倣うこと此の如きときは、則ち功を論じ賞を行うこと、孺子其れ少なくも比黨の私に徇う可けんや。孺子其れ少なくも比黨の私に徇うときは、則ち是れよりして往くさき、火の然ゆるに、始め燄燄として尙微なりと雖も、而して其の灼爍たること將に次第に延爇[えんぜつ]して、得て撲滅す可からざるが若きこと有らん、と。言うこころは、功を論じ賞を行うに私に徇うの害は、其の初め甚だ微にして、其の終わりは遏絕[あつぜつ]す可からざるに至る。其の辭を嚴にして之を未然に禁ずる所以なり。

△厥若彝及撫事如予。惟以在周工、往新邑、伻嚮卽有僚、明作有功、惇大成裕、汝永有辭。其順常道、及撫國事、常如我爲政之時。惟用見在周官、勿參以私人。往新邑、使百工知工意嚮、各就有僚、明白奮揚而赴功、惇厚博大以裕俗、則王之休聞、亦永有辭于後世矣。
【読み】
△厥れ彝に若[したが]い及び事を撫すること予の如くせよ。惟れ周に在る工を以て、新邑に往いて、嚮[む]かわしめて僚有るに卽いて、明らかに作して功有りて、惇く大いに裕かなることを成さば、汝永く辭有らん、と。其れ常の道に順い、及び國事を撫すること、常に我が政を爲むるの時の如くせよ。惟れ見るに周に在る官を用てし、參わるに私人を以てすること勿かれ。新邑に往いて、百工をして工の意の嚮かうこと知らしめて、各々有僚に就けて、明白に奮揚して功に赴き、惇厚博大にして以て俗を裕かにせば、則ち王の休聞も、亦永く後世に辭有らん、と。

△公曰、己汝惟沖子惟終。周之王業、文武始之。成王當終之也。此上詳於記功敎工内治之事。此下則統御諸侯、敎養萬民之道也。
【読み】
△公曰く、己[ああ]汝惟れ沖子惟れ終わりをせよ。周の王業は、文武之を始む。成王當に之を終うべし。此より上は功を記し工に敎ゆる内治の事を詳らかにす。此より下は則ち諸侯を統べ御し、萬民を敎え養うの道なり。

△汝其敬識百辟享。亦識其有不享。享多儀。儀不及物、惟曰不享。惟不役志于享、凡民惟曰不享。惟事其爽侮。此御諸侯之道也。百辟、諸侯也。享、朝享也。儀、禮。物、幣也。諸侯享上、有誠有僞。惟人君克敬者能識之。識其誠於享者、亦識其不誠於享者。享不在幣而在於禮。幣有餘而禮不足、亦所謂不享也。諸侯惟不用志於享、則國人化之亦皆謂、上不必享矣。舉國無享上之誠、則政事安得不至於差爽僭侮、隳王度而爲叛亂哉。人君可不以敬存心、辨之於早、察之於微乎。
【読み】
△汝其れ敬みて百辟の享するを識れ。亦其の享せざること有るを識れ。享すること儀多し。儀物に及ばざるときは、惟れ不享と曰う。惟れ志を享するに役[つか]われざれば、凡民惟れ不享と曰う。惟れ事其れ爽[たが]い侮らん。此れ諸侯を御するの道なり。百辟は、諸侯なり。享は、朝享なり。儀は、禮。物は、幣なり。諸侯上に享するに、誠有り僞り有り。惟れ人君克く敬する者は能く之を識る。其の享するに誠ある者を識り、亦其の享するに誠あらざる者を識る。享は幣に在らずして禮に在り。幣餘り有りて禮足らざるも、亦所謂不享なり。諸侯惟れ志を享するに用いざるときは、則ち國人之に化して亦皆謂わん、上必ずしも享せず、と。國を舉げて上を享するの誠無きときは、則ち政事安んぞ得て差爽僭侮して、王度を隳[やぶ]りて叛亂を爲すに至らざらんや。人君敬を以て心を存して、之を早に辨じ、之を微に察せざる可けんや。

△乃惟孺子、頒朕不暇、聽朕敎汝于棐民彝。汝乃是不蘉、乃時惟不永哉。篤敍乃正父、罔不若予、不敢廢乃命。汝往敬哉。茲予其明農哉。彼裕我民、無遠用戾。蘉、謨郎反。○此敎養萬民之道也。頒朕不暇、未詳。或曰、成王當頒布我汲汲不暇者、聽我敎汝所以輔民常性之道。汝於是而不勉焉、則民彝泯亂、而非所以長久之道矣。正父、武王也。猶今稱先正云者。篤者、篤厚而不忘。敍者、先後之不紊。言篤敍武王之道、無不如我、則人不敢廢汝之命矣。呂氏曰、武王沒、周公如武王。故天下不廢周公之命。周公去、成王如周公、則天下不廢成王之命。戾、至也。王往洛邑、其敬之哉。我其退休田野、惟明農事。蓋公有歸老之志矣。彼、謂洛邑也。王於洛邑、和裕其民、則民將無遠而至焉。
【読み】
△乃ち惟れ孺子、朕が暇あらざるを頒ち、朕が汝に民の彝を棐[たす]くるを敎ゆることを聽け。汝乃ち是れ蘉[つと]めずんば、乃ち時[こ]れ惟れ永からざらんか。乃の正父を篤くし敍で、予が若くならざること罔くんば、敢えて乃の命を廢てず。汝往いて敬めや。茲れ予れ其れ農を明らかにするかな。彼我が民を裕かにせば、遠しすること無くして用て戾[いた]らん、と。蘉[もう]は、謨郎反。○此れ萬民を敎え養うの道なり。頒朕不暇は、未だ詳らかならず。或ひと曰く、成王當に我が汲汲として暇あらざる者を頒ち布き、我が汝に敎ゆる民の常性を輔くる所以の道を聽くべし。汝是に於て勉めざるときは、則ち民彝泯亂して、長久なる所以の道に非ず、と。正父は、武王なり。猶今先正と稱すと云う者のごとし。篤とは、篤厚にして忘れざるなり。敍とは、先後の紊れざるなり。言うこころは、篤く武王の道を敍で、我が如くならざること無きときは、則ち人敢えて汝の命を廢てざるなり。呂氏が曰く、武王沒して、周公武王の如し。故に天下周公の命を廢てず。周公去りて、成王周公の如きときは、則ち天下成王の命を廢てず、と。戾は、至るなり。王洛邑に往いて、其れ之を敬めや。我れ其れ退いて田野に休し、惟れ農事を明らかにせん、と。蓋し公に歸老の志有り。彼は、洛邑を謂うなり。王洛邑に於て、其の民を和らげ裕かにするときは、則ち民將に遠しとすること無くして至らんとす。

△王若曰、公明保予沖子、公稱丕顯德、以予小子、揚文武烈、奉答天命、和恆四方民、居師。此下成王答周公、及留公也。大抵與上章參錯相應。明、顯明之也。保、保佑之也。稱、舉也。和者、使不乖。恆者、使可久也。居師者、宅其衆也。言周公明保成王、舉大明德。使其上之不忝於文武、仰不愧天、俯不怍人也。
【読み】
△王若[か]く曰く、公予れ沖子を明らかにし保んじ、公丕いに顯らかなる德を稱[あ]げて、予れ小子を以て、文武の烈を揚げて、天命に奉[う]け答えて、四方の民を和らげ恆にして、師を居く。此より下は成王が周公に答え、及び公を留むるなり。大抵上の章と參え錯えて相應ず。明は、之を顯明にするなり。保は、之を保んじ佑くるなり。稱は、舉ぐるなり。和は、乖かざらしむるなり。恆は、久しかる可からしむるなり。師を居くとは、其の衆々を宅くなり。言うこころは、周公成王を明らかにし保んじて、大いに明らかなる德を舉ぐ。其の上をして之れ文武に忝[は]じず、仰いで天に愧じず、俯して人に怍じざらしむるなり。

△惇宗將禮、稱秩元祀、咸秩無文。宗、功宗之宗也。下文宗禮同。將、大也。
【読み】
△宗を惇くし禮を將[おお]いにし、元祀を稱[あ]げ秩で、咸く文無きまでも秩ず。宗は、功宗の宗なり。下の文の宗禮と同じ。將は、大いなり。

△惟公德明、光于上下。勤施于四方、旁作穆穆迓衡、不迷文武勤敎。予沖子夙夜毖祀。旁、無方所也。因上下四方爲言。穆穆、和敬也。迓、迎也。言周公之德、昭著于上下、勤施于四方、旁作穆穆以迎治平、不迷失文武所勤之敎於天下。公之德敎、加於時者如此。予沖子夫何為哉。惟早夜以謹祭祀而已。蓋成王知周公有退休之志。故示其所以留之之意也。
【読み】
△惟れ公德明らかに、上下に光れり。勤めて四方に施し、旁々穆穆を作して衡[たい]らかなることを迓[むか]えて、文武の勤めたる敎えに迷[たが]わず。予れ沖子夙夜に毖[つつし]みて祀らん、と。旁は、方所無きなり。上下四方に因りて言を爲す。穆穆は、和敬なり。迓[が]は、迎うなり。言うこころは、周公の德、上下に昭著し、四方に勤め施し、旁々穆穆を作して以て治平を迎えて、文武勤めし所の敎えを天下に迷い失わず。公の德敎、時に加うる者此の如し。予れ沖子夫れ何をかせんや。惟れ早夜に以て祭祀を謹むのみ。蓋し成王周公に退休の志有るを知る。故に其の之を留むる所以の意を示すなり。

△王曰、公功棐迪篤。罔不若時。言周公之功、所以輔我啓我者厚矣。當常如是。未可以言去也。
【読み】
△王曰く、公の功棐[たす]け迪[みちび]くこと篤し。時[かく]の若くならざること罔かれ、と。言うこころは、周公の功、我を輔け我を啓く所以の者厚し。當に常に是の如くなるべし。未だ以て去ることを言う可からず、と。

△王曰、公予小子、其退卽辟于周、命公後。此下成王留周公治洛也。成王言我退卽居于周、命公留後治洛。蓋洛邑之作、周公本欲成王遷都、以宅天下之中。而成王之意、則未欲捨鎬京而廃祖宗之舊。故於洛邑舉祀發政之後、卽欲歸居于周、而留周公治洛。謂之後者、先成王之辭。猶後世留守留後之義。先儒謂封伯禽、以爲魯後者非是。攷之費誓、東郊不開。乃在周公東征之時、則伯禽就國、蓋已久矣。下文惟告周公其後。其字之義益可見、其爲周公、不爲伯禽也。
【読み】
△王曰く、公予れ小子、其れ退いて卽ち周に辟[さ]りて、公に後を命ぜん。此より下は成王が周公を留めて洛を治めしむるなり。成王言うこころは、我れ退き卽ち周に居りて、公に留後を命じて洛を治めしめん。蓋し洛邑を作るは、周公本成王都を遷して、以て天下の中に宅ることを欲してなり。而れども成王の意は、則ち鎬京を捨てて祖宗の舊を廃つることを欲せず。故に洛邑に於て祀を舉げ政を發しての後は、卽ち周に歸り居りて、周公を留めて洛を治めしめんと欲す。之を後と謂うは、成王を先んずるの辭なり。猶後世の留守留後の義のごとし。先儒謂ゆる伯禽を封じて、以て魯の後とする者是に非ず。之を費誓に攷[かんが]うるに、東郊開かず、と。乃ち周公東征の時に在るときは、則ち伯禽國に就くこと、蓋し已に久し。下の文に惟れ周公其れ後なりと告す、と。其の字の義益々見る可し、其の周公の爲にして、伯禽の爲ならざるを。

△四方迪亂、未定于宗禮、亦未克敉公功。宗禮、卽功宗之禮也。亂、治也。四方開治、公之功也。未定功宗之禮。故未能敉公功也。敉功者、安定其功之謂。卽下文命寧者也。
【読み】
△四方迪[ひら]き亂[おさ]めれども、未だ宗禮を定めず、亦未だ公の功を敉[やす]んずること克わず。宗禮は、卽ち功宗の禮なり。亂は、治むるなり。四方開き治まるは、公の功なり。未だ功宗の禮を定めず。故に未だ公の功を敉んずること能わず。敉功は、其の功を安んじ定むるの謂なり。卽ち下の文の命じて寧んずる者なり。

△迪將其後、監我士・師・工、誕保文武受民、亂爲四輔。將、大也。周公居洛啓大其後、使我士・師・工有所監視、太保文武所受於天之民、而治爲宗周之四輔也。漢三輔蓋本諸此。今按先言啓大其後、而繼以亂爲四輔、則命周公留後於洛明矣。
【読み】
△其の後を迪[ひら]き將[おお]いにし、我が士・師・工を監み、誕[おお]いに文武の受けたる民を保んじ、亂[おさ]めて四輔とせよ、と。將は、大いなり。周公洛に居り其の後を啓き大いにし、我が士・師・工をして監み視る所有らしめ、太だ文武天に受くる所の民を保んじて、治めて宗周の四輔とせよ、と。漢の三輔は蓋し此に本づく。今按ずるに先ず其の後を啓き大いすと言いて、繼ぐに亂めて四輔とせよを以てするときは、則ち周公に留後を洛に命ずること明らかなり。

△王曰、公定。予往己。公功肅將祗歡。公無困哉。我惟無斁其康事。公勿替刑、四方其世享。斁、音亦。○定、爾雅曰、止也。成王欲周公止洛、而自歸往宗周。言周公之功、人皆肅而將之、欽而悅之。宜鎭撫洛邑、以慰懌人心。毋求去以困我也。我惟無厭其安民之事。公勿替所以監我土・師・工者、四方得以世世享公之德也。吳氏曰、前漢書兩引公無困哉、皆以哉作我。當以我爲正。
【読み】
△王曰く、公定[とど]まれ。予れ往かんのみ。公の功肅みて將[おこな]い祗みて歡ぶ。公哉[われ]を困しむる無かれ。我れ惟れ其の康んずる事を斁[いと]うこと無けん。公刑を替[す]つること勿くんば、四方其れ世々享けん、と。斁[えき]は、音亦。○定は、爾雅に曰う、止まる、と。成王周公の洛に止まりて、自ら宗周に歸り往かんことを欲す。言うこころは、周公の功、人皆肅んで之を將い、欽んで之を悅ぶ。宜しく洛邑を鎭撫して、以て人心を慰懌[いえき]すべし。去ることを求めて以て我を困しむること毋かれ。我れ惟れ其の民を安んずるの事を厭うこと無し。公我が土・師・工を監みる所以の者を替つること勿くんば、四方得て以て世世公の德を享けん、と。吳氏が曰く、前漢書に兩び公無困哉と引くに、皆哉を以て我に作る。當に我を以て正とすべし、と。

△周公拜手稽首曰、王命予來。承保乃文祖受命民、越乃光烈考武王、弘朕恭。此下周公許成王留等事也。來者、來洛邑也。承保乃文祖受命民、及光烈考武王者、答誕保文武受民之言也。責難於君、謂之恭。弘朕恭者、大其責難之義也。
【読み】
△周公拜手稽首して曰く、王予に命じて來らしむ。乃の文祖の命を受けたる民、越[およ]び乃の光烈なる考武王を承け保んじて、朕が恭しきを弘む。此より下は周公が成王の留むる等の事を許すなり。來とは、洛邑に來るなり。乃の文祖の命を受けたる民、及び光烈なる考武王を承け保んずとは、誕いに文武の受けたる民を保んずるの言に答うるなり。難きを君に責むる、之を恭と謂う。朕が恭しきを弘むとは、其の難きを責むるの義を大いにするなり。

△孺子來相宅、其大惇典殷獻民、亂爲四方新辟、作周恭先。曰、其自時中乂、萬邦咸休。惟王有成績。典、典章也。殷獻民、殷之賢者也。言當大厚其典章、及殷之獻民。蓋文獻者、爲治之大要也。亂、治也。言成王於新邑致治、爲四方新王也。作周恭先者、人君恭以接下、以恭而倡後王也。公又言、其自是宅中圖治、萬邦咸厎休美、則王其有成績矣。此周公以治洛之效、望之成王也。
【読み】
△孺子來りて宅を相[み]て、其れ大いに典と殷の獻民を惇くして、亂[おさ]めて四方の新たなる辟と爲り、周の恭しき先と作れ。曰く、其れ時[こ]れより中に乂[おさ]めて、萬邦咸休[よ]けん。惟れ王成れる績有らん、と。典は、典章なり。殷の獻民は、殷の賢者なり。言うこころは、當に大いに其の典章、及び殷の獻民を厚くすべし。蓋し文獻は、治を爲すの大要なり。亂は、治むるなり。言うこころは、成王新邑に於て治を致し、四方の新王と爲るなり。周の恭先と作るとは、人君は恭以て下を接[う]け、恭を以てして後王を倡[いざな]う。公又言う、其れ是れより中に宅りて治を圖らば、萬邦咸休美を厎し、則ち王其れ成績有らん、と。此れ周公洛を治むるの效を以て、成王に望むなり。

△予旦以多子越御事、篤前人成烈、答其師、作周孚先。考朕昭子刑、乃單文祖德。多子者、衆卿大夫也。唐孔氏曰、予者、有德之稱。大夫皆稱予。師、衆也。周公言、我以衆卿大夫及治事之臣、篤厚文武成功、以答天下之衆也。孚、信也。作周孚先者、人臣信以事上、以信而倡後人也。考、成也。昭子、猶所謂明辟也。親之故曰子。刑、儀刑也。單、殫也。言成我明子儀刑、而殫盡文王之德。蓋周公與羣臣篤前人成烈者、所以成成王之刑、乃殫文祖德也。此周公以治洛之事、自效也。
【読み】
△予れ旦多子越[およ]び御事を以て、前人の成烈を篤くして、其の師に答えて、周の孚の先と作[な]らん。朕が昭子の刑[のり]を考[な]して、乃ち文祖の德を單[つ]くさん。多子は、衆々の卿大夫なり。唐の孔氏が曰く、予とは、有德の稱。大夫は皆予と稱す、と。師は、衆々なり。周公言く、我れ衆々の卿大夫及び事を治むるの臣を以て、文武の成功を篤厚にして、以て天下の衆に答う、と。孚は、信なり。周の孚の先と作るとは、人臣は信以て上に事え、信を以て後人を倡[いざな]うなり。考は、成るなり。昭子は、猶所謂明辟のごとし。之を親しむ故に子と曰う。刑は、儀刑なり。單は、殫[たん]なり。言うこころは、我が明子の儀刑を成して、文王の德を殫[つ]くし盡くさん。蓋し周公と羣臣と前人の成烈を篤くするは、成王の刑を成して、乃ち文祖の德を殫くす所以なり。此れ周公洛を治むるの事を以て、自ずから效[つと]めあり。

△伻來毖殷、乃命寧予。絕句。以秬鬯二卣曰、明禋、拜手稽首休享。秬、日許反。鬯、旦亮反。卣、音由。禋、音因。○此謹毖殷民、而命寧周公也。秬、黑黍也。一稃二米和氣所生。鬯、鬱金、香草也。卣、中尊也。明、潔。禋、敬也。以事神之禮事公也。蘇氏曰、以黑黍爲酒、合以鬱鬯、所以祼也。宗廟之禮、莫盛於祼。王使人來戒勑庶殷、且以秬鬯二卣緩寧周公、曰明禋曰休享者何也。事周公如事神明也。古者有大賓客、以享禮禮之。酒淸人渴而不飮、内乾人飢而不食也。故享有體薦。豈非敬之至者、則其禮如祭也歟。
【読み】
△來りて殷を毖[つつし]ましめて、乃ち命じて予を寧んず。絕句。秬[きょ]鬯[ちょう]二卣[ゆう]を以て曰く、明[きよ]まり禋[いん]せよ、拜手稽首して休[よ]みんじ享けよ、と。秬は、日許反。鬯は、旦亮反。卣は、音由。禋は、音因。○此れ殷の民を謹み毖んで、命じて周公を寧んぜしむるなり。秬は、黑黍なり。一稃[ふ]二米和氣生ずる所。鬯は、鬱金、香草なり。卣は、中尊[たる]なり。明は、潔し。禋は、敬なり。神に事るの禮を以て公に事うるなり。蘇氏が曰く、黑黍を以て酒を爲り、合するに鬱鬯を以てするは、祼[かん]する所以なり。宗廟の禮は、祼より盛んなるは莫し。王人をして來らしめて庶殷を戒勑し、且つ秬鬯二卣を以て周公を緩寧して、明まり禋せよと曰い休みんじ享けよと曰うは何ぞや。周公に事うること神明に事るが如し。古には大賓客有るときは、享禮を以て之を禮す。酒淸めれども人渴して飮まず、内乾けども人飢えて食まず。故に享くるに體薦有り。豈敬の至れる者に非ずんば、則ち其の禮祭の如くならんや、と。

△予不敢宿、則禋于文王・武王。宿、與顧命三宿之宿同。禋、祭名。周公不敢受此禮、而祭於文武也。
【読み】
△予れ敢えて宿[すす]めず、則ち文王・武王を禋[まつ]る。宿は、顧命の三たび宿むの宿と同じ。禋は、祭の名。周公敢えて此の禮を受けずして、文武を祭るなり。

△惠篤敍、無有遘自疾、萬年厭乃德、殷乃引考。遘、居候反。厭、於艶反。○此祭之祝辭。周公爲成王禱也。惠、順也。篤敍、與篤敍乃正父同。順篤敍文武之道、身其康强、無有遘遇自罹疾害者、子孫萬年厭飽乃德、殷人亦永壽考也。
【読み】
△惠[したが]いて篤く敍で、自ら疾に遘うこと有る無く、萬年まで乃の德に厭[あ]きて、殷も乃ち引[なが]く考あらん。遘は、居候反。厭は、於艶反。○此れ祭の祝辭なり。周公が成王の爲に禱るなり。惠は、順うなり。篤敍は、乃の正父を篤く敍ずと同じ。順いて篤く文武の道を敍で、身ら其れ康强にして、自ら疾害に罹る者に遘遇すること有る無く、子孫は萬年まで乃の德に厭飽して、殷人も亦壽考を永くせん、と。

△王伻殷乃承敍萬年、其永觀朕子懷德。承、聽受也。敍、敎條次第也。王使殷人承敍萬年、其永觀法我孺子而懷其德也。蓋周公雖許成王留洛、然且謂王伻殷者、若曰遷洛之民、我固任之。至於使其承敍萬年、則實繫于王也。亦責難之意。與召公末用供王能祈天永命、語脈相類。
【読み】
△王殷をして乃ち承け敍で萬年まで、其れ永く朕が子を觀て德に懷かしむ、と。承は、聽受なり。敍は、敎條次第なり。王殷人をして承け敍で萬年ならしめ、其れ永く法を我が孺子に觀て其の德に懷けんとなり。蓋し周公成王の洛に留むることを許すと雖も、然れども且つ王殷をしてと謂えるは、洛に遷るの民は、我れ固に之に任ず。其をして承け敍で萬年ならしむるに至りては、則ち實に王に繫ると曰うが若し。亦難きを責むるの意なり。召公の末の、用て王に供して能く天の永命を祈[もと]めんと、語脈相類す。

△戊辰、王在新邑、烝祭歲、文王騂牛一、武王騂牛一、王命作册。逸祝册。惟告周公其後。王賓、殺禋咸格。王入太室祼。戊、音茂。祼、古玩反。○此下史官記祭祀册誥等事、以附篇末也。戊辰、十二月之戊辰日也。是日成王在洛、舉烝祭之禮。曰歲云者、歲舉之祭也。周尙赤。故用騂。宗廟禮、太牢。此用特牛者、命周公留後於洛。故舉盛禮也。逸、史佚也。作册者、册、書也。逸祝册者、史逸爲祝册以告神也。惟告周公其後者、祝册所載、更不他及、惟告周公留守其後之意。重其事也。王賓、猶虞賓杞宋之屬。助祭諸侯也。諸侯以王殺牲、禋祭祖廟、故咸至也。太室、淸廟中央室也。祼、灌也。以圭瓚酌秬鬯、灌地以降神也。
【読み】
△戊辰[つちのえ・たつ]、王新邑に在りて、烝祭の歲、文王に騂牛[せいぎゅう]一、武王に騂牛一、王命じて册を作らしむ。逸祝册す。惟れ周公は其れ後なりと告す。王の賓、殺禋[いん]するとき咸格る。王太室に入りて祼[かん]す。戊は、音茂。祼は、古玩反。○此より下は史官が祭祀册誥等の事を記して、以て篇の末に附すなり。戊辰は、十二月の戊辰の日なり。是の日成王洛に在りて、烝祭の禮を舉ぐるなり。歲と曰うと云うは、歲ごとに舉ぐるの祭なり。周は赤を尙ぶ。故に騂を用ゆ。宗廟の禮は、太牢なり。此に特牛を用ゆるは、周公に留後を洛に命ず。故に盛禮を舉ぐるなり。逸は、史佚なり。册を作らしむとは、册は、書なり。逸祝册すとは、史逸祝册を爲りて以て神に告すなり。惟れ周公其れ後なりと告すとは、祝册の載する所、更に他に及ばず、惟れ周公其の後を留守するの意を告す。其の事を重んずればなり。王の賓とは、猶虞賓杞宋の屬のごとし。祭を助くる諸侯なり。諸侯王の牲を殺し、祖廟を禋祭するを以て、故に咸至るなり。太室は、淸廟の中央の室なり。祼は、灌なり。圭瓚を以て秬鬯を酌んで、地に灌いで以て神を降すなり。

△王命周公後。作册逸誥。在十有二月。逸誥者、史逸誥周公治洛留後也。在十有二月者、明戊辰爲十二月日也。
【読み】
△王周公に後を命ず。册を作りて逸誥ぐ。十有二月に在り。逸誥ぐとは、史逸が周公の洛を治め後に留むることを誥ぐるなり。十有二月に在りとは、戊辰は十二月の日爲ること明らかなり。

△惟周公誕保文武受命、惟七年。吳氏曰、周公自留洛之後、凡七年而薨也。成王之留公也、言誕保文武受民、公之復成王也、亦言承保乃文祖受命民、越乃光烈考武王。故史臣於其終計其年曰、惟周公誕保文武受命、惟七年。蓋終始公之辭云。
【読み】
△惟れ周公誕[おお]いに文武の受けたる命を保んずること、惟れ七年。吳氏が曰く、周公洛に留むるの後より、凡て七年にして薨ず。成王の公を留むるや、誕いに文武の受けたる民を保んずと言い、公の成王に復すときは、亦乃の文祖の命を受けたる民、越[およ]び乃の光烈なる考武王を承け保んずと言う。故に史臣其の終わりに於て其の年を計りて曰く、惟れ周公誕いに文武の受けたる命を保んずること、惟れ七年、と。蓋し公の辭を終始すと云う、と。

多士 商民遷洛者、亦有有位之士。故周公洛邑初政、以王命總呼多士而告之。編書者因以名篇。亦誥體也。今文古文皆有。○吳氏曰、方遷商民于洛之時、成周未作。其後王與周公患四方之遠、鑒三監之叛、於是始作洛邑、欲徙周而居之。其曰昔朕來自奄、大降爾四國民命、我乃明致天罰、移爾遐逖、比事臣我宗多遜者、述遷民之初也。曰今朕作大邑于茲洛、予惟四方罔攸賓、亦惟爾多士攸服奔走臣我多遜者、言遷民而後作洛也。故洛誥一篇終始、皆無欲遷商民之意。惟周公旣誥成王留治於洛之後。乃曰伻來毖殷。又曰王伻殷乃承敍。當時商民已遷于洛。故其言如此。愚謂武王已有都洛之志。故周公黜殷之後、以殷民反覆難制、卽遷于洛。至是建成周、造廬舍定疆場、乃告命與之更始焉爾。此多士之所以作也。由是而推、則召誥攻位之庶殷、其已遷洛之民歟。不然、則受都今衛州也。洛邑今西京也。相去四百餘里。召公安得舍近之友民、而役遠之讎民哉。書序以爲成周旣成、遷殷頑民者謬矣。吾固以爲非孔子所作也。
【読み】
多士[たし] 商の民の洛に遷る者、亦有位の士有り。故に周公洛邑の初政に、王命を以て多士を總べ呼びて之に告ぐ。書を編む者因りて以て篇に名づく。亦誥の體なり。今文古文皆有り。○吳氏が曰く、商の民を洛に遷すの時に方りて、成周未だ作らず。其の後王と周公と四方の遠きを患え、三監の叛くを鑒み、是に於て始めて洛邑を作り、周を徙[うつ]して之に居らんことを欲す。其の昔朕が奄より來るときに、大いに爾四國の民の命を降し、我れ乃ち明らかに天の罰を致して、爾を移して遐[さ]け逖[さ]けて、比[した]しみ事えしめて我が宗に臣たらしめて多く遜わしむと曰う者は、民を遷すの初めを述ぶるなり。今朕れ大邑を茲の洛に作るは、予れ惟れ四方の賓とする攸罔く、亦惟れ爾多士服[つ]いて奔り走りて我に臣とし多く遜う攸なりと曰う者は、民を遷して而して後に洛を作るを言うなり。故に洛誥の一篇の終始は、皆商の民を遷さんと欲するの意無し。惟れ周公旣に成王留めて洛を治めしむるの後に誥ぐ。乃ち曰く、來りて殷を毖ましむ、と。又曰く、王殷をして乃ち承け敍ぜしむ、と。當時商の民已に洛に遷る。故に其の言此の如し、と。愚謂えらく、武王已に洛に都するの志有り。故に周公殷を黜くの後、殷民反覆して制し難きを以て、卽ち洛に遷る。是に至りて成周を建てて、廬舍を造り疆場を定め、乃ち告命して之に與えて更め始むるのみ。此れ多士の作れる所以なり。是に由りて推すときは、則ち召誥の位を攻[おさ]むるの庶殷は、其れ已に洛に遷るの民か。然らずんば、則ち受が都は今の衛州なり。洛邑は今の西京なり。相去ること四百餘里なり。召公安んぞ近くの友民を舍てて、遠くの讎民を役することを得んや。書の序に以爲えらく、成周旣に成りて、殷の頑民を遷すという者は謬れり。吾れ固に以爲えらく、孔子の作る所に非ず、と。

惟三月、周公初于新邑洛、用告商王士。此多士之本序也。三月、成王祀洛次年之三月也。周公至洛久矣。此言初者、成王旣不果遷、留公治洛。至是公始行治洛之事。故謂之初也。曰商王士者、貴之也。
【読み】
惟れ三月、周公初めて新邑の洛に于て、用て商王の士に告ぐ。此れ多士の本序なり。三月は、成王洛を祀る次の年の三月なり。周公洛に至ること久し。此に初めてと言うは、成王旣に果たして遷らず、公を留めて洛を治めしむ。是に至りて公始めて洛を治むるの事を行う。故に之を初めてと謂う。商王の士と曰う者は、之を貴ぶなり。

△王若曰、爾殷遺多士弗弔。旻天大降喪于殷。我有周佑命、將天明威致王罰、勑殷命終于帝。弗弔、未詳。意其爲歎憫之辭。當時方言爾也。旻天、秋天也。主肅殺而言。歎憫言、旻天大降災害而喪殷。我周受眷佑之命、奉將天之明威、致王罰之公、勑正殷命而革之、以終上帝之事。蓋推革命之公、以開諭之也。
【読み】
△王若[か]く曰く、爾殷の遺れる多士弔[めぐ]まれず。旻天大いに喪びを殷に降せり。我が有周佑け命ぜられて、天の明威を將[おこな]いて王の罰を致し、殷の命を勑[ただ]して帝を終う。弗弔は、未だ詳らかならず。意うに其れ歎憫の辭爲らん。當時の方言ならんのみ。旻天は、秋天なり。肅殺を主として言う。歎憫して言う、旻天大いに災害を降して殷を喪ぼせり。我が周眷佑の命を受けて、天の明威を奉け將いて、王罰の公を致し、殷の命を勑し正して之を革め、以て上帝の事を終う、と。蓋し命を革むるの公を推して、以て之を開き諭すなり。

△肆爾多士、非我小國敢弋殷命。惟天不畀、允罔固亂。弼我。我其敢求位。肆、與康誥肆汝小子封同。弋、取也。弋鳥之弋。言有心於取之也。呼多士誥之謂、以勢而言、我小國亦豈敢弋取殷命。蓋栽者培之、傾者覆之。固其治、而不固其亂者、天之道也。惟天不與殷、信其不固殷之亂矣。惟天不固殷之亂。故輔我周之治、而天位自有所不容辭者。我其敢有求位之心哉。
【読み】
△肆[いま]爾多士、我が小國敢えて殷の命を弋[と]れるに非ず。惟れ天畀[あた]えず、允に亂れたるを固くすること罔し。我を弼く。我れ其れ敢えて位を求めんや。肆は、康誥の肆汝小子封と同じ。弋[よく]は、取るなり。弋鳥の弋。言うこころは、之を取るに心有るなり。多士を呼びて之に誥げて謂く、勢いを以て言わば、我が小國亦豈敢えて殷の命を弋り取らんや、と。蓋し栽える者は之を培い、傾く者は之を覆す。其の治まれるを固くして、其の亂れたるを固くせざるは、天の道なり。惟れ天殷に與えざるは、信に其れ殷の亂れたるを固くせざるなり。惟れ天殷の亂れたるを固くせず。故に我が周の治まれるを輔けて、天位自ずから辭す容からざる所の者有り。我れ其れ敢えて位を求むるの心有らんや、と。

△惟帝不畀、惟我下民秉爲、惟天明畏。秉、持也。言天命之所不與、卽民心之所秉爲。民心之所秉爲、卽天威之所明畏者也。反覆天民相因之理、以見天之果不外乎民、民之果不外乎天也。詩言秉彝、此言秉爲者、彝以理言、爲以用言也。
【読み】
△惟れ帝畀[あた]えず、惟れ我が下民のすることを秉れるは、惟れ天の明畏なり。秉は、持つなり。言うこころは、天命の與えざる所は、卽ち民心の秉爲する所なり。民心の秉爲する所は、卽ち天威の明らかに畏るべき所の者なり。天民相因るの理を反覆して、以て天の果たして民に外ならず、民の果たして天に外ならざるを見すなり。詩に秉彝と言い、此に秉爲と言うは、彝は理を以て言い、爲は用を以て言うなり。

△我聞曰、上帝引逸。有夏不適逸、則惟帝降格、嚮于時夏。弗克庸帝、大淫泆有辭。惟時天罔念聞。厥惟廢元命、降致罰。引、導。逸、安也。降格、與呂刑降格同。呂氏曰、上帝引逸者、非有形聲之接也。人心得其安、則亹亹而不能已。斯則上帝引之也。是理坦然、亦何閒於桀。第桀喪其良心、自不適於安耳。帝實引之、桀實避之。帝猶未遽絕也。乃降格災異以示意、嚮於桀。桀猶不知警懼、不能敬用帝命、乃大肆淫逸。雖有矯誣之辭、而天罔念聞之。仲虺所謂帝用不臧是也。廢其大命、降致其罰、而夏祚終矣。
【読み】
△我れ聞く曰く、上帝逸[やす]きを引[みちび]く。有夏逸きに適かず、則ち惟れ帝降し格して、時[こ]の夏に嚮[む]かう。帝を庸[もち]ゆること克わず、大いに淫泆にして辭有り。惟れ時れ天念い聞くこと罔し。厥れ惟れ元命を廢てて、罰を降し致す。引は、導く。逸は、安きなり。降格は、呂刑の降格と同じ。呂氏が曰く、上帝逸きに引くとは、形聲の接わり有るに非ず。人心其の安きを得るときは、則ち亹亹[びび]として已むこと能わず。斯れ則ち上帝之を引くなり、と。是の理坦然として、亦何ぞ桀を閒[へだ]てんや。第[ただ]桀は其の良心を喪い、自ら安きに適かざるのみ。帝實に之を引き、桀實に之を避く。帝猶未だ遽に絕たず。乃ち災異を降し格して以て意を示して、桀に嚮かう。桀猶警め懼るることを知らず、敬みて帝命を用ゆること能わず、乃ち大いに肆に淫逸す。矯[いつわ]り誣いるの辭有りと雖も、而れども天之を念い聞くこと罔し。仲虺が所謂帝用て臧みせずとは是れなり。其の大命を廢て、其の罰を降し致して、夏祚終えぬ。

△乃命爾先祖成湯革夏、俊民甸四方。甸、治也。伊尹稱湯、旁求俊彥。孟子稱湯、立賢無方。蓋明揚俊民、分布遠邇、甸治區畫、成湯立政之大經也。周公反復以夏商爲言者、蓋夏之亡、卽殷之亡。湯之興、卽武王之興也。商民觀是、亦可以自反矣。
【読み】
△乃ち爾の先祖成湯に命じて夏を革めて、俊民四方を甸[おさ]めしむ、と。甸[でん]は、治むるなり。伊尹湯を稱す、旁く俊彥を求む、と。孟子湯を稱す、賢を立つること方無し、と。蓋し明らかに俊民を揚げて、遠邇を分かち布き、區畫を甸治するは、成湯政を立つるの大經なり。周公反復して夏商を以て言を爲す者は、蓋し夏の亡ぶるは、卽ち殷の亡ぶるなり。湯の興るは、卽ち武王の興るなり。商の民是を觀て、亦以て自ら反す可し。

△自成湯至于帝乙、罔不明德恤祀。明德者、所以脩其身。恤祀者、所以敬乎神也。
【読み】
△成湯より帝乙に至るまで、德を明らかにし祀を恤えざる罔し。德を明らかにするは、其の身を脩むる所以なり。祀を恤うるは、神を敬する所以なり。

△亦惟天丕建、保乂有殷。殷王亦罔敢失帝、罔不配天其澤。亦惟天大建立、保治有殷。殷之先王、亦皆操存此心、無敢失帝之則、無不配天以澤民也。
【読み】
△亦惟れ天丕いに建て、有殷を保んじ乂[おさ]む。殷王亦敢えて帝を失うこと罔く、天に配[あ]わせて其れ澤[うるお]さざること罔し。亦惟れ天大いに建立して、有殷を保んじ治む。殷の先王も、亦皆此の心を操存して、敢えて帝の則を失うこと無く、天に配して以て民を澤さざること無し、と。

△在今後嗣王、誕罔顯于天。矧曰其有聽念于先王勤家。誕淫厥泆、罔顧于天顯民祗。後嗣王、紂也。紂大不明於天道。況曰能聽念商先王之勤勞於邦家者乎。大肆淫泆、無復顧念天之顯道、民之敬畏者也。
【読み】
△今に在りて後の嗣王、誕[おお]いに天に顯らかなること罔し。矧んや曰く其れ先王の家を勤めたるを聽き念うこと有らんや。誕いに淫し厥れ泆して、天の顯らかなる民の祗みを顧みること罔し。後の嗣王は、紂なり。紂大いに天道に明らかならず。況んや曰く能く商の先王の邦家に勤勞するを聽き念う者ならんや。大いに肆に淫泆して、復天の顯道、民の敬畏を顧み念うこと無き者なり、と。

△惟時上帝不保、降若茲大喪。大喪者、國亡而身戮也。
【読み】
△惟れ時れ上帝保んぜず、茲の若き大いなる喪びを降せり。大喪は、國亡びて身戮せらるるなり。

△惟天不畀、不明厥德。商先王以明德而丕建、則商後王不明德、而天不畀矣。
【読み】
△惟れ天畀[あた]えざるは、厥の德を明らかにせざればなり。商の先王明德を以て丕いに建つれば、則ち商の後王德を明らかにせずして、天畀えず。

△凡四方小大邦喪、罔非有辭于罰。凡四方小大邦國喪亡、其致罰皆有可言者。況商罪貫盈、而周奉辭以伐之者乎。
【読み】
△凡そ四方小大の邦の喪ぶること、罰に辭有るに非ざること罔し、と。凡そ四方小大の邦國喪亡して、其の罰を致すは皆言う可き者有り。況んや商の罪貫き盈ちて、周辭を奉じて以て之を伐つ者をや。

△王若曰、爾殷多士、今惟我周王、丕靈承帝事。靈、善也。大善承天之所爲也。武成言、祗承上帝、以遏亂略、是也。
【読み】
△王若[か]く曰く、爾殷の多士、今惟れ我が周王、丕いに靈[よ]く帝の事を承けり。靈は、善きなり。大いに善く天のする所を承くるなり。武成に言く、祗みて上帝に承けて、以て亂略を遏むとは、是れなり。

△有命曰、割殷、告勑于帝。帝有命曰割殷、則不得不戡定翦除。告其勑正之事于帝也、武成言、告于皇天后土、將有大正于商者、是也。
【読み】
△命有りて曰く、殷を割[た]ち、勑[ただ]すことを帝に告せ、と。帝命有りて殷を割てと曰うときは、則ち戡定して翦り除かざることを得ず。其の勑正の事を帝に告すとは、武成に言く、皇天后土に告して、將に大いに商を正すこと有らんとすという者、是れなり。

△惟我事不貳適、惟爾王家我適。上帝臨汝、毋貳爾心、惟我事不貳適之謂。上帝旣命侯于周服、惟爾王家我適之謂。言割殷之事、非有私心。一於從帝、而無貳適、則爾殷王家、自不容不我適矣。周不貳于帝、殷其能貳於周乎。蓋示以確然不可動搖之意、而潛消頑民反側之情爾。然聖賢事不貳適、日用飮食、莫不皆然。蓋所以事天也。豈特割殷之事而已哉。
【読み】
△惟れ我が事貳つに適かず、惟れ爾の王家我に適く。上帝汝に臨めり、爾の心を貳[うたが]うこと毋かれとは、惟れ我が事貳つに適かずの謂なり。上帝旣に命じて侯[こ]れ周に服せりとは、惟れ爾の王家我に適くの謂なり。言うこころは、殷を割つの事は、私心有るに非ず。帝に從うに一にして、貳つに適くこと無きときは、則ち爾が殷の王家も、自ずから我に適かずんばある容からず。周帝に貳あらざれば、殷も其れ能く周に貳あらんや。蓋し以て確然として動搖す可からざるの意を示して、頑民反側の情を潛消するのみ。然るに聖賢の事貳つに適かざること、日用飮食も、皆然らざること莫し。蓋し天に事る所以なり。豈特り殷を割つの事のみならんや。

△予其曰、惟爾洪無度。我不爾動。自乃邑。三監倡亂。予其曰、乃汝大爲非法。非我爾動。變自爾邑。猶伊訓所謂造攻自鳴條也。
【読み】
△予れ其れ曰く、惟れ爾洪[おお]いに度無し。我れ爾を動かさず。乃の邑よりす、と。三監倡亂す。予れ其れ曰く、乃ち汝大いに非法を爲す。我れ爾を動かすに非ず。變爾が邑よりせり。猶伊訓に所謂造[はじ]めて攻むること鳴條よりすというがごとし。

△予亦念天卽于殷大戾。肆不正。予亦念天就殷邦屢降大戾、紂旣死、武庚又死。故邪慝不正。言當遷徙也。
【読み】
△予れ亦天の殷に大いなる戾[つみ]を卽くことを念う。肆[ゆえ]に正しからず、と。予れ亦天の殷の邦に就いて屢々大戾を降すを念うに、紂旣に死し、武庚も又死す。故に邪慝不正なり。言うこころは、當に遷徙すべし。

△王曰、猷告爾多士。予惟時其遷居西爾。非我一人奉德不康寧。時惟天命無違。朕不敢有後。無我怨。時、是也。指上文殷大戾而言。謂惟是之故、所以遷居西爾。非我一人樂如是之遷徙震動也。是惟天命如此。汝毋違越。我不敢有後命。謂有他罰、爾無我怨也。
【読み】
△王曰く、猷[ああ]爾多士に告ぐ。予れ惟れ時れ其れ遷りて西に居らんのみ。我れ一人德を奉[う]けて康んじ寧んぜざるには非ず。時れ惟れ天命違うこと無し。朕れ敢えて後有らず。我を怨むこと無かれ。時は、是れなり。上の文の殷の大戾を指して言う。謂ゆる惟れ是の故に、遷して西に居く所以なるのみ。我れ一人樂しみて是の如く遷徙震動するに非ず。是れ惟れ天命此の如し。汝違越すること毋かれ。我れ敢えて後命有らず。謂ゆる他の罰有るとも、爾我を怨むこと無かれ、と。

△惟爾知惟殷先人、有册有典。殷革夏命。卽其舊聞、以開諭之也。殷之先世、有册書典籍。載殷改夏命之事、正如是耳。爾何獨疑於今乎。
【読み】
△惟れ爾惟れ殷の先人、册有り典有り。殷の夏の命を革むるを知らん。其の舊聞に卽いて、以て之を開き諭すなり。殷の先世、册書典籍有り。殷の夏の命を改めし事を載すること、正に是の如きのみ。爾何ぞ獨り今を疑わんや、と。

△今爾其曰、夏迪簡在王庭、有服在百僚。予一人惟聽用德。肆予敢求爾于天邑商。予惟率肆矜爾。非予罪。時惟天命。周公旣舉商革夏事、以諭頑民。頑民復以商革夏事責周。謂商革夏命之初、凡夏之士、皆啓迪簡拔、在商王之庭、有服列于百僚之閒。今周於商士、未聞有所簡拔也。周公舉其言、以大義折之。言爾頑民雖有是言、然予一人所聽用者、惟以德而已。故予敢求爾於天邑商、而遷之於洛者、以冀率德改行焉。予惟循商故事、矜恤於爾而已。其不爾用者、非我之罪也。是惟天命如此。蓋章德者、天之命。今頑民滅德、而欲求用得乎。
【読み】
△今爾其れ曰えり、夏迪[みちび]き簡[えら]びて王庭に在り、服くこと有りて百僚に在り、と。予れ一人惟れ德を聽き用ゆ。肆[ゆえ]に予れ敢えて爾を天邑の商に求む。予れ惟れ率いて肆[ここ]に爾を矜[あわ]れむ。予が罪に非ず。時[こ]れ惟れ天命なり、と。周公旣に商の夏を革めし事を舉げて、以て頑民を諭す。頑民復商が夏を革めし事を以て周を責む。謂ゆる商が夏の命を革むるの初め、凡そ夏の士、皆啓き迪き簡び拔[と]りて、商王の庭に在り、百僚の閒に服列すること有り。今周の商の士に於る、未だ簡び拔る所有るを聞かざるなり、と。周公其の言を舉げて、大義を以て之を折く。言うこころは、爾頑民是の言有りと雖も、然れども予れ一人聽き用ゆる所の者、惟れ德を以てするのみ。故に予れ敢えて爾を天邑の商に求めて、之を洛に遷す者は、以て德に率い行いを改むるを冀うなり。予れ惟れ商の故事に循いて、爾を矜れみ恤れむのみ。其れ爾を用いざる者は、我が罪に非ず。是れ惟れ天命此の如し。蓋し德を章らかにする者は、天の命なり。今頑民德を滅ぼして、求め用いられんと欲せども得んや。

△王曰、多士、昔朕來自奄、予大降爾四國民命。我乃明致天罰。移爾遐逖、比事臣我宗、多遜。降、猶今法降等云者。言昔我來自商奄之時、汝四國之民、罪皆應死。我大降爾命不忍誅戮。乃止明致天罰、移爾遠居于洛、以親比臣我宗廟、有多遜之美。其罰蓋亦甚輕、其恩固已甚厚。今乃猶有所怨望乎。詳此章、則商民之遷、固已久矣。
【読み】
△王曰く、多士、昔朕が奄より來るときに、予れ大いに爾四國の民の命を降せり。我れ乃ち明らかに天の罰を致さん。爾を移して遐[さ]け逖[さ]けて、比[した]しみ事えしめて我が宗に臣たらしめて、多く遜[したが]わしむ、と。降すとは、猶今の法に等を降すと云う者のごとし。言うこころは、昔我れ商の奄より來るの時、汝四國の民、罪皆應に死すべし。我れ大いに爾が命を降して誅戮するに忍びず。乃ち止明らかに天の罰を致して、爾を移して遠く洛に居らしめ、以て親比して我が宗廟に臣とし、多く遜うの美有らしむ。其の罰蓋し亦甚だ輕く、其恩固に已に甚だ厚し。今乃ち猶怨み望む所有るがごときか、と。此の章を詳らかにするときは、則ち商の民の遷ること、固に已に久し。

△王曰、告爾殷多士。今予惟不爾殺。予惟時命有申。今朕作大邑于茲洛、予惟四方罔攸賓、亦惟爾多士、攸服奔走臣我、多遜。以自奄之命爲初命、則此命爲申命也。言我惟不忍爾殺。故申明此命、且我所以營洛者、以四方諸侯、無所賓禮之地、亦惟爾等服事奔走臣我多遜、而無所處故也。詳此章、則遷民在營洛之先矣。吳氏曰、來自奄稱昔者、遠日之辭也。作大邑稱今者、近日之辭也。移爾遐逖、比事臣我宗、多遜者、期之之辭也。攸服奔走臣我多遜者、果能之辭也。以此又知、遷民在前、而作洛在後也。
【読み】
△王曰く、爾殷の多士に告ぐ。今予れ惟れ爾を殺さず。予れ惟れ時[こ]れ命申ぬること有り。今朕れ大邑を茲の洛に作るは、予れ惟れ四方の賓とする攸罔く、亦惟れ爾多士、服[つ]いて奔り走りて我に臣とし多く遜う攸なり。奄よりの命を以て初命とするときは、則ち此の命を申ぬる命とす。言うこころは、我れ惟れ爾を殺すに忍びず。故に申ねて此の命を明らかにし、且つ我が洛を營む所以の者は、四方の諸侯、賓禮する所の地無く、亦惟れ爾等服事奔走して我に臣とし多く遜いて、處る所無きを以ての故なり。此の章を詳らかにすれば、則ち民を遷すは洛を營むの先に在り。吳氏が曰く、奄より來るに昔と稱する者は、遠日の辭なり。大邑を作るに今と稱する者は、近日の辭なり。爾を遐逖[かてき]に移し、比事して我が宗に臣とし、多く遜わしむとは、之を期するの辭なり。服いて奔走して我に臣とし多く遜う攸とは、果たして能くするの辭なり。此を以て又知る、民を遷すは前に在りて、洛を作るは後に在ることを、と。

△爾乃尙有爾土、爾乃尙寧幹止。幹、事。止、居也。爾乃庶幾有爾田業、庶幾安爾所事、安爾所居也。詳此章所言、皆仍舊有土田居止之辭。信商民之遷舊矣。孔氏不得其說、而以得反所生釋之。於文義似矣。而事則非也。
【読み】
△爾乃ち尙わくは爾の土を有ちて、爾乃ち尙わくは幹[こと]の止[おりどころ]を寧んぜよ。幹は、事。止は、居なり。爾乃ち庶幾わくは爾の田業を有ち、庶幾わくは爾が事とする所を安んじ、爾が居る所を安んぜよ、と。此の章の言う所を詳らかにするに、皆舊に仍りて土田居止を有つの辭なり。信に商の民の遷ること舊し。孔氏其の說を得ずして、生ずる所に反ることを得るを以て之を釋く。文義に於て似れり。而れども事は則ち非なり。

△爾克敬、天惟畀矜爾。爾不克敬、爾不啻不有爾土。予亦致天之罰于爾躬。敬、則言動無不循理。天之所福、吉祥所集也。不敬、則言動莫不違悖。天之所禍、刑戮所加也。豈特竄徙不有爾土而已哉。身亦有所不能保矣。
【読み】
△爾克く敬めば、天惟れ畀[あた]えて爾を矜[めぐ]まん。爾敬むこと克わずんば、爾啻[ただ]爾の土を有たざるのみにあらず。予れ亦天の罰を爾の躬に致さん。敬すれば、則ち言動理に循わざること無し。天の福する所、吉祥の集まる所なり。敬せざれば、則ち言動違い悖らざること莫し。天の禍いする所、刑戮の加うる所なり。豈特り竄徙して爾の土を有たざるのみならんや。身も亦保つこと能わざる所有らん。

△今爾惟時宅爾邑、繼爾居。爾厥有幹有年于茲洛。爾小子乃興、從爾遷。邑、四井爲邑之邑。繼者、承續安居之謂。有營爲、有壽考、皆于茲洛焉。爾之子孫乃興、自爾遷始也。夫自亡國之末裔、爲起家之始祖、頑民雖愚、亦知所擇矣。
【読み】
△今爾惟れ時れ爾の邑に宅り、爾の居を繼げ。爾厥れ幹有り年有らんこと茲の洛に于てせん。爾の小子乃ち興らんことは、爾の遷るに從りせん、と。邑は、四井を邑とすの邑なり。繼ぐとは、承け續ぎ安んじ居るの謂なり。營爲有り、壽考有り、皆茲の洛に于てす。爾の子孫乃ち興るは、爾の遷るにより始まらん、と。夫れ亡國の末裔より、家を起こすの始祖と爲る、頑民愚なりと雖も、亦擇ぶ所を知るなり。

△王曰、又曰時予乃或言、爾攸居。王曰之下、當有闕文。以多方篇末王曰又曰、推之可見。時我或有所言、皆以爾之所居止爲念也。申結上文爾居之意。
【読み】
△王曰く、又曰く時[こ]れ予れ乃ち言或るは、爾の居る攸なり、と。王曰の下、當に闕文有るべし。多方の篇の末の王曰又曰を以て、之を推して見る可し。時れ我れ或は言う所有るは、皆爾の居り止まる所を以て念うことをせん、と。申ねて上の文の爾の居の意を結ぶ。

無逸 逸者、人君之大戒、自古有國家者、未有不以勤而興、以逸而廢也。益戒舜曰、罔遊于逸、罔淫于樂。舜、大聖也。益猶以是戒之、則時君世王、其可忽哉。成王初政、周公懼其知逸、而不知無逸也。故作是書以訓之。言則古昔必稱商王者、時之近也。必稱先王者、王之親也。舉三宗者、繼世之君也。詳文祖者、耳目之所逮也。上自天命精微、下至畎畝艱難、閭里怨詛、無不具載。豈獨成王之所當知哉。實天下萬世人主之龜鑑也。是篇凡七更端。周公皆以嗚呼發之。深嗟永歎其意深遠矣。亦訓體也。今文古文皆有。
【読み】
無逸[むいつ] 逸は、人君の大戒、古より國家を有つ者、未だ勤を以て興り、逸を以て廢らざるは有らざるなり。益舜を戒めて曰く、逸に遊ぶ罔かれ、樂に淫する罔かれ、と。舜は、大聖なり。益猶是を以て之を戒むれば、則ち時君世王、其れ忽にす可けんや。成王の初政、周公其の逸を知りて無逸を知らざるを懼る。故に是の書を作りて以て之を訓ゆ。言うこころは、古昔を則として必ず商王を稱する者は、時の近ければなり。必ず先王を稱する者は、王の親なればなり。三宗を舉ぐる者は、世を繼ぐの君なればなり。文祖を詳らかにする者は、耳目の逮ぶ所なればなり。上は天命の精微より、下は畎畝の艱難、閭里の怨詛に至るまで、具に載せざる無し。豈獨り成王の當に知るべき所ならんや。實に天下萬世人主の龜鑑なり。是の篇凡て七たび端を更む。周公皆嗚呼を以て之を發す。深嗟永歎其の意深遠なり。亦訓の體なり。今文古文皆有り。

周公曰、嗚呼君子所其無逸。所、猶處所也。君子以無逸爲所。動靜食息、無不在是焉。作輟、則非所謂所矣。
【読み】
周公曰く、嗚呼君子は其の逸んずること無きを所とす。所は、猶處り所のごとし。君子は無逸を以て所とす。動靜食息、是に在らざること無し。輟[や]むることを作すときは、則ち所謂所に非ず。

△先知稼穡之艱難乃逸、則知小人之依。先知稼穡之艱難乃逸者、以勤居逸也。依者、指稼穡而言。小民所恃以爲生者也。農之依田、猶魚之依水、木之依土。魚無水則死、木無土則枯。民非稼穡、則無以生也。故舜自耕稼以至爲帝、禹稷躬稼以有天下。文武之基、起於后稷。四民之事、莫勞於稼穡、生民之功、莫盛於稼穡。周公發無逸之訓、而首及乎此、有以哉。
【読み】
△先ず稼穡の艱難を知りて乃ち逸んずるときは、則ち小人の依ることを知る。先ず稼穡の艱難を知りて乃ち逸んずる者は、勤を以て逸に居るなり。依るとは、稼穡を指して言う。小民恃んで以て生を爲す所の者なり。農の田に依るは、猶魚の水に依り、木の土に依るがごとし。魚水無きときは則ち死し、木土無きときは則ち枯れる。民稼穡に非ざれば、則ち以て生きること無し。故に舜は耕稼より以て帝と爲るに至り、禹稷は躬ら稼して以て天下を有てり。文武の基は、后稷より起こる。四民の事は、稼穡より勞なるは莫く、生民の功は、稼穡より盛んなるは莫し。周公無逸の訓を發して、首めに此に及ぶこと、以[ゆえ]有るかな。

△相小人、厥父母勤勞稼穡、厥子乃不知稼穡之艱難、乃逸乃諺、旣誕。否則侮厥父母曰、昔之人無聞知。諺、疑戰反。○不知稼穡之艱難乃逸者、以逸爲逸也。俚語曰諺。言視小民、其父母勤勞稼穡、其子乃生於豢養、不知稼穡之艱難、乃縱逸自恣、乃習俚巷鄙語、旣又誕妄、無所不至。不然、則又訕侮其父母曰、古老之人、無聞無知。徒自勞苦、而不知所以自逸也。昔劉裕奮農畝而取江左。一再傳後、子孫見其服用、反笑曰、田舍翁得此亦過矣。此正所謂昔之人無聞知也。使成王非周公之訓、安知其不以公劉后稷爲田舍翁乎。
【読み】
△小人を相[み]るに、厥の父母稼穡を勤め勞れども、厥の子乃ち稼穡の艱難を知らず、乃ち逸んじて乃ち諺[なら]わし、旣に誕[いつわ]る。否[しか]らざるときは則ち厥の父母を侮りて曰く、昔の人は聞き知ること無し、と。諺は、疑戰反。○稼穡の艱難を知らずして乃ち逸んずとは、逸を以て逸を爲すなり。俚語を諺と曰う。言うこころは、小民を視るに、其の父母稼穡を勤勞し、其の子乃ち豢養[かんよう]に生まれて、稼穡の艱難を知らず、乃ち縱逸にして自ら恣[ほしいまま]にし、乃ち俚巷の鄙語に習いて、旣に又誕妄にして、至らざる所無し。然らざれば、則ち又其の父母を訕[そし]り侮りて曰く、古老の人は、聞くことも無く知ることも無し。徒に自ら勞苦して、自ら逸んずる所以を知らず、と。昔劉裕農畝より奮[た]ちて江左を取る。一再傳の後、子孫其の服用を見て、反って笑いて曰く、田舍翁此を得ること亦過ぎたり、と。此れ正に所謂昔の人聞き知ること無きなり。成王をして周公の訓えを非とせしめば、安んぞ其の公劉后稷を以て田舍翁とせざることを知らんや。

△周公曰、嗚呼我聞曰、昔在殷王中宗、嚴恭寅畏、天命自度。治民祗懼、不敢荒寧。肆中宗之享國、七十有五年。中宗、太戊也。嚴則莊重。恭則謙抑。寅則斂肅。畏則戒懼。天命、卽天理也。中宗嚴恭寅畏、以天理而自檢律其身。至於治民之際、亦祗敬恐懼、而不敢怠荒安寧。中宗無逸之實如此。故能有享國永年之效也。按書序、太戊有原命咸乂等篇。意述其當時敬天治民之事。今無所攷矣。
【読み】
△周公曰く、嗚呼我れ聞く曰く、昔在[むかし]殷王中宗、嚴かに恭しく寅[つつし]み畏れて、天命をもって自ら度る。民を治むること祗み懼れて、敢えて荒[すさ]み寧んぜず。肆[ゆえ]に中宗の國を享けたること、七十有五年。中宗は、太戊なり。嚴かなるときは則ち莊重なり。恭しきときは則ち謙抑なり。寅むときは則ち斂肅なり。畏るるときは則ち戒懼なり。天命は、卽ち天理なり。中宗嚴恭寅畏にして、天理を以て自ら其の身を檢律す。民を治むるの際に至りて、亦祗敬恐懼して、敢えて怠荒安寧せず。中宗の無逸の實此の如し。故に能く國を享けて年を永くするの效有り。書の序を按ずるに、太戊に原命咸乂[かんがい]等の篇有り。意うに其の當時天を敬み民を治むるの事を述ぶるならん。今攷[かんが]うる所無し。

△其在高宗時、舊勞于外、爰曁小人。作其卽位、乃或亮陰三年不言。其惟不言、言乃雍。不敢荒寧、嘉靖殷邦、至于小大、無時或怨。肆高宗之享國、五十有九年。亮、音梁。陰、音菴。○高宗、武丁也。未卽位之時、其父小乙、使久居民閒、與小民出入同事。故於小民稼穡艱難、備嘗知之也。雍、和也。發言和順、當於理也。嘉、美。靖、安也。嘉靖者、禮樂敎化蔚然於安居樂業之中也。漢文帝與民休息。謂之靖則可。謂之嘉則不可。小大無時或怨者、萬民咸和也。乃雍者、和之發於身。嘉靖者、和之達於政。無怨者、和之著於民也。餘見說命。高宗無逸之實如此。故亦有享國永年之效也。
【読み】
△其れ高宗の時に在[おい]て、舊[ひさ]しく外に勞り、爰に小人と曁[とも]にす。作[た]ちて其の位に卽くときに、乃ち或は亮陰三年言わず。其れ惟れ言わず、言うときは乃ち雍[やわ]らぐ。敢えて荒み寧んぜず、殷の邦を嘉みんじ靖んじて、小大に至るまで、時[こ]れ怨み或ること無し。肆[ゆえ]に高宗の國を享けたること、五十有九年。亮は、音梁。陰は、音菴。○高宗は、武丁なり。未だ位に卽かざるの時、其の父小乙、久しく民閒に居りて、小民と出入し事を同じくせしむ。故に小民の稼穡艱難に於て、備に嘗て之を知れり。雍は、和らぐなり。言を發すること和順にして、理に當たるなり。嘉は、美き。靖は、安んずるなり。嘉靖とは、禮樂敎化居を安んじ業に樂しむの中に蔚然[うつぜん]たるなり。漢の文帝民と休息す。之を靖と謂わば則ち可なり。之を嘉と謂わば則ち不可なり。小大時れ怨み或ること無しとは、萬民咸く和らぐなり。乃ち雍らぐとは、和の身に發するなり。嘉みんじ靖んずとは、和の政に達するなり。怨み無しとは、和の民に著るなり。餘は說命に見えたり。高宗無逸の實此の如し。故に亦享國永年の效有り。

△其在祖甲、不義惟王、舊爲小人。作其卽位、爰知小人之依、能保惠于庶民。不敢侮鰥寡。肆祖甲之享國、三十有三年。史記高宗崩、子祖庚立。祖庚崩、弟祖甲立。則祖甲、高宗之子、祖庚之弟也。鄭玄曰、高宗欲廢祖庚立祖甲。祖甲以爲不義。逃於民閒。故云不義惟王。○按漢孔氏以祖甲爲太甲。蓋以國語稱帝甲亂之、七世而殞、孔氏見此等記載、意爲帝甲。必非周公所稱者。又以不義惟王、與太甲茲乃不義文似、遂以此稱祖甲者爲太甲。然詳此章、舊爲小人、作其卽位、與上章爰曁小人、作其卽位、文勢正類。所謂小人者、皆指微賤而言。非謂憸小之人也。作其卽位、亦不見太甲復政思庸之意。又按邵子經世書、高宗五十九年、祖庚七年、祖甲三十三年。世次歷年、皆與書合。亦不以太甲爲祖甲。況殷世二十有九、以甲名者五帝、以大以小以沃以陽以祖。別之、不應二人倶稱祖甲。國語傳訛承謬、旁記曲說、不足盡信。要以周公之言爲正。又下文周公言自殷王中宗、及高宗、及祖甲、及我周文王。及云者、因其先後次第、而枚舉之辭也。則祖甲之爲祖甲、而非太甲明矣。
【読み】
△其れ祖甲に在[おい]て、惟れ王たることを義とせず、舊[ひさ]しく小人たり。作[た]ちて其の位に卽くときに、爰に小人の依ることを知りて、能く庶民を保んじ惠む。敢えて鰥寡を侮らず。肆[ゆえ]に祖甲の國を享けたること、三十有三年。史記に高宗崩じて、子の祖庚立つ。祖庚崩じて、弟の祖甲立つ、と。則ち祖甲は、高宗の子、祖庚の弟なり。鄭玄が曰く、高宗祖庚を廢して祖甲を立てんと欲す。祖甲以爲えらく、不義、と。民閒に逃る。故に惟れ王たることを義とせずと云う、と。○按ずるに漢の孔氏祖甲を以て太甲とす。蓋し國語に帝甲之を亂りて、七世にして殞つと稱するを以て、孔氏此等の記載を見て、意うに帝甲とす。必ず周公の稱する所の者に非ず。又惟れ王たることを義とせずと、太甲茲れ乃の不義なると文似たるを以て、遂に此を以て祖甲と稱する者を太甲とす。然れども此の章を詳らかにすれば、舊しく小人たり、作ちて其の位に卽くと、上の章の爰に小人と曁にす、作ちて其の位に卽くと、文勢正に類す。所謂小人は、皆微賤を指して言う。憸小[せんしょう]の人を謂うに非ず。作ちて其の位に卽くも、亦太甲の政を復し庸[つね]を思うの意を見ず。又按ずるに邵子の經世書に、高宗五十九年、祖庚七年、祖甲三十三年、と。世次歷年、皆書と合えり。亦太甲を以て祖甲とせず。況んや殷の世二十有九、甲を以て名づくる者五帝、大を以てし小を以てし沃を以てし陽を以てし祖を以てす。之を別して、二人倶に祖甲と稱す應からず。國語に訛を傳えて謬を承け、旁記曲說して、盡くは信ずるに足らず。周公の言を以て正とすることを要す。又下の文に周公が殷王中宗より、及び高宗、及び祖甲、及び我が周の文王と言う。及びと云うは、其の先後の次第に因りて、枚舉するの辭なり。則ち祖甲の祖甲爲る、而して太甲に非ざること明らかなり。

△自時厥後立王、生則逸。生則逸、不知稼穡之艱難、不聞小人之勞、惟耽樂之從。自時厥後、亦罔或克壽。或十年、或七八年、或五六年、或四三年。過樂、謂之耽。泛言。自三宗之後卽君位者。生則逸豫、不知稼穡之艱難、不聞小人之勞、惟耽樂之從、伐性喪生。故自三宗之後、亦無能壽考。遠者不過十年七八年、近者五六年三四年爾。耽樂愈甚、則享年愈促也。凡人莫不欲壽而惡夭。此篇專以享年永不永爲言。所以開其所欲、而禁其所當戒也。
【読み】
△時[これ]より厥の後立てる王、生まれながら則ち逸んず。生まれながら則ち逸んじて、稼穡の艱難を知らず、小人の勞を聞かず、惟れ耽樂に之れ從う。時より厥の後、亦克く壽ながきこと或る罔し。或は十年、或は七八年、或は五六年、或は四三年、と。過ぎて樂しむ、之を耽と謂う。泛く言う。三宗の後より君位に卽く者なり。生まれながら則ち逸豫して、稼穡の艱難を知らず、小人の勞を聞かず、惟れ耽樂に之れ從い、性を伐り生を喪う。故に三宗の後より、亦能く壽考なること無し。遠き者は十年七八年に過ぎず、近き者は五六年三四年なるのみ、と。耽樂愈々甚だしきときは、則ち年を享くること愈々促[ちぢ]まる。凡そ人壽を欲して夭を惡まざる莫し。此の篇專ら年を享くること永きと永からざるとを以て言を爲す。其の欲する所を開いて、其の當に戒むべき所を禁ずる所以なり。

△周公曰、嗚呼厥亦惟我周太王・王季、克自抑畏。商、猶異世也。故又卽我周先王告之。言太王・王季能自謙抑謹畏者、蓋將論文王之無逸。故先述其源流之深長也。大抵抑畏者、無逸之本、縱肆怠荒、皆矜誇無忌憚者之爲。故下文言文王、曰柔曰恭曰不敢、皆原太王・王季抑畏之心發之耳。
【読み】
△周公曰く、嗚呼厥れ亦惟れ我が周の太王・王季、克く自ら抑[へりくだ]り畏る。商は、猶異世なり。故に又我が周の先王に卽いて之を告ぐ。太王・王季能く自ら謙抑謹畏すと言う者は、蓋し將に文王の無逸を論ぜんとす。故に先ず其の源流の深長を述ぶるなり。大抵抑り畏るる者は、無逸の本、縱肆怠荒は、皆矜誇して忌憚無き者の爲[しわざ]なり。故に下の文に文王を言いて、柔と曰い恭と曰い敢えてせずと曰うは、皆太王・王季抑り畏るるの心に原づいて之を發するのみ。

△文王卑服、卽康功田功。卑服、猶禹所謂惡衣服也。康功、安民之功。田功、養民之功。言文王於衣服之奉、所性不存、而專意於安養斯民也。卑服、蓋舉一端而言。宮室飮食、自奉之薄、皆可類推。
【読み】
△文王服を卑しくし、康功田功に卽けり。服を卑しくすとは、猶禹の所謂衣服を惡しくするがごとし。康功は、民を安んずるの功。田功は、民を養うの功。言うこころは、文王の衣服の奉に於るは、性の存せざる所にして、意を斯の民を安養するに專らにするなり。服を卑しくするは、蓋し一端を舉げて言う。宮室飮食、自ら奉ずるの薄き、皆類推す可し。

△徽柔懿恭、懷保小民、惠鮮鰥寡。自朝至于日中昃、不遑暇食、用咸和萬民。徽・懿、皆美也。昃、日昳也。柔謂之徽、則非柔懦之柔。恭謂之懿、則非足恭之恭。文王有柔恭之德、而極其徽懿之盛、和易近民、於小民、則懷保之、於鰥寡、則惠鮮之。惠鮮云者、鰥寡之人、垂首喪氣。賚予賙給之、使之有生意也。自朝至于日之中、自中至于日之昃、一食之頃、有不遑暇。欲咸和萬民、使無一不得其所也。文王心在乎民、自不知其勤勞如此。豈秦始皇衡石程書、隋文帝衛士傅餐、代有司之任者之爲哉。立政言罔攸兼于庶言・庶獄・庶愼、則文王又若無所事事者。不讀無逸、則無以知文王之勤、不讀立政、則無以知文王之逸。合二書觀之、則文王之所從事可知矣。
【読み】
△徽[よ]く柔らかに懿[よ]く恭しく、小民を懷け保んじ、鰥寡を惠み鮮[い]かしむ。朝より日中昃[く]れるに至るまで、遑暇食らわず、用て咸く萬民を和らぐ。徽・懿は、皆美きなり。昃[しょく]は、日昳[かたむ]くなり。柔之を徽と謂うときは、則ち柔懦の柔に非ず。恭之を懿と謂うときは、則ち足恭の恭に非ず。文王柔恭の德有りて、其の徽懿の盛んなるを極め、近民を和らげ易し、小民に於ては、則ち之を懷け保んず。鰥寡に於ては、則ち之を惠み鮮かしむ。惠鮮と云うは、鰥寡の人は、首を垂れ氣を喪う。之を賚予賙給[しゅうきゅう]して、之をして生意有らしむるなり。朝より日の中に至り、中より日の昃れるに至るまで、一食の頃、遑暇あらざること有り。咸く萬民を和らげて、一りも其の所を得ざること無からしめんと欲す。文王の心は民に在りて、自ら其の勤勞此の如きことを知らず。豈秦の始皇の衡石程書、隋の文帝の衛士傅餐、有司の任に代わる者の爲[しわざ]ならんや。立政に庶言・庶獄・庶愼を兼ねたる攸罔しと言うときは、則ち文王も又事を事とする所無き者の若し。無逸を讀まざれば、則ち以て文王の勤むるを知ること無く、立政を讀まざれば、則ち以て文王の逸んずるを知ること無し。二書を合わせて之を觀れば、則ち文王の從りて事とする所を知る可し。

△文王不敢盤于遊田、以庶邦惟正之供。文王受命惟中身。厥享國五十年。遊田、國有常制、文王不敢盤遊無度。上不濫費。故下無過取、而能以庶邦惟正之供、於常貢正數之外、無橫斂也。言庶邦、則民可知。文王爲西伯、所統庶邦、皆有常供。春秋貢於霸王者、班班可見。至唐猶有送使之制、則諸侯之供方伯舊矣。受命、言爲諸侯也。中身者、漢孔氏曰、文王九十七而終。卽位時年四十七。言中身、舉全數也。上文崇素儉、恤孤獨、勤政事、戒遊佚、皆文王無逸之實。故其享國有歷年之永。
【読み】
△文王敢えて遊田を盤[たの]しまず、庶邦の惟れ正しきを之れ供[たてまつ]るを以てす。文王命を受けたること惟れ中身なり。厥の國を享けたること五十年、と。遊田は、國に常の制有り、文王敢えて盤遊度無くんばあらず。上濫りに費えず。故に下過ぎて取ること無くして、能く庶邦の惟れ正しきを之れ供るを以てし、常貢正數の外に於て、橫斂すること無し。庶邦と言うときは、則ち民も知る可し。文王西伯と爲りて、統ぶる所の庶邦、皆常の供有り。春秋霸王に貢する者、班班として見る可し。唐に至りて猶送使の制有れば、則ち諸侯の方伯に供すること舊[ひさ]し。命を受くとは、諸侯と爲るを言う。中身とは、漢の孔氏が曰く、文王九十七にして終う。位に卽く時年四十七。中身と言うは、全數を舉ぐ、と。上の文の素儉を崇び、孤獨を恤[あわ]れみ、政事を勤め、遊佚を戒むは、皆文王無逸の實なり。故に其の國を享けたること歷年の永き有り。

△周公曰、嗚呼繼自今嗣王、則其無淫于觀、于逸、于遊、于田、以萬民惟正之供。則、法也。其、指文王而言。淫、過也。言自今日以往、嗣王其法文王、無過于觀逸遊田、以萬民惟正賦之供。上文言遊田、而不言觀逸、以大而包小也。言庶邦而不言萬民、以遠而見近也。
【読み】
△周公曰く、嗚呼今より繼げる嗣王、其の觀るに、逸きに、遊びに、田に淫[す]ぐること無くして、萬民の惟れ正しきを之れ供るを以てするに則れ。則は、法なり。其れは、文王を指して言う。淫は、過ぐるなり。言うこころは、今日より以往、嗣王其れ文王に法りて、觀逸遊田に過ぐること無くして、萬民の惟れ正しき賦を供るを以てせよ。上の文に遊田を言いて、觀逸を言わざるは、大を以て小を包ぬるなり。庶邦を言いて萬民を言わざるは、遠きを以て近きを見すなり。

△無皇曰今日耽樂。乃非民攸訓、非天攸若。時人丕則有愆。無若殷王受之迷亂酗于酒德哉。無、與毋通。皇、與遑通。訓、法。若、順。則、法也。毋自寛假曰今日姑爲是耽樂也。一日耽樂、固若未害。然下非民所法、上非天之所順。時人大法其過逸之行、猶商人化受而崇飮之類。故繼之曰、毋若商王受之沈迷酗于酒德哉。酗酒、謂之德者、德有凶有吉。韓子所謂道與德爲虛位、是也。
【読み】
△皇[いとまあき]今日のみ耽樂すと曰うこと無かれ。乃ち民の訓[のっと]る攸に非ず、天の若[したが]う攸に非ず。時[こ]の人丕いに愆[とが]有るに則らん。殷王受が迷い亂れて酒に酗[く]せし德の若くなること無からんや、と。無は、毋と通ず。皇は、遑と通ず。訓は、法る。若は、順う。則は、法るなり。自ら寛假なりとして今日姑く是の耽樂をせんと曰うこと毋かれ。一日の耽樂は、固に未だ害あらざるが若し。然れども下は民の法る所に非ず、上は天の順う所に非ず。時の人大いに其の過逸の行に法るは、猶商人の受に化して飮むことを崇ぶの類のごとし。故に之を繼いで曰く、商王受が沈迷して酒に酗せし德の若くなること毋からんや、と。酒に酗す、之を德と謂う者は、德に凶有り吉有り。韓子が所謂道と德と虛位を爲すとは、是れなり。

△周公曰、嗚呼我聞曰、古之人猶胥訓告、胥保惠、胥敎誨。民無或胥譸張爲幻。譸、張流反。幻、音患。○胥、相。訓、誡。惠、順。譸、誑。張、誕也。變名易實以眩觀者、曰幻。歎息言、古人德業已盛、其臣猶且相與誡告之、相與保惠之、相與敎誨之。保惠者、保養而將順之。非特誡告而已也。敎誨、則有規正成就之意。又非特保惠而已也。惟其若是。是以視聽思慮、無所蔽塞、好惡取予、明而不悖。故當時之民、無或敢誑誕爲幻也。
【読み】
△周公曰く、嗚呼我れ聞く曰く、古の人猶胥[あい]訓え告げ、胥保んじ惠[したが]い、胥敎え誨ゆ。民胥譸[あざむ]き張[いつわ]り幻[まど]わすことをすること或ること無し。譸[ちゅう]は、張流反。幻は、音患。○胥は、相。訓は、誡む。惠は、順う。譸は、誑く。張は、誕[いつわ]るなり。名を變え實を易えて以て眩觀する者を、幻と曰う。歎息して言う、古人の德業已に盛んにして、其の臣猶且つ相與に誡め告げ、相與に保んじ惠い、相與に敎え誨ゆ、と。保んじ惠うとは、保んじ養いて將に之に順わんとす。特に誡め告ぐるのみに非ず。敎え誨ゆとは、則ち規正成就の意有り。又特に保んじ惠うのみに非ず。惟れ其れ是の若し。是を以て視聽思慮、蔽塞する所無くして、好惡取予、明らかにして悖らず。故に當時の民、或は敢えて誑誕にして幻を爲すこと無し。

△此厥不聽、人乃訓之、乃變亂先王之正刑、至于小大。民否則厥心違怨。否則厥口詛祝。否、俯久反。詛、莊助反。祝、音呪。○正刑、正法也。言成王於上文古人胥訓告保惠敎誨之事、而不聽信、則人乃法則之、君臣上下、師師非度、必變亂先王之正法、無小無大、莫不盡取而紛更之。蓋先王之法、甚便於民、甚不便於縱侈之君。如省刑罰以重民命、民之所便也。而君之殘酷者、則必變亂之。如薄賦斂以厚民生、民之所便也。而君之貪侈者、則必變亂之。厥心違怨者、怨之蓄于中也。其口詛祝者、怨之形於外也。爲人上而使民心口交怨、其國不危者、未之有也。此蓋治亂存亡之機。故周公懇懇言之。
【読み】
△此れ厥れ聽かずんば、人乃ち之に訓[のっと]りて、乃ち先王の正刑を變亂して、小大に至らん。民否[しか]らざるときは則ち厥の心違い怨みん。否らざるときは則ち厥の口詛祝せん、と。否は、俯久反。詛は、莊助反。祝は、音呪。○正刑は、正法なり。言うこころは、成王上の文の古の人胥訓え告げ保んじ惠い敎え誨ゆの事に於て、聽信せざるときは、則ち人乃ち之に法り則りて、君臣上下、非度を師とし師とし、必ず先王の正法を變亂して、小と無く大と無く、盡く取りて之を紛更せずということ莫し。蓋し先王の法は、甚だ民に便なり、甚だ縱侈の君に便ならず。刑罰を省みて以て民命を重くするが如き、民の便なる所なり。而して君の殘酷なる者は、則ち必ず之を變亂す。賦斂を薄くして以て民生を厚くするが如き、民の便なる所なり。而して君の貪り侈[おご]る者は、則ち必ず之を變亂す。厥の心違い怨む者は、怨みの中に蓄うなり。其の口詛祝する者は、怨みの外に形るなり。人の上と爲りて民の心口をして交々怨ましめて、其の國危うからざる者は、未だ之れ有らず。此れ蓋し治亂存亡の機。故に周公懇懇として之を言う。

△周公曰、嗚呼自殷王中宗、及高宗、及祖甲、及我周文王、茲四人迪哲。迪、蹈。哲、智也。孟子以知而弗去、爲智之實。迪云者、所謂弗去、是也。人主知小人依、而或忿戾之者、是不能蹈其知者也。惟中宗・高宗・祖甲・文王、允蹈其知。故周公以迪哲稱之。
【読み】
△周公曰く、嗚呼殷王中宗より、及び高宗、及び祖甲、及び我が周の文王まで、茲の四人哲を迪[ふ]めり。迪は、蹈む。哲は、智なり。孟子知って去らざるを以て、智の實とす。迪と云うは、所謂去らざる、是れなり。人主小人の依ることを知りて、或は之を忿戾する者は、是れ其の知を蹈むこと能わざる者なり。惟れ中宗・高宗・祖甲・文王は、允に其の知を蹈めり。故に周公哲を迪むを以て之を稱す。

△厥或告之曰、小人怨汝詈汝。則皇自敬德。厥愆曰、朕之愆。允若時。不啻不敢含怒。詈、力智反。○詈、罵言也。其或有告之曰、小人怨汝罵汝。汝則皇自敬德、反諸其身、不尤其人。其所誣毀之愆、安而受之曰、是我之愆。允若時者、誠實若是、非止隱忍不敢藏怒也。蓋三宗・文王、於小民之依、心誠知之。故不暇責小人之過言。且因以察吾身之未至、怨罵之語、乃所樂聞。是豈特止於隱忍含怒、不發而已哉。
【読み】
△厥れ之に告ぐること或りて曰く、小人汝を怨み汝を詈る、と。則ち皇[おお]いに自ら德を敬む。厥の愆[あやまち]をば曰く、朕が愆なり、と。允に時[かく]の若し。啻[ただ]に敢えて怒りを含まざるのみにあらず。詈は、力智反。○詈は、罵言なり。其れ或は之に告ぐること有りて曰く、小人汝を怨み汝を罵る、と。汝則ち皇いに自ら德を敬みて、諸を其の身に反して、其の人を尤めず。其の誣毀する所の愆は、安んじて之を受けて曰く、是れ我が愆なり、と。允に時の若くならば、誠實是の若く、止隱忍して敢えて怒りを藏さざるのみに非ず。蓋し三宗・文王、小民の依ることに於て、心誠に之を知る。故に小人の過言を責むるに暇あらず。且つ因りて以て吾が身の未だ至らざるを察して、怨罵の語は、乃ち樂しみ聞く所なり。是れ豈特り止隱忍含怒するに於て、發せざるのみならんや。

△此厥不聽、人乃或譸張爲幻曰、小人怨汝詈汝、則信之。則若時、不永念厥辟、不寬綽厥心、亂罰無罪、殺無辜、怨有同、是叢于厥身。綽、尺約反。○綽、大。叢、聚也。言成王於上文三宗・文王迪哲之事、不肯聽信、則小人乃或誑誕變置虛實曰、小民怨汝罵汝、則聽信之。則如是、不能永念其爲君之道、不能寛大其心、以誑誕無實之言、羅織疑似、亂罰無罪、殺戮無辜、天下之人、受禍不同而同於怨、皆叢於人君之一身、亦何便於此哉。大抵無逸之書、以知小人之依、爲一篇綱領。而此章則申言、旣知小人之依、則當蹈其知也。三宗・文王能蹈其知。故其胷次寛平、人之怨罵、不足以芥蔕其心。如天地之於萬物、一於長育而已。其悍疾憤戾、天豈私怒於其閒哉。天地以萬物爲心、人君以萬民爲心。故君人者、要當以民之怨罵爲己責。不當以民之怨罵爲己怒。以爲己責、則民安而君亦安。以爲己怒、則民危而君亦危矣。吁可不戒哉。
【読み】
△此れ厥れ聽かずんば、人乃ち譸[あざむ]き張[いつわ]り幻[まど]わすことをすること或りて曰く、小人汝を怨み汝を詈るといえば、則ち之を信とせん。則ち時[かく]の若くなるときは、永く厥の辟たることを念わず、厥の心を寬かに綽[おお]いにせず、亂りに罪無きを罰し、辜無きを殺し、怨み同[ひと]しきこと有り、是れ厥の身に叢まる、と。綽は、尺約反。○綽は、大い。叢は、聚まるなり。言うこころは、成王上の文の三宗・文王哲を迪むの事に於て、肯えて聽信せざるときは、則ち小人乃ち或は誑誕にして虛實を變置して曰く、小民汝を怨み汝を罵るといえば、則ち之を聽信す。則ち是の如くんば、永く其の君爲るの道を念うこと能わず、其の心を寛大にすること能わずして、誑誕無實の言を以て、羅織疑似して、罪無きを亂罰し、辜無きを殺戮して、天下の人、禍いを受くること同しからずして怨みを同じくし、皆人君の一身に叢まること、亦何ぞ此に便ならんや。大抵無逸の書は、小人の依ることを知るを以て、一篇の綱領とす。而して此の章は則ち申ねて言う、旣に小人の依ることを知るときは、則ち當に其の知を蹈むべし、と。三宗・文王は能く其の知を蹈む。故に其の胷次寛平にして、人の怨罵、以て其の心に芥蔕[かいたい]するに足らず。天地の萬物に於るが如く、長育に一なるのみ。其の悍疾憤戾、天豈私に其の閒に怒らんや。天地は萬物を以て心とし、人君は萬民を以て心とす。故に人に君たる者は、要は當に民の怨罵を以て己が責とすべし。當に民の怨罵を以て己が怒りとすべからず。以て己が責とするときは、則ち民安んじて君も亦安んず。以て己が怒りとするときは、則ち民危うくして君も亦危うし。吁[ああ]戒めざる可けんや。

△周公曰、嗚呼嗣王其監于茲。茲者、指上文而言也。無逸一篇七章、章首皆先致其咨嗟詠歎之意、然後及其所言之事。至此章、則於嗟歎之外、更無他語。惟以嗣王其監于茲結之。所謂言有盡而意則無窮。成王得無深警於此哉。
【読み】
△周公曰く、嗚呼嗣王其れ茲を監みよ、と。茲とは、上の文を指して言うなり。無逸の一篇七章、章の首めに皆先ず其の咨嗟詠歎の意を致し、然して後に其の言う所の事に及ぶ。此の章に至りては、則ち嗟歎の外に於て、更に他の語無し。惟れ嗣王其れ茲を監みよを以て之を結ぶ。所謂言は盡くすこと有りて意は則ち窮まり無し。成王深く此に警むること無きことを得んや。

君奭 召公告老而去。周公留之。史氏錄其告語爲篇。亦誥體也。以周公首呼君奭、因以君奭名篇。篇中語多未詳。今文古文皆有。○按此篇之作、史記謂、召公疑周公當國踐祚。唐孔氏謂、召公以周公嘗攝王政、今復在臣位。葛氏謂、召公未免常人之情、以爵位先後介意。故周公作是篇以諭之。陋哉斯言。要皆爲序文所誤。獨蘇氏謂、召公之意、欲周公告老而歸。爲近之。然詳本篇旨意、迺召公自以盛滿難居、欲避權位、退老厥邑。周公反復告諭以留之爾。熟復而詳味之、其義固可見也。
【読み】
君奭[くんせき] 召公告老して去る。周公之を留む。史氏其の告語を錄して篇とす。亦誥の體なり。周公首めに君奭を呼ぶを以て、因りて君奭を以て篇に名づく。篇の中の語多く未だ詳らかならず。今文古文皆有り。○按ずるに此の篇の作れるは、史記に謂く、召公周公の國に當たり祚を踐むを疑う、と。唐の孔氏が謂く、召公周公の嘗て王政を攝するを以て、今復臣位に在り、と。葛氏が謂く、召公未だ常人の情を免れずして、爵位の先後を以て意を介[はさ]む。故に周公是の篇を作りて以て之を諭す、と。陋[いや]しいかな斯の言。要は皆序文の爲に誤らる。獨り蘇氏が謂く、召公の意、周公に老を告げて歸らんと欲す、と。之に近しとす。然れども本篇の旨意を詳らかにするに、迺[すなわ]ち召公自ら盛滿を以て居り難く、權位を避り、退いて厥の邑に老えんと欲す。周公反復告諭して以て之を留むるのみ。熟々復して詳らかに之を味わわば、其の義固に見る可し。

周公若曰、君奭。君者、尊之之稱。奭、召公名也。古人尙質。相與語、多名之。
【読み】
周公若[か]く曰く、君奭。君は、之を尊ぶの稱。奭は、召公の名なり。古人質を尙ぶ。相與に語るときは、多く之に名いう。

△弗弔、天降喪于殷。殷旣墜厥命、我有周旣受。我不敢知曰、厥基永孚于休。若天棐忱。我亦不敢知曰、其終出于不祥。不祥者、休之反也。天旣下喪亡于殷、殷旣失天命、我有周旣受之矣。我不敢知曰、其基業長信於休美乎。如天果輔我之誠耶。我亦不敢知曰、其終果出於不祥乎。○按此篇周公留召公而作。此其言天命吉凶。雖曰我不敢知、然其懇惻危懼之意、天命吉凶之決、實主於召公留不留如何也。
【読み】
△弔[めぐ]まれずして、天喪びを殷に降せり。殷旣に厥の命を墜し、我が有周旣に受けたり。我れ敢えて知らず曰く、厥の基永く休[よ]きに孚あらんか。若し天忱[まこと]を棐[たす]けんか、と。我れ亦敢えて知らず曰く、其れ終に不祥に出でんか、と。不祥は、休きの反なり。天旣に喪亡を殷に下し、殷旣に天命を失い、我が有周旣に之を受けたり。我れ敢えて曰うことを知らず、其の基業長く休美に信あらんや。天果たして我が誠を輔くるが如けんや。我れ亦敢えて曰うことを知らず、其の終わり果たして不祥に出でんか、と。○按ずるに此の篇周公召公を留めて作る。此れ其の天命吉凶を言う。我れ敢えて知らずと曰うと雖も、然れども其の懇惻危懼の意、天命吉凶の決、實は召公の留まると留まらざると如何ということを主とす。

△嗚呼君己曰、時我。我亦不敢寧于上帝命、弗永遠念天威、越我民罔尤違、惟人。在我後嗣子孫、大弗克恭上下、遏佚前人光、在家不知。尤、怨。違、背也。周公歎息言、召公已嘗曰、是在我而已。周公謂、我亦不敢苟安天命、而不永遠念天之威、於我民無尤怨背違之時也。天命民心、去就無常、實惟在人而已。今召公乃忘前日之言、翻然求去。使在我後嗣子孫、大不能敬天敬民、驕慢肆侈、遏絕佚墜文武光顯、可得謂在家而不知乎。
【読み】
△嗚呼君己に曰く、時[こ]れ我にあり、と。我も亦敢えて上帝の命を寧んじて、永く遠く天威を念うこと、我が民の尤[うら]み違うこと罔きに越[おい]てせずんばあらず、惟れ人にあり。我が後嗣子孫に在[おい]て、大いに上下を恭[つつし]むこと克わずして、前人の光を遏[た]ち佚[おと]せば、家に在りて知らざらんや。尤は、怨む。違は、背くなり。周公歎息して言う、召公已に嘗て曰く、是れ我に在るのみ、と。周公謂く、我も亦敢えて苟も天命を安んじて、永く遠く天の威を念うこと、我が民の尤め怨み背き違うこと無きの時に於てせずんばあらず。天命民心、去就常無く、實に惟れ人に在るのみ。今召公乃ち前日の言を忘れて、翻然として去ることを求む。我が後嗣子孫に在て、大いに天を敬し民を敬すこと能わずして、驕慢肆侈にして、文武の光顯を遏絕佚墜せば、家に在りて知らずと謂うを得可けんや、と。

△天命不易、天難諶。乃其墜命、弗克經歷、嗣前人恭明德。諶、時壬反。○天命不易、猶詩曰命不易哉。命不易保。天難諶信。乃其墜失天命者、以不能經歷繼嗣前人之恭明德也。吳氏曰、弗克恭。故不能嗣前人之恭德。遏佚前人光。故不能嗣前人之明德。
【読み】
△天命易からず、天諶[まこと]とし難し。乃ち其の命を墜すは、經歷して、前人の恭しき明德を嗣ぐこと克わざればなり。諶[しん]は、時壬反。○天命易からずとは、猶詩に命易からざるかなと曰うがごとし。命は保ち易からず。天は諶とし信とし難し。乃ち其れ天命を墜失する者は、經歷して前人の恭しき明德を繼ぎ嗣ぐこと能わざるを以てなり。吳氏が曰く、恭なること克わず。故に前人の恭德を嗣ぐこと能わず。前人の光を遏佚す。故に前人の明德を嗣ぐこと能わず、と。

△在今予小子旦、非克有正。迪惟前人光、施于我沖子。吳氏曰、小子、自謙之辭也。非克有正、亦自謙之辭也。言在今我小子旦、非能有所正也。凡所開導、惟以前人光大之德、使益焜燿、而付于沖子而已。以前言後嗣子孫、遏佚前人光而言也。
【読み】
△今予れ小子旦に在[おい]て、克く正すこと有るに非ず。迪[みちび]くこと惟れ前人の光をもって、我が沖子に施す、と。吳氏が曰く、小子は、自ら謙るの辭なり。克く正すこと有るに非ずとは、亦自ら謙るの辭なり、と。言うこころは、今我れ小子旦に在て、能く正しき所有るに非ず。凡て開き導く所は、惟れ前人光大の德を以て、益々焜燿にして、沖子に付かしむのみ。前に後嗣子孫、前人の光を遏佚すと言うを以て言えり。

△又曰、天不可信。我道惟寧王德延、天不庸釋于文王受命。又曰者、以上文言天命不易、天難諶、此又申言天不可信。故曰又曰。天固不可信。然在我之道、惟以延長武王之德、使天不容捨文王所受之命也。
【読み】
△又曰く、天信とす可からず。我が道は惟れ寧王の德を延べて、天庸[もち]いて文王の受けたる命を釋[す]てず、と。又曰くとは、上の文に天命易からず、天諶とし難しと言うを以て、此れ又申ねて天信とす可からずと言う。故に又曰くと曰う。天固に信とす可からず。然れども我に在るの道は、惟れ武王の德を延べ長ずるを以て、天をして文王の受くる所の命を捨つ容からず、と。

△公曰、君奭、我聞在昔成湯旣受命。時則有若伊尹、格于皇天。在太甲、時則有若保衡。在太戊、時則有若伊陟・臣扈、格于上帝。巫咸乂王家。在祖乙、時則有若巫賢。在武丁、時則有若甘盤。時則有若者、言當其時有如此人也。保衡、卽伊尹也。見說命。太戊、太甲之孫。伊陟、伊尹之子。臣扈與湯時臣扈、二人而同名者也。巫、氏。咸、名。祖乙、太戊之孫。巫賢、巫咸之子也。武丁、高宗也。甘盤、見說命。呂氏曰、此章序商六臣之烈、蓋勉召公匹休於前人也。伊尹佐湯、以聖輔聖。其治化與天無閒。伊陟・臣扈之佐太戊、以賢輔賢。其治化克厭天心。自其徧覆言之、謂之天。自其主宰言之、謂之帝。書或稱天或稱帝、各隨所指、非有重輕。至此章對言之、則聖賢之分、而深淺見矣。巫咸止言其乂王家者、咸之爲治、功在王室、精微之蘊、猶有愧於二臣也。亡書有咸乂四篇、其乂王家之實歟。巫賢・甘盤而無指言者、意必又次於巫咸也。○蘇氏曰、殷有聖賢之君七。此獨言五。下文云、殷禮陟配天。豈配祀于天者止此五王、而其臣偕配食于廟乎。在武丁時不言傅說、豈傅說不配食於配天之王乎。其詳不得而聞矣。
【読み】
△公曰く、君奭、我れ聞く在昔[むかし]成湯旣に命を受く。時に則ち若のごとき伊尹有りて、皇天に格れり。太甲に在[おい]て、時に則ち若のごとき保衡有り。太戊に在て、時に則ち若のごとき伊陟・臣扈有りて、上帝に格れり。巫咸王家を乂[おさ]めたり。祖乙に在て、時に則ち若のごとき巫賢有り。武丁に在て、時に則ち若のごとき甘盤有り。時に則ち若のごとき者有りとは、言うこころは、其の時に當たりて此の如き人有り。保衡は、卽ち伊尹なり。說命に見えたり。太戊は、太甲の孫。伊陟は、伊尹の子なり。臣扈と湯の時の臣扈とは、二人にして名を同じくする者なり。巫は、氏。咸は、名。祖乙は、太戊の孫。巫賢は、巫咸の子なり。武丁は、高宗なり。甘盤は、說命に見えたり。呂氏が曰く、此の章商の六臣の烈を序ずるは、蓋し召公の前人に匹休せんことを勉めしむるなり、と。伊尹が湯を佐けたるは、聖を以て聖を輔く。其の治化は天と閒て無し。伊陟・臣扈が太戊を佐けたるは、賢を以て賢を輔く。其の治化は克く天の心に厭[あ]う。其の徧く覆うよりして之を言わば、之を天と謂う。其の主宰よりして之を言わば、之を帝と謂う。書或は天と稱し或は帝と稱するは、各々指す所に隨いて、重輕有るに非ず。此の章に至りて對して之を言うは、則ち聖賢の分、而も深淺なるを見るなり。巫咸は止其れ王家を乂むと言う者は、咸の治を爲す、功は王室に在り、精微の蘊、猶二臣に愧すること有り。亡書に咸乂四篇有り、其の王家を乂むるの實ならんか。巫賢・甘盤は而も指し言うこと無き者は、意うに必ず又巫咸に次ならん。○蘇氏が曰く、殷に聖賢の君七有り。此に獨り五を言う。下の文に云う、殷の禮陟りて天に配す、と。豈祀を天に配する者止此の五王のみにして、其の臣偕[とも]に廟に配食するや。武丁の時に在て傅說を言わざるは、豈傅說は配天の王に配食せざらんや。其の詳らかなること得て聞かず、と。

△率惟茲有陳、保乂有殷。故殷禮陟配天、多歷年所。陟、升遐也。言六臣循惟此道、有陳列之功、以保乂有殷。故殷先王終以德配天、而享國長久也。
【読み】
△惟れ茲に率いて陳ぶること有りて、有殷を保んじ乂[おさ]む。故に殷の禮陟[のぼ]りて天に配して、多く年の所[ついで]を歷[ふ]。陟は、升遐なり。言うこころは、六臣惟れ此の道に循いて、陳べ列ぬるの功有り、以て有殷を保んじ乂む。故に殷の先王終に德を以て天に配して、國を享くること長久なり。

△天惟純佑命、則商實。百姓・王人罔不秉德明恤。小臣・屛侯・甸、矧咸奔走、惟茲惟德稱、用乂厥辟。故一人有事于四方、若卜筮罔不是孚。佑、助也。實、虛實之實。國有人則實。孟子言、不信仁賢、則國空虛、是也。稱、舉也。亦秉持之義。事、征伐會同之類。承上章六臣輔君、格天致治、遂言、天佑命有商、純一而不雜。故商國有人而實。内之百官著姓、與夫王臣之微者、無不秉持其德、明致其憂。外之小臣、與夫藩屛侯・甸、矧皆奔走服役。惟此之故、惟德是舉、用乂其君。故君有事于四方、如龜之卜、如蓍之筮。天下無不敬信之也。
【読み】
△天惟れ純[もっぱ]ら佑け命ずるときは、則ち商實てり。百姓・王人德を秉り恤えを明らかにせざること罔し。小臣・屛の侯・甸[でん]まで、矧んや咸奔り走て、惟れ茲れ惟れ德を稱[あ]げて、用て厥の辟を乂む。故に一人四方に事有るときは、卜筮の若く是れ孚とせざること罔し、と。佑は、助くなり。實は、虛實の實なり。國人有るときは則ち實なり。孟子言く、仁賢を信ぜざるときは、則ち國空虛なりとは、是れなり。稱は、舉ぐるなり。亦秉持の義なり。事は、征伐會同の類。上の章の六臣君を輔けて、天に格らしめ治を致すを承けて、遂に言う、天有商に佑け命じて、純一にして雜らず。故に商の國人有りて實てり。内の百官の著姓と、夫の王臣の微なる者、其の德を秉持して、明らかに其の憂えを致さざること無し。外の小臣と、夫の藩屛の侯・甸と、矧んや皆奔走服役するをや。惟れ此の故に、惟れ德是れ舉げて、用て其の君を乂む。故に君四方に事有るときは、龜の卜の如く、蓍の筮の如し。天下敬みて之を信ぜざること無し、と。

△公曰、君奭、天壽平格、保乂有殷。有殷嗣天滅威。今汝永念、則有固命。厥亂明我新造邦。呂氏曰、坦然無私、之謂平。格者、通徹三極、而無閒者也。天無私壽。惟至平通格于天者、則壽之。伊尹而下六臣、能盡平格之實。故能保乂有殷、多歷年所、至于殷紂亦嗣天位、乃驟罹滅亡之威。天曾不私壽之也。固命者、不墜之天命也。今召公勉爲周家久永之念、則有天之固命、其治效亦赫然明著於我新造之邦、而身與國倶顯矣。
【読み】
△公曰く、君奭、天平らかに格れるを壽[いのちなが]くして、有殷を保んじ乂[おさ]む。有殷天に嗣いで滅べる威あり。今汝永く念わば、則ち固き命有らん。厥の亂[おさ]まれること明らかにして我が新たに造せる邦にあらん、と。呂氏が曰く、坦然として私無き、之を平らかと謂う。格るとは、三極に通徹して、閒て無き者なり。天に私の壽きこと無し。惟れ至平にして天に通格する者、則ち之を壽くす。伊尹よりして下の六臣、能く平格の實を盡くす。故に能く有殷を保んじ乂めて、多く年の所[ついで]を歷、殷の紂に至りて亦天位を嗣いで、乃ち驟[にわか]に滅亡の威に罹る。天曾て私に之を壽くせざるなり。固き命とは、之が天命を墜さざるなり。今召公勉めて周家久永の念いを爲すときは、則ち天の固き命有りて、其の治效も亦赫然として我が新たに造せるの邦に明著にして、身と國と倶に顯らかなり。

△公曰、君奭、在昔上帝割、申勸寧王之德、其集大命于厥躬。申、重。勸、勉也。在昔上帝降割于殷、申勸武王之德、而集大命於其身、使有天下也。
【読み】
△公曰く、君奭、在昔[むかし]上帝割きて、申ねて寧王の德を勸めて、其れ大命を厥の躬に集めたり。申は、重ぬる。勸は、勉むるなり。在昔上帝殷に降し割きて、申ねて武王の德を勸めて、大命を其の身に集めて、天下を有たしむ、と。

△惟文王尙克修和我有夏。亦惟有若虢叔、有若閎夭、有若散宜生、有若泰顚、有若南宮括。虢叔、文王弟。閎・散・泰・南宮、皆氏。夭・宜生・顚・括、皆名。言文王庶幾能修治爕和我所有諸夏者、亦惟有虢叔等五臣、爲之輔也。康誥言、一二邦以修。無逸言、用咸和萬民。卽文王修和之實也。
【読み】
△惟れ文王尙[こいねが]いて克く我が有夏を修め和らぐ。亦惟れ若のごとき虢叔[かくしゅく]有り、若のごとき閎夭[こうよう]有り、若のごとき散宜生有り、若のごとき泰顚有り、若のごとき南宮括有り。虢叔は、文王の弟。閎・散・泰・南宮は、皆氏なり。夭・宜生・顚・括は、皆名なり。言うこころは、文王庶幾いて能く我が有つ所の諸夏を修治爕和[しょうわ]する者は、亦惟れ虢叔等の五臣有りて、之が輔を爲せばなり。康誥に言く、一二の邦以て修まる、と。無逸に言く、用て咸く萬民を和らぐ、と。卽ち文王修和の實なり。

△又曰、無能往來、茲迪彝敎、文王蔑德降于國人。蔑、莫結反。○蔑、無也。夏氏曰、周公前旣言、文王之興、本此五臣。故又反前意而言曰、若此五臣者、不能爲文王往來奔走、於此導迪其常敎、則文王亦無德降及於國人矣。周公反覆以明其意。故以又曰更端發之。
【読み】
△又曰く、能く往き來りて、茲に彝の敎えを迪[みちび]くこと無くんば、文王も德の國人に降ること蔑[な]けん、と。蔑は、莫結反。○蔑は、無きなり。夏氏が曰く、周公前に旣に言う、文王の興るは、此れ五臣に本づく、と。故に又前意を反して言いて曰く、此の五臣の若き者、文王の爲に往來奔走して、此に於て其の常の敎えを導き迪くこと能わずんば、則ち文王も亦德の國人に降り及ぶこと無けん、と。周公反覆して以て其の意を明らかにす。故に又曰くを以て端を更めて之を發す。

△亦惟純佑、秉德迪知天威。乃惟時昭文王、迪見冒聞于上帝。惟時受有殷命哉。言文王有此五臣者。故亦如殷爲天純佑命、百姓王人、罔不秉德也。上旣反言、文王若無此五臣爲迪彝敎、則亦無德下及國人。故此又正言、亦惟天乃純佑文王。蓋以如是秉德之臣、蹈履至到、實知天威、以是昭明文王、啓迪其德、使著見於上、覆冒於下、而升聞于上帝。惟是之故、遂能受有殷之天命也。
【読み】
△亦惟れ純ら佑けられ、德を秉りて天威を迪[ふ]み知れり。乃ち惟れ時[こ]れ文王を昭らかにして、迪[みちび]き見し冒いて上帝に聞こゆ。惟れ時れ有殷の命を受けたり。言うこころは、文王に此の五臣の者有り。故に亦殷の天の爲に純ら佑け命ぜられて、百姓王人、德を秉らざること罔きが如し。上には旣に反して言う、文王若し此の五臣の爲に彝の敎えを迪くこと無くんば、則ち亦德の國人に下り及ぶこと無けん、と。故に此に又正しく言う、亦惟れ天乃ち純ら文王を佑く、と。蓋し是の如く德を秉るの臣、蹈み履み至り到りて、實に天威を知るを以て、是を以て文王を昭明にし、其の德を啓き迪いて、上に著見し、下に覆冒せしめて、上帝に升り聞こゆ。惟れ是の故に、遂に能く有殷の天命を受けたり。

△武王惟茲四人、尙迪有祿。後曁武王、誕將天威、咸劉厥敵。惟茲四人、昭武王、惟冒。丕單稱德。單、與殫通。稱、平聲。○虢叔先死。故曰四人。劉、殺也。單、盡也。武王惟此四人、庶幾迪有天祿。其後曁武王盡殺其敵。惟此四人能昭武王、遂覆冒天下。天下大盡稱武王之德。謂其達聲敎于四海也。文王冒西土而已。丕單稱德、惟武王爲然。於文王言命、於武王言祿者、文王但受天命、至武王方富有天下也。呂氏曰、師尙父之事文武、烈莫盛焉、不與五臣之列。蓋一時議論或詳或略、隨意而言。主於留召公、而非欲爲人物評也。
【読み】
△武王惟れ茲の四人、尙いて祿を迪[ふ]み有てり。後に武王と、誕いに天威を將[おこな]いて、咸く厥の敵を劉[ころ]す。惟れ茲の四人、武王を昭らかにして、惟れ冒う。丕いに單[ことごと]く德を稱す。單は、殫[たん]と通ず。稱は、平聲。○虢叔先に死す。故に四人と曰う。劉は、殺すなり。單は、盡なり。武王惟れ此の四人、庶幾いて天祿を迪み有てり。其の後武王と盡く其の敵を殺す。惟れ此の四人能く武王を昭らかにして、遂に天下を覆い冒う。天下大いに盡く武王の德を稱す。謂ゆる其の聲敎を四海に達するなり。文王は西土を冒うのみ。丕いに單く德を稱するは、惟れ武王然りとす。文王に於て命を言い、武王に於て祿を言う者は、文王は但天命を受け、武王に至りて方に富天下を有つ。呂氏が曰く、師尙父の文武に事うる、烈焉より盛んなるは莫けれども、五臣の列に與らず。蓋し一時の議論或は詳らかに或は略[あら]く、意に隨いて言う。召公を留むることを主として、人物の評をせんと欲するに非ず、と。

△今在予小子旦、若游大川。予往曁汝奭其濟。小子同未在位。誕無我責。收罔勖不及。耇造德不降、我則鳴鳥不聞。矧曰其有能格。小子旦、自謙之稱也。浮水曰游。周公言、承文武之業、懼不克濟。若浮大川、罔知津涯。豈能獨濟哉。予往與汝召公其共濟可也。小子、成王也。成王幼沖、雖已卽位、與未卽位同。誕、大也。大無私責上、疑有缺文。收罔勖不及、未詳。耇造德不降、言召公去、則耇老成人之德、不下於民、在郊之鳳、將不復得聞其鳴矣。況敢言進此而有感格乎。是時周方隆盛、鳴鳳在郊。卷阿鳴于高岡者、乃詠其實。故周公云爾也。
【読み】
△今予れ小子旦に在[おい]て、大川に游ぐが若し。予れ往いて汝奭と其れ濟[わた]らん。小子未だ位に在らざるに同じ。誕いに我が責め無し。收めば及ばざるを勖[つと]むること罔し。耇いて造[な]れる德降らずんば、我れ則ち鳴鳥を聞かず。矧んや其れ能く格ること有りと曰わんや、と。小子旦は、自ら謙るの稱なり。水に浮かぶを游と曰う。周公言く、文武の業を承けて、濟ること克わざるを懼る。大川に浮かんで、津涯を知ること罔きが若し。豈能く獨り濟らんや。予れ往いて汝召公と其れ共に濟ること可なり、と。小子は、成王なり。成王幼沖にして、已位に卽くと雖も、未だ位に卽かざると同じ。誕は、大いなり。大無私責の上に、疑うらくは缺文有らん。收めば及ばざるを勖むること罔しは、未だ詳らかならず。耇造の德降らずとは、言うこころは、召公去るときは、則ち耇老成人の德、民に下らず、郊に在るの鳳、將に復其の鳴くを聞くことを得ず。況んや敢えて此を進めて感格有りと言わんや。是の時周方に隆盛にして、鳴鳳郊に在り。卷阿の高岡に鳴くという者、乃ち其の實を詠ず。故に周公爾く云えり。

△公曰、嗚呼君肆其監于茲。我受命無疆惟休。亦大惟艱。告君乃猷裕。我不以後人迷。肆、大。猷、謀也。茲、指上文所言。周公歎息欲召公大監視上文所陳也。我文武受命、固有無疆之美矣。然迹其積累締造、蓋亦艱難之大者、不可不相與竭力保守之也。告君謀所以寛裕之道、勿狹隘求去。我不欲後人迷惑、而失道也。○呂氏曰、大臣之位、百責所萃。震撼擊撞、欲其鎭定。辛甘燥濕、欲其調齊。槃錯棼結、欲其解紓。黯闇汚濁、欲其茹納。自非曠度洪量、與夫患失乾沒者、未嘗無翩然捨去之意。況召公親遭大變、破斧缺斨之時、屈折調護、心勞力瘁。又非平時大臣之比。顧以成王未親政、不敢乞身爾。一旦政柄有歸、浩然去志、固人情之所必至。然思文武王業之艱難、念成王守成之無助、則召公義未可去也。今乃汲汲然求去之不暇、其切迫已甚矣。盍謀所以寛裕之道。圖功攸終、展布四體、爲久大規模、使君德開明、未可捨去、而聽後人之迷惑也。
【読み】
△公曰く、嗚呼君肆[おお]いに其れ茲を監みよ。我が命を受けたること疆り無く惟れ休[よ]し。亦大いに惟れ艱[なや]めり。君に告げて乃ち裕かなることを猷[はか]る。我れ後の人を以て迷わしめず、と。肆は、大い。猷は、謀るなり。茲は、上の文に言う所を指す。周公歎息して召公が大いに上の文に陳ぶる所を監み視ることを欲す。我が文武の命を受けたること、固に無疆の美き有り。然れども其の積累締造を迹[あとづく]るに、蓋し亦艱難の大いなる者、相與に力を竭くして之を保んじ守らずんばある可からず。君に告げて之を寛裕する所以の道を謀り、狹隘にして去ることを求むること勿かれ。我れ後人の迷い惑いて、道を失うことを欲せず、と。○呂氏が曰く、大臣の位は、百責の萃まる所。震撼擊撞、其の鎭定を欲す。辛甘燥濕、其の調齊を欲す。槃錯棼結、其の解紓を欲す。黯闇汚濁、其の茹納を欲す。曠度洪量と、夫の患失乾沒との者に非ざるよりは、未だ嘗て翩然として捨て去るの意無きにはあらず。況んや召公親ら大變に遭いて、破斧缺斨[けっしょう]の時、屈折調護して、心勞り力瘁[や]みぬ。又平時の大臣の比に非ず。顧みるに成王未だ政を親らせざるを以て、敢えて身を乞わざるのみ。一旦政柄歸すること有りて、浩然として去らんとするの志は、固に人情の必ず至る所なり。然れども文武王業の艱難を思い、成王守成の助け無きを念わば、則ち召公義として未だ去る可からず。今乃ち汲汲然として去ることを求むるの暇あらず、其の切迫なること已に甚だし。盍ぞ之を寛裕する所以の道を謀らざらんや。功を圖りて終うる攸、四體に展布して、久大の規模を爲し、君德をして開明ならしめ、未だ捨て去りて、後人の迷い惑えるを聽く可からず、と。

△公曰、前人敷乃心、乃悉命汝、作汝民極。曰、汝明勖偶王。在亶乘茲大命。惟文王德、丕承無疆之恤。偶、配也。蘇氏曰、周公與召公、同受武王顧命輔成王。故周公言、前人敷乃心服、以命汝召公位三公、以爲民極。且曰、汝當明勉輔孺子、如耕之有偶也。在於相信、如車之有馭也。幷力一心以載天命、念文考之舊德、以丕承無疆之恤。武王之言如此。而可以去乎。
【読み】
△公曰く、前人乃の心を敷いて、乃ち悉く汝に命じて、汝が民の極と作す。曰く、汝明らかに勖[つと]めて王に偶せよ。亶[まこと]に在りて茲の大命を乘せん。文王の德を惟いて、丕いに疆り無きの恤えを承けよ、と。偶は、配なり。蘇氏が曰く、周公と召公と、同じく武王の顧命を受けて成王を輔く。故に周公言く、前人乃が心服を敷いて、以て汝召公に命じて三公に位して、以て民の極と爲す、と。且つ曰く、汝當に明らかに勉め孺子を輔けて、耕の偶有るが如くすべし。相信あるに在りては、車の馭有るが如くせよ。力を幷せ心を一にして以て天命を載せ、文考の舊德を念いて、以て丕いに疆り無きの恤えを承けよ、と。武王の言此の如し。而るを以て去る可けんや、と。

△公曰、君、告汝朕允。保奭其汝克敬、以予監于殷喪大否、肆念我天威。大否、大亂也。告汝以我之誠。呼其官而名之。言汝能敬以我所言、監視殷之喪亡大亂、可不大念我天威之可畏乎。
【読み】
△公曰く、君、汝に朕が允を告ぐ。保奭其れ汝克く敬みて、予を以て殷の喪び大いに否[みだ]るるを監みて、肆[おお]いに我が天威を念え。大否は、大亂なり。汝に告ぐるに我が誠を以てす。其の官を呼びて之に名いう。言うこころは、汝能く敬みて我が言う所を以て、殷の喪亡大亂を監み視て、大いに我が天威の畏る可きを念わざる可けんや。

△予不允、惟若茲誥。予惟曰、襄我二人。汝有合哉。言曰、在時二人、天休滋至。惟時二人弗戡。其汝克敬德、明我俊民、在讓後人于丕時。戡、勝也。戡・堪、古通用。周公言、我不信於人、而若此告語乎。予惟曰、王業之成、在我與汝而已。汝聞我言而有合哉。亦曰、在是二人、但天休滋至。惟是我二人將不堪勝。汝若以盈滿爲懼、則當能自敬德、益加寅畏、明揚俊民、布列庶位、以盡大臣之職業、以答滋至之天休、毋徒惴惴而欲去爲也。他日在汝推遜後人于大盛之時、超然肥遯、誰復汝禁。今豈汝辭位之時乎。
【読み】
△予れ允とせられずして、惟れ茲の若く誥げんや。予れ惟れ曰く、襄[な]れることは我れ二人なり。汝合[かな]うこと有らんや、と。言いて曰く、時[こ]の二人に在りて、天休滋々[ますます]至らん、と。惟れ時の二人戡[た]えず。其れ汝克く德を敬みて、我が俊民を明らかにして、後の人に丕いなる時に讓るに在らん。戡[かん]は、勝るなり。戡・堪は、古通用す。周公言く、我れ人に信あらずして、此の若く告げ語らんや、と。予れ惟れ曰く、王業の成れるは、我と汝とに在るのみ。汝我が言を聞いて合うこと有らんや、と。亦曰く、是の二人に在りて、但天休滋々至らん、と。惟れ是れ我れ二人將に勝るに堪えず。汝若し盈滿を以て懼れを爲せば、則ち當に能く自ら德を敬み、益々寅畏を加え、明らかに俊民を揚げ、庶位を布き列ね、以て大臣の職業を盡くして、以て滋々至れる天休に答え、徒に惴惴[ずいずい]として去らんと欲することを爲すこと毋かるべし。他日汝に在[おい]て後人に大盛の時に推し遜りて、超然として肥遯せば、誰か復汝を禁ぜん。今豈汝位を辭するの時ならんや、と。

△嗚呼篤棐時二人。我式克至于今日休。我咸成文王功于不怠、丕冒海隅出日、罔不率俾。周公復歎息言、篤於輔君者、是我二人。我用能至于今日休盛。然我欲與召公共成文王功業于不怠。大覆冒斯民、使海隅日出之地、無不臣服、然後可也。周都西土、去東爲遠。故以日出言。吳氏曰、周公未嘗有其功。以其留召公、故言之。蓋敍其所已然、而勉其所未至。亦人所說而從者也。
【読み】
△嗚呼棐[たす]くるに篤きことは時[こ]の二人なり。我れ式[もっ]て克く今日の休きに至れり。我れ咸文王の功を怠らざるに成して、丕いに冒[おお]いて海隅の出づる日まで、率い俾[したが]わざること罔けん、と。周公復歎息して言く、君を輔くるに篤き者は、是れ我れ二人なり。我れ用て能く今日の休盛に至れり。然れども我れ召公と共に文王の功業を怠らざるに成さんと欲す。大いに斯の民を覆い冒いて、海隅の日の出づるの地まで、臣服せざること無からしめ、然して後に可なり、と。周は西土に都し、東を去ること遠しとす。故に日の出づるを以て言う。吳氏が曰く、周公未だ嘗て其の功を有せず。其の召公を留むるを以て、故に之を言う、と。蓋し其の已に然る所を敍で、其の未だ至らざる所を勉めしむ。亦人の說びて從う所の者なり。

△公曰、君、予不惠若茲多誥。予惟用閔于天越民。周公言、我不順於理、而若茲諄復之多誥耶。予惟用憂天命之不終、及斯民之無賴也。韓子言、畏天命而悲人窮、亦此意。前言若茲誥。故此言若茲多誥。周公之告召公、其言語之際、亦可悲矣。
【読み】
△公曰く、君、予れ惠[したが]わずして茲の若く多く誥げんや。予れ惟れ用て天越[およ]び民を閔う、と。周公言く、我れ理に順わずして、茲の若く諄復して之れ多く誥げんや。予れ惟れ用て天命の終えざると、及び斯の民の賴ること無きを憂う、と。韓子が言う、天命を畏れて人窮まれるを悲しむとは、亦此の意なり。前に茲の若く誥げんやと言う。故に此には茲の若く多く誥げんやと言う。周公の召公に告ぐる、其の言語の際、亦悲しむ可し。

△公曰、嗚呼君、惟乃知民德。亦罔不能厥初。惟其終。祗若茲、往敬用治。上章言天命民心、而民心又天命之本也。故卒章專言民德以終之。周公歎息謂、召公踐歷諳練之久、惟汝知民之德。民德、謂民心之嚮順、亦罔不能其初。今日固罔尤違矣。當思其終、則民之難保者、尤可畏也。其祗順此誥、往敬用治。不可忽也。此召公已留、周公飭遣就職之辭。厥後召公旣相成王、又相康王。再世猶未釋其政、有味於周公之言也夫。
【読み】
△公曰く、嗚呼君、惟れ乃民の德を知れり。亦厥の初めを能くせざること罔し。其の終わりを惟え。祗みて茲に若[したが]いて、往いて敬みて用て治めよ、と。上の章には天命民心を言いて、民心は又天命の本なり、と。故に卒わりの章で專ら民の德を言いて以て之を終う。周公歎息して謂く、召公踐歷諳練[あんれん]の久しき、惟れ汝民の德を知れり、と。民の德とは、謂ゆる民心の嚮順、亦其の初めを能くせざること罔し。今日固に尤[うら]み違うこと罔し。當に其の終わりを思うときは、則ち民の保んじ難き者は、尤も畏る可し。其れ祗み此の誥に順いて、往いて敬みて用て治めよ。忽にす可からず、と。此れ召公已に留まりて、周公飭[いまし]めて職に就かしむるの辭なり。厥の後召公旣に成王を相[たす]け、又康王を相く。再世猶未だ其の政を釋[す]てず、周公の言を味わうこと有るがごときかな。

蔡仲之命 蔡、國名。仲、字。蔡叔之子也。叔沒、周公以仲賢、命諸成王復封之蔡。此其誥命之詞也。今文無、古文有。○按此篇次敍、當在洛誥之前。
【読み】
蔡仲之命[さいちゅうのめい] 蔡は、國の名。仲は、字。蔡叔の子なり。叔沒して、周公仲が賢を以て、諸を成王に命じて復之を蔡に封ず。此れ其の誥命の詞なり。今文無し、古文有り。○按ずるに此の篇の次敍、當に洛誥の前に在るべし。

惟周公位冢宰、正百工。羣叔流言。乃致辟管叔于商、囚蔡叔于郭鄰、以車七乘。降霍叔于庶人、三年不齒。蔡仲克庸祗德。周公以爲卿士。叔卒、乃命諸王邦之蔡。周公位冢宰、正百工、武王崩時也。郭鄰、孔氏曰、中國之外地名。蘇氏曰、郭、虢也。周禮六遂五家爲鄰。管・霍、國名。武王崩、成王幼。周公居冢宰、百官總己以聽者、古今之通道也。當是時、三叔以王少國疑、乘商人之不靖、謂可惑以非義、遂相與流言倡亂、以搖之。是豈周公一身之利害。乃欲傾覆社稷、塗炭生靈、天討所加、非周公所得已也。故致辟管叔于商。致辟云者、誅戮之也。囚蔡叔于郭鄰、以車七乘。囚云者、制其出入、而猶從以七乘之車也。降霍叔于庶人、三年不齒。三年之後、方齒錄以復其國也。三叔刑罰之輕重、因其罪之大小而已。仲、叔之子。克常敬德。周公以爲卿士。叔卒、乃命之成王、而封之蔡也。周公留佐成王、食邑於圻内。圻内諸侯、孟仲二卿。故周公用仲爲卿。非魯之卿也。蔡、左傳在淮汝之閒。仲不別封而命邦之蔡者、所以不絕叔於蔡也。封仲以他國、則絕叔於蔡矣。呂氏曰、象欲殺舜。舜在側微、其害止於一身。故舜得遂其友愛之心。周公之位、則繫于天下國家。雖欲遂友愛於三叔、不可得也。舜與周公、易地皆然。史臣先書、惟周公位冢宰、正百工。而繼以羣叔流言。所以結正三叔之罪也。後言、蔡仲克庸祗德。周公以爲卿士。叔卒、卽命之王以爲諸侯。以見周公蹙然於三叔之刑、幸仲克庸祗德、則亟擢用分封之也。吳氏曰、此所謂冢宰正百工、與詩所謂攝政、皆在成王諒闇之時、非以幼沖而攝。而其攝也、不過位冢宰之位而已。亦非如荀卿所謂攝天子位之事也。三年之喪、二十五月而畢。方其畢時、周公固未嘗攝、亦非有七年而後還政之事也。百官總己以聽冢宰。未知其所從始。如殷之高宗已然。不特周公行之。此皆論周公者、所當先知也。
【読み】
惟れ周公冢宰に位し、百工を正しくす。羣叔流言す。乃ち辟[つみ]を管叔に商に致し、蔡叔を郭鄰に囚うるに、車七乘を以てす。霍叔を庶人に降し、三年まで齒せず。蔡仲克く庸[つね]に德を祗む。周公以て卿士とす。叔卒し、乃ち諸を王に命じて之を蔡に邦す。周公冢宰に位して、百工を正すは、武王崩ずる時なり。郭鄰は、孔氏が曰く、中國の外地の名、と。蘇氏が曰く、郭は、虢、と。周禮の六遂に五家を鄰とす。管・霍は、國の名。武王崩じて、成王幼し。周公冢宰に居りて、百官己を總べて以て聽くは、古今の通道なり。是の時に當たりて、三叔王少[わか]くして國疑わしきを以て、商人の靖んぜざるに乘じ、惑わすに非義を以てす可しと謂いて、遂に相與に流言倡亂して、以て之を搖るがす。是れ豈周公一身の利害ならんや。乃ち社稷を傾覆し、生靈を塗炭せんと欲するは、天討の加うる所にて、周公已むことを得る所に非ず。故に辟を管叔に商に致す。辟を致すと云うは、之を誅戮するなり。蔡叔を郭鄰に囚うるに、車七乘を以てす。囚うと云うは、其の出入を制して、猶從うに七乘の車を以てするなり。霍叔を庶人に降して、三年まで齒せず。三年の後、方に齒錄して以て其の國に復すなり。三叔刑罰の輕重は、其の罪の大小に因るのみ。仲は、叔の子。克く常に德を敬む。周公以て卿士とす。叔卒して、乃ち之を成王に命じて、之を蔡に封ず。周公留まりて成王を佐け、邑を圻内に食む。圻内の諸侯は、孟仲の二卿のみ。故に周公仲を用いて卿とす。魯の卿に非ず。蔡は、左傳に淮汝の閒に在り、と。仲別に封ぜずして命じて之を蔡に邦ぜしむる者は、叔を蔡に絕たざる所以なり。仲を封ずるに他國を以てするは、則ち叔を蔡に絕つなり。呂氏が曰く、象舜を殺さんと欲す。舜側微に在りて、其の害一身に止まる。故に舜其の友愛の心を遂ぐることを得。周公の位は、則ち天下國家に繫れり。友愛を三叔に遂げんと欲すと雖も、得可からず。舜と周公と、地を易うれば皆然り、と。史臣先ず書す、惟れ周公冢宰に位し、百工を正す、と。而して繼ぐに羣叔の流言を以てす。三叔の罪を正すに結ぶ所以なり。後に言う、蔡仲克く庸に德を祗む。周公以て卿士とす。叔卒し、卽ち之を王に命じて以て諸侯とす、と。以て周公三叔の刑に蹙然として、幸いに仲克く庸に德を祗むときは、則ち亟やかに擢[ぬ]いて用いて分かちて之を封ずるを見すなり。吳氏が曰く、此れ所謂冢宰百工を正すと、詩の所謂政を攝するとは、皆成王諒闇の時に在り、幼沖を以て攝するに非ず。而して其の攝するや、冢宰に位するの位に過ぎざるのみ。亦荀卿が所謂天子の位を攝するの事の如きに非ず。三年の喪は、二十五月にして畢う。其の畢わる時に方りて、周公固に未だ嘗て攝せず、亦七年にして後に政を還すの事有るに非ず。百官己を總べて以て冢宰に聽く。未だ其の從りて始まる所を知らず。殷の高宗の如き已に然り。特に周公のみ之を行うにあらず。此れ皆周公を論ずる者、當に先ず知るべき所なり、と。

△王若曰、小子胡、惟爾率德改行、克愼厥猷。肆予命爾侯于東土。往卽乃封。敬哉。胡、仲名。言仲循祖文王之德、改父蔡叔之行、能謹其道。故我命汝爲侯於東土。往就汝所封之國、其敬之哉。呂氏曰、敬哉者、欲其無失此心也。命書之辭、雖稱成王、實周公之意。
【読み】
△王若[か]く曰く、小子胡、惟れ爾德に率いて行いを改め、克く厥の猷[みち]を愼む。肆[ゆえ]に予れ爾に命じて東土に侯とす。往いて乃の封に卽け。敬めや。胡は、仲の名。言うこころは、仲祖文王の德に循いて、父蔡叔の行いを改め、能く其の道を謹む。故に我れ汝に命じて東土に侯とす。往いて汝が封ぜらる所の國に就いて、其れ之を敬めや、と。呂氏が曰く、敬めやとは、其の此の心を失うこと無きことを欲す、と。命書の辭、成王を稱すと雖も、實は周公の意なり。

△爾尙蓋前人之愆、惟忠惟孝。爾乃邁跡自身、克勤無怠、以垂憲乃後。率乃祖文王之彝訓、無若爾考之違王命。蔡叔之罪、在於不忠不孝。故仲能掩前人之愆者、惟在於忠孝而已。叔違王命、仲無所因。故曰、邁跡自身。克勤無怠、所謂自身也。垂憲乃後、所謂邁跡也。率乃祖文王之彝訓、無若爾考之違王命、上文所謂率德改行也。
【読み】
△爾尙わくは前人の愆[あやま]ちを蓋わば、惟れ忠惟れ孝なり。爾乃ち跡を邁[すす]むること身よりし、克く勤めて怠ること無くして、以て憲を乃の後に垂れよ。乃の祖文王の彝の訓えに率いて、爾の考が王命を違えるが若くなること無かれ。蔡叔の罪は、不忠不孝に在り。故に仲能く前人の愆ちを掩うは、惟れ忠孝に在るのみ。叔王命に違いて、仲因る所無し。故に曰く、跡を邁むること身よりす、と。克く勤めて怠ること無きは、所謂身よりするなり。憲を乃の後に垂るとは、所謂跡を邁むるなり。乃の祖文王の彝の訓えに率い、爾の考が王命を違えるが若くなること無かれとは、上の文に所謂德に率い行いを改むるなり。

△皇天無親。惟德是輔。民心無常。惟惠之懷。爲善不同、同歸于治。爲惡不同、同歸于亂。爾其戒哉。此章與伊尹申誥太甲之言相類。而有深淺不同者。太甲・蔡仲之有閒也。善固不一端、而無不可行之善、惡亦不一端、而無可爲之惡。爾其可不戒之哉。
【読み】
△皇天親しむこと無し。惟れ德是れ輔く。民の心常無し。惟れ惠み之れ懷く。善をすること同じからざれども、同じく治まれるに歸す。惡をすること同じからざれども、同じく亂れに歸す。爾其れ戒めや。此の章と伊尹申ねて太甲に誥ぐるの言と相類す。而れども深淺同じからざる者有り。太甲・蔡仲の閒て有るなり。善は固に一端ならずして、行う可からざるの善無く、惡も亦一端ならずして、す可きの惡無し。爾其れ之を戒めざる可けんや、と。

△愼厥初、惟厥終、終以不困。不惟厥終、終以困窮。惟、思也。窮、困之極也。思其終者、所以謹其初也。
【読み】
△厥の初めを愼み、厥の終わりを惟わば、終に以て困[たしな]められず。厥の終わりを惟わざれば、終に以て困窮す。惟は、思うなり。窮は、困の極みなり。其の終わりを思うとは、其の初めを謹む所以なり。

△懋乃攸績。睦乃四鄰、以蕃王室、以和兄弟、康濟小民。勉汝所立之功、親汝四鄰之國、蕃屛王家、和協同姓、康濟小民、五者、諸侯職之所當盡也。
【読み】
△乃の績とする攸を懋[つつし]めよ。乃の四鄰を睦まじくして、以て王室に蕃[かき]とし、以て兄弟を和らげ、小民を康んじ濟[すく]え。汝が立てる所の功を勉め、汝が四鄰の國を親しみ、王家に蕃屛とし、同姓を和協し、小民を康濟する、五つの者は、諸侯の職の當に盡くすべき所なり。

△率自中、無作聰明亂舊章。詳乃視聽、罔以側言改厥度、則予一人汝嘉。率、循也。無、毋同。詳、審也。中者、心之理、而無過不及之差者也。舊章者、先王之成法。厥度者、吾身之法度。皆中之所出者。作聰明、則喜怒好惡、皆出於私而非中矣。其能不亂先王之舊章乎。戒其本於己者然也。側言、一偏之言也。視聽不審、惑於一偏之說、則非中矣。其能不改吾身之法度乎。戒其徇於人者然也。仲能戒是、則我一人汝嘉矣。呂氏曰、作聰明者、非天之聰明。特沾沾小智耳。作與不作而天人判焉。
【読み】
△中に率い自[したが]いて、聰明を作して舊き章を亂ること無かれ。乃の視聽を詳らかにして、側言を以て厥の度を改むること罔くんば、則ち予れ一人汝を嘉みせん、と。率は、循うなり。無は、毋と同じ。詳は、審らかなり。中は、心の理にして、過不及の差い無き者なり。舊章は、先王の成法。厥の度は、吾が身の法度。皆中の出づる所の者なり。聰明を作すときは、則ち喜怒好惡、皆私に出でて中に非ず。其れ能く先王の舊章を亂れざらんや。其の己に本づく者を戒むること然り。側言は、一偏の言なり。視聽審らかならず、一偏の說に惑うときは、則ち中に非ず。其れ能く吾が身の法度を改めざらんや。其の人に徇う者を戒むること然り。仲能く是を戒むるときは、則ち我れ一人汝を嘉みせん、と。呂氏が曰く、聰明を作す者は、天の聰明に非ず。特に小智に沾沾たるのみ。作すと作さざるとによりて天人判る、と。

△王曰、嗚呼小子胡、汝往哉。無荒棄朕命。飭往就國、戒其毋廢棄我命汝所言也。
【読み】
△王曰く、嗚呼小子胡、汝往けや。朕が命を荒み棄つること無かれ、と。飭むるに、往いて國に就き、其の我れ汝に命じて言う所を廢棄すること毋かれと戒む。

多方 成王卽政。奄與淮夷又叛。成王滅奄、歸作此篇。按費誓言、徂茲淮夷・徐戎竝興。卽其事也。疑當時扇亂、不特殷人。如徐戎・淮夷、四方容或有之。故及多方。亦誥體也。今文古文皆有。○蘇氏曰、大誥・康誥・酒誥・梓材・召誥・洛誥・多士・多方八篇、雖所誥不一、然大略以殷人心不服周而作也。予讀泰誓・武成、常怪周取殷之易。及讀此八篇、又怪周安殷之難也。多方所誥、不止殷人、乃及四方之士、是紛紛焉不心服者、非獨殷人也。予乃今知湯已下七王之德深矣。方殷之虐、人如在膏火中、歸周如流。不暇念先王之德。及天下粗定、人自膏火中出、卽念殷先七王如父母。雖以武王・周公之聖、相繼撫之而莫能禦也、夫以西漢道德比之殷、猶碔砆之與美玉。然王莽・公孫述・隗囂之流、終不能使人忘漢。光武成功、若建瓴然。使周無周公、則亦殆矣。此周公之所以畏而不敢去也。
【読み】
多方[たほう] 成王政に卽く。奄と淮夷と又叛く。成王奄を滅ぼして、歸りて此の篇を作る。按ずるに費誓に言く、徂[さき]に茲の淮夷・徐戎竝び興る、と。卽ち其の事なり。疑うらくは當時の扇亂は、特に殷人のみならず。徐戎・淮夷の如き、四方或は之を有す容し。故に多方に及ぼす。亦誥の體なり。今文古文皆有り。○蘇氏が曰く、大誥・康誥・酒誥・梓材・召誥・洛誥・多士・多方の八篇、誥ぐ所一ならずと雖も、然れども大略は殷人の心周に服せざるを以て作れり。予れ泰誓・武成を讀むに、常に怪しむ、周の殷を取るの易きことを。此の八篇を讀むに及んで、又怪しむ、周の殷を安んずるの難きを。多方の誥ぐる所は、殷人に止まらず、乃ち四方の士に及んで、是れ紛紛焉として心服せざる者、獨り殷人のみに非ず。予れ乃ち今知る、湯より已下七王の德の深きことを。殷の虐に方りて、人膏火の中に在るが如く、周に歸すこと流るるが如し。先王の德を念うこと暇あらず。天下粗定まるに及んで、人膏火の中より出でて、卽ち殷の先七王を念うこと父母の如し。武王・周公の聖を以て、相繼いて之を撫でて能く禦ぐこと莫しと雖も、夫れ西漢の道德を以て之を殷に比ぶれば、猶碔砆の美玉に與[よ]るがごとし。然れども王莽・公孫述・隗囂の流、終に人をして漢を忘れしむること能わず。光武の成功、瓴[かめ]を建[くつがえ]すが若く然り。周をして周公無からしめば、則ち亦殆いかな。此れ周公の畏れて敢えて去らざる所以なり、と。

惟五月丁亥、王來自奄、至于宗周。成王卽政之明年、商奄又叛。成王征滅之。杜預云、奄不知所在。宗周、鎬京也。呂氏曰、王者定都、天下之所宗也。東遷之後、定都于洛、則洛亦謂之宗周。衛孔悝之鼎銘曰、隨難于漢陽、卽宮于宗周。是時鎬已封秦。宗周蓋指洛也。然則宗周初無定名。隨王之所都而名耳。
【読み】
惟れ五月の丁亥[ひのと・い]、王奄より來りて、宗周に至れり。成王政に卽くの明年、商奄又叛く。成王征して之を滅ぼす。杜預が云う、奄は在る所を知らず。宗周は、鎬京なり、と。呂氏が曰く、王者都を定むるは、天下の宗とする所なり。東遷の後、都を洛に定むるときは、則ち洛も亦之を宗周と謂う。衛の孔悝[こうかい]が鼎の銘に曰く、難に漢陽に隨いて、卽ち宗周に宮す、と。是の時鎬は已に秦に封ず。宗周は蓋し洛を指すならん。然らば則ち宗周は初めより定まる名無し。王の都する所に隨いて名づくるのみ、と。

△周公曰、王若曰、猷告爾四國多方。惟爾殷侯尹民、我惟大降爾命。爾罔不知。呂氏曰、先曰周公曰、而復曰王若曰何也。明周公傳王命、而非周公之命也。周公之命誥、終於此篇。故發例於此、以見大誥諸篇凡稱王曰者、無非周公傳成王之命也。成王滅奄之後、告諭四國殷民、而因以曉天下也。所主殷民。故又專提殷侯之正民者告之。言殷民罪應誅戮。我大降宥爾命。爾宜無不知也。
【読み】
△周公曰く、王若[か]く曰く、猷[ああ]爾四國の多くの方までに告ぐ。惟れ爾殷侯の民に尹たる、我れ惟れ大いに爾の命を降せり。爾知らざること罔けん。呂氏が曰く、先ず周公曰くと曰いて、復王若く曰くと曰うは何ぞや。周公王命を傳えて、周公の命に非ざることを明らかにするなり、と。周公の命誥は、此に篇に終う。故に例を此に發して、以て大誥の諸篇凡そ王曰くと稱する者は、周公の成王の命を傳うるに非ざること無きことを見すなり。成王奄を滅ぼすの後、四國の殷民に告げ諭して、因りて以て天下を曉すなり。主とする所は殷民なり。故に又專ら殷侯の民に正たる者を提げて之に告ぐ。言うこころは、殷民の罪應に誅戮すべし。我れ大いに爾の命を降し宥む。爾宜しく知らざること無かるべし。

△洪惟圖天之命、弗永寅念于祀。圖、謀也。言商奄大惟私意圖謀天命、自厎滅亡。不深長敬念以保其祭祀。呂氏曰、天命可受、而不可圖。圖則人謀之私、而非天命之公矣。此蓋深示以天命不可妄干。乃多方一篇之綱領也。下文引夏商所以失天命、受天命者、以明示之。
【読み】
△洪[おお]いに惟れ天の命を圖りて、永く祀を寅[つつし]み念わず。圖は、謀るなり。言うこころは、商奄大いに惟れ私意にて天命を圖り謀り、自ら滅亡を厎す。深く長く敬み念いて以て其の祭祀を保たず。呂氏が曰く、天命受く可くして、圖る可からず。圖るときは則ち人謀の私にして、天命の公に非ず、と。此れ蓋し深く示すに天命は妄りに干す可からざることを以てす。乃ち多方一篇の綱領なり。下の文に夏商天命を失い、天命を受くる所以の者を引いて、以て明らかに之を示す。

△惟帝降格于夏。有夏誕厥逸、不肯慼言于民。乃大淫昏、不克終日勸于帝之迪。乃爾攸聞。言帝降災異、以譴告桀。桀不知戒懼、乃大肆逸豫、憂民之言、尙不肯出諸口。況望其有憂民之實乎。勸、勉也。迪、啓迪也。視聽動息日用之閒、洋洋乎皆上帝所以啓迪開導斯人者。桀乃大肆淫昏、終日之閒、不能少勉於是。天理或幾乎息矣。況望有惠迪而不違乎。此乃爾之所聞、欲其因桀而知紂也。厥逸與多士引逸不同者、猶亂之爲亂爲治耳。逸豫、以民言。淫昏、以帝言。各以其義也。此章上、疑有缺文。
【読み】
△惟れ帝夏に降し格せり。有夏誕[おお]いに厥れ逸んじて、肯えて民を慼[うれ]え言わず。乃ち大いに淫昏にして、終日帝の迪[みちび]くことを勸むること克わず。乃ち爾聞ける攸なり。言うこころは、帝災異を降して、以て桀に譴[せ]め告ぐ。桀戒め懼るることを知らず、乃ち大いに肆に逸豫して、民を憂うるの言、尙肯えて口より出でず。況んや其の民を憂うるの實有らんことを望まんや。勸は、勉むるなり。迪は、啓迪[けいてき]なり。視聽動息日用の閒、洋洋乎として皆上帝斯の人を啓迪開導する所以の者なり。桀乃ち大いに肆に淫昏にして、終日の閒、少しも是を勉むること能わず。天理或は息むに幾し。況んや惠み迪いて違わざること有らんことを望まんや。此れ乃ち爾の聞ける所にて、其の桀に因りて紂を知ることを欲するなり。厥れ逸んずと多士の引逸と同じからざる者は、猶亂の亂と爲り治と爲るのみ。逸豫は、民を以て言う。淫昏は、帝を以て言う。各々其の義を以てするなり。此の章の上に、疑うらくは缺文有らん。

△厥圖帝之命、不克開于民之麗、乃大降罰、崇亂有夏。因甲于内亂、不克靈承于旅、罔丕惟進之恭、洪舒于民。亦惟有夏之民、叨懫日欽、劓割夏邑。叨、他刀反。懫、陟利反。○此章文多未詳。麗、猶日月麗乎天之麗。謂民之所依以生者也。依於土、依於衣食之類。甲、始也。言桀矯誣上天、圖度帝命、不能開民衣食之原、於民依恃以生者、一皆抑塞遏絕之。猶乃大降威虐于民、以增亂其國。其所因、則始于内嬖、蠱其心、敗其家、不能善承其衆、不能大進於恭、而大寛裕其民。亦惟夏邑之民貪叨忿懫者、則日欽崇而尊用之、以戕害於其國也。
【読み】
△厥れ帝の命を圖りて、民の麗[つ]くことを開くこと克わず、乃ち大いに罰を降して、亂るるを有夏に崇[かさ]ぬ。因ることは内亂に甲[はじ]まりて、靈[よ]く旅々[もろもろ]を承くること克わず、丕いに惟れ恭しきに進んで、洪[おお]いに民を舒[ゆた]かにすること罔し。亦惟れ有夏の民、叨[むさぼ]り懫[いか]れるを日々に欽みて、夏の邑を劓[そこな]い割[た]つ。叨[とう]は、他刀反。懫[し]は、陟利反。○此の章の文多く未だ詳らかならず。麗は、猶日月は天に麗くの麗のごとし。民の依りて以て生ずる所の者を謂う。土に依り、衣食に依るの類なり。甲は、始むるなり。言うこころは、桀上天を矯[いつわ]り誣い、帝命を圖り度りて、民の衣食の原を開くこと能わず、民の依り恃んで以て生ずる者に於て、一に皆之を抑塞遏絕す。猶乃ち大いに威虐を民に降して、以て增々其の國を亂る。其の因る所は、則ち内嬖に始まりて、其の心を蠱[まど]わし、其の家を敗りて、善く其の衆を承くること能わず、大いに恭しきに進んで、大いに其の民を寛裕にすること能わず。亦惟れ夏邑の民の貪り叨り忿り懫れる者を、則ち日々に欽崇して之を尊び用いて、以て其の國を戕害[しょうがい]す。

△天惟時求民主、乃大降顯休命于成湯、刑殄有夏。言天惟是爲民求主耳。桀旣不能爲民之主。天乃大降顯休命於成湯、使爲民主、而伐夏殄滅之也。○呂氏曰、曰求曰降、豈眞有求之降之者哉。天下無統、渙散漫流、勢不得不歸其所聚。而湯之一德乃所謂顯休命之實、一衆離而聚之者也。民不得不聚於湯、湯不得不受斯民之聚。是豈人爲之私哉。故曰天求之、天降之也。
【読み】
△天惟れ時[こ]れ民の主を求めて、乃ち大いに顯らかに休[よ]き命を成湯に降して、有夏を刑し殄[た]つ。言うこころは、天惟れ是れ民の爲に主を求むるのみ。桀は旣に民の主爲ること能わず。天乃ち大いに顯らかに休き命を成湯に降して、民主と爲らしめて、夏を伐ちて之を殄滅[てんめつ]せしむ。○呂氏が曰く、求むと曰い降すと曰うは、豈眞に之を求め之を降す者有らんや。天下統無く、渙散漫流して、勢い其の聚まる所に歸せざることを得ず。而して湯の一德は乃ち所謂顯らかに休き命の實にて、一に衆離れて之に聚まる者なり。民、湯に聚まらざることを得ず、湯、斯の民の聚まるを受けざるを得ず。是れ豈人爲の私ならんや。故に曰う、天之を求め、天之を降す、と。

△惟天不畀純。乃惟以爾多方之義民、不克永于多享。惟夏之恭多士、大不克明保享于民、乃胥惟虐于民、至于百爲、大不克開。純、大也。義民、賢者也。言天不與桀者大。乃以爾多方賢者、不克永于多享、以至于亡也。言桀於義民、不能用。其所敬之多士、率皆不義之民。上文所謂叨懫日欽者。同惡相濟、大不能明保享于民、乃相與播虐于民、民無所措其手足。凡百所爲、無一能達。上文所謂不克開于民之麗者。政暴民窮、所以速其亡也。此雖指桀多士、爾殷侯尹民、嘗逮事紂者、寧不惕然内愧乎。
【読み】
△惟れ天畀[あた]えざること純[おお]いなり。乃ち惟れ爾多方の義民、多く享くるに永きこと克わざるを以てなり。惟れ夏の恭める多士、大いに明らかに民を保んじ享くること克わず、乃ち胥惟れ民を虐げて、百の爲[しわざ]に至るまで、大いに開くこと克わず。純は、大いなり。義民は、賢者なり。言うこころは、天の桀に與えざる者大いなり。乃ち爾多方の賢者を以て、多く享くるに永きこと克わず、以て亡びに至れり。言うこころは、桀の義民に於る、用ゆること能わず。其の敬する所の多士は、率ね皆不義の民なり。上の文に所謂叨[むさぼ]り懫[いか]れるを日々に欽む者なり。同惡相濟し、大いに明らかに民を保んじ享くること能わず、乃ち相與に虐を民に播[ほどこ]して、民其の手足を措く所無し。凡そ百のする所は、一つも能く達すること無し。上の文に所謂民の麗くことを開くこと克わずという者なり。政暴[そこな]い民窮まるは、其の亡びを速[まね]く所以なり。此れ桀の多士を指すと雖も、爾殷侯民に尹たる、嘗て紂に事うる者に逮ぶまで、寧ろ惕然として内に愧じざらんや。

△乃惟成湯、克以爾多方簡、代夏作民主。簡、擇也。民擇湯而歸之。
【読み】
△乃ち惟れ成湯、克く爾多方の簡[えら]ぶことを以て、夏に代わりて民の主と作れり。簡は、擇ぶなり。民湯を擇びて之に歸す。

△愼厥麗乃勸厥民、刑用勸。湯深謹其所依、以勸勉其民。故民皆儀刑而用勸勉也。人君之於天下、仁而已矣。仁者君之所依也。君仁、則莫不仁矣。
【読み】
△厥の麗[つ]くことを愼みて乃ち厥の民を勸めて、刑[のっと]りて用て勸む。湯深く其の依る所を謹みて、以て其の民を勸め勉めしむ。故に民皆儀り刑りて用て勸み勉むなり。人君の天下に於る、仁なるのみ。仁は君の依る所なり。君仁なれば、則ち仁ならざること莫し。

△以至于帝乙、罔不明德愼罰。亦克用勸。明德、則民愛慕之。謹罰、則民畏服之。自成湯至于帝乙、雖歷世不同、而皆知明其德謹其罰。故亦能用以勸勉其民也。明德謹罰、所以謹厥麗也。明德、仁之本也。謹罰、仁之政也。
【読み】
△以て帝乙に至るまで、德を明らかにし罰を愼まざること罔し。亦克く用て勸めたり。德を明らかにするときは、則ち民之を愛慕す。罰を謹むときは、則ち民之を畏服す。成湯より帝乙に至るまで、歷世同じからずと雖も、而して皆其の德を明らかにし其の罰を謹むことを知る。故に亦能く用いて以て其の民を勸め勉めしむ。德を明らかにし罰を謹むは、厥の麗くことを謹む所以なり。明德は、仁の本なり。謹罰は、仁の政なり。

△要囚殄戮多罪、亦克用勸。開釋無辜、亦克用勸。德、明之而已。罰、有辟焉、有宥焉。故再言、辟而當罪、亦能用以勸勉、宥而赦過、亦能用以勸勉。言辟與宥、皆足以使人勉於善也。
【読み】
△囚を要めて罪多きを殄[た]ち戮[ころ]し、亦克く用て勸む。辜無きを開き釋[ゆる]して、亦克く用て勸む。德は、之を明らかにするのみ。罰は、焉を辟[つみ]すること有り、焉を宥すこと有り。故に再び言う、辟して當に罪にすべく、亦能く用いて以て勸め勉めしめ、宥して過を赦し、亦能く用いて以て勸め勉めしむ、と。言うこころは、辟すると宥すとは、皆以て人をして善を勉めしむるに足れり。

△今至于爾辟、弗克以爾多方、享天之命。呂氏曰、爾辟、謂紂也。商先哲王、世傳家法、積累維持如此。今一旦至于汝君、乃以爾全盛之多方、不克坐享天命而亡之。是誠可閔也。天命至公。操則存、舍則亡。以商先王之多、基圖之大、紂曾不得席其餘蔭、其亡忽焉。危微操舍之幾、周公所以示天下深矣。豈徒曰慰解之而已哉。
【読み】
△今爾の辟[きみ]に至りて、爾多方を以て、天の命を享くること克わず、と。呂氏が曰く、爾辟は、紂を謂うなり。商の先哲王、世々家法を傳え、積累維持すること此の如し。今一旦汝の君に至りて、乃ち爾が全盛の多方を以て、坐して天命を享くること克わずして亡びたり。是れ誠に閔れむ可し。天命至って公なり。操るときは則ち存し、舍つるときは則ち亡ぶ。商の先王の多く、基圖の大いなるを以て、紂曾て其の餘蔭を席[し]くことを得ず、其の亡ぶこと忽焉たり。危微操舍の幾、周公の天下に示す所以深し。豈徒に之を慰解すと曰うのみならんや。

△嗚呼王若曰、誥告爾多方。非天庸釋有夏。非天庸釋有殷。先言嗚呼而後言王若曰者、唐孔氏曰、周公先自歎息、而後稱王命以誥之也。庸、用也。有心之謂。釋、去之也。上文言夏殷之亡、因言、非天有心於去夏、亦非天有心於去殷。下文遂言、乃惟桀紂自取亡滅也。○呂氏曰、周公先自歎息、而始宣布成王之誥告、以見周公未嘗稱王也。又此篇之始、周公曰、王若曰、複語相承。書無此體也。至於此章、先嗚呼而後王若曰。書亦無此體也。周公居聖人之變、史官豫憂來世傳疑襲誤、蓋有竊之爲口實矣。故於周公誥命終篇、發新例二、著周公實未嘗稱王。所以別嫌明微、而謹萬世之防也。
【読み】
△嗚呼王若[か]く曰く、爾多方に誥げ告ぐ。天の庸[もっ]て有夏を釋[す]つるに非ず。天の庸て有殷を釋つるに非ず。先ず嗚呼と言いて而して後に王若く曰くと言うは、唐の孔氏が曰く、周公先ず自ら歎息して、而して後に王命を稱して以て之に誥ぐるなり。庸は、用てなり。心有るの謂なり。釋は、之を去[す]つるなり。上の文に夏殷の亡ぶるを言いて、因りて言う、天夏を去つるに心有るに非ず、亦天殷を去つるに心有るに非ず、と。下の文に遂に言う、乃ち惟れ桀紂自ら亡滅を取る、と。○呂氏が曰く、周公先ず自ら歎息して、始めて成王の誥告を宣べ布いて、以て周公の未だ嘗て王を稱せざるを見す。又此の篇の始めに、周公曰く、王若く曰くと、複語相承く。書に此の體無し。此の章に至りて、嗚呼を先にして王若く曰くを後にす。書に亦此の體無し。周公の聖人の變に居る、史官豫め來世の疑を傳え誤りを襲[かさ]ねて、蓋し之を竊んで口實とすること有るを憂う。故に周公誥命の終わりの篇に於て、新例二つを發して、周公實に未だ嘗て王を稱せざるを著す。嫌を別ち微を明らかにして、萬世の防ぎを謹む所以なり、と。

△乃惟爾辟、以爾多方、大淫圖天之命。屑有辭。紂以多方之富、大肆淫泆、圖度天命。瑣屑有辭。與多士言桀大淫泆有辭義同。殷之亡非自取乎。以下二章推之、此章之上、當有闕文。
【読み】
△乃ち惟れ爾の辟、爾多方を以て、大いに淫[す]ぎて天の命を圖る。屑[くだくだ]しくして辭有り。紂多方の富を以て、大いに肆に淫泆して、天命を圖り度る。瑣屑して辭有り。多士に桀大いに淫泆にして辭有りと言うと義同じ。殷の亡ぶること自ら取れるに非ずや。下の二章を以て之を推すに、此の章の上に、當に闕文有るべし。

△乃惟有夏圖厥政、不集于享。天降時喪、有邦閒之。集、萃也。享、享邦之享。桀圖其政、不集于享、而集于亡。故天降是喪亂、而俾有殷代之。夏之亡非自取乎。
【読み】
△乃ち惟れ有夏厥の政を圖りて、享くるに集[いた]らず。天時[こ]の喪びを降して、有邦之を閒つ。集は、萃[いた]るなり。享は、享邦の享。桀其の政を圖りて、享くるに集らずして、亡ぶるに集る。故に天是の喪亂を降して、有殷をして之に代わらしむ。夏の亡ぶるは自ら取るに非ずや。

△乃惟爾商後王、逸厥逸、圖厥政。不蠲烝。天惟降時喪。蠲、潔。烝、進也。紂以逸居逸。淫湎無度。故其爲政、不蠲潔而穢惡。不烝進而怠惰。天以是降喪亡于殷。殷之亡非自取乎。此上三節、皆應上文非天庸釋之語。
【読み】
△乃ち惟れ爾商の後の王、逸んじ厥れ逸んじて、厥の政を圖る。蠲烝[けんじょう]せず。天惟れ時[こ]の喪びを降せり。蠲は、潔。烝は、進むなり。紂逸を以て逸に居る。淫湎して度無し。故に其の政を爲むるは、蠲潔ならずして穢惡なり。烝進せずして怠惰なり。天是を以て喪亡を殷に降す。殷の亡ぶるは自ら取るに非ずや。此の上の三節は、皆上の文の天庸て釋つるに非ずの語に應ず。

△惟聖罔念作狂。惟狂克念作聖。天惟五年須暇之子孫、誕作民主。罔可念聽。聖、通明之稱。言聖而罔念、則爲狂矣。愚而能念、則爲聖矣。紂雖昏愚、亦有可改過遷善之理。故天又未忍遽絕之、猶五年之久、須待暇寛於紂、覬其克念、大爲民主。而紂無可念可聽者。五年、必有指實而言。孔氏牽合歲月者非是。或曰、狂而克念、果可爲聖乎。曰、聖固未易爲也。狂而克念、則作聖之功、知所向方。太甲其庶幾矣。聖而罔念、果至於狂乎。曰、聖固無所謂罔念也。禹戒舜曰、無若丹朱傲、惟慢遊是好。一念之差雖未至於狂、而狂之理亦在是矣。此人心惟危。聖人拳拳告戒。豈無意哉。
【読み】
△惟れ聖も念うこと罔きときは狂と作る。惟れ狂も克く念えば聖と作る。天惟れ五年まで之が子孫を須ち暇ありて、誕[おお]いに民の主と作す。念い聽く可きこと罔し。聖は、通明の稱。言うこころは、聖にして念うこと罔きときは、則ち狂と爲る。愚にして能く念うときは、則ち聖と爲るなり。紂昏愚と雖も、亦過ちを改め善に遷る可きの理有り。故に天も又未だ遽に之を絕つに忍びず、猶五年の久しき、須ち待ちて紂に暇寛ありて、其の克く念いて、大いに民の主爲ることを覬[ねが]う。而れども紂念う可く聽く可き者無し。五年とは、必ず實を指して言うこと有らん。孔氏歲月を牽合する者は是に非ず。或ひと曰く、狂にして克く念わば、果たして聖と爲る可けんや。曰く、聖は固に爲り易からず。狂にして克く念わば、則ち聖と作るの功、向かう所の方を知る。太甲其れ庶幾し。聖にして念うこと罔くば、果たして狂に至らんや。曰く、聖は固に所謂念うこと罔きこと無けん。禹が舜を戒めて曰く、丹朱が傲り、惟れ慢遊是れ好むが若きこと無かれ、と。一念の差未だ狂に至らざると雖も、而れども狂の理も亦是に在り。此れ人心惟れ危うし。聖人拳拳として告げ戒む。豈意無からんや。

△天惟求爾多方、大動以威、開厥顧天。惟爾多方、罔堪顧之。紂旣罔可念聽。天於是求民主於爾多方、大警動以祲祥譴告之威、以開發其能受眷顧之命者。而爾多方之衆、皆不足以堪眷顧之命也。
【読み】
△天惟れ爾多方に求めて、大いに動かすに威を以てし、厥の天を顧みるを開く。惟れ爾多方、之を顧みるに堪うること罔し。紂旣に念い聽く可きこと罔し。天是に於て民の主を爾多方に求めて、大いに警め動かすに祲祥[しんしょう]譴告の威を以てして、以て其の能く眷顧の命を受くる者を開發す。而して爾多方の衆、皆以て眷顧の命に堪うるに足らず、と。

△惟我周王、靈承于旅、克堪用德。惟典神天。天惟式敎我用休、簡畀殷命、尹爾多方。典、主。式、用也。克堪者、能勝之謂也。德輶如毛。民鮮克舉之。言德舉者、莫能勝也。文武善承其衆、克堪用德、是誠可以爲神天之主矣。故天式敎文武、用以休美。簡擇畀付殷命、以正爾多方也。呂氏曰、式敎用休者、如之何而敎之也。文武旣得乎天、天德日新、左右逢原。其思也若或起之、其行也若或翼之。乃天之所以敎、而用以昌大休明者也。非諄諄然而敎之也。此章深論天下。向者天命未定、眷求民主之時、能者則得之。孰有遏汝者。乃無一能當天之眷。今天旣命我周、而定于一矣。爾猶洶洶不靖、欲何爲耶。明指天命、而讋服四海姦雄之心者、莫切於是。
【読み】
△惟れ我が周王、靈[よ]く旅々[もろもろ]を承けて、克く德を用ゆるに堪えたり。惟れ神天を典る。天惟れ式[もっ]て我に敎ゆるに休[よ]きを用てし、殷の命を簡[えら]び畀[あた]えて、爾多方を尹たらしむ。典は、主る。式は、用てなり。克く堪うとは、能く勝うの謂なり。德の輶きこと毛の如し。民克く之を舉ぐること鮮し、と。言うこころは、德舉ぐる者、能く勝うること莫し。文武善く其の衆々を承けて、克く德を用うるに堪うる、是れ誠に以て神天の主と爲す可し。故に天式て文武を敎ゆるに、用て休美を以てす。簡び擇びて殷の命を畀え付して、以て爾多方を正すなり。呂氏が曰く、式て敎ゆるに休きを用てすとは、如何にして之を敎ゆるや。文武旣に天に得て、天の德日々に新たに、左右[たす]けて原に逢う。其の思うこと之を起こすこと或るが若く、其の行うこと之を翼[たす]くこと或るが若し。乃ち天の敎ゆる所以にして、用て以て昌大休明なる者なり。諄諄然として之を敎ゆるに非ず、と。此の章深く天下を論ず。向[さき]の者は天命未だ定まらず、民の主を眷み求むるの時にて、能者は則ち之を得ん。孰か汝を遏むる者有らん。乃ち一つも能く天の眷みるに當たること無し。今天旣に我が周に命じて、一つに定む。爾猶洶洶[きょうきょう]として靖からざるがごとき、何をせんと欲するや。明らかに天命を指して、四海姦雄の心を讋服[しょうふく]する者、是より切なるは莫し。

△今我曷敢多誥。我惟大降爾四國民命。言今我何敢如此多誥。我惟大降宥爾四國民命。舉其宥過之恩、而責其遷善之實也。
【読み】
△今我れ曷ぞ敢えて多く誥げんや。我れ惟れ大いに爾四國の民命を降せり。言うこころは、今我れ何ぞ敢えて此の如く多く誥げんや。我れ惟れ大いに爾四國の民命を降し宥む。其の過を宥むるの恩を舉げて、其の善に遷るの實を責むるなり。

△爾曷不忱裕之于爾多方。爾曷不夾介乂我周王享天之命。今爾尙宅爾宅、畋爾田。爾曷不惠王煕天之命。夾、訖洽反。○夾、夾輔之夾。介、賓介之介。爾何不誠信寛裕於爾之多方乎。爾何不夾輔介助我周王享天之命乎。爾之叛亂、據法定罪、則瀦其宅、收其田可也。今爾猶得居爾宅、耕爾田。爾何不順我王室、各守爾典、以廣天命乎。此三節、責其何不如此也。
【読み】
△爾曷ぞ之を爾の多方に忱[まこと]とし裕かにせざらんや。爾曷ぞ夾み介けて我が周王の天の命を享けたるを乂[おさ]めざるや。今爾尙爾の宅に宅り、爾の田を畋[たづく]る。爾曷ぞ王に惠[したが]いて天の命を煕[ひろ]めざるや。夾は、訖洽反。○夾は、夾輔の夾。介は、賓介の介。爾何ぞ爾の多方に誠信寛裕ならざるや。爾何ぞ我が周王の天の命を享けたるを夾輔介助せざるや。爾の叛き亂るは、法に據り罪を定めて、則ち其の宅を瀦[みずた]め、其の田を收むるは可なり。今爾猶爾の宅に居り、爾の田を耕すことを得。爾何ぞ我が王室に順い、各々爾の典を守り、以て天命を廣めざるや、と。此の三節は、其の何ぞ此の如くならざるかを責むるなり。

△爾乃迪屢不靜、爾心未愛、爾乃不大宅天命、爾乃屑播天命。爾乃自作不典、圖忱于正。爾乃屢蹈不靜、自取亡滅。爾心其未知所以自愛耶。爾乃大不安天命耶。爾乃輕棄天命耶。爾乃自爲不法、欲圖見信于正者、以爲當然耶。此四節、責其不可如此也。
【読み】
△爾乃ち迪[ふ]むこと屢々靜かならず、爾の心未だ愛せず、爾乃ち大いに天命に宅らず、爾乃ち天命を屑[あなど]り播[す]つ。爾乃ち自ら典あらざるを作して、正しきに忱とせられんことを圖らんや。爾乃ち屢々蹈んで靜かならず、自ら亡滅を取る。爾の心其れ未だ自ら愛する所以を知らざるか。爾乃ち大いに天命に安んぜざるか。爾乃ち輕々しく天の命を棄つるか。爾乃ち自ら不法を爲して、圖りて正しき者に信ぜられ、以て當然とせんと欲するか、と。此の四節は、其の此の如くす可からざることを責むるなり。

△我惟時其敎告之。我惟時其戰要囚之。至于再、至于三。乃有不用我降爾命、我乃其大罰殛之。非我有周秉德不康寧。乃惟爾自速辜。我惟是敎告而誨諭之。我惟是戒懼而要囚之。今至于再、至于三矣。爾不用我降宥爾命、而猶狃於叛亂反覆。我乃其大罰殛殺之。非我有周持德不安靜。乃惟爾自爲凶逆以速其罪爾。
【読み】
△我れ惟れ時[こ]れ其れ敎えて之を告ぐ。我れ惟れ時れ其れ戰[おのの]かし要めて之を囚う。再びに至り、三たびに至る。乃ち我が爾の命を降すことを用いざること有らば、我れ乃ち其れ大いに之を罰し殛[ころ]さん。我が有周の德を秉れること康く寧からざるには非ず。乃ち惟れ爾自ら辜を速[まね]けるなり、と。我れ惟れ是れ敎え告げて之を誨え諭す。我れ惟れ是れ戒め懼れて之を要囚す。今再びに至り、三たびに至る。爾我が爾の命を降し宥むるを用いずして、猶叛亂反覆を狃[なら]う。我れ乃ち其れ大いに罰殛[ばっきょく]して之を殺さん。我が有周德を持ちて安靜ならざるに非ず。乃ち惟れ爾自ら凶逆を爲して以て其の罪を速くのみ、と。

△王曰、嗚呼猷告爾有方多士、曁殷多士。今爾奔走、臣我監五祀。監、監洛邑之遷民者也。猶諸侯之分民有君道焉。所以謂之臣我監也。言商士遷洛、奔走臣服我監、於今五年矣。不曰年而曰祀者、因商俗而言也。又按成周旣成、而成王卽政。成王卽政、而商奄繼叛。事皆相因、纔一二年耳。今言五祀、則商民之遷、固在作洛之前矣、尤爲明驗。
【読み】
△王曰く、嗚呼猷[ああ]爾有方の多士、曁び殷の多士に告ぐ。今爾奔り走りて、我が監に臣たること五祀なり。監は、洛邑の遷る民を監する者なり。猶諸侯の民を分かちて君の道有るがごとし。之を我が監に臣たると謂う所以なり。言うこころは、商の士の洛に遷る、奔走して我が監に臣服すること、今に於て五年なり。年と曰わずして祀と曰うは、商の俗に因りて言えり。又按ずるに成周旣に成りて、成王政に卽く。成王政に卽いて、商奄繼いで叛く。事皆相因ること、纔に一二年なるのみ。今五祀と言わば、則ち商の民の遷ること、固に洛を作るの前に在ること、尤も明驗爲り。

△越惟有胥・伯、小大多正。爾罔不克臬。臬、事也。周官多以胥以伯以正爲名。胥・伯、小大衆多之正、蓋殷多士授職於洛、共長治遷民者也。其奔走臣我監亦久矣。宜相體悉。竭力其職、無或反側偸惰而不能事也。
【読み】
△越[ここ]に惟れ胥・伯、小大多くの正有り。爾臬[こと]を克くせざること罔かれ。臬[げつ]は、事なり。周官多く胥を以て伯を以て正を以て名とす。胥・伯、小大衆多の正は、蓋し殷の多士の職を洛に授かる、共に遷れる民を治むるに長ぜる者なり。其の奔走して我が監に臣たること亦久し。宜しく相體し悉[つ]くすべし。力を其の職に竭くして、反側偸惰して事を能くせざること或ること無かれ、と。

△自作不和、爾惟和哉。爾室不睦、爾惟和哉。爾邑克明、爾惟克勤乃事。心不安靜、則身不和順矣。身不安靜、則家不和順矣。言爾惟和哉者、所以勸勉之也。和其身、睦其家、而後能協于其邑、驩然有恩以相愛、粲然有文以相接。爾邑克明、始爲不負其職。而可謂克勤乃事矣。前旣戒以罔不克臬。故以克勤乃事期之也。
【読み】
△自ら作すこと和らがず、爾惟れ和らげよや。爾の室睦まじからず、爾惟れ和らげよや。爾の邑克く明らかにして、爾惟れ克く乃の事を勤めよ。心安靜ならざるときは、則ち身和順ならず。身安靜ならざるときは、則ち家和順ならず。言うこころは、爾惟れ和らげよとは、之を勸め勉むる所以なり。其の身を和らげ、其の家を睦まじくして、而して後に能く其の邑を協え、驩然として恩有りて以て相愛し、粲然として文有りて以て相接す。爾の邑克く明らかにして、始めて其の職に負けずとす。而して謂う可し、克く乃の事を勤む、と。前に旣に戒むるに臬[こと]を克くせざること罔かれを以てす。故に克く乃の事を勤むるを以て之を期すなり。

△爾尙不忌于凶德。亦則以穆穆在乃位、克閱于乃邑謀介。忌、畏也。穆穆、和敬貌。頑民誠可畏矣。然如上文所言。爾多士庶幾不至畏忌頑民凶德。亦則以穆穆和敬、端處爾位、以潛消其悍逆悖戾之氣、又能簡閱爾邑之賢者、以謀其助、則民之頑者、且革而化矣。尙何可畏之有哉。成王誘掖商士之善、以化服商民之惡。其轉移感動之機、微矣哉。
【読み】
△爾尙わくは凶德を忌まざらんことを。亦則ち穆穆を以て乃の位に在りて、克く乃の邑を閱[み]て介けを謀れ。忌は、畏るるなり。穆穆は、和敬の貌。頑民は誠に畏る可し。然れども上の文に言う所の如し。爾多士庶幾わくは頑民の凶德を畏れ忌むに至らざれ。亦則ち穆穆和敬を以て、端[ただ]しく爾の位に處りて、以て其の悍逆悖戾の氣を潛消して、又能く爾の邑の賢者を簡[えら]び閱て、以て其の助けを謀るときは、則ち民の頑なる者、且つ革めて化す。尙何の畏る可きことか之れ有らんや。成王商士の善を誘掖して、以て商民の惡を化服す。其の轉移感動の機、微なるかな。

△爾乃自時洛邑、尙永力畋爾田。天惟畀矜爾。我有周惟其大介賚爾。迪簡在王庭。尙爾事有服在大僚。爾乃自時洛邑、庶幾可以保有其業、力畋爾田。天亦將畀予矜憐於爾。我有周亦將大介助賚錫於爾。啓迪簡拔、置之王朝矣。其庶幾勉爾之事、有服在大僚、不難至也。多士篇、商民嘗以夏迪簡在王庭、有服在百僚爲言。故此因以勸勵之也。
【読み】
△爾乃ち時[こ]の洛邑より、尙わくは永く力めて爾の田を畋[たづく]らんことを。天惟れ畀[あた]えて爾を矜[あわ]れまん。我が有周惟れ其れ大いに介けて爾に賚[たまもの]せん。迪[みちび]き簡[えら]びて王庭に在らん。尙わくは爾の事服[つ]くこと有りて大僚に在らんことを、と。爾乃ち時の洛邑より、庶幾わくは以て其の業を保ち有ちて、力めて爾の田を畋る可し。天も亦將に畀え予えて爾を矜れみ憐れまんとす。我が有周も亦將に大いに介け助けて爾に賚い錫わんとす。啓き迪き簡び拔いて、之を王朝に置かん。其れ庶幾わくは爾の事を勉め、服くこと有りて大僚に在ること、至り難からず、と。多士の篇に、商民嘗て夏迪き簡びて王庭に在り、服くこと有りて百僚に在りを以て言を爲す。故に此に因りて以て之を勸め勵ますなり。

△王曰、嗚呼多士、爾不克勸忱我命、爾亦則惟不克享、凡民惟曰不享。爾乃惟逸惟頗、大遠王命、則惟爾多方、探天之威。我則致天之罰、離逖爾土。誥告將終、乃歎息言、爾多士、如不能相勸信我之誥命、爾亦則惟不能享上、凡爾之民亦惟曰、上不必享矣。爾乃放逸頗僻、大違我命、則惟爾多士自取天威。我亦致天之罰播流蕩析、俾爾離遠爾土矣。爾雖欲宅爾宅畋爾田、尙可得哉。多方疑當作多士。上章旣勸之以休、此章則董之以威。商民不惟有所慕而不敢違越、且有所畏而不敢違越矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼多士、爾我が命を勸め忱[まこと]とすること克わずんば、爾亦則ち惟れ享くること克わず、凡その民惟れ享けずと曰わん。爾乃ち惟れ逸んじ惟れ頗[ひが]みて、大いに王命に遠[さか]らば、則ち惟れ爾多方、天の威を探[と]らん。我れ則ち天の罰を致して、爾の土を離ち逖[さ]けん、と。誥告將に終わらんとし、乃ち歎息して言く、爾多士、如し相勸めて我が誥命を信ずること能わずんば、爾も亦則ち惟れ上に享くること能わず、凡そ爾の民も亦惟れ曰く、上必ず享けず、と。爾乃ち放逸頗僻にして、大いに我が命に違うときは、則ち惟れ爾多士自ら天威を取る。我も亦天の罰を致して播流蕩析して、爾をして爾の土を離ち遠ざけん。爾爾の宅に宅り爾の田を畋らんと欲すと雖も、尙得可けんや、と。多方疑うらくは當に多士に作るべし。上の章は旣に之を勸むるに休きを以てし、此の章は則ち之を董[ただ]すに威を以てす。商の民惟れ慕う所有りて敢えて違越せざるにあらず、且つ畏るる所有りて敢えて違越せざるなり。

△王曰、我不惟多誥。我惟祗告爾命。我豈若是多言哉。我惟敬告爾、以上文勸勉之命而已。
【読み】
△王曰く、我れ惟れ多く誥ぐるにあらず。我れ惟れ祗みて爾の命を告ぐ、と。我豈是の若く多言せんや。我れ惟れ敬みて爾に告ぐるに、上の文の勸め勉むるの命を以てするのみ、と。

△又曰、時惟爾初、不克敬于和、則無我怨。與之更始。故曰、時惟爾初也。爾民至此、苟又不能敬于和、猶復乖亂、則自厎誅戮、毋我怨尤矣。開其爲善、禁其爲惡。周家忠厚之意、於是篇尤爲可見。○呂氏曰、又曰二字、所以形容周公之惓惓斯民。命已畢而猶有餘情、誥已終而猶有餘語。顧盻之光、猶曄然溢於簡册也。
【読み】
△又曰く、時[こ]れ惟れ爾の初め、和を敬むこと克わずんば、則ち我を怨むこと無かれ、と。之を與えて始めを更めしむ。故に曰く、時れ惟れ爾の初め、と。爾民此に至りて、苟も又和を敬むこと能わず、猶復乖き亂るときは、則ち自ら誅戮を厎して、我を怨み尤[うら]むこと毋かれ、と。其の善を爲すことを開き、其の惡を爲すことを禁ず。周家忠厚の意、是の篇に於て尤も見る可しとす。○呂氏が曰く、又曰の二字は、周公の斯の民を惓惓するを形容する所以なり、と。命已に畢わりて猶餘情有り、誥已に終わりて猶餘語有り。顧盻[こけい]の光、猶曄然[ようぜん]として簡册に溢る。

立政 吳氏曰、此書戒成王、以任用賢才之道。而其旨意、則又上戒成王專擇百官・有司之長。如所謂常伯・常任・準人等云者、蓋古者外之諸侯、一卿已命於君。内之卿大夫、則亦自擇其屬。如周公以蔡仲爲卿士、伯冏謹簡乃僚之類。其長旣賢、則其所舉用、無不賢者矣。葛氏曰、誥體也。今文古文皆有。
【読み】
立政[りっせい] 吳氏が曰く、此の書は成王を戒むるに、賢才を任用するの道を以てす。而して其の旨意は、則ち又上は成王專ら百官・有司の長を擇ばんことを戒む。所謂常伯・常任・準人等と云える者の如きは、蓋し古は外の諸侯にて、一卿も已に君に命ぜらる。内の卿大夫は、則ち亦自ら其の屬を擇ぶ。周公が蔡仲を以て卿士とし、伯冏[はくけい]謹みて乃の僚を簡ぶの類の如し。其の長旣に賢なるときは、則ち其の舉げ用ゆる所、賢ならざる者無し、と。葛氏が曰く、誥の體なり、と。今文古文皆有り。

周公若曰、拜手稽首、告嗣天子王矣。用咸戒于王曰、王左右常伯・常任・準人・綴衣・虎賁、周公曰、嗚呼休茲、知恤鮮哉。綴、朱衛下劣二反。賁、音奔。○此篇周公所作、而記之者、周史也。故稱若曰。言周公帥羣臣進戒于王、贊之曰、拜手稽首、告嗣天子王矣。羣臣用皆進戒曰、王左右之臣、有牧民之長、曰常伯、有任事之公卿、曰常任、有守法之有司、曰準人。三事之外、掌服器者、曰綴衣、執射御者、曰虎賁。皆任用之所當謹者。周公於是歎息言曰、美矣此官。然知憂恤者鮮矣。言五等官職之美、而知憂其得人者少也。吳氏曰、綴衣・虎賁、近臣之長也。葛氏曰、綴衣、周禮司服之類。虎賁、周禮之虎賁氏也。
【読み】
周公若[か]く曰く、拜手稽首して、嗣天子王に告す。用て咸王を戒めて曰く、王の左右の常伯・常任・準人・綴衣[ていい]・虎賁[こほん]、周公曰く、嗚呼休[よ]いかな茲れ、恤えを知れること鮮いかな。綴は、朱衛下劣二反。賁は、音奔。○此の篇は周公の作る所にして、之を記す者は、周の史なり。故に若く曰くと稱す。言うこころは、周公羣臣を帥いて進んで王を戒め、之を贊して曰く、拜手稽首して、嗣天子王に告す、と。羣臣用て皆進んで戒めて曰く、王の左右の臣、牧民の長有りて、常伯と曰い、事を任ずるの公卿有りて、常任と曰い、法を守るの有司有りて、準人と曰う。三事の外、服器を掌る者を、綴衣と曰い、射御を執る者を、虎賁と曰う。皆任用の當に謹むべき所の者なり。周公是に於て歎息して言いて曰く、美いかな此の官。然れども憂恤を知る者鮮し、と。言うこころは、五等官職の美にして、其の人を得んことを憂うることを知る者少なし。吳氏が曰く、綴衣・虎賁は、近臣の長、と。葛氏が曰く、綴衣は、周禮の司服の類。虎賁は、周禮の虎賁氏、と。

△古之人迪惟有夏、乃有室大競、籲俊尊上帝。迪知忱恂于九德之行、乃敢告敎厥后曰、拜手稽首后矣。曰、宅乃事、宅乃牧、宅乃準、茲惟后矣。謀面用丕訓德、則乃宅人、茲乃三宅無義民。恂、音荀。○古之人有行此道者、惟有夏之君。當王室大强之時、而求賢以爲事天之實也。迪知者、蹈知而非苟知也。忱恂者、誠信而非輕信也。言夏之臣、蹈知誠信于九德之行、乃敢告敎其君曰、拜手稽首后矣云者、致敬以尊其爲君之名也。曰、宅乃事、宅乃牧、宅乃準、茲惟后矣云者、致告以敍其爲君之實也。茲者、此也。言如此而後可以爲君也。卽皐陶與禹言九德之事。謀面者、謀人之面貌也。言非迪知忱恂于九德之行、而徒謀之面貌、用以爲大順於德、乃宅而任之。如此、則三宅之人、豈復有賢者乎。蘇氏曰、事則向所謂常任也。牧則向所謂常伯也。準則向所謂準人也。一篇之中、所論宅俊者、參差不齊。然大要不出是三者、其餘則皆小臣百執事也。吳氏曰、古者凡以善言語人、皆謂之敎。不必自上敎下、而後謂之敎也。
【読み】
△古の人迪[みち]ある惟れ有夏、乃ち室大いに競[こわ]きこと有り、俊[さか]しきを籲[よ]びて上帝を尊ぶ。九德の行を迪[ふ]み知り忱[まこと]に恂[まこと]として、乃ち敢えて厥の后に告げ敎えて曰く、拜手稽首して后たりとす、と。曰く、乃の事を宅[お]き、乃の牧を宅き、乃の準[のり]を宅いて、茲れ惟れ后たり。面[まのあたり]を謀りて用て丕いに德に訓[したが]うとして、則ち乃ち人を宅くときは、茲れ乃の三宅義民無きなり、と。恂[じゅん]は、音荀。○古の人此の道を行う者有り、惟れ有夏の君なり。王室大强の時に當たりて、賢を求めて以て天に事るの實をす。迪み知るとは、蹈み知りて苟[かりそめ]に知るに非ず。忱恂[しんじゅん]とは、誠に信にして輕々しく信ずるに非ず。言うこころは、夏の臣、蹈み知りて九德の行を誠に信にして、乃ち敢えて其の君に告げ敎えて曰く、拜手稽首して后たりとすと云うは、敬を致して以て其の君爲るの名を尊ぶなり。曰く、乃の事を宅き、乃の牧を宅き、乃の準を宅くは、茲れ惟れ后たりと云うは、告ぐるを致して以て其の君爲るの實を敍ずるなり。茲は、此なり。言うこころは、此の如くにして而して後に以て君爲る可し。卽ち皐陶と禹との九德の事を言うなり。面を謀るとは、人の面貌を謀るなり。言うこころは、迪み知りて九德の行を忱に恂にするに非ずして、徒に之れ面貌を謀りて、用いて以て大いに德に順うことをし、乃ち宅いて之に任ず。此の如きときは、則ち三宅の人、豈復賢者有らんや。蘇氏が曰く、事は則ち向[さき]に所謂常任なり。牧は則ち向に所謂常伯なり。準は則ち向に所謂準人なり。一篇の中、論ずる所の俊を宅く者、參差して齊しからず。然れども大要は是の三者に出でず、其の餘は則ち皆小臣百執事なり、と。吳氏が曰く、古は凡そ善言を以て人に語る、皆之を敎えと謂う。必ずしも上より下を敎えて、而して後に之に敎ゆと謂わず、と。

△桀德惟乃弗作往任。是惟暴德罔後。夏桀惡德、弗作往昔先王任用三宅、而所任者、乃惟暴德之人。故桀以喪亡無後。
【読み】
△桀が德は惟れ乃ち往[むかし]の任を作さず。是れ惟れ暴德にして後罔し。夏の桀惡德にして、往昔の先王の任じ用ゆる三宅を作さずして、任ずる所の者は、乃ち惟れ暴德の人なり。故に桀以て喪び亡びて後無し、と。

△亦越成湯、陟丕釐上帝之耿命、乃用三有宅、克卽宅。曰、三有俊克卽俊。嚴惟丕式。克用三宅・三俊。其在商邑、用協于厥邑。其在四方、用丕式見德。亦越者、繼前之辭也。耿、光也。湯自七十里升爲天子、典禮命討、昭著於天下。所謂陟丕釐上帝之光命也。三宅、謂居常伯・常任・準人之位者。三俊、謂有常伯・常任・準人之才者。克卽者、言湯所用三宅、實能就是位、而不曠其職、所稱三俊、實能就是德、而不浮其名也。三俊、說者謂、他日次補三宅者。詳宅以位言、俊以德言、意其儲養待用、或如說者所云也。惟、思。式、法也。湯於三宅・三俊、嚴思而丕法之。故能盡其宅俊之用、而宅者得以效其職、俊者得以著其才。賢智奮庸、登于至治。其在商邑、用協于厥邑、近者察之詳、其情未易齊。畿甸之協、則純之至也。其在四方、用丕式見德。遠者及之難。其德未易徧。觀法之同、則大之至也。至純至大、治道無餘蘊矣。曰邑曰四方者、各極其遠近而言耳。
【読み】
△亦成湯に越[おい]て、陟[のぼ]りて丕いに上帝の耿命[こうめい]を釐[おさ]めて、乃ち三有宅を用て、克く卽いて宅く。曰く、三有俊克く卽いて俊[さか]し。嚴かに惟[おも]いて丕いに式[のり]とる。克く三宅・三俊を用ゆ。其れ商邑に在[おい]て、用て厥の邑を協[やわ]らぐ。其れ四方に在て、用て丕いに式として德を見す、と。亦越とは、前に繼ぐの辭なり。耿は、光なり。湯は七十里より升りて天子と爲り、典禮命討、天下に昭著なり。所謂陟りて丕いに上帝の光命を釐むるなり。三宅とは、常伯・常任・準人の位に居る者を謂う。三俊とは、常伯・常任・準人の才有る者を謂う。克く卽くとは、言うこころは、湯の用ゆる所の三宅は、實に能く是の位に就きて、其の職を曠[むな]しくせず、稱する所の三俊は、實に能く是の德に就いて、其の名を浮かせざるなり。三俊は、說者謂く、他日三宅を次いで補う者なり、と。宅は位を以て言い、俊は德を以て言うを詳らかにし、其の儲養待用を意うに、或は說者云う所の如くならん。惟は、思う。式は、法なり。湯の三宅・三俊に於る、嚴かに思いて丕いに之に法とる。故に能く其の宅俊の用を盡くして、宅る者以て其の職を效[いた]すことを得、俊なる者は以て其の才を著すことを得。賢智奮い庸いられて、至治に登らん。其れ商邑に在りて、用て厥の邑を協[ととの]え、近き者之を察すること詳らかにして、其の情未だ齊し易からず。畿甸[きでん]の協えるは、則ち純の至りなり。其れ四方に在りて、用て丕いに式として德を見す。遠き者之に及ぼすこと難し。其の德未だ徧し易からず。觀法の同じきときは、則ち大の至りなり。至純至大、治道餘蘊無し。邑と曰い四方と曰うは、各々其の遠近を極めて言うのみ。

△嗚呼其在受德暋。惟羞刑暴德之人、同于厥邦、乃惟庶習逸德之人、同于厥政。帝欽罰之、乃伻我有夏、式商受命、奄甸萬姓。暋、音敏。奄、衣檢反。○羞刑、進任刑戮者也。庶習、備諸衆醜者也。言紂德强暴、又所與共國者、惟羞刑暴德之諸侯、所與共政者、惟庶習逸德之臣下。上帝敬致其罰、乃使我周有此諸夏、用商所受之命、而奄甸萬姓焉。甸者、井牧其地、什伍其民也。
【読み】
△嗚呼其れ受に在[おい]て德暋[つよ]し。惟れ羞刑暴德の人、厥の邦を同じくし、乃ち惟れ庶習逸德の人、厥の政を同じくす。帝欽みて之を罰し、乃ち我をして夏を有たしめ、商の受けたる命を式[もっ]て、奄[ことごと]く萬姓を甸[おさ]めしむ。暋[びん]は、音敏。奄は、衣檢反。○羞刑は、刑戮を進め任ずる者なり。庶習は、諸々の衆醜を備うる者なり。言うこころは、紂の德强暴にして、又國を與に共にする所の者は、惟れ羞刑暴德の諸侯、政を與に共にする所の者は、惟れ庶習逸德の臣下なり。上帝敬みて其の罰を致して、乃ち我が周をして此の諸夏を有たしめ、商の受けたる所の命を用て、奄く萬姓を甸めしむ。甸[でん]とは、其の地を井牧し、其の民を什伍にするなり。

△亦越文王・武王、克知三有宅心、灼見三有俊心、以敬事上帝、立民長伯。三宅・三俊、文武克知灼見。皆曰心者、卽所謂迪知忱恂而非謀面也。三宅已授之位。故曰克知。三俊、未任以事。故曰灼見。以是敬事上帝、則天職修而上有所承。以是立民長伯、則體統立而下有所寄。人君位天人之兩閒、而俯仰無怍者、以是也。夏之尊帝、商之丕釐、周之敬事、其義一也。長、如王制所謂五國以爲屬、屬有長。伯、如王制所謂二百一十國以爲州、州有伯、是也。
【読み】
△亦文王・武王に越[おい]て、克く三有宅の心を知り、灼[あき]らかに三有俊の心を見て、以て敬みて上帝に事りて、民の長伯を立つ。三宅・三俊、文武克く知り灼らかに見る。皆心と曰うは、卽ち所謂迪[ふ]み知り忱恂[しんじゅん]して面[まのあたり]を謀るに非ず。三宅已に之に位を授く。故に克く知ると曰う。三俊、未だ任ずるに事を以てせず。故に灼らかに見ると曰う。是を以て敬みて上帝に事るときは、則ち天職修まりて上承くる所有り。是を以て民の長伯を立つるときは、則ち體統立ちて下寄る所有り。人君天人の兩閒に位して、俯仰して怍ずること無き者は、是を以てなり。夏の帝を尊び、商の丕いに釐[おさ]め、周の事を敬むこと、其の義一なり。長は、王制に所謂五國以て屬と爲して、屬に長有るが如し。伯は、王制に所謂二百一十國を以て州と爲して、州に伯有るが如き、是れなり。

△立政任人・準夫・牧、作三事。言文武立政、三宅之官也。任人、常任也。準夫、準人也。牧、常伯也。以職言。故曰事。
【読み】
△政を立つる任人・準夫・牧、三事を作す。言うこころは、文武の政を立つるは、三宅の官なり。任人は、常任なり。準夫は、準人なり。牧は、常伯なり。職を以て言う。故に事と曰う。

△虎賁・綴衣・趣馬・小尹・左右攜僕・百司・庶府、此侍御之官也。趣馬、掌馬之官。小尹、小官之長。攜僕、攜持僕御之人。百司、若司裘・司服。庶府、若内府・大府之屬也。
【読み】
△虎賁[こほん]・綴衣[ていい]・趣馬・小尹・左右の攜僕・百司・庶府、此れ侍御の官なり。趣馬は、馬を掌るの官。小尹は、小官の長。攜僕は、攜持僕御の人。百司は、司裘・司服の若し。庶府は、内府・大府の屬の若し。

△大都・小伯・藝人・表臣百司・太史・尹伯・庶常吉士、此都邑之官也。呂氏曰、大都・小伯者、謂大都之伯、小都之伯也。大都言都不言伯、小伯言伯不言都、互見之也。藝人者、卜祝筮匠、執技以事上者。表臣百司、表、外也。表、對裏之詞。上文百司、蓋内百官。若内府内司服之屬、所謂裏臣也。此百司、蓋外百司。若外府外司服之屬、所謂表臣也。太史者、史官也。尹伯者、有司之長。如庖人・内饔・膳夫、則是數尹之伯也。鐘師尹鐘、磬師尹磬。太師司樂、則是數尹之伯也。凡所謂官吏、莫不在内外百司之中。至於特見其名者、則皆有意焉。虎賁・綴衣・趣馬・小尹・左右攜僕、以扈衛親近而見。庶府、以冗賤人所易忽而見。藝人、恐其或興淫巧機詐、以蕩上心而見。太史、以奉諱惡、公天下後世之是非而見。尹伯、以大小相維、體統所係而見。若大都・小伯、則分治郊畿、不預百司之數者。旣條陳歷數文武之衆職、而總結之曰、庶常吉士。庶、衆也。言在文武之廷、無非常德吉士也。
【読み】
△大都・小伯・藝人・表臣の百司・太史・尹伯・庶々の常ある吉士、此れ都邑の官なり。呂氏が曰く、大都・小伯とは、大都の伯、小都の伯を謂う。大都に都を言いて伯を言わず、小伯に伯を言いて都を言わざるは、互いに之を見すなり。藝人とは、卜祝筮匠、技を執りて以て上に事る者なり。表臣の百司とは、表は、外なり。表は、裏に對するの詞なり。上の文の百司は、蓋し内の百官なり。内府の内司服の屬の若きは、所謂裏臣なり。此の百司は、蓋し外の百司なり。外府の外司服の屬の若きは、所謂表臣なり。太史とは、史官なり。尹伯は、有司の長。庖人・内饔・膳夫の如きは、則ち是れ數尹の伯なり。鐘師は鐘に尹たり、磬師は磬に尹たり。太師樂を司るときは、則ち是れ數尹の伯なり。凡そ所謂官吏は、内外百司の中に在らざること莫し。特に其の名を見す者に至りては、則ち皆意有り。虎賁・綴衣・趣馬・小尹・左右の攜僕は、扈衛親近なるを以て見す。庶府は、冗賤の人は忽にし易き所を以て見す。藝人は、其の或は淫巧機詐を興して、以て上の心を蕩[うご]かさんことを恐れて見す。太史は、諱惡を奉じ、天下後世の是非を公にするを以て見す。尹伯は、大小相維ぎ、體統の係る所を以て見す。大都・小伯の若きは、則ち郊畿を分かち治めて、百司の數に預らざる者なり、と。旣に文武の衆職を條陳歷數して、總べて之を結びて曰く、庶々の常ある吉士、と。庶は、衆なり。言うこころは、文武の廷に在るは、常德の吉士に非ざること無し。

△司徒・司馬・司空・亞旅、此諸侯之官也。司徒、主邦敎。司馬、主邦政。司空、主邦土。餘見牧誓。言諸侯之官、莫不得人也。諸侯之官獨舉此者、以其名位通於天子歟。
【読み】
△司徒・司馬・司空・亞旅、此れ諸侯の官なり。司徒は、邦敎を主る。司馬は、邦政を主る。司空は、邦土を主る。餘は牧誓に見えたり。言うこころは、諸侯の官は、人を得ざること莫し。諸侯の官獨り此を舉ぐるは、其の名位天子に通ずるを以てか。

△夷微・盧烝・三亳、阪尹。此王官之監於諸侯四夷者也。微・盧、見經。亳、見史。三亳、蒙爲北亳、穀熟爲南亳、偃師爲西亳。烝、或以爲衆、或以爲夷名。阪、未詳。古者險危之地封疆之守、或不以封、而使王官治之、參錯於五服之閒。是之謂尹。地志載王官所治非一。此特舉其重者耳。自諸侯三卿以降、惟列官名、而無他語。承上庶常吉士之文、以内見外也。夫上自王朝、内而都邑、外而諸侯、遠而夷狄、莫不皆得人以爲官使。何其盛歟。
【読み】
△夷微・盧烝・三亳[はく]、阪の尹あり。此れ王官の諸侯四夷を監る者なり。微・盧は、經に見えたり。亳は、史に見えたり。三亳は、蒙は北亳爲り、穀熟は南亳爲り、偃師は西亳爲り。烝は、或は以て衆とし、或は以て夷の名とす。阪は、未だ詳らかならず。古は險危の地の封疆の守、或は以て封ぜずして、王官をして之を治めしめて、五服の閒に參え錯[お]く。是を之れ尹と謂う。地志に載す王官の治むる所は一に非ず。此れ特に其の重き者を舉ぐるのみ。諸侯の三卿より以降、惟れ官の名を列ねて、他語無し。上の庶々の常ある吉士の文を承けて、内を以て外を見すなり。夫れ上王朝より、内にして都邑、外にして諸侯、遠くして夷狄、皆人を得て以て官使とせざること莫し。何ぞ其れ盛んなるや。

△文王惟克厥宅心、乃克立茲常事・司牧人、以克俊有德。文王惟能其三宅之心。能者、能之也。知之至、信之篤之謂。故能立此常任・常伯、用能俊有德也。不言準人者、因上章言文王用人、而申克知三有宅心之說、故略之也。
【読み】
△文王惟れ厥の宅く心を克くし、乃ち克く茲の常事・司牧の人を立てて、以て俊有德を克くす。文王惟れ其の三宅の心を能くす。能くすとは、之を能くするなり。知ることの至り、信ずることの篤きの謂なり。故に能く此の常任・常伯を立てて、用て俊有德を能くするなり。準人を言わざるは、上の章に文王人を用て、申ねて克く三有宅の心を知るの說を言うに因りて、故に之を略すなり。

△文王罔攸兼于庶言・庶獄・庶愼。惟有司之牧夫、是訓用違。庶言、號令也。庶獄、獄訟也。庶愼、國之禁戒儲備也。有司、有職主者。牧夫、牧人也。文王不敢下侵庶職、惟於有司牧夫、訓勑用命及違命者而已。漢孔氏曰、勞於求才、逸於任賢。
【読み】
△文王庶言・庶獄・庶愼を兼ねたる攸罔し。惟れ有司の牧夫、是れ用ゆると違うとに訓ゆ。庶言は、號令なり。庶獄は、獄訟なり。庶愼は、國の禁戒儲備なり。有司は、職主有る者。牧夫は、牧人なり。文王敢えて庶職を下し侵さず、惟れ有司の牧夫に於て、命を用い及び命に違える者に訓勑するのみ。漢の孔氏が曰く、才を求むるに勞し、賢を任ずるに逸んず、と。

△庶獄・庶愼、文王罔敢知于茲。上言罔攸兼、則猶知之。特不兼其事耳。至此罔敢知。則若未嘗知有其事。蓋信任之益專也。上言庶言、此不及者、號令出於君。有不容不知者故也。呂氏曰、不曰罔知于茲、而曰罔敢知于茲者、徒言罔知、則是莊老之無爲也。惟言罔敢知、然後見文王敬畏、思不出位之意。毫釐之辨、學者宜精察之。
【読み】
△庶獄・庶愼、文王敢えて茲を知ること罔し。上に兼ねたる攸罔しと言うは、則ち猶之を知るがごとし。特に其の事を兼ねざるのみ。此に至りては敢えて知ること罔きなり。則ち未だ嘗て其の事有るを知らざるが若し。蓋し信任の益々專らなるなり。上に庶言と言いて、此に及ばざるは、號令は君より出づ。知らずんばある容からざる者有るが故なり。呂氏が曰く、茲を知ること罔しと曰わずして、敢えて茲を知ること罔しと曰う者は、徒に知ること罔しと言うときは、則ち是れ莊老の無爲なり。惟れ敢えて知ること罔しと言いて、然して後に文王の敬み畏れて、思うこと位を出でずの意を見る。毫釐の辨、學者宜しく之を精察すべし、と。

△亦越武王、率惟敉功、不敢替厥義德、率惟謀從容德、以竝受此丕丕基。率、循也。敉功、安天下之功。義德、義德之人。容德、容德之人。蓋義德者、有撥亂反正之才。容德者、有休休樂善之量。皆成德之人也。周公上文言、武王率循文王之功、而不敢替其所用義德之人、率循文王之謀、而不敢違其容德之士。意如虢叔・閎夭・散宜生・泰顚・南宮括之徒、所以輔成王業者。文用之於前、武任之於後。故周公於君奭言、五臣克昭文王受有殷命、武王惟茲四人、尙迪有祿。正猶此敍文武用人、而言竝受此丕丕基也。
【読み】
△亦武王に越[おい]て、惟の敉[やす]んずる功に率いて、敢えて厥の義德を替[す]てず、率いて惟れ謀りて容德に從いて、以て竝びに此の丕丕たる基を受けたり。率は、循うなり。敉功[びこう]は、天下を安んずるの功なり。義德は、義德の人。容德は、容德の人なり。蓋し義德は、撥亂反正の才有り。容德は、休休として善を樂しむの量有り。皆成德の人なり。周公上の文に言く、武王文王の功に率い循いて、敢えて其の用ゆる所の義德の人を替てず、文王の謀に率い循いて、敢えて其の容德の士に違わず、と。意うに、虢叔[かくしゅく]・閎夭[こうよう]・散宜生・泰顚・南宮括の徒の如き、成王の業を輔くる所以の者なり。文は之を前に用い、武は之を後に任ず。故に周公君奭に於て言く、五臣克く文王を昭らかにし、有殷の命を受け、武王惟れ茲の四人、尙[こいねが]いて祿を迪み有つ、と。正に猶此に文武の人を用ゆることを敍で、而して竝びに此の丕丕たる基を受くることを言うがごとし。

△嗚呼孺子王矣。繼自今、我其立政立事。準人・牧夫、我其克灼知厥若。丕乃俾亂、相我受民、和我庶・獄庶愼、時則勿有閒之。我者、指王而言。若、順也。周公旣述文武基業之大、歎息而言曰、孺子今旣爲王矣。繼此以往、王其於立政・立事、準人・牧夫之任、當能明知其所順。順者、其心之安也。孔子曰、察其所安、人焉廋哉。察其所順者、知人之要也。夫旣明知其所順、果正而不他。然後推心而大委任之、使展布四體以爲治、相助左右所受民、和調均齊獄愼之事、而又戒其勿以小人閒之、使得終始其治。此任人之要也。民而謂之受者、言民者乃受之於天、受之於祖宗。非成王之所自有也。
【読み】
△嗚呼孺子王たり。今より繼いで、我れ其れ政を立て事を立つ。準人・牧夫、我れ其れ克く灼[あき]らかに厥の若[したが]うことを知れり。丕いに乃ち亂[おさ]めしめて、我が受けたる民を相けて、我が庶獄・庶愼を和らげ、時[こ]れ則ち之を閒つること有る勿かれ。我は、王を指して言う。若は、順うなり。周公旣に文武の基業の大いなるを述べて、歎息して言いて曰く、孺子今旣に王爲り。此を繼いで以往、王其れ立政・立事、準人・牧夫の任に於て、當に能く明らかに其の順う所を知るべし、と。順うとは、其の心の安んずるなり。孔子曰く、其の安んずる所を察するときは、人焉んぞ廋[かく]さんや、と。其の順う所の者を察するは、人を知るの要なり。夫れ旣に明らかに其の順う所を知れば、果たして正にして他ならず。然して後に心を推して大いに之に委任して、四體に展布して以て治を爲さしめ、受くる所の民を相助け左右[たす]けて、獄愼の事を和調均齊にして、又戒むるに其の小人を以て之を閒つること勿くして、其の治を終始することを得せしむ。此れ人に任ずるの要なり。民にして之を受くと謂う者は、言うこころは、民は乃ち之を天に受け、之を祖宗に受く。成王の自ら有する所に非ざるなり。

△自一話一言、我則末惟成德之彥、以乂我受民。末、終。惟、思也。自一話一言之閒、我則終思成德之美士、以治我所受之民、而不敢斯須忘也。
【読み】
△一話一言より、我れ則ち末[つい]に成德の彥を惟[おも]いて、以て我が受けたる民を乂[おさ]む。末は、終に。惟は、思うなり。一話一言の閒より、我れ則ち終に成德の美士を思いて、以て我が受くる所の民を治めて、敢えて斯須も忘れざるなり、と。

△嗚呼予旦已受人之徽言、咸告孺子王矣。繼自今文子・文孫、其勿誤于庶獄・庶愼。惟正是乂之。前所言禹・湯・文・武任人之事、無非至美之言。我聞之於人者、已皆告孺子王矣。文子・文孫者、成王武王之文子、文王之文孫也。成王之時、法度彰、禮樂著。守成尙文。故曰文。誤、失也。有所兼、有所知、不付之有司、而以己誤之也。正、猶康誥所謂正人、與宮正・酒正之正。指當職者爲言。不以己誤庶獄・庶愼、惟當職之人是治之。下文言、其勿誤庶獄、惟有司之牧夫、卽此意。
【読み】
△嗚呼予れ旦已に人の徽[よ]き言を受けて、咸く孺子王に告す。今より繼いで文子・文孫、其れ庶獄・庶愼を誤つこと勿かれ。惟れ正にして是れ之を乂[おさ]めよ。前に言う所の禹・湯・文・武人に任ずるの事、至美の言に非ざること無し。我れ之を人に聞く者、已に皆孺子王に告ぐ。文子・文孫は、成王は武王の文子、文王の文孫なり。成王の時、法度彰らかに、禮樂著し。守成は文を尙ぶ。故に文と曰う。誤は、失うなり。兼ぬる所有り、知る所有りて、之を有司に付けずして、己を以て之を誤るなり。正は、猶康誥に所謂正人と、宮正・酒正の正のごとし。職に當たる者を指して言をす。己を以て庶獄・庶愼を誤たず、惟れ職に當たるの人是れ之を治む。下の文に言う、其れ庶獄を誤つこと勿かれ、惟れ有司の牧夫をせよとは、卽ち此の意なり。

△自古商人、亦越我周文王、立政立事。牧夫・準人、則克宅之、克由繹之、茲乃俾乂。自古及商人、及我周文王、於立政所以用三宅之道、則克宅之者、能得賢者以居其職也。克由繹之者、能紬繹用之而盡其才也。旣能宅其才以安其職、又能繹其才以盡其用、茲其所以能俾乂也歟。
【読み】
△古より商人、亦我が周の文王に越[およ]ぶまで、政を立て事を立つ。牧夫・準人、則ち克く之を宅き、克く由[もち]いて之を繹[たず]ねて、茲れ乃ち乂[おさ]めしむ。古より商人に及び、我が周の文王に及び、立政に於て三宅を用ゆる所以の道、則ち克く之を宅く者は、能く賢者を得て以て其の職に居けり。克く由いて之を繹ぬとは、能く紬繹して之を用いて其の才を盡くすなり。旣に能く其の才を宅いて以て其の職を安んじ、又能く其の才を繹ねて以て其の用を盡くす、茲れ其の能く乂めしむる所以か。

△國則罔有立政用憸人。不訓于德、是罔顯在厥世。繼自今立政、其勿以憸人。其惟吉士。用勱相我國家。勱、音邁。○自古爲國、無有立政用憸利小人者。小人而謂之憸者、形容其沾沾便捷之狀也。憸利小人、不順于德、是無能光顯以在厥世。王當繼今以往、立政勿用憸利小人。其惟用有常吉士、使勉力以輔相我國家也。呂氏曰、君子陽類。用則升其國於明昌。小人陰類。用則降其國於晻昧。陰陽升降、亦各從其類也。
【読み】
△國は則ち政を立つるに憸人[せんじん]を用ゆること有ること罔し。德に訓[したが]わず、是れ顯らかにして厥の世に在ること罔し。今より繼いで政を立つるに、其れ憸人を以ゆること勿かれ。其れ惟れ吉士をせよ。用て勱[つと]めて我が國家を相[たす]けよ。勱[ばい]は、音邁。○古より國を爲むること、政を立つるに憸利の小人を用ゆる者有ること無し。小人にして之を憸と謂うは、其の沾沾[せんせん]便捷の狀を形容するなり。憸利の小人は、德に順わず、是れ無能く光顯にして以て厥の世に在ること無し。王當に今に繼いで以往、政を立つるに憸利の小人を用ゆること勿かれ。其れ惟れ常有るの吉士を用いて、勉め力めて以て我が國家を輔け相けしめよ、と。呂氏が曰く、君子は陽の類。用ゆるときは則ち其の國を明昌に升ぐ。小人は陰の類。用ゆるときは則ち其の國を晻昧に降す。陰陽升降、亦各々其の類に從う、と。

△今文子・文孫孺子王矣。其勿誤于庶獄。惟有司之牧夫。始言和我庶獄・庶愼、時則勿有閒之、繼言其勿誤于庶獄・庶愼、惟正是乂之、至是獨曰其勿誤于庶獄、惟有司之牧夫。蓋刑者、天下之重事。挈其重而獨舉之。使成王尤知刑獄之可畏、必專有司牧夫之任、而不可以己誤之也。
【読み】
△今文子・文孫の孺子王たり。其れ庶獄を誤つこと勿かれ。惟れ有司の牧夫をせよ。始めに我が庶獄・庶愼を和らげ、時れ則ち之を閒つること有る勿かれと言い、繼いで其れ庶獄・庶愼を誤つこと勿かれ、惟れ正にして是れ之を乂めよと言い、是に至りて獨り其れ庶獄を誤つこと勿かれ、惟れ有司の牧夫をせよと曰う。蓋し刑は、天下の重事。其の重きを挈[ひさ]いで獨り之を舉ぐ。成王をして尤も刑獄の畏る可きを知らしむるに、必ず有司の牧夫の任を專らにして、己を以て之を誤つ可からず、と。

△其克詰爾戎兵、以陟禹之跡、方行天下、至于海表、罔有不服。以覲文王之耿光、以揚武王之大烈。詰、治也。治爾戎服兵器也。陟、升也。禹迹、禹服舊迹也。方、四方也。海表、四裔也。言德威所及、無不服也。覲、見也。耿光、德也。大烈、業也。於文王稱德、於武王稱業。各於其盛者稱之。呂氏曰、兵、刑之大也。故旣言庶獄、而繼以治兵之戒焉。或曰、周公之訓、稽其所弊、得無啓後世好大喜功之患乎。曰、周公詰兵之訓、繼勿誤庶獄之後。犴獄之閒、尙恐一刑之誤。況六師萬衆之命、其敢不審而誤舉乎。推勿誤庶獄之心、而奉克詰戎兵之戒。必非得已不己、而輕用民命者也。
【読み】
△其れ克く爾の戎兵を詰[おさ]めて、以て禹の跡に陟[のぼ]りて、方[よも]に天下を行いて、海表に至るまで、服せざること有る罔し。以て文王の耿[あき]らかなる光を覲[しめ]し、以て武王の大いなる烈を揚げよ。詰は、治むるなり。爾の戎服兵器を治むるなり。陟は、升るなり。禹の迹は、禹の舊迹に服するなり。方は、四方なり。海表は、四裔なり。言うこころは、德威の及ぶ所、服せざる無し。覲は、見すなり。耿光[こうこう]は、德なり。大烈は、業なり。文王に於て德を稱し、武王に於て業を稱す。各々其の盛んなる者に於て之を稱す。呂氏が曰く、兵は、刑の大なり。故に旣に庶獄を言いて、繼ぐに治兵の戒めを以てす。或ひと曰く、周公の訓、其の弊[とど]むる所を稽うるに、後世大を好み功を喜ぶの患えを啓くこと無きを得んや、と。曰く、周公兵を詰むるの訓、庶獄を誤つこと勿かれの後に繼ぐ。犴獄の閒、尙一刑の誤ちを恐る。況んや六師萬衆の命、其れ敢えて審らかにせずして誤ち舉げんや。庶獄を誤つこと勿かれの心を推して、克く戎兵を詰むるの戒めを奉ず。必ず已むことを得て己まずして、輕々しく民命を用ゆる者に非ず、と。

△嗚呼繼自今後王立政、其惟克用常人。幷周家後王、而戒之也。常人、常德之人也。皐陶曰、彰厥有常吉哉。常人與吉士、同實而異名者也。
【読み】
△嗚呼今より繼いで後の王政を立つるに、其れ惟れ克く常の人を用いよ、と。周家の後王を幷せて、之を戒むるなり。常人は、常德の人なり。皐陶曰く、彰[あらわ]れて厥れ常有れば、吉いかな、と。常人と吉士とは、實を同じくして名を異にする者なり。

△周公若曰、太史、司寇蘇公、式敬爾由獄、以長我王國、茲式有愼、以列用中罰。此周公因言愼罰、而以蘇公敬獄之事、告之太史、使其幷書、以爲後世司獄之式也。蘇、國名也。左傳蘇忿生以溫爲司寇。周公告太史以蘇忿生爲司寇。用能敬其所由之獄。培植基本、以長我王國、令於此取法而有謹焉。則能以輕重條列、用其中罰、而無過差之患矣。
【読み】
△周公若[か]く曰く、太史、司寇の蘇公、式[もっ]て爾の由れる獄を敬みて、以て我が王國に長とし、茲れ式[のっと]りて愼むこと有りて、以て列ねて中罰を用いよ、と。此れ周公因りて罰を愼むことを言いて、蘇公獄を敬むの事を以て、之を太史に告げ、其を幷せ書して、以て後世司獄の式[のり]とせしむ。蘇は、國の名なり。左傳に蘇忿生溫を以て司寇とす、と。周公太史に告げて蘇忿生を以て司寇とす。用て能く其の由る所の獄を敬む。基本を培植して、以て我が王國を長くして、此に於て法を取りて焉を謹むこと有らしむ。則ち能く輕重を以て條列して、其の中罰を用いて、過差の患え無からしむるなり。

書經卷之六  蔡沉集傳

周官 成王訓迪百官。史錄其言以周官名之。亦訓體也。今文無、古文有。○按此篇與今周禮不同。如三公・三孤、周禮皆不載。或謂、公孤兼官無正職。故不載。然三公論道經邦。三孤貳公弘化。非職乎。職任之大、無踰此矣。或又謂、師氏卽太師、保氏卽太保。然以師保之尊、而反屬司徒之職、亦無是理也。又此言、六年五服一朝。而周禮六服諸侯、有一歲一見者、二歲一見者、三歲一見者、亦與此不合。是固可疑。然周禮非聖人不能作也。意周公方條治事之官、而未及師保之職。所謂未及者、鄭重而未及言之也。書未成而公亡。其閒法制有未施用。故與此異、而冬官亦缺。要之周禮首末未備、周公未成之書也。惜哉。讀書者參互而考之、則周公經制、可得而論矣。
【読み】
周官[しゅうかん] 成王百官を訓え迪[みちび]く。史其の言を錄して周官を以て之に名づく。亦訓の體なり。今文無し、古文有り。○按ずるに此の篇と今の周禮とは同じからず。三公・三孤の如きは、周禮には皆載せず。或ひと謂く、公孤は兼官にして正職無し。故に載せず、と。然れども三公は道を論じ邦を經[おさ]む。三孤は公に貳[つ]いで化を弘む。職に非ずや。職任の大なる、此に踰ゆること無し。或ひと又謂く、師氏は卽ち太師、保氏は卽ち太保、と。然れども師保の尊きを以て、而して反って司徒の職に屬すも、亦是の理無けん。又此に言う、六年に五服一たび朝す、と。而して周禮に六服の諸侯、一歲に一見する者、二歲に一見する者、三歲に一見する者有り、亦此と合わず。是れ固に疑う可し。然れども周禮は聖人に非ざれば作ること能わず。意うに周公方に事を治むるの官を條にして、未だ師保の職に及ばず。所謂未だ及ばざる者は、鄭重にして未だ之を言うに及ばざるなり。書未だ成らずして公亡す。其の閒法制未だ施し用いざる有り。故に此と異にして、冬官も亦缺けたり。之を要するに周禮の首末未だ備わらず、周公の未だ成さざるの書なり。惜しいかな。書を讀む者參互して之を考うるときは、則ち周公の經制、得て論ず可し。

惟周王撫萬邦、巡侯・甸、四征弗庭、綏厥兆民、六服羣辟、罔不承德。歸于宗周、董正治官。此、書之本序也。庭、直也。葛氏曰、弗庭、弗來庭者。六服、侯・甸・男・采・衛、幷畿内爲六服也。禹貢五服、通畿内。周制五服、在王畿外也。周禮又有九服。侯・甸・男・采・衛・蠻・夷・鎭・蕃、與此不同。宗周、鎬京也。董、督也。治官、凡治事之官也。言成王撫臨萬國、巡狩侯・甸、四方征討不庭之國、以安天下之民。六服諸侯之君、無不奉承周德。成王歸于鎬京、督正治事之官。外攘之功舉、而益嚴内治之修也。唐孔氏曰、周制無萬國。惟伐淮夷。非四征也、大言之爾。
【読み】
惟れ周王萬邦を撫で、侯・甸[でん]を巡り、四[よも]に庭[なお]からざるを征し、厥の兆民を綏んじて、六服の羣辟、德を承けざる罔し。宗周に歸りて、治官を董[ただ]し正しくす。此れ、書の本序なり。庭は、直きなり。葛氏が曰く、弗庭は、來庭せざる者、と。六服は、侯・甸・男・采・衛と、畿内を幷せて六服とす。禹貢の五服は、畿内に通ず。周制の五服は、王畿の外に在り。周禮に又九服有り。侯・甸・男・采・衛・蠻・夷・鎭・蕃、此と同じからず。宗周は、鎬京なり。董は、督[ただ]すなり。治官は、凡そ事を治むるの官なり。言うこころは、成王萬國を撫臨し、侯・甸を巡狩し、四方に不庭の國を征討して、以て天下の民を安んず。六服の諸侯の君、周の德を奉承せざること無し。成王鎬京に歸りて、治事の官を督し正しくす。外攘の功舉げて、益々内治の修めを嚴にす。唐の孔氏が曰く、周の制に萬國無し。惟れ淮夷を伐つ。四征に非ずとは、大いに之を言うのみ。

△王曰、若昔大猷、制治于未亂、保邦于未危。治、去聲。○若昔大道之世、制治保邦于未亂未危之前。卽下文明王立政是也。
【読み】
△王曰く、昔の大いなる猷[みち]あるが若きは、治むるを未だ亂れざるに制し、邦を未だ危うからざるに保んず。治は、去聲。○昔の大道の世の若きは、邦を治め保んずること未だ亂れず未だ危うからざるの前に制す。卽ち下の文の明王政を立つるとは是れなり。

△曰、唐虞稽古、建官惟百。内有百揆・四岳、外有州牧・侯伯。庶政惟和、萬國咸寧。夏商官倍。亦克用乂。明王立政、不惟其官、惟其人。倍、薄亥反。○百揆、無所不總者。四岳、總其方岳者。州牧、各總其州者。侯伯、次州牧而總諸侯者也。百揆・四岳、總治于内、州牧・侯伯、總治于外。内外相承、體統不紊。故庶政惟和、而萬國咸安。夏商之時、世變事繁。觀其會通、制其繁簡、官數加倍、亦能用治。明王立政、不惟其官之多、惟其得人而已。
【読み】
△曰く、唐虞古に稽えて、官を建つること惟れ百。内に百揆・四岳有り、外に州牧・侯伯有り。庶政惟れ和らぎ、萬國咸寧し。夏商の官は倍[ま]す。亦克く用て乂[おさ]めたり。明王の政を立つる、惟れ其の官をせず、惟れ其れ人をす。倍は、薄亥反。○百揆は、總べざる所無き者なり。四岳は、其の方岳を總ぶる者なり。州牧は、各々其の州を總ぶる者なり。侯伯は、州牧に次いで諸侯を總ぶる者なり。百揆・四岳は、治を内に總べ、州牧・侯伯は、治を外に總ぶ。内外相承けて、體統紊れず。故に庶政惟れ和らいで、萬國咸く安し。夏商の時、世變じ事繁し。其の會通を觀、其の繁簡を制し、官數加倍すれども、亦能く用て治まる。明王の政を立つるは、惟れ其の官の多きにあらず、惟れ其れ人を得るのみ。

△今予小子、祗勤于德、夙夜不逮。仰惟前代時若、訓迪厥官。逮、徒耐反、又湯亥大計二反。○逮、及。時、是。若、順也。成王祗勤于德、早夜若有所不及然。蓋修德者、任官之本也。
【読み】
△今予れ小子、祗みて德を勤めて、夙夜逮ばざるがごとし。惟れ前の代を仰いで時[こ]れ若[したが]い、厥の官を訓え迪[みちび]く。逮は、徒耐反、又湯亥大計二反。○逮は、及ぶ。時は、是れ。若は、順うなり。成王祗みて德を勤めて、早夜に及ばざる所有るが若く然す。蓋し德を修むるは、官を任ずるの本なり。

△立太師・太傅・太保。茲惟三公、論道經邦、爕理陰陽。官不必備、惟其人。立、始辭也。三公、非始於此、立爲周家定制、則始於此也。賈誼曰、保者、保其身體。傅者、傅之德義。師、道之敎訓。此所謂三公也。陰陽、以氣言。道者、陰陽之理、恆而不變者也。易曰、一陰一陽之謂道、是也。論者、講明之謂。經者、經綸之謂。爕理者、和調之也。非經綸天下之大經、參天地之化育者、豈足以任此責。故官不必備、惟其人也。
【読み】
△太師・太傅・太保を立てたり。茲れ惟れ三公、道を論じ邦を經[おさ]め、陰陽を爕[やわ]らげ理[おさ]む。官必ずしも備えず、惟れ其の人をす。立は、始むる辭なり。三公は、此より始まるに非ず、周家の定制を立爲することは、則ち此より始まる。賈誼が曰く、保は、其の身體を保つ。傅は、之が德義を傅[たす]く。師は、之が敎訓を道く。此れ所謂三公なり、と。陰陽は、氣を以て言う。道は、陰陽の理、恆にして變ぜざる者なり。易に曰く、一陰一陽之を道と謂うとは、是れなり。論は、講明の謂なり。經は、經綸の謂なり。爕理[しょうり]は、之を和調するなり。天下の大經を經綸し、天地の化育に參なる者に非ずんば、豈以て此の責に任ずるに足らんや。故に官必ずしも備えず、惟れ其の人をす。

△少師・少傅・少保、曰三孤。貳公弘化、寅亮天地、弼予一人。少、失照反。○孤、特也。三少雖三公之貳、而非其屬官。故曰孤。天地以形言、化者、天地之用、運而無迹者也。易曰、範圍天地之化、是也。弘者、張而大之。寅亮者、敬而明之也。公論道、孤弘化。公爕理陰陽、孤寅亮天地。公論於前、孤弼於後。公孤之分如此。
【読み】
△少師・少傅・少保を、三孤と曰う。公に貳[つ]いで化を弘め、天地を寅[つつし]み亮[あき]らかにし、予れ一人を弼く。少は、失照反。○孤は、特なり。三少は三公の貳と雖も、而れども其の屬官に非ず。故に孤と曰う。天地は形を以て言い、化は、天地の用、運[うつ]りて迹無き者なり。易に曰く、天地の化を範圍すとは、是れなり。弘は、張りて之を大いにす。寅亮は、敬みて之を明らかにするなり。公は道を論じ、孤は化を弘む。公は陰陽を爕理[しょうり]し、孤は天地を寅亮[いんりょう]にす。公は前に論じ、孤は後に弼く。公孤の分此の如し。

△冢宰掌邦治、統百官、均四海。冢、大。宰、治也。天官卿、治官之長、是爲冢宰。内統百官、外均四海。蓋天子之相也。百官異職。管攝使歸于一、是之謂統。四海異宜。調劑使得其平、是之謂均。
【読み】
△冢宰は邦治を掌り、百官を統べ、四海を均しくす。冢は、大い。宰は、治むるなり。天官の卿、治官の長、是を冢宰とす。内は百官を統べ、外は四海を均しくす。蓋し天子の相なり。百官は職を異にす。管攝して一に歸せしむ、是を之れ統と謂う。四海宜しきを異にす。調劑して其の平らかなるを得せしむ、是を之れ均と謂う。

△司徒掌邦敎、敷五典、擾兆民。擾、訓也。地官卿、主國敎化、敷君臣・父子・夫婦・長幼・朋友、五者之敎、以訓擾兆民之不順者、而使之順也。唐虞司徒之官、固已職掌如此。
【読み】
△司徒は邦敎を掌り、五典を敷き、兆民を擾[なつ]く。擾は、訓くなり。地官の卿は、國の敎化を主り、君臣・父子・夫婦・長幼・朋友、五者の敎えを敷いて、以て兆民の順わざる者を訓擾して、之を順わしむるなり。唐虞の司徒の官、固に已に職掌すること此の如し。

△宗伯掌邦禮、治神人、和上下。春官卿、主邦禮、治天神・地衹・人鬼之事、和上下尊卑等列。春官於四時之序爲長。故其官、謂之宗伯。成周合樂於禮官。謂之和者、蓋以樂而言也。
【読み】
△宗伯は邦禮を掌り、神人を治め、上下を和らぐ。春官の卿は、邦禮を主り、天神・地衹・人鬼の事を治め、上下尊卑の等列を和らぐ。春官は四時の序に於て長とす。故に其の官、之を宗伯と謂う。成周は樂を禮官に合す。之を和と謂うは、蓋し樂を以て言うなり。

△司馬掌邦政、統六師、平邦國。夏官卿、主戎馬之事、掌國征伐、統御六軍、平治邦國。平、謂强不得陵弱、衆不得暴寡、而人皆得其平也。軍政莫急於馬。故以司馬名官。何莫非政。獨戎政謂之政者、用以征伐而正彼之不正。王政之大者也。
【読み】
△司馬は邦政を掌り、六師を統べ、邦國を平らかにす。夏官の卿は、戎馬の事を主り、國の征伐を掌りて、六軍を統御し、邦國を平治す。平とは、强は弱を陵ぐことを得ず、衆は寡を暴[おか]すことを得ずして、人皆其の平らかなるを得るを謂うなり。軍政は馬より急なるは莫し。故に司馬を以て官に名づく。何か政に非ざること莫けん。獨り戎政之を政と謂うは、用いて以て征伐して彼の不正を正す。王政の大なる者なればなり。

△司寇掌邦禁、詰姦慝、刑暴亂。秋官卿、主寇賊法禁。羣奸攻刧曰寇。詰姦慝、刑彊暴作亂者。掌刑不曰刑而曰禁者、禁於未然也。呂氏曰、姦慝隱而難知。故謂之詰。推鞠窮詰而求其情也。暴亂顯而易見。直刑之而已。
【読み】
△司寇は邦禁を掌り、姦慝を詰[なじ]り、暴亂を刑す。秋官の卿は、寇賊の法禁を主る。羣奸攻め刧かすを寇と曰う。姦慝を詰り、彊暴にして亂を作す者を刑す。刑を掌るに刑と曰わずして禁と曰うは、未だ然らざるを禁ずるなり。呂氏が曰く、姦慝は隱[かく]れて知り難し。故に之を詰ると謂う。推鞠窮詰して其の情を求むるなり。暴亂は顯らかにして見易し。直に之を刑するのみ。

△司空掌邦土、居四民、時地利。冬官卿、主國空土、以居土農工商四民、順天時以興地利。按周禮冬官則記考土之事。與此不同。蓋本闕冬官。漢儒以考工記當之也。
【読み】
△司空は邦土を掌り、四民を居き、地の利を時なう。冬官の卿は、國の空土を主り、以て土農工商の四民を居いて、天の時に順いて以て地の利を興す。按ずるに周禮の冬官に則ち考土の事を記す。此と同じからず。蓋し本冬官を闕けり。漢儒考工記を以て之に當つ。

△六卿分職、各率其屬、以倡九牧、阜成兆民。六卿分職、各率其屬官、以倡九州牧、自内達之於外。政治明、敎化洽。兆民之衆、莫不阜厚而化成也。按周禮每卿六十屬、六卿三百六十屬也。呂氏曰、冢宰相天子統百官。則司徒以下、無非冢宰所統。乃均列一職、而倂數之爲六者、綱、在網中也。乾坤之與六子竝列於八方、冢宰之與五卿竝列於六職也。
【読み】
△六卿職を分かちて、各々其の屬を率いて、以て九牧を倡[いざな]い、阜[おお]いに兆民を成せり。六卿職を分かちて、各々其の屬官を率いて、以て九州の牧を倡い、内より之を外に達す。政治明らかにして、敎化洽[あまね]し。兆民の衆[おお]き、阜厚にして化成せざる莫し。周禮を按ずるに每卿は六十屬、六卿は三百六十屬なり。呂氏が曰く、冢宰は天子を相け百官を統ぶ。則ち司徒より以下、冢宰の統ぶる所に非ざる無し。乃ち均しく一職に列なりて、倂せて之を數えて六とする者は、綱、網の中に在ればなり。乾坤の六子と竝に八方に列なり、冢宰の五卿と竝に六職に列なるなり。

△六年五服一朝。又六年王乃時巡。考制度于四岳。諸侯各朝于方岳、大明黜陟。五服、侯・甸・男・采・衛也。六年一朝會京師、十二年王一巡狩。時巡者、猶舜之四仲巡狩也。考制度者、猶舜之協時月正日、同律度量衡等事也。諸侯各朝方岳者、猶舜之肆覲東后也。大明黜陟者、猶舜之黜陟幽明也。疎數異時繁簡異制。帝王之治、因時損益者可見矣。
【読み】
△六年に五服一たび朝す。又六年に王乃ち時に巡る。制度を四岳に考う。諸侯各々方岳に朝して、大に黜陟を明らかにす、と。五服は、侯・甸・男・采・衛なり。六年に一たび京師に朝會し、十二年に王一たび巡狩す。時に巡るとは、猶舜の四仲の巡狩のごとし。制度を考うとは、猶舜の時月を協え日を正し、律度量衡等の事を同じくするがごとし。諸侯各々方岳に朝すとは、猶舜の肆[ここ]に東后を覲るがごとし。大いに黜陟を明らかにすとは、猶舜の幽明を黜陟するがごとし。疎數時を異にし繁簡制を異にす。帝王の治、時に因りて損益する者見る可し。

△王曰、嗚呼凡我有官君子、欽乃攸司、愼乃出令、令出惟行。弗惟反。以公滅私、民其允懷。建官之體統、前章旣訓迪之矣。此則居守官職者咸在。曰凡有官君子者、合尊卑小大、而同訓之也。反者、令出不可行、而壅逆之謂。言敬汝所主之職、謹汝所出之令、令出欲其行、不欲其壅逆而不行也。以天下之公理、滅一己之私情、則令行而民莫不敬信懷服矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼凡そ我が有官の君子、乃の司る攸を欽み、乃の令を出だすことを愼み、令出でて惟れ行え。惟れ反せざれ。公を以て私を滅ぼすときは、民其れ允に懷く。官を建つるの體統、前の章に旣に之を訓え迪く。此に則ち官職に居り守る者咸く在り。凡そ有官の君子と曰うは、尊卑小大を合わせて、同じく之を訓ずるなり。反とは、令出でて行わるる可からずして、壅逆するの謂なり。言うこころは、汝が主る所の職を敬み、汝が出だす所の令を謹み、令出づれば其の行われんことを欲し、其の壅逆して行われざることを欲せざるなり。天下の公理を以て、一己の私情を滅ぼすときは、則ち令行われて民敬信懷服せざること莫し。

△學古入官、議事以制、政乃不迷。其爾典常作之師。無以利口亂厥官。蓄疑敗謀、怠忽荒政。不學牆面、蒞事惟煩。蓄、勑六反。○學古、學前代之法也。制、裁度也。迷、錯繆也。典常、當代之法也。周家典常、皆文・武・周公之所講畫、至精至備。凡蒞官者、謹師之而已。不可喋喋利口、更改而紛亂之也。積疑不決、必敗其謀。怠惰忽略、必荒其政。人而不學、其猶正牆面而立、必無所見、而舉錯煩擾也。○蘇氏曰、鄭子產鑄刑書。晉叔向譏之曰、昔先王議事、以制不爲刑辟。其言蓋取諸此。先王人法竝任、而任人爲多。故律設大法而已。其輕重之詳、則付之人。臨事而議以制其出入。故刑簡而政淸。自唐以前、治罪科條、止於今律令而已。人之所犯、日變無窮。而律令有限。以有限治無窮、不聞有所闕。豈非人法兼行、吏猶得臨事而議乎。今律令之外、科條數萬、而不足於用、有司請立新法者、日益不已。嗚呼任法之弊、一至於此哉。
【読み】
△古を學び官に入り、事を議りて以て制[はか]れば、政乃ち迷[たが]わず。其れ爾の典常之を師と作せ。利口を以て厥の官を亂ること無かれ。疑わしきを蓄うれば謀を敗り、怠り忽にすれば政を荒[みだ]る。學びざれば牆に面[む]かうがごとく、事に蒞[のぞ]みて惟れ煩わし。蓄は、勑六反。○古を學ぶとは、前代の法を學ぶなり。制は、裁度なり。迷は、錯繆なり。典常は、當代の法なり。周家の典常は、皆文・武・周公の講畫する所にて、至精至備なり。凡そ官に蒞む者、謹みて之を師とせんのみ。喋喋たる利口、更に改めて之を紛亂す可からず。疑わしきを積んで決せざれば、必ず其の謀を敗る。怠惰忽略なれば、必ず其の政を荒る。人として學びざれば、其れ猶正に牆に面かいて立てるがごとく、必ず見る所無くして、舉錯煩擾す。○蘇氏が曰く、鄭の子產刑書を鑄る。晉の叔向之を譏りて曰く、昔先王事を議るに、制を以てして刑辟を爲らず、と。其の言蓋し此に取れり。先王は人法竝び任じて、人に任ずること多しとす。故に律は大法を設くるのみ。其の輕重の詳らかなるは、則ち之を人に付す。事に臨みて議りて以て其の出入を制す。故に刑簡[つづま]やかにして政淸し。唐より以前、罪を治むるの科條、今の律令に止まるのみ。人の犯す所、日々に變じて窮まり無し。而れども律令は限り有り。限り有るを以て窮まり無きを治め、闕く所有るを聞かず。豈に人法兼ね行うに非ずんば、吏猶事に臨みて議ることを得んや。今律令の外、科條數萬にして、用ゆるに足らず、有司新法を立てんと請う者、日々に益々已まず。嗚呼任法の弊、一に此に至れるかな、と。

△戒爾卿士。功崇惟志。業廣惟勤。惟克果斷、乃罔後艱。斷、都玩反。○此下申戒卿士也。王氏曰、功以志崇、業以仁廣。斷以勇克。此三者天下之達道也。呂氏曰、功者業之成也。業者功之積也。崇其功者存乎志。廣其業者存乎勤。勤由志而生。志待勤而遂。雖有二者、當幾而不能果斷、則志與勤虛用、而終蹈後艱矣。
【読み】
△爾卿士を戒む。功の崇きは惟れ志なり。業の廣きは惟れ勤めなり。惟れ克く果斷なるときは、乃ち後の艱[なや]み罔し。斷は、都玩反。○此より下は申ねて卿士を戒む。王氏が曰く、功は志を以て崇く、業は仁を以て廣まる。斷は勇を以て克くす。此の三つの者は天下の達道なり、と。呂氏が曰く、功は業の成れるなり。業は功の積めるなり。其の功を崇くする者は志を存す。其の業を廣くする者は勤めを存す。勤めは志に由りて生る。志は勤めを待ちて遂ぐ。二つの者有りと雖も、幾に當たりて果斷すること能わざるときは、則ち志と勤めと虛用にして、終に後艱を蹈む、と。

△位不期驕、祿不期侈、恭儉惟德、無載爾僞。作德、心逸日休。作僞、心勞日拙。載、作代反。○貴、不與驕期而驕自至。祿、不與侈期而侈自至。故居是位當知所以恭、饗是祿、當知所以儉。然恭儉豈可以聲音笑貌爲哉。當有實得於己、不可從事於僞。作德、則中外惟一。故心逸而日休休焉。作僞、則揜護不暇。故心勞而日著其拙矣。或曰、期、待也。位所以崇德、非期於爲驕。祿所以報功、非期於爲侈。亦通。
【読み】
△位は驕ることを期せず、祿は侈ることを期せず、恭儉惟れ德あり、爾が僞りを載[こと]とすること無かれ。德を作すときは、心逸くして日々に休[よ]し。僞りを作すときは、心勞[くる]しみて日々に拙し。載は、作代反。○貴きは、驕りと期せずして驕り自ら至る。祿は、侈りと期せずして侈り自ら至る。故に是の位に居りて當に恭しき所以を知るべく、是の祿を饗[う]けて、當に儉[つづま]やかなる所以を知るべし。然れども恭儉は豈聲音笑貌を以てす可けんや。當に實に己に得ること有るべく、事に僞りに從う可からず。德を作すときは、則ち中外惟れ一なり。故に心逸くして日々に休休焉たり。僞りを作すときは、則ち揜護暇あらず。故に心勞しみて日々に其の拙きを著す。或ひと曰く、期は、待つなり。位は德を崇くする所以にて、驕りをすることを期するに非ず。祿は功を報ゆる所以にて、侈りをすることを期するに非ず、と。亦通ず。

△居寵思危。罔不惟畏。弗畏入畏。居寵盛、則思危辱、當無所不致其祗畏。苟不知祗畏、則入于可畏之中矣。後之患失者、與思危相似。然思危者、以寵利爲憂、患失者、以寵利爲樂。所存大不同也。
【読み】
△寵に居るときは危うからんことを思う。惟れ畏れざること罔かれ。畏れざれば畏るるに入る。寵盛に居るときは、則ち危辱を思い、當に其の祗み畏るることを致さざる所無かるべし。苟も祗み畏るることを知らずんば、則ち畏る可きの中に入らん。後の失うことを患うる者は、危うからんことを思うと相似れり。然れども危うからんことを思う者は、寵利を以て憂えとし、失うことを患うる者は、寵利を以て樂しみとす。存する所大いに同じからず。

△推賢讓能、庶官乃和。不和政厖。舉能其官、惟爾之能。稱匪其人、惟爾不任。推、通回反。厖、莫江反。○賢、有德者也。能、有才者也。王氏曰、道二、義利而已。推賢讓能、所以爲義。大臣出於義、則莫不出於義。此庶官所以不爭而和。蔽賢害能、所以爲利。大臣出於利、則莫不出於利。此庶官所以爭而不和。庶官不和、則政必雜亂而不理矣。稱、亦舉也。所舉之人、能修其官、是亦爾之所能。舉非其人、是亦爾不勝任。古者大臣以人事君。其責如此。
【読み】
△賢を推し能に讓るときは、庶官乃ち和らぐ。和らがざるときは政厖[みだ]る。舉げて其の官を能くするは、惟れ爾が能くするなり。稱[あ]げて其の人に匪ざるは、惟れ爾が任[た]えざるなり、と。推は、通回反。厖[ぼう]は、莫江反。○賢は、德有る者なり。能は、才有る者なり。王氏が曰く、道二つ、義と利とのみ、と。賢を推して能に讓るは、義を爲す所以なり。大臣義に出づるときは、則ち義に出でざること莫し。此れ庶官爭わずして和らぐ所以なり。賢を蔽い能を害するは、利を爲す所以なり。大臣利に出づるときは、則ち利に出でざること莫し。此れ庶官爭いて和らがざる所以なり。庶官和らがざれば、則ち政必ず雜亂して理[おさ]まらず。稱も、亦舉ぐるなり。舉ぐる所の人、能く其の官を修むるは、是れ亦爾が能くする所なり。舉ぐること其の人に非ざれば、是れ亦爾が任に勝えざるなり。古は大臣人を以て君に事うる。其の責め此の如し。

△王曰、嗚呼三事曁大夫、敬爾有官、亂爾有政、以佑乃辟、永康兆民、萬邦惟無斁。辟、必益反。斁、音亦。○三事、卽立政三事也。亂、治也。篇終歎息。上自三事下至大夫、而申戒勑之也。其不及公孤者、公孤德尊位隆。非有待於戒勑也。
【読み】
△王曰く、嗚呼三事曁[およ]び大夫、爾の有官を敬み、爾の有政を亂[おさ]め、以て乃の辟を佑け、永く兆民を康んぜば、萬邦惟れ斁[いと]うこと無けん、と。辟は、必益反。斁[えき]は、音亦。○三事は、卽ち立政の三事なり。亂は、治むるなり。篇の終わりに歎息す。上は三事より下は大夫に至るまで、申ねて之を戒勑す。其の公孤に及ばざる者は、公孤は德尊く位隆し。戒勑を待つこと有るに非ず。

君陳 君陳、臣名。唐孔氏曰、周公遷殷頑民於下都、周公親自監之。周公旣歿、成王命君陳代周公。此其策命之詞。史錄其書、以君陳名篇。今文無、古文有。
【読み】
君陳[くんちん] 君陳は、臣の名。唐の孔氏が曰く、周公殷の頑民を下都に遷し、周公親自ら之を監す。周公旣に歿して、成王君陳に命じて周公に代わらしむ。此れ其の策命の詞なり。史其の書を錄して、君陳を以て篇に名づく、と。今文無し、古文有り。

王若曰、君陳、惟爾令德孝恭、惟孝、友于兄弟。克施有政。命汝尹茲東郊。敬哉。言君陳有令德、事親孝、事上恭。惟其孝友於家。是以能施政於邦。孔子曰、居家理。故治可移於官。陳氏曰、天子之國、五十里爲近郊。自王城言之、則下都乃東郊之地。故君陳・畢命、皆指下都爲東郊。
【読み】
王若[か]く曰く、君陳、惟れ爾令德ありて孝恭あり、惟れ孝あり、兄弟に友[むつ]まじ。克く政有るに施す。汝に命じて茲の東郊に尹たらしむ。敬めや。言うこころは、君陳令德有りて、親に事うるに孝あり、上に事うるに恭し。惟れ其れ家に孝友あり。是を以て能く政を邦に施す。孔子曰く、家に居りて理[おさ]まる。故に治官に移す可し、と。陳氏が曰く、天子の國、五十里を近郊とす。王城より之を言うときは、則ち下都は乃ち東郊の地なり。故に君陳・畢命に、皆下都を指して東郊とす、と。

△昔周公師保萬民、民懷其德。往愼乃司、茲率厥常。懋昭周公之訓、惟民其乂。周公之在東郊、有師之尊、有保之親。師敎之、保安之。民懷其德。君陳之往、但當謹其所司。率循其常、勉明周公之舊訓、則民其治矣。蓋周公旣歿、民方思慕周公之訓。君陳能發明而光大之。固宜其翕然聽順也。
【読み】
△昔周公萬民に師保となり、民其の德に懷けり。往いて乃の司を愼みて、茲に厥の常に率え。懋[つと]めて周公の訓えを昭らかにせば、惟れ民其れ乂[おさ]まらん。周公の東郊に在るに、師の尊き有り、保の親しみ有り。師は之を敎え、保は之を安んず。民其の德に懷く。君陳之き往いて、但當に其の司る所を謹むべし。其の常に率い循いて、周公の舊訓を勉め明らかにするときは、則ち民其れ治まる。蓋し周公旣に歿して、民方に周公の訓えを思慕す。君陳能く發明して之を光大にす。固に宜しく其れ翕然[きゅうぜん]として聽き順うべし。

△我聞曰、至治馨香、感于神明。黍稷非馨、明德惟馨。爾尙式時周公之猷訓、惟日孜孜、無敢逸豫。呂氏曰、成王旣勉君陳昭周公之訓、復舉周公精微之訓以告之。至治馨香以下四語、所謂周公之訓也。旣言此而掲之以爾尙式時周公之猷訓、則是四言、爲周公之訓明矣。物之精華、固無二體。然形質止而氣臭升。止者有方、升者無閒。則馨香者、精華之上達者也。至治之極、馨香發聞、感格神明。不疾而速。凡昭薦黍稷之苾芬、是豈黍稷之馨哉。所以苾芬者、實明德之馨也。至治舉其成、明德循其本。非有二馨香也。周公之訓、固爲精微、而舉以告君陳、尤當其可。自殷頑民言之、欲其感格、非可刑驅而勢迫。所謂洞達無閒者。蓋當深省也。自周公法度言之、典章雖具、苟無前人之德、則索然萎薾徒爲陳迹也。故勉之以用是猷訓、惟日孜孜無敢逸豫焉。是訓也、至精至微、非日新不已、深致敬篤之功、孰能與於斯。
【読み】
△我れ聞く曰く、至治の馨香は、神明を感ず、と。黍稷の馨しきに非ず、明德惟れ馨し。爾尙[ねが]わくは時[こ]の周公の猷[みち]の訓えに式[のっと]りて、惟れ日々に孜孜として、敢えて逸んじ豫[たの]しむこと無かれ。呂氏が曰く、成王旣に君陳が周公の訓えを昭らかにせんことを勉めしめ、復周公の精微の訓えを舉げて以て之に告ぐ。至治馨香以下の四語は、所謂周公の訓えなり。旣に此を言いて之を掲ぐるに爾尙わくは時の周公の猷の訓えに式るを以てするときは、則ち是の四言は、周公の訓え爲ること明らかなり、と。物の精華は、固に二體無し。然れども形質止まりて氣臭升る。止まる者は方有り、升る者は閒て無し。則ち馨香は、精華の上達する者なり。至治の極み、馨香發聞して、神明を感格す。疾からずして速やかなり。凡そ昭薦の黍稷の苾芬[ひっぷん]、是れ豈黍稷の馨ならんや。苾芬たる所以は、實に明德の馨なり。至治は其の成れるを舉げ、明德は其の本に循う。二つの馨香有るに非ず。周公の訓え、固に精微と爲りて、舉げて以て君陳に告ぐるは、尤も其の可に當たる。殷の頑民より之を言わば、其の感格を欲するは、刑驅して勢い迫る可きに非ず。所謂洞達して閒て無き者なり。蓋し當に深省すべし。周公の法度より之を言わば、典章具わると雖も、苟も前人の德無きときは、則ち索然として萎薾[いじ]して徒に陳迹を爲すなり。故に之を勉むるに是の猷の訓えを用て、惟れ日々に孜孜として敢えて逸豫すること無かれを以てす。是の訓えや、至精至微、日に新たにして已まず、深く敬篤の功を致すに非ずんば、孰か能く斯に與らん。

△凡人未見聖、若不克見。旣見聖、亦不克由聖。爾其戒哉。爾惟風。下民惟草。未見聖、如不能得見。旣見聖、亦不能由聖。人情皆然。君陳親見周公。故特申戒以此。君子之德風也。小人之德草也。草上之風必偃。君陳克由周公之訓、則商民亦由君陳之訓矣。
【読み】
△凡そ人未だ聖を見ざるときは、見ること克わざるが若し。旣に聖を見るときは、亦聖に由ること克わず。爾其れ戒めよ。爾は惟れ風なり。下民は惟れ草なり。未だ聖を見ざれば、見ることを得ること能わざるが如くす。旣に聖を見れば、亦聖に由ること能わず。人情皆然り。君陳親ら周公を見る。故に特り申ねて戒むるに此を以てす。君子の德は風なり。小人の德は草なり。草に風を上[くわ]うれば必ず偃す。君陳克く周公の訓えに由るときは、則ち商の民も亦君陳の訓えに由るなり。

△圖厥政、莫或不艱。有廢有興、出入自爾師虞。庶言同則繹。師、衆。虞、度也。言圖謀其政、無小無大、莫或不致其難。有所當廢、有所當興、必出入反覆、與衆共虞度之。衆論旣同、則又紬繹而深思之、而後行也。蓋出入自爾師虞者、所以合乎人之同、庶言同則繹者、所以斷於己之獨。孟子曰、國人皆曰賢、然後察之、國人皆曰可殺、然後察之。庶言同則繹之謂也。
【読み】
△厥の政を圖りて、艱しとせざること或る莫し。廢つること有り興すこと有り、出入爾の師々に自[したが]いて虞[はか]れ。庶言同じくば則ち繹[たず]ねよ。師は、衆。虞は、度るなり。言うこころは、其の政を圖り謀るに、小と無く大と無く、其の難きを致さざること或る莫し。當に廢つるべき所有り、當に興すべき所有り、必ず出入反覆して、衆と共に之を虞り度れ。衆論旣に同くば、則ち又紬繹して深く之を思いて、而して後に行え。蓋し出入爾の師に自いて虞れとは、人の同じきを合する所以、庶言同じくば則ち繹ねよとは、己の獨を斷つ所以なり。孟子曰く、國人皆賢と曰いて、然して後に之を察し、國人皆殺す可しと曰いて、然して後に之を察す、と。庶言同じくば則ち之を繹ねよの謂なり。

△爾有嘉謀嘉猷、則入告爾后于内、爾乃順之于外。曰、斯謀斯猷、惟我后之德。嗚呼臣人咸若時、惟良顯哉。言切於事、謂之謀、言合於道、謂之猷。道與事非二也。各舉其甚者言之。良、以德言。顯、以名言。或曰、成王舉君陳前日已陳之善、而歎息以美之也。○葛氏曰、成王殆失斯言矣。欲其臣善則稱君、人臣之細行也。然君旣有是心、至於有過、則將使誰執哉。禹聞善言則拜、湯改過不吝。端不爲此言矣。嗚呼此其所以爲成王歟。
【読み】
△爾嘉き謀嘉き猷[みち]有るときは、則ち入りて爾の后に内に告し、爾乃ち之を外に順う。曰く、斯の謀斯の猷は、惟れ我が后の德なり、と。嗚呼人に臣として咸時[かく]の若きは、惟れ良顯なるかな、と。言の事に切なる、之を謀と謂い、言の道に合う、之を猷と謂う。道と事とは二つに非ず。各々其の甚だしき者を舉げて之を言う。良は、德を以て言う。顯は、名を以て言う。或ひと曰く、成王君陳が前日已に陳ぶるの善きを舉げて、歎息して以て之を美むる、と。○葛氏が曰く、成王殆ど斯の言を失せり。其の臣の善きを欲して則ち君を稱するは、人臣の細行なり。然れども君旣に是の心有りて、過ち有るに至るときは、則ち將[はた]誰をして執らしめんや。禹は善言を聞きて則ち拜し、湯は過ちを改むること吝かならず。端に此の言を爲さず。嗚呼此れ其れ成王爲る所以か、と。

△王曰、君陳、爾惟弘周公丕訓。無依勢作威。無倚法以削。寬而有制、從容以和。從、七恭反。○此篇言周公訓者三。曰懋昭、曰式時、至此則弘周公之丕訓、欲其益張而大之也。君陳何至倚勢以爲威、倚法以侵削者。然勢我所有也。法我所用也。喜怒予奪、毫髪不於人而於己、是私意也。非公理也。安能不作威以削乎。君陳之世、當寬和之時也。然寬不可一於寬、必寬而有其制。和不可一於和、必從容以和之、而後可以和厥中也。
【読み】
△王曰く、君陳、爾惟れ周公の丕いなる訓えを弘めよ。勢いに依りて威を作すこと無かれ。法に倚りて以て削ること無かれ。寬かにして制[はか]ること有り、從容にして以て和らげ。從は、七恭反。○此の篇周公の訓えを言う者三つ。懋[つと]めて昭らかにせよと曰い、時[これ]に式[のっと]れと曰い、此に至りて則ち周公の丕いなる訓えを弘め、其の益々張りて之を大いにせんことを欲す。君陳何ぞ勢いに倚りて以て威を爲し、法に倚りて以て侵削する者に至らん。然れども勢いは我が有する所なり。法は我が用ゆる所なり。喜怒予奪、毫髪も人に於てせずして己に於てするは、是れ私意なり。公理に非ず。安んぞ能く威を作して以て削らざらんや。君陳の世は、寬和の時に當たる。然れども寬も寬に一なる可からず、必ず寬にして其の制ること有り。和も和に一なる可からず、必ず從容にして以て之を和らいで、而して後に以て厥の中を和らぐ可し。

△殷民在辟、予曰辟、爾惟勿辟。予曰宥、爾惟勿宥。惟厥中。辟、毘亦反。○上章成王慮君陳徇己。此則慮君陳之徇君也。言殷民之在刑辟者、不可徇君以爲生殺、惟當審其輕重之中也。
【読み】
△殷の民の辟[つみ]に在るを、予れ辟せよと曰うとも、爾惟れ辟すること勿かれ。予れ宥めよと曰うとも、爾惟れ宥むること勿かれ。惟れ厥の中をせよ。辟は、毘亦反。○上の章は成王が君陳の己に徇わんことを慮る。此には則ち君陳の君に徇わんことを慮る。言うこころは、殷民の刑辟に在る者は、君に徇いて以て生殺を爲す可からず、惟れ當に其の輕重の中を審らかにすべし。

△有弗若于汝政、弗化于汝訓、辟以止辟、乃辟。其有不順于汝之政、不化于汝之訓、刑之可也。然刑期無刑。刑而可以止刑者、乃刑之。此終上章之辟。
【読み】
△汝の政に若わず、汝の訓えに化せざること有らば、辟して以て辟を止めば、乃ち辟せよ。其れ汝の政に順わず、汝の訓えに化せざること有らば、之を刑して可なり。然れども刑は刑無きを期す。刑して以て刑を止む可き者は、乃ち之を刑す。此れ上の章の辟するを終う。

△狃于姦宄、敗常亂俗、三細不宥。狃、女九反。○狃、習也。常、典常也。俗、風俗也。狃于姦宄、與夫毀敗典常、壞亂風俗、人犯此三者、雖小罪、亦不可宥。以其所關者大也。此終上章之宥。
【読み】
△姦宄[かんき]に狃[な]れ、常を敗り俗を亂るは、三つは細[すこ]しきなりとも宥さず。狃[じゅう]は、女九反。○狃は、習るるなり。常は、典常なり。俗は、風俗なり。姦宄に狃るると、夫の典常を毀り敗り、風俗を壞り亂ると、人此の三つの者を犯さば、小罪と雖も、亦宥むる可からず。其の關る所の者大いなるを以てなり。此れ上の章の宥むるを終う。

△爾無忿疾于頑。無求備于一夫。無忿疾人之所未化。無求備人之所不能。
【読み】
△爾頑ななるを忿り疾[にく]むこと無かれ。一夫に備わらんことを求むること無かれ。人の未だ化せざる所を忿り疾むこと無かれ。人の能わざる所に備わらんことを求むること無かれ、と。

△必有忍、其乃有濟。有容、德乃大。孔子曰、小不忍、則亂大謀。必有所忍、而後能有所濟。然此猶有堅制力蓄之意、若洪裕寬綽、恢恢乎有餘地者。斯乃德之大也。忍言事、容言德。各以深淺言也。
【読み】
△必ず忍ぶこと有るときは、其れ乃ち濟[な]すこと有り。容るること有るときは、德乃ち大なり。孔子曰く、小を忍びざるときは、則ち大謀を亂る、と。必ず忍ぶ所有りて、而して後に能く濟す所有り。然れども此れ猶堅制力蓄の意有り、洪裕寬綽、恢恢乎として餘地有る者の若し。斯れ乃ち德の大なり。忍ぶに事を言い、容るるに德を言う。各々深淺を以て言えり。

△簡厥修、亦簡其或不修。進厥良、以率其或不良。王氏曰、修、謂其職業。良、謂其行義。職業、有修與不修。當簡而別之、則人勸功。進行義之良者、以率其不良、則人勵行。
【読み】
△厥の修むるを簡[えら]び、亦其の修まらざること或るを簡べ。厥の良きを進めて、以て其の良からざること或るを率いよ。王氏が曰く、修は、其の職業を謂う。良は、其の行義を謂う。職業に、修むると修まらざると有り。當に簡びて而之を別つときは、則ち人功に勸む。行義の良き者を進めて、以て其の良からざるを率ゆるときは、則ち人行いを勵[はげ]む、と。

△惟民生厚。因物有遷。違上所命、從厥攸好。爾克敬典在德、時乃罔不變。允升于大猷。惟予一人膺受多福、其爾之休、終有辭於永世。言斯民之生、其性本厚。而所以澆薄者、以誘於習俗、而爲物所遷耳。然厚者旣可遷而薄、則薄者豈不可反而厚乎。反薄帰厚、特非聲音笑貌之所能爲爾。民之於上、固不從其令而從其好。大學言、其所令、反其所好、則民不從、亦此意也。敬典者、敬其君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友之常道也。在德者、得其典常之道、而著之於身也。蓋知敬典而不知在德、則典與我猶二也。惟敬典而在德焉、則所敬之典、無非實有諸己。實之感人、捷於桴鼓。所以時乃罔不變、而信升于大猷也。如是、則君受其福、臣成其美、而有令名於永世矣。
【読み】
△惟れ民の生[ひととなり]厚し。物に因りて遷ること有り。上の命ずる所に違いて、厥の好みんずる攸に從う。爾克く典を敬み德に在[おい]てせば、時[こ]れ乃ち變わらざること罔けん。允に大いなる猷[みち]に升らん。惟れ予れ一人多福を膺[あた]り受け、其れ爾の休きこと、終に永き世まで辭有らん、と。言うこころは、斯れ民の生、其の性本厚し。而して澆薄[ぎょうはく]なる所以は、習俗に誘わるるを以て、物の爲に遷さるるのみ。然れども厚き者旣に遷りて薄くなる可きときは、則ち薄き者豈反して厚くす可からざらんや。薄きを反して厚きに帰すは、特に聲音笑貌の能くする所に非ざるのみ。民の上に於る、固に其の令に從わずして其の好みんずるに從う。大學に言く、其の令する所、其の好みんずる所に反するときは、則ち民從わずとは、亦此の意なり。典を敬むとは、其の君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友の常の道を敬むなり。德に在てすとは、其の典常の道を得て、之を身に著すなり。蓋し典を敬むことを知りて德に在てすることを知らざるときは、則ち典と我と猶二つのごとし。惟れ典を敬みて德に在てするときは、則ち敬む所の典、實に己に有るに非ざる無し。實の人に感ずるは、桴鼓より捷し。時れ乃ち變わらざること罔くして、信に大猷に升る所以なり。是の如くんば、則ち君其の福を受け、臣其の美を成して、永世まで令名有るなり。     

顧命 顧、還視也。成王將崩、命羣臣立康王。史序其事爲篇。謂之顧命者、鄭玄云、回首曰顧。臨死回顧而發命也。今文古文皆有。○呂氏曰、成王經三監之變、王室幾揺。故此正其終始特詳焉。顧命、成王所以正其終、康王之誥、康王所以正其始。
【読み】
顧命[こめい] 顧は、還り視るなり。成王將に崩ぜんとして、羣臣に命じて康王を立つ。史其の事を序で篇を爲す。之を顧命と謂うは、鄭玄が云う、首を回すを顧と曰う。死に臨みて回顧して命を發するなり、と。今文古文皆有り。○呂氏が曰く、成王三監の變を經て、王室幾ど揺らぐ。故に此れ其の終始を正しくしくすること特に詳らかなり。顧命は、成王の其の終わりを正しくする所以、康王の誥は、康王の其の始めを正しくする所以なり、と。

惟四月哉生魄、王不懌。始生魄、十六日。王有疾。故不悅懌。
【読み】
惟れ四月哉[はじ]めて魄を生すときに、王懌びず。始めて魄を生すとは、十六日なり。王疾有り。故に悅懌[せつえき]せず。

△甲子、王乃洮頮水、相被冕服、憑玉几。洮、音桃。頮、音悔。○王發大命臨羣臣、必齊戒沐浴。今疾病危殆。故但洮盥頮面、扶相者被以袞冕、憑玉几以發命。
【読み】
△甲子[きのえ・ね]、王乃ち水に洮頮[とうかい]し、相けられて冕服を被[き]て、玉几に憑る。洮は、音桃。頮は、音悔。○王大命を發して羣臣に臨むに、必ず齊戒沐浴す。今疾病危殆なり。故に但洮盥頮面して、扶け相くる者被するに袞冕を以てし、玉几に憑きて以て命を發す。

△乃同召太保奭・芮伯・彤伯・畢公・衛侯・毛公・師氏・虎臣・百尹・御事。召、直笑反。芮、如稅反。彤、音全。○同召六卿、下至御治事者。太保・芮伯・彤伯・畢公・衛侯・毛公、六卿也。冢宰第一、召公領之。司徒第二、芮伯爲之。宗伯第三、彤伯爲之。司馬第四、畢公領之。司寇第五、衛侯爲之。司空第六、毛公領之。太保・畢・毛、三公兼也。芮・彤・畢・衛・毛、皆國名。入爲天子公卿。師氏、大夫官。虎臣、虎賁氏。百尹、百官之長、及諸御治事者。平時則召六卿使帥其屬。此則將發顧命、自六卿至御事、同以王命召也。
【読み】
△乃ち同じく太保奭[せき]・芮伯[ぜいはく]・彤伯[とうはく]・畢公・衛侯・毛公・師氏・虎臣・百尹・御事を召す。召は、直笑反。芮は、如稅反。彤は、音全。○同じく六卿を召し、下は御治事の者までに至る。太保・芮伯・彤伯・畢公・衛侯・毛公は、六卿なり。冢宰は第一、召公之を領[す]ぶ。司徒は第二、芮伯之をす。宗伯は第三、彤伯之をす。司馬は第四、畢公之を領ぶ。司寇は第五、衛侯之をす。司空は第六、毛公之を領ぶ。太保・畢・毛は、三公を兼ぬるなり。芮・彤・畢・衛・毛は、皆國の名。入りて天子の公卿と爲る。師氏は、大夫の官。虎臣は、虎賁[こほん]なり。百尹は、百官の長、及び諸々の御治事の者なり。平時には則ち六卿を召して其の屬を帥いしむ。此には則ち將に顧命を發せんとして、六卿より御事に至るまで、同じく王命を以て召すなり。

△王曰、嗚呼疾大漸惟幾。病日臻、旣彌留。恐不獲誓言嗣。茲予審訓命汝。此下成王之顧命也。自嘆其疾大進惟危殆、病日至、旣彌甚而留連。恐遂死、不得誓言以嗣續我志。此我所以詳審發訓命汝。統言曰疾、甚言曰病。
【読み】
△王曰く、嗚呼疾大いに漸[すす]みて惟れ幾[あや]うし。病日々に臻[いた]りて、旣に彌々留まれり。恐れらくは誓言の嗣ぐことを獲ざらんことを。茲に予れ訓えを審らかに汝に命ず。此より下は成王の顧命なり。自ら嘆ずるに、其の疾大いに進みて惟れ危殆にして、病日々に至りて、旣に彌々甚だしくして留連す。恐れらくは遂に死んで、誓言して以て我が志を嗣ぎ續ぐことを得ざらんことを。此れ我が詳審に訓えを發して汝に命ずる所以なり。統べて言えば疾と曰い、甚だしくして言えば病と曰う。

△昔君文王・武王、宣重光、奠麗陳敎則肄。肄不違、用克達殷集大命。武、猶文。謂之重光、猶舜如堯謂之重華也。奠、定。麗、依也。言文武宣布重明之德、定民所依。陳列敎條則民皆服。習而不違、天下化之、用能達於殷邦、而集大命於周也。
【読み】
△昔の君文王・武王、重光を宣[し]きて、麗[つ]くことを奠[さだ]め敎えを陳ぶるときは則ち肄[なら]う。肄いて違わず、用て克く殷に達[いた]りて大命を集[な]せり。武は、猶文のごとし。之を重光と謂うは、猶舜堯の如くにして之を重華と謂うがごとし。奠は、定むる。麗は、依るなり。言うこころは、文武重明の德を宣べ布きて、民の依る所を定む。敎條を陳べ列ねて則ち民皆服す。習いて違わず、天下之に化して、用て能く殷の邦に達して、大命を周に集せり。

△在後之侗、敬迓天威、嗣守文武大訓、無敢昏逾。侗、音同。○侗、愚也。成王自稱言、其敬迎上天威命、而不敢少忽、嗣守文武大訓、而無敢昏逾。天威、天命也。大訓、述天命者也。於天言天威、於文武言大訓、非有二也。
【読み】
△後に在るの侗[おろ]かなる、敬みて天威を迓[むか]えて、嗣いで文武の大いなる訓えを守りて、敢えて昏く逾ゆること無し。侗[とう]は、音同。○侗は、愚かなり。成王自ら稱して言く、其れ敬みて上天の威命を迎えて、敢えて少しも忽にせず、文武の大訓を嗣ぎ守りて、敢えて昏く逾ゆること無し、と。天威は、天命なり。大訓は、天命を述ぶる者なり。天に於ては天威と言い、文武に於ては大訓と言えども、二つ有るに非ず。

△今天降疾殆弗興弗悟。爾尙明時朕言、用敬保元子釗、弘濟于艱難。釗、音昭。○釗、康王名。成王言、今天降疾、我身殆將必死。弗興弗悟。爾庶幾明是我言、用敬保元子釗、大濟于艱難。曰元子者、正其統也。
【読み】
△今天疾を降して殆ど興[た]たず悟[さ]めず。爾尙わくは時[こ]の朕が言を明らかにして、用て敬みて元子の釗[しょう]を保んじて、弘[おお]いに艱難を濟[わた]せ。釗は、音昭。○釗は、康王の名なり。成王言く、今天疾を降し、我が身殆ど將に必ず死せんとす。興たず悟めず。爾庶幾わくは是の我が言を明らかにして、用て敬みて元子の釗を保んじ、大いに艱難を濟せ、と。元子と曰うは、其の統を正すなり。

△柔遠能邇、安勸小大庶邦。懷來馴擾、安寧勸導、皆君道所當盡者。合遠邇小大而言、又以見君德所施、公平周溥、而不可有所偏滯也。
【読み】
△遠きを柔らげ邇きを能くし、小大の庶邦を安んじ勸めよ。懷來馴擾、安寧勸導は、皆君道當に盡くすべき所の者なり。遠邇小大を合わせて言い、又以て君德の施す所、公平周溥[しゅうふ]にして、偏滯する所有る可からざることを見すなり。

△思夫人自亂于威儀。爾無以釗冒貢于非幾。亂、治也。威者、有威可畏。儀者、有儀可象。舉一身之則而言也。蓋人受天地之中以生。是以有動作威儀之則。成王思夫人之所以爲人者、自治于威儀耳。自治云者、正其身而不假於外求也。貢、進也。成王又言、羣臣其無以元子而冒進於不善之幾也。蓋幾者、動之微而善惡之所由分也。非幾、則發於不善而陷於惡矣。威儀、舉其著於外者而勉之也。非幾、舉其發於中者而戒之也。威儀之治、皆本於一念一慮之微。可不謹乎。孔子所謂知幾、子思所謂謹獨、周子所謂幾善惡者、皆致意於是也。成王垂絕之言、而拳拳及此。其有得於周公者亦深矣。○蘇氏曰、死生之際、聖賢之所甚重也。成王將崩之一日、被冕服以見百官、出經遠保世之言。其不死於燕安婦人之手也明矣。其致刑措宜哉。
【読み】
△夫人[ひとびと]を思うに自ら威儀を亂[おさ]む。爾釗を以て非幾に冒し貢[すす]むこと無かれ、と。亂は、治むるなり。威は、威有りて畏る可し。儀は、儀有りて象る可し。一身の則を舉げて言うなり。蓋し人は天地の中を受けて以て生ず。是を以て動作威儀の則有り。成王夫人の人爲る所以の者を思うに、自ら威儀を治むるのみ。自ら治むと云うは、其の身を正しくして外に求むることを假らざるなり。貢は、進むなり。成王又言う、羣臣其れ元子を以て不善の幾に冒し進むこと無かれ、と。蓋し幾は、動の微にして善惡の由りて分かる所なり。非幾は、則ち不善に發して惡に陷るなり。威儀は、其の外に著るる者を舉げて之を勉めしむ。非幾は、其の中より發する者を舉げて之を戒むるなり。威儀の治は、皆一念一慮の微に本づく。謹まざる可けんや。孔子の所謂幾を知る、子思の所謂獨を謹む、周子の所謂幾に善惡ありという者は、皆意を是に致すなり。成王垂絕の言にして、拳拳として此に及ぶ。其れ周公に得ること有る者亦深し。○蘇氏が曰く、死生の際は、聖賢の甚だ重んずる所なり。成王將に崩ぜんとするの一日、冕服を被て以て百官に見えて、遠きを經[おさ]め世を保んずるの言を出だす。其の燕安に婦人の手に死せざること明らかなり。其の刑措を致すこと宜なるかな。

△茲旣受命還。出綴衣于庭。越翼日乙丑、王崩。還、音旋。○綴衣、幄帳也。羣臣旣退、徹出幄帳於庭。喪大記云、疾病、君徹縣東首於北牖下、是也。於其明日王崩。
【読み】
△茲に旣に命を受けて還る。綴衣[ていい]を庭に出だす。越[ここ]に翼日の乙丑[きのと・うし]、王崩ず。還は、音旋。○綴衣は、幄帳なり。羣臣旣に退いて、幄帳を庭に徹出す。喪大記に云う、疾病なるときは、君縣を徹し北牖の下に東首すとは、是れなり。其の明日に於て王崩ず。

△太保命仲桓・南宮毛、俾爰齊侯呂伋、以二干戈、虎賁百人、逆子釗於南門之外、延入翼室、恤宅宗。桓・毛、二臣名。伋、太公望子、爲天子虎賁氏。延、引也。翼室、路寢旁、左右翼室也。太保、以冢宰攝政。命桓・毛二臣、使齊侯呂伋、以二干戈、虎賁百人、逆太子釗于路寢門外、引入路寢翼室、爲憂居宗主也。呂氏曰、發命者冢宰。傳命者兩朝臣。承命者勳戚顯諸侯。體統尊嚴、樞機周密、防危慮患之意深矣。入自端門、萬姓咸覩與天下共之也。延入翼室、爲憂居之宗、示天下不可一日無統也。唐穆・敬・文・武以降、閹寺執國命易王於宮掖、而外廷猶不聞。然後知、周家之制、曲盡備豫。雖一條一節、亦不可廢也。
【読み】
△太保仲桓・南宮毛に命じて、爰に齊侯呂伋をして、二つの干戈、虎賁[こほん]百人を以て、子釗を南門の外に逆[むか]えて、延[ひ]いて翼室に入れて、恤宅の宗たらしむ。桓・毛は、二臣の名。伋は、太公望の子、天子の虎賁氏爲り。延は、引くなり。翼室は、路寢の旁、左右の翼室なり。太保は、冢宰を以て政を攝す。桓・毛二臣に命じて、齊侯呂伋をして、二つの干戈、虎賁百人を以て、太子釗を路寢の門外に逆えて、引いて路寢の翼室に入れて、憂居の宗主たらしむ。呂氏が曰く、命を發する者は冢宰。命を傳うる者は兩朝の臣。命を承くる者は勳戚顯らかなる諸侯。體統尊嚴、樞機周密、危きを防ぎ患えを慮るの意深し、と。端門より入るは、萬姓咸覩て天下と之を共にするなり。延いて翼室に入りて、憂居の宗爲らしむるは、天下一日も統無かる可からざることを示すなり。唐の穆・敬・文・武より以降、閹寺國命を執りて王を宮掖に易えて、外廷猶聞かず。然して後に知る、周家の制、曲[つぶさ]に盡くして備[つぶさ]に豫めす。一條一節と雖も、亦廢つ可からざることを。

△丁卯、命作册度。命史爲册書法度、傳顧命於康王。
【読み】
△丁卯[ひのと・う]、命じて册度を作る。史に命じて册書法度を爲らしめ、顧命を康王に傳う。

△越七日癸酉、伯相命士須材。伯相、召公也。召公以西伯爲相。須、取也。命士取材木以供喪用。
【読み】
△越[ここ]に七日癸酉[みずのと・とり]、伯相士に命じて材を須[と]る。伯相は、召公なり。召公西伯を以て相と爲る。須は、取るなり。士に命じて材木を取りて以て喪の用に供す。

△狄設黼扆綴衣。扆、隱豈反。○狄、下土。祭統云、狄者、樂吏之賤者也。喪大記、狄人設階。蓋供喪役、而典設張之事者也。黼扆、屛風。畫爲斧文者。設黼扆幄帳、如成王生存之日也。
【読み】
△狄黼扆[ふい]綴衣[ていい]を設く。扆は、隱豈反。○狄は、下土なり。祭統に云う、狄は、樂吏の賤しき者、と。喪大記に、狄人階を設く、と。蓋し喪の役を供して、設張の事を典る者なり。黼扆は、屛風。斧文を畫き爲す者なり。黼扆幄帳を設くること、成王生存の日の如し。

△牖閒南嚮、敷重篾席黼純。華玉仍几。篾、莫結反。○此平時見羣臣覲諸侯之坐也。敷設重席、所謂天子之席三重者也。篾席、桃竹枝席也。黼、白黑雜繒。純、緣也。華、彩色也。華玉、以飾几。仍、因也。因生時所設也。周禮、吉事變几、凶事仍几是也。
【読み】
△牖の閒に南に嚮かいて、篾席[べっせき]の黼[えが]ける純[へり]せるを敷き重ねたり。華玉の仍[よ]れる几あり。篾は、莫結反。○此れ平時羣臣に見え諸侯に覲ゆるの坐なり。重席を敷き設くるは、所謂天子の席三重なる者なり。篾席は、桃竹の枝の席なり。黼は、白黑の雜れる繒。純は、緣なり。華は、彩色なり。華玉は、以て几を飾る。仍は、因るなり。生時設くる所に因るなり。周禮に、吉事には變几、凶事には仍几とは是れなり。

△西序東嚮、敷重厎席綴純。文貝仍几。此旦夕聽事之坐也。東西廂謂之序。厎席、蒲席也。綴、雜彩。文貝、有文之貝。以飾几也。
【読み】
△西の序[ひさし]に東に嚮かいて、厎席の綴れる純せるを敷き重ねたり。文貝の仍れる几あり。此れ旦夕事を聽くの坐なり。東西の廂之を序と謂う。厎席は、蒲席なり。綴は、雜れる彩。文貝は、文有るの貝。以て几を飾るなり。

△東序西嚮、敷重豐席畫純。雕玉仍几。此養國老、饗羣臣之坐也。豐席、筍席也。畫、彩色。雕、刻鏤也。
【読み】
△東の序に西に嚮かいて、豐席の畫ける純せるを敷き重ねたり。雕玉の仍れる几あり。此れ國老を養い、羣臣を饗するの坐なり。豐席は、筍席なり。畫は、彩色。雕は、刻鏤なり。

△西夾南嚮、敷重筍席玄紛純。漆仍几。此親属私燕之坐也。西廂來來之前。筍席、竹席也。紛、雜也。以玄黑之色、雜爲之緣。漆、漆几也。牖閒兩序西夾、其席有四。牖戶之閒、謂之扆。天子負扆朝諸侯、則牖閒南嚮之席、坐之正也。其三席各隨事以時設也。將傳先王顧命、知神之在此在彼乎。故兼設平生之坐也。
【読み】
△西夾に南に嚮かいて、筍席の玄く紛[まじ]われる純せるを敷き重ねたり。漆ぬり仍れる几あり。此れ親属私燕の坐なり。西廂來來の前なり。筍席は、竹席なり。紛は、雜わるなり。玄黑の色を以て、雜えて緣を爲る。漆は、漆几なり。牖閒兩序の西夾に、其の席四つ有り。牖戶の閒、之を扆[い]と謂う。天子扆を負いて諸侯に朝しむるときは、則ち牖閒南に嚮かうの席は、坐の正なり。其の三席各々事に隨いて時を以て設く。將に先王の顧命を傳えんとして、神の此に在すか彼に在すかと知る。故に平生の坐を兼ね設く。

△越玉五重、陳寶。赤刀・大訓・弘璧・琬琰、在西序。大玉・夷玉・天球・河圖、在東序。胤之舞衣、大貝・鼖鼓、在西房。兌之戈、和之弓、垂之竹矢、在東房。於東西序座北、列玉五重、及陳先王所寶器物。赤刀、赤削也。大訓、三皇五帝之書。訓誥亦在焉。文武之訓、亦曰大訓。弘璧、大璧也。琬琰、圭名。夷、常也。球、鳴球也。河圖、伏羲時龍馬負圖出於河。一六位北、二七位南、三八位東、四九位西、五十居中者。易大傳所謂河出圖是也。胤、國名。胤國所制舞衣。大貝、如車渠。鼖鼓、長八尺。兌・和、皆古之巧工。垂、舜時共工。舞衣・鼖鼓・戈・弓・竹矢、皆制作精巧中法度。故歷代傳寶之。孔氏曰、弘璧・琬琰・大玉・夷玉・天球、玉之五重也。呂氏曰、西序所陳、不惟赤刀・弘璧、而大訓參之。東序所陳、不惟大玉・夷玉、而河圖參之。則其所寶者、斷可識矣。愚謂、寶玉器物之陳、非徒以爲國容觀美。意者成王平日之所觀閱、手澤在焉。陳之以象其生存也。楊氏中庸傳曰、宗器於祭陳之、示能守也。於顧命陳之、示能傳也。
【読み】
△越[ここ]に玉五重あり、寶を陳ぬ。赤刀・大訓・弘璧・琬琰[えんえん]、西の序に在り。大玉・夷玉・天球・河圖、東の序に在り。胤の舞衣、大貝・鼖鼓[ふんこ]、西の房に在り。兌の戈、和の弓、垂の竹矢、東の房に在り。東西の序の座の北に於て、玉五重を列ね、及び先王の寶とする所の器物を陳ぬ。赤刀は、赤削なり。大訓は、三皇五帝の書。訓誥も亦焉に在り。文武の訓も、亦大訓と曰う。弘璧は、大璧なり。琬琰は、圭の名。夷は、常なり。球は、鳴球なり。河圖は、伏羲の時龍馬圖を負いて河より出づ。一六は北に位し、二七は南に位し、三八は東に位し、四九は西に位し、五十は中に居る者なり。易の大傳に所謂河圖を出だすとは是れなり。胤は、國の名。胤國の制する所の舞衣なり。大貝は、車渠の如し。鼖鼓は、長さ八尺。兌・和は、皆古の巧工。垂は、舜の時の共工。舞衣・鼖鼓・戈・弓・竹矢は、皆制作精巧にして法度に中る。故に歷代傳えて之を寶とす。孔氏が曰く、弘璧・琬琰・大玉・夷玉・天球は、玉の五重なり、と。呂氏が曰く、西の序に陳ぬる所は、惟赤刀・弘璧のみならずして、大訓之を參えり。東序に陳ぬる所は、惟大玉・夷玉のみならずして、河圖之を參えり。則ち其の寶とする所の者、斷じて識る可し、と。愚謂えらく、寶玉器物の陳ぬる、徒に以て國容觀美の爲には非ず。意うに成王平日の觀閱する所、手澤焉に在り。之を陳ねて以て其の生存に象るなり。楊氏中庸の傳に曰く、宗器祭に於て之を陳ぬるは、能く守ることを示す。顧命に於て之を陳ぬるは、能く傳うることを示す、と。

△大輅在賓階面。綴輅在阼階面。先輅在左塾之前。次輅在右塾之前。大輅、玉輅也。綴輅、金輅也。先輅、木輅也。次輅、象輅・革輅也。王之五輅、玉輅以祀不以封、爲最貴。金輅以封同姓、爲次之。象輅以封異姓、爲又次之。革輅以封四衛、爲又次之。木輅以封蕃國、爲最賤。其行也、貴者宜自近、賤者宜遠也。王乘玉輅、綴之者金輅也。故金輅謂之綴輅。最遠者木輅也。故木輅謂之先輅。以木輅爲先輅、則革輅・象輅爲次輅矣。賓階、西階也。阼階、東階也。面、南嚮也。塾、門側堂也。五輅陳列、亦象成王之生存也。周禮典輅云、若有大祭祀、則出輅。大喪・大賓客亦如之。是大喪出輅、爲常禮也。又按所陳寶玉器物、皆以西爲上者、成王殯在西序故也。
【読み】
△大輅[たいろ]賓階の面に在り。綴輅[ていろ]阼階[そかい]の面に在り。先輅左塾の前に在り。次輅右塾の前に在り。大輅は、玉輅なり。綴輅は、金輅なり。先輅は、木輅なり。次輅は、象輅・革輅なり。王の五輅、玉輅は祀に以てし封ずるに以てせず、最も貴しとす。金輅は以て同姓を封じ、之に次とす。象輅は以て異姓を封じ、又之に次とす。革輅は以て四衛を封じ、又之に次とす。木輅は以て蕃國を封じ、最も賤しきとす。其の行や、貴き者は宜しく近くよりすべく、賤しき者は宜しく遠ざくべし。王玉輅に乘り、之に綴[つら]ぬる者は金輅なり。故に金輅之を綴輅と謂う。最も遠き者は木輅なり。故に木輅之を先輅と謂う。木輅を以て先輅とするときは、則ち革輅・象輅を次輅とす。賓階は、西階なり。阼階は、東階なり。面は、南に嚮かうなり。塾は、門の側の堂なり。五輅陳ね列ぬるも、亦成王の生存に象るなり。周禮の典輅に云う、若し大祭祀有るときは、則ち輅を出だす。大喪・大賓客にも亦之の如し、と。是れ大喪に輅を出だすは、常の禮爲り。又按ずるに陳ぬる所の寶玉器物、皆西を以て上とするは、成王の殯の西の序に在る故なり。

△二人雀弁執惠、立于畢門之内。四人綦弁、執戈上刃、夾兩階戺。一人冕執劉、立于東堂。一人冕執鉞、立于西堂。一人冕執戣、立于東垂。一人冕執瞿、立于西垂。一人冕執銳、立于側階。戺、鉏里反。戣、音逵。○弁、士服。雀弁、赤色弁也。綦弁、以文鹿子皮爲之。惠、三隅矛。路寢門、一名畢門。上刃、刃外嚮也。堂廉曰戺。冕、大夫服。劉、鉞屬。戣・瞿、皆戟屬。銳、當作鈗。說文曰、鈗、侍臣所執兵、從金允聲。周書曰、一人冕執鈗。讀若允。東西堂、路寢東西廂之前堂也。東西垂、路寢東西序之階上也。側階、北陛之階上也。○呂氏曰、古者執戈戟以宿衛宮、皆士大夫之職。無事而奉燕私、則從容養德、而有膏澤之潤。有事而司禦侮、則堅明守義、而無腹心之虞。下及秦漢陛楯執戟、尙餘一二。此制旣廢。人主接士大夫者、僅有視朝數刻、而周廬陛楯、或環以椎埋嚚悍之徒。有志於復古者、當深繹也。
【読み】
△二人雀弁して惠を執りて、畢門の内に立てり。四人綦弁[きべん]して、戈[か]を執りて刃を上にして、兩階の戺[し]を夾めり。一人冕して劉を執りて、東堂に立てり。一人冕して鉞[えつ]を執りて、西堂に立てり。一人冕して戣[き]を執りて、東垂に立てり。一人冕して瞿[く]を執りて、西垂に立てり。一人冕して銳を執りて、側階に立てり。戺は、鉏里反。戣は、音逵[き]。○弁は、士の服。雀弁は、赤色の弁なり。綦弁は、文鹿子の皮を以て之を爲る。惠は、三隅の矛。路寢の門、一には畢門と名づく。刃を上にするは、刃外に嚮かうなり。堂の廉[かど]を戺と曰う。冕は、大夫の服。劉は、鉞の屬。戣・瞿は、皆戟の屬。銳は、當に鈗[いん]に作るべし。說文に曰く、鈗は、侍臣執る所の兵、金允の聲に從う、と。周書に曰く、一人冕して鈗を執る。讀んで允の若し、と。東西の堂は、路寢の東西の廂の前の堂なり。東西の垂は、路寢の東西の序の階上なり。側階は、北陛の階上なり。○呂氏が曰く、古は戈戟を執りて以て宮を宿衛するは、皆士大夫の職なり。事無くして燕私に奉ずるときは、則ち從容にして德を養いて、膏澤の潤い有り。事有りて禦侮を司るときは、則ち堅明に義を守りて、腹心の虞り無し。下りて秦漢に及んで陛楯執戟、尙一二を餘すのみ。此の制旣に廢せり。人主の士大夫を接する者、僅かに視朝數刻有りて、周廬の陛楯、或は環りて以て嚚悍[ぎんかん]の徒を椎埋[ついまい]す。復古に志有る者、當に深く繹[たず]ぬべし、と。

△王麻冕黼裳、由賓階隮。卿士・邦君麻冕蟻裳、入卽位。隮、牋西反。○麻冕、三十升麻爲冕也。隮、升也。康王吉服、自西階升堂、以受先王之命。故由賓階也。蟻、玄色。公卿・大夫及諸侯皆同服。亦廟中之禮。不言升階者、從王賓階也。入卽位者、各就其位也。○呂氏曰、麻冕黼裳、王祭服也。卿士・邦君祭服之裳皆纁。今蟻裳者、蓋無事於奠祝、不欲純用吉服。有位於班列、不可純用凶服。酌吉凶之閒、示禮之變也。
【読み】
△王麻冕黼裳[ふしょう]して、賓階より隮[のぼ]る。卿士・邦君麻冕蟻裳して、入りて位に卽けり。隮[せい]は、牋[せん]西反。○麻冕は、三十升の麻を冕とす。隮は、升るなり。康王吉服して、西階より堂に升り、以て先王の命を受く。故に賓階よりす。蟻は、玄色なり。公卿・大夫及び諸侯皆同じく服す。亦廟中の禮なり。階に升ると言わざるは、王賓階に從ればなり。入りて位に卽くとは、各々其の位に就くなり。○呂氏が曰く、麻冕黼裳は、王の祭服なり。卿士・邦君の祭服の裳は皆纁[あか]し。今蟻裳する者は、蓋し奠祝に事とすること無く、純ら吉服を用ゆることを欲せず。班列に位すること有り、純ら凶服を用ゆ可からず。吉凶の閒を酌んで、禮の變を示す、と。

△太保・太史・太宗、皆麻冕彤裳。太保承介圭、上宗奉同・瑁、由阼階隮。太史秉書、由賓階隮、御王册命。太宗、宗伯也。彤、纁也。太保受遺、太史奉册。太宗相禮。故皆祭服也。介、大也。大圭、天子之守、長尺有二十。同、爵名。祭以酌酒者。瑁、方四寸。邪刻之以冒諸侯之圭璧、以齊瑞信也。太保・宗伯、以先王之命、奉符寶以傳嗣君。有主道焉。故升自阼階。太史以册命御王。故持書由賓階以升。蘇氏曰、凡王所臨所服用、皆曰御。
【読み】
△太保・太史・太宗、皆麻冕彤裳[とうしょう]せり。太保介いなる圭を承[ささ]げ、上宗同・瑁[ぼう]を奉げて、阼階より隮[のぼ]る。太史書を秉りて、賓階より隮りて、王に册命を御[すす]む。太宗は、宗伯なり。彤は、纁[あか]きなり。太保遺を受け、太史册を奉ず。太宗禮を相[たす]く。故に皆祭服す。介は、大いなり。大圭は、天子の守り、長さ尺有二十。同は、爵の名。祭に以て酒を酌む者なり。瑁は、方四寸。邪[なな]めに之を刻みて以て諸侯の圭璧を冒いて、以て瑞信を齊うなり。太保・宗伯、先王の命を以て、符寶を奉じて以て嗣君に傳う。主の道有り。故に阼階より升る。太史册命を以て王に御む。故に書を持ちて賓階より以て升る。蘇氏が曰く、凡そ王の臨む所服用する所は、皆御と曰う、と。

△曰、皇后憑玉几、道揚末命、命汝嗣訓。臨君周邦、率循大卞、爕和天下、用答揚文武之光訓。成王顧命之言、書之册矣。此太史口陳者也。皇、大。后、君也。言大君成王力疾、親憑玉几、道揚臨終之命。命汝嗣守文武大訓。曰汝者、父前子名之義。卞、法也。臨君周邦、位之大也。率循大卞、法之大也。爕和天下、和之大也。居大位、由大法、致大和、然後可以對揚文武之光訓也。
【読み】
△曰く、皇后玉几に憑[よ]りて、末命を道[い]い揚げて、汝に命じて訓えを嗣がしむ。周の邦に臨み君とし、大いなる卞[のり]に率い循い、天下を爕[やわ]らげ和らげて、用て文武の光れる訓えを答え揚げよ、と。成王顧命の言、之を册に書す。此れ太史口から陳ぶる者なり。皇は、大い。后は、君なり。言うこころは、大君成王疾を力めて、親ら玉几に憑りて、臨終の命を道揚す。汝に命じて嗣いで文武の大訓を守らしむ。汝と曰うは、父の前に子の名いうの義なり。卞[へん]は、法なり。周の邦に臨み君たるは、位の大なり。大いなる卞に率い循うは、法の大なり。天下に爕和するは、和の大なり。大位に居り、大法に由り、大和を致して、然して後に以て文武の光訓に對揚す可し、と。

△王再拜興答曰、眇眇予末小子、其能而亂四方、以敬忌天威。眇、小。而、如。亂、治也。王拜受顧命、起答太史曰、眇眇然予微末小子、其能如父祖治四方、以敬忌天威乎。謙辭退託於不能也。顧命有敬迓天威、嗣守文武大訓之語。故太史所告、康王所答、皆於是致意焉。
【読み】
△王再拜して興[た]ちて答えて曰く、眇眇[びょうびょう]たる予れ末の小子、其れ能く四方を亂[おさ]めて、以て天威を敬み忌[おそ]るるが而[ごと]くならんや、と。眇は、小しき。而は、如し。亂は、治むるなり。王拜して顧命を受け、起ちて太史に答えて曰く、眇眇然たる予れ微末の小子、其れ能く父祖四方を治め、以て天威を敬忌するが如くならんや、と。能くせざるに謙辭退託するなり。顧命に敬みて天威を迓[むか]えて、嗣いで文武の大いなる訓えを守るの語有り。故に太史告ぐる所、康王答うる所、皆是に於て意を致すなり。

△乃受同・瑁。王三宿、三祭、三咤。上宗曰、饗。咤、陟嫁反。○王受瑁爲主、受同以祭。宿、進爵也。祭、祭酒也。咤、奠爵也。禮成於三。故三宿、三祭、三咤。葛氏曰、受上宗同・瑁、則受太保介圭可知。宗伯曰、饗者、傳神命以饗告也。
【読み】
△乃ち同・瑁を受く。王三たび宿[すす]め、三たび祭り、三たび咤[お]く。上宗曰く、饗[う]けよ、と。咤は、陟嫁反。○王瑁を受けて主と爲り、同を受けて以て祭る。宿は、爵を進むるなり。祭は、酒を祭るなり。咤は、爵を奠[お]くなり。禮は三に成る。故に三たび宿め、三たび祭り、三たび咤く。葛氏が曰く、上宗の同・瑁を受くるときは、則ち太保の介圭を受くること知る可し、と。宗伯曰く、饗くとは、神の命を傳えて饗けよを以て告ぐるなり。

△太保受同降盥、以異同秉璋以酢、授宗人同拜。王答拜。酢、疾各反。○太保受王所咤之同、而下堂盥洗、更用他同、秉璋以酢。酢、報祭也。祭禮、君執圭瓚祼尸。太宗執璋瓚亞祼。報祭、亦亞祼之類也。故亦秉璋也。以同授宗人而拜尸。王答拜者、代尸拜也。宗人、小宗伯之屬。相太保酢者也。太宗供王。故宗人供太保。
【読み】
△太保同を受けて降りて盥[あら]い、異なる同を以て璋を秉りて以て酢[むく]い、宗人に同を授けて拜す。王答拜す。酢は、疾各反。○太保王の咤[お]く所の同を受けて、堂を下りて盥洗して、更に他の同を用いて、璋を秉りて以て酢ゆ。酢は、報祭なり。祭禮に、君圭瓚を執りて尸に祼[かん]す。太宗璋瓚を執りて亞祼す、と。報祭も、亦亞祼の類なり。故に亦璋を秉るなり。同を以て宗人に授けて尸を拜す。王答拜するは、尸に代わりて拜するなり。宗人は、小宗伯の屬。太保の酢を相くる者なり。太宗王に供す。故に宗人太保に供す。

△太保受同祭嚌。宅授宗人同拜。王答拜。嚌、才詣反。○以酒至齒曰嚌。太保復受同以祭、飮福至齒。宅、居也。太保退居其所、以同授宗人又拜。王復答拜。太保飮福至齒者、方在喪疚、歆神之賜、而不甘其味也。若王則喪之主、非徒不甘味。雖飮福亦廢也。
【読み】
△太保同を受けて祭りて嚌[の]む。宅[い]て宗人に同を授けて拜す。王答拜す。嚌[せい]は、才詣反。○酒を以て齒に至るを嚌と曰う。太保復同を受けて以て祭り、福を飮みて齒に至る。宅は、居るなり。太保退いて其の所に居て、同を以て宗人に授けて又拜す。王復答拜す。太保福を飮みて齒に至る者、方に喪疚に在りて、神の賜を歆[う]けて、其の味を甘しとせざるなり。王の若きは則ち喪の主にて、徒に味を甘しとせざるのみに非ず。福を飮むと雖も亦廢つるなり。

△太保降收。諸侯出廟門俟。太保下堂、有司收徹器用。廟門、路寢之門也。成王之殯在焉。故曰廟。言諸侯、則卿士以下可知。俟者、俟見新君也。
【読み】
△太保降り收む。諸侯廟門を出でて俟つ。太保堂を下り、有司器用を收め徹す。廟門は、路寢の門なり。成王の殯焉に在り。故に廟と曰う。諸侯と言うときは、則ち卿士より以下は知る可し。俟は、俟ちて新君に見ゆるなり。

康王之誥 今文古文皆有。但今文合於顧命。
【読み】
康王之誥[こうおうのこう] 今文古文皆有り。但今文は顧命に合す。

王出在應門之内。太保率西方諸侯、入應門左。畢公率東方諸侯、入應門右。皆布乘黃朱。賓稱奉圭兼幣曰、一二臣衛、敢執壤奠。皆再拜稽首、王義嗣德。答拜。漢孔氏曰、王出畢門立應門内。鄭氏曰、周禮、五門、一曰皐門、二曰雉門、三曰庫門、四曰應門、五曰路門。路門、一曰畢門。外朝、在路門外、則應門之内、蓋内朝所在也。周中分天下諸侯、主以二伯。自陝以東、周公主之。自陝以西、召公主之。召公率西方諸侯。蓋西伯舊職。畢公率東方諸侯、則繼周公爲東伯矣。諸侯入應門、列于左右。布、陳也。乘、四馬也。諸侯皆陳四黃馬、而朱其鬣、以爲廷實。或曰、黃朱若篚厥玄黃之類。賓、諸侯也。稱、舉也。諸侯舉所奉圭兼幣曰、一二臣衛。一二、見非一也。爲王蕃衛。故曰臣衛。敢執壤地所出奠贄、皆再拜首至地、以致敬。義、宜也。義嗣德云者、史氏之辭也。康王宜嗣前人之德。故答拜也。吳氏曰、穆公使人弔公子重耳。重耳稽顙而不拜。穆公曰、仁夫公子、稽顙而不拜、則未爲後也。蓋爲後者拜。不拜、故未爲後也。弔者・含者・襚者、升堂致命。主孤拜稽顙成爲後者也。康王之見諸侯、若以爲不當拜而不拜、則疑未爲後也。且純乎吉也。答拜旣正其爲後、且知其以喪見也。
【読み】
王出でて應門の内に在り。太保西方の諸侯を率いて、應門に入りて左す。畢公東方の諸侯を率いて、應門に入りて右す。皆乘黃朱を布く。賓圭と幣とを稱[あ]げ奉げて曰く、一二の臣衛、敢えて壤奠を執る、と。皆再拜稽首して、王義[よろ]しく德を嗣ぐべし、と。答拜す。漢の孔氏が曰く、王畢門を出でて應門の内に立つ、と。鄭氏が曰く、周禮に、五門、一に曰く皐門、二に曰く雉門、三に曰く庫門、四に曰く應門、五に曰く路門、と。路門、一には畢門と曰う。外朝は、路門の外に在れば、則ち應門の内は、蓋し内朝の在る所なり、と。周天下の諸侯を中分して、主るに二伯を以てす。陝[せん]より以東は、周公之を主る。陝より以西は、召公之を主る。召公西方の諸侯を率ゆ。蓋し西伯の舊職なり。畢公東方の諸侯を率ゆるより、則ち周公を繼いで東伯と爲るなり。諸侯應門に入りて、左右に列す。布は、陳ぬるなり。乘は、四馬なり。諸侯皆四つの黃馬を陳ねて、其の鬣[たてがみ]を朱にして、以て廷實とす。或ひと曰く、黃朱は厥の玄黃を篚[ひ]するの類の若し、と。賓は、諸侯なり。稱は、舉ぐるなり。諸侯奉ずる所の圭と幣とを舉げて曰く、一二の臣衛、と。一二は、一に非ざるを見すなり。王の蕃衛爲り。故に臣衛と曰う。敢えて壤地出づる所の奠贄を執りて、皆再拜して首地に至りて、以て敬を致す。義は、宜なり。義しく德を嗣ぐべしと云うは、史氏の辭なり。康王宜しく前人の德を嗣ぐべし。故に答拜するなり。吳氏が曰く、穆公人をして公子重耳を弔う。重耳稽顙[けいそう]して拜せず。穆公曰く、仁なるかな公子、稽顙して拜せず、則ち未だ後と爲らず、と。蓋し後と爲る者は拜す。拜せざる、故に未だ後と爲らざるなり。弔者・含者・襚[すい]者、堂に升りて命を致す。主孤り拜稽顙して後爲る者と成す。康王の諸侯に見ゆるに、若し以て當に拜すべからずとして拜せざるときは、則ち未だ後と爲らざるの疑いあり。且つ吉に純らなり。答拜するときは旣に其の後爲ることを正し、且つ其の喪を以て見ゆることを知るなり。

△太保曁芮伯、咸進相揖、皆再拜稽首曰、敢敬告天子。皇天改大邦殷之命、惟周文武誕受羑若。克恤西土。冢宰及司徒、與羣臣皆進相揖定位。又皆再拜稽首、陳戒於王曰、敢敬告天子。示不敢輕告、且尊稱之。所以重其聽也。曰大邦殷者、明有天下不足恃也。羑若、未詳。蘇氏曰、羑、羑里也。文王出羑里之囚、天命自是始順。或曰、羑若卽下文之厥若也。羑・厥或字有訛謬。西土、文武所興之地。言文武所以大受命者、以其能恤西土之衆也。進告不言諸侯、以内見外。
【読み】
△太保曁[およ]び芮[ぜい]伯、咸進みて相揖[ゆう]して、皆再拜稽首して曰く、敢えて敬みて天子に告す。皇天大邦殷の命を改めて、惟れ周の文武誕[おお]いに受けて羑よりして若[したが]えり。克く西土を恤う。冢宰及び司徒、羣臣と皆進み相揖して位を定む。又皆再拜稽首して、戒めを王に陳べて曰く、敢えて敬みて天子に告す、と。敢えて輕々しく告げざることを示し、且つ之を尊稱す。其の聽を重んずる所以なり。大邦殷と曰うは、天下を有ちても恃むに足らざることを明らかにするなり。羑若は、未だ詳らかならず。蘇氏が曰く、羑は、羑里なり。文王羑里の囚を出でて、天命是れより始めて順う、と。或ひと曰く、羑若は卽ち下の文の厥若なり。羑・厥或は字に訛謬有らん、と。西土は、文武興る所の地なり。言うこころは、文武大いに命を受くる所以は、其の能く西土の衆を恤うるを以てなり。進み告ぐるに諸侯を言わざるは、内を以て外を見すなり。

△惟新陟王、畢協賞罰、戡定厥功、用敷遺後人休。今王敬之哉。張皇六師、無壞我高祖寡命。陟、升遐也。成王初崩、未葬未諡。故曰新陟王。畢、盡。協、合也。好惡在理不在我。故能盡合其賞之所當賞、罰之所當罰、而克定其功、用施及後人之休美。今王嗣位。其敬勉之哉。皇、大也。張皇六師、大戒戎備、無廢壞我文武艱難寡得之基命也。按召公此言、若導王以尙威武者。然守成之世、多溺宴安、而無立志。苟不詰爾戎兵、奮揚武烈、則廢弛怠惰、而陵遲之漸見矣。成康之時病正在是。故周公於立政、亦懇懇言之。後世墜先王之業、忘祖父之讎、上下苟安、甚至於口不言兵、亦異於召公之見矣。可勝嘆哉。
【読み】
△惟れ新たに陟[かく]れます王、畢[ことごと]く賞罰を協え、戡[よ]く厥の功を定め、用て後人の休きを敷き遺す。今王之を敬めや。六師を張り皇[おお]いにして、我が高祖の寡命を壞ること無かれ、と。陟は、升遐なり。成王初めて崩じ、未だ葬らず未だ諡あらず。故に新たに陟れます王と曰う。畢は、盡く。協は、合[かな]うなり。好惡理に在りて我に在らず。故に能く盡く其の賞の當に賞すべき所、罰の當に罰すべき所を合えて、克く其の功を定めて、用て後人の休美に施し及ぼす。今王位を嗣ぐ。其れ敬みて之を勉めよや。皇は、大いなり。六師を張り皇いにして、大いに戒め戎備して、我が文武艱難寡得の基命を廢て壞ること無かれ。按ずるに召公の此の言は、王を導くに以て威武を尙ぶ者の若し。然れども守成の世は、多く宴安に溺れて、志を立つること無し。苟も爾の戎兵を詰[おさ]め、武烈を奮い揚げざるときは、則ち廢弛怠惰して、陵遲の漸見るなり。成康の時の病は正に是に在り。故に周公立政に於て、亦懇懇と之を言う。後世先王の業を墜し、祖父の讎を忘れ、上下苟も安んじ、甚だ口兵を言わざるに至るも、亦召公の見に異なり。勝げて嘆ず可きかな。

△王若曰、庶邦侯・甸・男・衛、惟予一人釗報誥。報誥而不及羣臣者、以外見内。康王在喪。故稱名。春秋、嗣王在喪、亦書名也。
【読み】
△王若[か]く曰く、庶邦の侯・甸・男・衛、惟れ予れ一人釗誥ぐるに報ゆ。報誥して羣臣に及ばざる者は、外を以て内を見すなり。康王喪に在り。故に名を稱す。春秋に、嗣王喪に在れば、亦名を書[しる]すなり。

△昔君文武丕平富、不務咎。厎至齊信、用昭明于天下。則亦有熊羆之士、不二心之臣、保乂王家、用端命于上帝。皇天用訓厥道、付畀四方。丕平富者、溥博均平、薄斂富民。言文武德之廣也。不務咎者、不務咎惡、輕省刑罰。言文武罰之謹也。厎至者、推行而厎其至也。齊信者、兼盡而極其誠也。文武務德不務罰之心、推行而厎其至、兼盡而極其誠。内外充實。故光輝發越、用昭明于天下。蓋誠之至者、不可揜也。而又有熊羆武勇之士、不二心忠實之臣、戮力同心、保乂王室。文武用受正命於天、上天用順文武之道、而付之以天下之大也。康王言此者、求助羣臣諸侯之意。
【読み】
△昔の君文武丕いに平[ひと]しく富まして、咎を務めず。至りを厎して齊え信とし、用て天下に昭明なり。則ち亦熊羆[ゆうひ]のごとき士、二心あらざるの臣有り、王家を保んじ乂めて、端[ただ]しき命を上帝に用ゆ。皇天用て厥の道に訓[したが]い、四方を付[さず]け畀[あた]う。丕いに平しく富むとは、溥博均平にして、斂を薄くし民を富ます。言うこころは、文武の德を廣むるなり。咎を務めずとは、咎惡を務めず、刑罰を輕省す。言うこころは、文武の罰を謹むなり。至りを厎すとは、推し行いて其の至りを厎すなり。齊え信とすとは、兼ね盡くして其の誠を極むるなり。文武德を務めて罰を務めざるの心、推し行いて其の至りを厎し、兼ね盡くして其の誠を極む。内外充實す。故に光輝發越して、用て天下に昭明なり。蓋し誠の至りは、揜う可からず。而も又熊羆武勇の士、二心あらざる忠實の臣有りて、力を戮[あ]わせ心を同じくして、王室を保んじ乂む。文武用て正命を天に受け、上天用て文武の道に順いて、之に付くるに天下の大を以てす。康王此を言うは、助けを羣臣諸侯に求むるの意なり。

△乃命建侯樹屛、在我後之人。今予一二伯父、尙胥曁顧綏爾先公之臣服于先王。雖爾身在外、乃心罔不在王室。用奉恤厥若、無遺鞠子羞。天子稱同姓諸侯曰伯父。康王言、文武所以命建侯邦、植立蕃屛者、意蓋在我後之人也。今我一二伯父、庶幾相與顧綏爾祖考所以臣服于我先王之道。雖身守國在外、乃心當常在王室、用奉上之憂勤、其順承之、毋遺我稚子之恥也。
【読み】
△乃ち命じて侯を建て屛を樹つるは、我が後の人に在り。今予が一二の伯父、尙わくは胥曁[とも]に爾の先公の先王に臣服するを顧み綏んぜよ。爾の身は外に在りと雖も、乃の心は王室に在ざる罔かれ。用て恤えを奉[う]けて厥れ若[したが]い、鞠子の羞を遺すこと無かれ、と。天子同姓諸侯を稱して伯父と曰う。康王言く、文武命じて侯邦を建て、植立蕃屛とする所以は、意蓋し我が後の人に在るなり。今我が一二の伯父、庶幾わくは相與に爾の祖考の我が先王に臣服する所以の道を顧み綏んぜよ。身國を守りて外に在りと雖も、乃の心は當に常に王室に在るべく、用て上の憂勤を奉けて、其れ順い承けて、我が稚子の恥を遺すこと毋かれ、と。

△羣公旣皆聽命、相揖趨出。王釋冕、反喪服。始相揖者、揖而進也。此相揖者、揖而退也。蘇氏曰、成王崩未葬、君臣皆冕服禮歟。曰、非禮也。謂之變禮可乎。曰、不可。禮變於不得已。嫂非溺、終不援也。三年之喪旣成服。釋之而卽吉。無時而可者。曰、成王顧命不可以不傳。旣傳不可以喪服受也。曰、何爲其不可也。孔子曰、將冠。子未及期日、而有齊衰大功之喪、則因喪服而冠。冠、吉禮也。猶可以喪服行之。受顧命見諸侯、獨不可以喪服乎。太保使太史奉册授王于次、諸侯入哭於路寢、而見王於次。王喪服受敎戒諫、哭踊答拜、聖人復起、不易斯言矣。春秋傳曰、鄭子皮如晉。葬晉平公、將以幣行。子產曰、喪安用幣。子皮固請以行。旣葬諸侯之大夫、欲因見新君。叔向辭之曰、大夫之事畢矣。而又命孤。孤斬焉在衰絰之中、其以嘉服見、則喪禮未畢。其以喪服見、是重受弔也。大夫將若之何。皆無辭以退。今康王旣以嘉服見諸侯、而又受乘黃玉帛之幣。使周公在、必不爲此。然則孔子何取此書也。曰、至矣其父子君臣之閒、敎戒深切著明、足以爲後世法。孔子何爲不取哉。然其失禮、則不可不辯。
【読み】
△羣公旣に皆命を聽いて、相揖して趨り出づ。王冕を釋[ぬ]ぎて、喪服に反る。始めて相揖する者は、揖して進むなり。此に相揖する者は、揖して退くなり。蘇氏が曰く、成王崩じて未だ葬らず、君臣皆冕服するは禮か。曰く、禮に非ず。之を變禮と謂うは可なるか。曰く、不可なり。禮已むことを得ざるに變ず。嫂溺るるに非ざれば、終に援わず。三年の喪旣に服を成す。之を釋ぎて吉に卽く。時として可なる者無し。曰く、成王の顧命は以て傳えずんばある可からず。旣に傳うるに喪服を以て受く可からず。曰く、何爲れぞ其れ不可なる。孔子曰く、將に冠せんとす。子未だ期日に及ばずして、齊衰大功の喪有るときは、則ち喪服に因りて冠す、と。冠は、吉禮なり。猶喪服を以て之を行う可し。顧命を受けて諸侯に見ゆるに、獨り喪服を以てす可からざんや。太保太史をして册を奉じ王に次に授け、諸侯入りて路寢に哭して、王に次に見ゆ。王喪服して敎戒の諫めを受けて、哭踊答拜すること、聖人復起こるとも、斯の言を易えず。春秋傳に曰く、鄭の子皮晉に如く。晉の平公を葬るとき、將に幣を以て行かんとす。子產が曰く、喪に安んぞ幣を用いん、と。子皮固く請いて以て行く。旣に葬りて諸侯の大夫、因りて新君に見えんと欲す。叔向之を辭して曰く、大夫の事畢われり、と。而して又孤に命ず。孤斬焉として衰絰[さいてつ]の中に在り、其れ嘉服を以て見ゆるときは、則ち喪禮未だ畢わらず。其れ喪服を以て見ゆるときは、是れ重ねて弔を受くるなり。大夫將[はた]之を若何せん。皆辭無くして以て退く、と。今康王旣に嘉服を以て諸侯に見えて、又乘黃玉帛の幣を受く。周公をして在らしむれば、必ず此をせず。然らば則ち孔子何ぞ此の書を取れるや。曰く、至れるかな其の父子君臣の閒、敎戒深切著明にして、以て後世の法爲るに足ればなり。孔子何爲れぞ取らざらんや。然れども其の失禮は、則ち辯ぜずんばある可からざればなり、と。

畢命 康王以成周之衆、命畢公保釐。此其册命也。今文無、古文有。○唐孔氏曰、漢律歷志云、康王畢命豐刑。曰、惟十有二年六月庚午朏、王命作册書豐刑。此僞作者、傳聞舊語、得其年月、不得以下之辭。妄言作豐刑耳。亦不知豐刑之言何所道也。
【読み】
畢命[ひつめい] 康王成周の衆を以[い]て、畢公に命じて保んじ釐[おさ]めしむ。此れ其の册命なり。今文無し、古文有り。○唐の孔氏が曰く、漢の律歷志に云う、康王畢に豐刑を命ず。曰く、惟れ十有二年の六月庚午[かのえ・うま]の朏[みかづき]、王命じて册書豐刑を作らしむ、と。此れ僞り作る者、舊語を傳え聞きて、其の年月を得て、以て下すことを得ざるの辭なり。妄りに豐刑を作ると言うのみ。亦豐刑の言は何の道う所かを知らず、と。

惟十有二年六月庚午朏、越三日壬申、王朝步自宗周至于豐。以成周之衆、命畢公保釐東郊。康王之十二年也。畢公嘗相文王。故康王就豐文王廟命之。成周、下都也。保、安。釐、理也。保釐、卽下文旌別淑慝之謂。蓋一代之治體、一篇之宗要也。
【読み】
惟れ十有二年六月庚午[かのえ・うま]の朏[みかづき]、越[ここ]に三日壬申[みずのえ・さる]、王朝に宗周より步りて豐に至る。成周の衆を以[い]て、畢公に命じて東郊を保んじ釐[おさ]めしむ。康王の十二年なり。畢公は嘗て文王に相たり。故に康王豐の文王の廟に就いて之を命ず。成周は、下都なり。保は、安んず。釐は、理[おさ]むるなり。保釐は、卽ち下の文の淑慝を旌別するの謂なり。蓋し一代の治體、一篇の宗要なり。

△王若曰、嗚呼父師、惟文王・武王、敷大德于天下、用克受殷命。畢公代周公爲太師也。文王・武王布大德于天下、用能受殷之命。言得之之難也。
【読み】
△王若[か]く曰く、嗚呼父師、惟れ文王・武王、大德を天下に敷いて、用て克く殷の命を受けたり。畢公周公に代わりて太師と爲る。文王・武王大德を天下に布いて、用て能く殷の命を受く。言うこころは、之を得ることの難きなり。

△惟周公左右先王、綏定厥家。毖殷頑民、遷于洛邑、密邇王室、式化厥訓。旣歷三紀、世變風移、四方無虞。予一人以寧。十二年曰紀。父子曰世。周公左右文・武・成王、安定國家、謹毖頑民、遷于洛邑、密近王室、用化其敎。旣歷三紀、世已變而風始移。今四方無可虞度之事、而予一人以寧。言化之之難也。
【読み】
△惟れ周公先王を左右[たす]けて、厥の家を綏んじ定む。殷の頑民を毖[つつし]みて、洛邑に遷し、王室に密[きび]しく邇づけて、式[もっ]て厥の訓えに化す。旣に三紀を歷て、世變わり風移りて、四方虞ること無し。予れ一人以て寧し。十二年を紀と曰う。父子を世と曰う。周公文・武・成王を左右けて、國家を安んじ定め、頑民を謹み毖みて、洛邑に遷し、王室に密近して、用て其の敎えに化す。旣に三紀を歷て、世已に變わりて風始めて移る。今四方虞り度る可きの事無くして、予れ一人以て寧し。言うこころは、之を化すことの難きなり。

△道有升降。政由俗革。不臧厥臧、民罔攸勸。有升有降、猶言有隆有汚也。周公當世道方降之時。至君陳・畢公之世、則將升於大猷矣。爲政者因俗變革。故周公毖殷而謹厥始。君陳有容而和厥中。皆由俗爲政者。當今之政、旌別淑慝之時也。苟不善其善、則民無所勸慕矣。
【読み】
△道に升り降ること有り。政は俗に由りて革まる。厥の臧きを臧しとせずんば、民勸む攸罔けん。升ること有り降ること有るは、猶隆きこと有り汚[ひく]きこと有りと言うがごとし。周公は世道方に降るの時に當たる。君陳・畢公の世に至りては、則ち將に大猷に升らんとするなり。政を爲むる者は俗に因りて變革す。故に周公は殷を毖みて厥の始めを謹む。君陳は容るること有りて厥の中を和らぐ。皆俗に由りて政を爲むる者なり。當今の政は、淑慝を旌別するの時なり。苟も其の善きを善しとせずんば、則ち民勸慕する所無けん、と。

△惟公懋德、克勤小物。弼亮四世、正色率下。罔不祗師言。嘉績多于先王。予小子垂拱仰成。懋、盛大之義。予懋乃德之懋。小物、猶言細行也。言畢公旣有盛德、又能勤於細行。輔導四世、風采凝峻、表儀朝著。若大若小、罔不祗服師訓。休嘉之績、蓋多於先王之時矣。今我小子復何爲哉。垂衣拱手、以仰其成而已。康王將付畢公以保釐之寄。故敍其德業之盛、而歸美之也。
【読み】
△惟れ公德を懋[さか]んにして、克く小物を勤めたり。弼け亮[みちび]くこと四世、色を正しくし下を率ゆ。師言を祗まざること罔し。嘉き績先王に多[まさ]れり。予れ小子垂れ拱いて成れるを仰ぐ、と。懋[ぼう]は、盛大の義。予れ乃が德の懋んなるを懋んとす。小物は、猶細行と言うがごとし。言うこころは、畢公旣に盛德有りて、又能く細行を勤む。四世を輔け導いて、風采凝峻、表儀朝著す。若しくは大、若しくは小、師訓に祗み服かざること罔し。休嘉の績、蓋し先王の時より多し。今我れ小子復何をかせんや。衣を垂れ手を拱いて、以て其の成れるを仰ぐのみ、と。康王將に畢公に付するに保釐の寄を以てせんとす。故に其の德業の盛んなるを敍で、之を歸美す。

△王曰、嗚呼父師、今予祗命公、以周公之事。往哉。今我敬命公、以周公化訓頑民之事。公其往哉、言非周公所爲、不敢屈公以行也。
【読み】
△王曰く、嗚呼父師、今予れ祗みて公に命ずるに、周公の事を以てす。往けや。今我れ敬みて公に命ずるに、周公の頑民を化訓するの事を以てす。公其れ往けやとは、言うこころは、周公のする所に非ずんば、敢えて公を屈して以て行わざるなり。

△旌別淑慝、表厥宅里。彰善癉惡、樹之風聲。弗率訓典、殊厥井疆。俾克畏慕、申畫郊圻。愼固封守、以康四海。癉、多旱反。守、舒究反。○淑、善。慝、惡。癉、病也。旌善別惡、成周今日由俗革之政也。表異善人之居里、如後世旌表門閭之類。顯其爲善者、而病其爲不善者、以樹立爲善者風聲、使顯於當時、而傳於後世。所謂旌淑也。其不率訓典者、則殊異其井里疆界、使不得與善者雜處。禮記曰、不變移之郊。不變移之遂。卽其法也。使能畏爲惡之禍、而慕爲善之福。所謂別慝也。圻、與畿同。郊圻之制、昔固規畫矣。曰申云者、申明之也。封域之險、昔固有守矣。曰謹云者、戒嚴之也。疆域障塞、歲久則易湮。世平則易玩。時緝而屢省之。乃所以尊嚴王畿。王畿安、則四海安矣。
【読み】
△淑[よ]き慝[あ]しきを旌[あらわ]し別[こと]にし、厥の宅里に表す。善きを彰[あらわ]し惡しきを癉[や]ましめて、之が風聲を樹つ。訓典に率わざるを、厥の井疆を殊にす。克く畏れ慕わしめて、申ねて郊圻[こうき]を畫く。愼みて封の守りを固くして、以て四海を康んぜよ。癉[たん]は、多旱反。守は、舒究反。○淑は、善。慝は、惡。癉は、病むなり。善を旌し惡を別つは、成周の今日俗に由りて革むるの政なり。善人の居里を表異するは、後世門閭を旌表するの類の如し。其の善を爲す者を顯して、其の不善を爲す者を病ましめ、以て善を爲す者の風聲を樹立して、當時に顯さしめて、後世に傳う。所謂淑きを旌すなり。其の訓典に率わざる者は、則ち其の井里疆界を殊異にし、善者と雜り處ることを得ざらしむ。禮記に曰く、變わらざるは之を郊に移す。變わらずして之を遂に移す、と。卽ち其の法なり。能く惡を爲すの禍いを畏れて、善を爲すの福を慕わしむ。所謂慝しきを別にするなり。圻は、畿と同じ。郊圻の制、昔固に規畫す。曰く申ぬと云う者は、申ねて之を明らかにするなり。封域の險、昔固に守り有り。曰く謹むと云う者は、戒めて之を嚴にするなり。疆域の障塞、歲久しきときは則ち湮[ふさ]ぎ易し。世平らかなるときは則ち玩[あなど]り易し。時に緝[つつし]みて屢々之を省る。乃ち王畿を尊嚴する所以なり。王畿安きときは、則ち四海安し。

△政貴有恆、辭尙體要。不惟好異。商俗靡靡、利口惟賢。餘風未殄。公其念哉。恆、胡登反。○對暫、之謂恆。對常、之謂異。趣完具而已、之謂體。衆體所會、之謂要。政事純一、辭令簡實、深戒作聰明、趨浮末、好異之事。凡論治體者皆然。而在商俗則尤爲對病之藥也。蘇氏曰、張釋之諫漢文帝、秦任刀筆之吏、爭以亟疾苛察相高。其弊徒文具、無惻隱之實。以故不聞其過、陵夷至於二世、天下土崩。今以嗇夫口辯、而超遷之。臣恐天下隨風靡、爭口辯無其實。凡釋之所論、則康王以告畢公者也。
【読み】
△政は恆有るを貴び、辭は體要を尙ぶ。惟れ異なることを好まざれ。商の俗靡靡として、利口を惟れ賢しとす。餘風未だ殄[た]えず。公其れ念えや。恆は、胡登反。○暫に對する、之を恆と謂う。常に對する、之を異と謂う。趣き完く具われるのみ、之を體と謂う。衆體の會する所、之を要と謂う。政事純一、辭令簡實にして、深く聰明を作し、浮末に趨り、異を好むの事を戒む。凡そ治體を論ずる者皆然り。而も商の俗に在[おい]ては則ち尤も病に對するの藥爲り。蘇氏が曰く、張釋の漢の文帝を諫むるに、秦刀筆の吏に任じて、爭いて亟疾苛察を以て相高しとす。其の弊徒に文具わりて、惻隱の實無し。故を以て其の過ちを聞かず、陵夷二世に至りて、天下土のごとく崩る。今嗇夫の口辯を以て、之を超遷す。臣恐れらくは天下風に隨いて靡き、口辯を爭いて其の實無し、と。凡そ釋が論ずる所は、則ち康王以て畢公に告ぐる者ならん、と。

△我聞曰、世祿之家、鮮克由禮。以蕩陵德、實悖天道。敝化奢麗、萬世同流。鮮、上聲。悖、蒲沒反。○古人論世祿之家、逸樂豢養、其能由禮者鮮矣。旣不由禮、則心無所制。肆其驕蕩、陵蔑有德、悖亂天道、敝壞風化、奢侈美麗、萬世同一流也。康王將言殷士怙侈滅義之惡。故先取古人論世族者發之。
【読み】
△我れ聞く曰く、世祿の家、克く禮に由ること鮮し。蕩を以て德を陵ぎ、實に天道に悖る。化を敝[やぶ]り奢り麗しくし、萬世流れを同じくす、と。鮮は、上聲。悖は、蒲沒反。○古人世祿の家を論ずるに、逸樂豢養[かんよう]し、其れ能く禮に由る者鮮し。旣に禮に由らざるときは、則ち心制する所無し。其の驕蕩を肆にし、有德を陵蔑し、天道を悖亂し、風化を敝壞して、奢侈美麗なること、萬世同一流なり。康王將に殷士侈りを怙[たの]みて義を滅ぼすの惡を言わんとす。故に先ず古人の世族を論ずる者を取りて之を發す。

△茲殷庶士、席寵惟舊。怙侈滅義。服美于人、驕淫矜侉。將由惡終。雖收放心、閑之惟艱。侉、枯瓜反。○呂氏曰、殷士憑藉光寵、助發其私欲者、有自來矣。私欲公義、相爲消長。故怙侈必至滅義。義滅則無復羞惡之端。徒以服飾之美、侉之於人、而身之不美、則莫之恥也。流而不反、驕淫矜侉、百邪竝見。將以惡終矣。洛邑之遷、式化厥訓。雖已收其放心、而其所以防閑其邪者、猶甚難也。
【読み】
△茲れ殷の庶士、寵に席[よ]ること惟れ舊[ひさ]し。侈[おご]りを怙[たの]みて義を滅ぼす。服人よりも美しくして、驕り淫[たわ]れ矜[ほこ]り侉[おご]る。將に惡を由[もち]いて終えんとす。放心を收むと雖も、之を閑ぐこと惟れ艱し。侉[か]は、枯瓜反。○呂氏が曰く、殷士光寵に憑り藉[よ]りて、其の私欲を助け發する者、自りて來ること有り。私欲公義は、消長を相爲す。故に侈りを怙みて必ず義を滅ぼすに至る。義滅ぶときは則ち復羞惡の端無し。徒に服飾の美を以て、之を人に侉りて、身の美ならざることは、則ち之を恥ずること莫し。流れて反らず、驕淫矜侉にして、百邪竝び見る。將に惡を以て終えんとす。洛邑の遷、式て厥の訓えに化す。已に其の放心を收むと雖も、而して其の其の邪を防ぎ閑ぐ所以の者、猶甚だ難し、と。

△資富能訓、惟以永年。惟德惟義、時乃大訓。不由古訓、于何其訓。言殷士不可不訓之也。資、資財也。資富而能訓、則心不遷於外物、而可全其性命之正也。然訓非外立敎條也。惟德惟義而已。德者、心之理。義者、理之宜也。德義人所同有也。惟德義以爲訓。是乃天下之大訓。然訓非可以己私言也。當稽古以爲之說。蓋善無徵、則民不從。不由古以爲訓、于何以爲訓乎。
【読み】
△資富みて能く訓ゆるときは、惟れ以て永年なり。惟れ德惟れ義、時[こ]れ乃ち大訓なり。古の訓えに由らずんば、何に于てか其れ訓えとせん、と。言うこころは、殷の士之を訓えずんばある可からず。資は、資財なり。資富みて能く訓ゆるときは、則ち心外物に遷らずして、其の性命の正を全くす可し。然れども訓えは外に敎條を立つるに非ず。惟れ德惟れ義なるのみ。德は、心の理。義は、理の宜しきなり。德義は人の同じく有る所なり。惟れ德義以て訓えとす。是れ乃ち天下の大訓なり。然れども訓は己私を以て言う可きに非ず。當に古に稽えて以て之が說を爲るべし。蓋し善も徵[しるし]無きときは、則ち民從わず。古に由りて以て訓を爲らずんば、何に于て以て訓えとせんや。

△王曰、嗚呼父師、邦之安危、惟茲殷士。不剛不柔、厥德允修。是時四方無虞矣。蕞爾殷民、化訓三紀之餘、亦何足慮。而康王拳拳以邦之安危、惟繫於此。其不苟於小成者如此。文・武・周公之澤、其深長也宜哉。不剛、所以保之。不柔、所以釐之。不剛不柔、其德信乎其修矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼父師、邦の安危は、惟れ茲れ殷の士なり。剛からず柔らかならず、厥の德允に修まれり。是の時四方虞ること無し。蕞爾[さいじ]たる殷の民、三紀に化訓せらるるの餘、亦何ぞ慮るに足らん。而れども康王拳拳として邦の安危を以て、惟れ此に繫ぐ。其の小成を苟もせざる者此の如し。文・武・周公の澤、其れ深長なること宜なるかな。剛からざるは、之を保んずる所以。柔らかならざるは、之を釐むる所以。剛からず柔らかならざれば、其の德信なるかな其れ修まらん。

△惟周公克愼厥始。惟君陳克和厥中。惟公克成厥終。三后協心、同厎于道。道洽政治、澤潤生民。四夷左衽、罔不咸賴。予小子永膺多福。殊厥井疆、非治之成也。使商民皆善、然後可謂之成。此曰成者、預期之也。三后所治者洛邑、而施及四夷。王畿、四方之本也。吳氏曰、道者、致治之道也。始之中之終之。雖時有先後、皆能卽其行事、觀其用心、而有以濟之。若出於一時、若成於一人、謂之協心如此。
【読み】
△惟れ周公克く厥の始めを愼む。惟れ君陳克く厥の中を和らぐ。惟れ公克く厥の終わりを成さん。三后心を協えて、同[ひと]しく道に厎らん。道洽[あまね]く政治まりて、澤生民を潤さん。四夷左衽するものまで、咸賴らざる罔けん。予れ小子永く多福に膺[あた]らん。厥の井疆を殊にするは、治の成れるに非ず。商の民をして皆善ならしめ、然して後に之を成すと謂う可し。此に成すと曰うは、預め之を期するなり。三后は治むる所の者洛邑にして、四夷に施し及ぼす。王畿は、四方の本なり。吳氏が曰く、道は、治を致すの道なり。之を始め之を中にし之を終う。時に先後有りと雖も、皆能く其の行事に卽いて、其の心を用ゆるを觀て、以て之を濟すこと有り。一時に出づるが若く、一人に成るが若き、之を協心と謂わんこと此の如し、と。

△公其惟時成周、建無窮之基、亦有無窮之聞。子孫訓其成式惟乂。聞、音問。○建、立。訓、順。式、法也。○成周、指下都而言。呂氏曰、畢公四世元老。豈區區立後世名者。而勳德之隆、亦豈少此。康王所以望之者、蓋相期以無窮事業。乃尊敬之至也。
【読み】
△公其れ惟れ時[こ]れ成周、窮まり無きの基を建てば、亦窮まり無きの聞こえ有らん。子孫其の成れる式[のり]に訓[したが]いて惟れ乂[おさ]まらん。聞は、音問。○建は、立つ。訓は、順う。式は、法なり。○成周は、下都を指して言う。呂氏が曰く、畢公は四世の元老なり。豈に後世に名を立つるに區區たる者ならんや。而して勳德の隆んなる、亦豈此に少なからんや。康王之を望む所以の者、蓋し相期するに無窮の事業を以てす。乃ち尊敬の至りなり、と。

△嗚呼罔曰弗克。惟旣厥心。罔曰民寡。惟愼厥事。欽若先王成烈、以休于前政。蘇氏曰、曰弗克者、畏其難、而不敢爲者也。曰民寡者、易其事、以爲不足爲者也。前政、周公・君陳也。
【読み】
△嗚呼克くせずと曰う罔かれ。惟れ厥の心を旣[つ]くせ。民寡しと曰う罔かれ。惟れ厥の事を愼め。欽みて先王の成れる烈[ひかり]に若[したが]いて、以て前[さき]の政を休[よ]くせよ、と。蘇氏が曰く、克くせずと曰うは、其の難きを畏れて、敢えてせざる者なり。民寡しと曰うは、其の事を易しとして、以てするに足らずと爲す者なり、と。前政は、周公・君陳なり。

君牙 君牙、臣名。穆王命君牙爲大司徒。此其誥命也。今文無、古文有。
【読み】
君牙[くんが] 君牙は、臣の名。穆王君牙に命じて大司徒とす。此れ其の誥命なり。今文無し、古文有り。

王若曰、嗚呼君牙、惟乃祖乃父、世篤忠貞、服勞王家。厥有成績、紀于太常。王、穆王也。康王孫、昭王子。周禮司勳云、凡有功者、銘書于王之太常。司常云、日月爲常。畫日月於旌旗也。
【読み】
王若[か]く曰く、嗚呼君牙、惟れ乃の祖乃の父、世々忠貞に篤く、王家に服勞す。厥れ成れる績有りて、太常に紀[しる]せり。王は、穆王なり。康王の孫、昭王の子なり。周禮の司勳に云う、凡そ功有る者は、王の太常に銘書す、と。司常に云う、日月を常とす、と。日月を旌旗に畫くなり。

△惟予小子、嗣守文・武・成・康遺緒。亦惟先王之臣、克左右亂四方。心之憂危、若蹈虎尾、涉于春冰。緒、統緒也。若蹈虎尾、畏其噬。若涉春冰、畏其陷。言憂危之至、以見求助之切也。
【読み】
△惟れ予れ小子、嗣いで文・武・成・康の遺緒を守る。亦惟れ先王の臣、克く左右[たす]けて四方を亂[おさ]む。心の憂え危うきこと、虎の尾を蹈み、春の冰を涉るが若し。緒は、統緒なり。虎の尾を蹈むが若しとは、其の噬むことを畏る。春の冰を涉るが若しとは、其の陷らんことを畏る。言うこころは、憂危の至り、以て助けを求むるの切なるを見すなり。

△今命爾予翼、作股肱心膂。纘乃舊服、無忝祖考。膂、脊也。舊服、忠貞服勞之事。忝、辱也。欲君牙以其祖考事先王者而事我也。
【読み】
△今爾に命じて予を翼けて、股肱心膂[しんりょ]と作さしむ。乃の舊服を纘[つ]いで、祖考を忝[はずかし]むること無かれ。膂は、脊なり。舊服は、忠貞服勞の事なり。忝は、辱むるなり。君牙が其の祖考の先王に事うる者を以て我に事えんことを欲す。

△弘敷五典、式和民則。爾身克正、罔敢弗正。民心罔中。惟爾之中。弘敷者、大而布之也。式和者、敬而和之也。則、有物有則之則。君臣之義、父子之仁、夫婦之別、長幼之序、朋友之信、是也。典、以設敎言。故曰弘敷。則、以民彝言。故曰式和。此司徒之敎也。然敎之本、則在君牙之身。正也中也、民則之體、而人之所同然也。正以身言。欲其所處無邪行也。中以心言。欲其所存無邪思也。孔子曰、子率以正、孰敢不正。周公曰、率自中。此告君牙以司徒之職也。
【読み】
△弘[おお]いに五典を敷き、式[つつし]みて民の則を和らげよ。爾の身克く正しくば、敢えて正しからざること罔けん。民の心中罔し。惟れ爾の中なり。弘敷とは、大いにして之を布くなり。式和は、敬みて之を和らぐなり。則は、物有れば則有りの則なり。君臣の義、父子の仁、夫婦の別、長幼の序、朋友の信、是れなり。典は、敎えを設くるを以て言う。故に弘いに敷くと曰う。則は、民彝を以て言う。故に式み和らぐと曰う。此れ司徒の敎えなり。然れども敎えの本は、則ち君牙の身に在り。正や中や、民則の體にして、人の同[ひと]しく然る所なり。正は身を以て言う。其の處る所邪行無からんことを欲す。中は心を以て言う。其の存する所邪思無からんことを欲す。孔子曰く、子率ゆるに正しきを以てせば、孰か敢えて正しからざらん、と。周公曰く、中に率い自[したが]え、と。此れ君牙に告ぐるに司徒の職を以てするなり。

△夏暑雨、小民惟曰怨咨。冬祁寒、小民亦惟曰怨咨。厥惟艱哉。思其艱、以圖其易、民乃寧。祁、大也。暑雨祁寒、小民怨咨、自傷其生之艱難也。厥惟艱哉者、嘆小民之誠爲艱難也。思念其難、以圖其易、民乃安也。艱者、飢寒之艱。易者、衣食之易。司徒敷五典、擾兆民、兼養敎之職。此又告君牙、以養民之難也。
【読み】
△夏の暑く雨ふるに、小民惟れ怨み咨[なげ]くと曰う。冬の祁[おお]いに寒きに、小民亦惟れ怨み咨くと曰う。厥れ惟れ艱いかな。其の艱きを思いて、以て其の易きを圖れば、民乃ち寧し。祁[き]は、大いなり。暑雨祁寒、小民怨み咨くは、自ら其の生の艱難を傷むなり。厥れ惟れ艱いかなとは、小民の誠に艱難を爲すことを嘆くなり。其の難きを思い念いて、以て其の易きを圖れば、民乃ち安し。艱とは、飢寒の艱なり。易とは、衣食の易なり。司徒は五典を敷き、兆民を擾[やす]んじ、養敎の職を兼ぬ。此れ又君牙に告ぐるに、民を養うの難きを以てするなり。

△嗚呼丕顯哉文王謨。丕承哉武王烈。啓佑我後人、咸以正罔缺。爾惟敬明乃訓、用奉若于先王、對揚文武之光命、追配于前人。丕、大。謨、謀。烈、功也。文顯於前、武承於後。曰謨曰烈、各指其實言之。咸以正者、無一事不出於正。咸罔缺者、無一事不致其周密。若、順。對、答。配、匹也。前人、君牙祖父。
【読み】
△嗚呼丕いに顯らかなるかな文王の謨。丕いに承[つ]げるかな武王の烈。我が後人を啓き佑けて、咸正しきを以て缺くること罔し。爾惟れ敬みて乃の訓えを明らかにして、用て先王に奉け若[したが]いて、文武の光命を對え揚げて、追って前人に配[なら]べ、と。丕[ひ]は、大い。謨は、謀る。烈は、功なり。文は前に顯らかに、武は後に承ぐ。謨と曰い烈と曰うは、各々其の實を指して之を言う。咸正しきを以てすとは、一事として正しきに出でざること無し。咸缺くること罔しとは、一事として其の周密を致さざること無し。若は、順う。對は、答うる。配は、匹なり。前人は、君牙の祖父なり。

△王若曰、君牙、乃惟由先正舊典時式。民之治亂在茲。率乃祖考之攸行、昭乃辟之有乂。先正、君牙祖父也。君牙由祖父舊職、而是法之。民之治亂、在此而已。法則治。否則亂也。循汝祖父之所行、而顯其君之有乂。復申戒其守家法以終之。按此篇專以君牙祖父爲言。曰纘舊服、曰由舊典、曰無忝、曰追配、曰由先正舊典、曰率祖考攸行。然則君牙之祖父、嘗任司徒之職、而其賢可知矣。惜載籍之無傳也。陳氏曰、康王時芮伯爲司徒。君牙豈其後耶。
【読み】
△王若[か]く曰く、君牙、乃惟れ先正の舊典に由りて時[こ]れ式[のっと]れ。民の治亂は茲に在り。乃の祖考の行う攸に率いて、乃の辟の乂[おさ]むること有るを昭らかにせよ、と。先正は、君牙の祖父なり。君牙祖父の舊職に由りて、是れ之に法れ。民の治亂は、此に在るのみ。法るときは則ち治まる。否[し]からざるときは則ち亂る。汝の祖父の行う所に循いて、其の君の乂むること有るを顯らかにせよ。復申ねて其の家法を守りて以て之を終えんことを戒む。按ずるに此の篇は專ら君牙の祖父を以て言を爲す。舊服を纘ぐと曰い、舊典に由ると曰い、忝むること無かれと曰い、追て配べと曰い、先正の舊典に由ると曰い、祖考の行う攸に率うと曰う。然らば則ち君牙の祖父は、嘗て司徒の職に任じて、其の賢なること知る可し。惜しいかな載籍の傳わること無きこと。陳氏が曰く、康王の時に芮伯は司徒爲り。君牙は豈其の後なるか、と。

冏命 冏、倶永反。○穆王命伯冏爲太僕正。此其誥命也。今文無、古文有。○呂氏曰、陪僕贄御之臣、後世視爲賤品、而不之擇者。曾不知人主朝夕與居、氣體移養、常必由之、潛消默奪於冥冥之中、而明爭顯諫於昭昭之際、抑末矣。自周公作立政、而嘆綴衣・虎賁、知恤者鮮、則君德之所繫、前此知之者亦罕矣。周公表而出之。其選始重。穆王之用太僕正、特作命書、至與大司徒略等。其知本哉。
【読み】
冏命[けいめい] 冏は、倶永反。○穆王伯冏に命じて太僕正と爲す。此れ其の誥命なり。今文無し、古文有り。○呂氏が曰く、陪僕贄御の臣、後世賤品と爲りて、之を擇びざる者を視す。曾て知らず、人主朝夕與に居り、氣體移養、常に必ず之に由りて、冥冥の中に潛消默奪して、昭昭の際に明爭顯諫すること、抑々末なり、と。周公立政を作りて、綴衣[ていい]・虎賁[こほん]、恤えを知れる者鮮しと嘆くより、則ち君德の繫る所、此より前に之を知る者亦罕[まれ]なり。周公表して之を出だす。其の選始めて重し。穆王の太僕正を用いて、特り命書を作り、大司徒と略等しきに至る。其れ本を知れるかな、と。

王若曰、伯冏、惟予弗克于德。嗣先人宅丕后、怵惕惟厲。中夜以興、思免厥愆。怵、勑律反。○伯冏、臣名。穆王言、我不能于德。繼前人居大君之位。恐懼危厲、中夜以興、思所以免其咎過。
【読み】
王若[か]く曰く、伯冏、惟れ予れ德を克くせず。先人に嗣いで丕いなる后に宅り、怵惕して惟れ厲[あや]うし。中夜以て興[おき]て、厥の愆[あやまち]を免れんことを思う。怵は、勑律反。○伯冏は、臣の名。穆王言く、我れ德に能からず。前人に繼いで大いなる君の位に居る。恐懼危厲して、中夜に以て興て、其の咎過を免る所以を思う、と。

△昔在文武、聰明齊聖、小大之臣、咸懷忠良。其侍御・僕從、罔匪正人。以旦夕承弼厥辟、出入起居、罔有不欽。發號施令、罔有不臧。下民祗若、萬邦咸休。從、才用反。○侍、給侍左右者。御、車御之官。僕從、太僕羣僕、凡從王者。承、承順之謂。弼、正救之謂。雖文武之君、聰明齊聖、小大之臣、咸懷忠良、固無待於侍御・僕從之承弼者、然其左右奔走、皆得正人、則承順正救、亦豈小補哉。
【読み】
△昔在[むかし]文武、聰明齊聖、小大の臣まで、咸く忠良を懷けり。其の侍御・僕從まで、正人に匪ざる罔し。以て旦夕に厥の辟を承け弼けて、出入起居、欽まざること有る罔し。號を發し令を施すも、臧からざること有る罔し。下民祗み若[したが]い、萬邦咸休[よ]し。從は、才用反。○侍は、左右を給侍する者なり。御は、車御の官。僕從は、太僕羣僕、凡そ王に從う者なり。承は、承順の謂なり。弼は、正救の謂なり。文武の君、聰明齊聖にして、小大の臣、咸く忠良を懷き、固に侍御・僕從の承弼を待つこと無き者と雖も、然れども其の左右奔走する、皆正人を得るときは、則ち承順正救、亦豈小補ならんや。

△惟予一人無良。實賴左右前後有位之士。匡其不及、繩愆糾謬、格其非心、俾克紹先烈。無良、言其質之不善也。匡、輔助也。繩、直。糾、正也。非心、非僻之心也。先烈、文武也。
【読み】
△惟れ予れ一人良きこと無し。實に左右前後の位有るの士に賴る。其の及ばざるを匡し、愆[あやまち]を繩[ただ]し謬[あやま]てるを糾し、其の非心を格して、克く先の烈を紹がしめよ。良きこと無しとは、其の質の不善を言うなり。匡は、輔助なり。繩は、直す。糾は、正すなり。非心は、非僻の心なり。先烈は、文武なり。

△今予命汝作大正。正于羣僕・侍御之臣、懋乃后德、交修不逮。大正、太僕正也。周禮太僕、下大夫也。羣僕、謂祭僕・隷僕・戎僕・齊僕之類。穆王欲伯冏正其羣僕・侍御之臣、以勉進君德、而交修其所不及。或曰、周禮下大夫、不得爲正。漢孔氏以爲太御中大夫。蓋周禮太御最長、下又有羣僕、與此所謂正于羣僕者合。且與君同車。最爲親近也。
【読み】
△今予れ汝に命じて大正と作す。羣僕・侍御の臣を正し、乃の后の德を懋[つと]めて、交々逮ばざるを修めよ。大正は、太僕正なり。周禮の太僕は、下大夫なり。羣僕は、祭僕・隷僕・戎僕・齊僕の類を謂う。穆王伯冏が其の羣僕・侍御の臣を正し、以て君の德を勉め進めて、交々其の及ばざる所を修めんと欲す。或ひと曰く、周禮に下大夫は、正爲ることを得ず、と。漢の孔氏以爲えらく、太御中大夫ならん。蓋し周禮に太御は最長にして、下に又羣僕有り、此の所謂羣僕を正す者と合えり。且つ君と車を同じくす。最も親近爲り、と。

△愼簡乃僚、無以巧言令色、便辟側媚。其惟吉士。便、毗連反。辟、匹亦反。○巧、好。令、善也。好其言、善其色。外飾而無質實者也。便者、順人之所欲。辟者、避人之所惡。側者、姦邪。媚者、諛說。小人也。吉士、君子也。言當謹擇汝之僚佐、無任小人、而惟用君子也。又按此言謹簡乃僚、則成周之時、凡爲官長者、皆得自舉其屬。不特辟除府・史・胥・徒而已。
【読み】
△愼みて乃の僚を簡[えら]びて、巧言令色、便辟側媚を以てすること無かれ。其れ惟れ吉士をせよ。便は、毗連反。辟は、匹亦反。○巧は、好む。令は、善きなり。其の言を好みんじ、其の色を善みんず。外を飾りて質實無き者なり。便は、人の欲する所に順う。辟は、人の惡む所を避けるなり。側は、姦邪なり。媚は、諛說なり。小人なり。吉士は、君子なり。言うこころは、當に汝の僚佐を謹み擇びて、小人に任ずること無くして、惟れ君子を用ゆべし。又按ずるに此に謹みて乃の僚を簡ぶと言うは、則ち成周の時、凡そ官長爲る者、皆自ら其の屬を舉ぐることを得。特り府・史・胥・徒を辟除せざるのみ。

△僕臣正、厥后克正。僕臣諛、厥后自聖。后德惟臣。不德惟臣。自聖、自以爲聖也。僕臣之賢否、係君德之輕重如此。呂氏曰、自古小人之敗君德、爲昏爲虐、爲侈爲縱、曷其有極。至於自聖、猶若淺之爲害。穆王獨以是蔽之者、蓋小人之蠱其君、必使之虛美熏心。傲然自聖、則謂人莫己若、而欲予言莫之違。然後法家拂士日遠、而快意肆情之事、亦莫或齟齬其閒。自聖之證旣見、而百疾從之。昏虐侈縱、皆其枝葉而不足論也。
【読み】
△僕臣正しきときは、厥の后克く正し。僕臣諛うときは、厥の后自ら聖とす。后の德あるも惟れ臣なり。德あらざるも惟れ臣なり。自ら聖とすとは、自ら以て聖とするなり。僕臣の賢否の、君德の輕重に係ること此の如し。呂氏が曰く、古より小人の君德を敗るは、昏を爲し虐を爲し、侈を爲し縱を爲し、曷ぞ其れ極まり有らん。自ら聖とするに至りては、猶淺きが若きの害爲り。穆王獨り是を以て之を蔽[はら]う者は、蓋し小人の其の君を蠱[まどわ]すは、必ず之をして虛美熏心せしむ。傲然として自ら聖とするときは、則ち人己に若くこと莫しと謂いて、予が言之に違うこと莫きことを欲す。然して後に法家拂士日々に遠ざけて、快意肆情の事も、亦或は其の閒に齟齬すること莫し。自ら聖とするの證旣に見れて、百疾之に從う。昏虐侈縱は、皆其の枝葉にして論ずるに足らず、と。

△爾無昵于憸人、充耳目之官、迪上以非先王之典。汝無比近小人、充我耳目之官、導君上以非先王之典。蓋穆王自量、其執德未固、恐左右以異端進、而蕩其心也。
【読み】
△爾憸人に昵[むつ]み、耳目の官に充[あ]てて、上を迪[みちび]くに先王の典に非ざるを以てすること無かれ。汝小人に比近し、我が耳目の官に充てて、君上を導くに先王の典に非ざるを以てすること無かれ、と。蓋し穆王自ら量[おも]えらく、其の德を執ること未だ固からず、恐れらくは左右異端を以て進めて、其の心を蕩かさんことを、と。

△非人其吉、惟貨其吉。若時瘝厥官。惟爾大弗克祗厥辟。惟予汝辜。戒其以貨賄任羣僕也。言不于其人之善、而惟以貨賄爲善、則是曠厥官。汝大不能敬其君。而我亦汝罪矣。
【読み】
△人其れ吉きに非ず、惟れ貨其れ吉しとす。時[かく]の若きときは厥の官を瘝[や]ましむ。惟れ爾大いに厥の辟を祗むこと克わず。惟れ予れ汝を辜[つみ]せん、と。其の貨賄を以て羣僕を任ずることを戒む。言うこころは、其の人の善きに于てせずして、惟れ貨賄を以て善きとするときは、則ち是れ厥の官を曠[むな]しくす。汝大いに其の君を敬すること能わず。而して我も亦汝を罪せん。

△王曰、嗚呼欽哉。永弼乃后于彝憲。彝憲、常法也。呂氏曰、穆王卒章之命、望於伯冏者、深且長矣。此心不繼、造父爲御、周遊天下、將必有車轍馬跡、導其侈者、果出於僕御之閒。抑不知、伯冏猶在職乎否也。穆王豫知所戒、憂思深長、猶不免躬自蹈之。人心操捨之無常、可懼哉。
【読み】
△王曰く、嗚呼欽めや。永く乃の后を彝の憲に弼けよ、と。彝憲は、常の法なり。呂氏が曰く、穆王卒わりの章の命、伯冏に望む者、深く且つ長し。此の心繼がず、造父を御と爲して、天下を周遊して、將に必ず車轍馬跡有りて、其の侈りを導かんとする者、果たして僕御の閒より出でたり。抑々知らず、伯冏猶職に在るや否やを。穆王豫め戒むる所を知りて、憂思深長なるも、猶躬自ら之を蹈むことを免れず。人心操捨の常無き、懼る可きかな、と。

呂刑 呂侯爲天子司寇。穆王命訓刑、以詰四方。史錄爲篇。今文古文皆有。○按此篇專訓贖刑。蓋本舜典金作贖刑之語。今詳此書、實則不然。蓋舜典所謂贖者、官府學校之刑爾。若五刑、則固未嘗贖也。五刑之寬、惟處以流。鞭扑之寬、方許其贖。今穆王贖法、雖大辟亦與其贖免矣。漢張敝以討羌兵食不繼、建爲入穀贖罪之法。初亦未嘗及夫殺人及盜之罪。而蕭望之等猶以爲、如此則富者得生、貧者獨死。恐開利路以傷治化。曾謂、唐虞之世、而有是贖法哉。穆王巡遊無度、財匱民勞。至其末年、無以爲計。乃爲此一切權宜之術、以斂民財。夫子錄之、蓋以示戒。然其一篇之書、哀矜惻怛、猶可以想見三代忠厚之遺意云爾。又按書傳引此、多稱甫刑。史記作甫侯言於王、作修刑辟。呂後爲甫歟。
【読み】
呂刑[りょけい] 呂侯は天子の司寇爲り。穆王訓刑を命じて、以て四方を詰[おさ]めしむ。史錄して篇とす。今文古文皆有り。○按ずるに此の篇專ら贖刑を訓ゆ。蓋し舜典の金もて贖刑を作すの語に本づく。今此の書を詳らかにするに、實は則ち然らず。蓋し舜典に所謂贖とは、官府學校の刑なるのみ。五刑の若きは、則ち固に未だ嘗て贖わず。五刑の寬[ゆる]きは、惟れ處するに流を以てす。鞭扑[べんぼく]の寬きは、方に其の贖うことを許す。今穆王の贖法は、大辟と雖も亦與に其れ贖いて免るるなり。漢の張敝羌を討ちて兵食繼かざるを以て、穀を入れて罪を贖うの法を建て爲す。初めより亦未だ嘗て夫の人を殺し及び盜むの罪に及ばず。而して蕭望之等猶以爲えらく、此の如きときは則ち富める者は生を得、貧しき者は獨り死す。恐れらくは利路を開いて以て治化を傷らん、と。曾て謂う、唐虞の世、而も是の贖法有らんや、と。穆王の巡遊度無く、財匱[つ]き民勞す。其の末年に至りて、以て計を爲すこと無し。乃ち此れ一切權宜の術を爲して、以て民の財を斂む。夫子之を錄して、蓋し以て戒めを示す。然も其の一篇の書、哀矜惻怛、猶以て三代忠厚の遺意を想い見る可しと爾か云う。又按ずるに書傳に此を引いて、多く甫刑を稱す。史記に甫侯王に言いて、刑辟を作修すと作す。呂は後に甫と爲るか。

惟呂命。王享國百年、耄荒。度作刑、以詰四方。惟呂命、與惟說命語意同。先此以見訓刑爲呂侯之言也。耄、老而昏亂之稱。荒、忽也。孟子曰、從獸無厭、謂之荒。穆王享國百年、車轍馬跡遍于天下。故史氏以耄荒二字發之。亦以見贖刑爲穆王耄荒所訓耳。蘇氏曰、荒、大也。大度作刑。猶禹曰予荒度土功。荒當屬下句。亦通。然耄亦貶之辭也。
【読み】
惟れ呂命ぜらる。王國を享けたること百年にして、耄いて荒[すさ]めり。度りて刑を作りて、以て四方を詰[おさ]む。惟れ呂命ぜらるは、惟れ說命ざれらると語意同じ。此を先にして以て訓刑は呂侯の言爲ることを見すなり。耄は、老いて昏亂するの稱。荒は、忽なり。孟子曰く、獸に從いて厭くこと無き、之を荒と謂う、と。穆王國を享けたること百年、車轍馬跡天下に遍し。故に史氏耄荒の二字を以て之を發す。亦以て贖刑は穆王耄荒の訓ゆる所爲ることを見すのみ。蘇氏が曰く、荒は、大いなり。大いに度りて刑を作る。猶禹の予れ荒いに土功を度ると曰うがごとし。荒は當に下の句に屬す、と。亦通ず。然も耄は亦之を貶[おと]しむるるの辭なり。

△王曰、若古有訓。蚩尤惟始作亂、延及于平民。罔不寇賊・鴟義・姦宄・奪攘・矯虔。蚩、充之反。鴟、處脂反。○言鴻荒之世、渾厚敦厖、蚩尤始開暴亂之端、驅扇熏炙、延及平民。無不爲寇爲賊。鴟義者、以鴟張跋扈爲義。矯虔者、矯詐虔劉也。
【読み】
△王曰く、若古[いにしえ]に訓え有り。蚩尤[しゆう]惟れ始めて亂を作し、延[ひ]いて平民に及ぼす。寇賊・鴟義・姦宄・奪攘・矯虔ならざること罔し。蚩は、充之反。鴟は、處脂反。○言うこころは、鴻荒の世、渾厚敦厖[とんぼう]にて、蚩尤始めて暴亂の端を開きて、驅扇熏炙して、延いて平民に及ぼす。寇を爲し賊を爲さざること無し。鴟義は、鴟張跋扈を以て義とす。矯虔は、矯詐虔劉なり。

△苗民弗用靈、制以刑、惟作五虐之刑曰法。殺戮無辜、爰始淫爲劓刵椓黥。越茲麗刑、幷制罔差有辭。劓、井例反。刵、而志反。椓、竹角反。黥、渠京反。○苗氏承蚩尤之暴、不用善而制以刑。惟作五虐之刑、名之曰法、以殺戮無罪。於是始過爲劓鼻・刵耳・椓竅・黥面之法。於麗法者必刑之。幷制無罪、不復以曲直之辭爲差別、皆刑之也。
【読み】
△苗民靈[よ]きを用いず、制[つく]るに刑を以てし、惟れ五虐の刑を作りて法と曰う。辜無きを殺戮し、爰に始めて淫[す]ぎて劓[ぎ]刵[じ]椓黥を爲す。茲の麗[つ]くに越[おい]て刑して、幷せ制[はか]りて辭有るものを差[えら]ぶこと罔し。劓は、井例反。刵は、而志反。椓は、竹角反。黥は、渠京反。○苗氏蚩尤の暴を承けて、善を用いずして制するに刑を以てす。惟れ五虐の刑を作りて、之を名づけて法と曰い、以て罪無きを殺戮す。是に於て始めて過ぎて劓鼻・刵耳・椓竅・黥面の法を爲す。法に麗く者に於て必ず之を刑す。罪無きを幷せ制して、復曲直の辭を以て差別をせずして、皆之を刑す。

△民興胥漸、泯泯棼棼、罔中于信、以覆詛盟。虐威庶戮、方告無辜于上。上帝監民、罔有馨香德、刑發聞惟腥。棼、敷文反、又音紛。○泯泯、昏也。棼棼、亂也。民相漸染、爲昏爲亂。無復誠信相與、反覆詛盟而已。虐政作威、衆被戮者、方各告無罪於天。天視苗民、無有馨香德、而刑戮發聞、莫非腥穢。呂氏曰、形於聲嗟、窮之反也。動於氣臭、惡之熟也。馨香、陽也。腥穢、陰也。故德爲馨香。而刑發腥穢也。
【読み】
△民興[た]ちて胥漸[すす]みて、泯泯棼棼として、中に信罔く、以て詛盟を覆す。虐威して庶々の戮[ころ]されたるもの、方に辜無きを上に告ぐ。上帝民を監て、馨香の德有ること罔くして、刑發[あらわ]れ聞こえて惟れ腥[なまぐさ]し。棼は、敷文反、又音紛。○泯泯は、昏きなり。棼棼は、亂るなり。民相漸染して、昏を爲し亂を爲す。復誠信相與すること無く、詛盟を反覆するのみ。虐政威を作し、衆々の戮せらる者、方々各々罪無きを天に告ぐ。天苗民を視るに、馨香の德有ること無くして、刑戮發れ聞えて、腥穢[せいわい]に非ざる莫し。呂氏が曰く、聲嗟に形るるは、窮するの反なり。氣臭に動くは、惡の熟するなり。馨香は、陽なり。腥穢は、陰なり。故に德を馨香とす。而して刑は腥穢を發す、と。

△皇帝哀矜庶戮之不辜、報虐以威、遏絕苗民、無世在下。皇帝、舜也。以書攷之、治苗民、命伯夷・禹・稷・皐陶。皆舜之事。報苗之虐、以我之威。絕、滅也。謂竄與分北之類。遏絕之、使無繼世在下國。
【読み】
△皇帝庶々の戮[ころ]されたるものの辜あらざるを哀しみ矜れみて、虐に報ゆるに威を以てし、苗民を遏[た]ち絕ちて、世[つ]いで下に在ること無し。皇帝は、舜なり。書を以て之を攷[かんが]うるに、苗民を治むるは、伯夷・禹・稷・皐陶に命ず。皆舜の事なり。苗の虐に報ゆるに、我が威を以てす。絕は、滅ぼすなり。竄と分北[ぶんぱい]の類を謂う。之を遏絕して、世を繼いで下國に在ること無からしむ。

△乃命重・黎、絕地天通、罔有降格。羣后之逮在下、明明棐常、鰥寡無蓋。重、小旻之後。黎、高陽之後。重、卽羲。黎、卽和也。呂氏曰、治世公道昭明、爲善得福、爲惡得禍。民曉然知其所由、則不求之渺茫冥昧之閒。當三苗昏虐、民之得罪者、莫知其端、無所控訴。相與聽於神、祭非其鬼、天地人神之典、雜揉瀆亂。此妖誕之所以興、人心之所以不正也。在舜當務之急、莫先於正人心。首命重・黎、修明祀典。天子然後祭天地、諸侯然後祭山川。高卑上下、各有分限。絕地天之通、嚴幽明之分、焄蒿妖誕之說、舉皆屛息。羣后及在下之羣臣、皆精白一心、輔助常道、民卒善而得福、惡而得禍。雖鰥寡之微、亦無有蓋蔽而不得自伸者也。○按國語曰、少暤氏之衰、九黎亂德、民神雜揉、家爲巫史、民瀆齊盟、禍災荐臻。顓頊受之、乃命南正重司天以屬神、北正黎司地以屬民、使無相侵瀆。其後三苗復九黎之德、堯復育重・黎之後。不忘舊者、使復典之。
【読み】
△乃ち重・黎に命じて、地天の通[みち]を絕ち、降し格ること有る罔し。羣后逮び下に在るもの、明明にして常を棐[たす]けて、鰥寡まで蓋[かく]すこと無し。重は、小旻の後なり。黎は、高陽の後なり。重は、卽ち羲。黎は、卽ち和なり。呂氏が曰く、治世は公道昭明にして、善を爲せば福を得、惡を爲せば禍いを得。民曉然として其の由る所を知るときは、則ち之を渺茫[びょうぼう]冥昧の閒に求めず。三苗の昏虐に當たりて、民の罪を得る者、其の端を知ること莫く、控訴する所無し。相與に神に聽[まか]せて、其の鬼に非ざるを祭り、天地人神の典、雜揉瀆亂す。此れ妖誕の興る所以、人心の正しからざる所以なり。舜當に務むべきの急なるに在りて、人心を正すより先なるは莫し。首めに重・黎に命じて、祀典を修明にす。天子にして然して後に天地を祭り、諸侯にして然して後に山川を祭る。高卑上下、各々分限有り。地天の通を絕ち、幽明の分を嚴にして、焄蒿妖誕の說、舉[ことごと]く皆屛息す。羣后及び下に在るの羣臣、皆一心を精白にし、常道を輔け助けて、民卒に善にして福を得、惡にして禍いを得。鰥寡の微と雖も、亦蓋蔽して自ら伸ぶることを得ざる者有ること無し、と。○按ずるに國語に曰く、少暤氏の衰うるとき、九黎德を亂り、民神雜揉して、家々巫史を爲し、民齊盟を瀆し、禍災荐[しき]りに臻[いた]る。顓頊[せんぎょく]之を受けて、乃ち南正重に命じて天を司りて以て神に屬し、北正黎地を司りて以て民に屬し、相侵し瀆すこと無らかしむ。其の後三苗九黎の德に復し、堯復重・黎の後を育す。舊を忘れざる者、復之を典[つかさど]らしむ、と。

△皇帝淸問下民。鰥寡有辭于苗。德威惟畏。德明惟明。淸問、虛心而問也。有辭、聲苗之過也。苗以虐爲威、以察爲明。帝反其道、以德威、而天下無不畏、以德明、而天下無不明也。
【読み】
△皇帝下民に淸問す。鰥寡苗に辭有り。德の威は惟れ畏る。德の明は惟れ明らかなり、と。淸問は、心を虛しくして問うなり。辭有りとは、苗の過ちを聲[ののし]るなり。苗は虐を以て威とし、察を以て明とす。帝其の道を反して、德の威を以てして、天下畏れざること無く、德の明を以てして、天下明らかならざること無し、と。

△乃命三后、恤功于民。伯夷降典、折民惟刑。禹平水土、主名山川。稷降播種、農殖嘉穀。三后成功、惟殷于民。恤功、致憂民之功也。典、禮也。伯夷降天地人之三禮、以折民之邪妄。蘇氏曰、失禮則入刑。禮・刑、一物也。伯夷降典、以正民心。禹平水土、以定民居。稷降播種、以厚民生。三后成功、而致民之殷盛富庶也。吳氏曰、二典不載有兩刑官。蓋傳聞之謬也。愚意皐陶未爲刑官之時、豈伯夷實兼之歟。下文又言伯夷播刑之迪。不應如此謬誤。
【読み】
△乃ち三后に命じて、功を民に恤う。伯夷典を降して、民を折[くじ]いて惟れ刑あり。禹水土を平らげて、山川を主とし名づく。稷播[し]き種[う]ゆることを降し、農嘉き穀を殖ゆ。三后功を成して、惟れ民を殷[さか]んにす。功を恤うとは、民を憂うるの功を致すなり。典は、禮なり。伯夷天地人の三禮を降して、以て民の邪妄を折く。蘇氏が曰く、禮を失するときは則ち刑に入る。禮・刑は、一物なり。伯夷典を降して、以て民の心を正す。禹水土を平らげて、以て民の居を定む。稷播種を降して、以て民生を厚くす。三后功を成して、民の殷盛富庶を致す、と。吳氏が曰く、二典に兩つの刑官有ることを載せず。蓋し傳聞の謬りならん、と。愚意うに、皐陶未だ刑官爲らざるの時、豈伯夷實に之を兼ぬるか。下の文に又伯夷刑を播[ほどこ]すの迪と言う。應に此の如きは謬り誤るべからず。

△士制百姓于刑之中、以敎祗德。命皐陶爲士、制百姓于刑辟之中。所以檢其心、而敎以祗德也。○吳氏曰、皐陶不與三后之列、遂使後世以刑官爲輕。後漢揚賜拜廷尉。自以代非法家言曰、三后成功、惟殷于民。皐陶不與、蓋吝之也。是後世非獨人臣以刑官爲輕、人君亦以爲輕矣。觀舜之稱皐陶曰、刑期于無刑、民協于中。時乃功。又曰、俾予從欲以治、四方風動惟乃之休。其所繫乃如此。是可輕哉。呂氏曰、呂刑一篇、以刑爲主。故歷敍本末、而歸之於皐陶之刑。勢不得與伯夷・禹・稷雜稱。言固有賓主也。
【読み】
△士百姓を刑の中に制[はか]りて、以て德を祗むことを敎ゆ。皐陶に命じて士とし、百姓を刑辟の中に制す。其の心を檢[はか]りて、敎ゆるに德を祗むことを以てする所以なり。○吳氏が曰く、皐陶は三后の列に與らず、遂に後世をして刑官を以て輕しとせしむ。後漢の揚賜廷尉に拜せらる。自ら代々法家に非ざるを以て言いて曰く、三后功を成して、惟れ民を殷んにす。皐陶與らざるは、蓋し之を吝[は]じてなり、と。是れ後世獨り人臣の刑官を以て輕しとするに非ず、人君も亦以て輕しとす。舜の皐陶を稱するを觀るに曰く、刑は刑無きに期[あ]て、民中に協わしむ。時[こ]れ乃の功なり、と。又曰く、予をして欲するに從いて以て治めしめ、四方風の動くがごとくなること、惟れ乃の休きなり、と。其の繫る所乃ち此の如し。是れ輕くす可けんや、と。呂氏が曰く、呂刑の一篇は、刑を以て主とす。故に歷く本末を敍で、之を皐陶の刑に歸す。勢い伯夷・禹・稷と雜え稱することを得ず、と。言うこころは、固に賓主たること有り。

△穆穆在上、明明在下、灼于四方。罔不惟德之勤。故乃明于刑之中、率乂于民棐彝。穆穆者、和敬之容也。明明者、精白之容也。灼于四方者、穆穆明明、輝光發越而四達也。君臣之德、昭明如是。故民皆觀感動盪爲善、而不能自已也。如是而猶有未化者。故士師明于刑之中、使無過不及之差、率乂于民、輔其常性。所謂刑罰之精華也。
【読み】
△穆穆上に在り、明明下に在り、四方に灼らかなり。惟れ德を勤めざること罔し。故に乃ち刑の中を明らかにし、民を率い乂[おさ]めて彝を棐[たす]く。穆穆は、和敬の容なり。明明は、精白の容なり。四方に灼らかとは、穆穆明明、輝光發越して四に達するなり。君臣の德、昭明なること是の如し。故に民皆觀感動盪して善を爲して、自ら已むこと能わざるなり。是の如くにして猶未だ化せざる者有り。故に士師刑の中を明らかにして、過不及の差い無からしめ、民を率い乂めて、其の常の性を輔く。所謂刑罰の精華なり。

△典獄非訖于威、惟訖于富。敬忌罔有擇言在身。惟克天德、自作元命、配享在下。訖、盡也。威、權勢也。富、賄賂也。當時典獄之官、非惟得盡法於權勢之家、亦惟得盡法於賄賂之人。言不爲威屈、不爲利誘也。敬忌之至、無有擇言在身、大公至正、純乎天德、無毫髪不可舉以示人者。天德在我、則大命自我作、而配享在下矣。在下者、對天之辭。蓋推典獄用刑之極功、而至於與天爲一者如此。
【読み】
△獄を典[つかさど]ること威を訖[つ]くすのみに非ず、惟れ富めるを訖くす。敬み忌みて擇ばん言の身に在ること有る罔し。惟れ天德を克くするときは、自ら元命を作して、配[あわ]せ享けて下に在り、と。訖[きつ]は、盡くすなり。威は、權勢なり。富は、賄賂なり。當時典獄の官は、惟れ法を權勢の家に盡くすことを得るのみに非ず、亦惟れ法を賄賂の人に盡くすことを得。言うこころは、威の爲に屈せず、利の爲に誘かれざるなり。敬み忌むことの至り、擇ばん言の身に在ること有る無くして、大公至正、天德に純らにして、毫髪も舉げて以て人に示す可からざること無き者なり。天德我に在るときは、則ち大命我より作して、配せ享けて下に在り。下に在りとは、天に對するの辭なり。蓋し獄を典り刑を用ゆるの極功を推して、天と一と爲るに至る者此の如し。

△王曰、嗟四方司政典獄、非爾惟作天牧。今爾何監。非時伯夷播刑之迪。其今爾何懲。惟時苗民。匪察于獄之麗、罔擇吉人、觀于五刑之中。惟時庶威奪貨。斷制五刑、以亂無辜。上帝不蠲、降咎于苗。苗民無辭于罰。乃絕厥世。司政典獄、漢孔氏曰、諸侯也。爲諸侯主刑獄而言。非爾諸侯爲天牧養斯民乎。爲天牧民、則今爾何所監懲。所當監者、非伯夷乎。所當懲者、非有苗乎。伯夷布刑以啓迪斯民。捨皐陶而言伯夷者、探本之論也。麗、附也。苗民不察於獄辭之所麗、又不擇吉人、俾觀于五刑之中。惟是貴者以威亂政、富者以貨奪法、斷制五刑、亂虐無罪。上帝不蠲貸、而降罰于苗。苗民無所辭其罰、而遂殄滅之也。
【読み】
△王曰く、嗟[ああ]四方の政を司り獄を典るもの、爾惟れ天の牧と作るに非ずや。今爾何をか監みん。時[こ]の伯夷が刑を播[ほどこ]すの迪[みち]に非ずや。其れ今爾何をか懲りん。惟れ時[こ]の苗民ならん。獄の麗[つ]くを察[み]るに匪ず、吉人を擇びて、五刑の中を觀せしむること罔し。惟れ時れ威に庶々し貨に奪わる。五刑を斷り制[はか]りて、以て辜無きを亂る。上帝蠲[ゆる]さず、咎を苗に降せり。苗民罰に辭無し。乃ち厥の世つぎを絕てり、と。司政典獄は、漢の孔氏が曰く、諸侯なり、と。諸侯刑獄を主るが爲にして言う。爾諸侯天の爲に斯の民を牧養するに非ずや。天の爲に民を牧うときは、則ち今爾何をか監み懲る所ならん。當に監みる所の者は、伯夷に非ずや。當に懲るべき所の者は、有苗に非ずや。伯夷刑を布いて以て斯の民を啓き迪[みちび]く。皐陶を捨[お]いて伯夷を言う者は、本を探るの論なり。麗は、附くなり。苗民獄辭の麗く所を察せず、又吉人を擇びて、五刑の中を觀せしめず。惟れ是れ貴き者は威を以て政を亂り、富める者は貨を以て法を奪い、五刑を斷制して、罪無きを亂り虐[そこな]う。上帝蠲貸[けんたい]せずして、罰を苗に降す。苗民其の罰を辭する所無くして、遂に殄[た]ち滅ぼされたり。

△王曰、嗚呼念之哉。伯父・伯兄・仲叔・季弟・幼子・童孫、皆聽朕言。庶有格命。今爾罔不由慰日勤。爾罔或戒不勤。天齊于民、俾我一日。非終惟終在人。爾尙敬逆天命、以奉我一人。雖畏勿畏。雖休勿休。惟敬五刑、以成三德。一人有慶、兆民賴之、其寧惟永。此告同姓諸侯也。格、至也。參錯訊鞠、極天下之勞者、莫若獄。苟有毫髪怠心、則民有不得其死者矣。罔不由慰日勤者、爾所用以自慰者、無不以日勤。故職舉而刑當也。爾罔或戒不勤者、刑罰之用、一成而不可變者也。苟頃刻之不勤、則刑罰失中。雖深戒之、而已施者亦無及矣。戒固善心也。而用刑、豈可以或戒也哉。且刑獄、非所恃以爲治也。天以是整齊亂民、使我爲一日之用而已。非終、卽康誥大罪非終之謂。言過之當宥者。惟終、卽康誥小罪惟終之謂。言故之當辟者。非終惟終、皆非我得輕重。惟在夫人所犯耳。爾當敬逆天命、以承我一人。畏・威、古通用。威、辟之也。休、宥之也。我雖以爲辟、爾惟勿辟。我雖以爲宥、爾惟勿宥。惟敬乎五刑之用、以成剛柔正直之德、則君慶於上、民賴於下、而安寧之福、其永久而不替矣。
【読み】
△王曰く、嗚呼之を念えや。伯父・伯兄・仲叔・季弟・幼子・童孫まで、皆朕が言を聽け。庶々格命有り。今爾由[もっ]て慰[やす]んじて日々に勤めざること罔かれ。爾勤めざることを戒むること或る罔かれ。天民を齊[ひと]しくして、我をして一日たらしむ。終うるに非ざるも惟れ終うるも人に在り。爾尙わくは敬みて天命を逆[むか]えて、以て我れ一人を奉ぜよ。畏れしめよと雖も畏れしむること勿かれ。休[ゆる]せと雖も休すこと勿かれ。惟れ五刑を敬みて、以て三德を成せ。一人慶び有るときは、兆民之に賴りて、其れ寧んじて惟れ永し、と。此れ同姓の諸侯に告ぐるなり。格は、至るなり。參錯訊鞠して、天下の勞を極むる者は、獄に若くは莫し。苟も毫髪の怠る心有るときは、則ち民其の死を得ざる者有り。由て慰んじて日々に勤めざること罔かれとは、爾が用いて以て自ら慰んずる所の者、以て日々に勤めざること無かれ、と。故に職舉げて刑當たるなり。爾勤めざるを戒むること或る罔かれとは、刑罰の用は、一たび成りて變う可からざる者なり。苟も頃刻も勤めざるときは、則ち刑罰中を失す。深く之を戒むると雖も、而れども已に施す者亦及ぶこと無し。戒むるは善心を固くするなり。而れども刑を用ゆるは、豈以て戒むること或る可けんや。且つ刑獄は、恃みて以て治を爲す所に非ず。天是を以て亂民を整え齊えて、我をして一日の用を爲さしむるのみ。終うるに非ずとは、卽ち康誥の大罪は終うるに非ずの謂なり。言うこころは、過ちの當に宥むべき者なり。惟れ終うるとは、卽ち康誥の小罪は惟れ終うるの謂なり。言うこころは、故[ことさら]にするの當に辟[つみ]すべき者なり。終うるに非ず惟れ終うるとは、皆我れ得て輕重するに非ず。惟れ夫の人の犯す所に在るのみ。爾當に敬みて天命を逆えて、以て我れ一人を承くべし。畏・威は、古通じ用ゆ。威は、之を辟するなり。休は、之を宥むるなり。我れ以て辟を爲すと雖も、爾惟れ辟すること勿かれ。我以て宥むることを爲すと雖も、爾惟れ宥むること勿かれ。惟れ五刑の用を敬みて、以て剛柔正直の德を成すときは、則ち君上に慶びあり、民下に賴りて、安寧の福、其れ永久にして替[すた]れず。

△王曰、吁來有邦・有土、告爾祥刑。在今爾安百姓。何擇、非人。何敬、非刑。何度、非及。有民社者、皆在所告也。夫刑、凶器也。而謂之祥者、刑期無刑、民協于中。其祥莫大焉。及、逮也。漢世詔獄所逮有至數萬人者、審度其所當逮者、而後可逮之也。曰何曰非、問答以發其意、以明三者之決不可不盡心也。
【読み】
△王曰く、吁[ああ]來れ有邦・有土、爾に祥刑を告げん。今に在[おい]て爾百姓を安んず。何を擇ぶ、人に非ずや。何を敬む、刑に非ずや。何を度る、及べるに非ずや。民社有る者は、皆告ぐる所に在り。夫れ刑は、凶器なり。而るを之を祥と謂う者は、刑は刑無きに期[あ]てれば、民中に協う。其の祥焉より大なるは莫し。及は、逮ぶなり。漢の世詔獄の逮ぶ所數萬人に至る者有りとは、其の當に逮ぶべき所の者を審らかにし度りて、而して後に之に逮ぼす可きなり。何と曰い非と曰いて、問答して以て其の意を發して、以て三つの者の決して心を盡くさずんばある可からざることを明らかにするなり。

△兩造具備、師聽五辭。五辭簡孚、正于五刑。五刑不簡、正于五罰。五罰不服、正于五過。兩造者、兩爭者皆至也。周官以兩造聽民訟。具備者、詞證皆在也。師、衆也。五辭、麗於五刑之辭也。簡、核其實也。孚、無可疑也。正、質也。五辭簡核而可信、乃質于五刑也。不簡者、辭與刑參差不應。刑之疑者也。罰、贖也。疑於刑、則質于罰也。不服者、辭與罰又不應也。罰之疑者也。過、誤也。疑於罰、則質于過、而宥免之也。
【読み】
△兩造具に備わらば、師々五辭を聽け。五辭簡[えら]び孚あらば、五刑に正せ。五刑簡ばずんば、五罰に正せ。五罰服[つ]かずんば、五過に正せ。兩造は、兩爭の者皆至るなり。周官に兩造を以て民の訟を聽く、と。具に備わるとは、詞證皆在るなり。師は、衆なり。五辭は、五刑に麗[つ]くの辭なり。簡は、其の實を核[かんが]うるなり。孚は、疑う可きこと無きなり。正は、質すなり。五辭簡核して信ず可くんば、乃ち五刑に質すなり。簡ばずとは、辭と刑と參差して應ぜず。刑の疑わしき者なり。罰は、贖なり。刑に疑わしきときは、則ち罰に質すなり。服かずとは、辭と罰と又應ぜざるなり。罰の疑わしき者なり。過は、誤ちなり。罰に疑わしきときは、則ち過に質して、之を宥め免すなり。

△五過之疵、惟官、惟反、惟内、惟貨、惟來。其罪惟均。其審克之。疵、病也。官、威勢也。反、報德怨也。内、女謁也。貨、賄賂也。來、干請也。惟此五者之病以出入人罪、則以人之所犯坐之也。審克者、察之詳而盡其能也。下文屢言、以見其丁寧忠厚之至。疵於刑罰亦然。但言於五過者、舉輕以見重也。
【読み】
△五過の疵[やまい]は、惟れ官、惟れ反、惟れ内、惟れ貨、惟れ來。其の罪は惟れ均し。其れ審らかに之を克くせよ。疵は、病なり。官は、威勢なり。反は、德と怨みとに報ゆるなり。内は、女謁なり。貨は、賄賂なり。來は、干[もと]め請うなり。惟れ此の五つの者の病以て人の罪を出入するときは、則ち人の犯す所を以て之に坐すなり。審らかに克くせよとは、之を察すること詳らかにして其の能を盡くすなり。下の文に屢々言いて、以て其の丁寧忠厚の至りを見す。疵しきは刑罰に於ても亦然り。但五過を言う者は、輕きを舉げて以て重きを見すなり。

△五刑之疑有赦、五罰之疑有赦。其審克之。簡孚有衆、惟貌有稽。無簡不聽。具嚴天威。刑疑有赦、正于五罰也。罰疑有赦、正于五過也。簡核情實可信者衆、亦惟考察其容貌。周禮所謂色聽是也。然聽獄以簡核爲本。苟無情實、在所不聽。上帝臨汝。不敢有毫髪之不盡也。
【読み】
△五刑の疑わしきをば赦すこと有り、五罰の疑わしきをば赦すこと有り。其れ審らかに之を克くせよ。簡[えら]び孚あること衆[おお]きこと有らば、惟れ貌稽うること有り。簡ぶこと無きは聽[ゆる]さず。具に天威を嚴かにせよ。刑疑わしきをば赦すこと有りとは、五罰に正すなり。罰疑わしきをば赦すこと有りとは、五過に正すなり。簡核情實信ず可き者衆きときは、亦惟れ其の容貌を考え察す。周禮に所謂色聽とは是れなり。然して獄を聽くは簡核を以て本とす。苟も情實無くば、聽さざる所在り。上帝汝に臨む。敢えて毫髪の盡くさざること有らず。

△墨辟疑赦。其罰百鍰。閱實其罪。劓辟疑赦。其罰惟倍。閱實其罪。剕辟疑赦。其罰倍差。閱實其罪。宮辟疑赦。其罰六百鍰。閱實其罪。大辟疑赦。其罰千鍰。閱實其罪。墨罰之屬千、劓罰之屬千、剕罰之屬五百、宮罰之屬三百、大辟之罰、其屬二百、五刑之屬三千。上下比罪。無僭亂辭。勿用不行。惟察惟法、其審克之。鍰、胡關反。○墨、刻顙而涅之也。劓、割鼻也。剕、刖足也。宮、淫刑也。男子割勢、婦人幽閉。大辟、死刑也。六兩曰鍰。閱、視也。倍、二百鍰也。倍差、倍而又差。五百鍰也。屬、類也。三千、總計之也。周禮司刑所掌五刑之屬、二千五百刑。雖增舊、然輕罪比舊爲多、而重罪比舊爲減也。比、附也。罪無正律、則以上下刑而比附其罪也。無僭亂辭、勿用不行、未詳。或曰、亂辭、辭之不可聽者。不行、舊有是法、而今不行者。戒其無差誤於僭亂之辭、勿用今所不行之法。惟詳明法意、而審克之也。○今按皐陶所謂罪疑惟輕者、降一等而罪之耳。今五刑疑赦而直罰之以金。是大辟・宮・剕・劓・墨、皆不復降等用矣。蘇氏謂、五刑疑各人罰不下、當因古制非也。舜之贖刑、官府學校鞭扑之刑耳。夫刑莫輕於鞭扑。入於鞭扑之刑、而又情法猶有可議者。則是無法以治之。故使之贖特不欲遽釋之也。而穆王之所謂贖、雖大辟亦贖也。舜豈有是制哉。詳見篇題。
【読み】
△墨辟の疑わしきをば赦す。其の罰百鍰[かん]。其の罪を閱[けみ]し實とす。劓辟[ぎへき]の疑わしきをば赦す。其の罰惟れ倍[ま]す。其の罪を閱し實とす。剕辟[ひへき]の疑わしきをば赦す。其の罰倍し差[しな]す。其の罪を閱し實とす。宮辟の疑わしきをば赦す。其の罰六百鍰。其の罪を閱し實とす。大辟の疑わしきをば赦す。其の罰千鍰。其の罪を閱し實とす。墨罰の屬千、劓罰の屬千、剕罰の屬五百、宮罰の屬三百、大辟の罰、其の屬二百、五刑の屬三千。上下罪を比[なら]う。亂れたる辭に僭[あやま]ること無かれ。行われざるを用ゆること勿かれ。惟れ惟の法を察らかにして、其れ審らかに之を克くせよ。鍰は、胡關反。○墨は、顙[ひたい]に刻んで之を涅[くろ]くするなり。劓は、鼻を割るなり。剕は、足を刖[き]るなり。宮は、淫刑なり。男子は勢を割り、婦人は幽閉す。大辟は、死刑なり。六兩を鍰と曰う。閱は、視るなり。倍は、二百鍰なり。倍差は、倍して又差す。五百鍰なり。屬は、類なり。三千は、總べて之を計るなり。周禮に司刑掌る所の五刑の屬は、二千五百刑、と。舊に增すと雖も、然れども輕罪は舊に比ぶれば多しとし、重罪は舊に比ぶれば減れりとす。比は、附すなり。罪正律無きときは、則ち上下の刑を以て其の罪を比い附すなり。亂れたる辭に僭ること無かれ、行われざるを用ゆること勿かれは、未だ詳らかならず。或ひと曰く、亂辭は、辭の聽く可からざる者なり。不行は、舊に是の法有りて、今行われざる者なり、と。戒むるに其の僭亂の辭を差え誤ること無かれ、今行われざる所の法を用ゆること勿かれ。惟れ詳らかに法意を明らかにして、審らかに之を克くせよ、と。○今按ずるに皐陶が所謂罪の疑わしきは惟れ輕くする者は、一等を降して之を罪するのみ。今五刑の疑わしきを赦して直に之を罰するに金を以てす。是れ大辟・宮・剕・劓・墨は、皆復等を降すを用いず。蘇氏が謂く、五刑疑わしき各々の人を罰するに下さざること、當に古の制に因るに非なるべし。舜の贖刑するは、官府學校鞭扑の刑なるのみ。夫れ刑は鞭扑より輕きは莫し。鞭扑の刑に入りて、又情法猶議す可き者有り。則ち是れ法以て之を治むること無し。故に之をして贖わしめて特に遽に之を釋すことを欲せず。而れども穆王の所謂贖は、大辟と雖も亦贖うなり。舜に豈是の制有らんや、と。詳らかに篇題に見えたり。

△上刑適輕下服。下刑適重上服。輕重諸罰有權。刑罰世輕世重。惟齊非齊、有倫有要。事在上刑而情適輕、則服下刑。舜之宥過無大。康誥所謂大罪非終者、是也。事在下刑而情適重、則服上刑。舜之刑故無小。康誥所謂小罪非眚者、是也。若諸罰之輕重、亦皆有權焉。權者、進退推移、以求其輕重之宜也。刑罰世輕世重者、周官刑新國用輕典、刑亂國用重典、刑平國用中典。隨世而爲輕重者也。輕重諸罰有權者、權一人之輕重也。刑罰世輕世重者、權一世之輕重也。惟齊非齊者、法之權也。有倫有要者、法之經也。言刑罰雖惟權變是適、而齊之以不齊焉。至其倫要所在、蓋有截然而不可紊者矣。此兩句總結上意。
【読み】
△上の刑輕きに適くは下に服[つ]く。下の刑重きに適くは上に服く。諸罰を輕重するに權ること有り。刑罰は世にして輕くし世にして重くす。惟れ齊しくすること齊しくするに非ざること、倫有り要有り。事上刑に在りて情適々輕きときは、則ち下刑に服す。舜の過てるを宥めて大いなりとすること無きなり。康誥に所謂大いなる罪あるとも終うるに非ずとは、是れなり。事下刑に在りて情適々重きときは、則ち上刑に服す。舜の故を刑するに小しきなること無きなり。康誥に所謂小しきなる罪も眚[あやまち]に非ずとは、是れなり。諸罰の輕重の若き、亦皆權ること有り。權は、進退推移して、以て其の輕重の宜しきを求むるなり。刑罰は世にして輕くし世にして重くすとは、周官の新國を刑するには輕典を用い、亂國を刑するには重典を用い、平國を刑するには中典を用ゆるなり。世に隨いて輕重を爲す者なり。諸罰を輕重するに權ること有りとは、一人の輕重を權るなり。刑罰は世にして輕くし世にして重くすとは、一世の輕重を權るなり。惟れ齊しくすること齊しくするに非ざることは、法の權なり。倫有り要有りとは、法の經なり。言うこころは、刑罰惟れ權變是れ適うと雖も、而れども之を齊しくするに齊しからざるを以てす。其の倫要の在る所に至りて、蓋し截然として紊る可からざる者有り。此の兩句は總べて上の意を結べり。

△罰懲、非死。人極于病。非佞折獄、惟良折獄。罔非在中。察辭于差、非從惟從、哀敬折獄、明啓刑書胥占、咸庶中正。其刑其罰、其審克之。獄成而孚、輸而孚。其刑上備、有幷兩刑。罰、以懲過。雖非致人於死、然民重出贖亦甚病矣。佞、口才也。非口才辯給之人、可以折獄、惟溫良長者、視民如傷者、能折獄而無不在中也。此言聽獄者、當擇其人也。察辭于差者、辭非情實終必有差。聽獄之要、必於其差而察之。非從惟從者、察辭不可偏主、猶曰不然而然。所以審輕重而取中也。哀敬折獄者、惻怛敬畏以求其情也。明啓刑書胥占者、言詳明法律、而與衆占度也。咸庶中正者、皆庶幾其無過忒也。於是刑之罰之、又當審克之也。此言聽獄者、當盡其心也。若是則獄成於下而民信之、獄輸於上而君信之。其刑上備、有幷兩刑者、言上其斷獄之書、當備情節。一人而犯兩事、罪雖從重、又幷兩刑而上之也。此言讞獄者、當備其辭也。
【読み】
△罰は懲らす、死[ころ]すに非ず。人病めるに極まる。佞の獄を折[さだ]むるに非ず、惟れ良獄を折むるべし。中に在るに非ざること罔かれ。辭を差えるに察らかにし、從うに非ざるに惟れ從い、哀敬して獄を折め、明らかに刑書を啓いて胥占[はか]る、咸庶わくは中正ならんことを。其の刑其の罰、其れ審らかに之を克くせよ。獄成りて孚とし、輸[いた]して孚とす。其の刑上げ備うるときは、幷せて兩つながら刑すること有り、と。罰は、以て過ちを懲らす。人を死に致すに非ずと雖も、然れども民重く贖を出だすときは亦甚だ病めり。佞は、口才なり。口才辯給の人に非ず、以て獄を折むる可きは、惟れ溫良の長者、民を視ること傷めるが如き者、能く獄を折めて中に在らざること無きなり。此れ言うこころは、獄を聽く者は、當に其の人を擇ぶべし。辭を差えるに察らかにすとは、辭は情實に非ざれば終に必ず差い有り。獄を聽くの要は、必ず其の差えるに於て之を察らかにす。從うに非ざるに惟れ從うとは、偏主す可からざるの辭を察らかにすること、猶然らずして然りと曰うがごとし。輕重を審らかにして中を取る所以なり。哀敬して獄を折むるとは、惻怛敬畏して以て其の情を求むるなり。明らかに刑書を啓いて胥占るとは、言うこころは、法律を詳明にして、衆と占り度るなり。咸庶わくは中正ならんことをとは、皆庶幾わくは其れ過忒[かとく]無きことをとなり。是に於て之を刑し之を罰して、又當に審らかに之を克くせよ、と。此れ言うこころは、獄を聽く者は、當に其の心を盡くすべし。是の若きときは則ち獄下に成りて民之を信じ、獄上に輸して君之を信ず。其の刑上げ備うるときは、幷せて兩つながら刑すること有りとは、言うこころは、其の斷獄の書を上ぐるには、當に情節を備うるべし。一人にして兩事を犯すに、罪重きに從うと雖も、又兩刑を幷せて之を上ぐるなり。此れ言うこころは、獄を讞[さば]く者、當に其の辭を備にすべし。

△王曰、嗚呼敬之哉。官伯族姓、朕言多懼。朕敬于刑。有德惟刑。今天相民、作配在下。明淸于單辭。民之亂罔不中。聽獄之兩辭、無或私家于獄之兩辭。獄貨非寶、惟府辜功。報以庶尤。永畏惟罰。非天不中、惟人在命。天罰不極、庶民罔有令政在于天下。此總告之也。官、典獄之官也。伯、諸侯也。族、同族。姓、異姓也。朕之於刑、言且多懼。況用之乎。朕敬于刑者、畏之至也。有德惟刑、厚之至也。今天以刑相治斯民。汝實任責、作配在下可也。明淸以下、敬刑之事也。獄辭有單有兩。單辭者、無證之辭也。聽之爲尤難。明者、無一毫之蔽。淸者、無一點之汚。曰明曰淸、誠敬篤至、表裏洞徹、無少私曲、然後能察其情也。亂、治也。獄貨、鬻獄而得貨也。府、聚也。辜功、猶云罪狀也。報以庶尤者、降之百殃也。非天不中、惟人在命者、非天不以中道待人、惟人自取其殃禍之命爾。此章文有未詳者。姑缺之。
【読み】
△王曰く、嗚呼之を敬めや。官伯族姓、朕が言懼れ多し。朕れ刑を敬む。德有りて惟れ刑す。今天民を相けて、配[あわ]せて下に在ることを作す。單辭を明らかに淸くす。民の亂[おさ]まれること中ならざる罔し。獄の兩辭を聽きて、獄の兩辭を私家にすること或る無かれ。獄の貨は寶に非ず、惟れ辜の功を府[あつ]む。報ゆるに庶々の尤を以てす。永く畏れて惟れ罰せよ。天の中ならざるには非ず、惟れ人命に在り。天罰極まらず、庶民令政の天下に在ること有る罔けん、と。此れ總べて之を告ぐるなり。官は、典獄の官なり。伯は、諸侯なり。族は、同族。姓は、異姓なり。朕が刑に於る、言且つ懼れ多し。況んや之を用ゆるをや。朕れ刑を敬むとは、畏るるの至りなり。德有りて惟れ刑すとは、厚きの至りなり。今天刑を以て斯の民を相け治む。汝實に責に任じ、配せて下に在ることを作すは可なり。明淸以下は、刑を敬むの事なり。獄の辭に單有り兩有り。單辭は、證無きの辭なり。之を聽くこと尤も難しとす。明は、一毫の蔽われ無きなり。淸は、一點の汚れ無きなり。明と曰い淸と曰い、誠敬篤く至りて、表裏洞徹して、少しも私曲無く、然して後に能く其の情を察す。亂は、治むるなり。獄の貨は、獄を鬻[う]りて貨を得るなり。府は、聚むるなり。辜の功は、猶罪狀と云うがごとし。報ゆるに庶々の尤を以てすとは、之が百殃を降すなり。天の中ならざるには非ず、惟れ人命に在りとは、天は中道を以て人を待たざるに非ず、惟れ人自ら其の殃禍の命を取るのみ。此の章の文は未だ詳らかならざる者有り。姑く之を缺く。

△王曰、嗚呼嗣孫、今往何監。非德于民之中。尙明聽之哉。哲人惟刑、無疆之辭。屬于五極、咸中有慶。受王嘉師、監于茲祥刑。此詔來世也。嗣孫、嗣世子孫也。言今往何所監視。非用刑成德、而能全民所受之中者乎。下文哲人、卽所當監者。五極、五刑也。明哲之人、用刑而有無窮之譽。蓋由五刑咸得其中、所以有慶也。嘉、善。師、衆也。諸侯受天子良民善衆、當監視於此祥刑。申言以結之也。
【読み】
△王曰く、嗚呼嗣孫、今より往くさき何をか監みん。民の中に德あるに非ずや。尙わくは明らかに之を聽けや。哲人惟れ刑して、疆り無きの辭あり。五極に屬して、咸中するときは慶び有り。王の嘉き師々を受けて、茲の祥刑を監みよ、と。此れ來世に詔ぐるなり。嗣孫は、世を嗣ぐ子孫なり。言うこころは、今より往くさき何の監み視る所なる。刑を用ゆるに德を成して、能く民の受くる所の中を全くする者に非ざらんや。下の文の哲人は、卽ち當に監みるべき所の者なり。五極は、五刑なり。明哲の人は、刑を用いて無窮の譽れ有り。蓋し五刑を由[もち]ゆるに咸其の中を得るは、慶び有る所以なり。嘉は、善き。師は、衆なり。諸侯天子の良民善衆を受けて、當に此の祥刑を監み視るべし。申ねて言いて以て之を結べり。

文侯之命 幽王爲犬戎所殺。晉文侯與鄭武公、迎太子宜臼立之。是爲平王。遷於東都、平王以文侯爲方伯、賜以秬鬯弓矢、作策書命之。史錄爲篇。今文古文皆有。
【読み】
文侯之命[ぶんこうのめい] 幽王犬戎の爲に殺さる。晉の文侯と鄭の武公、太子宜臼を迎えて之を立つ。是を平王とす。東都に遷り、平王文侯を以て方伯とし、賜うに秬[きょ]鬯[ちょう]弓矢を以てし、策書を作りて之に命ず。史錄して篇とす。今文古文皆有り。

王若曰、父義和、丕顯文武、克愼明德。昭升于上、敷聞在下。惟時上帝、集厥命于文王。亦惟先正、克左右昭事厥辟。越小大謀猷、罔不率從。肆先祖懷在位。同姓故稱父。文侯、名仇。義和、其字。不名者、尊之也。丕顯者、言其德之所成。克愼者、言其德之所修。昭升敷聞、言其德之所至也。文武之德如此。故上帝集厥命於文王。亦惟爾祖父、能左右昭事其君。於小大謀猷、無敢背違。故先王得安在位。
【読み】
王若[か]く曰く、父義和、丕いに文武を顯らかにして、克く明德を愼む。昭らかに上に升りて、敷き聞こえて下に在り。惟れ時[こ]れ上帝、厥の命を文王に集めたり。亦惟れ先正、克く左右[たす]けて昭らかに厥の辟に事うる。小大の謀猷に越[おい]て、率い從わざること罔し。肆[ゆえ]に先祖懷[やす]んじて位に在り。同姓故に父と稱す。文侯、名は仇。義和は、其の字なり。名いわざるは、之を尊ぶなり。丕いに顯らかとは、其の德の成れる所を言う。克く愼むとは、其の德の修むる所を言う。昭らかに升り敷き聞こゆとは、其の德の至る所を言うなり。文武の德此の如し。故に上帝厥の命を文王に集む。亦惟れ爾の祖父、能く左右けて昭らか其の君に事うる。小大の謀猷に於て、敢えて背き違うこと無し。故に先王安んじて位に在ることを得たり。

△嗚呼閔予小子、嗣造天丕愆、殄資澤于下民。侵戎我國家純。卽我御事、罔或耆壽俊在厥服。予則罔克。曰、惟祖惟父、其伊恤朕躬。嗚呼有績、予一人永綏在位。歎而自痛傷也。閔、憐也。嗣造天丕愆者、嗣位之初、爲天所大譴。父死國敗也。殄、絕。純、大也。絕厥資用惠澤於下民。本旣先撥。故戎狄侵陵、爲我國家之害甚大。今我御事之臣、無有老成俊傑在厥官者。而我小子又材劣無能、其何以濟難。又言、諸侯在我祖父之列者、其誰能恤我乎。又歎息言、有能致功予一人、則可永安其位矣。蓋悲國之無人。無有如上文先正之昭事、而先王得安在位也。
【読み】
△嗚呼閔しいかな予れ小子、嗣ぐ造[はじ]め天丕いに愆[とが]めて、資澤を下民に殄[た]てり。戎に我が國家を侵されて純[おお]いなり。卽ち我が御事、耆壽俊の厥の服[こと]に在ること或る罔し。予れ則ち克くすること罔し。曰く、惟れ祖惟れ父、其れ伊[こ]れ朕が躬を恤えんや。嗚呼績有らば、予れ一人永く綏んじて位に在らん。歎じて自ら痛み傷むなり。閔は、憐れむなり。嗣ぐ造め天丕いに愆むとは、位を嗣ぐの初め、天の爲に大いに譴めらる。父死に國敗るるなり。殄[てん]は、絕つ。純は、大いなり。厥の資用惠澤を下民に絕つ。本旣に先ず撥[た]つ。故に戎狄侵陵して、我が國家の害を爲すこと甚だ大いなり。今我が御事の臣、老成俊傑の厥の官に在る者有ること無し。而も我れ小子も又材劣り無能にして、其れ何を以てか難を濟わん。又言う、諸侯の我が祖父の列に在る者、其れ誰か能く我を恤えんや、と。又歎息して言う、能く功を予れ一人に致すこと有らば、則ち永く其の位を安んず可し、と。蓋し國の人無きを悲しむ。上の文の先正の昭らかに事えて、先王安んじて位に在るを得るが如きこと有る無し。

△父義和、汝克昭乃顯祖、汝肇刑文武、用會紹乃辟、追孝于前文人。汝多修扞我于艱。若汝予嘉。扞、侯旰反。○顯祖・文人、皆謂康叔。卽上文先正昭事其君者也。後罔或耆壽俊在厥服、則刑文武之道絕矣。今刑文武自文侯始。故曰肇刑文武。會者、合之而使不離。紹者、繼之而使不絕。前文人、猶云前寧人。汝多所修完、扞衛我于艱難。若汝之功、我所嘉美也。
【読み】
△父義和、汝克く乃の顯祖を昭かにし、汝肇めて文武に刑[のっと]り、用て乃の辟を會わせ紹[つ]いで、追って前の文人に孝あり。汝多く修めて我を艱きに扞[まも]る。汝が若き予れ嘉みす。扞は、侯旰反。○顯祖・文人は、皆康叔を謂う。卽ち上の文の先正昭らかに其の君に事うる者なり。後耆壽俊の厥の服に在ること或る罔きときは、則ち文武に刑るの道絕ちぬ。今文武に刑ること文侯より始まる。故に肇めて文武に刑ると曰う。會とは、之を合わせて離れざらしむるなり。紹とは、之を繼いで絕えざらしむるなり。前の文人とは、猶前の寧人と云うがごとし。汝多く修め完くする所、我を艱難に扞ぎ衛る。汝の功の若き、我が嘉美する所なり、と。

△王曰、父義和、其歸視爾師、寧爾邦。用賚爾秬鬯一卣、彤弓一、彤矢百、盧弓一、盧矢百、馬四匹。父往哉。柔遠能邇、惠康小民、無荒寧。簡恤爾都、用成爾顯德。師、衆也。黑黍曰秬。醸以鬯草。卣、中尊也。諸侯受錫命、當告厥始祖。故賜鬯也。彤、赤。盧、黑也。諸侯有大功、賜弓矢、然後得專征伐。馬、供武用。四匹曰乘。侯伯之賜無常。以功大小爲度也。簡者、簡閱其土。恤者、惠恤其民。都者、國之都鄙也。○蘇氏曰、予讀文侯篇、知東周之不復興也。宗周傾覆禍敗極矣。平王宜若衛文公・越勾踐然。今其書乃旋旋焉、與平康之世無異。春秋傳曰、厲王之禍、諸侯釋位以閒王政。宣王有志而後効官。讀文侯之命、知平王之無志也。愚按史記、幽王娶於申、而生太子宜臼、後幽王嬖褒姒、廢申后去太子。申侯怒、與繒西夷犬戎、攻王而殺之。諸侯卽申侯、而立故太子宜臼、是爲平王。平王以申侯立己爲有德、而忘其弑父爲當誅。方將以復讎討賊之衆、而爲戍申戍許之舉。其忘親背義、得罪於天已甚矣。何怪其委靡頹墮、而不自振也哉。然則是命也、孔子以其猶能言文武之舊、而存之歟。抑亦以示戒於天下後世、而存之歟。
【読み】
△王曰く、父義和、其れ歸りて爾の師々を視て、爾の邦を寧んぜよ。用て爾に秬[きょ]鬯[ちょう]一卣[ゆう]、彤[とう]弓一つ、彤矢百、盧弓一つ、盧矢百、馬四匹を賚う。父往けや。遠きを柔[なつ]け邇きを能くし、小民を惠み康んじて、荒み寧んずること無かれ。爾の都を簡[えら]び恤みて、用て爾の顯德を成せ、と。師は、衆なり。黑黍を秬と曰う。醸すに鬯草を以てす。卣は、中尊[たる]なり。諸侯錫命を受くるときは、當に厥の始祖に告ぐべし。故に鬯を賜うなり。彤は、赤。盧は、黑なり。諸侯大功有るときは、弓矢を賜いて、然して後に征伐を專らにすることを得。馬は、武用に供す。四匹を乘と曰う。侯伯の賜は常無し。功の大小を以て度とす。簡は、其の土を簡び閱す。恤は、其の民を惠み恤む。都は、國の都鄙なり。○蘇氏が曰く、予れ文侯の篇を讀みて、東周の復興らざるを知る。宗周の傾覆禍敗極まれり。平王宜しく衛の文公・越の勾踐の若く然すべし。今其の書乃ち旋旋焉として、平康の世と異なること無し。春秋傳に曰く、厲王の禍い、諸侯位を釋[す]てて以て王政に閒[あずか]る。宣王志有りて而して後に官を効[いた]す、と。文侯の命を讀みて、平王の志無きを知る、と。愚按ずるに史記に、幽王申を娶りて、太子宜臼を生み、後に幽王褒姒を嬖して、申后を廢し太子を去[す]つ。申侯怒りて、繒西の夷犬戎と、王を攻めて之を殺す。諸侯申侯に卽いて、故の太子宜臼を立て、是を平王とす。平王申侯の己を立つるを以て德有りとして、其の父を弑し當に誅すべきとするを忘る。方に將讎を復い賊を討つの衆を以て、申を戍[まも]り許を戍るの舉を爲す。其の親を忘れ義に背き、罪を天に得ること已に甚だし。何ぞ其の委靡頹墮して、自ら振わざるを怪しまんや。然らば則ち是の命や、孔子其れ猶能く文武の舊を言うを以て、之を存するか。抑々亦戒めを天下後世に示すを以て、之を存するか。

費誓 費、地名。淮夷・徐戎、竝起爲寇。魯侯征之。於費誓衆。故以費誓名篇。今文古文皆有。○呂氏曰、伯禽撫封於魯。夷戎妄意其未更事、且乘其新造之隙。而伯禽應之者甚整暇有序。先治戎備、次之以除道路、又次之以嚴部伍、又次之以立期會。先後之序、皆不可紊。又按費誓・泰誓、皆侯國之事、而繫於帝王書末者、猶詩之錄商頌・魯頌也。
【読み】
費誓[ひせい] 費は、地の名。淮夷・徐戎、竝び起ちて寇を爲す。魯侯之を征す。費に於て衆に誓う。故に費誓を以て篇に名づく。今文古文皆有り。○呂氏が曰く、伯禽封を魯に撫す。夷戎妄意にして其れ未だ事を更えず、且つ其の新たに造れるの隙に乘る。而れども伯禽の之に應ずる者甚だ整暇にして序有り。先ず戎備を治め、之に次ぐに道路を除[はら]うことを以てし、又之に次ぐに部伍を嚴にするを以てし、又之に次ぐに期會を立つることを以てす。先後の序、皆紊る可からず。又按ずるに費誓・泰誓は、皆侯國の事にして、帝王の書の末に繫る者は、猶詩の商頌・魯頌を錄すがごとし、と。

公曰、嗟人無譁聽命。徂茲淮夷、徐戎竝興。漢孔氏曰、徐戎・淮夷竝起寇魯。伯禽爲方伯、帥諸侯之師以征。歎而敕之、使無喧譁、欲其靜聽誓命。蘇氏曰、淮戎叛已久也。及伯禽就國、又脅徐戎竝起。故曰徂茲淮戎、徐戎竝興。徂茲者、猶曰往者云。
【読み】
公曰く、嗟[ああ]人譁[かまびす]しきこと無くして命を聽け。徂[さき]に茲れ淮夷、徐戎竝び興る。漢の孔氏が曰く、徐戎・淮夷竝び起こりて魯に寇す。伯禽方伯と爲り、諸侯の師を帥いて以て征す。歎じて之に敕す、喧譁なること無からしめて、其の靜かに誓命を聽かんことを欲す、と。蘇氏が曰く、淮戎叛くこと已に久し。伯禽國に就くに及んで、又徐戎を脅して竝び起こる。故に曰く徂に茲れ淮戎、徐戎竝び興る、と。徂茲とは、猶往者と曰うがごとしと云う。

△善敹乃甲冑、敿乃干、無敢不弔。備乃弓矢、鍛乃戈矛、礪乃鋒刃、無敢不善。敹、連條反。敿、舉夭反。弔、音的。鍛、都玩反。○敹、縫完也。縫完其甲冑、勿使斷毀。敿、鄭氏云、猶繫也。王肅云、敿、楯當有紛繫持之。弔、精至也。鍛、淬。礪、磨也。甲冑、所以衛身。弓矢・戈矛、所以克敵。先自衛而後攻人。亦其序也。
【読み】
△善く乃の甲冑を敹[ぬ]い、乃の干[たて]に敿[おつ]け、敢えて弔[いた]らざること無かれ。乃の弓矢を備え、乃の戈矛鍛え、乃の鋒刃を礪[と]いて、敢えて善からざること無かれ。敹[りょう]は、連條反。敿[きょう]は、舉夭反。弔は、音的。鍛は、都玩反。○敹は、縫完なり。其の甲冑を縫完して、斷毀せしむること勿かれ。敿は、鄭氏が云う、猶繫ぐがごとし、と。王肅が云う、敿は、楯に當に紛を繫げて之を持つこと有るべし、と。弔は、精至なり。鍛は、淬[にら]ぐ。礪は、磨くなり。甲冑は、身を衛る所以。弓矢・戈矛は、敵に克つ所以。自ら衛るを先にして人を攻むるを後にす。亦其の序なり。

△今惟淫舍牿牛馬、杜乃擭、敜乃穽、無敢傷牿。牿之傷、汝則有常刑。牿、音谷。擭、胡化反。敜、及結反。穽、疾郢反。○淫、大也。牿、閑牧也。擭、機檻也。敜、塞也。師旣出、牛馬所舍之閑牧、大布於野、當窒塞其擭穽。一或不謹、而傷閑牧之牛馬、則有常刑。此令軍在所之居民也。舉此例之。凡川梁藪澤、險阻屛翳、有害於師屯者皆在矣。此除道路之事。
【読み】
△今惟れ淫[おお]いに牛馬を舍[お]き牿[か]いて、乃の擭[おり]を杜ぎ、乃の穽[おとしあな]を敜[ふさ]いで、敢えて牿[こく]を傷ること無かれ。牿之れ傷らば、汝則ち常の刑有らん。牿は、音谷。擭[かく]は、胡化反。敜[てつ]は、及結反。穽は、疾郢反。○淫は、大いなり。牿は、閑牧なり。擭は、機檻なり。敜は、塞ぐなり。師旣に出で、牛馬舍く所の閑牧、大いに野に布かば、當に其の擭穽を窒ぎ塞ぐべし。一つも或は謹まざれば、閑牧の牛馬を傷るときは、則ち常の刑有らん。此れ軍の在る所の居民に令す。此を舉げて之を例とす。凡そ川梁藪澤、險阻屛翳、師屯に害有る者皆在り。此れ道路を除うの事なり。

△馬牛其風、臣妾逋逃、勿敢越逐。祗復之。我商賚汝。乃越逐不復、汝則有常刑。無敢寇攘、踰垣牆、竊馬牛、誘臣妾。汝則有常刑。役人賤者、男曰臣、女曰妾。馬牛風逸、臣妾逋亡、不得越軍壘而遂之。夫主雖不得遂、而人得風馬牛、逃臣妾者、又當敬還之。我商度多寡以賞汝。如或越遂而失伍、不復而攘取、皆有常刑。有故竊奪、踰垣牆、竊人牛馬、誘人臣妾者、亦有常刑。此嚴部伍之事。
【読み】
△馬牛の其れ風[はな]たる、臣妾の逋れ逃ぐとも、敢えて越え逐うこと勿かれ。祗みて之を復[かえ]せ。我れ商りて汝に賚わん。乃越え逐いて復さずんば、汝則ち常の刑有らん。敢えて寇し攘[ぬす]み、垣牆を踰え、馬牛を竊[ぬす]み、臣妾を誘[あざむ]くこと無かれ。汝則ち常の刑有らん。役人の賤しき者、男を臣と曰い、女を妾と曰う。馬牛風逸し、臣妾逋亡すとも、軍壘を越えて之を遂うことを得ず。夫の主遂うことを得ずと雖も、而れども人風馬牛、逃げたる臣妾を得し者は、又當に敬みて之を還すべし。我れ多寡を商り度りて以て汝を賞せん。如し或は越え遂いて伍を失い、復さずして攘み取らば、皆常の刑有らん。故有りて竊み奪い、垣牆を踰えて、人の牛馬を竊み、人の臣妾を誘く者も、亦常の刑有らん。此れ部伍を嚴にするの事なり。

△甲戌、我惟征徐戎。峙乃糗糧、無敢不逮。汝則有大刑。魯人三郊三遂、峙乃楨榦。甲戌、我惟築。無敢不供。汝則有無餘刑。非殺。魯人三郊三遂、峙乃芻茭、無敢不多。汝則有大刑。峙、丈理反。糗、去九反。楨、音貞。芻、牎兪反。茭、音交。○甲戌、用兵之期也。峙、儲備也。糗、糧食也。不逮、若今之乏軍興。淮夷・徐戎竝起。今所攻獨徐戎者、蓋量敵之堅瑕緩急、而攻之也。國外曰郊、郊外曰遂。天子、六軍。則六郷六遂。大國、三軍。故魯三郊三遂也。楨榦、板築之木。題曰楨。牆端之木也。旁曰榦。牆兩邊障土者也。以是日征、是日築者、彼方禦我之攻、勢不得擾我之築也。無餘刑、非殺者、刑之非一、但不至於殺爾。芻茭、供軍牛馬之用。軍以期會芻糧爲急。故皆服大刑。楨榦芻茭獨言魯人者、地近而致便也。
【読み】
△甲戌[きのえ・いぬ]、我れ惟れ徐戎を征たん。乃の糗糧[きゅうりょう]を峙[そな]えて、敢えて逮ばざること無かれ。汝則ち大なる刑有らん。魯人三郊三遂、乃の楨榦[ていかん]を峙えよ。甲戌、我れ惟れ築かん。敢えて供えざること無かれ。汝則ち餘刑無きこと有らん。殺すに非ず。魯人三郊三遂、乃の芻茭[すうこう]を峙えて、敢えて多からざること無かれ。汝則ち大なる刑有らん、と。峙は、丈理反。糗は、去九反。楨は、音貞。芻は、牎兪反。茭は、音交。○甲戌は、兵を用ゆるの期なり。峙は、儲け備うるなり。糗は、糧食なり。逮ばずとは、今の軍興を乏しくすというが若し。淮夷・徐戎竝び起こる。今攻むる所獨り徐戎なる者は、蓋し敵の堅瑕緩急を量りて、之を攻むるなり。國の外を郊と曰い、郊の外を遂と曰う。天子は、六軍。則ち六郷六遂なり。大國は、三軍。故に魯は三郊三遂なり。楨榦は、板築の木なり。題を楨と曰う。牆端の木なり。旁を榦と曰う。牆の兩邊の土を障[さえぎ]る者なり。是の日を以て征し、是の日に築かば、彼我が攻めを禦ぐに方りて、勢い我が築くことを擾すことを得ざるなり。餘刑無けん、殺すに非ずとは、之刑すること一に非ず、但殺すに至らざるのみ。芻茭は、軍の牛馬の用に供す。軍は期會芻糧を以て急とす。故に皆大刑に服す。楨榦芻茭獨り魯人を言う者は、地近くして便りを致せばなり。

秦誓 左傳、杞子自鄭使告于秦曰、鄭人使我掌其北門之管。若潛師以來、國可得也。穆公訪諸蹇叔。蹇叔曰、不可。公辭焉。使孟明・西乞・白乙伐鄭。晉襄公帥師敗秦師于崤、囚其三帥。穆公悔過、誓告羣臣。史錄爲篇。今文古文皆有。
【読み】
秦誓[しんせい] 左傳に、杞子鄭より秦に告げしめて曰く、鄭人我をして其の北門の管を掌らしむ。若し師を潛[ひそ]かにして以て來らば、國得可し。穆公諸を蹇叔に訪う。蹇叔が曰く、不可なり、と。公辭す。孟明・西乞・白乙をして鄭を伐たしむ。晉の襄公師を帥いて秦の師を崤[こう]に敗りて、其の三帥を囚うる。穆公過ちを悔い、誓いて羣臣に告ぐ。史錄して篇とす。今文古文皆有り。

公曰、嗟我士聽、無譁。予誓告汝羣言之首。首之爲言、第一義也。將舉古人之言。故先發此。
【読み】
公曰く、嗟[ああ]我が士聽け、譁[かまびす]しきこと無かれ。予れ誓いて汝に羣言の首めを告げん。首めの言爲るは、第一義なり。將に古人の言を舉げんとす。故に先ず此を發す。

△古人有言曰、民訖自若是多盤。責人斯無難。惟受責俾如流、是惟艱哉。訖、盡。盤、安也。凡人盡自若是多安於徇己。其責人無難。惟受責於人、俾如流水、略無扞格、是惟難哉。穆公悔前日安於自徇、而不聽蹇叔之言。深有味乎、古人之語。故舉爲誓言之首也。
【読み】
△古の人言えること有り曰く、民訖[ことごと]く自ら是の若く多く盤[やす]んず。人を責むることは斯れ難きこと無し。惟れ責めを受けて流れの如くならしむるは、是れ惟れ艱いかな、と。訖は、盡。盤は、安んずるなり。凡そ人盡く自ら是の若く多く己に徇[したが]うことを安んず。其の人を責むるは難きこと無し。惟れ責めを人に受くること、流水の如くならしめて、略扞格無きは、是れ惟れ難いかな。穆公前日自ら徇うに安んじて、蹇叔の言を聽かざることを悔ゆ。深く味有るかな、古人の語。故に舉げて誓言の首めとす。

△我心之憂。日月逾邁、若弗云來。已然之過、不可追。未遷之善、猶可及。憂歲月之逝、若無復有來日也。
【読み】
△我が心の憂えあり。日月の逾[ゆ]き邁[い]ぬ、來ると云わざるが若し。已に然るの過ちは、追う可からず。未だ遷らざるの善きは、猶及ぶ可し。歲月の逝くことを憂うること、復來日有ること無きが若し。

△惟古之謀人則曰、未就予忌。惟今之謀人、姑將以爲親。雖則云然、尙猷詢茲黃髮、則罔所愆。忌、疾。姑、且也。古之謀人、老成之士也。今之謀人、新進之士也。非不知其爲老成。以其不就己、而忌疾之。非不知其新進。姑樂其順便、而親信之。前日之過、雖已云然、然尙謀詢茲黃髮之人、則庶罔有所愆。蓋悔其旣往之失、而冀其將來之善也。
【読み】
△惟れ古の謀れる人は則ち曰く、未だ予に就かずといいて忌む。惟れ今の謀れる人は、姑く將に以て親しむことをせんとす。則ち然[しか]云うと雖も、尙茲の黃髮に猷[はか]り詢[と]うときは、則ち愆[あやま]つ所罔し。忌は、疾[にく]む。姑は、且くなり。古の謀れる人は、老成の士なり。今の謀れる人は、新進の士なり。其の老成爲ることを知らざるに非ず。其の己に就かざるを以て、之を忌み疾む。其の新進を知らざるに非ず。姑く其の順便を樂しみて、之を親信す。前日の過ちは、已に然云うと雖も、然れども尙茲の黃髮の人に謀り詢うときは、則ち庶わくは愆つ所有ること罔けん。蓋し其の旣往の失を悔いて、其の將來の善きを冀うなり。

△番番良士、旅力旣愆、我尙有之。仡仡勇夫、射御不違、我尙不欲。惟截截善諞言、俾君子易辭。我皇多有之。番、音波。諞、蒲眠俾緬二反。○番番、老貌。仡仡、勇貌。截截、辯給貌。諞、巧也。皇、遑通。旅力旣愆之良士、前日所詆墓木旣拱者。我猶庶幾得而有之。射御不違之勇夫、前日所誇過門超乘者。我庶幾不欲用之。勇夫我尙不欲、則辯給善巧言、能使君子變易其辭說者、我遑暇多有之哉。良士、謂蹇叔。勇夫、謂三帥。諞言、謂杞子。先儒皆謂、穆公悔用孟明、詳其誓意。蓋深悔用杞子之言也。
【読み】
△番番[はは]たる良士、旅[せぼね]の力旣に愆[す]ぎたれども、我れ尙わくは之を有たん。仡仡[きつきつ]たる勇夫、射御違わざれども、我れ尙わくは欲せず。惟れ截截[せつせつ]として善く諞言[へんげん]し、君子をして辭を易えしむ。我れ皇[いとまあき]多く之を有たんや。番は、音波。諞は、蒲眠俾緬二反。○番番は、老いたる貌。仡仡は、勇める貌。截截は、辯給の貌。諞は、巧みなり。皇は、遑と通ず。旅力旣に愆ぎたるの良士は、前日詆る所の墓木旣に拱なる者なり。我れ猶庶幾わくは得て之を有たん。射御違わざるの勇夫は、前日誇る所の門を過ぎて乘を超ゆる者なり。我れ庶幾わくは之を用いざることを欲す。勇夫我れ尙欲せざれば、則ち辯給の巧言を善くし、能く君子をして其の辭說を變易せしむる者、我れ遑暇ありて多く之を有たんや。良士は、蹇叔を謂う。勇夫は、三帥を謂う。諞言は、杞子を謂う。先儒皆謂く、穆公孟明を用ゆるを悔いて、其の誓意を詳らかにす、と。蓋し深く杞子の言を用ゆることを悔ゆなり。

△昧昧我思之。如有一介臣。斷斷猗無他技、其心休休焉、其如有容。人之有技、若已有之、人之彥聖、其心好之、不啻如自其口出。是能容之、以保我子孫・黎民。亦職有利哉。斷、都玩反。○昧昧而思者、深潛而靜思也。介、獨也。大學作个。斷斷、誠一之貌。猗、語辭。大學作兮。休休、易直。好善之意。容、有所受也。彥、美士也。聖、通明也。技、才。聖、德也。心之所好、甚於口之所言也。職、主也。
【読み】
△昧昧として我れ之を思う。如し一介の臣有らん。斷斷猗[い]として他の技無けども、其の心休休として、其れ容るること有るが如し。人の技有るを、已が之れ有るが若くし、人の彥聖なるを、其の心に之を好みんじて、啻に其の口より出だすが如くなるのみにあらず。是れ能く之を容れて、以て我が子孫・黎民を保んぜん。亦職[もと]として利有るかな。斷は、都玩反。○昧昧として思うとは、深く潛かにして靜かに思うなり。介は、獨りなり。大學に个[か]に作る。斷斷は、誠一の貌。猗は、語の辭。大學に兮[けい]に作る。休休は、易直。善を好むの意なり。容は、受くる所有るなり。彥は、美士なり。聖は、通明なり。技は、才。聖は、德なり。心の好みんずる所、口の言う所より甚だし。職は、主なり。

△人之有技、冒疾以惡之、人之彥聖、而違之俾不達。是不能容、以不能保我子孫・黎民。亦曰殆哉。冒、大學作媢。忌也。違、背違之也。達、窮達之達。殆、危也。蘇氏曰、至哉穆公之論此二人也。前一人似房玄齡。後一人似李林甫。後之人主、監此足矣。
【読み】
△人の技有るを、冒[い]み疾[にく]み以て之を惡み、人の彥聖なるを、而も之に違いて達せざらしむ。是れ容るること能わず、以て我が子孫・黎民を保んずること能わず。亦曰[ここ]に殆[あやう]いかな。冒は、大學に媢に作る。忌むなり。違は、之に背き違うなり。達は、窮達の達。殆は、危きなり。蘇氏が曰く、至れるかな穆公の此の二人を論ずること。前の一人は房玄齡に似たり。後の一人は李林甫に似たり。後の人主、此を監みれば足れり、と。

△邦之杌隉、曰由一人。邦之榮懷、亦尙一人之慶。杌、五忽反。隉、倪結反。○杌隉、不安也。懷、安也。言國之危殆繫於所任一人之非、國之榮安、繫於所任一人之是。申繳上二章意。
【読み】
△邦の杌隉[ごつげつ]は、曰[ここ]に一人に由る。邦の榮懷は、亦尙一人の慶[よ]きなり。杌は、五忽反。隉は、倪結反。○杌隉は、安んぜざるなり。懷は、安んずるなり。言うこころは、國の危殆は任ずる所の一人の非に繫り、國の榮安は、任ずる所の一人の是に繫る。申ねて上の二章の意を繳[きょう]す。

右蔡氏集傳之考證評註者、專用陳師凱旁通、鄒季友音釋爲要矣。其餘引据、博採可爲確證者而已矣。 寸雲子昌易記焉
【読み】
右蔡氏集傳の考證評註は、專ら陳師凱が旁通、鄒季友が音釋を用て要とす。其の餘の引き据えるは、博く確證と爲る可き者を採るのみ。 寸雲子昌易焉を記す

寛文四甲辰曆九月吉日

享和元年辛酉曆九月 再板 今村八兵衛藏板